創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第四十八話:御皇妹救出作戦]

 

 皇帝の城にはいわゆる“奉公人《ほうこうにん》”がたくさん居たが、身分には格差があった。

 まず皇帝の側近は特別としても、他の皇族の従者(付き人的存在等)に当たる者はそれなりの家の出身であり、城内の使用人頭、又は皇族の人間に別邸があった場合の家令・執事などもまぁまぁの身分の者であった。

 ただ、大勢働く宮廷では貴族家出身以外の者も多く雇われており、身元不明や怪しい者で無い限りは普通の町人(経歴や親族に不審な前科等が無く、下層ではない者)も一緒に従事していた。

 だが前述《ぜんじゅつ》の身分の格差は仕事の格差でもあり、高い者ほど皇族の身近に仕えて、低い者は清掃などの担当となった。

 そして、扱いも奉公人の中でぞんざいに扱われることが多く。

 

 町人出身だったクララも、同じ奉公人から見下されることが多々あったという。それでも実家のために城内の清掃を日々熱心にしていると、通りかかったサーシャ皇妃(レオの母親)から声を掛けられたのだという。

「サーシャ様は、私の働いている姿を見てとても褒めてくださいました。そして、アルバート様の屋敷の掃除人の一人として指名してくださったのです。『息子は片づけが下手だから』と」

 そこまで言った直後に慌てて言い直す。

「あ、いえ! 下手ではなくて……あの、苦手……いえ、『あまり得意ではないから』と」

 彼女的には、皇帝陛下の事に対してなんてことを言ってしまったんだと思ったようだが、聞いていた玲菜は妙に納得する。

(レオのお母さんが言ったってことは、レオってば、元々掃除が下手?)

片付けられない症候群≠ヘ皇子に始まったことではなかった。

 

 

 ひとけの無い広場のベンチで、レオの屋敷のメイドとして働いていた娘・クララは玲菜とミリアの二人に自分がレオの専属使用人になった経緯を話していた。

 自宅やショーンの家での、レオの部屋のゴミ事情を思い出して玲菜は心配する。

「アルバートは凄く散らかすから、大変でしたね」

「いえ! アルバート様は屋敷にほとんど帰ってきませんでしたから。帰ってきても寝るだけとか。楽でし……」

『楽』と言いかけて彼女は慌てて口を押さえる。

 まぁ、当人が帰ってこないのであれば汚れることは少なく、確かに楽か。ただ、宮廷の部屋の掃除を頼まれることもあったそうだが、宮廷に居ることも少なかったので『たまに』だったらしい。

 ちなみに、宮廷にも掃除人は居るが、彼は警戒が強かったので自分の専属の使用人や従者以外は滅多に部屋に入れなかったという。

 レオが警戒していたのはもちろん『暗殺』だったと思われて、玲菜はふと昨夜話したセイリオス皇子のことを思い出してしまった。

(いや、セイリオス皇子が暗殺されたとは決まってないし! 病気で亡くなったかもしれないし)

 慌てて考えをかき消すように首を振る。

 

 これからその、セイリオスの妹であるクリスティナを助けにいく。

 後宮から出して自由の身にして鳳凰城塞までついてきてもらう。

 きっとクリスティナも、異母兄と夫の戦いを終わらせるためなら一緒に来てくれるだろう。そして、妻が囚われの身でなくなったらフェリクスもこちらの味方になってくれるはず。

 

 考えていると、三人の前に朱音が現れて驚いた顔をしていた。

「クララさん!?

 顔を上げたクララも驚いて声を上げる。

「あ、貴女は……アルバート様の忍びの護衛の方」

 共にレオに仕えていた二人は当然顔見知りであるはずで。しかし、クララは朱音があまり姿を現さないせいか名前までは知らなかった様子。

「クララさん、なぜここに?」

 訊ねる朱音にはミリアが答えた。

「偶然ここで会ったんです! レイナに気付いたらしくて。クララさんなら宮廷に詳しいでしょ? なので、わたしたち、協力してもらうことに……」

「いけません!」

 朱音は慌てて止めてきた。

「巻き込んでしまうのは危険です。もしかすると罠を仕掛けられているかもしれませんので」

「罠!?

 焦る三人にきっぱりと言う。

「先ほど、大壁で止められた時に、怪しかったのにも関わらず通されましたよね。下手するとわざと通された可能性があり」

「え! でもあれは、朱音さんが美人だから鼻の下を伸ばした検問兵が許しちゃったんだと」

 ミリアの反論に首を振る朱音。

「いいえ。いくらなんでも、あれは不審過ぎます」

 顔を見合わせたミリアと玲菜は不安になる。

 確かめもせずに朱音を通したのはまさか正体がバレたのでわざと?

 言われてみると可能性も否定できないので怖くなる。

 

「でしたら尚更!」

 それならばと、むしろクララが熱弁する。

「私、いろいろと裏通路を知っていますから。そこを通れば安全だと思います。宮廷のどちらへ向かうのですか?」

 本人は協力する気満々だ。

 彼女へ期待の眼差しを向ける玲菜とミリアに、仕方なく朱音は承諾する。

「分かりました。但し、危険が迫ったら三人とも私に従ってください。そこは約束してもらいます」

 三人は良い返事をして、いよいよ女四人での御皇妹《ごこうまい》救出作戦が始まった。

 

 まずは、クララに『後宮へ向かう』ことを教える。

 後宮へ入ってしまえば、後は玲菜の顔で入れるはず。しかし宮廷敷地内に入ることがまず困難だと。

 クララに裏口を訊くと、彼女は案を出した。

「皆さん、サイ城のメイドの格好をすればいいと思います。メイドの格好ならば宮廷の勝手口から入れますから」

 メイドの格好と聞いて、自分もよくメイド服を着たことを思い出す玲菜。

 ミリアは首を傾《かし》げる。

「でもサイ城のメイド服ってことは、サイ城に有るのよね? どっちにしろ中へ入らないと駄目?」

「いいえ」とクララは首を振る。

「サイ城のメイド服は、私、アルバート様のお屋敷に置いたままですので、『忘れ物を取りに来た』と言って皆様の分も持ってきます。余っていたのが何着か有ったので」

 

 なるほど、と、一行は一先ず馬車に乗った。

 メイドに扮するのは良い案なので賛成して、目的のレオの屋敷へ向かう。

 

 

 やがて目的地が見えると、見張りが居ては困るので近くに停めた。

 先ほど言ったようにクララだけが屋敷の中へ入り、私物を取りに来たふりをする。

 使用人を辞めていてもそれは不自然ではないのですんなり入れて、皆の目を盗んで彼女は玲菜たちの分のメイド服も持ってきた。

 

 馬車の中で、濃い緑色のメイド服を見た玲菜は懐かしく思った。最初に宮廷に入った時もクララにメイド服を借りて着て、レオについていった。

 なぜだか遠い昔のよう。

 レオが一緒に居たとはいえあんなにすんなりと入れたのに、今ではこんなスパイのようなことをしなくてはいけないなんて。

 ともあれ、メイド服を見たミリアは「さっそく着てみよう」とはしゃいだが、馬車を動かす前に『勝手口に行くための方法』を考えなくてはならなかった。

 裏口とはいえ、そこへ行くためにはやはりどこかしらの門を通らなければならない。

 使用人がよく使う小さな門に狙いを定めても門番は居る。

「数人でしたら、交代分含めて私が気絶させましょうか」

 物騒なことを朱音が提案したが、メイド服を着ようとしていたミリアが「あ!」と声を上げる。

「わたし、このためについてきたんだったわ」

 どうやら“門番”にアテがあるらしく。

 もしやと思った玲菜は訊ねてみた。

「門番の兵士に知り合いが居るとか?」

「そうそう、東の門に行ってくれる? そこからなら入れると思うの」

「え、でも、二年経ってるし、その知り合いの人居なくなってたらどうする?」

 大いにあり得ることだが、ミリアは平然と返した。

「大丈夫。一人や二人減っていたって。東の門の門番は全員知り合いだもの」

 まさか東門の警備兵が全員? と、玲菜がびっくりすると、彼女は得意げに笑った。

「全員、わたしのファンなのよ。よく休憩の時にわざわざうちのパン屋まで買いに来ていてね、面倒だったけど儲かったわ」

 彼女は、もし現代日本に住んでいたらちょっとしたアイドルになれそうだと玲菜は思う。普段と営業用≠ナ声を使いわける特技もあることだし、天職ではないかと。

 

 

 そうと決まれば早速馬車を走らせて東の門近くで停まる一行。

 中で白いエプロンと帽子も含むメイド服に着替えて、降りると使用人のフリをして門へ向かう。ちなみに馬車は中へ入らず、付近で待機していてもらう。

 朱音は独自に忍びこめるのでメイドに扮さず、皆を見守りながら移動して、メイド姿の玲菜たち三人はおずおずと東門へ向かった。

 

 当然、門番二人に引き止められると「使用人か?」と訊ねられる。まずはクララが説明した。

「は、はい。私たちはアルバート様のお屋敷の掃除婦でございます。陛下の命令で、部屋の掃除に向かうところであります」

 門番たちは顔を見合わせる。

「皇帝陛下の? だが陛下は今、遠征中であり、そのような用を頼むとは考えづらい。一体どこから命令があった?」

 しまった。うっかりアルバートの名を使ってしまったが、偽皇帝は鳳凰城塞に居るわけであり、つじつまが合わなくなる。

 とっさにクララは言い換えた。

「あ、あの、陛下というのはつまり、皇后陛下でありまして。皇帝陛下が帰ってくる前に掃除をしておくように、と」

 苦し紛れか。門番たちは完全に疑っているようで、コソコソと他の兵を呼ぼうかと相談している。そこへ、真打登場の如くミリアが顔を見せた。

「お久しぶりね〜、二人とも!」

 

「あ!」

「え?」

 

 門番たちは同時に返す。

「ミリアちゃん!?

 片方が動揺した風に訊いた。

「どうしたの? パン屋に行ったら辞めたっていうからさ。オレ、心配してたんだ」

「俺も心配してたよ、ミリアちゃん!」

 

「うん。パン屋辞めてね、しばらく実家に帰ってたんだけど、また都に来て働くことにしたの。今度はお城のメイドとしてね。ちょっとツテがあって雇ってもらえたんだ」

 可愛い声と笑顔に騙された二人は「ホントに!?」と同時に反応する。「城のメイドさんならこれからもまた会えるじゃん」や、「メイド服似合ってるよ」等と嬉しそうに声を掛けて、すんなりと門を通してきた。

 あまつさえ「ミリアちゃんなら怪しくないや」と言う始末。

 ミリアは堂々と歩き、その後をクララと玲菜が続く。

 トドメにミリアはとびっきりの可愛い声で門番二人に礼を言った。

「二人ともありがとう! 今度デートしましょうね」

 バチッとウィンクをすると、門番たちは魂を抜かれたような顔をして三人を見送る。

 少し離れてから『デートは自分に向けて言ったものだ』と口喧嘩を始めた。

 

 当のミリアは、低い声で「男って簡単」と不敵な笑みを浮かべていた。そんな彼女に玲菜は慣れていたが、クララは若干怯えているようだった。

 

 

 ミリアのおかげで門を通れた三人は使用人たちが使う勝手口に到着。そこでも見張りが居たが、クララがうまく挨拶をすると『見たことあるメイド』だと、なんなく通ることができた。

 無事に宮廷内侵入成功。

 後宮は奥にあるので、馬車以外だと一度城内を突っ切り、庭路《ていろ》を通ってから到着、となる。

 なるべく人に見つからぬよう、クララの案内する裏通路を使い、途中隠れたりして奥へ奥へと向かった。

 

 

 そして……

 ついに後宮前の庭路へと出ると、そこはすでに男性の姿が無くなり。

 近くにある誰も居ない物置部屋で玲菜たちはメイド服を脱ぐ。

 実は、下にはドレスを着ていて、暑さや緊張で汗を掻いたが仕方ない。

 ここからは『呼ばれたお友達』のフリをする。

 

 後宮では、入口になぜか『門番』的な人物が居ない代わりに、密かに監視する女性らが侍女に紛れて巡回していて、怪しい者が居ると隠れて兵に通報する仕組みになっている。

 中に入れるのは後宮に部屋を持つ皇族の女性とその侍女や専属の使用人のみで、たとえ宮廷のメイドだとしても無許可出入りは捕まってしまう。

 特に男は立ち入り禁止で、皇子だとしても足を踏み入れられない。許されるのは皇帝のみ。

 例外として皇女の夫ならば妻の部屋のみ入ることができて、婚約者も同じく、侍女の立ち会いのもと逢《あ》うことができる。

 女性の場合は、たとえば親族(遠縁は不可)だとか『呼ばれたお友達』(女性の付き人同行可)ならば通れるが、見たことがあるかどうかの顔で判断されるため、初めての場合は案内女性(皇女本人からの派遣)が一緒でないと通報される可能性がある。

 尚、呼ばれていない『お友達』は城に入る前に門前払いされるので突然の訪問はできない。後宮に居るという事は『呼ばれた』と前提されることになる。

 

 玲菜は『今日クリスティナに呼ばれた』として、付き人三名を引き連れて堂々と後宮に侵入する。顔の知られた『お友達』なので、大丈夫だとは思うのだが、少しでも怪しまれたら密かに通報されてしまうから注意が必要だ。

 ミリアは侍女、朱音は女護衛、クララは専属使用人(メイド)の役としてついていく。

 あとは、確認のためにクリスティナに報告がいっても、玲菜の名で話を合わせてくれると信じるしかない。その辺りは賭けになる。

 彼女は身を守るという名目の勅令《ちょくれい》によって外に出る事を許可されず、後宮の奥に閉じ込められているのだという。

 

 

 いくらすぐ近くに朱音が居るとはいえ、緊張で動けなくなりそうだった玲菜は何回も深呼吸をする。誰が監視しているのか、報告も密かにだというのが逆に脅威ではある。

(怪しまれないようにしなくちゃ、私)

 ここでもしも捕まったらすべてが水の泡ばかりか、自分らの正体がバレたら人質にされることだってあり得る。

(人質は絶対駄目!)

 それこそ、奪還軍やレオを危険にさらすことになる。

(そもそも私って『奪還軍の首領の女』だから監視する人に捕まっちゃうんじゃない?)

 ひょっとすると『クリスティナ様の“お友達”はスパイだから後宮に来たら報告しろ』と、すでに手が回っているかもしれない。

(そしたら呑気に顔パスだなんて言ってられないかも)

 顔で通れるという仕組みが仇《あだ》になるかもしれない。いや、むしろ不審者対策としては有能な仕組みではないか。

(どうしよう!! 今更気付くなんて!)

 悪い方向に考えた玲菜が青い顔をしていると、朱音が「どうしました?」と訊いてくる。

 

 ――恐る恐る彼女に今考えた可能性を話すと、分かっていたように頷いた。

「大丈夫です。可能性はありますけど、その場合は私に任せていただければ脱出の策がありますから」

 つまり、いろんな事を想定して逃げる準備もあるらしく、玲菜は朱音を尊敬する。

「朱音さん、やっぱり凄いです。いろいろと策があるなんて!」

「いえ。私は宮廷内に詳しいですからいざという時の逃げ道はいつでも用意できますけど、様々な想定をしているのはショーン様ですよ。野営地を出る前にすべて」

「えっ……?」

「さすがショーン様!」

 もちろん喜んだのはミリアであり、ただ、近くで聞いていたクララはびっくりした。

「ショーン様? 軍師のショーン様は生きてらっしゃったのですか?」

 彼女の中ではショーンは軍師であって、しかし死んだ噂を聞いていたらしく驚く。

「うん」と頷き、安心させるように玲菜は教えた。

「元気ですよ!」

「そうなんですか。ご無事で何よりです」

 

 ともあれ、準備は整い。

「では、行きましょう、レイナ様」

 朱音に促されて玲菜は緊張した返事をする。

「は、はい!」

「落ち着いて、いつも通りで大丈夫です」

 優しく肩を叩く朱音。

「もしも何かあれば、私はすぐに指示できますから。常に気も張っていますので変化にも気付く自信があります」

 続いてミリアも言う。

「頑張ろう! わたしも緊張するけど、レオさんやショーンさんのために作戦成功させようね!」

 更にクララまで励ましてきた。

「先ほど心配なさっていた話ですけれど、後宮は特別な場所でなるべく物騒な事は避けると聞きます。恐らく後宮の女性にレイナ様のことは伝わってないと思われますよ」

 

「ふぅ」と息をついて玲菜は皆に告げた。

「怖がっていても進めないので、やるだけやってみます。どうもありがとう!」

 立ち止まっていても仕方ない。作戦を実行せねば。

 そのためにここへ来た。

(絶対にクリスティナさんを救出して、戦いを止めるんだ!)

 決意した玲菜は一歩を踏み出した。

 

 朱音が周りを確認してから皆で物置部屋を出る。

 玲菜はクリスティナのお茶会へ来ていたことを思い出して、あの時のように庭路を歩き出す。

 あの時は一人だったが、そういえば庭路でもいろいろなことがあった憶えが。

 レオと離れていた頃で、割と辛い時も多かったような。でも、クリスティナと会えるのは楽しみだった。

 レオとは会わなかった(対面しなかった)が、セイとは何度か会ったような気も。

(セイさん、本当に今は偽皇帝をしているの?)

 彼の性格を思うと信じられないのだが、ウォルトには逆らえないのか。

(なんで? セイさんもエニデール民?)

 ユナもミシェルもエニデール民は皆、まるで洗脳されているかのように彼に忠実だった。……いや、それは彼女らが工作員だったからだろうか? ユナに至っては信者のようでもあった。

(でもセイさんはエニデール民かどうか分からないし、もしかして弱みを握られているとか?)

 弱みを握られているとしたら一体何の弱みだろうか、と考えると真っ先に思い浮かんだのが聖女の姿。

(まさかレナさん!?

 

「レイナ様」

 いきなり、レナと似た自分の名を朱音に呼ばれてドキリとする玲菜。我に返ると、コソコソと耳打ちをされた。

「いよいよ、後宮に入ります。クリスティナ様は只今一番奥の部屋になっていますので、とにかく廊下をお進みください」

「は、はい」

 幸い入口は開いていて、専属の使用人か誰かの侍女なのか、付近で歩く姿が見える。この中の誰かが監視なのか分からないが、全員が怪しく思えて玲菜はついキョロキョロしてしまった。

 だがすぐに「それは危険だ」と気付き、目の前のまっすぐな廊下を見る。

(この奥にクリスティナさんが)

 懐かしさもあるが、緊張もして。けれど表に出さぬように、玲菜は後宮内の広い廊下を歩く。

 引き留めてくる者は居ない。

 『お友達』と認識されたか、隠れて通報されているのか分からないが、とにかく奥へ進むしかない。

 自分でもびっくりするぐらい、堂々と歩けていた矢先。

 

「お待ちください、そこのお方」

 後ろから呼び止められる声が聞こえた。

 

 ギクリとして立ち止まった玲菜はすぐに朱音の方を見る。

 朱音は声に出さずに「大丈夫です」という素振りをして、警戒した風に振り向く。

 

 声を掛けた女性は「貴女、もしかして……」と、凄い剣幕で駆け寄ってきた。

 バレたかと、皆が思い、「やはり顔パスではなかった」と玲菜が青ざめた時……

 

 

「レイナ……様?」

 恐る恐る顔を覗き込むようにして女性は玲菜の名を呼ぶ。

「え?」

「もしかして、レイナ様ですか?」

 その茶色い髪の女性に玲菜は見覚えがあり。記憶を甦らせる。

「あ! もしかしてクリスティナさんの侍女の……」

「はい! ヘレンです」

 ヘレンと名乗った女性は、クリスティナの侍女の中でも、一番皇女に近しい存在風だった十七……いや、二年経ったから十九歳のはずの娘。

 元々大人びていた記憶だが、更に『姉』な雰囲気が増していて、むしろ自分よりも年上に見える。

 そんな彼女は「本当にレイナ様!?」と興奮したように言って、驚いた顔をした。

「いえ、でも、レイナ様。約二年ぶりに会ったと思うのですけど、変わってませんね!」

 そこをつっこまれたか。

「あ、うん。まぁ、変わってないです」

 妙におどおどして答えた玲菜は、それよりもクリスティナの部屋へ行かなければならないことを伝えようと思ったが。ヘレンの方が先にコソッと耳打ちしてきた。

「もしかして、こっそりクリスティナ様に会いにきてくれたんですか?」

「え? ええと……そうです」

 一応、救出のつもりだが、この場では言い難い。

「すみません、勝手に来てしまって」

「何、謝ってるんですか!!

 ヘレンはそう言って「さぁ早く、こちらです」と玲菜たちを誘導してきた。

 おかげで、本当に『呼ばれた』風になり、自然にクリスティナの部屋へ向かえる。

 

 

 ヘレンの案内で、四人は早歩きで廊下を進み、後宮の一番奥の部屋へ通された。

 中には恐らくクリスティナが居て、いよいよ御皇妹と対面となる。

 ゴクリと息を呑み、緊張する玲菜に少し微笑んでからヘレンはドアをノックした。

「クリスティナ様、お客様です」

 どうやら彼女は驚かせようとしたらしく、玲菜の名は言わずに返事を待った。

 

「え? どなたかしら」

 久しぶりに聞く、クリスティナの声が玲菜の耳に入った。

(クリスティナさん!!

 

 ヘレンが「入ります」と断りを入れてドアを開けた先に見えたのは……

 

 

 金色の長い髪をした、以前と変わらぬ美少女の姿。

 いや、前よりも更に美しく成長した青い瞳の娘。優美な赤い着物は彼女の美を引き立たせて、二年の歳月は大人っぽくさせた。

 

 振り向いた彼女は目を丸くして信じられないという風にこちらを見て止まった。

 

「レイナさま……?」

 

 少し痩せたと思う。大食いでも細かった彼女だが、なんとなくそう感じて。

 白くて綺麗な肌は変わらないのに顔色もあまり好くない。

 いつも明るく華々しい笑顔だったのに、今は若干寂しげに見えるのは悲しそうな瞳のせいか。

「クリスティナ様!!

 玲菜は思わず大声で呼んで駆け寄ってしまった。

 

「レイナ様!!

 クリスティナもまた駆け寄り、涙を流す。

「どうしてここに!?

 嬉しそうに声を震わせて。

「ああ、良かった! ご無事だったのですね。私《わたくし》、心配しておりました」

 彼女にも『二年間田舎に帰る』ことを伝えていたのだが、クリスティナは恐らく何かを察していたのだろう。異母兄《あに》が本人かどうか疑いを持ち、婚約者であった玲菜の心や身を心配していた。

「レイナ様、いつ都に戻ってきたのですか?」

「私は、都に戻ってきたというか……」

「レイナ様! 故郷の方でアルバートお異母兄《にい》様……皇帝陛下の話を聞きましたか?」

 彼女は必死で訴える。

「いろいろとショックな話が伝わったかと思いますが、私の話を聴いて!」

「あの、聞いてます」

 玲菜以外に聞こえぬよう、声を潜めてクリスティナは告げた。

「これは、全くの勘なのですが、もしかするとお異母兄《にい》様は別人がすり替わっている可能性がありまして」

 凄く深刻そうな表情で。

「突然こんなことを言って、びっくりしたと思います。信じられない、とも。ですが、私は……!」

「は、はい! 大丈夫です」

 慌てて玲菜は説明した。

「レ……アルバートは今、私と一緒に居ますから」

 

「え!?

 

 仰天するクリスティナとヘレン、それに少し離れた場所に居ながらも聞こえた侍女たち。

 

「あ! 違う。『今』は一緒に居ないですけど、別の場所に居て。でも分かってますから」

 玲菜の言葉に動揺したクリスティナたちは三人の付き人の方を見る。

「あと、声は潜めなくていいですよ。あの三人は付き人のフリをしているだけで」

 説明している途中で一人がクリスティナに近付いてきた。

 それは朱音であり。

「クリスティナ殿下」

 近付くと、クリスティナも正体が分かる。

「あ! 貴女は、お異母兄様の……」

「忍びの護衛の朱音です」

「その頬の傷は?」

「皇帝陛下を守る時に」

 

 今の会話で、様々なことを悟るクリスティナ。

 やはり自分の予想通り、現皇帝は偽者であり本物は別の場所に居た、と。

 恐らく即位式の襲撃事件後ですり替わったか。

 玲菜や朱音と一緒に居るらしい。

「ああ!」

 崩れるように座り込んだクリスティナはまた涙を流した。

「御無事で良かった。アルバートお異母兄様」

「クリスティナ様」

 玲菜はもらい泣きしてしまい涙を拭く。

 

 彼女はずっと閉じ込められて辛い日々を過ごしていたに違いない。

 積もる話もあるが、移動中に説明するとして、まずはここを早く出た方がいいかもしれない。

 座り込む彼女に手を差し出したのは朱音だ。

「クリスティナ殿下。我々と一緒に来てください」

 しかし、優しそうな声とは裏腹に、次に告げたのは物騒な言葉だった。

 

「私は、貴女を人質にするために来ました」

 

「え?」

 まさかの発言に、玲菜は信じられなくて呆然とした。


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