創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第四十四話:二つの作戦]

 

 切り札は、大前提的に旧世界の兵器が壊れていないとできない作戦だった。

 確実に、敵側を嵌めなくてはならない訳であり。

 万が一にこちらに返ってきたらまずいことになる。

 旧世界の兵器があると、そうなる可能性も出てきてしまう。

 

 それと、外では効かないので城内戦になった時しか使えない。

 

 そもそも内城壁が邪魔であって、鳳凰城塞では諦めていた作戦ではあった。

 サイ城攻略の際に有効利用しよう……と。

 

「でも、この状況になったから、今こそ使わない手は無いと思う」と、ショーンは言う。

 旧世界の兵器が壊れて、即城内戦に突入できる可能性があり、内城壁が一部破壊されているために。

 バシルやレッドガルム、それとイヴァン、ミリア、玲菜が熱心に聴く中、軍師は作戦名を皆に告げた。

 

「幻覚作戦を」

 

「え?」

 皆が同時に訊き返したのでショーンはもう一度言った。

「敵に幻を見せている間に砦を制圧する作戦」

 

 

 ちょうどその時、黒竜が慌ただしくこちらにやってきて、軍師に訊ねた。

「アルバート様がお目覚めになったと聞いたのですが、ご様子はどうですか?」

「あー、残念だな。起きたけど、また眠ったんだよ」

「そうですか」

 落ち込んだ黒竜に「何かある」と勘付いたショーンは訊く。

「今は俺が聞こう。急ぎの報告か?」

「はい」

 彼は深刻そうな顔で報告した。

 

「昨日、シリウスの軍の一つがこちらに援軍に向かっていると報告をしましたが、どうやらそれはシリウス本人……つまり偽皇帝らしく」

 

「えぇえ!?

 まさかの報告に、ショーン以外の皆がびっくりしてイヴァンがつっこんでしまった。

「皇帝が城を空けてこっち来てるって!?

「ですね」

 黒竜は頷く。

「皇帝が留守の間は、オーラム枢機卿がサイ城を守るらしく。偽皇帝は『近衛隊』を率いて来る、と」

 近衛隊は由緒正しい貴族の息子や皇族関係の人間も居るが、半分くらいは元蒼騎士聖剣部隊だった者たちであり。レオが皇帝に即位した時に近衛隊に昇格をした、忠誠心の厚い騎士たち。

 ただ、緑龍騎士団に配属された者とは違い、真実を知らない可能性が高く。

 バシルは俯いて目を伏せた。

「近衛兵……」

 きっと見知った顔が多い。かつての仲間。

 表情を見たショーンは察した。

(バシルや緑龍騎士団に戦わせるのは酷だな)

 親衛隊でさえ躊躇《ちゅうちょ》していたのに。

 恐らくそういう心理作戦もあって、近衛隊が向かわされている。――バシル将軍は本気を出せないだろう、と。

(向こうの軍師の策か。相変わらず嫌な作戦してくるな)

 戦の勝ち敗けよりもまるでゲームを楽しんでいるようだ。

(タヤマ君が自分の兄ながら凄く嫌うのも解る)

 じわじわと相手を追い詰めて万策尽かせるつもりか。そのために幾ら兵を捨て駒にしても罪の意識は生じないらしい。

 

 そんな風に相手の軍師を思っていたら、弟のタヤマがちょうどやってきた。しかもカルロスと共に。

「ショーン様! レオ様のご様子は!?

 彼らも軍総隊長の噂を聞きつけてやってきたようだが、彼らは心配以外にレオに頼みたい事があって来た様子。

 代わりに、ショーンに話す。

「どうか、サン・ラーデ市への援軍に我々を!」

 サン・ラーデ市は領主のカルロスが奪還軍に入っている容疑で、皇帝の管理下に置かれようとしている。

 そのために先日シリウスの軍の一つが派遣されてきたのだが――市民は管理下を拒み、必死に抵抗している様子。

 事を知った二人は、是非とも自分たちが助けにいきたい、と出軍許可を願ってくる。

 カルロスの私軍は大事な隊でもあったが、彼らの心を察したショーンは意外にあっさりと承諾した。

「うん。まぁ、分かった」

 

 顔を見合わせて喜ぶ二人に、念を押した。

「但し、危なくなったら逃げる。これが条件だ。貴殿らは絶対に捕まってはいけない」

 ショーンは心を鬼にしてカルロスに近付いた。

「特にカルロス殿。貴殿はすぐに熱くなるし、住民が大事だと思ってしまうだろうが……奪還軍に入ったからには覚悟を決めて自身を一番大事にするように!」

「は、はい! 分かっております!」

 こう返事をされても、不安は多いので、タヤマに頼むに限る。

「タヤマ君は、判断を渋らず主《あるじ》を守ってくれよ? たとえ主が反対しても。できるだろ?」

「はい! お任せあれでございます!」

 胸を張るタヤマに安心を覚えたショーンは、彼らに言う。

「実は君等には頼みがあるんだけど」

「え?」

 ショーンは彼らが出軍を申し出てくるのを予想していて、今後のことをもう計算に入れていた。

「後で伝える。準備をしていてくれ」

「わかりました!」

 言われて二人が立ち去ると、「さて」と先ほどの話の続きを持ってくる。

 

 なぜか声を潜めてこの場に居る皆に発表した。

「今度の鳳凰城塞攻略戦には、二つ作戦があって。一つはさっき言った『幻覚作戦』なんだけど。もう一つは……」

 バシルやレッドガルムや黒竜、イヴァンにミリア、そして玲菜は息を呑みこんで聴く。

 

「御皇妹《ごこうまい》・クリスティナ殿下の救出作戦なんだ」

 

「えぇ!?

 皆は顔を見合わせて、一番驚いた玲菜が訊き返した。

「クリスティナさん!? 救出!?

「声が大きいよ」

 この作戦は仲間にも秘密らしく、ショーンは周りを見回した。

 幸い、外に出ている者は居ても近くに兵は居ない。

「彼女は今、文字通り囚われの姫だから」

 声を更に潜めるショーン。

「彼女を後宮から助け出せれば、フェリクスとも対話ができるかもしれない。つまり、話し合いで解決」

「おお!」

 最初に嬉しそうに声を上げたのはバシルで、続いて玲菜も喜んだ。

「話し合い!?

 願ってもない。

 ただ、ふと気になる……というか、ピンとこない言葉が。

「ところでゴコウマイって何?」

 まずはそこから入った。

 確かに玲菜には聞き慣れない言葉だと、父は頭を押さえる。

「尊敬とか丁寧な時に使う『御《ご》』と、皇帝の『皇《こう》』、あと妹で『妹《まい》』!」

 漢字を想像して、玲菜は納得した。

「あー! 皇帝の妹って意味?」

「そう!」

 

 他四人は半信半疑で「話し合いなんてできるのか?」状態。

 もう一つの疑問があったイヴァンは首を傾げた。

「っていうか、その作戦は今まで不可能だったんですか?」

 ショーンは苦笑いする。

「うん。後宮に入るのが難しくてさ。たとえ忍びでもな。なんせ、警備の方に女の忍びも居るし。侍女に扮するのもバレやすい」

 なんとなく、近い話をレオに聞いたことがある玲菜は口を挿んだ。

「あ、それレオに聞いた! でもあの時は」

 確か……

 

「私なら顔パスだって……」

 

 自分で言って自分でハッとなる玲菜。

『顔パス』の意味は分からないミリアも勘付いてショーンに訊いた。

「え!? ショーンさん、その作戦、まさかレイナに!?

 自分の娘をまさか危険にさらすのか。

 疑う皆にショーンは説明する。

「俺だって頼みたくないから、ずっと考えないようにしてきたけど。皇帝不在の今が、実は千載一遇の好機ではある」

 

 そうだ。偽皇帝が近衛隊を率いて自ら援軍に来ると、先ほどの黒竜の情報で有った。

 ショーンは「そうではないか」と予想した報告を事前に受けていた。だから、御皇妹救出の作戦はすでに頭の中にあって。

 向かっているシリウスの軍にやはり偽皇帝本人が居たと確認できると、救出作戦の実行に現実味が帯びてくる。

 たとえそれが自分の娘に頼むことになろうとも。

 

(でもなぁ、やっぱ巻き込みたくねぇなぁ)

 ショーンが正直な気持ちを考えて頭を抱えていると、玲菜の方が皆に宣言してしまった。

 

「私、救出作戦やります! やらせてください!!

 

 対してショーンは、つい反対してしまった。

「駄目だ!」

 そのつもりで話を皆にふったはずなのに、いざ娘がやると言うと急に怖くなって。

 玲菜は不審に思いつつすぐに反論した。

「どうして駄目なの? もしかしたら私しかできない事じゃないの? そういう感じに今、自分で言ってたじゃない」

「ああ、ええと……まぁ」

 今更父親の気持ちが全開になり怖気付きました。なんて言えない。

「そう……他に方法が無ければ、そうなるわけだけれども。やっぱ、よく考えたら危ないというか」

 しどろもどろになる父。

「あ! 多分、レオも心配するし、な」

 ここにきて軍総隊長の名まで出してきた。

 確かにレオは絶対に反対するだろうし、実行するにはやはりリーダーの許可が必要となる。

 しかし、情けなくも私情を全開にしてきた軍師の父的感情に、場に居た皆は目蓋を落とす。

 心配する気持ちも解るが、大事な作戦に個人の感情を優先して水を差す軍師ではなかったのに。

 そもそも、その作戦を考えたのが張本人のはず。

「だったらなんでその作戦考えたの!?

 皆が口に出せぬつっこみを、見事代弁したのは玲菜だった。

「っていうか、言わなきゃ良かったじゃない、止めるなら!」

 娘は呆れ返って怒っているよう。

「なんで言ったの? 言った時は、私に任せるつもりだったんでしょ?」

「ああ、いや。でもな……やっぱり、危ない……」

 

「分かってるよ!!

 

 玲菜は目一杯の声で怒鳴った。

「分かってるの! 後宮は顔パスでも、その前がどんなに危険かも分かっているの! でも……」

 彼女の真剣な眼は、もう決意している。

「もしも、私が役に立つなら実行させてください。私も、奪還軍の一員だから」

 

 突発的なところはあるが、“覚悟”をしてしまった娘を見て、ショーンが何も言えないでいると、聞いていたミリアも真剣な表情で言ってきた。

「ショーンさん、わたしも行きます! レイナの助けになれるかは分からないけど、都やサイ城だったら少しだけアテがあって!」

「ミ、ミ、ミ、ミリアちゃん!?

 悲鳴を上げたのは例の如くイヴァン。

「ちょっと待って!! 危ないから! 緑龍城に帰ってよ!!

「うるさいわね、イヴァン。レオさんを助けたのは誰? レイナでしょ! そのレイナが鳳凰城塞に入れたのはわたしのおかげなのよ」

 それはそうだが、前に彼女から聞いた話でイヴァンは納得していない部分があった。

「分かるけど! その前に『トニー』って誰!?

「アンタには関係ないでしょ」

「そ、そんな〜」

 二人の言い合いはさておき、ため息をついたショーンに黒竜が案を出した。

「二人の護衛はまた、朱音に」

「え!?

 慌てたのは玲菜とミリア。

「朱音さんは、レオの護衛がありますよね?」

「朱音さんが居たら嬉しいですけど、でも……」

 彼女には彼女の仕事が。それにまた自分らの護衛なんて迷惑ではないだろうか。と思った二人に、黒竜は首を振る。

「朱音は、今回の戦で負傷が多くて、戦場で戦う程には回復しておらず。陛下の足手まといになっては困るので、待機させようかと思っておりました」

「足手まといなんて、そんな!」

 酷い言い方だと、玲菜が反論しても黒竜は心に決めていたようだ。

「多分、なるでしょう。心にも迷いがありますし」

 そこで、彼が朱音を思って戦場に出さないのだと気付く。

 白雷の死が彼女の心に罪の意識を覚えさせている。

「陛下の護衛は、他の者が全力で行います」

 黒竜はそうショーンに伝えて、玲菜たちに話す。

「しかし、朱音は納得しないでしょう。死してもいいから陛下を守ろうと無理矢理戦場に出るかもしれません」

「あ!」

 彼の言わんとしていることをミリアは気付いた。

 

「そうです。朱音に作戦と護衛の任を与えれば戦場に出さずに済むので、私としてはお二人にむしろ願いたく」

「いいですよ!」

 玲菜とミリアは同時に返事した。そういう訳なら断る理由はなく、朱音に護衛をやってもらえるのはありがたすぎる。

「いかがですか? 軍師殿」

 朱音が居るならショーンの心配はぐっと軽減する。それに、クリスティナ救出作戦には別の目的があって、実行できる人物を要していた。玲菜やミリアではきっと無理なので。

 砂狼の女戦士にでも頼もうかと思っていたが、朱音ならば確実である。

 黒竜の眼は、その事も察して申し出ているようであった。

「ああ」

 条件が揃い過ぎて、ショーンは反対することができなくなった。

「そうだな。護衛は朱音さんに任せて、御皇妹救出作戦は玲菜とミリアちゃんの二人に任せる!」

 

 心配するイヴァンをよそに、ミリアは玲菜の手を握って意気込んだ。

「二人で頑張ります!」

 

「すぐに、朱音に伝えましょう」

 早速去ろうとする黒竜を引き留めて、ショーンは付け足した。

「但し!」

 皆を近くに寄らせて、レオのテントを確認してから告げる。

「この作戦は、軍総隊長には秘密だ。『玲菜たちは緑龍城に帰す』と、する」

 言わずとも、なぜだかは解る。

「レオは絶対に反対するからな」

 恋人が心配だから反対するだろう、と皆は納得したが、黒竜とショーン本人は別の事でも反対するのが分かっていた。

 まぁ、作戦がうまくいっても激怒は間違いないだろう。

(それでも偽皇帝不在で玲菜がここに居て……こんなチャンスは二度と無いだろ)

 偽皇帝がわざわざ出向くのも、相手の心理作戦とはいえ、そこまで追い詰めたからであり。原因は旧世界の兵器をすべて破壊された上に内城壁まで一部破壊された事にある。

 だからこそこちらは、サン・ラーデに軍を派遣した残りの兵力でさえ勝機があるといえる。

 但しそれでも戦力はほぼ互角であって、奪還軍としての最終目標を考えると厳しい面も出てくる。

 ゆえに活きてくる幻覚作戦。これも、旧世界の兵器破壊と内城壁破壊が無ければ困難だった。

(運命の女神が居るとしたら、今はこっちを向いているのかもしれない)

「なんてな」

 ショーンは呟き、フッと笑ってから、遠い記憶の……

 

『世界が変わる前』のことを思い出していた。

 

 アルテミスも死んで、今はもう、自分だけが知る旧・過去の世界。

 

(あの時の神話の女神の名は、なんて名だったか)

 アルテミスではない。アルテミスは、自分が2012年から戻ってきたこの世界で女神の名に変わっていた名前。

 玲菜の小説が神話になったからこそ、女神の名が『アルテミス』になったのだ。

 

 元々は違う。

 それを知っているのは、もしかするとこの世界で自分だけ。

(アルテミスは、何もかも“視えて”いたんだろうな〜)

 

 娘が“ここ”を創ること。

 

 前の『この世界』と似て非なる世界。

 

(そういや、アルテミスの前の預言者“シドゥリ”が言っていたな……)

 

 

「――ショーン殿?」

 

 レッドガルムに呼ばれて、「ハッ」と我に返るショーン。

 しばらく昔のことを思い出してボーッとしていたようだ。

 軍師の作戦説明はもう終わりかと、皆が首を傾げていたので慌てて言う。

「と、とりあえず! ……なんだっけ?」

「もう! なにその芸人みたいなボケ」

 父以外には通じないつっこみを玲菜がすると、思い出して続けた。

「あ、そう! えっと……要するに、二つの大事な作戦が鳳凰城塞攻略の鍵を握るから。幻覚作戦の方は後でまた説明する。玲菜とミリアちゃんは準備をしてくれ」

「はい!」

 ミリアは元気に返事をすると、玲菜を連れて自分たちの荷物のあるテントの方へ向かう。

 黒竜も朱音の許へ向かい、バシルとレッドガルムは散らばった。

 

 ただ、イヴァンだけは去る前にショーンが引き留める。

「イヴァン、武器職人……というか、手伝える者が居たら他も呼んでほしいんだけど、彼らを集めてくれないか?」

「え?」

「俺の説明する通りの物を作ってほしいからさ。しかも大至急」

「えぇ!? 何を作るんですか?」

 不安そうに訊ねるイヴァンに、軍師は満面の笑みで答えた。

 

「爆弾! あとマスク」

 

 

 ―――――

 

 

 一方。

 伝言しようと向かった救護テントに朱音の姿を見なかった黒竜は捜し回って歩き、やがてひとけの無い柵の近くで彼女が立っているのを見つける。

 近付き、物悲しそうな背中に声を掛けた。

「ここに居たのか。お前らしくもなく、隙だらけだったぞ」

 

 朱音は振り向きもせず答える。

「大丈夫。気付いていたわよ、黒竜。貴方のことはすぐに分かる。義足の音で」

 

「まぁ、そうだろうな」

 黒竜は苦笑いをして彼女に近付いた。

「朱音、お前は怪我人だぞ。安静にしていろ」

「必要無いわ。かすり傷程度よ。すぐにでも戦える」

 本当はかすり傷などではなく、戦えるわけはないのに彼女は平然としている。まるで、悲しい気持ちを隠すように。

 そのことが分かった黒竜は、作戦の事を伝える前に、彼女にある物を渡す。

 ……それは、一つの苦無《くない》であり。

 

「白雷の苦無だ。お前が持っていろ」

 

 儚くも散った相棒の武器。

 

 手を震わせながら受け取った朱音はしばらく無言で見つめる。

 彼女が悲しむのを承知で、黒竜は白雷が伝えられなかったことを伝えた。

 

「あいつは、お前のことが好きだった」

 

 

 朱音は何も反応せず、ただじっと苦無を見つめるだけ。

 黒竜の声だけが聞こえる。

 

「ずっと好きだったんだ」

 

 確かに昔からよく、彼の視線を感じた。

 相棒になってからの二年間も、何かを訴えたそうにこちらを見ていた。

 

 本当はずっと気付いていたのかもしれない。

「……ええ」

 突然朱音は口を開く。

「でも、それが原因で命を落としてしまったら嫌だから。気付かないようにしていた」

 彼女は肩を震わせて、涙を堪えていた。

「それなのに……もう!」

 

 多分彼は好きな女性を守れて本望だっただろうと黒竜は思ったが、彼女に責任を感じさせるだけなので言わないでおいた。

 代わりに、彼女の肩に手を乗せる。

「今なら誰も見ていない」

 

 朱音は首を振った。

 

「いいえ。泣かないわ」

 

 

「俺も見ない」

 

 黒竜は目を閉じてそっと朱音を包み込んだ。

 

 おかげで彼女は誰にも見られずに涙を流すことができた。

「もう泣かないと、あの時決めたのよ」

 白雷が死んだ後に、一筋だけ涙をこぼした。

 

 心を乱すのはあれで終わりだと。

 

 

「わかってる」

 

 それだけを言って、黒竜は彼女が泣き止むまでじっとそのままでいた。


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