創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第六十七話:封印術]

 

 今……なんて言ったのか。

 聞こえてもうまく認識ができない玲菜。

(え? レオの呪いを解く代わりに……)

 

 父親が死ぬ――と、言わなかったか?

 

 呆然《ぼうぜん》としている一同に、タチアーナは改めて言った。

「代わりに死ぬというのは、別に代償とかではないのよ」

 まだ途中だったのに、すぐにレオが反応した。

「は? オヤジが代わりに死ぬ? 駄目に決まってんだろ! 却下だ」

 レオは、悪魔の呪いを解くために命を差し出せと言われた気分。

「ちょっと待って、まだ……」

 タチアーナが続きを話そうとしても拒否した。

「それだったら俺は呪いを解かなくていい。たまに激痛が走るくらいどうってことねーよ」

「いや、激痛じゃ済まなくなるぞ、レオ!」

 対してショーンは大昔の『呪い』を知っていたので深刻だ。

「文献では肉体が崩壊した例もあったし、魔物になってしまった例だって。……いずれにしても死ぬ!」

「え?」

『死』という言葉で青ざめたのが玲菜だった。

「そんな!! やだ!!

 やはりただ傷が付いただけではない。蜘蛛《くも》の巣のような刻印は命を削り取ってしまうのだろうか。

「どっちもやだ!!

 レオが死ぬのも父が死ぬのも。

 

 ショーンは呪いについて詳しく話してくれなかった。そんな事実があったなんて……。

 多分、娘にショックを与えないために。

 

 泣き出す玲菜をレオが慰めて、ショーンが『自分が犠牲になる事』を伝えようとした時、青筋を立てたタチアーナが皆に怒鳴った。

「だから!! まだ話は終わってないっていうのよ!!

 

「え?」

 

「ちゃんと人の話を最後まで聞いてよ、まったく」

 一同は静まり返り、タチアーナはふぅと息をついて続きを話した。

「呪いを解くために必要なのは命ではないわ」

 そういう単純な話ではなく。

「封印術と入れ物が必要なの」

「封印術……」

 知識でショーンは察した。

「封印術は、もしかしてキミの一族が? アルテミスが受け継いでいた?」

 

 アヌーの腕輪を填《は》めると、同時に眼は朽ちてやがて体の老化が始まる。そして普通の人間ならば数時間ともたずに体が崩壊して死んでしまう。その呪いを食い止めていたのが、巫女の一族に伝わっていた『封印術』だったはず。

 但し腕輪の『力』を使うと食い止めきれずに老いが始まってしまう。預言者《シドゥリ》となった娘は、預言をしている内にやがて命を落とすことになる。

 

「封印術を引き継ぐのは死ぬ間際」

 思い出すようにタチアーナは口を開いた。

「私が『人間』として死ぬ時、引き継がせたのは一族最後の生き残りの妹・アルテミスだった」

 アルテミス以外の家族は、森に襲撃してきた軍隊によって皆殺されてしまった。

 そして彼女も二年前に、最後の術を使って死んだ。

 引き継ぐ相手がいなかった為に封印術は途絶えたと――思っていた。

 

「ところがアルテミスは、死ぬ間際に『封印術』を引き継いでいたのよ」

 一瞬、エドに引き継いだのかと思ったが、そうではなかった。タチアーナの眼はショーンをまっすぐに見ている。

「託されたでしょ? 封印術」

 

 

 時が止まったように静まり返った後、全く把握できていないショーンが「え?」と聞き返した。

「託されたけど、それはアヌーの腕輪であって、ユナに渡す役を……」

「貴方気付いていないだけで、封印術も受け継いでいるわよ。ショーンさん」

 その言葉に、皆が目を丸くしてショーンを見る。

 当人は唖然《あぜん》として言葉が出ない。

「アルテミスの遺志か、封印術が勝手にかは、知らないけど」

 

 

「ええええ!?

 

 当然驚くわけであって、自分にいつの間にか『力』があったなんてショーンでなくても信じられない。

「でなきゃ、闇の力の蘇生《そせい》術なんて成功するはずないじゃない」

 平然とタチアーナは言う。

「貴方の体に封印術が備わっていなかったら、別の魂が体に入って拒絶崩壊を起こしていたわよ」

 サラッと言うには怖すぎる上に非現実な話。

「別の魂?」

 震える玲菜を支えるレオに、彼女はビシッと指を差した。

「貴方に付いた呪印は、死者をこの世に呼び戻すための刻印!」

 刻印は死者にとって光であり、皆がその光の近くにある体を目指す。おかげで、ほとんどの場合は別の魂に体を取られてしまうという。

「でも別の魂だった場合、体が合わないから死人のまま蘇るか体が崩れるか」

 

 ゾンビ的な物を想像して背筋が凍る玲菜。

 

「結局、蘇生術は失敗して、施そうとした者には刻印だけが残る。死者は呼ばないけど闇の呪いはかかってしまうってわけ。力の反動でね」

 タチアーナは話し終わった様子で満足していたが、レオには難解で首を捻《ひね》った。

「悪いんだけど、もう一度説明してくれるか?」

 巨乳美女の癇癪《かんしゃく》が出そうな空気の中、玲菜が代わりに説明してあげた。

「要するに、闇の蘇生術? ってやつを使っても死者は生き返らないし、術士には呪いがかかっちゃうってことでしょ?」

 正解だが、大分略しすぎていたので、ショーンが説明し直した。

「つまり、お前の背中に付いた呪印は死者を呼び寄せる目印になるけど――」

 

 刻印には多くの魂が集まってしまい、生き返らせたい人物の体には別の魂が入ってしまう。

 当然、別の魂では体が拒絶反応を起こして崩壊。結果、術は失敗となる。

 しかし術士には刻印と闇の呪いだけは残ってしまう。

 

「――闇の呪いっつーのは、いずれは体が崩壊して死ぬってやつな」

 縁起でもない話だが、ショーンの説明で理解したレオはもう一つの疑問をぶつけた。

「じゃあ、俺にかかったのはその『闇の呪い』? ってやつだとして、オヤジはなんなんだよ? アルテミスに貰ったとかいうやつ」

「封印術ってやつだよ!」

 玲菜が答えた。

「それがあったから、お……ショーンは生き返ったんでしょ?」

「そうね」

 タチアーナは冷静を取り戻した。

「本来、偶然にも自分の魂が入ったとしても、闇の力を使った蘇生術では結局呪いを受けてしまうけど、ショーンさんは平気みたい」

 受け継いだ封印術が護符のように、別の魂と呪いを跳ね除けたらしい。

 

「封印術は神の力に対抗できる唯一の『人間《ひと》』の力だから」

 

「神の力?」

 神ではなく闇の力ではないのかと玲菜が訊ねようとすると、タチアーナはフフッと笑う。

「闇の力っていうのはね、元々は神の力と同じものよ」

「神って神様?」

 ずいぶんと漠然とした言い方だが、もしかすると何かの比喩なのか。確認する前に彼女は続けた。

「でもね、封印術は封じておく入れ物が必要でね。なんでもいいってわけじゃないの」

 

「入れ物とは何ですか? 無ければ見つけてきます」

 ずっと黙って近くで話を聞いていた朱音が口を出した。

「簡単に手に入らない物であっても、私なら探し出す自信があります」

 とても頼もしくて喜ぶ玲菜たちとは裏腹な答えが返ってきた。

「残念ながら、入れ物はもう無いのよ。大昔に無くなってしまった」

 入れ物が無くてはどうすればいいのか。

「だから、封印術で呪いを解く唯一の方法は、術を受け継いで『封印術士』になるしかないの」

 恐らく、封印術士になれば、体内に術が存在することになり、闇を跳ね除けると予想できる。

「じゃあ、俺がアルテミスから受け継いだやつをレオに移せばいいってことか?」

 多分ショーンはそれがどういうことか分かって言っているとタチアーナは感じた。

「そういうこと」

 だからといって、実行なんてできない。

 今までの話の流れでようやく理解した玲菜は「ハッ」とした。

『父が死ぬ』という意味が分かって。

 

 封印術を引き継がせられるのは死ぬ間際だから。

 

 確かに“代償”ではない。

 

(え? 本当に死ぬ間際しか駄目なの?)

 もしかしたら巫女の一族のしきたりか何かなだけで、死ぬ間際でなくても力を継承できるとか……無いだろうか。

「あの、死ぬ間際以外には……」

「無理よ」

 察していたらしく先に答えられた。

 

 部屋の中は静まり返った。

 まるで通夜みたいに皆が沈む。しばらくの間、全員が俯《うつむ》いていた。

 

 

「えっと……」

 暗い雰囲気の中、ショーンが軽く切り出した。

「俺はもうこの国の平均寿命超えているし、玲菜にも会えて思い残すことはないっていうか……」

「駄目!! 何言ってんの!!

 必死で父の言い出しそうなことを止める玲菜。それに朱音も口を開く。

「私は陛下の命が第一ですけれど、さすがにショーン様がそんなことを仰《おっしゃ》られては困ります」

「でもなぁ、朱音さん。元はといえば俺の命のためにレオが呪いにかかったわけであって、つまり俺は一度死んでる? から」

「ショーン!」

「ショーン様!」

 

 三人がいろいろと言い合っていると、原因であるレオが辛《つら》そうな声を出す。

「あのさ……」

 

「どうしたの? レオ!」

「刻印が痛むのか?」

「陛下! 大丈夫ですか?」

 

 皆が心配で声を掛けると彼は死にそうな顔で腹を抱えた。

「エド……腹減った」

 

 

 

 空腹な皇帝陛下のためにエドが夕食を用意して一旦皆が食事をとった後、落ち着いたレオは満足そうにエドを褒めた。

「お前やっぱりこんな森の奥に居るのはもったいないな。オヤジ程じゃないけど料理もうまいし。この家改造してタチアーナと店でも開けよ」

 エドの料理の腕とタチアーナの露出があれば、森の奥でも十分に繁盛しそうな予感。

 冗談で言った訳ではないが、エドは「ありがとうございます」とだけ礼を言って、その気は微塵《みじん》も無いようだった。

 先ほどまで深刻な話をしていたので、当人の緊張感の無さに脱力しそうになる一同。

 玲菜が注意する前に、彼はきっぱりと言った。

 

「オヤジが死ぬとか有り得ない。お前ら真剣に考えろよ」

 

 真剣に考えるのはレオの方だろうと……誰もつっこまなかったが、彼は彼なりに結論を出していた。

「俺のために……なんか、悪かったな」

「レオ……」

 なんとなく、諦めているような言い方で、玲菜は心配した。

「悪いなんて思わないでよ!」

「でも、タチアーナにも忠告されていたのに、怒りに身を任せた結果だし。剣の誘惑に勝てなかった自業自得だからな」

「違うぞ、レオ! お前は俺の命を救おうとしたんだろ?」

 ショーンも娘と同じように感じて彼を説得しようとした。

「自分が悪いから仕方ないとか思うな!」

「んー。仕方ないっつーか……そもそもあんま実感がねーんだけど。背中だから見えないし」

 それこそ、焼印の様に刻まれた時は腫れて血塗れになり苦痛を強いられたが、腫れが引いてからは一度激痛に襲われた以外に実害が無かった。

「ただ、呪いとやらで死ぬのは納得いかねーし、どうにかしたいとは思ってる」

 レオは皆を一瞥《いちべつ》した。

「俺が疑問なのは、その方法がどうして『オヤジから封印術を引き継ぐ』って一択なのかってことだ」

「だから!」

 また説明するのかとため息をつくタチアーナ。

「封印術をかける方法もあるけど、それには入れ物が必要で、でももうこの世には無いのよ」

「無いなら作ることは不可能か?」

 一瞬盲点だったと皆は思ったが、タチアーナは首を振る。

「不可能では無い。でも材料が無い」

 

「どこにも? 帝国の外を探しても? 西方諸国とか、つまり……」

 彼が……何て言えばいいのか分からない言葉を察した玲菜が言った。

「世界中を探せば、どこかに?」

 

 

 ……なんて、気の遠くなる話なのか。

 

 

 大まかでも、世界の広さを知っているショーンは頭を抱えた。

 自分で言っておきながら玲菜も同じく。俯いて肩を落とす。

 

 多分、レオは……朱音でさえも、世界の本当の広さを知らない。この時代に知る術《すべ》が無い。

 

 確かに、旧世界に比べると“世界”はかなり狭くなった。

 人の数も、陸地の面積も、人の住める場所も。

 文明が発達した“国”の数も。

 

 しかしそれは『人と関わる部分』と限定した場合。

 まぁ仮に世界の範囲をそう定めた所でとてつもなく広いことには変わりないが。

 

 

 いずれにしても世界は広い。

 

 

 アテも無く探すのは無理だし、アテが有っても探しに行けないような場所だったら同じこと。

 深刻な顔をしている皆に、なぜか能天気そうなレオが案を出した。

「それか、大昔に無くなったってことは、逆を言えばその前には在った物なんだろ? 遺跡から発掘されるとかねーか?」

「私は! 消滅するところを見てい……」

 言いかけて、タチアーナが止まった。

「ちょっと待って?」

 何かを思い出そうとしているのか、頭を抱えて目をつむる。

「……あれは、確かに消滅したけど……」

 遠い記憶のこと。

「……あの娘の……は……」

 なんとなく、アテがあるのかと皆が期待したのも束の間。すぐに首を振った。

「いえ、駄目よね? もし有っても、天然の方じゃ……。ううん。……の……じゃないと」

「え? なんだ?」

 詰め寄るレオに手を向けた。

「うるさい、黙って!!

 皇帝に対して無礼であったが、彼女は「う〜ん」と考えて皆に言った。

「ちょっと待ってね。シドゥリちゃんと相談してみる。結論は明日でもいい?」

 

 

 ―――――

 

 一先《ひとま》ず皆は寝室に通された。

 レオとショーンが一緒の部屋で、玲菜と朱音が一緒。ただ、朱音は「見張りをする」と言って出て行ってしまい、玲菜は一人になる。

 一人というか、ベッドに座るとウヅキが甘えるように膝に乗ってきた。

 ウヅキを撫でながら玲菜は息をついた。

「……はぁ」

 今日だけでいろんな重要な事を聞かされた気がする。

 思いもよらなかった真実や、自分の事、この世界のこと。

 結局、本題であったレオのことは、初め絶望に落とされかけたがうやむやになった。

 もしかしたら僅かな希望があるのかもしれない。

 とりあえず頭の中がぐちゃぐちゃで、一度整理した方が良さそうだ。

 

(えっと、まず……なんだっけ?)

 

 タチアーナはアルテミスの姉で、昔は預言者だった。その時は父に予言をしていた。

 どうやら彼女の前世は二人の女神(?)らしく、今は普通の人間ではない様子。昼と夜で見た目と人格が交代する。

 実は、自分の小説を盗んだ黒ローブの人物はアルテミスだった。

(そうだよ!)

 大事なことなのでもう一度確認する。

(私の小説を盗んだのはアルテミスさん!)

 そして、自分の小説は神話となり、今の世界を創った。

『伝説の剣と聖戦』で、世界を創った女神の名をなんとなく『アルテミス』としたが、偶然ではないのかもしれない。

 確かに神話を書いたのは自分だが、実質的に世界を創ったのはアルテミスになるから。小説と繋がる。

(ギリシア神話の月の女神の名前がカッコイイと思って借りたけど、本当は私の記憶のどこかにあったのかなぁ?)

 アルテミスという名に引っかかったのは、未来の記憶か。

 

 なんせ自分は、かつての未来世界の記憶を持っていたらしいので。

(お父さんの娘だから?)

 かつての世界を知る唯一の人間の娘で、運命が変わって生まれてきたとのこと。

 ただ、夢に出たのはかつての世界の記憶だけではなかった。実際に自分に起こったこともあった。

(塔の上のシーンはそうだよね。混ざっているってことかな)

 混ざっているというのはなんとなく分かる。

 都合よく順番に夢に出てきたわけではないし、そもそも小説は夢を書き表したわけではない。所々ヒントにはしたというか……。

 たとえばシリウスにしても、見た目は夢に出てきた青年だったが、性格は父に似せたのもあったし、もっと好青年で紳士だった。

(なんていうか、もっと“ショーン”みたいな……)

 まさか『ショーン』の記憶をもとにシリウスの性格を……?

「違う!」

 玲菜は声に出して首を振る。

「違うよ。小説には私のオリジナルも入っているはずだよ」

 記憶をもとになんて言われたら、あの苦労して書いた物語がまるで自作していないみたいで落ち込む。

 嘆いていると、膝で寝ていたウヅキが起きて体をすり寄せてきた。

「ウヅキ!」

 慰めてくれているようで愛しい。

(でも、小説が自作でも実は自作じゃなくても、どっちでもいいよね)

 

 ウヅキを撫でながら、一番大事なことを考える。

 

 レオの呪いが解けるか解けないか。

 

 解けるためには封印術と入れ物が必要で、封印術は今、アルテミスに(知らずに)託された父が持っているのだという。

 そして、入れ物の無い現状、レオが封印術を受け継げば呪いも解けるらしいが、持っている人物が死ぬ間際でないと引継ぎができないとの事。

 しかしレオはその方法を断固として拒否して、入れ物を作るか遺跡から発掘できないかタチアーナに訊ねた。

 

 タチアーナは前世の記憶を思い出して、もう一人の自分(?)シドゥリと一晩相談している現在に至る。

 二人でと言ったが、多分エドも加わっている様子。

 

 一旦待機中の玲菜たちは「休んでいてくれ」と言われたが、眠れる気分ではない。

 頭の中を整理した玲菜は、改めてため息をついた。

「はぁ……」

 やはりまだ混乱する。

 

『呪い』と言われると心霊映画や漫画みたいに少し非現実な風に聞こえるけれど、実際にレオの背中の刻印は激痛と共に大きくなったし、アヌーの腕輪を填めた後に起こる朽ちた眼や老化を自分は見ている。

(あれも『闇の呪い』?)

 闇という言葉もそれこそ漫画やゲームの世界の言葉であって、いまいちピンとこない部分もあるが、シリウスの剣が禍々《まがまが》しく感じるのは事実だ。

 だから剣を手にした時に彼を止めた。

「使わないで」と。――約束しても、彼にとって“父親”の死は耐えられなかった。

 

 思えば、死者の塔の遺跡で剣から出た赤い光の人物はなんて言っていただろうか。

 

 今となっては思い出せない。

 

(赤っていうとタチアーナさんみたい)

 そんな彼女も、明朝には見た目が変わっているに違いない。

 

 

 考えていると、ふいにウヅキが膝から下りて部屋のドアの方へ向かう。その矢先、ノックをする音が聞こえて……

 開けるとレオが立っていた。

「あ、寝ようとしていた?」

「ううん、まだだよ。考え事をしていたの」

 

 彼は足元に来たウヅキを抱っこして部屋の中に入る。

「オヤジは調べ物するとか言って熱心に本読み始めたし。俺は……」

「暇だったの?」

「いや、お前に会いたくて」

 珍しく素直に理由を言われたのでドキリとする玲菜。

「あ、うん……」

 自分も素直に言うことにした。

「私も会いたかったよ」

 

 二人で恥ずかしくなりつつベッドに座り、無言になる。

 恋愛的な緊張もあったけれど、今日聞いた話でいろいろと思うことがあってなかなか口を開けない。

 

 

 しばらく沈黙が続いた後、ようやくレオが切り出した。

「俺はもう、シリウスに嫉妬しねぇよ」

「え?」

 想定外のこと。

「しっと?」

「ああ、お前言ってただろ? 自分で書いておきながらシリウスのことが好きだった、みたいなさ」

 確かに言っていたかもしれない。

「あれで俺は、お前の理想ってああいう感じなんだな〜って思って。ちょっとシリウスが嫌いになった」

「え?」

「それまでずっと憧れてたんだけど、妙にムカついたっつーかさ」

 彼は照れくさそうにこちらを向かずに告げる。

「でも、今日、シリウスが実は俺だって聞いて、実感わかないけど嬉しかったんだよ」

 シリウスのモデルだったからではなく。

「お前が俺のことを夢に見ていたって言うから」

 そうだ。空想の人物だと思っていたのは実在するレオを記憶していたのかもしれない。いや、多分そうだ。

「お前が、出会ってもいない俺のことを夢に見ていたって思うと、すげー興奮する」

 そういう意味か。

「え、ええ!?

 彼はスッと肩を抱いてきた。

「しかも、その時から好きだったんだろ?」

「うっ……」

 確かに恋に似た感情ではあったが、自分のキャラクターへの愛でもあった。

「まぁ、凄く好きだったよ」

 得意げに切り返すレオ。

「で、実際に会ってどうだった?」

 最初の出会いを憶えていないのか。……最悪だと思った、とは言いにくい。

「うん……と、シリウスが目の前にいるって思って、カッコイイなって」

 但し顔のみ。と思った記憶が甦る。

 玲菜がうまく口をつぐんでいたのに、レオの方がありえないことを告げた。

「俺は、生意気で変な女だと思った」

 悪気は無いのかもしれないが貶《けな》し言葉に聞こえる。

「でも……」

「やっぱり、私の印象悪かったんだね!」

 もしかすると言葉には続きがあったようだが、言う前に玲菜は怒った。

「どーせ、生意気で変な女ですよ」

「え? ちょっと待て」

 肩に回されていた手をどかす玲菜。

「初めて会ったばかりのレオに私、捕まったんだよ?」

「そ、それは……!」

 なんだかいろいろと思い出して腹が立ってきた。

「本当に酷い目に遭ったの! あの時、こっちの世界に来て何も分からないで凄く不安だったし」

「悪かったよ。あれは、本当に」

 多分、一緒に捕まったユナは実際に不法入国だったわけだし、立ち入り禁止の聖地への不法侵入として適切な処置だったのかもしれないが。

 辛かったのは確か。

「牢に入れられるとは思ってなかった。宗教警殿では婦女子を丁重に扱う決まりだし」

 宗教警殿では宗教に関することで違反があった者等が入れられる場所だが、別枠があれども、通常は人道的に扱われる。

 但し、近年は内部のことがあまり公に出ずに黒い噂が後を絶たなかった。特に『別枠』では不平等な魔女裁判等……。

 それでも表向きは立派な慈悲施設だったので、まさか尋問前の反省室が牢のわけはない。

「後でオヤジに聞いてびっくりして、俺はずさんな管理に関わっていた連中を首にしたけど」

 後で対処をしても、玲菜が酷い目に遭ったことは変わりない。

 まぁ、酷い目と言ってもすぐにショーンが助けに来てくれたのだが。

 

 とにかく、出会いを思い出したことで先ほどまでの雰囲気は台無し。ただ、今のレオの弁解で、悪意があってあんな場所に入れられたわけではなかったことが分かった。

「悪かったよ」

 もう一度彼は言った。

「ごめんな」

 優しく抱きしめて謝ってきたことで、機嫌が直った玲菜はしばらく彼の温もりを味わい、ふと気づいたことを言った。

「レオってちゃんと『ごめん』とか『ありがとう』って言えるよね」

「え?」

「言えない人もいるからさ」

 個人的見解だが、特に身分の高い人は言わないような。

「皇子とか皇帝なのにちゃんと言えて偉いって思うよ」

「そうか?」

 彼はそのまま玲菜ごとベッドに倒れ込んだ。

「よくわかんねーな。ただ、そういう挨拶は母親から『ちゃんと言え』と言われていたから」

「そうなんだ」

 レオの母親はどんな人だったのだろう。

 多分、美人でしっかりしていて優しかったと想像できる。

 彼は優しく玲菜の髪を撫でた。

「でも、皇家では『謝るな』と言われた。特に民衆とか自分より身分の低い者には」

 威厳が無くなるからというのが主な理由で。

「そうなの」

 彼の手が頬に触れて顔が近付いてきたので玲菜は目を閉じた。しかし――

 

 

「陛下! お取込み中、失礼致します!」

 これは朱音の声で、彼女は二人の様子を承知してか、勝手にドアを開けて入ってくる。

「うわぁあああ!!

 二人が慌てて起き上がった後には、申し訳なさそうに入ってくる黒竜の姿も。

「アルバート様」

 忍びの二人はレオの前でひざまずき、黒竜が報告してきた。

「たった今入った情報ですが」

「なんだよ」

 雰囲気を邪魔された皇帝は眉間にしわを寄せながら訊ねる。

 

「クラウ公国が偽皇帝側に付いて参戦してくる模様。セイリオスを帝国の真の皇帝と呼び、全面協力に向けて準備中との事です」

 

「クラウ公国?」

 クラウ公国は近隣の小国であり、前の戦ではナトラ・テミス側についていたはず。ナトラ・テミスとは休戦中だが、元敵国の内戦に関わってくるのはいささか謎を感じる。

「別に義理とかねーだろ? 旨みを狙って? なんなんだ」

 首を傾《かし》げるレオに黒竜が言い難そうに告げた。

「クラウ公国はタヤマ殿の故郷であり、つまり向こうの軍師にとっても同じく。恐らくは、軍師シガが手を回したのだと」

「あー」

 故郷の国が相手となるとタヤマには辛い戦いになる。

 それに、相手がもう準備中となると、夏だからとタカをくくっていられない。アスールス奪還の出軍も待たせているし。

(のんびりしている暇は無かったな)

 自分の呪いのことなんて考えている場合ではなかった。

「分かった。明朝にはここを出るから。俺が戻るまでにできる限りの準備を進めておけとバシルに伝えろ! ……フェリクス……いや、クリスティナにも」

 

 横で玲菜が不安に聞く中、新たな戦の波がまた、近付いてきていた。


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