創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第十三話:父親の真似]
衛兵の馬車ではくノ一の朱音《あかね》が玲菜の隣に座った。
黒装束で顔も目以外を隠していた朱音は少し走ってからようやく頭巾を取って顔を出した。黒い髪を後ろで束ねたいわゆる美人。黒い瞳で左目の下にあるホクロがやけに色っぽく感じる。推定年齢としては二十代後半か。
じろじろ見ていると目が合って、朱音は微笑んだ。玲菜は慌てて言う。
「あ、あの……初めまして。私……」
「レイナ様ですね。存じておりますよ。私《わたくし》はアルバート様の護衛の一人で朱音と申します。朱色の朱に音と書いてアカネです」
アルバートはレオの名前《ファーストネーム》だ。護衛と聞いて玲菜は訊かずにいられなかった。
「朱音さんは忍者……っていうか、くノ一なんですか!?」
朱音は笑う。
「うふふ。大昔風の言い方をすれば、そうですね」
(リアルくノ一!!)
玲菜は感激した。
「私と相棒の黒竜《こくりゅう》は常にアルバート様の身辺を陰で守っています」
朱音の言葉にびっくりする玲菜。
「え? いつも? 気付かなかったけど、いつも居たの?」
「居ましたよ。すべて見ているわけではありませんけど、何かあった時に対処できる位置にどちらか……もしくは私たちの部下が居ます」
さすが皇子か。しかし、あることに気付いて玲菜は朱音に訊いてみた。
「会話とか聞いてるの? ひょっとして家の中とか覗いてる?」
もしすべて把握されていたら怖い上に恥ずかしい。
「まさか」
朱音は答える。
「皇子の個人事情もありますし、その辺りは配慮していますよ。私たちはあくまで不審人物が居ないか、先ほどのように命を狙われないか探っているだけです」
(でも私の名前知ってたよね)
玲菜がそう思うと、まるで心の中を読んだように言う朱音。
「レイナ様は申し訳ないですが、最初不審人物と疑いがかかっていました」
だから名前を知っていたのか。いや、調べられていたのかと、理解する玲菜。次の朱音の言葉には耳を疑った。
「ですが、全くそういう気配は無いですし、今はなにより皇子が気に入っているようですからね」
「え!?」
一瞬ドキッとしたが、そういえば前に本人からも聞いたか。“同居人として”気に入っていると。
(あーそうだ。私ってば、危うく自意識過剰になるところだった)
そういえば先ほども抱きしめてくれたが。
(あれは、私を落ち着かせようとして、だよね)
思い出すと少し顔が熱くなる。玲菜はレオの話を思い出した。
レナとは、付き合っていないようだが、一晩かけて口説くという話。
(そうだ。私がけしかけたんだけど、レオはレナのことが好きなんだ。じゃなきゃ口説かないよね)
自分の小説でも二人は好き合っていた。
なんだろうか……少しつまらない気持ち。
「レイナ様」
考えていると朱音に呼びかけられて玲菜は慌てた。
「は、はい、なんですか?」
少し間を空けてから朱音は言う。
「アルバート様の先ほどの行動、少々残酷に思われるかもしれませんが、皇子という身分もあって、命が狙われることが多々あっての致し方ない事でありますので、どうかご理解下さいますよう」
命乞いした者も平気で処刑を命じるレオ。それに平気で人を斬ったことも、確かに恐く感じたが。
「大丈夫です。理解できます。レ……アルバートは、本当は優しいし」
自分で言ったことに自分で驚く玲菜。
(私、レオのこと優しいって……)
最初は嫌な奴だと思った。しかもガキくさいと。
確かに子供っぽいところは完全否定できないが、ショーンと同じように紳士的なところも結構あった。二人で出かけると荷物は必ず持ってくれるし、歩くペースも合わせてくれる。ひったくりから荷物を取り返してくれたし。そうだ、自分がウヅキに触りたい素振りを見せたら、(ウヅキを)抱っこして触れるようにしてくれた。あれもきっとさりげない配慮。
(それに、猫好きに悪い人はいないよ)
これは玲菜の持論だが。
自分で納得する玲菜に朱音は微笑んだ。
「アルバート様のこと、これからもよろしくお願いしますね」
「は、はい」
そう言いつつ、玲菜は考える。
(でも、レオはこれからしばらく同居人じゃなくなるんだよね? 一緒に住まないと会う機会無くなると思うんだけど)
やはり少し寂しい。それに心配もある。
(レオ、大丈夫かな? 今日みたいにまた命が狙われないかな)
しかし、朱音のような心強い護衛もいるから平気か。
玲菜は揺れる馬車の中で色々なことを考えていた。
そして、ようやく街に入って、しばらく走るとショーンの家の近くに着いた。玲菜は朱音や御者の衛兵に挨拶をしてショーンの家に入った。辺りはもうすっかり暗くなっている。
玄関は鍵が開いてあり、家に入ると中は真っ暗だったが二階で物音が聞こえた。ショーンは帰っているらしい。
「た……ただいまー」
玲菜はまるで自分の家のように帰宅の挨拶をした。
入った部屋はショーンの一階の研究室で物がゴチャゴチャある。暗いと色々踏んづけそうだ。玲菜は壁伝いにゆっくり歩き、居間まで来てようやく電気をつけた。
するとやっと気付いたらしいショーンが二階からガタガタ物音を立てて階段を下りてきた。
「おかえりー。あれ? レオは?」
玲菜は今日の出来事をショーンに話した。
「ああ、そう。なるほどな」
ショーンは納得して台所に入る。
「驚かないの?」
玲菜が訊くと冷蔵庫を開けながら答えた。
「前にもあってな。アイツのことは心配だけど。俺にはどうにもならないから。ただ、遠慮せずにこの家に帰ればいいのにな」
やはり遠慮もあったのか。玲菜も頷いた。
「そうだよね」
しゃがんでいたショーンは玲菜を見上げて言った。
「ああ、でも、心配だったんだろ。自分のせいで俺やレイナが襲われたら嫌だと」
玲菜はハッとした。
(その可能性もあるんだ)
だから、レオはショーンの家に帰らなかった。猫のウヅキがレオの部屋から出て二人に近寄ってきた。
「あ、でもレオはたまに帰ってくるって言ってた。ウヅキに会いたいからって」
「う〜〜ん」
ウヅキを見るショーン。
「多分、それは無いな。警戒してアイツは来ないよ。来るとしたら犯人のことを把握して安全な時が分かったら、だろうな」
「いつ?」
「まぁそう遠くないよ。アイツの護衛は優秀だから」
ショーンはそう言ったが少し心配だ。そんな玲菜を見てショーンは立ち上がる。
「心配なら、俺がレオの屋敷に連れてってやる。すぐは無理だけど。その時にウヅキを連れていこう」
「う、うん」
不安そうな玲菜を見て、ショーンは冷蔵庫から取り出した食材を調理台に置く。
「レイナ」
「え?」
「少し、父親の真似をしていいかな?」
「え?」
玲菜は一瞬何だか分からなかったが。ショーンは小さい子にするように玲菜の頭を撫でた。
「良かった。キミが無事で」
そう言って抱き寄せる。
「ごめん。おじさんちょっと話を聞いて震えた。キミたちに何かあったらって思ったら怖くて」
玲菜は少しびっくりしたが、なんだか本当に自分の父に抱き寄せられているような気分になった。もちろん年頃の今、こんなことは無いが。幼い頃の記憶で。
「二人とも怪我も無くてホッとした」
「うん」
そうだ。レオも怪我が無かったようだから良かったと玲菜は思う。
それから、ショーンは晩御飯を作り、玲菜はそれを手伝った。掃除だけでなく、主婦全般の仕事がこの家で出来るといいと思う。元々家では父と協力してやっていたことだし、世話になっている以上は働かなくては。手伝うとつくづく現代の日本が便利だったと気付かされる。しかし便利な物が無くても手間をかければなんとかなるものだ。玲菜は少しずつ自分の出来ることを増やしていった。
そして、一週間が過ぎた。
この世界に来て単純計算で十二日。玲菜は家政婦のように家事をこなしていた。掃除を頑張ったかいもあり、家の中はかなり綺麗になった。レオの部屋はあまり片づけていないがゴミはなくなった。ショーンの研究室も少し整理されて少なくとも床に落ちている物は何も無い。その他の部屋は言うに及ばず。玲菜の部屋には屋根裏の物置から出した鏡と服のタンスが増えた。レオと一緒に注文した絨毯とタペストリーはまだ来ない。
玲菜は少しなら一人で買い物にも行けるようになっていた。近所の人たちやよく行く店の店員は気さくに声をかけてくれる。
ショーンは相変わらず図書館や自宅研究室にこもっていて、たまに一緒に買い物に出かけるくらいだ。食事は作ってくれるが、簡単な物なら玲菜も作れるようになった。
玲菜は少しずつこの世界に慣れてきているのが自分でも分かった。もちろん父のことは心配で夜に泣きたくなることもあるが。朝になれば覚えることが多くて気が紛れる。
この一週間で嬉しいことといえば、ウヅキがすっかり自分に馴れたこと。
反対に寂しいことはレオが姿を現さないこと。
玲菜は近くに来たウヅキを抱っこして溜め息をついた。
(もう一週間か。いつになったらレオに会えるんだろ)
もしかしたらこのまま会えずに……なんてこともあるかもしれない。
彼は皇子だし。たとえば城で暮らすなんて可能性も。
(そういえば私、皇子にタメ口使ってたんだなぁ)
今気づく。気付いたとしても直さないが。
会えない理由として、もう一つ可能性がある。
(もしショーンが、元の世界に戻る方法を発見して、すぐに実行できたらもう会えなくなるな)
この可能性はいつになるか全く予想できない。
(明日かもしれない。一年後かもしれない)
最初は常に早く帰りたかったが、妙に複雑な気分。
(情がわくってこういうこと? ショーンやレオやウヅキとは別れるのが寂しいな)
もちろん父には一刻も早く会いたいが。
その時、玄関を叩く音が聞こえた。誰かが家に来たのだ。
(誰? レオ?)
それとも隣に住んでいるサリィさんが焼き立てのパンをおすそわけに来てくれたのか。
サリィさんには悪いがレオであってほしい。そう思いながらドアを開ける。その先に居たのは――
「こんにちは。注文の品を届けに来ました」
なんと、でかい絨毯を持った配達員だった。
思わずガッカリした表情をしてしまう玲菜。
「設置も頼まれているんですけど、どこに敷きましょうか」
配達員は三人居て、皆絨毯を抱えている。
「あ、あの。じゃあ、こっちなんですけど」
玲菜は三人を家の中に通す。
その、玄関を閉めた瞬間に、一人の配達員に後ろから掴まれた。
(え?)
配達員は強い力で玲菜を押さえる。
玲菜は頭の中が真っ白になった。
(な、何これ?)
危険な予感がする。
まさか、レオを狙った奴らがこの家の存在を知ってやってきたとか。
(ありえる)
急に背筋が凍る玲菜。まさか自分は悪い奴らの罠に嵌まって捕まったのではないか。
配達員は玲菜の耳元で囁いた。
「家で、一人で居る時に知らない人間を気軽に入れるのは危険だぞ。覚えておけ」
まさにその通りだ。いや、それよりもこの声は……
「レオ!?」
玲菜は振り向いて配達員の顔を見た。三人は帽子を深く被っていたので顔はよく見えなかったが。玲菜を掴まえた男が帽子を取る。
それは、黒髪に青い瞳のレオだった。
「何やってんの!?」
驚くと同時につっこんでしまう玲菜。
絨毯の配達員を装って来るとは一体。しかも後の二人は?
玲菜が疑問に思ったのと同時に後の二人の片方が帽子を取る。それは黒髪の美人姉さん……
「朱音さん!!」
呼ばれて朱音はニコッと笑った。もう一人は帽子を取らなかったが、恐らく朱音の相棒の忍者だと予想できる。
玲菜はもう一度つっこんだ。
「何やってんの? なんで絨毯持って……」
思いもよらずレオに再会して嬉しいはずなのに頭が混乱する。
「え? 本人? なんでそんな格好してんの?」
「俺に会えて嬉しいのは分かるけどな、少し落ち着け」
レオが格好つけて言うと後ろで朱音がクスッと笑った。
おかげでレオは言おうと思っていたセリフを忘れてしまった。
「あーえっと。なんだ?」
朱音がフォローを入れる。
「アルバート様がずっと会いたがっていたので、私が変装する案を提示しました」
「あ、変装! そっか」
良い案だ。もう一つ気になったセリフを訊き返す玲菜。
「ずっと会いたがっていた?」
レオは慌てて玲菜からウヅキを奪い取った。
「ウヅキにな!」
「あ、そう……だよね」
自分は割とレオに会いたかったのに。なんだか腑に落ちない玲菜。
それでも会えたことは嬉しいか。変装のついでに持っている絨毯に目を向ける。
「この絨毯どうしたの?」
「これは屋敷から持ってきた。要らない物だったから、この家に置けばいいと思って」
玲菜は「なるほど」と思う。居間にも欲しかったからちょうどいい。
「ありがとう。……あ、……」
会話がうまく続かない。
久しぶりだからか妙な緊張がある。
「……ショーンは、今さっきちょうど出ちゃって。いつもの図書館だけど」
「ああそうか」
「レオは……元気、だった?」
「ああ、まぁ普通だ。……お前は?」
「普通だけど」
あまりのぎこちない会話に、護衛の二人が笑いを堪えている気がするのは気のせいか?
「あ、えっと」
話したいことがいっぱいあるのに。何から話せばいいのかわからない。
「レオは平気? 一週間どうだった? もう平気なの? 今日はこの家で寝る?」
「あー」
今更ながら、レオは玲菜にコソッと耳打ちした。
「頼むから、アルバートかシリウスと呼んでくれ」
「あ、アルバートは」
玲菜は言い直したが、アルバートと言うと別の人物みたいな感じがする。本来アルバートがファーストネームなはずなのに。
さておき、レオは答える。
「まだ平気ではない。だから変装してきたんだ。長居はできなくてすぐに帰るし」
「え! すぐに帰るの?」
せっかく会えたのに時間がほとんど無いなんて切なすぎる。
朱音がまたフォローしてきた。
「アルバート様は少しの時間でも会いたくてこちらにいらしたんですよ」
「ウヅキにな」
強情っぱりに付け足すレオ。いっぽうウヅキはあまり嬉しそうではなく、むしろ抱っこされるのを嫌がっている様子。レオはそんな彼女を見て哀しそうな顔をした。
「お前、一週間居なかっただけで俺のことを忘れたのか?」
「動物は仕方ないよ。慣れれば元に戻るって!」
玲菜が言うと、レオは真剣な顔で言った。
「連れていきたいな。屋敷に」
玲菜はその言葉で思いついたことをつい訊いてしまった。
「あ、ねぇ、私も行きたい。遊びにいってもいい? レオ……じゃない、アルバートの屋敷」
ショーンは寂しがるかもしれないが、置手紙だけを残して玲菜とウヅキはレオの屋敷に遊びにいくことになった。玲菜は変装のために、朱音の着ていた配達員の服を着る。
前に見た煌びやかな馬車ではなく、地味な小さい馬車に乗り込み、護衛忍者の朱音の相棒である男の運転でレオの屋敷に向かった。ちなみに男の名は黒竜《こくりゅう》というそうだ。まだ顔は拝見していない。馬車にはレオと玲菜とウヅキだけが乗って、朱音はいつの間にか姿を消していた。レオが言うには、隠れてついてきて不審人物が居ないか探っているらしい。
二人は馬車の中では会話が弾まずにウヅキの行動にばかり目を追う。
やがて、立派な城壁を通過して、いつの間にか立派な屋敷の前に到着していた。
「ここはもう城壁内だから。宮廷にも俺の部屋はあるけど、一応俺の家」
すぐ近くにはでかい塀と城が見える。レオの屋敷は城の離れみたいな場所にあり、一人で住むにはでかすぎる家であった。
「俺が一人で住むとは限らないけどな。俺に与えられた自由な家だ。ハーレムを作るにはちょっと狭いが」
レオの言葉に、呆れた目で見る玲菜。この屋敷自体が皇子に与えられた部屋みたいなものか。ただし、彼はずっとショーンの家に住んでいたのでたまにしか使っていなかったのだという。
立派な庭も隅々まで手入れされているのにもったいない。
レオに誘導されて屋敷に入る玲菜。玄関に整列する使用人に怖気づきながら歩く。レオは変装を脱いでシャツとズボン姿に変わっていた。玲菜も下に服を着ていたので配達員の服を脱ぐ。脱いだ服はすぐにメイドが運んでいった。
玲菜は自分の格好がこの屋敷にそぐわないと思い恥ずかしくなった。恐らく似合うのはドレスだ。
立派な絨毯に立派な壁の装飾。たくさんの部屋と広い空間。豪華なシャンデリア。
(お城みたい)
なんだか圧倒される。
レオは階段の所まで来て、玲菜に手を差し出した。
「ほら、行くぞ」
「え?」
「一応、エスコートしてやるよ」
聞きなれない言葉。
「何? エス? 大丈夫だよ階段くらい。自分で上れる」
玲菜は恥ずかしかったが。
レオは顔を赤らめてもっと恥ずかしそうにした。
「そうじゃなくてだな! 上がれるのは分かってる。一応……形式的に」
「え? あ、そうですか? どうも」
なんともムードの無い言葉で手をそえる玲菜。
(何? 形式って。ううっ……恥ずかしい)
レオに階段をエスコートされるとは、思いもよらなくて動揺してしまう。ぎこちないが気分は少し良い。そんな感じで階段を上った先の部屋に玲菜は通された。
そこは綺麗な絨毯と机、椅子、ソファ、鏡、ベッド、バスルーム……と、全てが揃った立派な部屋。レオは言う。
「屋敷の中でもこの部屋は結構好きなんだ。このまま客室にできるし。勝手に座っていいぞ」
玲菜がソファに座ると自分は天蓋つきの広いベッドに倒れこんだ。
「なんならお前、この部屋に泊まってもいいし」
本人は冗談のつもりだったのか。実は本気だったのかは分からないが。
玲菜は部屋を見回してノリで答えてしまった。
「ああ、うん。泊まろうかなー」
少し間が空いた後、飛び起きるレオ。
「え? えぇ!?」
我に返って玲菜は首を振った。
「あ! 嘘。冗談だよ。ショーンも心配するし。もちろん帰るから」
本当はこんな素敵な部屋に泊まってみたい気持ちは物凄くあるのだが。
(レオは迷惑だよね。泊まっていいってもしかして社交辞令的な?)
それよりも男の家に軽々しく泊まるなんて言うのは軽率だったか。
(だってなんか豪華なホテルみたいで、レオの家っていうイメージが無い)
ショーンの家のレオの部屋は元ゴミ屋敷。
玲菜が思い出し笑いしそうになっていると、レオが怒ったように迫ってきた。
「お前、いつもそうやって気安く男の家に泊まるとか言ってんのか?」
「い、言ってない! 言ったことないよ」
なんだか怖い。
「レオだからつい」
レオはショーンの家で同居していたから。玲菜の中にはその気持ちがあった。少しだけ家族のような。
「俺だからつい?」
てっきり怒るかと思われたレオはなぜか機嫌をよくする。
「そ、そうか。他の男には言わないが俺だけ」
何やらブツブツと言った後、じっとこちらを見つめてきた。
見つめながら玲菜の隣に座ったレオはソファの背もたれに腕を置いてゆっくりと顔を近づけてくる。……と、その時――
部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「時間です、アルバート様」
レオは慌てて離れて立ち上がった。
「あ、ああ!! なんだ!?」
驚きすぎて表情がまずいことになっている。
一方玲菜も息を止めていた自分に気付いて慌てて息を吸って吐いた。
(な、何今の!?)
鼓動が激しく鳴っている。
(やばい。私の心臓やばい!!)
なんとか落ち着かなくては、と思う。
やはりシリウスの顔に弱い。あの顔が近付いてくると思考が停まる。
(ってか、なんであの人すぐに顔を近づけるの?)
何か言おうとしていたのだろうか。それとも……
(わぁあああ!! 勘違いしようとしてる自分がいるよ〜〜〜!)
玲菜は恥ずかしくなって考えを頭の中から追い出した。
レオが、自分に、キスを迫るはずがない。
前に言っていた。冗談でそういうことはしない的な。
勘違いをして舞い上がったら痛い目を見るのは自分なのだから。
(だってレオが好きなのはレナだし)
前にも思ったことをもう一度確認する。
玲菜が色々なことを思っている間、レオは部屋に報告に来た使用人とドア越しに話していた。
「アルバート様、そろそろ宮廷に入る用意をする時間でございます」
「あー忘れてた。もうそんな時間か」
レオは「しまった」という風に頭に手を置く。
話が聞こえた玲菜は訊ねる。
「宮廷?」
「ああ、ちょっと最近めんどくさいことが起きてて」
レオは申し訳なさそうに言った。
「悪かったな。本当に時間が無かった。せっかくお前を連れてきたのに、うっかり忘れていた」
そうだ。レオがショーンの家に来た時にあまり時間が無いということは言っていたはずだ。それなのに、ついてきたのは自分だ。せっかく久しぶりに会えたのだから、少しの時間だけではつまらなくて。
「ああ、うん。時間が無いの知ってたんだ。私こそごめんね。無理やりついてきて」
玲菜は落ち込んだ。
「なんか……レオと長く一緒に居たくて」
これは素直な気持ちだ。俯いて言うとレオは両肩を掴んできた。
「あー。えっと……俺も……同じ気持ちなわけであり」
「え? わけであり?」
何か言い方が変だ。
「ホントに。元々宮廷になんか行きたくなくて。サボりたい」
「サボっちゃ駄目でしょ」
玲菜がつっこむとレオも嫌そうに頷く。
「そうだよな。大事な会議だし」
なんか会社員みたいだ。
玲菜は諦めて帰ることにした。
「うん。じゃあ私は帰る。帰りはどうしたらいい? 私、道分かるかな? 屋敷出る時はやっぱ配達員の格好に変装したらいいの?」
「え? あ、いや。帰りは送らせる……」
そこまで言って、レオは閃《ひらめ》いたように嬉しそうな顔をした。
「そうだ! 変装! お前変装して、俺の従者のフリして宮廷についてこいよ」
なんとも無謀な。
ありえない。
しかし、その無謀なありえない案に玲菜はまさかの二つ返事をしてしまった。
宮廷への好奇心がギリギリ勝って。