創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第二部・第七十話:ナトラ・テミスに有る物]
休戦中とはいえ、よりによってなぜ隣大国ナトラ・テミスなのか。
レオは困難要素を挙げた。
「ナトラ・テミスは、領土だけは無駄に広いし、入国できても範囲が限られるぞ」
これが第一難関で、帝国の人間が入れる町は決まっている。しかも安全とは言い切れないし、そもそもやたら広い領土のどこに目的の物があるのか……
途方に暮れそうになったが、場所だけはもしかするとタチアーナ(シドゥリ)の能力で分かるかもしれない。入れるかどうかは別として。
玲菜は熱心に訊ねた。
「その……ナトラ・テミスに何があるんですか?」
ナトラ・テミスに有る物で、『蒼人魚の血』が『青族の血』の代わりになるなら、レオが受けた呪いの力は抑えられる……かもしれない。
ショーンが自己犠牲の選択を考えなくて済む。
「どこから説明しようかしらね」と、タチアーナは困った顔をする。
そんなに複雑な話なのかと皆は覚悟したが、そうではなかった。
「私、もう眠いんだけど。話は明日でいいかしら?」
「あ!」
確かにもう夜で、移動中の疲れがたまっている。
もしかしたら面倒だというのもあったかもしれない。ただタチアーナは眠そうな眼をこすって玲菜に訊ねた。
「ベッドどこ? レイナちゃんの借りていい?」
「あ、はい。階段上って左側の部屋です」
「では、私はソファを貸していただきたいです」
こう言ったのはエドで、しかし彼の身長では足が出てしまう上に悪い気がする。
「エドさんは、ショーンのベッド使っていいですよ。二階の真ん中の部屋のベッドです」
「いや、遠慮します。私が使うとベッドが足りなくなってしまいますよね?」
三人暮らしなので、単純計算でエドが遠慮すると、すでに階段を上っていたタチアーナがクスクスと笑いながら口を挿《はさ》む。
「エド。大丈夫よ! そこの二人、どうせ一緒に寝るんだから、ありがたく借りなさい」
実はそんなコトは考えていなく、顔を見合わせるレオと玲菜。
「なるほど」とエドは納得して、挨拶をしてから二階に上った。
取り残された二人は見つめ合ったまま、段々とお互いの顔が赤くなるのが分かって顔をそらす。
タチアーナがあんなことを言ったので異常に意識して恥ずかしくなった。
正直、御無沙汰であって、計算するのは嫌だが約三ヶ月ぶり。
(まじかよ)
レオは自分の忍耐強さを褒めたくなった。
いや、しかし、二年間我慢した時には及ばない。
(でもあの時は、本人いないから我慢するしか無かったし)
今回は割と一緒に過ごしていたのに我慢したのは凄いと思う。
車移動の夜だって、酒を飲んで気分を誤魔化していた。
「……する? レオ」
「え?」
「どうする? って訊いたの」
危うく、ナニをするのか訊かれたかと思ったレオは、慌ててイカガワシイ考えを消す。けれど、訊いてきた玲菜が隣に座っていたのでまた考えが復活した。
「え? お前……」
彼女はソファではなく、斜め前の椅子に座っていた。
なぜわざわざ席を移動したのかと考えると、おのずと解釈ができる。
(誘っているのか?)
このままソファで……という手もある。
「私も疲れたし、もう寝ようかな」
なんと、レオが覆い被さろうとしたタイミングで玲菜は席を立つ。不本意ながらソファに倒れ込んだレオに彼女は注意した。
「レオ! 眠くてもそんな所で寝ちゃ駄目だよ」
「……ああ」
寝ようとしたわけではないのに。
上体を起こして彼も立ち上がる。
「二階で寝る」
洗面所に入り、歯を磨き始めると、玲菜も入ってきて鏡越しにおずおずと訊いてきた。
「今日、一緒に寝てもいい?」
もちろんだとも!! とは言わずに「あー」とさりげない返事。
もしかしたら「タチアーナと一緒に寝る」と言うかもしれないと思っていたので、気持ちが舞い上がった。
前に彼女は、他人の家では駄目だと言った。
ショーンが居る時もまずい、と。
(自宅だし、オヤジも居ねぇえええ!!)
危うく叫びそうだ。
「あと今日、してほしいな」
「え!?」
彼女は恥ずかしそうに俯《うつむ》く。
「あ、でも、レオ疲れているよね。だったらいいや……」
「ちょっ! ちょっと待て!!」
諦めようとする玲菜を慌てて引き留めるレオ。
「疲れていない! 全く疲れていない。むしろ俺はやりたい!」
全力で思いを伝える彼に、玲菜は不思議そうな顔をする。
「え? だってレオ、嫌いでしょ?」
「嫌いなわけ……」
「お風呂掃除」
……なんだ。それか。
一応、カレンダーにある風呂掃除当番はレオとなっていて、「やっぱ自分で用意するね」と言う玲菜を止める。
「やってやるから」
風呂掃除は大嫌いだが、気分が昂っていてあまり苦にならない。
珍しくも快く引き受けるレオに玲菜は感謝した。
「ごめんね! ありがとう!」
いい。あとでたっぷり礼をしてもらう。とは言わずに、レオはせっせと風呂を洗ってお湯を入れた。
その後、自分も入って上がると、部屋で彼女が来るのを待つ。湯上りの玲菜を想像して、はやる気持ちを抑えた。
――多分、疲れも溜まっていたのが悪かったか。
気付いた時、レオはベッドで寝ていて、しばらくボーッとする。
知らずに横になってしまったようだ。
(あれ?)
背中に触れる手と気配があって、振り返るとくっついて寝ている玲菜の姿。
あまりに可愛くて叫びそうになったが堪えて、興奮が甦る。
(ああ、そうか。俺、ちょっと寝ちゃったんだな)
きっと風呂から出た彼女は布団に入ってきたのだろう。寝ていて悪かったと思う。
「玲菜」
ぐっすり寝ているところを起こすのも悪い気がするけれど。
「玲菜……」
優しいキスで起こせば問題無いだろうと顔を近付ける。……しかし――
「おはようございます」
突然、ドアを開けて挨拶してくる大男。
それはエドで、単に挨拶がしたかっただけなのか、終わると「失礼しました」と静かにドアを閉めた。
レオは止まった後に、邪魔された悔しさとある事の判明に驚き大声で叫んだ。
「朝だったのかよ〜〜〜〜〜!!」
おかげで目を覚ました玲菜は、朝から物凄い形相をしているレオに困惑した。
「え? レオ、どうしたの?」
一体何が彼をあんな残念そうな顔にしてしまったのか、思い当たるふしを言う。
「もしかして狭かった? ごめんね、寝違えた?」
「いや、俺の方こそごめん」
レオの中では、彼女にも欲求があったはずで、期待に応えられなかったのを申し訳なく感じる。
「お前にも我慢させたな」
「我慢? 私は大丈夫だよ。心地好く寝られた」
玲菜としては久しぶりに彼と眠れて、温かくて広い背中を満喫できたから充分ともいえる。そもそも、タチアーナやエドが泊まっているので、レオの頭の中のようなコトは無理認識をしていた。
「心地好いよりも気持ちよくしてやりたかった……」
何やら謎の後悔をしているレオの頭をなでる。
「よしよし」
なぜ自分がなでられているのか分からないレオはしばらく止まって……手を掴《つか》む。
「何やってんだよ」
「え? レオがなんか朝から落ち込んでいるから慰めていたの」
慰めるにはもっと別の方法がある。もちろん今は無理だが。
「だったらせめてキスしろよ」
「え?」
直球過ぎる要求に顔が赤くなる玲菜。
そういえば、キスも久しぶりのような……
(いつ以来だろう?)
良い雰囲気の時は何回かあった気がするけれど、邪魔が入った記憶。
(もしかすると誕生日以来?)
玲菜は目を閉じて彼に顔を近付けた。
そして、唇が触れる……寸前で、またもや邪魔が入った。
「朝食が用意できました」
部屋のドアを開けてそう言ったのはエドであり、言い終わるとすぐに閉める。
先ほど朝の挨拶をしたばかりなのにまさかこんなに早いなんてありえない。
それよりも、玲菜は飛び起きた。
「え!? キッチン使ったんですか!?」
急いでベッドを下りて自分の部屋に戻る。
更に特急で着替えて階段を下りていった。
向かった先は台所。
テーブルの上にはパンや魚のスープ、飲み物等が置いてあった。
「すみません、調理台や食器を勝手に使わせてもらいました」
エドはそう言うが、冷蔵庫の中に食べ物は残していなかったはず。彼の風貌から、まるで魔法で出したかのように思えた矢先に、時計の針に気付く。
「あ! もう十時!?」
そういえば窓からかなりの陽が射していたし、気温が暑い。
「朝市に行ってきました」
どうやら彼は魚とパンを少し買ってきてくれた様子。
「あああっ!」
何から何まで、玲菜は恥ずかしくなった。
「すみません。あの、冷蔵庫に入れておきます」
食材を受け取り、冷蔵庫に入れると今度は洗面所に行って顔を洗った。
実はエドは、挨拶した時に起きたわけではなく、早朝から起きていたのだという。
知らない村ながらも朝市に出掛けて食材を買って、朝食を作っている途中で皆を起こした。
一番遅くに下りてきたレオは、朝食の席に着いて話を聞くとびっくりした。
「お前、ひょっとしたらフルド以上だぞ? 従者の特訓でも受けたのか?」
「従者の特訓なんてあったのですね」
「いや、無ぇよ」
つっこみつつ、そういえば家に戻ってきてもフルドはもう迎えに来ないのだと悟るレオ。
食事を終えたら今日は緑龍城に向かわねばならない。
タチアーナに話を聞きたいけれど帰ってからか。昼間の彼女の方が丁寧な説明をしてくれそうだが仕方ない。
レオが城に行っている間、玲菜は約二十日空けた家の大掃除をすることにした。
エドやタチアーナが手伝ってくれると言ったので、なんとか綺麗になりそうな予感。
朱音と共に城に向かうレオを見送った後、三人でてきぱきと掃除を始めた。
――天気は快晴。群青《ぐんじょう》の空は夏の本番を実感させる。
―――――
日の延びた夕刻。午後に干したのにすっかり乾いた洗濯物を取り込んだ玲菜は居間で一息つく。
家の中を見てびっくりしてしまった。
なんというか、凄く綺麗で。
いくら三人でやったからといっても、二十日分の汚れがすっかり取れるなんてありえない。
一番の功労者はエドであって、彼の素早く完璧な掃除には目を見張る。本当に訓練でも受けたみたいだ。
男だから力もあるし、高い所の掃除も長身を活かして軽々。
こういう言い方は失礼だが、一家に一人エドが欲しいくらい。
ともあれ、暑い中でやったので皆は汗をかき、玲菜はタチアーナとエドを順番に風呂に入らせた。その後は自分も入って出ると、居間では三人の話し声が聞こえた。
声の主はすぐに分かり、着替えた後に急いで居間に向かう玲菜。
ソファに座っていたのは、たった今帰ったというショーン(と、ウヅキ)で、三人で茶を飲んでいた。
「お、お帰り!」
「おー玲菜。こんな時間から風呂か?」
「うん! 汗かいたから」
玲菜は嬉しくて父の隣に腰掛ける。
「ね、びっくりしたでしょ? エドさんやタチアーナさんが手伝ってくれたから一日で掃除終わっちゃった」
一日というか半日か。とにかく綺麗になっている。
「うん、凄いな」
見回してショーンは感謝した。
「エドもタチアーナもありがとうな。もちろん玲菜も」
父は食料等の土産を持っている。
日は暮れてきていて、窓から涼しい風が入った。
「わぁ!」と喜んだ玲菜は日本の夏を思い出した。
「ここは、夜は涼しいね。日本はもっと蒸し暑いじゃん? 夜も。埼玉なんて最高気温とかいっちゃうしさ、夜も本当に暑いよね」
「いやぁ、でも、ここら辺ももう少し日にちが経つともっと暑くなるぞ。蒸し暑さは確かに……日本に比べればまぁ、平気だけど」
一応ここも日本ではあるが区別する。
「夏っていうとスイカ食べたいよね!」
「スイカ懐かしいな。俺はビールかな」
二人で連想して同時に言った。
「花火大会!」
完全に声が重なっていたので笑っていると、頬杖をついたタチアーナが窺《うかが》ってくる。
「な〜に? 楽しそうね」
彼女はもうイナンナ型に変わっていて、ふと見ると外が暗くなっている。それよりも暑いからかありえない薄着になっていて、ずっしりと重そうな胸がテーブルにのっかっていた。
おじさんは目のやり場に困って彼女を注意する。
「暑いのは分かるけど、下着姿じゃなくて服を着てくれ」
「下着じゃないわよ〜! こういうの、売ってないから自分で作ったのよ。凄いでしょ!」
似たような服を知っていて、名称を言ったのは玲菜だ。
「キャミソール! キャミソールみたい!」
「あら、レイナちゃんも欲しい? こういう服」
父親はすかさず止めた。
「駄目だ! 大体俺はキャミソールとかってあんま好きじゃないし。だってどう見たって下着じゃないか。若い娘があんま肌を露出するのは……」
熱弁にポカーンとした娘は、反論するわけでもなく夏の記憶を思い出す。
「お父さん……私が高校の時、キャミソール着たら同じこと言ってた」
あの頃はまだ三十代という若い父がやけに年配じみたことを言ったので印象に残っていたセリフ。
「あの時は、お父さん考えが古いなって思ったんだけど」
古いというより、育った環境が違ったために生じた感覚。
「なんか……」
疑いない程、ショーンは父と重なった。
「おと……」
ちょうどその時、ガタガタと音がして、「腹減った」と言いながらレオが帰ってくる。
彼は居間に入るなり、帰ってきていたショーンにも驚いたが、それよりも巨乳の谷間に目が釘付けになった。
完全に凝視《ぎょうし》して止まっていたので、当然、婚約者の機嫌は悪くなった。
「違う。違うんだよ! 話を聞けよ、玲菜」
夕食後。部屋に籠《こも》る彼女に、必死で声を掛けるレオ。言うなれば籠城《ろうじょう》戦か。しかし交渉ができないとらちが明かない。まるで心配するようにウヅキがやってきて鳴き声を上げた。
何度も何度も鳴くので、仕方なしに玲菜はドアを開ける。
「ウヅキ、どうしたの?」
代わりにレオが声を掛けた。
「一先ず落ち着いて話を聞け」
玲菜はウヅキを抱っこしてレオの方は向かずに告げる。
「なんで命令形なの」
「き……聞いてください」
敬語を使った皇帝の言い訳はこうだ。
「目の前に巨乳があったら、誰だって見るだろ」
玲菜が無言でドアを閉めようとしたので足を挿ませる。
「閉めるな!」
「ちょっと! 足退けてよ!」
「絶対退けねぇ」
必死さに負けた玲菜はドアを開けて言い放った。
「別に怒ってないもん!!」
完全に怒っている風に見える。
「レオは男なんだし、セクシーな人がいたらそっちに目がいくの分かるし」
ただ、凝視はさすがに少し腹が立った上に、自分と比べると落ち込む。
「だから別に怒ってな……」
「怒れよ」
「え?」
錯乱したのか、レオは真顔で言った。
「お前が妬いてくれたら俺は嬉しい」
なので、玲菜はウヅキを抱っこしたままドアを閉めて鍵も掛けた。
「お、おい!」
「怒ってないって言ってんでしょ」
言い方は落ち着いているがやはりどこか怒った雰囲気を出しながら。
「でも鍵閉めてるし」
そう言ってドアを背に座り込むレオ。一体どうやって彼女の機嫌を直すか頭を抱え込んでいた。
しかし、しばらくするとまたドアが開く。
「なんで、ここで座ってんの?」
「え?」
玲菜は気持ちを切り替えるように息をつく。
唖然《あぜん》としているレオに抱きついた。
「え?」
ますます唖然としたレオだったが、玲菜は数秒抱きついた後に立ち上がった。
「これで私の気持ち分かったでしょ?」
多分彼女は、妬いても仕方ないと感じたようで、怒らない方向に努力する。
「下に行こ? タチアーナさんにお話聞かなきゃ」
一方レオは、なんとなく察しながらも彼女の腕を引っ張ってまたしゃがませた。
「あれだけじゃ、わかんねーよ!」
そう言われては仕方ないので、玲菜はそっと彼にキスをした。
「分かった?」
「わかんねー」
その後二人は何度も口づけを交わした。
久しぶりだったので長く唇を触れさせる。
ただ、一階に皆が居るので静かに。
繰り返していると、突然急かすようにウヅキが鳴いた。
おかげで我に返り、慌てて二人は立ち上がる。
「し、下に行こっか」
「あ、あー」
久しぶりの甘いキスに、お互い若干興奮状態。顔が赤いのもバレたら嫌なので静かに深呼吸をする。
少し落ち着くと、階段の間だけ手を繋いで一階に下りた。
そして何食わぬ顔で居間に入る。
居間のソファでは残りの三人が座って茶を飲み、呆《あき》れた顔で待っていた。
いや、タチアーナだけは呆れではなく悟った風にニヤニヤとする。
「イチャイチャしてたんでしょ?」
途端に茶を噴きそうになるショーンと、慌てふためく二人。
「してないよ!」
顔を真っ赤にした玲菜は否定したのに、同じく顔を真っ赤にしたレオは肯定した。
「悪いかよ!?」
だから父は湯呑を倒してしまったが、エドがすぐさま拭き取る。
妙な空気が場を流れた。
「と、とにかく、仲直りしたから」
レオの言い方はまるで喧嘩したみたいで、玲菜的に少し違う気もしたけれどつっこまなかった。
キャミソールよりは布の多いシャツに着替えていたタチアーナは「ふ〜ん」と笑って自分の体を見せびらかすように言った。
「男性の視線を釘付けにする美しさって罪よねぇ」
ショーンは「はぁ」と頭を押さえてレオたちの方を見る。
「お前らが二階で揉めている間に昨日の話を聞いたから」
単刀直入に、タチアーナに訊ねた。
「で、蒼人魚の血が青族の血の代わりになる物ってなんだ?」
レオたちも座り、彼女の話をじっと聞く体勢に入る。
タチアーナは「はぁ」とため息をついて、逆にショーンに振った。
「っていうか、ショーンさんなら知っているでしょう? 青族の血でどうやって癒したか」
「え? えっと確か……」
古文書の知識を思い出す。
「血を傷口に垂らしたような」
「だけじゃなくて、もう一つ方法があるのよ!」
彼女の言葉でむしろ思い出した。
「あ! 古来術……いや、せい……」
「正式には、精霊術よ」
かつて、飛び散った神の石の力の恩恵があった時代。神の石の力は精霊の力といわれていた。
「精霊の世界の話か」
前々世界――考古研究者たちの間では、『精霊の世界』と呼ばれていた頃。
『精霊の力』を操る者たちがいた。
彼らのことを精霊術士と呼び、彼らが使う術を“精霊術”と呼んだという。
「青族を切り刻まずに、血の力を引き出したってどっかに書いてあったような」
ショーンの知識に、タチアーナは「フフッ」と笑った。
「そうね、その通り。ただ、ちょっと付け足すと、血の力を精霊術で引き出したのは、青族だけじゃなくて、青族と人間の混血の子孫も」
――むしろ混血では癒しの力が弱く、精霊術で力を引き出さないといけなかった。
「そして……蒼人魚は、青族と人魚の混血」
タチアーナの言葉に、皆は顔を見合わせる。
「血自体に癒しの力が無いのは当然だし、そもそも人魚の血は、人間にとって猛毒だから」
それなのに、青族の伝説と混ざって不老不死の力が信じられていた現実。
ショーンは、海賊から聞いた「蒼人魚の血を舐めて死んだ男」の話を思い出していた。
海賊は偽物と勘違いして売ってくれた。
(やっぱ本物だったんだな)
自分の目に狂いは無かった。
話を聞いた玲菜は理解する。
「じゃあ、蒼人魚の血を青族の血の代わりにするっていうのは、『精霊術』ってやつを使って?」
精霊術を使い、癒しの力を引き出す……と。
恐らく、呪いの力をも抑えられる治癒の力。
いや、抑える力というのは“可能性”があるだけで、定かでは無いが試す価値はある。
「ええ。でも蒼人魚の血の場合、それだけでは不完全」
術だけならば、タチアーナにもできると前に言っていた。
「あとは、毒を浄化する『精霊の石』ってやつも必要で、その石は多分、精霊術士が持っているの」
これが、ナトラ・テミスに有る物。
「精霊術士が居るっていうのか!? 今の時代に?」
大声で訊ねるショーンに、若干気まずそうに答えるタチアーナ。
「魔眼の娘の子孫が残っていればね」
「まがんの娘!?」
『まがん』というのはまさか……
「昨日、魔眼石《まがんせき》の話をしていて思い出したの。魔眼を移植した娘が、今でいう『ナトラ・テミス』に居て、彼女は伝説の精霊術士だった、と」
要するに、その精霊術士の末裔《まつえい》、か。
「しかも、精霊の石を受け継いでいたらしいの」
そうは言っても、今でも果たして術や石が継承されているのか、かなり不安ではある。
「多分、封印術を受け継いでいるウチが続いていたんだから、向こうも続いているでしょ」
これは前世の情報ではない。
タチアーナ自身の見解で彼女は言った。
「向こうは向こうで、“巫女の一族”って言われているかもしれないわね」
そうか、なるほど! と、ショーンは頷いた。
神の遺産を継承している者たちは世界各地に居る。
タチアーナの一族は、封印術とアヌーの腕輪だった。
魔眼の娘の末裔も、きっと精霊術と精霊の石を守ってきているに違いない。
「“巫女の一族”ではないですよ」
一体何を知っているのか、エドが話に加わってきた。
「元々、魔眼は『蛇の一族』の物だし、娘も蛇神に由来する名を持っていたから、旧世界の別の伝承から取った名が受け継がれていると聞きました」
誰に聞いたのかと訊くと、彼は平然と答える。
「アルテミス様に」
「ああ、そうだったわねー」
アルテミスが知っていた話は、自分も預言者になる時に聞いた話で、すっかりド忘れしていたタチアーナは慌てて記憶を探った。
「ええと……」
「私が言いましょうか?」と訊ねるエドを静止する。
「大丈夫、ダイジョウブよ! 私も母から聞いたから」
確か、眼に魔力がある蛇の……
「バシ……バジ? あ!」
そうだ。
「バジリスクよ! バジリスク!」
「……え?」
レオは、似た名を隠し持つ部下の顔が頭に浮かんで、緑龍城・城主の名を叫んでしまった。
「は? え? はあ!? バシルかよ!?」
魔眼の娘とも、精霊術士とも、連想しにくい姿がそこにあった。