創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第二部・第五十一話:一騎討ち]
あり得ないほど士気の上がった奪還軍は勢いよく敵軍に突撃。形勢逆転の如く、次々に相手の陣形を崩していった。
「うちの大将がシリウスだったんだ! ってことはどうなる?」
「向こうのがニセモノってことだろ!」
戦いながら兵たちは確認し合う。
悪政をしていたのは偽者《にせもの》だった、と。
奪還軍の名前の真の意味も。
本物が、自分たちを苦しめた偽者から皇帝の座を奪い返すという意味ならばこのまま共に戦える。
彼は前に「国民の声が通る国にする」と約束してくれたのだから。
そう、考える暇は無く戦っていたが、兵たちが確信できるものがそこにあった。
勝利の守り神・シリウスが自分たちの味方ならば必ず勝てる、と。
根拠も何も無いのにそんな気にさせられる。
言うなれば偽者は悪者。自分たちは正義。
女神・アルテミスの加護を受けられるのは自分たちの方だ。
シリウスと名乗った男は兜も被らずに自ら先陣を切って敵軍に突っ込む。その姿は神話の英雄……いや、噂に聴くかつてのアルバート皇子と違わない。
なんて勇ましいのか。
おまけに強い。
本物かどうかの証明は十分だった。
喊声《かんせい》を上げた、たくさんの兵が敵軍に進撃する中、一旦離れて様子を見るレオに物凄い剣幕で駆け寄る男が居た。
「レオ〜〜〜!!」
馬に乗っていなかったら胸ぐらを掴む勢いだ。
「お前! 何てことを!!」
まさか、こんな時に正体をバラすなんて……作戦にも無いし想定もしていない。
息を切らすショーンに、レオは目をそらした。
「……つい」
「つい〜〜〜〜〜!?」
「いや、だって。敗けそうだっただろ? 兵たちが『シリウスには勝てねぇ』みたいに弱気になってるから」
言いながら兜を被ると、自分のマントを触る。
「フルドがこのマントを持ってきていたのを思い出してさ」
従騎士のフルドはいつでもレオがシリウスに戻れるよう、常に所持していたのだという。
そして、士気の低すぎる味方兵を見ている内に気付くとマントを羽織って宣言していた、と。
頭を押さえるショーン。
「戻れなくなるぞ」
「はあ!?」
信じない者も居たかもしれないが、ほとんどの兵は信じていたはずだ。
少なくとも今この場で味方兵には手応えがあった。もちろん戦に勝たなければならないが、これからは真実を告げながら偽者を打倒していこうと、覚悟をして宣言したレオは反論する。
「戻れる! もう嘘はつかねぇよ、俺は。戦に勝って国民にも知らしめる!」
そうだ。この戦に勝てばひょっとすると国民に広まって、正々堂々と連中と戦えるだろう。
皇帝として、サイ城から奴らを追い出せば奪還も完了する。
「俺は、シリウスに戻……」
「レオに!」
「え?」
本当の心の内をショーンは告げる。
「俺は、連中を倒した後もお前が名乗り出なければそれでいいと思っていた」
こんな戦の最中に言うことではないが。
「“レオ”のままで居たいのなら」
皇帝やシリウスだと宣言をしたらもう『レオ』に戻れなくなる。
だから、ずっと隠させていた。
選べる道を作るために。
「……ありがとう、オヤジ」
ショーンの真意が分かったレオはそう呟くと後ろに控えるバシルに話しかける。
「バシル! 迷うのは分かる。俺もそうだから」
後方の緑龍騎士団にも声を掛けた。
「それでも! 覚悟ができる奴はシリウスについてこい!!」
恐らく、一気に勝負をかけるようで。狙うは偽者の首か。
「ついて行きます! 陛下!」
もう聞かれてもいいと、団員たちは大声で返事した。
突撃する前にレオはショーンに告げる。
「俺は俺だ!!」
レオでも、シリウスでも、皇帝・アルバートでもある。
――そして、レオ率いる緑龍騎士団は側面からの突撃をした。
レオを先頭に、横には忍び兵の騎馬が並ぶ。斜め後ろにはフルドが。
敵は首領の首を狙えと大勢やってきたが、後ろに居たバシルが前に行く。
「お任せください! もう迷いませぬ!」
彼は大剣を振り回して敵を一気に斬り倒していった。
その猛攻は普段のバシルよりも激しいくらいで、一斉に周りを怯えさせる。みるみる内に相手兵の戦意を喪失させた。
レオと緑龍騎士団が勢いを殺すことなく近衛隊に向かっていくと、鳳凰城塞軍の方は慌ただしく防備を固めた。
「皇帝陛下をお守りするのだ!」
城門を守る兵を最低限残して、皇帝の守備に徹する。城の中に配備していた兵たちも出てきた。
弓兵たちは矢を構えて、充分に引きつけて撃つために狙いを定める。
だが、レオたちの勢いは一向に止まらず逆に増すばかり。
追いかけていたショーンは叫んだ。
「止まれ! レオ!!」
このままでは狙い撃ちされる。
まさか避けるつもりか。
「レオ!!」
次の瞬間、信じられない方向から爆弾が複数飛んできて――
見事に、敵弓隊に次々命中。
爆発音と共に強い衝撃を受けて、兵たちは爆風で吹っ飛ばされる。
場は一気に混乱。矢は撃てず仕舞いになり隙だらけの彼らは騎兵に蹴散らされた。
ショーンは爆弾が飛んできた方向を見る。その先に居たのは手榴弾《てりゅうだん》発射銃を持つダリアたち湖族であり、彼女らが発砲したのだと思われる。
作戦だと、湖族の戦士団は砦の死角に隠れて、機が来るまで待ってもらう約束だった。
きっと、レオたちが狙い撃ちされるのが分かってとっさに助けてしまったのだろう。
作戦とは違うがまぁ、助かった。それに、“あの爆弾”を使わなくて良かった。
いろいろと想定外なことが起こるけれど、とりあえずショーンは、レオに近付こうとまた馬を走らせる。だが、交戦する兵に阻《はば》まれて前に進めなくなってしまった。
一方、一直線に進んでいたレオたちは、狙い撃ちを回避することができて、勢いのまま近衛隊に突っ込んだ。
緑龍騎士団は覚悟を決めてかつての仲間に剣を向ける。
むしろ近衛隊の方がためらってしまっているよう。
特に、敵首領にはあまり近付けず。おかげで偽シリウスの顔が見える位置まで近付けたレオは確信する。
「やっぱお前かよ」
護衛に守られている黒髪の青マントの男は紛れもなく眼帯をしていて。
「セイ!!」
だが、“皇帝”の危機に、たくさんの騎兵が慌ててレオの前に立ち塞がり、同時にセイは守られながら後ろに下がる。
「逃げるな!! 俺を見ろ!」
向かってくる敵は忍びの護衛が代わりに戦い、レオはセイに向かって叫んだ。
「俺の首を獲りたければお前が向かってこい! 俺は隠れもせずに戦ってやる!!」
けしかけるように。
「お前、俺が憎いんだろう。知っているぞ! セイ……」
そこへ、
「親衛隊だーーーー!!」
誰かの声が響き、同時に軍隊の蹄《ひづめ》の音が近付いてくる。
大群の馬の駆け足音。
黒い軍服の騎兵団は皇帝を守るよう、近衛隊と緑龍騎士団の間に突入してきた。
隊長はもちろん、金髪の貴公子フェリクスであり。
「フェリクス……」
レオの脳裏に白雷の無残な光景が甦る。
「邪魔する気か。それとも、また俺の大事な部下を殺しにきたのか」
怒りに満ちた声が聞こえて、とっさにバシルがレオの前に出た。
「ここは、私にお任せください」
しかし。
「バシルどけ! 俺がやる」
レオは自分がフェリクスと戦うと彼に言い放つ。
「なりません! 陛下は下がって……」
「バシル!!」
軍総隊長の鋭い声が響いた。
「命令だ! 退《ど》け! バシリスク団長!!」
それは、忠誠の証と、主《あるじ》だけに教えた真の名前。
もう、自分はシリウス軍の将軍ではないことを思い出させる。
我が君への忠誠は決して崩さないと誓った。
「御意《ぎょい》のままに」
バシルは道を空けてレオの横に着く。
やがて、ついに緑龍騎士団と親衛隊が激突する中、レオはようやく声が届きそうな位置まで接近したフェリクスに言い放つ。
「フェリクス・ウィン・スザク! 俺と戦え!!」
皇帝陛下の言葉とは到底思えない言い方。
兵たちがどよめいても気にせずに切っ先を向ける。
「大事なもののために、俺の首を獲る覚悟をしろよ、フェリクス」
これは手合いではなく戦である。
レオの前に敵が立ち塞がるとバシルがなぎ倒して道を空ける。
そしてついに……
レオとフェリクスの差し向かいが叶った。
周りの兵はバシルや騎士団が引き受けて、忍びの兵が矢などに気を付ける。
二人が戦える場所は悠々とあった。
さしずめ、一騎討ちといったところか。
フェリクスにとっては敵の大将首を獲る好機。後方に居る皇帝を守るため、命を懸けて戦うのは当然であり。
周りが戦いを繰り広げる中、覚悟をして剣を構える。
ついにこの時が来てしまった。
もう後には引けない。
大切なもののために本気を出して主《あるじ》と戦わなければ。
きっと主《あるじ》は怒りが強いので油断してはならない。
そして……この手で討つ。ひょっとしたら自分が討たれる場合も。その時は妻だけが心配だが、もしも奪還軍が都を落としたら助けてもらえるはず。
両者に対しての心配や心苦しさがあったが、バシルは敵兵を近付かせないよう死力を尽くした。
本当なら今すぐにでもこの戦いをやめたいところだがそうもいかない。
どうして、こんなことに……!
もしかしたら皆だってそう思っているかもしれない。
「まだか!」
密かに聞いた、人質作戦が実行できるのはまだか。
それとも失敗に終わってしまったのか。
彼女たちが到着していれば黒竜が報せに来るはずで。しかし姿はまだ無い。
バシルの願い空しく、レオとフェリクスの戦いは始まってしまった。
二人とも、馬に乗ったまま剣を交える。
フェリクスの一振りの剣とレオの二刀で激しい攻防が始まる。
戦っていた周りの兵たちはいつしかその状況を見て止まり、圧倒された。
騎士団たちは敵も味方もつい、戦いの手を止めて自分たちの大将の一騎討ちに魅入ってしまう。
レオを一斉に攻撃しようとしていた兵も近付けなくなってゴクリと息を呑みこんだ。
二人ともなんて速い剣さばきか。
速さは互角に見える。
それに気迫もまるで相手を呑み込むよう。
普段フェリクスは冷静に素早い剣技を繰り出すが、今回は違う。今までに無い気迫と覚悟をした眼。甘さは無く、相手を確実に倒そうとしている。
一瞬でも気を抜けばすぐに斬られそうな剣を二刀で受けながら、レオは隙をついて刀を刺しにいく。しかし掠《かす》りはせども決定打が決まらずに、一度間を置くことにした。
少し離れて、フェリクスの本気の眼にレオはニッと笑う。
「初めて見たな、お前のそういう眼」
手合せは何度もやったが、いつも自分が寸差で勝っていた。……恐らくわざと。
「手合せでお前が俺に勝たせる度に、俺は悔しかったんだよ。負けた気がして」
余裕があったから寸差で負けるのだと、力の差を感じた。
「だから俺はいつか、本気のお前に勝ちたいと思っていたんだ」
フェリクスは答えずに、一気に間合いを詰める。
また激しい攻防戦が繰り広げられた。
先ほどよりも更に速さが上がった気がする。
ちょうどその時、戦いながら兵たちの合間をぬってやってきたショーンが場にたどり着き、二人の戦いを見て愕然とする。
「なにやってんだ」
戦わなくていいのに。むしろ、戦っては駄目なのに。
クリスティナという人質はフェリクスへ向けるためのもので、フェリクスが死んでは困る。
戦はもちろんのこと、クリスティナが深い悲しみに落ちてしまう。或いは、異母兄を恨むほどに。
「やめろ! レオ!!」
ショーンは戦っていても聞こえるような大声を上げた。
「この戦いは無意味だ!!」
だが、二人はやめるはずもなく、ショーンは見守っているバシルに問う。
「バシル殿! どうして止めない!? これでは作戦がすべて水の泡になる!」
辛そうに俯きつつ、バシルは質問で返した。
「人質はまだですか?」
「え?」
「もはや、自分には陛下を止める術《すべ》は無く。陛下は、白雷殿を失ってフェリクス殿を赦《ゆる》せなくなっているのです」
「分かっている!!」
ショーンは必死に訴えた。
「俺だってフェリクスを赦せなくなった。だからって殺しては駄目だ! クリスティナ殿下に、レオを憎ませるな!! それともレオが討たれてもいいのか!?」
ちょうどその時、大歓声が別の場所から沸き起こる。
一体何事かと、レオたちまで止まって一旦距離を置く。
それはどうやら、奪還軍兵のものらしく。
「ついに城門を突破した」と、どこからか聞こえてきた。
城門を打ち破った奪還軍は、次々に外郭《がいかく》へ突入している様子。今度は内壁門を破ろうとしている。
「レッドガルムか!」
ショーンはその功績を上げた者が誰だか分かってバシルと顔を見合わせた。
隊長同士の一騎討ちを見ていた騎馬兵たちは我に返り呆然とする。特に親衛隊は一体何が起きたのか把握するのに時間がかかる。
そして把握して、血相を変えた。
「罠だったのか!」
奪還軍の首領と緑龍騎士団が自分らを引きつけていたのは、仲間が城門突破をするためだったのか! と、勘違いした親衛隊は慌てふためく。
別に罠のつもりではなかったが。
よく見ると偽皇帝と近衛隊ももう居なくなっている。どうやら親衛隊と戦っている間に逃げ果《おお》せたらしく。
「どうしますか!?」
親衛隊の兵がフェリクスに話しかけた。
「今ならここに奪還軍の大将が居ます。討ち取ってしまえば我々の勝ちでは!?」
多分、奪還軍に必要不可欠であるレオなので、本来はその通りだが。
「いや」
フェリクスは考える。
「その間に砦が占拠されたらどうなる? それに、陛下はもしかすると主塔におられるかもしれない」
偽者だと分かっていながら『陛下』と呼ぶフェリクスにレオは正直イラついたが、些細《ささい》なことで怒っている場合ではないと考え直す。
フェリクスは「皇帝の命が最優先」とレオとの戦いをやめて退却していった。多分裏側から砦内に戻るのだろう。
単独での追撃は危険なので、特に追わずに緑龍騎士団は残る。
やむを得ないといっても、かつての仲間と戦った。
幸い、近衛隊とも親衛隊とも直接の斬り合いは少なく済んだが……
倒れた敵につい駆け寄りそうになった者も居た。
実際、近衛隊の中にも、斬った相手の名を呼んでしまった者も居た。
だから相手が退却してくれて実はホッとした。
……こんなことを考えている場合ではない。
レオたちと緑龍騎士団は外郭内で交戦しているかもしれないレッドガルムたちの隊に合流しようと自分たちも城門を目指した。
レオはフェリクスと決着がつけられなくて心残りがあるようだが、ショーンやバシルは胸を撫で下ろす。
人質の到着はどう計算してもまだ先であり、その前に鳳凰城塞を制圧できるかもしれない。
ただ、ショーンにはこの時を待っていた作戦があり。
朱《あか》くなった空を見上げる。
――今はもう夕刻で、日が暮れていく。
長い夜の戦いが始まろうとしていた。