創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第五十話:シリウス]

 

「今……なんか、凄く気になることを言っていたわよね」

 自分で気絶させておきながら、気になる発言をしたシガを起こそうか悩む紫蛇《しだ》。

 クリスティナは下を向いた。

「私のお兄様が生きている……と」

 彼女には同じ母親の兄が居た。六歳年上で、ただ、十二年前に亡くなったとされていた。

 

「この野郎! なんてタイミングで言うのよ! 腹立つ〜」

 気絶したシガに怒る垂れ目巨乳に、あまり表情を変えない白炎《はくえん》が腕を組みながら近付く。

「侮《あなど》れないわね、この軍師。こういうの、全部心理作戦かしら? 興味深いわ」

「でも」と白炎は紫蛇に促《うなが》した。

「起こさなくていい。時間が無いから早く行きましょう。それと、殺すのも駄目」

「その通りです」

 朱音が同意して付け足した。

「間も無く兵がやってきます。急ぎましょう。シガ軍師を生かすのはショーン様の御意向。このまま放っておいても問題ないとの事です」

 いろいろと気になることがあっても、とりあえず逃げることが先決。

 一行は朱音の誘導の下、クリスティナの部屋内にある皇家専用隠し通路へ向かった。

 

 そして順番に部屋を出て、薄暗い通路に入るとまっすぐ進む。侍女たちは怖がったが騒がないようにしてクリスティナを案じる。

 途中まで行くと、朱音が「こちらです」と真っ暗な隙間に入る。そこは、人が通れるとも思えないような狭《せま》さであり。もちろん壁と平行に横歩きで進まねばならないが。侍女たちは皆、自分の体が挟《はさ》まって抜けなくならないか怯えた。

 もしも引っかかって出られなくなったらと思うと、細めの玲菜でさえ怖い。真っ暗なので進めるかも分からないし。

 汚れるのも服が破れるのも必至。

 しかし朱音が大丈夫だと言うので覚悟を決める。

 最後尾についた紫蛇や白炎は知っている路《みち》らしく平然としている。震える皆に紫蛇が言った。

「ダイジョウブよ〜。アタシのおっぱいだって引っかからないもの〜」

 恐らくGカップほどであり。……ならば平気か。

 玲菜は自分の胸を見て、安心を覚えると共に哀しい気持ちにもなった。隣に居たミリアも同じく下を向いてため息をついている。

 背は高いが、くノ一の中で比較的胸が無さそうな白炎も無言で遠い目をしていた。

 

 ともあれ、皆が意を決して暗闇の隙間を横一列になって進む。

 本当に狭くて真っ暗で、怖い者は隣の者と手を繋いで進んだ。ゆっくり一歩ずつ足を出すと、途中で蜘蛛《くも》の巣が引っかかったり何かを踏んづけたり、生き物が足元に触れたり……とにかく悲鳴が上がる。恐怖で泣き出してしまう者も。

 かくいう玲菜も「カサカサ」と大量の虫が這《は》う気配のある場所では気絶しそうになり。涙目で震えながら進む。

 ミリアは「レイナ居るよね? レイナ」としきりに名を呼んで手をギュッと握ってきた。騒ぐと忍びたちが皆を静まらせることも度々。

 

 

 やがて。

 あまりにも長く感じた暗闇の隙間は行き止まりになり、少し広い空間になって上から光が射す場所へ。

 まるで神の光。いや、希望の光……と、皆が喜んだのも束の間。

 朱音が壁を登り始めた。

 落ちるのではないかと皆は悲鳴を上げたが、脱出のために登っている様子。ただ、自分たちはとてもじゃないが壁なんて登れない。

 不安になっていると、上がり切った朱音がロープを下ろしてきた。

 つまり、ロープを使って登れという意味らしく。

 さすがに素手では登れないのは当たり前だが、ロープを使っても自信が無いのは(忍び以外)皆同じ。

 一人ずつ順番に困難が待ち受ける。

 

 なぜかクリスティナは「私にはできる!」と、根拠のない自信を持っていて、皆が心配する中、一番にロープを使って登ってみせた。

 途中、滑り落ちそうな時も何回かあり、その度に白炎が補助をしたのだが、無事に上へ到着して。

 おかげで、皇女に勇気を貰った皆は順番に登っていき、全員がなんとか到着する。

 光の先は地面であり、自分たちが上がってきたのは枯れた井戸だったらしく。周りには木々がある。

 皆、真っ黒に汚れて服も所々破けていて酷い姿になっていたが、無事に抜け出せたことに喜び合う。長い恐怖から解放された反動で笑ってしまう者も居たし、それよりもクリスティナに駆け寄った。

 皆の心配をよそに、本人は「楽しかった」と言う始末で、思ったよりも平気そうだ。

 

 玲菜は大丈夫そうなクリスティナにホッとした後、真っ黒なミリアと自分たちの姿を笑い合う。皆と離れた場所で一人座っているクララにも話しかけた。

「クララさんは大丈夫ですか?」

「ちょっとレイナ!」

 止めてくるミリアに「平気だ」と言って。

 

 顔を上げたクララは小さく「はい」と返事をした。

 玲菜は、彼女が壁を登るところも見ていて、皆と違うと気付いたことを言う。

「クララさん、ロープで壁登るのうまいですよね! スイスイ登っててびっくりしちゃいました」

「あ、私は……町育ちですので。小さい頃、壁を登って遊んだりしてたので」

 警戒していたはずのミリアは会話に入ってくる。

「わたしも! 壁登ったりはあったかな。っていうか、崖登ったり?」

「崖!?

 訊き返されて慌てて言い訳をする。

「ああ、えっとー。都会育ちなんだけど、崖は近くにあったから」

 もしや田舎育ちか。彼女にはやけに都会好きなところもあって逆に怪しいと思っていた。

 確かにミリアも壁はスイスイ登っていた様子。

 ミリアは誤魔化すように玲菜に回す。

「レイナはあんまうまくなかったわね〜」

「あ、うん」

 まさかの見栄張りがうっかり出る埼玉県民。

「私も都会育ちだから」

 実際玲菜の住んでいた所は、都会というとおこがましい気もするが、田舎ではなかった。

 ただ、この世界での玲菜のことを知っているミリアは首を捻《ひね》る。

「え? レイナって田舎出身でしょ? 都から離れた小さな集落だって言ってなかった?」

 一応そういう設定で、玲菜は慌てる。

「あ! うん。……そうかな。ごめん、見栄張っちゃった」

 ふざけて冗談を言った風にするとミリアも納得して。

「もう、レイナったら〜!」と笑う。

 ついでにコソッと侍女たちの方を見た。

「でもさすがにあの人たちは下手だったわね」

 確かに侍女たちは、腰が引けているというか登るのが下手な者が多くて、見ていてヒヤヒヤしたものだ。

 皇女の侍女である彼女たちは元々貴族家出身なので庶民の遊びなどはしたことがないのだろう。

 

 話しているとクララは俯《うつむ》く。段々と涙をこぼした。

「レイナ様、どうして私なんかに話しかけてくれるのですか? どうして、いつも……」

「え? えーと」

 そうだ。彼女には刃を向けられた。本来、こんな風に普通に話すなんておかしいのか。

「ナイフは怖かったですけど、落としてくれたし。クララさんにも訳があるのかな? って」

 

 話している途中だったが、朱音が皆に促した。

「皆様、行きましょう。安堵したのは分かりますが、じきに捜索隊が出てくると思われます。門が封鎖される前に都を出てしまいましょう」

 確かにそうだ。

 皆はハッとしてヘレンが訊ねた。

「ところでここってどこでしょうか?」

「ここは戦没者の墓地の近くです。都の北側ですね。このまま大壁北門に向かいます。後は帝都壁も北側出口の方へ」

 なるほど、と皆が納得いたところで紫蛇と白炎の二人が朱音の許へやってきた。

「私たちはもう戻らないと。一人で大丈夫? 朱音」

 白炎が訊くと朱音は頷いた。

「大丈夫です。待ち合わせしている馬車には護衛も居ますから。それに、黒竜が仲間を派遣してくれているので大回水路を渡った後に合流できると思います」

「それなら良かった。黒竜によろしく。あと、皇帝陛下にも」

 去って行こうとする二人に頭を下げる朱音。

「ありがとうございます、白炎様、紫蛇様。どうか、皇太后陛下にも礼を伝えていただきますよう、何卒《なにとぞ》お願いいたします」

 

 更に白炎には、ずっと黙っていたことを伝えなければならない。

「白炎様……」

 

「知っている。弟のことは」

 白炎は振り向かずにそう言った。

「どんな最期だったの?」

 

「白雷は陛下を……主《あるじ》を、身を挺《てい》して守った、立派な最期でした」

 

 朱音たちのやり取りが聞こえた玲菜はその名にハッとした。

(え? 白雷さんの?)

 白炎はまさか、白雷の姉なのだろうか。

 

「そう。良かった」

 それだけ伝えて、白炎と紫蛇は去っていった。

 素早く走り、すぐに見えなくなってしまう。

 

 見送っていた朱音は、彼女らが居なくなると、しまっていた苦無《くない》を取り出して見つめる。

 ふぅと息をつき、また袖へしまうと皆の方を向いた。

「では。まずはこの林を抜けます。実は抜けた辺りで馬車と待ち合わせていますので、そこまで歩きで」

 どうやら作戦はクリスティナを連れて宮廷を脱出した後のことも考えられていたようで、秘密の隙間道を使うことも想定されていたのだろう。護衛含むカルロスの馬車は今居る場所の近くで待ち合わせしているのだという。

 ただ、侍女をヘレン含む五人巻き込んでしまい、人数は想定外である。元々大きな馬車とはいえ、さすがにこの人数全員は乗れない。

 朱音は馬車をもう一両用意すると言い、少しの間林の中で隠れるよう頼んで去っていった。

 ここならば兵に見つかる心配も少ないので静かにすることだけ注意して。

 

 

 玲菜たちは待っている間、先ほどの話の続きをクララとすることにした。

 なぜ彼女は玲菜たちを罠に嵌める側の仲間になってしまったのか。

 ミリアも一緒に聴き、気になっていたことを質問する。

「アルバートさまを恨んでいたって?」

 そういえば、そんなようなことをシガが言っていたような。

 

「ただの逆恨みでございます」

 クララは俯き、悲しそうに語った。

 

 *

 

 実は自分の母親が赤風《あかかぜ》(肺砂病《はいさびょう》)であり、莫大な医療費がかかるという事。

 但し、皇子の専属使用人であった彼女は、特別に半額免除が成り立ち、なんとか自分の給料で支払えていたのだという。

 だが、急に使用人を辞めさせられて、免除も給料も無くなってしまった後、支払えずに借金ばかりが嵩《かさ》む。

 どんなに辛い仕事をしても薬代ですべて無くなり、借金は返せずに生活費すらままならない。

 おまけに借金の利子の返済で薬代も払えなくなると、母は医者に診てもらえなくなってしまった。

 

 *

 

「――途方に暮れて歩いていた私の前に現れたのがシガ軍師で。捕えずにまた宮廷で働かせてくれる、と。その代わり、レイナ様を後宮に連れてくるように、と」

 クララはナイフを渡されて、合図があったら玲菜に向けるようにと命令されたらしい。

『ただ向けるだけでいい』と。

 

 話を聞いた玲菜とミリアの二人は、彼女の不幸に同情したが。

「陛下が悪いのではございません。私が自暴自棄になって、恐ろしい陰謀に加担してしまったわけであり」

 自分の心の弱さが招いた結果だと嘆く彼女に、玲菜はきっぱりと言い放った。

「うん。レオ……じゃない、それはアルバートが悪いね!」

 

「ええええ!?

 驚く二人に理由を説明する。

「だって、アルバートが急にクララさんを辞めさせたからいけないんでしょう? 不当解雇だよ。訴えてもいいレベル!」

 更に玲菜は考えて付け加える。

「あとね、医療費高すぎはよくない! 保険とか無いのかな? クララさんはきっとシガ軍師に目を付けられていたんだと思うよ。借金の利子だって裏に何かあったのかも」

 もしかしたら彼女は、使用人を辞めて都に帰ってきた時から利用しようと狙われていたのかもしれないと仮説まで立てる。

「だってあんなに頭良いんだもん。凄く計画を立ててそう」

 仮説はさておき、畏《おそ》れ多くも皇帝陛下に対してなんてことを! と、怯えたクララは玲菜を止めた。

「いえ! 全部私の責任で、自業自得ですから」

 ミリアも口添えする。

「アルバートさまはホラ! クララさんの命が危ないと思って辞めさせたんでしょ? なのに『アルバートが悪い』なんて、いくらレイナでも……」

 確かに一理あるが、

「だったらさ、退職した後の就職斡旋《あっせん》とか面倒みてあげればいいのに。アルバートは皇帝だから、全然分かってないんだよ。急に仕事無くなったら困るっていうのがさ」

 新就職氷河期世代としては、玲菜的に許せない。

 クララは慌てて告げた。

「いえ、あの! 陛下に一切罪は無く。私はレイナ様に刃を向けてしまいました。どんな処罰だって受けます!」

「え? 処罰なんてそんな! 私は平気ですし。むしろナイフを落としてくれて嬉しかったっていうか」

 今度は、落とした時の心境について話すクララ。

「レイナ様は、アルバート様の恋人なのに、こんな私にいつも優しく話しかけてくださいます。私はそれが嬉しくて……」

 彼女は母のためにシガに従おうとしたが無理だった。ずっと見下されてきた自分を見下さずに、対等のように喋ってくれたのは玲菜だけだったから。

「そうだったんですか」

 訳を教えてもらった今、心配なのは今後の彼女の身と母親。玲菜は思いついて提案を出した。

「そうだ! クララさん、緑龍城に行って働いたらどうですか? アヤメさんなら絶対に雇ってくれるし優しいですよ」

「緑龍城ですか」

 顔を上げたクララは少しだけ嬉しそうに微笑んだが……

 

 

 ―――――

 

 結局クララは一緒にはついていかず、皆と離れて自分の家へ帰ることになった。

 病気の母を看病しなくてはならないし、借金も返さねばならない。

 ただ、もしかすると家を売って借金を返し、母と共に都を離れるかもしれないとの事。

 住む所は無くなってしまうが、なんとか緑龍城へ着ければいいと彼女は言う。

 それまで母はもたないかもしれないとも、さみしげな眼で告げた。

 

 

 一行は朱音の手配した馬車とカルロスの馬車、計二両で大壁北門に向かって走る。

 豪華馬車の方では玲菜、ミリア、クリスティナ、ヘレンで乗り、もう一つに残りの侍女四人が乗り、朱音は馬に乗って同行する。

 クリスティナは変装していたが、まだ宮廷の事件が通達される前らしく、門ではあまり調べられないで通過できた。

 帝都壁の出口でも同じく。

 

 無事に都を出ることに成功して、大回水路を過ぎると、居たのはなんと! マリーノエラと若い男(恐らく彼女の恋人)であり。

 てっきり朱音の仲間の忍びが居ると思っていたのでびっくりした。

 しかも朱音ですら驚いている事実。

 一先ず、侍女たちの乗っていた馬車には帰らせてから理由を聞いた。

 

 マリーノエラは妙に怒りながら話す。

「緑龍城でのんびり過ごしていたら、黒竜君だっけ? あのコから伝言を受けて」

 本来、忍びが派遣されるはずだったのに、なぜ彼女だったのか。

「レイナたちが都に居るから、迎えに行ってくれってね」

 次の言葉で解る。

「『自動車で』ですって! 軍師から」

 厚化粧のオバ……技師は、玲菜に詰め寄る。

「レイナ、父親によ〜く言っておきなさい! 私は奪還軍じゃないって! お金を払えばなんでもやると思っているようだけど、大きな間違いだからね! って」

 彼女は緑龍城に身を隠しているが、確かに奪還軍の一員ではない。ただ、お金を払えばある程度のことはやってくれるのでいつも軍師に利用……いや、依頼されてしまう。

 また、今回は彼女でなくてはならなかった。

 理由を玲菜が訊ねる。

「マリーノエラさん、自動車運転できたの?」

「一応ね。整備の時に教わって練習したから」

 ショーンは定期的に整備を彼女に頼んでいたらしく、教わったのはショーンからと見受けられる。

「でも長距離は初めてよ! もう疲れたのなんのって」

 

 運転できるマリーノエラが自動車で派遣されたのは恐らく理由がある。

 クリスティナを人質にした後、当然敵側もすぐに伝令を送るわけで、こちらの意図が先に鳳凰城塞に届いたらまずい。

 つまりクリスティナが人質を演じているのがバレたら交渉できなくなり。なんとしても向こうより早く戦場に着かなければならない。

 ショーンは御皇妹救出作戦が決まった後すぐに、緑龍城に居るマリーノエラにも依頼を通達した。

 順調に届けば玲菜たちよりも二、三日遅い出発となるが、車の速さならちょうどいい頃に都へ到着するだろう、と。

 

 そして、車で戻れば確実に向こうよりも早く帰れる。

 

 

 

 かくして、護衛付き馬車にはミリアと侍女四人が乗り、緑龍城へ。

 車にはマリーノエラ、マリーノエラの護衛兼恋人(イケメン)、玲菜、クリスティナ、ヘレンが乗って鳳凰城塞へそれぞれ向かうことになった。

 あとは、朱音は馬で車を追い鳳凰城塞へ向かう。さすがに車の速さにはついていけないが、充電時間などに距離を縮めてなんとか離れないようにするとの事。

 車では賊に襲われることもないし、いざとなったらマリーノエラの護衛(恋人)が居るのでなんとかなるだろう。彼は顔も良いが腕も中々良いらしいので頼りになる。

 

 都から少し離れた場所にて。隠してあった車に乗る玲菜たち。

 マリーノエラが疲れたというので玲菜が運転席に座り、好奇心旺盛なクリスティナが珍しい乗り物に興奮をして「どうしても」というので助手席に。一方、ヘレンは恐ろしがり震えながら後部座席へ。マリーノエラも恋人と一緒に後ろに乗り、道を教えるために地図を広げる。

 起動した音とCDの曲が鳴っただけでヘレンは悲鳴を上げたがなんとか出発。車内ではいちいちの悲鳴とクリスティナの興奮した歓声がしばらく止まなかったが段々と二人も慣れていき。――数日間、なるべく急いだ車での移動が続いた。

 

 

 *

 

 

 一方。

 再戦を開始して、三日目の昼。

 奪還軍は、攻めては後退を繰り返すじわじわした攻城戦略に不満を募らせる兵が続出していた。

 勢いが有った時も兵を引かせたし、包囲するわけでもない。

 緊張をずっと保っていられずに、精神的にも肉体的にも疲れる。元々職業兵士や騎士は少ないので、『待つ』戦略にも慣れない。

 兵たちのイライラは募り、最初から少なかった士気は底に落ちていた。

『人質作戦』は極一部しか知らず、ショーンは士気がここまで無くなってしまったことに嘆きながらもじっと耐えて、皆の怒りの矛先は自分に向くようにした。

 軍総隊長やレッドガルム等の信頼だけは失ってはいけない。

 

 ただ、レッドガルムに関してはまだしも、軍総隊長の信用にはさすがに響く。

 軍総隊長は軍師の言いなりで、単に顔がシリウスに似ているから総隊長になっただけだとか、実は魔術を使うのではないかとか。

 悪い噂が兵たちの間で囁かれ始めていた。

 

 

 当の本人は噂話など気にせず、しかし作戦を知らなかったので兵たち同様にイライラして、待機状態である今、軽食をとっている軍師に怒鳴り込む。

 

「ショーン!! 何をやっている!!

 

 軍師は何食わぬ顔で普通に返した。

「昼メシ食ってる。兵たちもちゃんと食べているだろ?」

「今が攻め時じゃないのかよ! のんびりメシ食っている場合じゃ……」

「大丈夫。きっと向こうも食ってるよ」

 呑気すぎてレオの怒りは爆発しそうだ。

「だったら、尚更攻め時じゃねーのかよ? 戦だぞ!? 馬上槍《やり》試合じゃねーんだぞ! こんなのんびりしてていいのかよ!」

「歴史上の軍師も、敵を焦《じ》らす作戦ってのは、やっていてな」

「はぁ? 誰なんだそいつは」

 眉をひそめるレオに、ショーンはニッと笑いながら言った。

「大昔の世界の話」

 

 恐らくそれは玲菜とショーンが暮らしていた世界のことであり。

 レオは納得した。

「じゃあ、今はその焦らす作戦なのか」

 

「ん? 違う」

 まさかの違う発言に激怒しそうになったレオを抑えるショーン。

「でも、まぁ、無意味にやっているわけではないから」

 真面目な顔になり、ついに次の作戦の話を出した。

「次はもう、総攻撃をする」

「え?」

「一気に内城壁まで攻めるから、準備と覚悟をしろ」

 

「分かった。皆を集めるか」

 ようやく突撃開始かと、意気込むレオにショーンは促した。

「但し、メシを食ってからな」

「俺は、今からだって……」

 戦中は緊張のためか不思議とあまり腹の減らない彼だったが、そこは軍師も譲らなかった。

「よく言うだろ? 腹が減っては、戦はできぬってな」

「あぁ?」

 初耳のような気もしたが、渋々頷いてレオは食事をとる。

 

 さすがに限界かと、ショーンはため息をついた。

 次、突撃をしなければ敵軍は向こうから攻めてくるだろう。バシルの裏切りがバレているので、下手すると緑龍城が奇襲されてしまう場合も。

 計算して分かっていたが、人質はまだ間に合わない。

(明後日か……早くて明日の夜)

 それまで現状を引き延ばすことは無理だ。

(メシ食って準備が整い次第、突撃開始か。そして、できれば夜に……)

 

 

 

 ―――――

 

 いよいよ昼下がりの頃。

 突撃する準備は整って、進撃を開始する奪還軍。

 例の如くレッドガルムが先陣を切り、第一陣が攻めていく。

 

 そして、全軍による総攻撃が始まった。

 ショーンの見込みだと城門突破は可能。城壁内での激戦が予想された。

 

 

 だが、城門突破を巡って砂上での交戦をしていた最中《さなか》――

 

 

「シリウスだ……」

 

「シリウスだ!!

 砦の一番奥に引っ込んでいると思われた皇帝率いる近衛隊が、まさか、前線にやってくる。

 彼らは城門を守るように並び、中央には皇帝自ら馬に乗って出ていた。

 

 白い軍馬に跨《またが》り、黒い短髪の男は、銀色の鎧を着けて象徴である青いマントをなびかせている。

 

「シリウスだ!」

 

 皇帝の登場は――味方に希望を、敵に絶望を与える。

 それはそのまま士気にも表れて、相手を勢いづけて、こちらを怯《ひる》ませた。

 

 

“奪われた”男は、二年ぶりの偽者《にせもの》との対峙《たいじ》に、刀を強く握りしめる。

「腰抜けが、俺の真似して現れやがったか」

 遠目なので顔までは見えないが、恐らくセイなのか。左目に眼帯をしているらしいので、ほぼ間違いないと思われる。

 目に傷を付けたのは紛れも無くレオであった。

 

 一方。

「近衛隊……」

 私情があり、怯む猛将軍の姿も。

 緑龍騎士団も同じく。

 蒼《そう》騎士聖剣部隊だった頃の仲間が近衛隊にたくさん居る。

 できれば剣を交えたくなかった。かつての友人を殺してしまうのだろうか。

 向こうはこちらを裏切り者と思っており、迷わず剣を振ってくるだろう。

 辛い戦いになるのは目に見えていた。

 

 そしてそれは、軍師にとっても心苦しい事態だった。

 こんなに早く近衛隊が出てきてしまうなんて。なんてことだ。

 幻覚作戦はバシルのためでもあったのに、無意味になってしまう。

 想定を全くしていなかったわけではないが、一番恐れていた事。

 

 皇帝の登場に混乱した兵や、いつもの力が発揮できなくなった緑龍騎士団から陣形が乱れていく。

 

 対して相手側はどんどん勢いを増してくる。

 全軍突入した奪還軍に有利だと思われていた砂上の戦いは、互角な攻防戦に変わった。

 ほぼ城門近くまで圧していたのに、段々と圧し返されてきた。

 

 うかつだ。

 士気は思ったよりもずっと少なくて、城門突破の計算が崩れていってしまう。

 いや、城門突破どころの騒ぎではない。

 逃げる兵も、思ったよりずっと多い。

 

 奪還軍は混乱に陥《おちい》り、もはや陣形どころではなくなった。

 この国の者にとって、シリウスの力はそこまで絶対的になっていた。

 守り神の名は伊達ではない。

 

 

 総攻撃をしているのはこちらなのに、次々と兵が倒れていく。元最強の精鋭部隊だった蒼騎士聖剣部隊を受け継ぐ近衛隊の戦力は半端なく、素人兵たちでは太刀打ちできない。互角に渡り合える頼みの綱である緑龍騎士団は翻弄《ほんろう》されてしまい、辛うじてレッドガルムたちが凌《しの》ぐ。

 

 こんなはずではなかった。

 

 こんなはずでは……。

 人質を待たずして、奪還軍は窮地《きゅうち》に陥ってしまった。

 

 兵たちは命令を出される前に勝手に退却をする。

 どんどん圧されて後退せざる得ない状況に皆、口々に嘆き出す。

 

「シリウスには敵わない」と。

 

 そして、逃げ腰になっている兵には容赦なく刃が突き刺さった。

 

(計算が甘かったか!)

 飛んでくる矢を馬で避けつつ、ショーンは散々たる味方軍の光景を見る。

 一振りすれば何人もの敵兵を斬り倒すバシルの剣に迷いがあって勢いが無い。

 同じように、緑龍騎士団の動きにキレが無い。

 レッドガルムは頑張っているが、三日間、攻撃と後退をずっと繰り返していたために疲れが溜まっているよう。

 砂族や砂狼団も同じく。

 他、各隊や団共々、歩兵や志願兵を中心に陣形が崩れてまともに戦えていない所が幾つか。

 必死に兵をまとめようとして討たれる隊長や、勝手に退却命令を出してしまう隊長まで居た。更には自分だけ逃げる者。

 

「終わりだ」

 誰かが口に出してほしくない言葉を呟く。

 しかしその言葉はあっという間に広がり、戦う気力を失くす者が増える。

「終わりなんだ、俺たちは」

 特に、戦に慣れていない者たちから。

「最初っから、無理だったんだよ」

 嘆く者、弱音を吐く者。……立ち止まってしまう者。

「敵う訳ない。正規軍に」

 呆然とたたずんでしまう者。

 

「やっぱ無理なんだよ。向こうには“勝利の皇帝”が居る」

 そう、怖気付いてしまった兵たちを見て、ショーンは言葉を失くした。

 何を言って激励すればいいか分からない。

 無理に奮《ふる》い立たせて死を近付けさせる権利が自分にはあるか。

 

 犠牲を少なくしたかった作戦で、果たして味方兵の犠牲は少なくなるのか。

 現実に見えているのは血塗れで倒れている味方兵ばかり。

 もしかすると、大きな間違いだったのでは……?

 

「シリウスには勝てねぇよ!」

 

 兵たちが、口々に嘆いたその時――

 

 

 

 

 皆の前に、青いマントの騎士が現れる。

 

 一瞬、神話の英雄・シリウスがそこに降臨したのかと錯覚する。

 

 だがそれは、皇帝に似ていると言われている軍総隊長であり。

 ただ、信じられないことを言い放った。

 

 

「我こそは!! 真の、アルバート・シリウス・スサノオ!!

 

 

 まさか、ここにきてそんな宣言があるとは思いもよらず。

 奪還軍のみならず、敵兵も静まり返る。

 

「正体を知って、寝返る者、戦いをやめる者、俺は咎《とが》めない!! 嘘だと思う者も!」

 

 レオは兜を取っていて、自分こそが本物であると皆に顔で証明する。

 似ているとかではなく、そこには皇帝本人である力強い眼差しがあった。

 

「だが、信じてついてくる者には勝利を約束する!!

 

 これこそが、シリウスがいつも戦場で言っている言葉。

 

「必ず偽者には敗北を味わわせる!」

 

 レオは刀を抜いて掲げた。

 

 

「我はシリウスの名を受け継ぐ者!! 勝利の皇帝・アルバートである!!

 

 

 その瞬間、大地が割れんばかりの喊声《かんせい》が奪還軍で起こった。

「うおおおおおおお!!」と叫び声が上がり、「本物だ!」とも。

「シリウス!」や「勝利の皇帝」と、次々に掛け声が上がって兵たちは興奮状態となった。

 

 唖然としたのは鳳凰城塞兵だ。

 

 何がどうして、シリウスが二人居るのかが理解できない。まさか、自分たちが信じてきていた皇帝が偽者……?

 そう考える暇は無く。

 

「奪還軍よ! 突撃せよ!!

 

 レオの命令で猛《たけ》り立った奪還軍兵たちは勢いよく突撃した。

 呆然としていた敵兵たちは何もできずに斬られて倒れる。

 味方軍は各隊長が即座に指示を出して、崩された陣形が元に戻った。

 

 鳳凰城塞軍は騒然として、とにかく混乱に陥る。

 一番動揺したのは近衛兵だった。

 

 なぜ、あんなに忠誠心の厚かったバシル将軍が裏切ったのかと疑問を感じずにいられなかったが、今聞こえた話が本当なら納得がいく。

 ただ、ほとんどの近衛兵たちは離れた場所に居た為に声は届かず、「一体前衛では何が?」と兵たちの様子のおかしさに首を捻る。しばらくして、前に出ていた近衛兵たちが血相を変えて戻ってきた。

 

 しかし……

 元蒼騎士聖剣部隊出身ではない近衛隊長が一蹴した。

「馬鹿者! まさか賊首領の妄言を信じたのではあるまいな。自軍兵を勢いつけるための嘘に決まっているだろう」

 皇帝は、自分たちの後ろに居るお方だ、と。

「シリウスの名を語るとは図々しいにも程がある。おまけに皇帝陛下を名乗るとは赦《ゆる》すまじ行為! 必ず我々が成敗してくれよう」

 この言葉は、鳳凰城塞軍の兵にも伝わり「嘘を語る不届き者共、奪還軍を殲滅《せんめつ》せよ」と命令が下る。

 

 一先ずそれで、兵たちは落ち着いて反撃を再開したが、中には向こうの言葉を信じて動揺してしまう者が少なからず居た。

 そして、近衛兵の中にも密かに動揺が広まり。特に、現場で宣言を聞いてしまった者たちは戦える精神状態ではなくなる。

 

 戦況は徐々に奪還軍優位になっていった。


NEXT ([第二部・第五十一話:一騎討ち]へ進む)
BACK ([第二部・第四十九話]へ戻る)

目次へ戻る
小説置き場へ

トップページへ
inserted by FC2 system