創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第六十一話:叙任式]

 

「え? フルドさんが!?

 

 湖族の村の自宅に帰って、遅い晩飯を食べた三人は、本日の疲れを癒すために晩酌を共にしていた。といっても、玲菜はほとんど飲まずに話を聞く。すぐに空にしてしまうレオのコップに度々注いであげていた。

 注がれた酒をぐいっと飲んで、レオは返事をする。

「ああ。実家に帰るって言うから、明日急いで叙任式をやる」

 叙任式というのは正式な騎士になるための儀式。終わったら軽いパーティーもやる予定ではある。

「爵位も伯爵を与えるし。叙勲も」

 本来、皇帝からの叙任や爵位の授与は、盛大な式になっても良いくらいで、しかしサイ城も奪還できていない現状ではやや難しく、フルド自身も簡単にと望んでいたので小さめな叙任式となった。

「ホントにフルド君は控えめでいい子だよ」

 ショーンはため息をつき、酒を飲んだ。

「お前、フルド君が居なくなっても平気なのか?」

「平気だよ! 別にさみしくなんか……」

 感情の問題ではなく、ショーンが心配したのはレオのだらしなさ。他に従者は居るが、フルドほどレオを熟知している侍従《じじゅう》は居なかった。

「フルド君はそのうち帰ってくるかもしれないけど、もう身の回りの世話はしてもらえないんだぞ!」

「分かってるよ!」

 痛いところを突かれて、レオはムスッとしながらコップを置いた。

「っていうか、別に俺は自分でなんでもできる! 精々、甲冑《かっちゅう》を着ける時に手伝ってもらうくらい……」

 言っている途中で、玲菜やショーンの呆《あき》れた眼に気付く。

 つい顔を赤くして立ち上がった。

「なんだよ、その眼は!」

 

 ショーンはニッと笑い、からかうように言う。

「別に。ただ、これから頑張れよってだけだ」

 玲菜の方はもう少し具体的に心配があった。

「レオ、お風呂掃除の当番、ちゃんとやってね」

「え?」

「フルドさんとか、従者さんたちにやらせているところ、見たことあるんだけど」

 元々レオの番は少ないのにこの有様。

 同調したのはショーンだ。

「悪いと思って、結局俺が代わったこともあるぞ! 何回も!」

 慌ててレオは言い訳をした。

「ち、違う! やらせた訳じゃねーよ! あいつらが、『皇帝にこんなことさせられない』って、勝手に」

 まぁ、彼らの気持ちは解る。

 曲がりなりにもレオは皇帝であって、帝国で最も偉い人物にあたる。

 畏《おそ》れ多くも皇帝陛下が、一民家の風呂掃除なんてとんでもない事なのだろう、と。

 けれどショーンは、酒を一口飲んで言い放った。

「でもお前、俺にとっては息子だからな。当番はしっかりやってもらうぞ」

 玲菜も同じ気持ちで、レオが訴える目で自分を見てきても首を振る。

「今日、レオの当番だよ」

 

 

 偉大な皇帝陛下は、渋々と風呂掃除当番という刑に処される。

 

 

 

「なんで俺が!! 俺は、皇帝アルバートだぞ!! 英雄シリウスでもある!! くっそ!!

 へとへとに疲れていても文句を言う元気はあるらしい。拷問に近かった風呂掃除が終わったレオは、二階の自分の部屋に戻って、ブツブツと言いながらベッドに寝転がった。

 悔しいので一番風呂に入ってやったが、疲れは取れないし苛立ちも消えない。

 パンツ(トランクス風)一枚で首にタオルを巻き、ゴロゴロと転がって天井を見る。その姿は皇帝の「こ」の字の欠片も無かったが、誇りだけは無駄に高くてとにかく不満を募らせる。

 本当は、イライラする理由に、十三年も自分に仕えてくれた従者が居なくなる寂しさもあったのだが、そのことは考えないようにして息をつく。

 

 しばらくボーッと寝て、可愛い飼い猫を抱こうと、名前を呼んだ。

「ウヅキー!」

 呼べば大抵来てくれる。但し、寝ていない時に限る。今は夜中なので多分寝ていないだろうが、来る様子が無いのでふてくされた。

「またオヤジの所か」

 念の為にもう一度呼んでみようか。

「ウヅキーー!!

 

「ウヅキが良かった?」

 なんと、開いているドアから顔を覗かせたのは玲菜であり、彼女も風呂上りで二階に上ってきた様子。

「ウヅキはね、ショーンと一緒に寝ているよ」

 タオルを頭に掛けた寝間着姿はなんて魅惑的か。

「ショーンは疲れちゃったんだね、爆睡してるし。レオも疲れているのにお風呂掃除ありがとう」

 もう「おやすみ」と言って自部屋に戻りかねない彼女を急いで引き止めた。

「待て! 玲菜!」

「え?」

「よ、よくもお前、俺に風呂掃除を押し付けたな」

「押し付けたんじゃなくて、レオの当番なんだから! これからもちゃんとやってくれないと困る」

 玲菜が正論を話していると、レオは起き上がって彼女に近付き、部屋に引き入れた。

「ウヅキじゃなくて、お前がいい」

「ちょっ、ちょっと!」

 隣の部屋ではショーンが寝ているので、まさか、見つかる危険極まりないのは分かっているはず。

 前に夜這《よば》い(?)が見つかって怒られたこともあるし。

 レオはちゃんと分かっているはずと、玲菜は思っていたが、彼は湯上りの彼女を見て妙な興奮を覚えていた。

 対して玲菜はパンツ一枚のレオの姿に恥ずかしくて目線をそらしつつ、彼を気遣った。

「今日はずっと会議で疲れたでしょ? もう寝た方がいいよ。明日も叙任式だし」

 レオはドアを閉めて小声で話した。

「眠れない」

「え? 明日が心配で?」

 

 こくりと頷《うなず》くレオを見て、玲菜は可愛さで胸がしめつけられた。

(レオ、明日のこと緊張しているんだ? そりゃそうだよね、フルドさんはかけがえのない人だし)

 大事な部下への式で、珍しくも眠れなくなってしまっていると解釈すると助けたくなる。

「そんな、眠れないなら一緒に寝てあげようか?」

 言葉は半分冗談で、気遣った玲菜は、言った後にレオがニヤッと笑ったことに気付く。その時はもう手遅れで、次の瞬間にはベッドに押し倒されていた。

「レッ……!」

 彼の名を呼ぶ前に口を手で塞がれる。

「オヤジが起きたら困る」

 レオはゆっくりと手を離して、代わりに唇を触れさせた。

 

 

 息が苦しくなるくらい長く口づけをした後は、唇を離してそっと訊ねる。

「一緒に寝てくれると言ったな?」

 言ったけれども、可愛いと思ってしまった心を返せと言いたい玲菜。

「眠れないなんて、演技だったんだ?」

 小声で怒ると、レオは首を振る。

「演技じゃねーよ。本当に眠れなくなったから。……お前のせいで」

「私?」

「お前が、寝間着姿で俺の部屋に来ただろ」

 来たというか、自分の部屋に行こうとして階段を上がったら、レオによるウヅキを呼ぶ声が聞こえたために、つい。――と、言う間も無く、もう一度キスをされて玲菜は目をつむった。

 

 久しぶりな感じで心地好くて。

 

 緑龍城に帰還して、家に帰って数日過ごしても、町の再建やら会議やらレオは忙しすぎてほとんど家に居なかったし、精々寝るくらいでまた出て行く。

 玲菜も一緒についていったり、別の場所の手伝いに行ったり。

 少しのんびりできたとしても、ショーンも居るし。要するに何もできなかった。

 今日は初めて時間ができて、バレンタインチョコのケーキを作ってみたものの、重大な報告が入ってそれどころではなくなった。

(なんか、本当に久しぶり)

 唇を離したレオが抱きしめてきたので、玲菜は背中に腕を回した。

 少しだけ重く、けれど苦しいほどではなくて、気持ちいい。

(どうしよう……)

 玲菜はギュッと腕の力を強くした。

(拒みたくない)

 このまま流されて、彼と幸せな時を過ごしたい。

 隣の部屋には父が寝ているのに、我慢したくない。

 

 思えば、本当にずっと我慢している気もする。

 緑龍城に帰還する前は、彼が高熱を出した。その前は戦で離ればなれ。途中、野営地で一緒に寝たことがあって、それはそれで幸せだったが、あまり仲良くはできなかった。

 戦の前はちょっとした喧嘩もしたし。

(結構、すれ違ってる)

 いろいろと思い出していって、うっかり泣いてしまう玲菜。

 

 彼女の涙に気付いたレオは少し体を離させた。

「え? お前泣いているのか?」

「ごめん」

 急いで涙を拭った玲菜は、彼の頬に手を触れさせる。

「レオ、今日のケーキには私の気持ちが込められていたの」

 一応、バレンタインチョコのつもりだった。

「もう一度言うね。私、レオが……」

 

「好きだ。……玲菜」

 

 玲菜が言う前に、レオは告げた。

 気持ちを抑え切れなくて。

「玲菜、やっぱ無理だ。一緒に寝よう」

 本当は、なんとか我慢しようとしたけれど無理だった。

「うん」

 それは、玲菜も同じ。

 バレてもいいから今夜は一緒に寝たい。

「違うぞ、玲菜」

 レオは顔を赤くしてしどろもどろに言った。

「お、お前は、ただ寝るだけだと思っているかもしれないけどな」

「分かっているよ」

 玲菜は少し起き上がり、足元の掛布団を引っ張る。

「ん?」

 踏んでいたレオが戸惑いながら布団から足を退かすと、彼女は自分たちに布団を掛けた。

「頑張って、声出さないようにするから」

 言った後に、口をしっかりと閉じて両手で押さえる様は興奮せざるを得ない。

 せっかく押さえていた手をレオはゆっくりと外させた。

「キスだけはさせろ」

 

 彼の優しい口づけに、言ったばかりでつい声を漏らす玲菜。レオは一旦離して二人で静かに笑う。

 ただその後は、静かながらも激しくキスをして、手を体に触れさせてくる。

 玲菜は声を我慢するのに目をギュッと閉じて彼の腕を掴《つか》んだ。

 

 堪《こら》えていても、少しの声や息は漏れるわけであって、体はどんどん熱くなる。

 彼は最初から服を脱いでいたので、いつもより素早く玲菜の服を脱がす。

 玲菜も自分からキスをして、彼を引き寄せて首筋にも唇を触れさせた。

 

 その、二人とも高揚していた矢先に、異変が起きた。

 

「いっ……!!

 

 突然、レオが背中を押さえて横に寝転がる。

 

「え!?

 唖然《あぜん》としたが、玲菜はまさか自分のせいかと慌てた。

「ごめん、痛かった? 私、背中を強く押さえ過ぎたかな?」

「ちがっ……!!

 レオは苦しそうに背中を押さえて、元々出ていた汗は滝のように流れた。

「どうしたの!? レオ!」

 恐らく背中が痛いのだろうと、覗き込んだ玲菜は愕然《がくぜん》とした。

 

 黒いアザと化していた背中の刻印がまた、腫れ上がっていたから。しかも、じわじわと侵食するように広がっていく。

 

 思わず玲菜は叫び声を上げた。

 

 

 その悲鳴で飛び起きた隣の部屋の父は、急いでやってきて、まず上半身下着姿の娘に動揺しそうになったが、それよりもレオの許《もと》へ駆け寄る。

 背中を見て青い顔をした。

「ちょっと待て、なんだこれ!?

 見た目は火傷の痕《あと》に似ていたので、玲菜にはタオルを濡らして持ってくるように指示する。

 

 しかし……

 娘が泣きながら階段を下りて行った頃には、刻印の侵食が止まり、腫れあがっていた痕もみるみると黒いアザに戻っていった。

「え?」

 同時に、苦しそうにしていたレオの息も落ち着いていく。

 ついに、何事も無かったように元に戻ってしまった。

 

 ただ、蜘蛛《くも》の巣のようなアザは明らかに大きくなった様子。前は背中の中心部だったのに、背中全体に行きわたり、肩や腰にも達してしまった。

 

「ああ」

 激痛が治まったレオは呼吸を整えながら仰向けになる。目をつむり、腕で汗を拭いた。

 やがて目を開けて、「痛みが消えた」と周りを見回した。

「なんだったんだよ、今の」

 ちょうど濡れタオルを持ってきた玲菜は、「大丈夫!?」と彼をうつ伏せにさせた。

「あれ? 腫れが……」

 タオルを当てようにも、腫れが引いていて混乱する。

「なんか、もう平気みてぇ」

 レオは起き上がり、濡れタオルを受け取って汗を拭いた。

「えぐられるみたいに痛かったんだけど、変だな」

「私が見た時も、背中が腫れていたよ。でももう元に戻ってる」

 不可解すぎて、呆然《ぼうぜん》とする二人に、ショーンは話しかけた。

「とりあえず、治まったなら、しばらくは平気だろうな」

「今のが何か、知っているの?」

 顔を上げる娘には、一応注意する。

「とりあえず、寝間着をちゃんと着て」

「あ!!

 下着姿だった上半身に、脱いだ寝間着を慌てて着る玲菜を見た後は、レオにも。

「レオも風邪引くから、パンツ以外にも何か着ろよ」

「うわぁああ!!

 動揺して言い訳しようとする二人に手を向ける。

「俺は! これ以上は何も訊かないから安心しろ! 怒ったりもしないし!」

 

 二人が寝間着をきちんと着て、かしこまってベッドに座ると、ショーンは改めて話した。

「恐らく今のは、レオの背中の刻印に原因があると思う」

 それは分かるが、なぜ急に痛み出したのか、広がってしまったのか疑問だ。

 元々シリウスの剣の闇の力(?)を使ってしまったが為に刻まれたと思われる印だが、呪いだとでもいうのだろうか。

「今の症状に似た事は、俺が長年調べている前々世界の文献にも載っていたんだ。今からもう一度調べ直すよ」

「前々世界の文献?」

 首を傾《かし》げる二人に、「ああ、そうだ」と頷いた。

「多分だけど、エドも知っているだろうし、だからフルド君の叙任式が終わったらシドゥリの家のある森へ行こうか」

 

 不安そうな娘の肩を優しく叩く。

「大丈夫だから、心配しなくていい。今日はもう寝なさい」

 玲菜が「うん」と頷くと苦笑いして一言付け足す。

「レオが心配なら、一緒に寝てもいいし」

 正直、流れが夜這い未遂の時に似ていて、微妙な気分になるレオ。

 けれど、心配だった玲菜は素直に頷く。

「うん! そうする!」

 

 かくして、ショーンは部屋に戻って調べ物を始めて、レオと玲菜は一緒に眠ることにした。

 同じベッドで、布団を被って横になる。ただ、以前と同じく、何もできずにモヤモヤした気分になっていたのはレオだけで、玲菜は先ほどの不安が渦巻いて眠れるわけもない。

「レオ……」

 そっと背中に触れて、痛くないかを訊ねて、優しく腕を回した。

 体はぴったりとくっつける。

「レオ」

 伝えたい言葉は心の中で呟いた。

(何があっても、私が守るよ)

 守るというか、守りたい。これからも離れずに支えていきたい。

(レオ……)

 言葉に出来ない不安は拭えなかったが、玲菜はレオを守ることを心に誓った。

 

 

 

 ―――――

 

 翌日。

 緑龍城にて、フルドの騎士の叙任式がひっそりと行われた。

 前日から準備をしていた彼は、立派な服を着て緑龍城の聖堂で待っていて、祭壇で祈りを捧げる。やがて司祭による典礼《ミサ》が始まり、祭壇に置かれた鎧や拍車を受け取り、まるで旧世界の欧風の騎士と同じような儀式が厳《おごそ》かに進んでいった。

 幹部や彼の関係者が立ち会って見守る中、騎士としての正装をしたフルドの前に、主《あるじ》であるレオが立つ。

 レオもまた、鎧に青いマントというシリウスの正装をしていて、彼に渡す剣を掲げる。そして、ひざまずいたフルドの肩の上に乗せた。

 ステンドグラスから陽が射す中、レオの宣言があって、彼は正式に騎士の称号を得た。更には主に改めて忠誠を誓い、伯爵の爵位まで授かる。

 

 叙勲等、一通りが終わると、フルドは皆に祝福されて、夜には広間で饗宴《きょうえん》が催された。

 

 

 立派な甲冑姿のフルドに、玲菜は見惚れて感激してしまった。

 見惚れていたのは玲菜だけでなく、女性たちがゴクリと息を呑む。

 今までレオの陰に隠れていて気付かなかったが、よく見れば彼は美男子の部類に入るのではないだろうか。しかも、伯爵……いずれは宮中伯爵の身分が約束されていて、恐ろしいほど出世する人物。おまけに皇帝の側近。

 元々家柄の良い出身であるし、目をつけておいて損ではない。

 計算高い女たちは目の色を変えて、使用人の女性たちも憧れの目で見る。

 特に注目していたのはクリスティナの侍女たち。

 彼女らも家柄は良いので身分は十分に釣り合うし、親から変な男を婚約者に決められるよりは自分で選びたい気持ちはある。

 

 パーティーが始まると、すぐにフルドは囲まれて、下心のある女たちによる争奪戦が始まった。

 今まで、パーティー的な催し物があると、必ず自分が一番にモテていたレオは唖然とする。確かに、今夜の主役はフルドであるが、いつも自分の従者として付き添っていただけの彼なのに。

 そういえば、立ち振る舞いも立派な貴族そのものだ。むしろ自分よりも上品……

(いやいやいやいや)

 レオは首を振る。

(フルドだぞ? 俺の後をいつもくっついて歩いていた)

 しかし彼は、たまに里帰りもしていて、その時は侯爵の息子としてパーティー等にも出席していただろうと予想もつく。カルロスとも、そういう場で知り合いだったのだと。

 そうだ。彼は元々高貴な生まれ。

 引き換え、自分は下町で生まれて育った。

(今までが不自然だったのか)

 作法も何も知らなかった自分を、彼はよく助けてくれた。

 本来、血筋が良いのは向こうの方であり、自分はたまたま父親が皇帝だっただけ。

(それなのに、よくもまぁ、俺の子分になったよな)

 

 感慨深くなっていると、隣に居た玲菜が顔を覗き込んだ。

「どうしたの?」

 今日の彼女は、またアヤメからドレスを借りたらしいが、薄い水色のドレスで、清楚な雰囲気がある。もちろん似合っていて可愛い。

「うん」

 見惚れつつ、レオは訊ねた。

「今日はどうしてその色のドレスにした?」

 いつもピンク系なので、なんとなく不思議な気もする。

 玲菜は恥ずかしそうに答えた。

「水色って、なんとなくシンデレラっぽくて」

「シン?」

「なんでもない。いつもピンクばっかりだから、今日は変えたの!」

「へぇ」

 可愛いとか、似合っているとか、素直な気持ちが言葉として出ないレオは照れながら見つめる。

 一方、玲菜はレオの格好に懐かしさを覚えていた。

「レオ、いつもの青マントだね」

「ああ、今日はシリウスの正装だからな」

 久しぶりにシリウスの正装をした。

 きっと二年……いや、それ以上ぶりかもしれない。

 奪還するまでは着ないと思っていたのに。

「やっぱりシリウスの格好は似合うね!」

「だろ?」

 レオは玲菜の手を掴み、ひざまずいた。

「え?」

 周りに人が居るのに、戸惑う玲菜をお構いなしに、手の甲にキスをする。まっすぐに彼女を見つめて言った。

「私と一曲、お願いできますか」

 

 多分、オリキャラ≠フシリウスが乗り移ったんだと、玲菜は思った。

「あっ……」

 言われ慣れていない言葉と行動に、気が動転してしまう。

「あの……」

 だって、なんて返事をすればいいのか分からない。

(これってダンスの申し込み? え?)

 そもそも踊れないし。

 けれど、そういえば生演奏の音楽が流れていて踊っているカップルが結構居る。というか、今までのお城のパーティーでも光景は見ていたが、自分には関係ないように感じていた。

 実際にレオと踊ったことも無いし。

 

 玲菜がつい止まってしまっていると、レオが恥ずかしそうに顔を赤くした。

「お前、俺の立場が無いから何か言えよ」

 

「わ! ごめん!!

 

 ずっと見つめていたのに限界が来たらしく、彼はいつも通りにそっぽを向いた。

「こんなことやったの、初めてだったんだぞ」

 つまり、彼なりに玲菜のために『シリウス』を気取ったらしく。

 それなのに無反応でつらい。

「っていうか、お前いっつもそうだよな? 俺の渾身《こんしん》のキメをことごとく不発にすんだろ」

「え? え?」

 相変わらず気付いていない玲菜に耐えかねて、レオは立ち上がって彼女を引っ張り、踊る場の中心地へ連れて行った。

 腰をぐいっと引き寄せて手を握る。

 しかし、当の玲菜は緊張した面持ちで声を震わせる。

「む、無理……!」

 憧れではあるけれど、ステップすら分からない。

 次の曲から踊ろうとしたレオは、仕方なしにまた引っ張ってその場から離れていった。

 

「ここならいいだろ?」

 たどり着いた先はバルコニーであり。

 むしろ、玲菜が最も憧れていた場所。

 月に照らされて、満天の星の下。微かに音楽は聞こえて涼しい風が吹き抜ける。

 そして……二人きり。

(夢みたい)

 玲菜があまりのロマンチックさにポーッとしていると、レオは踊らずに抱きしめてきた。

 耳元でポツリと囁く。

「悪い、ホントは俺、踊れないから逃げた」

「えぇ!?

 顔を上げると、お得意のそっぽ。恥ずかしそうに呟く。

「いや、全然じゃねーよ? すげー習ったから基本は分かる」

 ああ、言い訳か。

「でも嫌いなんだよ。だからいつも参加しなくて、気付いたら忘れてたっていうか」

 それでレオは余計にダンスの時は抜けていた。

「前に教えるって言ったけど、教えられなくて悪かったな」

 

 唖然とした玲菜は、先ほどのことを突っ込んでしまった。

「じゃあなんで、さっきはダンスの所の真ん中に行ったの?」

 彼は間を空けて、ボソリと言った。

「……勢いで」

 勢いか。

「ガッカリしたか?」

 気まずそうに訊くレオに、玲菜は意地悪そうに頷いた。

「せっかくシリウスと憧れのダンスができると思ったのに」

「俺だってシリウスみたいに紳士らしくしたかったけどな、でもお前もどうせ踊れないんだろ?」

「うん。でも、夢だったの!」

 玲菜の子供の頃からの夢。

「お城のパーティーで、王子様とダンスして、バルコニーでキスするっていうのが……」

 続きは言えなかった。

 皇子ならぬ皇帝様が、夢を叶えるように口づけをしてきたから。

 湖には月が沈み、静かに揺らめく。

 二人は昨夜の不安もしばし忘れて、幸せなひとときを過ごした。

 

 

 

 その、パーティーの帰り道。

 本来ならあの良い雰囲気のまま城の部屋に泊まりたかったが、残念ながらそうもいかずにショーンと三人で家に向かっていた頃。

 

 一人の青年がこちらに駆け寄ってきた。

 それは……栗色の髪のフルドであって、なぜ来たのか三人ともびっくりしてしまった。

 特にレオは驚き、突っ込んでしまう。

「フルド! お前、何やってんだ? 今頃、女たち数人と楽しくやってんのかと思ったのに」

「ななな、何、仰《おっしゃ》るんですか!! そんなことはしないです」

 彼はいつも通りの調子で否定して、改まった。

「どうか陛下を送らせていただきたく、やってまいりました。もしも邪魔でしたら去りますので」

「え? フルド君」

 ショーンは言い直した。

「いや、フルド殿。そんな、もう君は付き人ではないんだから」

「いいえ。騎士として、主《あるじ》を護衛したいだけですので、よろしければ」

 

「ああ、好きにしろ」

 本当は嬉しいはずなのに、態度に出さないレオ。

 けれど、フルドはそのことも分かっていたので、落ち込んだりせずに黙ってついてくる。

 今までずっと仕えてきたのに、突然一人前となって、明日からは離れることを不思議に思いつつ歩いた。

 もう、戻ってきても身の回りの世話をすることは無い。

 せめて、護衛くらいはできるので、ついてきたのだ。

 

 でも、今更話すことなんか無い。

 

 ずっと無言で歩き、玲菜やショーンも気を遣って喋らないでいた。

 

 

 やがて……

 家に着くと、彼はいつも通りに「お休みなさいませ」と挨拶をした。ただ、「明日の朝にまた迎えにきます」の言葉は無く。去らずに、レオたちが家に入るのをじっと待つ。

 あまりの切なさに堪《たま》らず駆け寄ったのは玲菜だ。

「フルドさん!!

 レオが何も言わないから、お節介と思いつつ来てしまった。

「うちにも今度、遊びに来てください!」

 送り迎えとしてではなく、友人として。

「私たち、待っているから」

 駄目だ。なんだか泣きそうだ。

「難しいかもしれないけど、なるべく早く来てくださいね!」

 

 彼は優しく微笑み、返事をした。

「はい。お招きありがとうございます。楽しみにして戻ってきますから」

「フルド殿、その時は風呂に入っていくか? レオが掃除するからさ」

 さすがにショーンの冗談には、青ざめて「遠慮します」と断る。

 

 最後に、家に入ろうとしていたレオが彼の方は向かずに言った。

「酒用意しといてやる。俺の好みのやつだけど、いいよな?」

 

「は、はい! もちろんです」

 返事をした後も、フルドは皆が家に入るまで見送り続けていた。

 そして彼は、明日には故郷へ帰るのだった。


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