創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第二部・第十九話:旧聖夜]
二人がちゃんと家に帰ってきて安心したが、むしろ晩飯も食べて帰ってくると思っていたので慌てて食事の用意をするショーン。
それよりも、二人……というか、娘の元気の無い様子に「また何かあったのか」とため息をつく。
喧嘩とは違うようだが。いや、若干レオは怒っているようだし。気になる。
(なんでもっと平穏にできねーのかな。朝、あんなに仲良く出て行ったのに。俺と純玲さんなんか、それはもう喧嘩なんかしたことねーけどな)
ショーンは自分が口を出すのは良くないと思いながらも、玲菜に風呂掃除を頼んで、その隙にレオに訊ねた。
「おい、何かあったのか?」
「……別に」
レオはムスッとした顔のままソファで横になっている。
ショーンは、嘘はいけないと思いながらもつい、カマをかける。
「別に、じゃないだろ。今、玲菜泣いてたぞ」
「え!? なんでアイツが泣くんだよ!? むしろ泣きたいのはこっちなのに」
飛び起きたレオは、ショーンの顔を見てひっかけられたことに気付いた。
「悪い。泣いてなかった」
謝るショーンに、顔を赤くしながら答える。
「だから、つまり……」
もう一度横になり、背中を向けた。
「居たんだよ。あの野郎が」
「あの野郎?」
「あのバ……カルロスとかいう奴が」
「え!?」
もし、例の貴族があの時のカルロスと同一人物ならば居るのはむしろ自然のことだが、二人が会ったという事実でびっくりする。
いや、逆か。グリーン町ならば会う可能性が高いのか。あんな目立つ二人組なら尚更。
(それで、二人の邪魔をされたとか? あ、玲菜にちょっかい出されたってことか)
ショーンはそう悟ったがレオの心は少し違う。
「でも、レイナはもう昨日に会っていたらしくて」
「ええ!?」
それは初耳だ。
「偶然らしいけど、なんか腑に落ちない」
レオの声は沈んでいるよう。
「忘れてただけだと思うけど、言ってほしかったし」
多分落ち込んでいるのだと察するショーン。
でも、嫉妬の気持ちも入っているが為に怒った風に見えるのだ、と。
(損するタイプだな、レオの奴)
ショーンは何か助言しようかと思ったが、これ以上自分が二人の問題に介入するのはよくないと思って見守ることにする。
本当は、こういうことを聞いただけでも娘に怒られそうな気がするし。
(二年前だったら相談してくれただろうけどな)
父であるのか他人であるのかでこうも違う。
ショーンは寂しく思いながらも、レオには元気付けることを告げた。
「あんま落ち込むな。飯が不味くなるぞ! 今日はお前の好きな物だからな」
「え!」
声が弾んだ彼にもう一つ付け足す。
「でも、どうやら裏切り者の貴族と彼は同じ人物で間違いないな」
そうだ。
グリーン町に居たことで決定打だ。
そしてそれは翌日にフルドから伝えられる情報でより人物が明らかになる。
―――――
「昨日、グリーン町で確認したところ、私の知るサン・ラーデ伯の長男・カルロスと顔が一致しました。貴族で間違いないです」
カルロス遭遇事件の翌日。
緑龍城の密会儀にて、最初に報告をしたのはフルドだった。
彼は、反乱軍に協力したいと密かに仲間に伝えてきた人物が、本当にカルロス・アスールス=サン・ラーデ伯爵本人で間違いないか確認する役を買って出ていた。
知人であるが故に顔を見れば分かるとの事で、昨日に見てきたらしい。
「長男?」
レオが訊くとフルドは言い直す。
「あ! 私が知っていた頃は父親が爵位を持っていましたので。今はきっと受け継いでいます」
「だろうな」
ショーンが頷いた。
「サン・ラーデ市は古い町だから。先祖代々の伯領だろうな。アスールス港こそ、本人が買い取ったんだろ。侯領から独立してもやっていけるほどでかい港町になっていたなんて知らなかったな」
――この世界では、荒れた大地が大陸のほとんどを占めていて、その中で地面がより砂化している所を砂漠と呼ぶ。
当然、人の住める場所は旧世界よりも圧倒的に少なく、緑や水のある地域に人口が集中する。そこは都市となり、巨大な町になるのだが、他は僅かな資源で人々が暮らす小さな集落ばかりであった。
そして人々の生活には格差が生まれて、身分階級などが多国で存在していた。
身分階級は帝国も他国事ではなく、身分によって差別などが生まれる厳しい制度ではなかったが、一応存在していた。
まず皇帝が第一に君臨して、次に皇家。そして皇族、貴族と続く。聖職者は少し特殊であり、ただ、もちろん聖職者の階級によって異なるが、通常の位置的には貴族に値する。
皇家は言わずとも、皇帝に近い家族に対して使われる言葉であり、親族は皇族と呼ばれる。対して貴族はいわゆる家臣であるが、皇族の血が入っていようとも、遠い血縁は貴族となる場合が多い。そういった貴族は家名を持っている事がある。
家名は要するに名字であって、例えば皇家の名字はスサノオにあたる。基本的に一般人には名字は存在しない。
但し、集落の長はその集落名を名字として名乗ることもできるが、小さな村の村長はあまり名乗っている者は居ないという。
なぜなら、小さな集落には名前の無い村も多々存在するし、そもそもその土地を治める……というか、管理しているのは貴族であって、貴族こそが土地名を名字として名乗っている。
そしてその土地の大きさがそのまま貴族の階級に反映していた。
例えば――大都市や重要な拠点を含む広大な土地を管理するのは公爵《こうしゃく》であり、公爵には皇族しかなれなく、その土地は帝国領の中の『公領《こうりょう》』と呼ばれる。
反対に、皇族ではないが地方の広大な地域を管理しているのが侯爵《こうしゃく》。そこはもちろん『侯領《こうりょう》』と呼ばれる。
また、侯領の場合、田舎の広すぎる土地と小さな集落が多すぎる故に地域ごとに管理する領主が居て、その地域主のことを男爵《だんしゃく》と呼んだりもする。(但し領土は侯爵の土地なので男爵領にはならず、あくまで管理者の地位であり貴族階級は最下)
男爵の上の爵位には通常“騎士”と呼ばれる『子爵《ししゃく》』があり、その上には『伯爵《はくしゃく》』が。ただ、伯爵に関しては“どの伯爵か”により大分身分が違ってくる。
もしも、宮中伯爵ならば、それは土地を持たない皇族が主であり、下手すると公爵よりも身分が高くなる。大きな町や都市を持つ伯爵は中流伯爵と呼ばれて土地も伯領《はくりょう》となるが、身分は侯爵よりも下で、地方の小さな町の所有の場合は下流伯爵扱いされる。
そもそも、下流伯爵は家柄関係無しに活躍した騎士が与えられたりする身分でもあり。しかし、滅多に無いことなので、下流といえども名誉的な地位であり、中流より称えられることもしばしば。
*
――まさに、その下流伯爵でありながら、あまりの武功で重要拠点を任される人物が緑龍城の城主にあたるバシル将軍であり。現皇帝陛下の右腕的存在な為に、彼の身分は今や宮中伯爵と同等の上流伯爵に並ぶ。
その妻・アヤメと、ミリア、玲菜は本日グリーン町にて三人で会っていた。
グリーン町広場近くの食堂で昼食をとりながらお喋りをしていた。
「それにしても、アヤメさんはホント玉の輿よね〜!」
大きなため息をついて話すのはミリア。
アヤメは「え?」と苦笑いする。
「だって、伯爵様なのよ? よく向こうの両親が一般人との結婚を許したわよね」
ミリアの疑問に、気まずそうに答えるアヤメ。
「ああ、まぁ……子供できたからね」
ちなみに息子のミズキは今、使用人に任せているらしく。
やっぱりデキ婚だったのか、と思う玲菜にアヤメが振ってきた。
「でも、一番の玉の輿はレイナちゃんでしょ」
それは間違いなく。ミリアは嘆いた。
「わたしも玉の輿がいい〜!」
彼女が好きなのはショーンであって、アヤメはふざけて言った。
「ショーンさんと結婚したら玉の輿じゃない」
「そうよね!」
玲菜的には嫌なので反対だ。
「嫌だよ」
「なんで? レイナ、わたしがお義母さんになるの嫌なの?」
「当たり前でしょ」
とんでもない。
「ショ……」
玲菜は『ショーン』と言いかけて、友人たちの前では不自然かと思い言い直す。
「お……お父さんは、お母さんに一途だもん。無理だよ」
この前会話でそう感じた。同時に玲菜にとって凄く嬉しかったこと。
ミリアはショックを受けるのかと思いきや、目を輝かせる。
「ショーンさん、愛妻家なのね! ますます素敵〜」
そう来るか。
玲菜はお勧めの人物の名を挙げる。
「ね、イヴァン君じゃ駄目なの?」
すると低い声で返してきた。
「年下は嫌」
確かに、ミリアは可愛らしい見た目ではあるがもう二十四歳で、イヴァンより一つ年上にあたる。
(ダメか。イヴァン君いい人なのにな)
玲菜はずっと片想いの彼を不憫に思った。
「ねーねーそれよりさ」
声を戻したミリアは身を乗り出して玲菜に訊く。
「レイナはいつレオさんと結婚するの?」
「え?」
アヤメも身を乗り出した。
「そう、それ! アタシも気になってるの」
「い、今、一緒に住んでいるんでしょ? レオさんどう?」
二年前も一緒に住んでいたことを知らないミリアは興奮気味に訊ねた。
「家の中での皇子様ってどういう感じなの? 皇子っていうか本当はもう皇帝陛下だけどさ。食事はレイナが作っているの?」
「えっと、別に普通だよ。食事はショ…お父さんが作っているし」
「お風呂は?」
ミリアは頬を赤くする。
「レイナが背中流したりするの?」
「なんでよ!!」
ニヤニヤする二人に玲菜はつっこんだ。
「普通だって言ったでしょ! 背中流すとかそういうの無いから! 確かにレオは家事しないで寝てることが多いけど。別にそんな皇子っぽくはないよ」
「ああ、でも分かるなー」
アヤメは「うん、うん」と相槌を打った。
「確かにレオさん、喋ると結構普通っていうかね! アルバート皇子として前に思ってた印象とは違ってたな。でもやっぱり、同じ年齢の一般人の男よりも考え方が大人だし、落ち着いている感じがする」
まさか『大人』や『落ち着いている』という印象が出てくるとは。
驚きだ。
(レオってやっぱりイメージが良いんだな)
改めて感心する玲菜。
大人なんて言葉はある意味程遠い。
自分の居ない二年間という期間があったはずだが、本性がまだバレていない。
玲菜は家でのレオの様子を思い出して、笑いそうになったところをミリアにつっこまれた。
「あらレイナ、何ニヤついてんのよ! もう、相変わらず仲良いのね」
そこでギクリとする。
昨日のことを思い出して。
結局昨夜は食事の時等も素っ気なく。朝もろくに喋らないまま出て行ってしまった。
喧嘩……ではないけれど、少しギクシャクしている。
「どうしたの?」
二人に訊かれて、玲菜は昨日の話を二人に相談した。
「――えぇ!? つまり、レオさんは誤解して?」
「誤解はしてないと思うけど……。うん、でもちょっと怒ってる感じ」
玲菜の話に二人は「なるほど〜」と納得した。
「難しいね〜。でも、レオさんの気持ち分かるな〜」
こう言うアヤメに助言を求める玲菜。
「どうしたらいいと思う?」
「そうだねー。謝るのも変だしね」
こまぬくアヤメと、呑気な答えを出すミリア。
「大丈夫よ〜。二、三日経ったら何事も無かったように元に戻るから!」
確かにそれは一理ある。
「でも」
玲菜の心配はこの状態が果たして二、三日で済むかという問題。
「今日からまた緑龍城に行って、帰ってくるのは遅いだろうし。あんま喋れないかも」
二人はまた「なるほど〜」と頷き考え込んだが。ふと、ミリアが提案を出す。
「甘〜いお菓子で仲直り! ってのはどう?」
「あ!」
それだ、と言わんばかりに指をさすアヤメ。
つまり手作りお菓子で彼の機嫌を直すというあざとい作戦だが。
凄く良い気がする。
それよりも玲菜は大事なことを思い出してミリアに頼み込んだ。
「お願いミリア! 美味しいケーキの作り方、教えて!」
実は、それは仲直りのためのものではなく、レオの誕生日のためのもの。
玲菜は二人に彼の二十三歳の誕生日兼クリスマスパーティーの話をした。クリスマスというのは自分の田舎の風習ということにして、ケーキを作りたいことと赤い服を着たいことを話す。皆でパーティーをすることも。
二人はその話に即乗ってきて、新年のレオの誕生日までに手作りケーキを練習すること、玲菜がデザインする赤い服(サンタクロース仕様)を縫うことの協力を約束してくれた。当日は三人でその服を着る、と。
計画をしながら三人は凄くワクワクしたし、これから時間がある時は会って用意をすると約束をした。
仲直りの菓子作りはケーキ作りの練習の時にやるとも。
三人は今後の予定を立てて、その後もお喋りを楽しみ、あり得ないほど長居した食堂を後にして別れた。
その日、予想通りにレオたちは遅く帰ってきて、案の定にお喋りもあまりできなかったが、玲菜の心には菓子やパーティーのことがあったので落ち込まずに眠ることができた。
そして――数日が過ぎて。
朝早く出て夜遅くに帰ってくるという忙しいレオとは、残念ながらほとんど会話らしい会話もできない日が続いたが、代わりにミリアやアヤメと会って赤い服や布を買う。既製品で赤い服というのを探すのは一苦労したが、なんとか見つけて緑龍城の裁縫室を借りて。三人で試行錯誤しながら布を付け加えてサンタクロース風の衣装に加工していくことにする。
恐らく新年まではあと一週間ちょっとの日数があるので完成するはず。
そうしてまた数日が過ぎて。
本日もまたレオとショーンは朝早くから出て行ってしまったが、今度はミリアに菓子作りを教わる日。カレンダーを見た玲菜は、偶然にも今日は何の日か気付いてそわそわした。
カレンダーの日付は十二月二十四日。
(今日、二十四日じゃん? クリスマスイブじゃない?)
クリスマスイブ。旧世界だったら忘れるはずのない特別な日。この世界では当然クリスマスが存在しないので街が飾られるわけでもなし、ツリーも見ないしクリスマスソングも聞かないのでうっかり過ごし忘れるところだったが。
(今日、クリスマスイブだ!)
玲菜は自分だけが知るイベントの日をもう一度頭の中で確認した。
いや、一応父も知っているか。
こんな春の暖かい日に聖夜だなんてしっくりこない。
(やだ! 危なく気付かないところだった!)
クリスマスパーティーはレオの誕生日にやろうとしていたので尚更。
(でも、私の中では明日がクリスマス)
自分とショーン以外の誰も知らない日だが、何かしたい。と思った矢先に。
(お菓子……。レオに手作りお菓子あげて仲直りしよう!)
まさか、こんな運命的な偶然。
玲菜は嬉しくて気持ちが舞い上がりそうになった。
(凄い! ホントに偶然、ミリアとお菓子作りする日にイブなんだ!!)
旧聖夜。今夜は何か良い予感がする。
仲直りどころか仲良くできるような。
彼はきっと喜んでくれるに違いない。
(よし、今日はずっと起きて待っていよう)
たとえ今夜彼が遅く帰ってこようとも、寝ないでずっと待って菓子を渡そう、と。そして……このギクシャクを打開しなければ。
玲菜はそう心に決めて、菓子作りを習いに先日教えてもらったミリアの家へ向かった。
彼のために美味しい菓子を作ろうと気合いを入れて。
一方。
本日がクリスマスイブだと知っていたのはもう一人居て。
言わずともショーンであるが。
思い出すと密会議中にうっかりクリスマスソングを口ずさんでしまう。「歌なんて、何浮かれているんだ」とレオにつっこまれた時にふと玲菜のことを思い出した。
そういえば、まだこの二人はぎこちないままなのか、と。
数日で元に戻るかと思われたのに、あまり顔を合わせていないせいかもう一週間くらい微妙な感じになっている。
(いくらなんでも長すぎだろ)
ショーンは二人の事ながら心配になった。
(そろそろ仲直りしてもいいんじゃねーのか?)
仲直りというか、喧嘩ではないのだが。あまり長引くと本当に気まずくなってしまう。
(といっても時間がないのか。そうか)
ショーンは考えて、少しだけお節介をすることを決める。
それは……
―――――
「今日、お前先に帰っていいぞ」
夕刻。珍しく早く帰ることになった自分たちだったが、ショーンはレオに先に帰るように促した。
自分はまだ用事があるからとしたが、実はたまには二人きりにしてあげようと配慮したことだった。
家で二人きりになればさすがに仲良くなれるだろう、と。
本当は用事なんか無い。
けれども、今日は少し遅く帰ることにする。
この世界には無いが、ショーンなりの二人へのクリスマスプレゼントでもあった。
そんな、クリスマスなんて全く知らないレオは、ショーンは本当に用事があると思って一人で家路につく。
渡し船に乗って湖を渡り、夕日に染まった道をのんびりと歩く。
フルドも居なくて、ボーッと玲菜のことを想っていた。
レオ自身も、今日こそギクシャクを無くさないといけないと思っていた。
今帰ればちょうど二人きりになれる。別に緊張なんかしないで普通に声を掛ければいいはず。その際はできるだけ優しい声で……
なんて、考えていたら。
自分が歩く道の先に見たことのある人影が。
しかもその人影は、一度振り返ってこちらを見て、意味ありげに微笑んでからサッと街並みに消えた。
(ん? 今のって……)
妙に気になるし、そもそもこんな所になぜ居たのか。
一瞬、朱音に尾行を頼もうかと思ったが、もしかしたら見間違いかもしれないと思った。
けれど、あの夜のあの女性だとしたら?
つい、自分の足で追ってしまう。
彼女は、レオのことを『持ち主』と呼んできたから。なぜだかそのことが著しく気になる。
レオは、ちょうど彼女が消えた辺りまでやってきて周りの建物を見回す。
しかし、どこかへ入ったのか姿は見えず。
(居ないか)
そう諦めた矢先。
「お兄さん、後をつけるなんて。私のことが気になるの?」
気配の無かった背後から声が聞こえて、レオは瞬時に護身刀に手を添えながら振り返る。
そこには、自分が追っていた女性とは若干違う女性が……。
前に見た彼女は、赤っぽい茶色いウェーブの髪をしていて、瞳も赤っぽい茶色だったはず。けれど目の前にいる女性は凄く雰囲気が似ているものの、金髪というか、明るい茶髪でストレートの髪。それに瞳も緑。
(あの女じゃなかったのか)
あの、車移動中の夜に泊まった町の酒場で飲み対決をした女性とは違ったか。
そう思ったのも束の間。
辺りの日が暮れて、暗くなった時に。
女性はよく見ると赤っぽい茶色いウェーブの髪になっていて瞳もよく見ると赤っぽい茶色になっていた。
「あぁ?」
レオは目をこすってもう一度見た。
……目の前の人物は間違いなく酒場に居た色気のある女性であり、巨乳も健在。
今一瞬、髪や瞳の色が違って見えたが、夕日の光のせいだったのだろうか。
とにかく彼女はレオに近付き「また会ったわね」と言った。
「やっぱり、あの時の」
レオが訊くと彼女は顔を近付けて色っぽく見つめてくる。
「そうよ、あの時の。私のキスが忘れられなかった? お兄さん」
そうだ、あの時不意を突かれてキスをされてしまった憶えが。
「あれは酷い目にあったぞ。あの後俺の婚約者が怒ってしまって大変だったんだからな」
「それは悪いことをしたわね。そうだ、お詫びに奢《おご》るから一緒に飲みにいきましょうよ」
せっかくの巨乳美女からの申し入れに悪いが、レオは断った。
「いや、結構だ。俺はもう帰らないと」
「私のことを追ってきたのに?」
「それはたまたまだ。つい気になってしまって」
その言葉に、美女は頬を赤くする。
「それって、愛の告白と受け取っていいのかしら」
「はあ? なんでだ。言っただろ、俺には婚約者がいるって」
レオはそう言って帰ろうとしたが、彼女の次の言葉に足が止まる。
「ところで、シリウスの剣はどこにあるの? あれはしまっておいてね、使っては駄目よ」
聞き捨てならない。
凄い剣幕で美女に詰め寄るレオ。
「なぜそのことを!? しかも、使うなとはどういうことだ!」
自分の正体がバレたのかと思った。しかしそれだけでなく引っかかる言葉もあった。
「お前、一体何者なんだ?」
これは勘で。彼女は何かを知っている風。
「私のことを知りたいの? もしかしたら酔った時にいろいろと喋るかもしれないけど、どうする?」
……仕方ない。
レオは観念して彼女の誘いに乗ることにした。
「分かったよ、行くから。あんま遅くまでは駄目だけど。どこの酒場に行くんだ」
「この辺だとグリーン町がいいかしらね〜。言っとくけど、私、中々酔わないわよ」
それは分かっている。
レオは彼女からいろいろと聞きだすために自分はあまり飲まないと心に決める。まずは酒場に行く前に第一の質問をした。
「ところでお前、名前は?」
巨乳美女は少し考えるようにしてから答える。
「タチアーナよ」
まさか偽名じゃないだろうか。
レオは少し疑いつつも頷く。
「そうか」
「貴方はレオさんよね?」
「なんで知っているんだよ!」
まるで占い師のようだとレオは思ったが、訳は簡単だった。
「だって、この前の飲み比べの時に貴方の婚約者がそう呼んでいたもの」
なるほど。しかし記憶力が侮れない。
レオはなんとなく警戒しながらタチアーナの後をついていった。
一方その頃。
菓子作りにずいぶん時間がかかってしまったと、玲菜は完成したクッキーを持って家路を急ぐ。
もう日が暮れてしまった。
菓子作りは別に苦手ではなかったが、自分の元の時代と違って何せ手間がかかる。
しかもお喋りが弾んでついのんびりしてしまった。
玲菜は早く歩いていたが、ミリアも途中まで送ると一緒についてきていた。
ミリアの家はグリーン町にあり、都会好きな彼女は便利な中心部のアパートに住んでいた。
都ほどではないが夜でも人は出歩いていて、しかし物騒な世の中なので注意するに越したことはない。
歩きながらミリアは、見覚えのある人物が巨乳の女性と歩いているのを発見して立ち止まる。
「あれ?」
「どうしたの?」
玲菜も立ち止まり、ミリアの視線の先を見る。するとそこには――
(え?)
黒髪の……レオによく似た青年が、赤っぽい茶色い髪の色気のある女性と一緒に歩いているではないか。
ミリアも同じことを思ったらしく「レオさん?」と首を傾げる。
そしてレオに似た青年と巨乳美女は近くの酒場に入っていった。
どういうことだ?
玲菜が放心しているとミリアが慌てて首を振った。
「違うか! 一瞬似てるって思ったけど、違うよね?」
「うっ……」
返事ができない。
レオがまさか、知らない女性と?
いや、まさか。
(そんなわけないよ)
玲菜は思う。
そんなわけはない。そうだ、彼はショーンと一緒に帰ってくるはずで、ショーンは一緒に居なかった。
ミリアもまさかそんなはずはないと思い直して、玲菜に言う。
「暗いから、見間違えたんだよ、絶対そう!」
そう……かもしれない。
玲菜もなんだかそんな気がしてきた。
レオが女性と二人で酒場に行ってしまうなんて、あるはずがない。
(信じなきゃ!)
玲菜は深呼吸をして落ち着いてから自分に言い聞かせるためにも言った。
「そうだね。見間違えたんだと思う。黒髪の長髪の男の人なんていっぱいいるしね」
「そうよそうよ!」
二人で納得してまた歩き出した。
少し不安に感じながら。
そうして、しばらく歩くとミリアと別れて玲菜は家に向かう。
もしかしたら家にレオとショーンがいるかもしれない。そうしたらさっきのは見間違いだったと確信できるので。とにかく急いで走った。
しかし……
家に着いても真っ暗で誰もいない。
急に不安が過った時に、ウヅキが通りかかって玲菜はウヅキを抱っこした。
「ウヅキ!」
ウヅキはまだ前ほど慣れていなかったが、今は嫌がらずに大人しくしていた。
「大丈夫だよね。きっともうすぐショーンと一緒に帰ってくるよね」
そうだ。ショーンがまだ帰ってきていない。
きっと二人でもうすぐ帰ってくるはず。
玲菜は泣きそうになりながらもそう信じて二人が帰ってくるのを待つ。
だが、今日はやけに遅くて。
いや、ずっと遅かったのだが、いつも以上に。
玲菜は晩御飯を作って二人の帰りを待った。
元々遅くまで待つつもりだった。
先ほどのことがなければこんなに不安ではなかったのに。
そう思った矢先にようやく玄関のベルが鳴り。
玲菜は菓子を戸棚に隠してから急いで玄関まで出迎えた。
(良かった。帰ってきた! やっぱりさっきのは見間違い……)
けれど、玄関に姿を現したのはショーンだけであって。
玲菜はレオが後から来ないか外に出て確かめた。
その行動を不審に思ったのはショーンだ。
「何やってんだ?」
娘の行動に疑問を持つ。
「レオは?」
玲菜は恐る恐る訊いた。
「え?」
むしろびっくりしたのはショーンの方だ。
「レオ、帰ってないのか?」
悪夢だ。
一気に泣きそうな表情になった娘に声を掛けるショーン。
「え? どうした? 玲菜」
「……帰ってきてない」
娘は俯いてそう答えるだけ。声は今にも泣きそうで心配になる。
(帰ってない? 何やってんだアイツ)
せっかく、気を遣ってやったのに。
まさか、彼の身に何かが? と心配になったが、それよりも玲菜が酷く落ち込んでいて。もしや心当たりでもあるのか。
彼女はもう涙ぐんでしまっている。
そんな姿を見てしまっては、居ても立ってもいられない。
「変だな。俺、捜してこようか?」
外に行こうとする父を、玲菜は止めた。
「いいよ!」
溢れる涙を抑えながら。
「帰ってくるから」
心の中は、やはりさっきの、女性と一緒に酒場に入った青年はレオだったのではないかという思いでいっぱいで。
けれどなぜ? とも疑問が。
まさか……浮気?
玲菜は首を思いきり振って今思ったことを頭から消した。
(そんなわけない! 絶対そんなわけない。レオは絶対そんなことしないもん)
きっと何か理由があって。
(そうだよ。何かあったんだ)
玲菜は居間に戻ってソファに座った。
今日は、帰ってくるまで待っていようと決めた。
一生懸命作ったクッキーを食べてもらいたい。
彼は知らないが、今日は自分の世界で聖夜だった日付。
(きっともうすぐ帰ってくる)
遅い晩飯を食べた後も、彼の帰宅を信じてソファでじっと座って待つ娘を心配するショーン。
「あんま遅くまで起きてるなよ、玲菜。レオは大丈夫だから。朱音さんたちがいるし」
「うん」
玲菜の不安は、彼の身の危険だけではない。
それはとても胸が苦しい。
つらくて泣きたい。
(早く帰ってきて、レオ)
その日、玲菜は一晩中眠らずに待っていたが、とうとうレオは帰ってこなかった。