創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第四十九話:救出と人質]

 

「え?」

 

 朱音の発言に耳を疑ったクリスティナは、差し出す彼女の手を取らずに座ったままでいた。

 それもそのはず。

 彼女が言ったのは「貴女を人質にしに来ました」であり。

 

『救出作戦』だと聞いていた玲菜たちも当然驚く。

 しばらく呆然としてしまったが、慌てて朱音に訊ねた。

「朱音さん、何言ってるんですか! 私たちはクリスティナ様を救出しに来たんですよ!」

 玲菜は少し怒り気味に言ってしまったが、平然と朱音は答える。

「そうです。幽閉状態の後宮から救出します。けれどその後、我々の人質になってもらいます」

「どうして……!」

 

「戦を終わらせるため」

 

 彼女の言葉に玲菜はハッとした。

 

「少なくとも、今、戦中にある鳳凰城塞は止められるはず、と」

 朱音が言った後、クリスティナは考え込む。そして、起こっている悲劇に気付いて顔を上げた。

「まさか! 反乱組織というのは……!」

「その通りです。皇帝の反乱組織である『奪還軍』はアルバート様が決起しました。只今、鳳凰城塞にて、フェリクス様の軍と交戦中と思われます」

 

 まさか本当に、そんな恐ろしいことが! と、口を押さえるクリスティナと彼女に駆け寄るヘレンや侍女たち。

 自分の最愛の夫と大事な異母兄が戦っているなんて……

 クリスティナはショックで、両手で顔を覆った。

「フェリクス様と、アルバートお兄様が! そんな……! なんてこと!?

 体を震わすクリスティナに、朱音は片膝をついて目線を近付ける。

「クリスティナ殿下、これから伝える言葉のご無礼をお許しください。フェリクス殿は恐らく奪還軍の軍総隊長の正体に薄々勘付いておられると思います」

 フェリクスには、『皇帝が異母兄かどうか疑わしい事』を伝えていたクリスティナは涙を溜めながら頷く。

「ええ。そうかもしれません。今度の戦に関してとても複雑そうな表情をしていました」

 彼女を慰めながらヘレンは疑問を投げる。

「でも、だったらどうしてフェリクス様は……」

 皇帝かどうかを確かめる術《すべ》は無かったのか。

 主《あるじ》かもしれない相手に、剣を向けずに寝返ることはできなかったのか。

 

「私が……!」

 

 気付いたのはクリスティナだ。

 自分が、夫のために偽皇帝の正体を暴かなかったのと同じく、彼もまた。

 

 朱音は頷く。

「フェリクス殿を逆らえなくさせるための“人質”だったのです、殿下」

 本物側に寝返ったら妻を殺されるかもしれなくて、騙されていなければならなかった。

 

「フェリクス様!」

 ポロポロと涙を流すクリスティナに、もう一度懇願《こんがん》する朱音。

「どうか、私たちと一緒に来てください。『話し合い』ですと、下手すればクリスティナ様が裏切ったことになり、フェリクス殿に危険が及びます。けれど、『人質』ならば」

 フェリクスは『やむを得ず』降参することができる。

「今、起きている戦いを終わらせることができます」

 真剣に伝える朱音を見て、玲菜は悟る。

「朱音さんは最初からクリスティナ様を人質にするつもりだったんですか?」

「はい」

 

「そういうの、全部……軍師の作戦だったんですね」

 

 父は『話し合い』と言った。

『人質交渉』では玲菜が納得しないと思ったのだろう。

 玲菜はミリアの前なのに父を名前の方で呼ぶ。

「ショーンは、私を……私たちを騙したんですね」

 あくまでも救出として、作戦のすべてを話さなかった。

 ミリアがショーンを庇うように言ってくる。

「騙したって、レイナ! ショーンさんは言えなかっただけよ。それに『人質』って言葉は悪いけど、やっていることは救出でしょ? これで戦が終わるかもしれないのは事実じゃないのよ」

「“人質”だって、いいの!」

 胸の内を訴える玲菜。

「人質だったことに怒ってんじゃないよ! ちゃんと言ってくれれば、人質作戦だったとしても実行したのに。だって私も奪還軍なんだよ?」

 仲間の一員だと、自分で覚悟を決めた。

 戦は嫌だけれど、いざとなったら自分なりに戦う、と。

「でもお父さんは私を信じてくれていないんだ。朱音さんにだけ真相を伝えて、私には嘘を!」

 

「レイナ様……」

 困った顔をする朱音に、玲菜は謝る。

「分かってます! 今はこんなことで怒っている場合じゃないって。ごめんなさい。でも悔しいんです! あの人いつもこうだから。帰ったら文句言ってやらなきゃ! 娘のことは頼りなくても信用しろって」

 途中から愚痴になった。

 未だムスッとしている玲菜を見て朱音はクスッと微笑んだ。

「レイナ様、前と変わられましたね」

「え?」

 少しだけ声を潜めて話す。

「ショーン様のことを、しっかり“お父さん”と」

 認識している、と。前は認識できていなかったので。

 言われて玲菜は顔を赤くしたが、それよりも……

 

「お父さん?」

 クリスティナやその周りは首を傾げる。

 誰かが察する前に、玲菜は告げた。

「あの、クリスティナ様。『人質』なんて形、すみません。でも私たちは戦を終わらせるために来たんです。もちろん、ここでずっと閉じ込められているクリスティナ様を外に出す目的もあって」

 まっすぐに彼女を見つめる。

「私はアルバートとフェリクス様に敵対してほしくない。戦も嫌です。もしも卑怯な手口と言われようとも終わらせることができるなら、私たちについてきてほしいです」

 クリスティナは玲菜の手を掴んだ。

「もちろんですわ、レイナ様。どうか私を連れていってください。ただ――」

 一つ引っかかることがある。

「私を人質なんて、お兄様の名誉は傷つかないかしら?」

「あ!」

 盲点だったと玲菜は気付いたが、朱音は分かっていたように答える。

「傷つきます」

「えぇ!?

「というより、陛下はこのことを知りません。異母妹《いもうと》君を人質という時点で激怒すると思われます」

 激怒は大いにあり得る。

 玲菜たちを向かわせたことも。

「責任はすべてショーン様が負うとの事。名誉に関しては、『後でいくらでも回復してやる』と、軍師殿は自信満々に発言しておりました」

 ショーンなら言いかねなく、玲菜は頭を痛めた。

 本当にその自信は一体どこから来るのか、自分の父ながら謎ではある。けれど、彼が自信を持って言う時は根拠……というか、策があって、信用はできる。

 まぁ、父認識をしていなかった頃だったら自分も完全に信じていただろう。

(なんであんなに妄信してたんだろう、私)

 他人だからこその尊敬というか『凄い人』感があったのかもしれない。

 玲菜はしばらく考えていたが、今はそれどころではないと気持ちを切り替えた。

(クリスティナさんが同意してくれたなら、早速逃げなきゃ?)

 まずは救出。

 そこが最重要であり、彼女を連れてここから出なくてはならない。

 彼女は外出を許可されていないらしく、『お友達と外で散歩』というのも怪しまれるだろう。

 あと、彼女の侍女たちはどうする?

 

 クリスティナは立ち上がり、自分が玲菜たちについていくことを侍女たちに説明しようとした。

 その矢先――

「皆様、どうぞ私の後ろに」

 突然朱音が皆に指示をして自分の後ろに下がらせる。周りを見回すと、サッと服を脱いで下に着ていた黒装束姿に変わった。

 次の瞬間。

 

 

「クリスティナ様、失礼いたします!」

 

 後宮の女衛兵らが許可も無しにぞろぞろと部屋に入ってきた。

 数は十数人程であり、びっくりする間も無く皆を取り囲もうとしてくるが。

 

 朱音は素早くクリスティナの横に立つ。

「失礼します」と小声で断りを入れて首に苦無《くない》を突きつけた。

「取り囲むのをやめなさい、動かないで!」

 

 女衛兵たちはハッとして止まり、取り囲むのをやめる。離れていたので朱音の後ろに居ない(ヘレン以外の)侍女たちは、『人質』の話を聞いていたはずなのに悲鳴を上げた。

 一方、いきなり女衛兵が入ってきたことで朱音がとっさに『人質作戦』を実行し始めたと察した玲菜たちは動揺せずに口をつぐむ。いつでも朱音の指示が聞けるよう、周りをよく見た。

 密かに通報されている可能性も考えていたので、こうなる事も少しは予想していた。落ち着いて行動して朱音の足を引っ張らぬよう気を張る。

 

「少しでも動けば皇帝の異母妹君の命はありません。皇帝陛下は“外出禁止”にするほどクリスティナ殿下を大事にされている様子。その殿下の綺麗な顔に傷が付いても良いのですか?」

 

 朱音の言葉に、場は一気に緊迫して静まる。女衛兵たちは「狼藉者《ろうぜきもの》め!」と堪《こら》えて止まった。

 ただ、未だに状況を把握しきれなかった侍女が「おやめください!」と訴える。

 クリスティナはその方を見て、察するよう目で合図しながら言った。

「落ち着いて。大丈夫よ。今はこの者たちの指示に従って」

 毅然《きぜん》として伝えた風ではあったが、ようやく察した侍女は先ほどの話し合いがこれだったのだと分かって口を閉じる。

 今度は救出作戦とやらがうまくいくようクリスティナのためを思って見守った。

 

 朱音は女衛兵たちに命令する。

「武器を置いて床に伏せるの。早くして!」

 女衛兵たちは仕方なしに従って床に伏せる。全員が行《おこな》ったのを確認した後に朱音は廊下に向かって声を掛けた。

「そこに隠れている者も、両手を上げて出てきなさい」

 まだ廊下で数人が隠れていたのかと、玲菜は思ったが……

 

 

「お見事ですね。これが噂に聴く優秀なくノ一《くのいち》」

 

 手を上げながら出てきたのは、緑目の金髪美人。

 最初、女性かと思ったが、声が男であり。まさか心が女性な男かと思ったが、そうではなく。

 よく見ると女装もしていない。

 紫色の貴族風なコートを着た長髪で美形な二十代くらいの男であって。

「ボクの美しさをもってすれば後宮すら簡単に入れてしまう」と、なぜか本人はここに居ることを自慢げに話す。

 

「お初にお目にかかります、奪還軍の皆さん」

 

 彼がそう言うとクリスティナが驚いたように彼の名を呼んだ。

「軍師のシガ殿!」

 

(軍師?)

 玲菜はうろ覚えで、偽皇帝側の軍師がタヤマの兄であったと思い出す。

(あの人がタヤマさんの?)

 レオとは違うタイプの美形であり、綺麗な女性のような顔をしている。金色の髪は後ろで一つに束ねて、タヤマが言うように瞳は冷たい。

 あとは……なんとなくだが、ナルシストな雰囲気がある。いかにも頭脳明晰《ずのうめいせき》風にも。

 

「皇帝陛下不在の間に、優秀な忍びを使って御皇妹を人質にするとは。さすがはショーン殿」

 シガはほくそ笑みながら言う。

「帝国四賢者の一人と謳《うた》われ、常勝無敗のシリウス軍の有能な軍師だったと聞きます」

 褒めているのだろうか、と思ったのも束の間。

「やはり姑息《こそく》な策を使ってくる」

 姑息と言われて、玲菜とミリアは怒りそうになったが堪えた。

「しかし齢《とし》だからですかね? 甘い部分があって。だからボクのような本物の天才には効かない」

 彼は見下す風に言い放った。

「アスールスの時も、マリーノエラ殿を奪った時も、砂上の砦戦でも、ボクの策に敗けて逃げるしかなかった気持ちはどうですか?」

 

「敗けてないわよ!」

 

 頭にきてつい反論したのはミリアだ。

「ショーンさんは敗けてないもの! 危機があったっていつも回避してるわよ!」

「回避は、ボクがわざとさせているんです」

 勝ち誇ったようにシガはミリアを見た。

「逆に言うと、回避しかできないようにさせているんです。そうやって策を封じ込めて、最終的には逃げ場が無くなるように」

 少しあざ笑ってもいる。

「今回も、すべてお見通しです。せっかくの作戦が失敗して残念でしたね」

 

「え?」

 玲菜たちが驚いていると、伏せていた女衛兵たちがシガの合図で武器を持って立ち上がる。

 シガは朱音に向かって顎をしゃくり上げた。

「貴女がクリスティナ様を刺せないのは分かっていますよ」

 

 作戦は読まれていたのか。

 次の合図で女衛兵たちが周りを取り囲んでくると、とっさの判断でクリスティナが言い放った。

「おやめなさい!」

 今こそ真実を話す時ではないのか、と。

 

「現皇帝は偽者です! 軍師殿は騙されていますよ! 私の話を聞いて!」

 

 だが、シガは動じずに冷たい眼のまま。

「まさか」と言ったのはクリスティナの方だった。

「知っていたのですか? 貴方は偽者たちの仲間?」

「いいえ」

 彼は愉快そうに告げる。

「厳密に言うと天才だから気付いたわけであり、仲間ではない。ボクにとっては偽者でも本物でもどちらでも良いのです。才が発揮できれば」

 つまり、皇帝が偽者だと分かっていて向こうに味方している。

「ならば謀反者は貴方となりますよ」

 知っていて偽者に協力していれば当然そうなり、全く動じないシガを見てクリスティナは女衛兵に命令した。

「聞いていましたね、アナタたち。逮捕すべきは軍師の方。皇帝陛下は偽者だったのです!」

 

 しかし、女衛兵たちは動かず、代わりにシガが教えてきた。

「無駄ですよ。彼女たちは知っています。そもそも女衛兵が発足《ほっそく》したのは二年前ですからね。解るでしょう?」

 そうだ。今までは女の忍びが密かに警備していて、けれど皇帝が代わった後に彼女たちは辞めさせられて新しく女衛兵が作られた。

 オーラム司教(現・枢機卿《すうききょう》)が集めたという彼女らはもしかして……。

 悟った朱音が静かに訊ねた。

「女衛兵は皆、ウォルト……オーラム枢機卿の手の者と考えられますね」

 本人は用心深いらしく姿を現さない。

 

「さぁ! では、そろそろ」

 シガはニヤッと笑う。

「形勢逆転といきますか!」

 

 そう言った次の瞬間……

 

「すみません、レイナ様」

 玲菜は、近くに居た者にナイフを突きつけられる。

 

 それは、元メイドのクララであり。

 震える手で、ナイフを持っている。

「キャアア!」とミリアが叫び、朱音が駆け付けようした瞬間にシガが命令を出してきた。

「動かないでください!」

 笑いながら彼は言う。

「動くと、皇帝陛下の大事な恋人に傷が付きますよ」

 形勢逆転とは、つまりそういうことだ。

 

「人質になってもらいます、レイナ様。戦を終わらせるために」

 

 

「え……?」

 まさか自分が逆に人質になるとは、思わなく。

 いや、ならないようにとは気を付けていたが。

 こんな風にクララに裏切られるとは思わなくて、玲菜は放心した。

 

『戦を終わらせるために人質』というのは、自分らの作戦であったはずで。クリスティナも快く同意してくれた。

 もしも自分が人質になってしまったら……

 最悪の場合、奪還軍が降参して確かに戦は終わるだろう。

 そしてレオは捕まり、殺される。

 

(嫌だ!!

 放心している場合ではない、と玲菜はクララに訴えた。

「クララさん、やめてください! ナイフを下ろして!」

 一方、クララは目に涙を浮かべて震えている。

 怖いのだろうか。いや、ひょっとすると。

「クララさん、何か理由があってこんなことするんですか?」

 

「心に訴えても無意味ですよ。彼女は最初から、貴女たちをここに連れてくるように広場で待っていたんですから」

 偶然を装って、彼女は近付いてきたらしく。

 信じ込んでいたミリアはショックを受けた。

「そんな! 酷い!」

「大壁《だいへき》の検問で、くノ一の方の面が割れた時から、罠は実行に移されました」

 面白そうに言いながら、シガは女衛兵に指示を出す。

 女衛兵たちは玲菜を捕まえようと、じわじわと近付いてきた。

「クララさん!」

 訴える玲菜に、横から心理攻撃をしてくるシガ。

「彼女はアルバート皇子を恨んでいるのです。それより貴女は、自分の軍の軍師を恨んでください。無能な賢者を」

「ショーンさんは!! 無能なんかじゃ……」

 ミリアが反論しようとしたその時。

 

「やっぱり無理です!」

 クララは玲菜に突きつけていたナイフを落とす。

「え?」

 おかげで玲菜は動けるようになったが、舌打ちをしたシガが即座に女衛兵へ命令した。

「メイドはいいから女を捕まえろ!」

 

 ――しかし、そこは朱音の方が速く。

 すぐに玲菜を自分の後ろに隠して小太刀を構える。

 向かってきた女衛兵には義手を斬らせて、クリスティナ、ヘレン、ミリアも一緒に兵たちから離れた。

 だがドアの近くにはシガが居る上、なんだかよくわからずに部屋の隅で怯える侍女たちも放っておけない。

 案の定にシガは標的を変えてきた。

「くノ一さんは強そうだから、ボクなんか殺されてしまうだろうけど、殿下は自分の侍女を放って逃げるんですかね?」

 

 女衛兵の刃は、今度は侍女たちに向けられた。

 

「卑怯者!」

 青ざめて激怒するクリスティナを慌てて抑えるヘレン。

 そもそも、朱音一人で四人を守りながら逃げるというのは無理な話であり。クリスティナを人質にしたフリで行けば突破可能であるが、演技だとバレている時点でその方法は使えない。

 

「いや〜。役立たずが、怖気《おじけ》付いた時は焦りましたが、まだ手が残っていて良かった」

 泣いて座り込むクララを見下した後、得意円満な顔を見せるシガ。

「どうやらこちらの勝利のようですね」

 そう、彼が言った次の瞬間――

 

 

 目にも止まらぬ速さで、二人の黒装束姿の女性がシガの横に付き、小太刀を両側から同時に向けた。

 

「……え?」

 

 予測していなかった出来事で、呆然とするシガと、あっけに取られる女衛兵たち。

 いや、女の忍びと朱音以外は玲菜たちも皆呆然として、今の状況に目を疑う。

 静まり返った場に朱音の声が響いた。

「動かないでください!!

 

 それは、女衛兵たちに向けられた言葉であり、更に付け加える。

「勘違いした無能な軍師が死にますよ」

 

 

 恐らく、相当癇《かん》に障《さわ》ったのだろうか。

 ずっと余裕げな笑みを浮かべていたシガがギリッと歯ぎしりをして鋭い目つきに変わる。

「仲間が居たとはな」

 

(仲間!?

 まさか助っ人が居るなんて玲菜やミリアでさえも知らなかったが、黒装束姿の女性たちは明らかに朱音の仲間に違いなく、把握していない忍びなのかとその時は思う。

 朱音はシガを睨みつけながら告げた。

「そうですね。こうなることは予想済みであり、何しろシガ殿は冷酷で卑怯な手を平気で使うとタヤマ様が仰《おっしゃ》っていましたので」

「タヤマか……」

「軍師様は、とある方への密書を私に託しました」

『とある方』とは一体誰なのか、皆は疑問に思ったが。

「私は宮廷に潜入する前に、密書を忍び仲間に渡しておき」

 宮廷に潜入する前というのはまさか、玲菜たちを広場に残して「情報収集をしてくる」と行ってしまった時か。

「あとは無事にそのお方の手に届き、密かに助っ人を差し向けてくれることを願っただけです」

 

「助っ人を差し向ける? 元々の仲間では?」

 シガは考えた後、『とある方』とやらが誰なのか分かってハッとした。

「まさか……」

 後宮の警備忍び兵を二年前に辞めさせた以降、忍びの護衛を付けている皇族はごく僅かに限られていて、しかも自分たちの手の内以外となると人物は絞られる。

「ああ、あの方だとこちらは手が出せない。けれど、向こうも表立って邪魔はできないはず」

 悔しそうにするシガに、朱音は頷いた。

「そうですね。恐らく助けていただけるのは最初で最後。ショーン様もそれは分かっておりましたが、賭けに出たのです」

 

 聞いていた玲菜たちは、『とある方』も誰だか分からなかったが、とりあえずショーンが凄いらしくてミリアは喜んだ。

「ショーン様! 全部計算していたのよ! さすがだわ」

 

「さて」と、朱音はシガに命じた。

「本当は貴方を人質にしても無意味なのだけど、貴方は自分の身を犠牲にすることはできないでしょう? だから自分で命令してください。兵が外に出るよう」

 最初、シガは口を閉じていたが、大事な顔に刃が突きつけられると急いで命じる。

「お前たちは部屋から出ろ! いいと言うまで入ってくるな!」

 

 女衛兵たちは顔を見合わせながら部屋を出て行く。彼女たちが全員居なくなり、ドアの鍵を閉めるとシガは「これでいいか」と朱音に訊ねた。

「まだよ」

 次に彼を椅子に座らせて縛り上げる女忍びたち。

「今にここに軍勢が押し寄せる」と言うシガを無視して皆を集めた。

 

 朱音はまずクリスティナにひざまずき、頭を下げる。

「クリスティナ殿下。作戦のためとはいえ、殿下の御首《みぐし》に刃物を突きつけた事、深くお詫び申し上げます」

「いえ、いいのよ。すぐに分かりましたから」

 クリスティナは首を振り、頭を上げて立つよう彼女に促す。

 それよりも不安そうにヘレンが訊ねた。

「これから、どうなさるおつもりですか? 人質の軍師の言う通り、間も無く兵がやってきて囲まれると思います」

 確かに、今出て行った女衛兵が報告しに行ったことは間違いなく。人質交渉をされるのか、強行突入をされるのか。

「ええ。ですから急いで逃げましょう」

 朱音の言葉に、分かったとばかりに手を叩くクリスティナ。

「この部屋の隠し通路からですわね!」

 皇家の人間が、何かあった時に逃げるための隠し通路。

 当然クリスティナの部屋にも有り。しかし首を振る朱音。

「隠し通路は本来皇家しか知らないものですが、襲撃事件の時に押さえられていたので危険です。出口は今から待ち伏せされると思います」

「だったら早く逃げないと!」

 皆は慌てたが、朱音は「別の通路があります」と自分の脱いだ侍女風の服をクリスティナに持ってくる。

「少し狭いので服をお着替えください。今のお召し物だと通れない可能性があります」

「ええ、分かりました」

 クリスティナは奥へ行って侍女たちに手伝われながら服を着替え始めた。

 その間にシガの目隠しと口も布で塞ぐ。

 

 一方、座り込んでいたクララには玲菜が手を差し出した。

「クララさんも一緒に行きましょう。もし良かったら事情も聴きたいし」

「え?」

 驚いたのはクララだけでなく朱音もだ。

「レイナ様、甘いことを言っては困ります。この者は私たちを謀《はか》り……要するに、陛下を裏切ったのと同じ。裏切り者は本来処罰しますが、ここに置いていっても差支えないと思われます」

 クララはシガ側の仲間であったが、玲菜を人質にできなかったために何らかの処罰を受けるはず。つまり『赦《ゆる》すわけではなく、自分らが手を下す代わり』と朱音は言いたかったようだが。

「でもクララさんは、絶対やむ得ない理由があったんですよ! それに、最終的にはナイフを落としてくれたし!」

 お人よしともとれる玲菜の熱弁に押し負けてしまった。説得している暇も無くて。

「分かりました。しかし、今後私が疑いを持った時点で見捨てますのでご了承ください」

「え……え?」

 状況の掴めないクララに変わって玲菜は「ありがとうございます! 朱音さん」と礼を言う。

 

 近くで見ていた女忍びの一人が朱音に向かって訊ねた。

「アナタこそずいぶんと甘いじゃないの〜。一体何者なの? あのコ」

 ちなみに朱音よりも巨乳でやけに色っぽく、いかにも“お色気担当くノ一”といった見た目。実際はそうではなく、ただの忍びの護衛だとは思うのだが。

 彼女に朱音は説明した。

「紫蛇《しだ》様。あの方はレイナ様といって、アルバート様の……」

「婚約者でしょ?」

 横からもう一人の“しっかり者”風な女性が口を挿んだ。

「はい。その通りです、白炎《はくえん》様」

 

「シダとハクエン!」

 ちょうど着替え終わったクリスティナが、三人の会話を聞いてやってきた。

「聞いたことがあります。貴女方はもしかして、皇太后《こうたいごう》陛下の!?

「はい。然様《さよう》でございます、クリスティナ殿下」

 紫蛇《しだ》と白炎《はくえん》の二人はひざまずき、頭を下げる。

「では! ショーン軍師が、密書を送ったというのは」

 元皇后の皇太后だと分かり、聞こえた皆は仰天した。

 ミリアは玲菜の服を掴む。

「ショーン様、凄すぎない? ねぇ! ねぇ!」

 すかさずヘレンが提案を出す。

「皇太后陛下が味方となれば、怖いものはないですよ! 逃げなくとも普通に出られるのでは?」

 しかし、クリスティナは首を振った。

「いいえ。無理です。皇太后陛下は新皇帝が即位すると権限を返還しますから。身分はあれども、事《こと》に口出しはできません」

「そ、そうでした」と下を向くヘレン。

 皇帝の妻は、夫が亡くなると喪服で残りの人生を過ごし、身分は高いまま権限を失くす。たとえ宮廷内で問題が起きても関わらず、表には出てきてはいけないという暗黙の了解まである。

 ましてや賊の手助けなどもっての外《ほか》。

 賊ではなく、真の皇帝の臣下だったとしても、証拠がない現状では関わらない方が身のためであった。

「でも陛下は退屈してるから」

 巨乳の紫蛇がコソッと言った。

「アルバート皇帝陛下に法律を変えてほしいみたい」

 垂れ目に口元のほくろは絶妙な色気。

 ボソリと朱音は呟いた。

「そうだと思ってショーン様は密書を送ったのです」

 皇太后は偽皇帝や反乱組織の正体に気付いていて、きっと助っ人を出してくれるだろう、と。

「え! すごくな〜い? その人」

 紫蛇の口調は妙に軽いが、話している暇は無く、朱音は皆を隠し通路のある方へ誘導する。

 まずは隠し通路へ出て、そこから皇家すらも知らない秘密の抜け道へ行くらしい。

 

 兵が押し寄せる前に、女たち(侍女含む)は急いで隠し通路と繋がる入り口のある寝室の本棚へ向かった。

 

 その時、椅子に縛られているシガの声が聞こえた。

「クリスティナ様!」

 喋れぬよう口に布を巻いていたはずなのに、どうやって取ったのか。

 皆は慌てたが、彼は面白そうに忠告してきた。

「その者たちについていき、人質を演じて、どのように戦が終わるか考えてみてください」

 

「もう! なんなのよ!」

 紫蛇が今度は気絶させようと彼の許へ向かう。

 

「報告によると、反乱の賊首領はフェリクス殿に対して相当激怒しているとの事。果たして、貴女の夫は降伏しても赦《ゆる》されるでしょうか」

 聞いたクリスティナは心臓が止まりそうになった。

「お兄様はフェリクス様を?」

 もう戦いは始まっていて、夫がもしも異母兄の大事な部下の命を奪っていたら?

 異母兄は確かに夫を憎むかもしれない。

 裏切り者、と。

 

 震えるクリスティナを支えるヘレン。

 白炎は促した。

「紫蛇! 早くそいつを黙らすのよ」

 

 気絶させられる前に、シガは信じられない言葉を残した。

 

「あと、もう一つ教えましょうか。十二年前に亡くなったとされる、貴女の兄上は生きておられます」

 

「ちょっと待って!? 紫蛇!」

 とんでもない事実が飛び出して、白炎は止めたがすでに遅く。

 紫蛇の突きでシガは気絶した。


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