創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第七十九話:聖都ラズの大聖堂]

 

 いつも彼は眼鏡を掛けていて、表情は分かりづらい時もある。

 だが、青ざめたタヤマは、誰が見ても分かるほど放心して息を乱していた。

 

 これだと鈍感なカルロスでも分かる。

 

 敵軍の使者が伝えてきたのは『降伏を促《うなが》す』という、ありがちな内容だったが。敵大将である提督《ていとく》は、とにかく撤退を……あるいは、参謀だけでも離脱を強く勧める説得でもあった。

 余程、海戦に自信があるのか……しかし、怯《ひる》む奪還軍ではない! と、思った矢先に、タヤマが体を震わせていたのでびっくりしてしまった。

 

「タヤマ、大丈夫か?」

 まさか、すくみ上がってしまったのか!?

 カルロスが心配して声を掛けても、彼の耳には入っていないよう。

 それどころか「あいつだ……あいつの仕業だ……」と、何やら呟いていた。

 

 

「タヤマ! ……タヤマ!?

 

 

 何度か大声で呼びかけると、ようやく我に返るタヤマ。深呼吸しても落ち着いた様子にはならなかったが、小さな声で「なんでもありません」と言った。

 

「いや! そんなはずないだろう!!

 さすがに、「なんでもない」ことは無い。

「俺に隠し事はするな!」

 カルロスが強く言うと、少し間を空けてからタヤマは答えた。

 

「クラウ公国の提督の名が……」

 

「なんだ? 知り合いの名か?」

 クラウ公国は彼の故郷であって、知り合いの貴族だったとしてもおかしくはない。もしくは、有名な将校であるとか。

 

 

 何度もためらい、彼はようやく口を開いた。

 

「はい。父の名と同じです。……いえ、多分本人です」

 

「え?」

 

「あいつの……兄の差し金ですから、多分本人です」

 そう言ってタヤマは拳を握りしめる。

「うちは貧乏な没落貴族《ぼつらくきぞく》でしたが、家名だけは知られていたので、恐らく兄が偽皇帝との橋渡しついでにクラウ公を丸め込んだのでしょう」

 クラウ公にとって、帝国の君主は偽者でも本物でも良い。ただ、シガ軍師の名は前の戦で協力したナトラ・テミスでも聞いた。

 かなりの才覚を持つと評判の軍師の作戦には喜んで従った。

「父を出世させたのは、この海戦に私が出陣するのを計算して、苦しめるためだと思います」

 両親には、後から報せたのだと思われる。

 きっと、驚いた父親は、すぐにタヤマへ撤退か離脱を勧める伝言を送った。

 向こうだって息子とは戦いたくない。たとえ、家を出てずっと帰ってこない息子だったとしても。いや、だからこそ生きてもう一度会いたい。

 しかし、自分の立場は戦をやめられるわけではない。ずっと落ちぶれてつらい生活をしていて、せっかく就かせてもらった提督の地位を捨てたくはないし、最悪の場合、クラウ公から反逆者扱いされてしまう。

 

「兄は、私が撤退しても迷っても良いのです。私が父親と相討ちだったとしても喜ぶでしょう。もちろん、私が父を破っても」

 

「そんな……」

 カルロスには理解できない。

「タヤマにとって父ということは、お前の兄にとっても実の父親だろう?」

「そうです! 私も両親が嫌でしたが、憎いほどではない。ですが兄は……」

「両親を憎んでいる?」

 カルロスの言葉に、タヤマは首を振った。

「いいえ。憎むというより、情は無く見下しています」

 

 幼い頃、貴族なのに貧しく惨《みじ》めな生活をしていて、辛い日々を送った。それなのに誇りだけは人一倍ある、無様な両親を見て、兄のシガはよく呟いていた。

「あいつら死ねばいいのに、殺す価値は無いな」と。

 

 その時の感情の無さそうな眼が今でも忘れられない。

 

「……すみません。これから戦という大事な時に、こんな話を……」

 俯《うつむ》くタヤマの肩をカルロスは力強く叩いた。

 

「大丈夫だ!」

 

 少し痛かったが、タヤマが横を見るとカルロスは遠い水平線を見ている。

「大丈夫だ。戦をやめることはできないが、なんとかなる!」

 

 ……なんていうか、多分根拠は無い。

「カルロス様……」

 けれど、少し落ち着いたタヤマは「ふぅ」と息をついた。

「そうですね! アスールスの真の解放は今回の戦で町を守ってからです。まずは絶対に勝利することを考えましょう!」

 

 海はまだ静けさを保っている。だが、遠くにはクラウ公国軍の船が集結しているはず。

 奪還軍には緊張と共に、悲願を達成するための気合いが広がっていた。

 

 

 

 *

 

 

 いっぽう。

 ――気の遠くなるほどずっと西へ進み、ようやく西方諸国へ入った玲菜たちは……その東側にあるリース国へ到着。夕刻にはなんとか聖都ラズへ入って、宿を探していた。

 

 途中、西方諸国へ向かう時に見たが、この辺りには山がある。帝国で山というと砂山か岩山か、茶色系が多かったが、ここのは、いわゆる緑の山。

 玲菜がよく知っている、かつての自国に馴染み深い山が少し遠くに見えて思わず声が出てしまった。

「うわぁ……!」

 山があるということは川もあって、聖都の近くには綺麗な川が流れている。いや、川に沿って町を造ったというべきか。

 ちょうど玲菜の小説にも、川沿いの緑豊かな町が出てくるので、あるいはそこを模《も》したのか……なんとなく重なる。

 サイの都だって、神話のサイの国の都市を模したと聞いた。

(ラピス・ラズリの真似した町なのかも)

 玲菜は思う。

 小説で書いたその町の名はラピス・ラズリだった。瑠璃《るり》の名が素敵だったので借りて付けた名。

 神話でもその町が出てくるとして、『聖都ラズ』はそこから取ったのはでないか、と。

 

 現に、ラピス・ラズリには町中のいたる所に瑠璃が散りばめられているという設定だったが、この町の建物の壁や石畳には、瑠璃ではなくとも瑠璃色に塗られた箇所がたくさんある。

(なんか、青の物多いな)

 ただ、小説と違うのは、やたら像や彫刻が多い。恐らく神話関係のものだろう。

 ラピス・ラズリは聖都ではなかったが、こちらは聖都。

 圧倒されて玲菜はため息をついた。

 

「疲れましたか?」

 一緒に歩いていたタチアーナが訊ねてきた。

 ちなみに今は陽が暮れていないのでお淑《しと》やかな方。

 彼女は玲菜がため息をついたので疲労を訊ねたが、実は自分が疲れていた。

 それもそのはず。この町は坂道が多く、勾配《こうばい》がキツイ。見た目は若くても体の実年齢が高い彼女は、息を切らして歩いていた。

「あ、大丈夫です」

 確かに坂は大変だが、まだ体力に余裕のあった玲菜はむしろタチアーナを心配する。

「でも、早く休みたいですね」

「そうですね」

 坂は上がったり下がったりで、今はちょうど上がりきった高い位置。

 夕日が射し、町の影と遠くに砂漠が見える。

(山も川もあって、緑が多いと思ったけど、やっぱり砂漠があるな)

 帝国の方は砂よりも荒野風な所が多かったけれど、対してこちらは砂が多い。

 

 休みがてら景色を眺めていると、岩山育ちで坂に慣れているらしい(アフロの)アフが、タチアーナに手を差し出す。

「タチアーナさん、大丈夫ですか? 疲れたらどうぞ私の手をお取りください」

 目をキリッとさせてアフロを掻き上げる仕草は、恐らく彼なりに格好をつけている。

 一目瞭然《いちもくりょうぜん》。玲菜は目蓋《まぶた》を落とした。

(アフさん、タチアーナさんのこと好きになっちゃったんだろうな〜)

 長旅でどうやら恋が芽生えてしまったようだ。タチアーナは綺麗だし、アフに姿を見せているのは淑女の方。年齢は三十歳前後に見えるので、三十代後半の独身男性には理想的か。

 初めはエドのことを気にしていたアフも、二人が恋人同士ではないと分かると、やや積極的になってきた。

 ただ――

「ありがとうございます、アフさん。大丈夫です」

 アフの厚意を軽やかにかわすタチアーナは、彼の気持ちに全く気付いていない。今のところ、発展に見込みが無さそうだ。

 

 さておき。

 

 時刻を報せるためか、遠くで鐘の音が聴こえた。――と思ったら近くでも聴こえて、町中の教会の鐘が共鳴するように音を響かせる。

 その中で一際大きく美しい音色を響かせているのは、町の中央に在る大聖堂。玲菜たちの目的の場所でもある。

 目的の場所に『目的の物』が無ければ本末転倒だが……

 心配には及ばず。

 

「エアの力を感じます」

 

 大聖堂の方を向き、タチアーナが言った。

「懐かしいですね。水の神……」

 

 精霊石エア・アクアの片割れ『エア』を、なんとしてでも拝借しなければならない。

 車の中である程度の作戦を決めていたが、果たしてそれは成功するのか。

 とにかく宿を見つけて、一度話し合わないといけなかった。

 

 

 ―――――

 

 

 見つけた宿にて、疲れを癒すために寝た次の日。

 朝から四人は集まって話し合いをした。

 やっと聖都に着いて、観光というわけにはいかない。

 往復に有り得ないほど時間を所要するので、一日も無駄にできなかった。

 

 

「精霊術!?

 

 早朝から大聖堂を探りに行ったエドが帰ってきた情報で、タチアーナが出した案に、玲菜は訊き返した。

「え? 精霊術を使うって……精霊術ってどういうのなんですか?」

 タチアーナとアフが顔を見合わせて、アフが説明する。

 

「簡単に言うと、精霊の力を借りる魔術です」

 

 言葉だけで魔法使いを思い浮かべる玲菜。

「すごい!」

 アフは精霊術士だと聞いたが、そういえば漠然《ばくぜん》と『精霊術士の子孫』と思っていただけで、深く考えていなかった。

(レオの呪いを解くための術だと思ってたけど、それは精霊術の中の一つ? いろいろ種類があるんだ?)

 そういえば、タチアーナも使えるというが……。

(精霊の力ってなんだろう? 精霊を召喚して戦う魔法?)

 

「たとえば嵐の神の力を借りて、竜巻を起こすような」

 まるで漫画やゲームの世界の話をするアフの言葉はまだ続く。

「ですが」

 ですが、が入った。

「それは大昔の話。精霊の力が前世界で失われて、今は精霊石にわずかに残るだけ」

 いつもそういうオチだったと、玲菜は思い出して俯く。

(あ、そっか。“今は無い”みたいな話もよく聞くな)

 

「これでは、もし仮に炎や水を出したとしても、警備兵を倒すほどは……」

 

 そこで疑問が生じた。

「あれ? 警備兵を倒す?」

 確かにエドの話では、大聖堂には多くの警備兵がいる、と。しかし――

「聖皇《せいおう》に頼んで貸してもらうんですよね?」

 玲菜はそう聞いた。

 なのに、三人は首を振る。

「時間が無いんです」

 今度はタチアーナが答えた。

「聖皇への謁見《えっけん》を申し込んでも、叶うのは一ヶ月先らしくて」

 そんなには待てない。

 だから、強行するしかない、と。

 

「ええ! つまり、盗むってことですか!?

 

「盗むというか、ちゃんと返しますよ」

 タチアーナがそう言うと、エドが懐《ふところ》から小さな箱を取り出した。

 そしてタチアーナはニッコリと微笑んだ。

「こうなることを予想して、私と姉……いえ、エドは、エアにそっくりな偽物を作っておきました」

 

「ええっ!」

「素晴らしいです! タチアーナさん!!

 

 後者はアフの反応。

「エアの見た目を知っていたんですね!」

「貴方からアクアを見せてもらったでしょう? 私は元々一つだった頃のエア・アクアの形を知っていたので」

 

 代わりに偽物を置いておけば騒がれないという魂胆《こんたん》か。

 

「でも、盗むんですよね」

 用意周到すぎて、最初から盗む気満々だったのではないかと玲菜は疑う。

(そんな泥棒みたいな真似……)

 窃盗は犯罪だし不安だ。

 けれど、時間が無いし、他の案は思いつかない。

 

 大聖堂には警備兵がいっぱいいるので、精霊術を使うという話に繋がる。

 

「精霊術でどうやって?」

「さきほどアフさんが言ったように、今の精霊術では警備兵を倒す力はありません」

 アフの例えを用いると、もしも精霊に力を借りて炎を出したとしても、本当に小さな火しか出せずに、すぐに消えてしまうとの事。それではまるで手品だ。

「けれど、それは実体を造り出そうとした場合」

 タチアーナは心なしか声を潜める。

「実体ではなく、幻として出すならば、大昔の精霊術士が出していたくらいに出せます」

「まぼろし!?

「もちろん、眼で見えるだけなので、実際には何も無いですが、惑わすことは可能でしょう」

 

 玲菜たちが感心していると、タチアーナは微笑みながら続きを話す。

「では、昨日三人……いえ、二人で考えた作戦を説明しますね!」

 

 

 ―――――

 

 静まり返った闇夜。

 マントで身を隠した四人が大聖堂前に立つ。夜なのではっきりは見えないが、教会というにはでかすぎる立派な聖堂が建っていた。美しい彫刻やステンドグラスも残念ながらよく見えなく、絶対に越えられない大きな壁が囲む。

 狙うは聖堂裏の宝物庫にある精霊石エア。

 

 タチアーナは、ある程度の危険を察知できるので、人になるべく見つからないように、宝物庫付近で侵入できそうな門の前まで来た。

 ただ、ここからはどうしても警備兵をなんとかしないと進めない。

 幸い門番は二人だったので、エドとアフがサッと飛び出して、大声を出される前に気絶させた。

「見回りが来るまでは大丈夫です。急ぎましょう」

 四人は門の中に入り、陰に隠れながら宝物庫へ向かった。

 

 だが、数人程度の警備兵なら気絶させていったが、さすがに時間が経つと異変に気付かれる。

 やがて倒れた門番も見つかって大騒ぎになった。

 

 盗賊が狙うのは宝物庫だと、予想するのは簡単だ。

 

 宝物庫の手前で玲菜たち四人は囲まれた。

 エドとアフは普通に武器で戦っても強いが、弓兵まで囲ってきて、さすがに玲菜とタチアーナを守りきれない。

 精霊石アクアを持ったアフは前に出た。

「ここは、私が……」

 

 精霊術は本来、その場に在る精霊の力を借りて使う術だったが、ここに有るのは小指程の大きさの精霊石に宿る、エアの力だけ。

 

 アフは、水色で半雫型の精霊石を地面に置き、並行して自分の手も置いて術を唱えた。

『高貴なる精霊エアよ。我に友の証である水の力を与えたまえ』

 

 すると、精霊石アクアが光り……地面から水があふれ出てきた。

 但し、タチアーナにやり方を教わって出した幻の方。

 

「な、なんだ?」

 

 警備兵たちがざわめく。

 

 水がどんどん増えていくと、彼らは後ずさりして離れていった。

 中には「魔術だ!」と叫んで逃げていく者も。

 

「異教徒の術か……!?

 

 増えた水は壁のように大きく膨れ上がって、今にもこの場にいる兵全員を飲み込みそうだ。流れ出したらひとたまりも無い。

 戸惑っている兵たちを尻目に、四人は宝物庫の鍵を開けて中へ入った。

「やりましたね!」

 中で喜びながら、あれは本当に幻だったのかと信じられない玲菜。

 それに、水に向かって矢を放たれたら終わりだったとゾッとする。

 術も長くはもたないし、急いで精霊石を盗まないといけない。

 

 向かう途中、宝物庫内の何人かの兵が向かってきたが、エドとアフがすべて倒した。

 

 

 そして……

「この扉の向こうからエアの力を感じるわ!」

 ついに、精霊石が隠された部屋の前で止まるタチアーナ。

 いよいよだと思った矢先に、先ほど外にいた警備兵たちがたくさん押し寄せてきた。恐らく術が解けて水が消えたから無傷でやってきたはず。

 精霊術は日に何度も使える訳ではないので、今度はタチアーナが兵たちの前に出た。

「私に任せて」

 彼女は精霊石を持っているわけではないが、亜人(ア=ヒト)の頃の力が僅かに残っている。

 但し、彼女もアフと同じく、たくさんの力は無いと言う。幻で兵に対応しようとしている。

 

 彼女は呪文も唱えずに、両手を兵に向けて言った。

「私も甘くなったわね」

 

 次の瞬間には、兵の周りの空気中から炎が生まれる。

 恐怖に慄《おのの》いた兵たちは叫び声を上げて混乱した。

 

「今の内に! 行って! レイナちゃん!!

 

「タチアーナさんは夜に性格が変わるな。それもいいけど」

 ボソリと言いつつ、アフは扉を開ける。

 

 すると、中にも兵がいて、エドとアフが向かった。

 

「レイナさん! お願いします!」

 

 玲菜は二人を心配しつつ、精霊石エアを探す。

 厳重に保管されている箱を見つけて蓋を開けた。

 

 ――そこには、水色に輝く、半雫型の石の付いたネックレスが……。

 

 タチアーナの用意した偽物とそっくりな、本物が在った。

 

 アフの持つアクアを合わせると雫型の宝石になる。

 

「これが……」

 箱に鍵が付いてなくて良かった。

 玲菜は偽物と本物を取り替えた。

(これで、レオを助けられるの?)

 

 ついに……? と、思いに耽《ふけ》っている場合ではなく、

「逃げるわよ!!

 警備兵に術を出していたタチアーナがやってきて、中の兵を倒したエドとアフもやってきた。

 

 一体どこから!?

 

 慌てる玲菜にタチアーナが遠くにある窓を指して促す。

「あの窓の向こうには兵の気配が無い! 急いで!」

 

「ええ!?

 ちょっと高い。

 

 そう驚いている間も無く、アフが一番に窓を割って外へ飛び出した。

 

(アクション映画じゃないんだから〜〜〜!)

 絶対無理。と、泣きそうな顔をする玲菜にはエドが近付き、断りもなしに軽々しく抱きかかえた。

「わ!」

 多分レオがいたら怒る。

 

 けれど、ここにはいないし、そんなことを言っている場合ではない。というか、考えている間にエドは走り出して、馬並みの跳躍で窓から飛び出した。

 ――地面に着地した時は少し振動があり、玲菜が礼を言う前に素早く下ろす。

 続いてタチアーナが跳んできたので、当たり前のように受け止めた。

 

(す、凄い。エドさん)

 感動する玲菜と、悔しそうにするアフ。

 

 四人はまた、タチアーナの的確な誘導で、大騒ぎの大聖堂から遠ざかった。

 

 ただ、大聖堂ではしばらく犯人を追っていたが、精霊石エアが偽物であることは気付かれず、他に被害も無かったので、後に「犯人は何も盗めずに逃げたのだ」と解釈された。

 

 

 翌日の早朝に四人はウヅキも連れて、静かに聖都を後にした。

 

 

 *

 

 

 ――いっぽうその頃。聖都から遠く離れたサイの都の城では……

 

 いくらか混乱が治まり、静けさを取り戻した後に、防衛の準備がオーラム枢機卿《すうききょう》の命令で行われていた。

 

 静かになったのは、真実を知って離れていった家臣や逃げた家来がいた為。

 奉公人の中でも辞めた者はいたが、自分らには直接関係ない者も多く、残った主の付き人はもちろん一緒に残っている。

 宮廷全体ではそこまで多くの減少は見られなかった。

 

 むしろ想定の範囲内だとオーラムが扮《ふん》するウォルトは笑う。

 それどころか、逃げられなかった連中や、セイリオスの方が有利だと残った者たちが意外に多かったと感じるほど。

 セイは紛れもなく皇帝の血を受け継いでいるし、元々第三皇子。母親の身元が怪しいと発表されたアルバート皇子よりも正統さは高い。

 皇族に至っては、冷静に考えれば、どちらを支持するかは明白。もっとも、変わりない地位や贅沢な暮らしが約束されれば、それで良いのだろう。

 

 近衛隊は元・蒼騎士聖剣部隊だった者たちを中心に減少が多かったが、同胞軍から補充すれば問題無い。

 今のところ反乱してくる貴族もいなかった。

 

 

 但し、民衆は違う。

 

 

 都の、主に『下』の地区では反乱党が幾つも決起《けっき》されているという噂があるし、下町の地下でも集会があるという。

 彼らは騙されていたという他に、今の政治に不満を持つ者が多く、且つ元々アルバート皇子の支持が高かったという原因がある。

 セイがシリウスの影武者として戦場に出ていたと(嘘を)発表しても中々信じようとしない。今や皇家そのものを信用できないと、暴動を起こそうと企てている。

 

 ウォルトが防備を固め始めたのは、そういった民衆に対してのもの。調査して怪しい連中を牢に入れても、減るどころか増えるばかりであった。

 まして、貴族にも油断はできない。

 

 奪還軍だけでなく、ありとあらゆる反乱衆が攻めてきてもいいように、とにかく防壁を強固にしていった。

 

 

 おかげで、宮廷はいつもどこかで防備のための工事が行われていた。

 職人たちは忙しく働き、兵たちは訓練に明け暮れる。

 

 そろそろ引き籠《こも》らなくても良くなったセイは、それでも自室に閉じこもって、窓から様子を見ていた。

 

 愛する人も手に入れて、地位も取り戻して、あとはアルバート皇子を葬れば何もかも終わる。

 けれど、何か……とてつもない空虚感がある。

 

 それは、偽者として宮廷に入った時から。

 もしかしたら偽っているせいだと思ったが、こうして真実を述べた後も消えない。

 セイリオスだと、本当の名を名乗っているのに。ずっと念願だったはずなのに。

 虚しい。

 

 もっと嬉しいかと思った。

 確かに、まだアルバート皇子が生きているという不安もある。

 

 彼を殺せば……あるいは?

 

 セイはふと、『セイさんは優しいから』と言った玲菜の顔が浮かんだ。

 優しいのは演じていた『セイ』であって、本当の自分の優しさはとうに捨てた。

 攫《さら》われても助けにきてくれない家族に絶望した時に。世の中で、自分は死んだとされた時に。

 

 彼が死んだら、あの人は絶望するだろうか。

 

 これからの戦いのことを考えるセイの許《もと》へ、どうしても面会したいという一人の女性が通された。

 彼女はレナではなく、しかしレナ同様に許可なしで彼に会うことが許される。

 いや、実際には初めて。

 二年間はもちろんのこと、真実を話した後も来たことは無かった。

 セイも会う資格が無いと思っていて、会いにいかなかった。

 

 金髪に少し白髪の交じった女性は、前にこっそり見た妹のクリスティナが齢を取ったような……

 

「セイリオス……!」

 

 セイの前に姿を現した彼女は、駆け寄る前にその場で崩れてしまった。

 

 セイは止まってしまったが、誰なのかは分かって……ただ、自分の昔の記憶ではもう少し若かった、と……

 

「母上……」

 

 それでも無意識に呼んでしまった。

 

 多分、呼ばれたのが引き金になって、彼女は声を出しながら泣いた。

「セイリオス……セイリオス……!」

 元・第三皇妃のカタリナ。クリスティナの母であり、セイの母でもある。

 彼女は息子が攫われて必死に捜したけれど、「死んだ」と捜索を打ち切られた後、病に臥《ふ》せた。以来ずっと病気で治ることは無かった。

 

「ごめんなさい、セイリオス」

 

 セイが駆け寄ると、カタリナは抱きしめようとして止まる。

「貴方を見つけるのが……遅くなって、ごめんなさい」

 泣き崩れてもう何も言えなくなったカタリナを、セイは支えた。

「いえ。あなたを恨んでは……」

 

「セイリオス。母は貴方を……一時《ひととき》も忘れたことは、ありませんでした……!」

 

「お母様……」

 知らずに涙をこぼしながら、セイは懐かしい安心感を思い出した。

 

 攫われてから今までの十二……いや、十三年間で、一番欲しかった言葉を聞いた気がしたから。

「セイリオス!!

 そう呼んで、カタリナは今度こそセイを抱きしめる。

 

 

 彼の正体不明の空虚感は次第に消えていくようだった。


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