創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

【第二部】

[第一話:父]

 

――そして、私の親不孝を許してね。

 

 

私にとって今から約半年前。

あの日、私は小説を書いていたの。

お父さんには言っていなかったけれど、小説家になるのが夢だから。ずっと異世界ファンタジーの小説を書いていたんだ。

 

その、八月最後の日の夕方。(お父さんにとっては今日だね)

突然周りが真っ暗になって、黒ずくめの知らない人がいて、私の小説を盗んだ。

訳が分からなかったんだけど、私はその人を追いかけて。変な扉が多い場所にたどり着いたの。

そして黒ずくめの人が、私の小説を扉の前に置くと、小説はその扉に吸い込まれてしまった。

私は慌てて取り戻そうとしたんだけど、別の扉に吸い込まれて。

気付いたら外の知らない場所に居たの。

 

信じられないかもしれないけど、そこは未来の日本でね。(びっくりするよね)

でもそのことはあとで判るんだけど。

いきなり知らない場所に居て当然私は困ってて。そこを助けてくれたおじさんがいたの。

おじさんの歳は51歳なんだけど、凄くお父さんに似ていてね。雰囲気とか声も。顔とか髪の色も。見た目だけじゃなくて、性格も凄く似ていて、お父さんみたいに親切。

その人が、私が自分の娘に似ているっていう理由で助けてくれるんだ。

信じられないような私の話(別の世界に居たけど突然この世界に来てしまった)も、すぐに信じてくれて、帰るための方法を一緒に考えてくれるって!

しかも住む所が無い私に部屋を貸してくれて。凄くいい人なの。

 

私はその人と一緒に住むことになるんだけど、家にはもう一人同居人がいてね。

お父さん、急にこんなこと書いたらびっくりすると思うけど。

ごめんね。

私はその同居人の男の子に恋をします。

お父さんにこんな話をするのは恥ずかしいけれど、書くよ。

 

異世界みたいな場所で、私は帰る方法を探しながらなんとか暮らしていくんだけど。そこでは戦争とかいろいろあって。

私も何度も危ない目に遭ったの。

その男の子(同い年)やおじさんはいつも私を助けてくれて、段々と二人のことを好きになるんだ。とっても大事な存在になる。おじさんは(怒らないでね)私にとってお父さんみたいだし、男の子も、ちょっとだらしない部分もあるんだけど優しくて強くて。私は惹かれた。

向こうも私のことを好きになってくれて。私は幸せだった。

 

でもいつかは別れなきゃいけないってずっと悩んでたある日、この世界の預言者にいろいろと真実を教えてもらったの。

真実とあと予言を。

この世界は私が居た世界の遠い未来だって。大昔のタイムマシンみたいなの(最初の暗い場所)で来てしまったって。

私の小説はこの世界では神話になっていて、だから私は創世神みたいなものだって。

そして、私はこの世界を壊さないために過去へ戻って自分の小説を盗んで、この文明が始まった頃(?)に送るのが使命だって。

 

私は使命を実行するために、おじさんと一緒にタイムマシンへ戻る鍵を探すんだ。アヌーの結晶石ってやつなんだけど。それと、タイムマシンの入口が開く日は決まっていてその条件を満たすために必要な物も見つけるの。

 

その二つが見つかって、ようやく使命を実行するってなった時に、私は、同居人の彼から(おじさんじゃない方)プロポーズをされて。

お父さんにも会いたいし、すっごく悩んだけど。

私は彼と一緒に生きていくことを決めたの。

本当は使命が終わった後に、元の世界かこの世界か戻る方を選べたんだけど、こっちの世界に戻ることを決意しました。

 

こっちで暮らして約半年。私の人生は劇的に変わった。

できるならお父さんも連れていきたい。

けれど、歴史は変えられないから。(小説を盗んだらすぐに行かなくちゃいけないの)

なので、せめてと思い、手紙を書きました。

大分略したから説明不足でごめん。

いろいろ伝えたいこともあるし、私の身勝手をお父さんは許してくれないかもしれない。

それでもこれだけは書かせてください。

 

お父さん、大好きです。毎日想っています。

二十年間、育ててくれてどうもありがとう。

反抗したこともあったけれど、結局私はファザコンで、お父さんが大好き。

これ以上書くと泣きそうなのでもうやめるね。

最後にもう一度だけ書きます。

 

ごめんなさい。

 

 

玲菜より。

 

 

 *

 

 

 こっそり置いた父への手紙は本来自分が居ない時に読んでもらうはずだったのに、たった今読まれた。

 なぜ暗い部屋で、一人で泣いていたのかを説明するのにちょうど良くて。

 未来の日本へ行った。戦争や陰謀に巻き込まれて、けれど恋をして、使命が終わったら向こうへ戻ると約束した。鍵や扉の関係で二年後になってしまうが、帰ってきたら結婚しようと――婚約指輪まで貰った。

 それなのに、陰謀を企てた主犯格の娘・ユナに……呪われたアヌーの腕輪を填めた彼女に、“時空の渦”で遭遇して。

 アヌーの結晶石を取られた上に、元の世界への扉に押されて2012年へ戻されてしまった。

 

 もう二度と未来の世界へは行けない。

 

 絶望の中、帰ってきた父にその話をすると――

「お父さんが未来の世界へ連れてってやる」と言って持ってきたのが、まさかのアヌーの結晶石。

 呆然としている現在に至る。

 

 

 玲菜はとにかく理解ができなくて止まった。

 

 なぜ、自分の話を聞いた(手紙を読んだ)父がアヌーの結晶石を持っているのか。しかもそれが『アヌーの結晶石』だと知っているのか。

「……え?」

 理解ができない。

 気まずそうにしている目の前の父を改めてじっくり見る。

 

 確かに父は……日本人っぽくはない。髪の色も明るい茶色だし、瞳も茶色。どことなく外人というか、ハーフっぽい。おかげで自分もよく(特に幼い頃)ハーフかクウォーターかと間違われた。

 父がハーフと間違われるのは容姿だけでなく、名前にもあった。

『山下譲二《やましたじょうじ》』

 名字や漢字で書くと日本人なのだが、耳で聞かれると必ず『George《ジョージ》』の方だと勘違いされた。

 けれど本人は『純粋な日本人』だと断言していたし、娘である玲菜が疑うはずはない。

 疑うはずは……

「お父さん……なんで?」

 玲菜は今、初めて父を疑った。

 父が、自分の知っている父ではないような気がして。

 父がずっと重大な何かを隠していた気がして。

「なんでそれ持ってるの?」

 目に涙を浮かべる。

 

 父には身内が居なかった。両親は亡くなり、兄弟も居ないと聞かされた。けれど、よく考えると両親(玲菜にとっての祖父母)の兄弟の話も聞いたことが無いし、母方の墓参りなどは行ったことはあるが、父の両親や先祖の墓参りには行ったことが無かった。

 

(ちょっと待って!?

 玲菜は気が動転しそうになる。

 父が玲菜の質問に対して焦っている様子だから。

「ええとな……」

 父はためらいながら答える。

「これは、ちょっと……手に入れた物なんだけど」

 眉をひそめながら逆に訊ねてきた。

「玲菜、今読んだ手紙に書いてあった未来の世界さ、どんな世界なのか詳しく教えてほしいんだけど」

「え?」

 玲菜は自分の知っている範囲であの時代の話をした。

「私は、帝国しか知らないから。世界全体のことは知らないんだ」

「帝国?」

「うん。アマテラス帝国っていうの。未来の日本だと思う。島国じゃないけど。首都がサイの都って言ってね」

 世界の全貌は知らないが、少なくとも帝国の領土は赤い砂漠が多かった。山などは少なく、地下の資源を使って暮らしていて、水なども地下水を使う。そして資源が豊富な土地の上には町が栄える。おかげで戦争もあって、ただ、名目上は神話の名を借りた宗教戦争のようになっていた。

 神話のシリウスやレナ、アルテミスを特に崇拝して、人々は神の名の下に争う。

 独自の科学はあまり発展しておらず、しかし生活面においては、砂漠で発掘した旧世界のゴミなどを利用していたので電気、冷蔵庫、その他仕様が古くても洗濯機などもあり、そこまで不便ではなかった。だが、それは都の比較的富裕層に住んでいたからだと予想できる。

「あとね! 私が住んでた地域ではお湯が豊富で、家のお風呂が温泉っぽかったの」

「温泉?」

「普通のお湯だけど、掛け流し的で。レオはいつも朝風呂入ってたし」

「レオ?」

 父の不審そうな顔にギクリとする。

「あ、あの……私の……す、好きな人の名前」

 父にそんな話をしてしまうなんて、恥ずかしい事この上無し。

「ああ、手紙に書いてあった……同居人だったか?」

「う、うん」

 男と同居だなんて、いかがわしい感じがして父に気まずい。

 一緒に住んでいたら好きになってしまいました。みたいな展開だと思われているだろうか。まぁ、間違いではないが。

(お父さん、呆れているかも)

 父の視線は玲菜の左手薬指に向けられている。

「その指輪は、その彼氏に?」

 確か手紙にはプロポーズされたことも書いた。

「あ、うん」

 玲菜は俯いて顔を上げられなくなった。

 父の声がなんとなく怒っているように感じたから。

(お父さん、レオのこと、認めないなんて言うんじゃ?)

 汗が出てくる玲菜。

 父からしてみれば、朝普通に家を出て帰ってきたら娘が未来に行っていたと言うわ、また戻りたいと言うわ、知らない間に半年もそちらで暮らしていて婚約者まで作っているわで、到底理解できる話ではない。

「う〜〜〜ん」

 父は考え込んで玲菜に告げる。

「ま、その婚約? のことは置いといて。お父さん、もしかすると玲菜の行っていた時代に心当たりがあるんだけど」

「うそ?」

 玲菜はもう一度訊いた。

「うそ!?

「多分」

 父は何かを思い出したように呟く。

「シ………が言ってたのは、これだったのか」

「え?」

 訊き返すと「まだ確信はできない」と首を振り、玲菜をまっすぐ見つめた。

「玲菜」

 凄く真剣で、申し訳なさそうな瞳。

「ごめんな。お父さん、隠し事してた」

 

 ……やはり。

 そうだったのだ。アヌーの結晶石を持っていた時点でそれは想像できる。

「お父さん……」

「ずっと確信できなかったけど、玲菜の話を聞いてなんとなく分かった。俺は、多分未来の世界の人間で、偶然この時代にやってきた」

 父が、こんな映画のようなセリフを言うとは思わなかった。

 現実味がないまま玲菜は訊く。

「お母さんは? お母さんはそのこと知っていたの?」

「知っていたよ。お母さんだけ、お父さんの秘密を知っていたんだ。それで何度も助けてくれた」

 そんな話を聞いたら、母のことを思い出して涙が出る。

 もう記憶がぼんやりとしてしまったけれど、それでも。

「ごめん、玲菜。お父さんは嘘をついていたことになるね」

 玲菜は無言で首を振った。

(私なんかお父さんに手紙だけ残して向こうに戻っちゃおうとした)

 

「玲菜」

 父はもう一度ゆっくりと言う。

「もしお前が、未来の世界へ戻りたいと言うなら、この結晶石を使えば行けると思うけど。どうする?」

 少し微笑みながら照れくさそうに。

「その場合、お父さんも一緒に行くけれども」

 まさかこんな奇跡が……

 

「行く!」

 

 返事をした途端、玲菜は涙を零した。

 もう無理だと……二度と未来の世界へ行けないと思った。

 愕然として、呆然として。

 絶望を感じた。

 そういう運命だったのだと。

 シドゥリの予言も、辻褄が合う。

 そう、思った。

 

 父の言動で絶望が希望に変わる。

 アヌーの結晶石を持っていたから。しかも、一緒に向こうの世界へ行ける。

 それ以上の望みは無い。

(お父さんも一緒に行けるの?)

 父を置いていくことだけが心残りだった。一緒に行けるなら、もう心残りは無い。むしろ嬉しすぎる。

(お父さん)

 玲菜は言葉にできずにとにかく泣いた。嬉しくて。

 それに、もしかすると玲菜の行っていた世界に心当たりがある、と。

 信じられないが、父は『自分が未来の世界の人間だ』と言った。本当だとすると、想像するに、アヌーの結晶石を使って現代へ来た人間となる。その後戻らずにずっとここで暮らしていた、と。

 アヌーの結晶石はもう一度だけ使えるはず。

(私、戻れるの?)

 一度は諦めかけた未来の世界。

(レオの許へ帰れるの?)

 何よりもそれが嬉しくて震える。

 ただ、心に引っ掛かることが……

(ユナはあの後どうしたんだろう?)

 一気に不安が襲いかかる。

 まさか、過去を変えてはいないだろうか。今度は怖さで震えた。

 

 深刻な顔をしていると、父が悟って問う。

「さっき言ってた、結晶石を盗んだ人物のことが気になるのか?」

「うん」

 戻れると、気軽に喜んでいられない。

「どうしよう、お父さん。過去を変えられたら!」

 まさかもう手遅れか。

 手遅れだったら、未来の時代へ戻っても全く異なる世界が広がっている可能性がある。

 青ざめる玲菜に、父は自分の考えを説明した。

「でも、もし過去を変えたら歴史も変わって、玲菜の記憶も変わるんじゃないのか? お父さんの予想だけど」

 そうだ。

 過去を変えられたら、ユナの望み通りになってエニデール民は偉くなっているはずだ。未だに陰謀の記憶を鮮明に憶えているので、恐らく歴史はまだ変わっていないと思える。

(でも、時間の問題だよ。今この瞬間だって、変えられちゃう可能性がある)

 確かめないと。

 今の所、ユナはまだ時空の渦に居る確率が高い。

 父もそう考えたらしく、玲菜に促す。

「今ならまだ間に合う。すぐに行こう!」

「う、うん!」

 

 自分で「すぐに行こう」と言っておきながら、父は急いで自分の部屋に戻り。玲菜が「どうしたのか」と戸惑っていると鞄を持って戻ってきた。

 その鞄には母の位牌と写真、その他何やら大事そうな物を幾つか入れている様子。それと、たった今貰った玲菜からの手紙。

「お、お父さん! その手紙は置いていっていいよ、もう」

 玲菜は恥ずかしくなったが、父は大事そうに手紙も鞄に入れる。

「玲菜も、大事な物だけ持っていくといいよ」

「あ、そっか!」

 言われて気付いて持っていける物を探す玲菜。

 お気に入りの鞄をクローゼットから出して、何が必要か急いで考える。

 必要な物はある意味たくさんあったが、どれも向こうでは不要な気がする。

(化粧品とか、持っていっても無くなっちゃうよね?)

 無くなったら補充はできない。

(本当に。本当に、もうこれでこの世界とはお別れ?)

 覚悟していたが、一度戻ってくると信じられない。

 ここには便利なものが山ほどある。しかしインターネットや電池を必要とするものは持っていっても意味ないか。

 玲菜は慌て過ぎて、なんだか分からずに携帯電話と充電器を持った。電気はあってもコンセントが無いから意味ないが無意識に。それと母の形見であるアクセサリー等を幾つか。

「あとなんだろう?」

 もう時間が無い。

(早くしないとユナが!)

 少しでも早く行かないと。

(あ! そうだ!)

 玲菜は思い出してクローゼットの奥にしまってあった昔のCDを取り出した。実は元々父の所有物で自分が貰ったCD。曲は古いが父に洗脳されたか好きな物が多い。

(これ持っていけば車で聴ける!)

 

「玲菜! もう行くぞ」

「はーい!」

 

 玲菜は鞄を持ち、父の横に並ぶ。

 ふと、忘れ物は無いかなどと考えたが、考えるだけ無駄だと悟った。自分らが居なくなったらこの家はどうなるか……友人等は心配するか。まさか一家で失踪だとニュースで取り上げられはしないだろうか。

 いろいろ考えても意味がない。

「心の準備はいいな?」

 父はそう言うと、玲菜の部屋の机の近くでアヌーの結晶石を手に持ち掲げた。

「一応お父さんに掴まって!」

「うん」

 玲菜が恥ずかしがりながら父に掴まった次の瞬間、一瞬結晶石は青く光ったように見えて。

 

 

 

 ―――――辺りは一気に暗闇に変わる。

 

 何度見ても不思議な光景。

 急ぎすぎていろいろ考える暇も無かった。“現代”に別れを惜しむとか、そういうのも無かった。

 気付いたら父と二人、また時空の渦。

 玲菜は一時間前くらいに入ったばかりなので比較的落ち着いていたが、父は動揺していた。

「うわぁあああ」

 動揺というか、昔を思い出しているのか。

「そうだった! こんなんだった! 俺が昔迷い込んだ時もこんな所だった!」

 まさか親子でこの場所に居るとは夢にも思わない。

 しばらく二人でボーッとして。

 父が我に返る。

「って! 驚いている場合ではないよな? やるべきことはなんだっけ?」

「えっと……」

 まずユナを探さないといけない。一応今の所、記憶は元のままではある。

「黒いローブを着ている子を捜すの。身長とか私と同じくらいなんだけど」

 ユナを探して、過去に行かせないようにして……。

(どうやって? 説得?)

 手荒だが、父と協力して強制的に未来の時代へ戻すか。

 彼女はもしかすると玲菜の持っていた結晶石を持っているはずだから、それがあれば本来戻ろうとしていた時代の扉が光る術が施されていたので扉を間違えなくて済む。

 というか、現状それに賭けるしかない。父の持っていた結晶石には術が施されていないようだから。

(なんか、凄く危険なことしてない? 私たち)

 背筋がゾッとする玲菜。

 なんだか勢いで来てしまったが、よくよく考えると無謀だった。

 もしユナが過去を変えてしまったらというのも怖かったが、たとえば彼女がすでに過去へ行ったけれど失敗に終わり……という可能性であっても逆に恐ろしい。

 玲菜の持っていた結晶石が無ければ、父と二人でこの時空の渦の中、出口が分からなくて途方に暮れてしまう。

 そしてそれはまだ過去形ではなく現在進行形。

 そのことに気付いて玲菜の足は震えた。

 

「いや〜、なんか懐かしいな〜、ここ。何十年ぶりかぁ〜?」

 対して父は呑気な上に久しぶりに訪れた旅行先のような発言。

(お父さんって、こんなに頼りなかったっけ?)

 おかしい。父はもっと頼りがいのある人だった気が。

(思い出は美化的な?)

 いや、もしかするともっと頼りになる父的存在がこの半年間一緒に居たからか?

(ショーンが居れば、なんとかなるって思えるのになぁ)

 ショーンはいつもそうだった。どんな時でも必ず良い案を出してくれる。

 早くショーンに会いたい。レオにも。

 だが、ふと考えると不安要素が。

(あれ? ユナが時空の渦に来たってことは、どうなっているの?)

 レオたちがあの場に居たはずなのに、彼女を通したのか。それとも無理やり通ったのか。

 ふと、彼女の不吉な言葉を思い出す。

 ショーンが通してくれた、みたいなこと。アヌーの腕輪も彼がくれた、と。

(そんなはずない!)

 信じたくないが、現に彼女は腕輪を填めていた。

 考えたくはないが、まさかショーンが裏切ったとか?

(違う! この前のは演技だよ。レオの為に)

 もしも、万が一、彼が裏切っていたら……

 

 玲菜が考えたくもないことを考えていると、父はユナを捜しながら話しかけてきた。

「玲菜。その……レオ君は、どんな人なのか?」

「え?」

 こんな時に、まさか娘の彼氏が気になるとかそういう心情だろうか。

「なんで今訊くの?」

 そんな話をしている場合ではないのに。

「いや、ホラ、玲菜の父親として。予習しておこうかと思って」

「予習?」

 まるで、娘が彼と結婚の挨拶をしに家へ来る前の日のような。

「お前が選んだんだから、良い人だとは思うけどな」

 果たして『良い人』なのかは少々自信が持てない。

 玲菜が俯いていると父はニッと笑って言う。

「お父さんは、レオ君と会うの楽しみだぞ」

 まさか帝国の皇帝陛下だとは思うまい。玲菜は苦笑いした。

 二年後の心配も未だに拭えない。

(レオ、本当に皇帝になっているのかな? ちゃんと待っていてくれてる?)

「それと、お前を家に住まわせてくれた親切なおじさんにも挨拶しないと。お父さんに似ているんだっけ?」

「あ、うん。ショーンはお父さんに似てるよ。気が合いそう!」

 玲菜は普通に返したはずだったが。

 

 

「ショーン……?」

 父の動きが止まる。

 

「うん。どうしたの? お父さん」

 

 父は急に思いつめた表情になり「偶然か?」などとブツブツ言い始める。

「お、お父さん?」

 玲菜が顔を覗きこむと「ハッ!」として。

 一度、目をつむって一息ついてからためらいがちに口を開いた。

「玲菜……お父さん、実は、まだ言っていないことがあって……」

 だが――

 

 続きを聞くことは叶わなく。

 

 

 何かの殺気に気付いた父は突然玲菜を思いきり押した。

 

 強い衝撃で地面に倒れこんだ玲菜は、「何事か」と顔を上げて信じられない光景に目を疑った。

 自分を押した父の頬からは血が出ていて、目の前に黒ローブ姿の人物が……。

 顔は見えなくても、ユナだと分かり、彼女は返り血の付いたナイフを持っている。

「キミが……?」

 斬られた頬を押さえながら父が問うと、ユナは狂ったように笑いだす。

「アハハハハハハ! 待っていたのよ。戻ってくるのを」

「待っていた?」

「アナタたち二人を、暗闇でずっと!」

 なぜか怒りに満ちている。

 一体、彼女に何があったのか。どうして千載一遇の好機に過去へ行かなかったのか。彼女は玲菜の父の方に顔を向けた。

「よくも! 騙してくれたわね」

「騙す?」

 二人は初めて会ったはずなのに、何かがおかしい。

「人を騙すのはアナタの得意分野だけれど。まさかこんな事まで。アナタにも予知能力でもあるのかと疑っちゃう」

 彼女は今、盲目のはずだが、“視える”ので別の誰かと勘違いしているとも思い難いのだが。

「あの女は、腕輪を填めてから力を使っても二十一年も生きたのよね?」

「あの女?」

 父は首を傾げたが、玲菜には誰の事だか分かった。腕輪を填めた人物とはシドゥリしかいない。

「なのにどうして私は!」

 ユナの狂気に満ちた声が響く。

 

「力を少し使っただけで死ぬの!?

 

「え?」

 ユナの言葉が信じられなくて訊き返す玲菜。

「少し?」

「そうよ。自分の死期が視えるの。次に扉を見つけるために力を使ったら、私は過去へ行けずに死ぬ。しかも、何もしなくてもどんどん寿命が縮む」

 せっかく腕輪を填めたのに、力を使ったら最後。使わずとしても途絶える。彼女の野望は叶うはずがなかった。

「どうしてよ」

 疲れたようにユナに訊かれて、玲菜も混乱した。

(どうして? 私にも分からない)

 シドゥリは二十一年も生きた。ユナとシドゥリの差はなんだ?

 はっきりとは分からないが、玲菜はシドゥリが特別な巫女だったと聞いた記憶を思い出す。

(シドゥリさんは、もしかすると腕輪の呪いを抑える力があった……んだっけ?)

 だから彼女は二十一年も生きた。

 そして普通の人間のユナにはその力が無い。

 呪われた腕輪は初めから、填めることはできても使いこなすことはできない代物なのだ。

 なんとも残酷な神の賜物は、人如きが扱うと地獄へ落ちるという、いわくつき。まるで自ら生贄になるための罠にも思える。

「私はただ、善い事をしようとしているだけなのに」

 彼女の認識では、自分の行いは絶対正義。

「大義を実行することも叶わぬまま死ぬの?」

 怒りの矛先は、逆恨みのように玲菜たちへ向けられる。

 

「だったらせめて、アナタたちみたいな悪の根源を道連れにしようと思って、戻ってくるのをずっと待っていたのよ。レイナを突き飛ばした後に、自分の死期とアナタたち二人がここへ戻ってくるのが視えたから」

 

 そう言った瞬間、彼女はナイフを片手に玲菜へ向かってきた。その感情は怒りよりも絶望に近い。

 

「玲菜!」

 父は急いで玲菜の前に立ち、ユナのナイフを止めようとする。

 刃が父へ向けられたので、玲菜は恐怖で叫び声を上げた。

「お父さん!!

 だが、心配は無用で。父はサッとナイフを避けてそのまま彼女の腕を掴み押さえる。護身術などはやっていないはずの父が、あまりにも慣れた様子でナイフに立ち向かったので、玲菜はびっくりした。

(お父さん、凄い!)

 しかし、ユナは狂ったように叫ぶ。

「うわああああああ!! あああああうううぅう!!

 叫んだというか、呻《うめ》いたというか。

 玲菜は寒気がした。

 一瞬、彼女を獣のように感じたから。

 冷静さを失っているのは分かるが、妙な予感。

 やがて父によってナイフは落とされた。だが、彼女の雰囲気はおかしい。

(え? 何? 正気を失っているの?)

 まるで、呪いか何かにかかっているようだ。

 いや――

 実際そうなのか。

 玲菜はその原因がアヌーの腕輪にある気がした。不気味なのは青い宝石部分ではなく、重そうな石の腕輪の部分。

 そこからは、以前別の物で感じたおぞましさが伝わってくる。

 地底遺跡の魔法円から手に入れた月の力……いや、闇の力と言うべきか。“それ”と気配は似ている。

 

 そう、予想している間も無く。

 押さえつけていた父の顔色が変わる。

「ん? なんだこの力……」

“急に彼女の力が強くなった”

 恐らくその表現が適切で。

 押さえこんでいた父の手がみるみると外される。

 逆に、彼女が父を押さえる形になり。次の瞬間――

 

「さようなら、嘘つきのおじさん」

 冷たく言い放ったユナは、父を思い切り突き飛ばす。

 

「あっ!!

 

 玲菜が止める間も無かった。

 

「お父さん!!

 悲鳴を上げたのは、父の体が近くにあった扉にぶつかったから。

 触れると、扉は勝手に開いて触れたものを中に引きこむ。

 それを知っていたから無我夢中で駆け寄って、引き込まれかけている父の手を掴んだ。

 ――掴んだのだが。

 

「取り返したから。これ持って逃げろ」

 

 父は何かを玲菜の手に渡し、自分は手を離した。

 おかげで彼は開く扉の中に吸い込まれていく。

「お前の行きたい未来へ!」

「お父さん!!

 玲菜はもう一度手を伸ばしたが……

 父を掴むことは叶わなく扉は閉まり、そして消えた。

 

「おとう……」

 愕然として座り込む玲菜。

 

 

 今、何が起きた?

 

 

 父がユナに押されて……どこの時代かも分からない扉にぶつかって引き込まれてしまった。

 その扉は消えた。

 

「お父さん!?

 呼んでも返事なんかあるはずなく、とにかく放心する。

(そんな……まさか……)

 父は、全然知らない時代へ飛ばされてしまったのか。

 そのことに気付くと、体が震えて息が乱れた。

「お父さん……!!

 そんなまさか。信じたくない。

「お父さん!!

 玲菜の悲痛な叫びに、ユナは高らかに笑う。

「アハハハハハハハ!! いい気味―!」

 

 多分玲菜は、少し錯乱して。

「戻してよ」

 泣き叫びながらユナの肩を掴んで迫った。

「戻してよ!! お父さんを!! アヌーの腕輪を使えばできるんでしょ!?

「なっ……!」

 不意を突かれたのか、バランスを崩すユナ。二人はその場で一緒に倒れこんだ。

 その時、彼女のフードが取れて世にも恐ろしい姿がそこに現れた。

 

 両目は潰れて。シワだらけの老婆のような顔は灰色でただれて、まるで童話の悪い魔女を連想させる。いや、魔女ならまだましか。黒かった髪も白髪でほとんど抜け落ち、頭には血管が浮き出ている。

 

 もう、ユナ……では、ない。

 

 恐怖で我に返った玲菜は声も上げられず止まったが。ふと、つい先ほど父に渡された物を自分の手の中で確認する。それは、見覚えのある青い石。

 そうだ。父は「取り返した」と言った。「行きたい未来へ」とも。

 玲菜は石を握りしめて夢中で立ち上がった。

 

 

 それは――自分に残された唯一の希望。

 

 

(アヌーの結晶石……!)

 元々玲菜の持っていた物で、しかし彼女に奪われた物。恐らく父がユナを押さえ込んだ時にこっそりと取り返したに違いない。

 こんな形で、自分の手に戻ってくるなんて。

 けれど、喜んだのも束の間。

 自分の足に激痛が走り、見ると掴んでくる冷たい手があった。

 徐々に命を吸い取られているのか、自分の足で立ち上がれなくなったユナだ。

「は、放して!」

 弱々しい骨と皮だけの手なのに、力だけは異常に強い。

 玲菜は必死にその手を離させて逃げる。

 

 もう、何がなんだか分からない。

 ユナは追いかけてこないだろうか。

 もしかすると力尽きて?

 だが怖くて振り返れない。

 父はどこへ行ってしまったのか。

 もう二度と会えないのか。

 捜したいけれど扉は消えてしまった。

 恐怖や絶望が渦巻いて混乱する。

 

 どうしてこうなった?

 どうしてこんなことに。

 自分はただ、使命を実行しに来ただけのはず。

 どうしてこんなに運命が狂ってしまったのか。

 それとも、こうなることも運命か?

 

 時空の渦の暗い空間を、闇雲に走って泣いていた玲菜は、やがて目の前に光が見えて立ち止まった。

 混乱していても分かる。

 その光に向かえばいい、と。

 だって、それは唯一の希望の光だったから。

 引き寄せられるようにそちらに歩き出す。

 父が取り返した結晶石には、シドゥリの術が施されている。戻る扉が分かるように、導きの光が出るのだと。

 だからきっと、光っているのは未来の二年後の扉。

 

 そして……

 一生懸命歩き、光っている扉の前にたどり着いた玲菜は、迷わずにその扉に触れる。

 半分無意識。

 時空の渦ではもうどうすればいいのか分からなくて、放心状態のまま僅かな希望にすがる。

 そこが未来の世界の二年後の扉だと信じて。

 父と離れ離れになってしまった悲しい傷は癒えない。ユナがどうなってしまったかと考える不安も。

 だけれど、扉の先にはきっとレオやショーンが迎えに来てくれていると信じて。

 玲菜は体が吸い込まれるのを感じながら、目を閉じた。

 

 

 

 ―――――

 

 

「れいな……!」

「れいな!!

 

 

 誰かが、自分を呼ぶ声がする。

 

 ああ、この声はきっと……

 

 

「おとう…さん?」

 

 父が、自分の名を呼んでいるような気がして。

 玲菜は目を覚ました。

 一瞬、ぼんやりと見えたのは父の姿だったので。やはり父だったのだと安心する。

 

「玲菜!」

 だが、名前を呼びながら抱きしめてきたのは父というより……老けている父で。

(ああ、そっか。この世界での私のお父さんか)

 玲菜は漠然と分かって。

 ……解らなくなった。

「玲菜! 良かった! 戻ってきたんだな」

 

「え?」

 

 温もりは父と同じだが。ちょっと待て。

 玲菜は抱きしめてきた人物を確認する。

 

 白髪の混ざった明るめの茶色い髪。シワと傷の多い顔。渋い顎鬚。煙草の匂いと優しい茶色い瞳。

 おまけに口髭まであるのは、経った年月の間に彼が生え揃えさせたからか。よく見ると前よりほんの少しだけ老けた。

 気がする。

「……ショー…ン?」

 目の前のおじさんは、涙もろいので目に涙を浮かべている。

「玲菜……!」

 何か違和感。

(あれ? ……ショーン、だよね?)

 玲菜はどう見てもショーンにしか見えない人物に、妙な感情を抱いていた。

 慌てて自分自身に心の中で問う。

(え? なんで? なんで私、ショーンのことを……)

 確かに彼は似ているが。というか、前からそう思っていたが。

(お父さんだと思っちゃうの?)

 おかしい。

 

「玲菜! お前、戻ってきた方の玲菜だろ?」

 ちょっと待て。

 彼は、自分のことを「お前」ではなく「キミ」と呼んできていたはずだ。それに

「戻ってきた方?」

 訊かれた言葉に疑問を持つ玲菜に、おじさんは意を決したように告げてきた。

「ああ、うん。そうなんだ。……びっくりするかもしれないけど、今から真実を言うから、よく聴いてくれ」

「真実?」

 むしろ再会していきなり言うことではなくてびっくりする玲菜。

「何? ショーン、一体何事?」

「ずっと隠してて悪かったけど、お前が無事に戻ってきたら言おうと思っていた」

 ショーンはゆっくりと言った。

 

 

「俺は、お前のお父さんなんだよ、玲菜」

 

 

 今まで生きていた中で一番衝撃的だった言葉に相違ない。

 

 玲菜の時は止まったようになり、危うく心臓まで止まりそうになった。


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