創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第一話:盗まれた小説]

 

 必ず戻ってきてくれ。俺はずっと待っているから。

 お前の帰る場所はここなのだから。

 ――そう、彼は言った。

 遠くで鐘の音が聞こえる。まるで約束を確認するように。まるで、誓いを受け入れるように。

 遠くで。

 

 

 

「熱っ……!!

 夏の暑い日、自己主張にも程がある激しい蝉の鳴き声と恐らく本気で人間を融《と》かそうとする太陽の日差しにやられて玲菜《れいな》は目を覚ました。汗がおでこからじわりと出て目に入る。

「あっつい!!

 汗はまるで涙のように頬を伝った。いや、実際涙も出ているのか。寝ていたせいで。玲菜はハッとして口元も確かめた。口からの涙(別名よだれ)は出ていない。二十歳の娘としては誰も見ていないとはいえ、口から液をはみ出すという不祥事はなるべく避けたいものだ。

 ふと、学校のチャイムのような音が外から聞こえた。

 先ほど夢の中で聞こえた鐘の音の正体はこのチャイムだったのか。夕方になると子供たちを帰宅に促すために市内で流れる放送。

 時計を見ると午後五時三十分になっていた。

(もう五時半か……。お父さんは今日定時で上がれるって言ってたな)

 西日は容赦なく照りつける。自分の部屋の机で小説を書きながらうたた寝をしていた。いくら設定温度が二十八度とはいえ、冷房の効いた部屋でこんなに暑いとは何事だろうか。しかも異常に聞こえる蝉の声。玲菜は窓を見て愕然とした。

(あ、少し開いてる!)

 まさかの閉め忘れ。小説を書く前に、充分乾いていた洗濯物を取り込んだ後、少しだけ窓を開けていたのを忘れていた。これでは冷房の涼しい風は逃げてしまう。しかもベランダには蝉がとまっていた。うるさいはずだ。幸い網戸は閉まっていたので大嫌いな虫に侵入されることはなかったようだが。

 玲菜は急いで窓を閉めて冷房の設定温度を二十五度まで下げた。途端に冷たい風が一気に出てきて蝉の声も幾分か小さくなった。

(あ〜涼しい。幸せ〜。エコってなんだよ。ただのエゴじゃん。エアコン二十八度設定なんて暑くて死んじゃうよ。埼玉なんて絶対死ぬっての!)

 今だって、五時半すぎにしてこの暑さ。外はまだ明るいし空は夕焼けと言うほど朱くもなっていない。紫外線は十五分で肌を傷つけるとインターネットの天気予報の欄に書いてあった。つまり外に出ると死ぬという警告。

(小説の続きでも書こうかな)

 玲菜は原稿用紙を机に広げてボールペンを取り、椅子に座った。

 もうすぐ書き上がる自作小説『伝説の剣と聖戦』

 昔から神話などが大好きだった玲菜が子供の頃からずっと温めていた(自称)超大作。伝説の剣を巡って神や人間たちが織り成す物語。そして起こる戦争。その中で現れる一人の英雄。もちろん恋愛もある。英雄・シリウスと、天から降りてきた一人の少女の出会い。

 実は少女の名は恥ずかしながら自分の名前に似たレナという名を付けていた。だから当然ヒロインのレナには感情移入が半端ない。玲菜はヒーローのシリウスに自分のキャラという親心以上のある種、恋に似た愛着を持っていた。ヒロインのレナはまるで自分。もちろん見た目は全く違って、美少女だし年齢も十六歳設定だけれど。性格はどことなく自分を反映している。

 シリウスとレナの恋愛シーンは書いていて物凄く楽しい。けれども物語ももう終盤。二人が一度別れるシーンになる。先ほど夢でも見たような。

(ここで二人はキスをするんだ)

 想像して、書いている本人でありながら顔が熱くなる玲菜。

 どういう風に表現しようか。

(キス? キスじゃ普通かな。口づけ? 口づけってなんか昔っぽい? でも読むのは編集部の人なんだから、今風じゃない表現の方がむしろいいかな)

 実はこの小説は『小説大賞』に応募しようとしているものであった。賞の規定としては原稿用紙にワープロ書きか手書き。枚数に上限はない。未発表のものに限る。『伝説の剣と聖戦』のような長編にはうってつけだが、ボールペンで書くのは疲れる。玲菜の家にはプリンターが無いという致命的な事情があったのでパソコンで打ったものをプリントアウトできない以上は手書きしかない。

(今の時代、ネットが主流なのになんで原稿用紙なんだろ。データで送れるなら絶対にパソコンで打つのに)

 まぁ、プリンターを買えば良かったのだが。職業がフリーターでアルバイトの自分の給料では若干きつい。その若干を渋ったために今苦労している。

(っていうか、よく考えたらコンビニでプリントアウトできたかな。でもそうすると全部で幾らかかるんだろ?)

 どちらにしてもすでに終盤まで書いていて今更パソコンに打ち直す気力はないが。今まで書き上げた原稿用紙をまとめて眺める。

(この話って面白いのかな? 誰かに読んでもらって感想もらいたいな)

 自分は面白いと思って書いているのだが、客観的に読んでもらっていないのでわからない。せっかく書いた物語に愛着のあるキャラクター。たくさんの人に読んでもらえたらどんなに幸せか。本当は家のためにちゃんとした就職口で働いた方が良かったのかもしれないが、幼い頃からの夢は捨てられなかった。

小説家になること。

そして、いつか有名になってお金持ちになって親孝行するのだ。

 ふと、あることに気付いて玲菜はまた時計を見た。

(お父さん、遅いな。メール)

 いつも定時に上がる時は早々と五時十五分にはメールが来る。今は五時四十五分。三十分しか過ぎていないが珍しい。それにしても外はまだ明るい。夏だからなのは分かるが。

そんなことを思っていた矢先に携帯電話のメールの音が鳴る。

(お父さんかな?)

 しかし、携帯電話を取ることは叶わなく、玲菜の運命は大きな渦に巻き込まれることになる。

 

 ――それは、突然起こった。

 突然部屋の中が真っ暗になった。いや、部屋の中というより周りが全て真っ暗な空間になった。

「え!?

 あり得ない状況に頭の中がついていけない玲菜。もちろん目を疑う。

 数秒間呆然としてようやく周りを見回した。

(え!?

 信じられない。

 携帯電話を取ろうとしたらいきなり目の前が真っ暗なんて、どういうことか。停電ではない。さっきまで激しく入り込んでいた西日はどこへ消えたのか。というより、窓はどこか。窓だけではなくて家具もどこだ。メールを受信した携帯電話の光さえも見えない。何も見えない。

「は?」

 玲菜は突然の暗闇に混乱する。

(なんで真っ暗なの?)

 そういえば音も聞こえない。

 まさか夢か? と思って目を開けようとしたが、目は開いている感覚。

(何、ここどこ?)

 何も見えないのは恐い。

「ちょっと待って。ちょっと待って!」

 とりあえず落ち着こうと声に出してみた。

「なんで真っ暗?」

 この季節の夜にテレビで特集される心霊現象が頭をよぎる。

(え! まさか……)

 幽霊に何かされる心当たりは無いが。背筋が凍る。

 その時、小さな明かりと共に人影が現れた。

「うおぉ!!

 びっくりして低い声で叫んでしまった。「キャー」などという甲高い声は絶対に出ない。

(幽霊!? それとも……!)

 人影はよく見ると黒いローブで身を包み、顔もフードで隠している。玲菜の脳裏には映画や漫画で出てくる様々な悪役的存在が思い浮かんだ。

 正体不明の黒ローブ人間は小さな明かりを持ち、こちらに近付くと不気味に「ニヤッ」と笑った気がした。顔はよく見えないが、小さな明かりに照らされて口元だけが少し見えた。

(だ、誰!?

 すると黒ローブ人間は突然ガサガサと何かを探し始めた。

「泥棒!?

 小さな明かりによって見えたのは自分の机と……『伝説の剣と聖戦』の原稿用紙。黒ローブ人間は原稿用紙の束を手に取り、持っていた箱に入れて脇に抱えた。

(え?)

 意味が分からない。

 どうして玲菜の小説を箱に入れて盗むのか。幽霊だとしても泥棒だとしても訳がわからない。

 黒ローブ人間は小説の入った箱を持ちながら足早に歩き出した。

「は? ちょっと! それ私の……」

 夢中で追いかける玲菜。

 もう常識とか深く考えるのはやめた。とりあえず大事な物が盗まれた。命より大事と言ったら大袈裟か。けれど、何か月もかけて書いた大切な作品。この世に二つと無い。手書きなのでデータも無い。全部書き終わってからコピーしようと思っていたので複製も無い。幼いころからずっと温めてきた物語だが、もう一度最初からなんて書けない。毎日バイトして夜にコツコツ書いていた努力の結晶。それが、こんなわけのわからない人物に盗まれてたまるか。

「返してよ! 私の大切な小説なんだから! 盗むなら他のにしてよ!!

 玲菜が叫ぶと黒ローブ人間は立ち止まった。

 いつの間にか辺りには扉がいっぱいある。

(なにここ? 不思議な国?)

奇妙な感覚に襲われる。説明のつかない激しい不安にも。

自分は、自分の部屋に居たはずだ。急に暗闇に包まれて謎の人物を追いかけたらこんな未知の場所にたどり着いた。

異次元にでも来たのかというのか。

まさか。

小説じゃあるまいし。

それとも映画のごとく急に世界が滅んで自分はもう死んでいるとか。そうすると黒いローブの人物は死神か? だとすれば痛みや苦しみもなかったのである意味幸いのような。

いや、そうなのか?

(わけわかんない)

 一先ずそのことは置いといて。自分の小説を取り返すのが先決か。玲菜が歩いて近付くと黒ローブの人物は小説の入った箱を近くの扉の前に置いた。

 すると、突然扉が光って開き、箱が中の暗闇に吸い込まれる。

「え!!

 冗談じゃない。

 玲菜は慌てて箱に向かって走り出した。嫌な予感。歩かずにずっと走れば良かった。

 扉は箱を吸い込むと音もなく閉まって――消えた。

「嘘でしょう!?

 玲菜は自分の小説を吸い込んだはずの扉を探したが、ついさっきまであったはずの場所に無い。

「ちょっと待ってよ! 私の小説どこにやったの?」

 わけがわからぬまま黒ローブ人間に詰め寄ると、彼(?)は玲菜を振り払って逃げ出して暗闇に消えた。

「ちょっと!!

 追いかける玲菜。

消えた方向に走って辺りを見回す。

「なんでなの!? どこ行ったの!?

 怒りと混乱で怒鳴りそうだ。

 少し走ると怪しい大きな扉。もしやここに逃げたのか。

 玲菜はそうに違いないと思ってその扉に手をかけた。一瞬迷ったが、手をかけた時点でもう引き返せなかった。

 扉は音もなく勝手に開いてその先に光が見えた。

 光は目を眩ませる。

(何?)

 目をつむった玲菜は何かに引っ張られて投げ出される。

 その後の記憶は無い。

 急に意識が遠のいて目の前がまた真っ暗になったからだ。

 意識を失う前に玲菜は小説よりも大切なものを思い浮かべてその名を呼んだ。

「……お父さん……!」


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