創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第九話:オアシスの夜]

 

 正直、玲菜は朝から不機嫌極まりなしで。

 若干二日酔いで起きたレオは、宿屋の食堂での朝食の時に顔を合わすと、彼女の雰囲気に慌て出した。

「あ! レイナ」

 ムスッとして無視されたのは致し方ないか。

 ショーンも玲菜の様子に驚き、原因がレオにあることを悟る。呆れた目で問い出した。

「何があったんだ。どーせ昨日の夜、俺が寝ている間にどっか出掛けたろ。酒か?」

 鋭すぎて驚愕しそうだ。

「あああ。うん、ちょっとな」

 詳しくは話せない。

 

 ショーンはため息をついてレオにボソッと耳打ちした。

「泣かせるなよ」

 これは“父”からの警告で、レオは改めて納得した。

(オヤジ、ホントに父親でやんの)

 少しだけ半信半疑な部分もあったが、そんなことない、と。

 父親だと思って振り返れば、二年前の過保護は自然すぎる。

 

 ――まぁ、それよりも玲菜の誤解を解かなくてはならない。

 なんて言おうか。

 静かな朝食の雰囲気が漂う中、注文した料理が届くと、レオは珍しくも手を付けずに問題の話を切り出す。

「あのさ」

「何?」

 返しで睨まれて、思わず怖気付く。

「レイナ……さん」

「なんで“さん付け”なの?」

 なんか、今までに無い迫力を目の当たりにした。

「いや、だから、昨日な? 分かってると思うけど、あれは完全に事故っつーか。俺も、酔っていたから隙を突かれて」

「分かってるよ!」

 玲菜が怒った口調で返すと、レオは困ったように首を傾げた。

「分かってるなら、なんで怒ってる?」

 鈍感か。

「怒るに決まってるでしょ! 分かってても嫌なものは嫌だもん」

 正論すぎる答えに、レオは何も返せなくなった。

 代わりに玲菜が付け足す。

「でも、昨日、言い訳しに来なかったよね? なんで?」

「飲みすぎで気持ち悪くなって」

 

「だから言ったでしょう?」

 玲菜の怒鳴り声に、ショーンまで食事の手を止めた。

「おい、周りの人がびっくりしてるから。あとで喧嘩しなさい」

 仕方なく玲菜は怒るのをやめて。けれども小さな声で呟く。

「あの時止めたのに」

 

 その後は三人で険悪なムードのまま黙々と朝食をとり。一度部屋に戻って支度してから外で待ち合わせて、車を隠している町の外れまで歩く。

 

 よく晴れた空なのに、玲菜は俯いてレオは気まずそうに。ショーンは呆れて二人に注意した。

「お前ら、再会して三日くらいしか経ってないのに、もう二回も喧嘩してるな。もっと仲良くできねーのか」

 これだけ移動して、まだ本拠地には着かない。本来なら三人で移動なんて楽しいはずなのに。初っ端から不穏で玲菜は落ち込んだ。

(私が許せばいいのかな)

 確かにレオが悪いわけではない。

(心の広い彼女なら、許してるよね)

 分かってはいるが、ショックはまだ消えない。

 

 その日の車の移動はずっと通夜のようにしんみりとしていて、レオ自身も二日酔いでほとんど寝ていた。

 しかもその雰囲気は夜、そして次の日の昼間まで持ち越す。

 

 夜になってさすがにこのままではいけないと思った玲菜は、泊まる町の宿で仲直りをする決心をした。

 ちょうどその日の町はオアシスの町で。玲菜は夕食の前にこっそりと酒を買って部屋に置く。

 食事後、シャワーを済ませた後に酒を持ってレオとショーンの二人の部屋のドアをノックした。

 すると出たのはショーンで、娘の様子に勘付いて口元を緩ませる。

「どうした? 玲菜」

「あ、えっと、たまには一緒に……飲もうと思って」

 酒が弱いはずなのに。なんとも。

 しかし残念ながら、彼女の目当ての人物は居ない。

「ああ、そうか。でも玲菜、レオの奴は今ちょっと前に外へ出て行ったんだよ。多分酒を買いに行ったんだろうな。ここら辺の地酒好きだから」

「え!?

 なんてタイミングが悪いんだ。

「近くだと思うから、捜しに行ってみるか?」

 確か近所に酒屋があったとショーンは思い出し、親切に教えてあげる。

 多分、二人で話した方が良いと思って。

「う、うん」

 玲菜はとりあえず酒をショーンに渡して宿の外へ向かった。

 

 まだ全く気にしないなんてことはできないが、とにかく気まずいままなのは嫌だ。怒りの方はもう無いし、明日からまた楽しく移動をしたい。

 何よりお喋りができないのはつらい。

(ショーンにだって悪いし)

 

 

 そんな風にいろいろと考えていた玲菜は、前にいた人にぶつかりそうになって慌てて避ける。

 ぶつかっていないのに反射的に謝った。

「あ、すみません」

「ん?」

 振り向いたのは明らかに酔っぱらっている荒くれ者であり。

 赤い顔をしながら玲菜の顔を覗きこんだ。

「なんだよお嬢さん」

「え?」

「今オレに声を掛けただろ〜?」

「あ、いえ。あの、ぶつかりそうになったから」

 オアシスの夜は浮かれた連中が多いから気を付けないといけないのに。玲菜は怖くなって俯くと会釈だけして小走りでその場を去ろうとした。

「ちょっと待ってくれよ」

 しかし腕を掴まれる。

「あ、あの」

「よく見たら可愛い顔してるじゃないか〜。暇だったらオレと付き合ってくれよ〜」

「い、いえ」

 どうしてこういう時にはっきりと強く断れない。

「暇じゃないんで」

「何か用があるのか〜?」

 恐らく「離して!」と強く言って振り払えばいいのかもしれないが。怖くておどおどしてしまう。

 酔っぱらいは強い力で玲菜の腕を引っ張った。

 

 その時――

 

「やめろ!!

 

 どこからともなく黒装束の男が現れる。

 

(え?)

 

 黒装束といえば……

(忍者? 黒竜さん?)

 しかし、黒竜はあまりこんな風に出てこない。というか、レオの忍びの護衛はこんな時、陰から助けてくれるような。

「その人は我が主の大事な人だぞ!」

 声は若く、やはり黒竜という感じはしない。ただ、“我が主”と言ったのでレオの護衛ではありそうだが。

 

 次の瞬間、別の場所から人影が現れて、目にも止まらぬ早業で酔っぱらい男の背後に回る。直後、何かをされたらしく酔っぱらい男はその場で倒れた。

 

 倒れた時に、背後の人物が見えて。

 

「あ! 朱音さん!?

 玲菜は暗がりでも体型から女性だと分かって朱音の名を呼んだ。

「お久しぶりです、レイナ様」

 声と返事で本人だと判る。

「朱音さん!」

 もう一度呼んだ玲菜は、月明りで見えた彼女の姿に愕然とした。

(え?)

 彼女の顔にも傷が……いや、それよりも。

 信じられなくて、口を押える。

 

 ……彼女の左腕が、半分ほどで無くなっていたから。

 

 目を疑ったし、体が震えた。

(朱音さんの腕が……!!

 顔も、朱音は美人だったのに。頬の傷が痛々しい。

 

 それよりも朱音は、先に出てきた男に叱りつけるように言った。

「何やってんの! 堂々と出てくるなんて。アナタ忍びの護衛の自覚ないでしょ」

「す、すみません、朱音さん」

 しょんぼりする男の見た目は、二十代くらいで朱音よりも年下風だ。黒髪で中々格好良さげではあるのに、妙に頼りないような。

「まぁいいわ」

 朱音は呆れた風にため息をついたが、何かに気付いて玲菜に目配せをする。

「では、レイナ様、また」

 そう言うとサッとどこかへ消えるように居なくなって、もう一人の男も姿を消した。

(あれ? そういえば黒竜さんは?)

 玲菜はふと気になったのだが、直後に酒を持った黒髪の男が現れて。

「あ! レイナ!?

 それはレオであり。

 玲菜が居たことと、酔っぱらいが倒れていることに驚いた。

「ん? なんだこいつ。酔っぱらいが寝てるのか?」

 恐らく、朱音に気絶させられたと思われる。

 しかし、また酔っぱらいに絡まれたとバレるのが恥ずかしかった玲菜は、朱音たちのことは言わずにレオに話しかけようとした。

「あ、……レオ」

 続きの言葉が出ないでいると、レオの方が言ってきた。

「なんでお前こんな所に? オアシスの夜は変な奴が多いから外に出ない方がいいぞ」

「う、うん」

 たった今、危険な目に遭いそうになった。朱音のおかげで助かったが。

(朱音さん、片腕の半分が無かった)

 ショックすぎて放心しそうだ。

(多分、襲撃事件の時に?)

 レオも顔に大きな傷がある。とすれば、レオを守っている護衛たちもただでは済まなかったことくらい分かる。

 一瞬、黒竜のことが思い浮かんで背筋が凍る玲菜。

(なんで、黒竜さん居なかったんだろう?)

 代わりに別の男が居た。

(あの人誰? なんであの人が出てきたの? 黒竜さんは?)

 怖くてレオに訊けない。

 玲菜は自分のマイナス思考に首を振って考えを改めた。

(きっと黒竜さんは何かの情報収集をしてるんだよ、絶対そう)

 まさか……いや、最悪な事態は考えたくない。

 

 玲菜が考え込んでいると、レオはためらいながら訊いた。

「まだ怒っているのか?」

「え?」

 一瞬、その事は忘れていたので「何の事か?」と思い。けれどすぐに思い出して慌てながら首を振った。

「ううん。もう怒ってないよ!」

「そうか」

 レオはホッと胸を撫で下ろした。

「良かった」

 一回間を置いて、そっと手を繋ぐ。

「お前、どっか行く予定があったのか? 買い物?」

「ん?」

 本当はレオを迎えにきた。

「違うよ。あ、あのね、お酒買ったから。ショーンに預けたんだけど、一緒に飲もう?」

「え?」

 玲菜が酒とは、レオも驚いたらしい。しかも。

「俺も買っちゃったけど」

 彼は自分の買った酒を見せてくる。

「うん。じゃあそれは明日でもいい?」

「ああ」

 妙に嬉しそうな顔をするレオに、玲菜は覗き込んで訊ねた。

「どうしたの? お酒飲めるのがそんなに嬉しい?」

「お前から酒を誘ってくるなんて、無かったから。それに……」

 レオは手をギュッと握る。

「やっと手を繋げたから」

 言った後はお約束の照れが始まって無言になったが。

 玲菜は自分も握り返して二人は歩き始めた。

 

 宿は近くだったのでゆっくり歩く。

 

 本日の夜空も星が多く輝いている。

 その中に一際目立つ青い星。

(あれってシリウスかな?)

 小説を書く際に星座のことは少し調べたのでなんとなく分かる。

 ただ、今が春だと考えると見える星空が若干違うような。

(なんか、冬の星座って感じ)

 まぁ、専門家でもないのではっきりとは分からないが。

 ただ一つ。

 それだけ年月が経っている。

(そうだ。2012年の夏は、もう遥か昔なんだ)

 信じられない。

(遠い未来なのに、言葉も通じるし、結構普通に暮らせたよね)

 しみじみ思い出すと、もしかするとそれはショーンの家だったからだと……気付く。

 なぜなら、宿などに泊まると分かるのだが、ショーンの家は玲菜の凄く住みやすい風になっていた。

(現代風っていうの? 電気もあったし、冷蔵庫、お風呂、洗濯機とか全部揃ってた。キッチンだって使いやすかったし)

 もちろんアナログ仕様ではあるが。ショーンは時に砂漠の遺跡商人から買った旧世界の発掘物を直して家に置いていたりもした。

(ああ、そうか。発掘物が“現代”の物だったら、ショーンにはそれがなんなのかすぐに分かったんだ。それで直して使えるように)

 或いはマリーノエラに直してもらった物もあるかもしれない。とにかく、あの家には未来的(要するに“現代”的)な物がいっぱいあった。

(だから住みやすかったんだ、私にとって)

 最初の慣れない頃に暮らしやすい家で過ごせたのは大きい。

(それに食べ物も)

 ショーンの料理は美味しく、玲菜の口に合っていた。

(そりゃそうだよ! 食材が少し違ったって、いつも私が食べていたお父さんの料理と同じ味なんだもん)

 むしろ外食の方が微妙だったし、宮廷の料理はさすがに豪華だったが、全く口に合わない物も多々あった。

 ただ、レオの給仕が用意してくれる料理はまた美味しくて、きっと料理人がレオ好みに作ってくれているのだろうと予想できるが。その“レオ好み”というのがショーンの料理だったことは明白であり。

(そうか。食べ物って大事)

 玲菜は改めて、この世界で暮らせていけた理由が解った。

(食べ物にしろ、トイレとかにしろ、私が慣れないこの世界で割と早く馴染んで暮らせたのはショーンの家だったからだ)

 ショーンというか、自分の……父の。

 

「レイナ」

 

 急に呼ばれて玲菜はハッとした。

 考え事をしながらレオと一緒に歩いてきたが、気付くともう泊まっている宿の部屋の前。

「ああ、うん」

 玲菜は返事して、目の前のドアを開けようとしたが、伸ばした手をレオによって掴まれる。

「ちょっと待て」

「え?」

「入る前に」

 レオはためらいつつ、小さな声で言った。

「キス、してもいい、か?」

 玲菜はドキリとする。

 キスと聞くと先日のことを思い出して。レオも多分それに気付いていて、強引には来ないで気遣っている。

「うっ……」

 胸の痛みを我慢して玲菜は返事した。

「いいよ」

 仲直りするには、嫌な思い出を克服しなければならない。

 玲菜は恐る恐る目をつむって彼が口づけをしてくるのを待った。あの時の状況が浮かぶと頭の中でかき消して何も考えないようにする。

 そして、彼の顔が近付いてきた気配を感じた時。

 

 突然、ドアの開く音がして。

 レオは反射的に止まり、二人は固まった。

 

 ドアを開けるのは一人しかいないから。

 キスしようとしているところがその人物に見られたと悟って、動けなくなる。

「お、お前ら、何やってんだ」

 その人物である中老の男は、二人の状況に顔を赤くしてつっこむ。

 しかも言い訳をした。

「いや、廊下で声がしたから。お前らが帰ってきたんだと思ってドアを開けたんだが」

 一言謝る。

「悪かった。閉めるから」

 そう言ってドアを閉められても今更再開できない。

 二人は仕方なしに苦笑いして気を取り直す。

 

 キスはお預けになったが、レオは酒を持って部屋のドアを開けた。

「オ、オヤジ! 酒買ってきたから」

「ん? ああ」

 ショーンは気まずそうに頭を掻いて先ほど玲菜から預かった酒を出した。

「これ、玲菜が買ってきたやつ。飲むんだろ? どっち先にするか?」

「あ、私の方を先に」

 恥ずかしそうに玲菜が答えると、レオは自分の買ってきた方を荷物の横に置いてテーブル近くのベッドに腰掛けた。

 玲菜とショーンは椅子で、ショーンはテーブルに置いてあるコップを並べる。

「これ、食堂から借りてきたから」

 言いながら酒を注ぎ、玲菜の分はほんの少しにした。

「三人で飲むなんて久しぶりだな」

 久しぶりか、或いは初めて。

 食事の後によくレオが一人で飲むことはあったが、ショーンも一緒に飲むことはあっても玲菜は無かった。

 

 なんとなく乾杯をして、三人は酒を飲み始める。

「本拠地まであとどのくらいなの?」

 玲菜が訊くとショーンは「う〜ん」と考えた。

「あと三、四日くらいかな〜? 今ちょうど半分くらいで」

「へぇ〜」

 自分はこの時代の地理に詳しくないので今どの辺りに居るのか想像がつかない。

(もうこれからここで暮らすんだから私もいろいろと覚えなきゃ)

 いつもショーンに任せきりでは駄目だ。

 玲菜は決心して酒をグイッと飲んでみた。

(ん?)

 意外にも、イケる。

「このお酒、美味しい」

「だろ?」

 相槌を打ったレオはもうすでに数杯飲んでいる。

「水がいいんだよ、ここは。だから地酒が美味い」

「そうだな」

 ショーンも頷いた。

「ここの酒をレッドガルムの土産に買っていくかな。まぁ、レッドガルムは辛口が好きだから気に入るかどうかは分からんけど」

「お父さん、レッドガルムさんと仲良いの?」

 

 今、自然に玲菜の口から『お父さん』と出て、ショーンとレオは止まった。

 一方、玲菜はなぜ二人が自分を見ているのか不思議に思って。

 そういえば、『お父さん』と呼んだことに気付き、慌てる。

「あ、間違え……」

 いや、間違えていない。

 玲菜にとっては、担任の先生に「お母さん」と間違えて呼んでしまったような気分だったので混乱する。

 しかし、「間違えた」と思ったことが間違いなので赤面。

 俯いて顔を上げられなくなった。

(どうしよう。ショーンのこと、お父さんって呼んじゃった。っていうか、本当はお父さんって呼んだ方がいいんだけど。だって私、自分の父親のこと呼び捨てにしてるってことだし)

 もしかしたら酒のせいなのかもしれないが顔が熱い。

(でも、私のお父さんの名前は譲二だったんだよ? ショーンって呼んでも、お父さんを呼び捨てにしている気がしないよ)

 本来、年配の男性が他人だとしたら「さん」付けするのが常識的な感じもするが。そこは最初から妙にあった親近感のせいだ。

(どうしよう。もう顔を上げられない。こうなったらこれを機に『お父さん』って呼び方を変えた方がいいんじゃないの?)

 二人の顔を見る勇気がない玲菜は、いろいろと考えたが、答えが見つからずに酒を頼んだ。

「あの、お酒のお代わり下さい」

 酔いたくなって。

「大丈夫かよ? 一杯でやめた方がいいんじゃねーの?」

 これはレオの声。

 言われなくとも、その方が良いのは自分で分かるが。

「大丈夫だから、下さい!」

 必死な玲菜に負けてレオは酒を注ぐ。一方、ショーンは真意がわかって複雑な気分になった。

「れ、玲菜、やめとけ」

 彼女が酔いたくなっているのは、自分を「お父さん」と呼んだことが原因かと思うと少なからずショックで。

 けれど、二人が止めるのも聞かずに玲菜は二杯目を一気飲みしてしまった。幸い量は少ないのだが、玲菜にとっては多い。

 

 ショーンが頭を押える中、しばらく経つと玲菜の顔は真っ赤になって目蓋も落ちてきた。少しフラフラと上半身を揺らし始めたのでレオは心配して声を掛けた。

「お、おい。大丈夫かよ?」

「だいじょぶだよー。もっとのめるよ〜」

 返事の仕方が明らかに大丈夫ではない。

 ショーンはため息をついた。

「はぁ。だから言っただろ」

「だいじょぶ〜! おはなしつづけよう? おとーサンはレッド…ガ……さんト、なかが……」

 玲菜が段々と眠りそうになっていくのを見て、ショーンはレオに声を掛けた。

「レオ!」

 自分よりも彼の方がいいと思って。

「部屋に連れてってやれ。頼む」

「あー」

 レオは立ち上がり、コップを置いて玲菜の腕を掴んだ。

「レイナ。もう寝た方がいいぞ」

「え! ヘーキ〜〜〜」

「平気じゃねぇよ」

 レオはショーンの前だったので一瞬ためらったが無理矢理に立たせてそのまま抱き上げた。

「わあ〜〜」

 普段の彼女なら恥ずかしがるはずだが、今は浮かれている。

「おひめさまだっこだぁ〜!」

 ショーンは娘のそんな姿を見たくなくて部屋のドアを開けた。

「悪いな、レオ」

 娘を抱えたレオが廊下に出ると心配そうに眺めてからドアを閉める。

 テーブルの上の自分のコップの酒を飲み干すと、ベッドに腰を下ろして煙草を探した。

(どこに置いたっけか)

 すぐに見つけられないなんて動揺している証拠。

(あああ、くっそ!)

 見つからないので諦めてベッドに寝転がり、天井を眺めた。

 

(お父さん、か)

 

 久しぶりに聞いた。

 二年前に何回か聞いたことがあって。ただそれは彼女が“父と間違えた”時であったりして。

 ここに戻ってきた時も、第一声は「お父さん」だったが。

『父親』だと告白してからは一度もそう呼ばれなかった。

 仕方ないと自分に言い聞かせてきたのに。

 先ほど呼ばれたら「また呼んでほしい」と望んでしまった。

「ああ……」

 今の願いが実はそれだったりする。

 

 ちなみに一番の望みは昔からずっと変わらない。

「純玲《すみれ》さん、会いたい」

 

 いつも思っているが、口に出して言うなんて久しぶりだ。

(酔ってんな、俺。いい歳したオヤジが何言ってんだか)

 自分に苦笑い。

 

 ショーンは目をつむり、酔ったまま気持ちよく眠りたいと思った。

 そして願わくは、夢の中で“彼女”と会えたらいい、と。

(でもどうせ、都合よく出てきてくれないんだよな)

 まるで、彼女の好きだった曲の歌詞のようだ。

 若い頃の記憶にショーンは懐かしく笑い、しばらく妻との思い出に浸りながら眠った。

 

 

 一方その頃。

 玲菜を抱きかかえたレオは彼女の使っている部屋のベッドまで連れていったが。

 下ろすと彼女が甘い声で駄々を捏ねてきた。

「あ、だめ! もっとして〜〜〜〜!」

 両手を上げてもっとお姫様抱っこをしてほしいとせがむ。

「ええ!?

 酔っているとはいえ、こんな甘い声を出すなんて今まで無い。

 しかし悪い気はしないというか、むしろ良い気分でレオは口元を緩ませた。

「なんだよ。もっとしてほしいのか?」

「うん。して?」

 頬を赤くして見つめてくる仕草を見たら、理性が消滅してしまう。

 

 レオはすぐにもう一度抱きかかえて顔を近づける。

「するぞ。キス」

 さっきできなかったから、まずはその欲求から。

「うん」

 彼女が目を閉じてキスを待つので、レオは堪らず唇を触れさせた。

 

 そのまま抑え切れずにベッドに倒れこんでしまったが、玲菜は尚も誘うような声を出してくる。

「レオく〜〜〜ん」

 声だけでなく、顔を胸にすり寄せてきたのでレオは我を失いそうになった。

 だが、『酔っている』ということを思い出して踏み止まる。

(いいのか? 駄目だよな? いや、いいのか)

 いや、駄目だ。部屋に戻るのが遅いとショーンに何言われるか。

「ううっ」

 レオは歯を食いしばり、あり得ないほど我慢して泣く泣くベッドから降りようとしたが。彼女に腕を掴まれて悲しそうに言われた。

「行っちゃうの?」

「いっ」

 無理です。負けました。

「行くわけねーだろ!」

 酒酔いのせいとはいえ、こんな奇跡無い。

 こんなに甘えられたのは初めてだし、甘い可愛い声を出されると意識を失いそうになる。

 こんな風に誘われたら期待に応えるしかない。

「レイナ!」

 レオは彼女の上に重なり、ゆっくりと顔を近づける。

 彼女は目を閉じているので、もうキスを待つ態勢に入って――いる? のか?

(あれ?)

 

 よく見ると様子が変だ。微かに寝息らしき音が。

「レイナ……さん?」

 ……返事がない。どうやら眠りに就いたようだ。

 

 こんなお約束、予想できたはずなのになぜ罠に嵌ったのか。

「寝てんのかよ!」

 レオがつっこんでも、もう彼女は夢の中。幸せそうに微笑んで眠っている。

「はあぁ」

 レオは大きなため息をつき、頭を抱えながら今度こそベッドを下りた。


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