創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第六十六話:未来の記憶を持つ娘]

 

 彼女は『夜の姿』と言った。

 

 確かに、赤い髪の巨乳美女のタチアーナとは夜にしか会わなかった。

 

 アルテミスの姉は本名を『タチアーナ』であると言った。

 彼女はアルテミスの前に預言者・シドゥリと呼ばれていた。

 

 そして彼女は、自身を『女神・イナンナの生まれ変わりである』と。

 ――ただ、なぜか複数形ではあった。

 

 

 つい数分前まで金色に近い直毛の淑女《しゅくじょ》だった人物は、波打った赤い髪の女性になりローブを脱いだ。

 これ見よがしにちらつかせるのは誘惑的な巨乳であり、間違いないとレオは確信する。

「どういうことだ」

 けれど納得がいかない。

 今、見たままの解釈を彼女に訊ねた。

 

「変身したのか?」

 

 たとえばおとぎ話であるような何か。

 

 そういえば、彼女に言われた通り、自分は見たことがあると思い出した。

 グリーン町でタチアーナを見かけた時、暗くなる直前と直後で彼女の見た目が違ったように見えた。あの時は目の錯覚だと思ったが。

「え? 夜になると変身するってやつか?」

 普通ならバカバカしいような言葉。全く信じられないし、目の前で見ても目を疑う。レオは自分が混乱しているのが分かった。

「何者なんだよ、お前」

 

 

「ショーンさんには話したけど、私はイナンナの生まれ変わりなの」

 

「いなんな?」

 

 首を傾《かし》げるレオに、タチアーナはため息をついた。

「ああ、そうね。レオさんは知らないわね、この名前。神話が変わってしまったものね」

 一方、玲菜は少し憶えがあるらしい。

「あれ? なんかどっかで聞いたことあるような」

 考え込んでいると、タチアーナは別の名を言った。

「イシュタルは知ってる?」

「……あ、ああ! 神話に出てくる! なんだっけ……古代の神話?」

 昔、小説を書くために少しだけ調べた神話のこと。

「どっかの遺跡に青い門があって……メソポタミア?」

 しっかりと読んだわけではないが、小説を書く資料にとネットや本で大まかに覚えた知識。

「変だなぁ。いろいろと覚えたはずなのにな。結構忘れてる」

 だが、聞いたタチアーナは当然と言うように微笑んだ。

「以前の世界の神話を忘れるのはこっちの世界に馴染んできた証拠だから大丈夫よ」

「え?」

 玲菜が訊ねる前にショーンが言う。

「イシュタルはかつてイナンナと呼ばれていたんだ」

 崇拝された神は新しい文明にも伝わっていく。

 玲菜はなるほど、と頷《うなず》いた。

「へー。つまりイナンナは昔の神話の女神ってことか。どっかで聞いたことあると思ったんだよね」

 少し間を空けてから先ほどの言葉を思い出して仰天した。

 

「え!? タチアーナさん、女神の生まれ変わりってこと!?

 

 嘘みたいな話に真顔で頷くタチアーナ。

 うさんくさいものはまず信じないレオが「はぁああ!?」と眉をひそめた。

「女神? 旧世界の? っていうか、生まれ変わりだと!?

 そんなことはあるはずがないと言いたげで、しかしタチアーナは話す。

「旧世界もそうだけど、この世界の旧神話にも登場するわよ。『創世の女神』として」

「は? 創世の女神はアルテミスだろうが」

 当たり前のようにレオは返したが、ショーンは首を振った。

「レオ。違うんだ。今の神話じゃなくて旧神話」

 

 今在る神話は玲菜が書いた物であり、本当は別の神話が在った。

 

 この世界でそのことを知っているのはショーンとタチアーナのみ。他の者は記憶から消えてしまった。

「お前にも旧神話の記憶があったはずなんだ。お前はそっちの神話を信仰して、もしかしたら……」

 この後は、先日頭を過《よぎ》って、心にしまったこと。

 彼の運命が大きく変わっていたかもしれないから。

 皇子であることは変わりなくても。或いは……

 

 

「お前はもしかすると、『シリウス』ではなかったかもしれない」

 

 

 名前が違うとか、そういうことではなくて。『英雄』の見た目が全く違った可能性。

 見た目が似ていなければ、彼はここまで英雄視されなかった。

 運命に翻弄《ほんろう》されることも……

 

 

「そうじゃないのよ、ショーンさん」

 タチアーナは目蓋《まぶた》を落として、『自分がシリウスの見た目を考えたからだ』と勝手に落ち込みそうになっていた玲菜にも伝えた。

「レオさんは最初からシリウスよ」

 真実を。

 

「神話のシリウスが、実はレオさんをモデルにした人物だと言ったら、信じる?」

 

 

 ――聞いた瞬間に、今までずっと曇っていたものが一気に晴れた気分になる玲菜。

 

「レイナちゃん、貴女はいつもどうやって小説を書いていたか思い出して」

 鋭く見つめるタチアーナの眼を見て、玲菜は……忘れていた小説の書き方を思い出した。

「伝説の剣と聖戦は……ずっと頭の中にあって……」

 ずっと温めていた物語。

 時に、記憶を思い出すように。

 時に、キャラクターが勝手に行動して。

「たまに続きが思い浮かばない時は、思い切って寝たの。そうしたら夢に……」

 夢に見るのは、いつも小説のことを考えていたからだと思った。

 起きると夢を思い出して続きを書いていた。

 

 

 ――あの時も。

 

「あの時も、そうだったんだ」

 

 夏の終わりのあの日も、夢を見ていた。

 夕日に照らされた高い塔の上で、シリウスが別れるレナに「戻ってこい」と告げる夢。

 セリフまで鮮明に未来の記憶を思い出していた。

 

 夢の中で目に映ったのはレオの顔だ。

『シリウス』と呼ばれた英雄。

 

 自分はレナになりきっていると思っていた。

 

 あまりに感情移入して、起きたら涙をこぼした。

 

 

「お前……」

 隣に座っていたレオが顔を覗き込む。

 玲菜が泣いているのが気になって。そっと髪に手を触れる。

「なんで泣くんだ?」

 

「なんでかなぁ?」

 

 タチアーナの言ったことがしっくりいって?

 

「なんでかな」

 もしかしたら懐かしくて。

 俯《うつむ》く玲菜の頭を彼は優しく撫でた。

 

 

 一方、娘の反応でとある可能性を悟ったショーンは愕然《がくぜん》とする。

「え? 玲菜の小説って……」

 タチアーナは頷き、口を開いた。

「そうね。未来の記憶……というか、この世界の記憶をもとに書いたと思われるわ」

 

「な、なんで玲菜に? そんな記憶……」

 

「貴方の娘だからでしょう? 唯一、『以前のこの世界』を知る」

「え、え? だからってなんで」

 珍しく察しの悪いショーンに、彼女は頭を押さえながら説明した。

「貴方が一人の女性の運命を変えたから、記憶が宿って生まれてきた。本来は生まれるはずの無かった娘なの」

「え? あ!」

 玲菜は思い出す。というか、ちょうどつい最近思い出したばかりだったが。

「私、シドゥ……じゃなかった、アルテミスさんに言われました。『オーラが死者みたい』って。そういうこと?」

 生まれるはずが無いなんてかなりショックな言葉だが、妙に納得してしまう。

 それどころではなく、ショーンは動揺していた。

「一人の女性の運命を変えたって! え? 純玲《すみれ》さんの? 俺が過去に行ったから? でもそれはシドゥリだって予言してた……」

「違うのよ!」

 怒鳴るタチアーナ。

「私が予言したのは違うの。外れたことのない私の予言を、まんまと外してくれて!! ホントにいい迷惑だわ、ショーンさん!」

 その言葉に顔を上げるレオと、汗を垂らすショーン。

「まぁいいわ」と、巨乳美女は皆に話し始めた――。

 

 

 *

 

 

 自分がまだ前世の記憶が無い普通の人間『タチアーナ』だった頃。

 封印術とアヌーの腕輪を受け継ぎ預言者・シドゥリとして暮らしていた。

 

 そして、“視える”力を手に入れた時からずっと、ある未来が視えていた。――この世界が壊れるという未来。

 

 けれどある日、森に兵士が迷い込んできた時に、漠然《ばくぜん》としていた『未来』が、鮮明に目に映った。

 

 アマテラス帝国の帝位継承権争い。

 一人の皇子が戦で活躍して英雄になるが、彼は暗殺で命を落とす。

 それは、ある民族の陰謀の始まり。

 皇子によく似た異母兄弟と聖女が結婚して皇帝になる。

 やがて……アヌーの腕輪を盗まれて、過去を変えられる。

 ――そして時空は歪《ゆが》み、『世界』は崩壊する。

 

 

 なぜ、突然鮮明に映ったのかというと、運命を変える可能性がある人物が現れたから。

 

 

 迷い込んできた兵士の片方には、そういう運命を感じた。

 若い男でショーンという名の人物。

 彼には二つの運命が視えた。

 

 この後、森に軍隊がやってきても彼は生き残り、選択を迫られると。

 

 一つは、一人で森を出て逃げること。但し、逃げた彼は伏兵に見つかり命を落とす。

 問題はもう一つであって、アヌーの結晶石を盗んで砂漠に向かうこと。

 こちらを選んだ場合、過去に行くのは彼であり、過去を変える大罪を犯すのも彼。

 予定よりも早く“世界”が壊れることになる。

 だが、未来への影響は少なく済む為、似て非なる世界が形成される。

 彼は愛する女性を失った後、やや変化したこの時代に戻ってくるだろう。

 

 

 *

 

 

「――でもね。この時代にショーンさんが戻ってきても、運命は変わらないはずだった」

 タチアーナは元々の運命を淡々と話す。

「アルバート皇子は暗殺されるし、その後の戦でショーンさんも死ぬ。セイリオス皇子が聖女と結婚して皇帝になるけれど、皇家は事実上乗っ取られる。ただ一つだけ……」

 

 ただ一つだけ、『もう一度世界は壊れることはない』と。アヌーの腕輪が盗まれることが無くなるから。

 

「私はね、森に軍隊がやってくることで自分が命を落とすのを分かっていたから、ショーンさんに予言をしたのよ」

 

 貴方は“世界”を壊す、と。そして、愛する人を失った後にこの時代へ戻ってくる、と。

 

 世界はいずれにしても一度壊れる予定だけれども、奇跡的に未来を戻せる可能性があるならそちらの方が良いと思って。

 

 タチアーナは視えた運命の通り軍隊によって致命傷を負わされて、力や腕輪を妹のアルテミスに引き継ぐ。但し、息を引き取る直前に前世の記憶が甦り、体も亜人《ア=ヒト》に戻って生き延びてしまったのだが。

 森を去る前に、ショーンが過去に行く運命を辿る選択をしたのが分かった。

 

「でも!」

 話しながらタチアーナはため息をつく。

「過去に行った貴方は私が視た運命を辿らなかった」

 

「え?」

 納得がいかなかったのはショーンだ。

「なんで? キミの予言通りだった。愛する人は亡くなって、俺はここに帰ってきた」

 

「それが、違うの」

 

 混乱しているショーンと、下を向くタチアーナに、ずっと黙っていたエドが口を挿《はさ》んだ。

「ここからは私が話します。アルテミス様から聞いていますので」

 力を受け継いだアルテミスが視えた預言。

 

 

『似て非なる世界を創る鍵は、壊れて失われる世界の記憶を持って生まれる者に有る』と。

 

 

 先ほどの話に繋がるのか。呆然《ぼうぜん》としながらショーンは訊ねる。

「それが玲菜? 俺の娘だから、未来の記憶を持って生まれた?」

 

「私が貴方に予言をしたから」

 タチアーナは言う。

「その瞬間に新たな未来の可能性が生まれて、結果私の予言は外れた」

 ショーンは新しい道を開いたのだと。

「本来貴方は、愛する人と結婚せずに戻ってくる予定だった。貴方には憶えがあるはずよ」

 予言を思い出して、彼女の運命を変えた。――自分の運命も。

 

 愕然と、ショーンは記憶を思い出した。確かに身に覚えがあって。

「そうだ。俺はあの時……」

 本当は未来に帰る予定だった。アヌーの結晶石の力をもう一度だけ使えると知って。ブルームーンの日の夜に。

「でもちょうど帰ろうとした時に、必死に俺を追った純玲さんがトラックに轢《ひ》かれそうになって」

 

 ――とっさに彼女を助けた。

 そしてショーンは、未来に帰るのをやめた。

 彼女と離れたくないと気付いたから。

 

 彼女も『ショーン』を愛してくれた。

 

 

 ショーンは当時の気持ちを話す。

「俺は、シドゥリにされた予言で、純玲さんを本当に愛する前に帰ろうと思っていたんだよ」

『心から愛する人を失ってから帰る』という予言が当たるのが怖くて。

「だけど、純玲さんを助けた時に、『運命が変わった』と思ったんだ。だから一生向こうで生きることにした」

 多分、本来は彼女を助けることに間に合わなかった。タチアーナの予言通りになるはずだった。

 けれど、告げられたことで道ができた。

 おかげで彼女の運命と自分の運命が変わった。

 

 

 娘が生まれることに。

 

 

 しかし結局純玲は病気で亡くなって、ショーンは玲菜と共にこの世界へ戻ってきた。

「俺は十二年前の時代に戻った時に、シドゥリの予言は当たったと思ったんだ。……こういうことだったのかって」

 思っていたのに。

「でも違ったんだな」

 こくりと頷くタチアーナ。

「結果は近いけど、私の視た未来とは違う」

 

 エドが先ほどの続きを話す。

「アルテミス様は、力を受け継いだ直後に、タチアーナ様の預言と違う未来が視えたそうです」

 ショーンが運命を変えることで、似て非なる世界は鍵によって創られる、と。

 アルテミスは鍵を探しにショーンを追った。

 彼が時空の渦に入った直後に自分も入り、鍵を探す……。

 

 たどり着いた先はこの世界の記憶を持つ彼の娘。

 

 彼女はこの世界と未来の記憶を紙に記していた。

 

 

「アルテミス様は、その紙が鍵だと分かって使命を実行しました」

 

「え?」

 玲菜の脳裏に、黒いローブの人物が浮かぶ。

「私の小説を盗んだのは、アルテミスさん?」

 

 小説を盗んで、この世界の文明の始まる頃に送る使命を持っていたのは彼女だった。

「私に使命があるって言われたのに」

 てっきり使命を実行できなく、失敗したのかと思っていた。

「違ったんだ」

 恐らく、玲菜に使命の話をした時には別のことが視えていた。

「アルテミスさん、私に『世界を壊さないため』って言ってた」

 そこは確かだった。

 使命に嘘を使っても、せっかく出来た世界を壊さないという目的は曲げなかった。

 

「すみません」

 なぜかエドが謝り、訳を話す。

「使命を終わらせて戻ってきたアルテミス様に、私は神話を読んで教えました」

 彼女は盲目のために物理的なものは見えない。ただ、新しい神話の記憶はこの世界に戻ってきた時にすり替わった。エドに改めて読んでもらい、創世の女神の名が自分の名に変わったことを耳で確かめる。

 戸棚には、『代々伝わってきた』という神話の原本がいつの間にか隠されていた。

 頭の中に『ずっと守ってきた』という新しい記憶も入る。

 

 神話は変わり、世界はうまく融合したようだった。

 

 一神教でも多神教でも、神話は必ず在って世界を創る。

 世界を創世したとされる神の伝説は人々に信じられる。

 

 創世神の名は自分の名だが、創世神を作ったのはあの人の娘。

 

 

「アルテミス様には、その時まだ視えていなかった未来が分かっていました」

 

 ――彼女はいずれ運命を変える、と。

 

 

 彼女と言うのは玲菜のことであり、そんな大ごとを言われても困ってしまう。

「え、でも私……」

 戸惑いながら玲菜は言った。

「今までも運命変えたかったけど無理だったし」

 実際に変えようとしたのはレオだったが、ことごとく予言通りになってしまった。

 その時は、所詮《しょせん》は無駄なのだと心の中で嘆《なげ》いたものだ。

 

「変わってるわよ」

 タチアーナが口を出した。

「暗殺されるはずだったのよ、レオさん。貴女のおかげで命が助かったことって無い?」

 

 

「あります!」

 

 なんと、答えたのは今まで隠れていた朱音であり、彼女は天井からスルリと降りてきた。

 玲菜とショーンは仰天してショーンが訊ねた。

「あ、あ、朱音さん!? まさか今までの話……」

 聞かれてしまったのか。

「他言しませんので、安心してください。それより陛下の命の話ですが」

 朱音は思い当たるふしを皆に教えた。

「アルバート様は常に狙われていましたが、二年前、暗殺部隊に襲われたことがあります」

 結末を言わずとも、玲菜たちは思い出した。

「あ! ……あった!」

 かつての国境の帝国西方門で戦が起きようとしていた時、国境警備隊の詰所《つめしょ》で、難民に扮《ふん》した暗殺部隊がレオを襲った。

 絶体絶命な雰囲気であったが、自動車を使って玲菜とショーンが助けにきた。

 あの時、死角からの矢に撃たれそうになったレオを庇《かば》ったのは黒竜。

 ただ、彼は玲菜の叫び声により気付いたのだった。

 

 つい先日、レオが矢を受ける夢を見た玲菜は背中がゾッとした。

(あの夢……黒竜さんじゃなくておかしいと思ったんだ)

 あれは本来の姿だったのか。

 

 昔、シリウスの夢をよく見ていた。

 自分の小説のキャラクターのことを好きすぎて夢に出るのだと思っていた。

 実際は空想の人物ではなくレオだったのだろうか。

 

「私……予知夢見られるんだったら、これからは頑張って見るよ」

 知らずに口に出していた。

「それで、悪い事だったら回避できるように……」

 

「予知夢とはちょっと違うし、無理よ」

 タチアーナは首を振る。

「貴女はもう、この世界の人間になってきている。証拠に、神話の……シリウスの夢はもう見ないでしょ?」

「あっ……」

 シリウスではなく現実にいるレオのことが好きになったから、もう見なくなったのかと思っていた。

「この世界の人間になれてきているんだ」

 望んでいたことだが、あっさり言われると実感が無い。

 

 嬉しいような、落ち込むような、微妙な気分になっていると、レオが手を掴《つか》んできた。

「予知夢なんて必要ねーよ、玲菜」

 妙に自信に満ちた眼で。

「正直なところ、エドやタチアーナの話、俺はほとんど理解していないんだけどな」

 まさかの理解力の無さが問われる発言に一同は凍りついたが、彼は考え無しではない。

「つまり、えーと……」

 ――と、思いたい。

 

「つまり、分かったのは、運命を変えるのは簡単ってことだ」

 彼の得意な言葉が出た。

 言われてみればそうだと玲菜も気付く。

(私、無理だと思ってた)

 アヌーの腕輪の力を使った予言は絶対的で、未来は変えられない、と。

 でも現に父や自分は知らずに変えていた。

 レオも同じ気持ちだったらしく俯く。

「こんなこと言いたくないんだけど。シドゥリの予言がずっと当たっていたから、口では軽く『運命を変えてやる』なんて言ってたけど、実はちょっと弱気になってた」

 信じたくなくても、いつも突きつけられた。

「ごめんな」

 謝る彼に首を振る玲菜。

「私も、予言丸呑みしてすっごい落ち込んだりしてたから。でも『簡単』って聞いたら勇気わいてきた!」

「勇気?」

 訊ねられてつい口を滑らす。

「うん。皇帝の妻になれないって言われたこと」

「え?」

「あ!」

 慌てて口を押さえて顔を赤らめると、彼は真剣な眼でまっすぐに見つめてきた。

「そんなこと気にしていたのかよ。じゃあ、予言を外れさせる手始めに今すぐけっこ……」

 

「ところで!!

 

 良い雰囲気を父親がぶっ壊してきた。

「結局のところ、タチアーナが変身したのが不思議でならないよ、俺は!!

 言い方に全力を感じる。

「ああ、そのこと?」

 タチアーナは「今更?」と言いたげだ。

 しかし、流せる程度の事ではない。

「ショーンさんには言ったでしょ? 『私たち』って。要するに、タチアーナの体を共有しているの」

 多分、今喋っているのは前世の(自称)女神の意識だろうか。見た目もイナンナらしい。

「夜は私で、昼間はシドゥリちゃんが」

 

「シドゥリ!?

 反応したのはレオだ。

 彼女は預言者・シドゥリと呼ばれていたので。

 

「私たち双子だからか、なぜか一人の体に一緒に魂が入っちゃって。っていうか、前世の記憶が戻る前は見た目がずっとシドゥリちゃんだったんだけど」

 その言葉にショーンが「うん、うん」と頷く。

「そうだ。俺の知っているシドゥリはずっとあの見た目だった。夜も」

 森で最初に会った清楚《せいそ》な淑女風の方だ。

「タチアーナの、普通の人間としての人生が終わった後は、昼夜で意識が交代されてしまうの。……あ、見た目もね」

「ええっ!」

 玲菜は素直に驚いたが、レオはかなり不審そうな顔をする。

「じゃあ今は……イナンナ?」

「そうよ〜。イナンナ型タチアーナ」

 目の当たりにしても信じるのは相当に時間がかかりそうだ。

 まずレオと玲菜はタチアーナの正体の話を詳しく聴いていないので、イマイチ把握できない。

 レオからすれば、そもそも女神の生まれ変わりというのが怪しいし、アルテミスの姉は昔に死んだと聞いた。過去の話で何かを言っていたかもしれないが、よく分からなかった。

(人間のタチアーナは死んだみたいなこと言っていたな。じゃあ、今は人間じゃない?)

 ……そんな馬鹿な。

(ますます意味が分かんねー)

 玲菜もその辺りはちゃんと把握していないはずだが、彼女は不思議なことが大好きなので興奮が先に立つ。

「朝になったらシドゥリさん型タチアーナさんになるってことですか? 凄い! 漫画みたい!!

 

(……こんなこと、あり得るのか)

 話をすべて聴いていて、レオよりはまだ信じる心を持ち合わせているショーンは、非現実を受け入れようと努力した。不思議なことはいっぱいあったことだし。

「記憶は共有?」

「記憶は共有しているわよ。もう一人の自分って感じ。その、もう一人の自分に話しかけられて会話もできる」

 では、相手の意識になっている時の自分はどうなのか。

「朝になると、シドゥリちゃんの体を通して私も見たり聞いたりしているの。それで、他の人には聞こえないんだけど、私の声はシドゥリちゃんに聞こえているみたい」

 もう、常識で捉《とら》えたら駄目だ。

「シドゥリさんも?」

 今、シドゥリの状態もそうなのか。

「そうよ」

 タチアーナは微笑んだ。

「シドゥリちゃんが『早く本題を聴け』ってうるさいの」

 

「本題?」

 玲菜はドキリとした。

 そういえば、自分たちもうっかり本題を忘れていたような。

(エドさんに訊きにきたんだ、レオのこと)

 なんとなく、タチアーナに訊いても良さそうな気がする。

「あ、あの、私たちがここにやってきたのは助言を頂きたくて」

「大方、シリウスの剣の呪いを解く方法を聞きたいとか言うんでしょ?」

 案の定にタチアーナは分かっていた。

「はい! そうなんです!」

 事情を知っているなら話は早い。

 もしかすると、彼女が方法を知っているかもしれない。

 期待する玲菜の心とは裏腹に、タチアーナは冷たく告げてきた。

 

「あるにはあるけど、代わりに父親は死ぬと言ったら、どうする?」

 

「え?」

 

 それは、あまりにも残酷な希望の光だった。


NEXT ([第二部・第六十七話:封印術]へ進む)
BACK ([第二部・第六十五話]へ戻る)

目次へ戻る
小説置き場へ

トップページへ
inserted by FC2 system