創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第二十二話:砂上の砦・鳳凰城塞]
今回の戦《いくさ》は小さな争い事としてはもうすでに起きていた。それは西の大国『ナトラ・テミス』が近隣の小国を巻き込んで帝国にけしかけるイザコザ。
彼らは自らを「テミス」と名乗る民族が大部分を占めていて、かつては帝国よりも大きな領土と力を持っていた。その栄光は今でも彼らの誇りとなり、今や強大な力を持つ帝国に対しては脅威と敵意を向ける。更に帝国の至る所に存在する豊かな地下資源は魅力であり、何かしら因縁をつけては領土を奪い取ろうと企んでいた。
まずその最初の標的は帝国の西側にあたる国境近くの土地。そこは旧世界の資源が地下に数多く眠るといわれ、発掘すれば強力な兵器を掘り起こせる可能性をも秘めている。
そのために押さえておくべきは砂上の砦と呼ばれる『鳳凰城塞《ほうおうじょうさい》』
かつてそこは要塞化された修道院付大聖堂であり、ナトラ・テミスはそのことを利用し、『古来の我々の聖地を女神の名のもとに取り戻す』と宗教的な戦う理由をこじつけて国民を躍起《やっき》させた。
今や彼らが帝国に侵攻するのは時間の問題と言われていて、まず手始めに狙うのは西の国境を守る帝国西方門だと予想される。
それを裏付けるように周辺の小さな争い事は日に日に増していき、まさに一触即発。戦力を上げて攻められたら国境警備隊だけでは守りきるのが不可能だけに、緊迫した状況に陥《おちい》っていた。
――と、いう風にショーンから説明されても、玲菜は分かったような分からないような……いや、分からない方が大部分を占めていて、困ったように彼に言った。
「あ、あの……もう一回ゆっくり説明して下さい」
ショーンはニッと笑う。
「うん、まぁ分からんだろ。またその時々で教えるよ。とりあえず、その西の国『ナトラ・テミス』と近隣諸国……つまりナトラ・テミス連合軍が帝国に攻め込んでくるから追い払うって話さ」
そして、眠そうに歯を磨いているレオを指した。
「それをやるのが帝国最強のシリウス軍。危機に瀕《ひん》している国境警備隊を助けて、連中を返り討ちに遭わせる」
ここに御座《おわ》すシリウスさんは髪ボサボサの寝ぼけ眼《まなこ》でとてもそうは見えない。心配になった玲菜にショーンは言う。
「俺たちは旧要塞大聖堂の砦・鳳凰城塞に向かう。それだけ分かってればいいよ」
本日はいよいよレオが出立《しゅったつ》する日。
まずは城に向かうレオはまだ日が昇る前に起きて眠そうに朝支度をしていた。
その彼を見送ろうと、玲菜も起きて、ショーンから今回の戦《いくさ》の軽い説明を受けた現在に至る。
ショーンはレオのために朝から大量の食事を作ってあげた。戦に発つと食料を大事にするため、もう腹いっぱい食べられなくなるからだという。
豪華すぎる朝食に、玲菜は朝からそんなに食べられないだろうと心配したが、レオは軽々しく平らげて満足したように着替える。まるで魔法でも使ったかのようだ。
ショーンはレオに言った。
「俺たちは今日、旅の用意して明日に発つから。でもまぁ軍隊より身軽だから同じくらいに砦に着くだろう」
「ああ、分かった」
レオは自分の部屋の机に置いてあった一通の封書をショーンに渡した。
「これが俺からの書状だから。城主はウィン司教だったかな、確か」
「ああ、ありがとう」
受け取って礼を言うショーンにもう一つ付け加える。
「それと、朱音《あかね》を護衛につける。普段は姿を現さないけど、呼べば現れるから」
それは心強い。
「わかった」
確認するのはこれぐらいか。
レオは水色の詰襟《つめえり》の服を着ている。
「じゃあ、俺はもう行くから。屋敷で鎧も着けなきゃいけないし」
家の外ではすでに従者が待っていた。
「おう。じゃあ頑張れよ! それから酒飲みすぎんな」
レオの肩を叩くショーン。
「わかってるよ」
三人は玄関に向かってドアを開けた。
外はまだ少し薄暗くてしかも寒い。
玲菜は震えたが、レオを見送るために一緒に出ていく。猫のウヅキも一緒に来たので玲菜はウヅキを抱っこした。
近くでは馬車と御者《ぎょしゃ》と従者《じゅうしゃ》が待っていて、レオを出迎えた。
(な、なんか言わなきゃ)
もうしばらく会えなくなるので焦る玲菜。早くしないとレオが行ってしまう。
こんな時、物語ならばお守りを渡したりするはずなのに。自分は何も用意していない。用意する時間も無かった。いくら砦でまた会えるとはいえ。
「じゃあ、またな」
レオは二人に挨拶をする。慌てて玲菜は声を掛けた。
「あの、気を付けて……ね」
「ああ。まだ移動するだけだから平気だけどな」
会話をすると白い息が出てくる。
「うん。でも寒いから。風邪とかにも気を付けてね」
本当は今でも行ってほしくない気持ちがあるのだが。止めても無理なのは分かる。
「お前も気を付けろよ。ウヅキをよろしく」
そう言ってから、ウヅキの頭を撫でるレオ。
「ウヅキも連れていくからね」
砦へは砂漠を避けていくのでウヅキも連れていけそうだ。玲菜がそう言うとレオは少し微笑んでから馬車に乗り込んだ。
(ああ!)
玲菜は心の中で嘆いた。
(なんにも言えなかった)
気の利いた言葉の一つでも出れば良かったのに。
玲菜とショーンはレオの乗った馬車が見えなくなるまで見送っていた。
それから二人は家に入って、少し休んでから旅の用意をした。玲菜はまず服を洗濯して、明日持っていけるように早めに干す。そして必要な物を買いに街へ出た時に、賭博《とばく》で儲けた金のことを正直にショーンに話すとショーンは「それはレイナが持っていろ」と容認してきた。なんだかあまりよくない金のように思えたが、玲菜はその金で自分の物を購入する。町の噂ではシリウス軍が出発したという話を聞いてレオのことを想う。そうして、荷物を全部用意して早めに就寝した。
次の日。
早朝から玲菜とショーンはウヅキを連れて家を出た。街で馬車に乗り、都を出る。
まずは砂漠を避けて北西に行き、それから南へ下るという行き方。
一日に何時間も馬車に乗り、または歩いたり船で河を渡ったり。日が暮れる前に近くの町や村に行き、宿に泊まり、朝になったらまた馬車に乗る。それを繰り返して、やがて三日が経った頃、今度は南下していくと砂漠に入る。
砂漠ではラクダを借りて、暑さに耐《た》えながら進み、砂嵐が来るとしばらくの間は動けなくなるので無駄に時間が経った。そして早めにオアシスを探して休む。更に三日が過ぎて、地面が荒れ乾いた大地に変わり砂が少なくなった頃、ようやく目的の地――旧要塞大聖堂の砦・鳳凰城塞にたどり着いた。
でかくて何重もある分厚い外防壁と城壁、外郭を過ぎて内郭に入ると立派でいかつい天守がそびえ立つ。
鳳凰“城”といっても、都の皇帝の城とは全く見た目が違う。玲菜はその砦を見上げた。
ここにお姫様の住むおとぎの国のお城の雰囲気は一切無い。城壁に配備されたたくさんの砲台、銃眼、濠《ほり》に、敵の侵入を許さない数々の仕掛け。幾つもの塔と、石壁の歩廊《ほろう》にはたくさんの見張り。壁の色も地味な茶色の一色。
要塞化された旧大聖堂というのは伊達ではない。それよりも、兵士らしき人間がたくさんうろついている。屋台では武器なども並べられて、鍛冶屋らしき人間も居る。
(男ばっかり)
玲菜はショーンに掴まって歩いた。一緒に歩いていたウヅキもペット用のカゴに入れて大人しくさせる。
「傭兵が多いな」
ショーンはざっと見回して言った。
「シリウス軍はまだか」
剣の訓練をしている者、テントの張られた場所、男臭い食堂と酒保《しゅほ》。馬に乗った騎士たち。
とにかくキョロキョロする玲菜。
(これが砦? 元、修道院付大聖堂って聞いたけど、大聖堂らしき部分が無い)
心配して見ていると、いかにも要塞風な城の後ろに明らかに大聖堂風な立派な建物が現れた。そちらは円錐《えんすい》の屋根に彫刻の壁に美しい装飾の窓。
(大聖堂、あったーーー!!)
「手伝いの女性はこっちで働くらしいぞ。元修道院が宿舎代わりになるそうだ」
嬉しいショーンの言葉。
(ほ、ほんとに?)
男臭さが抜けて急に神聖な雰囲気になる。よく見ると大聖堂の建物の近くには女性がちらほら居た。しかも、シスターのような修道服姿にエプロンを着けている。
ショーンは近くに居た女性に訊いて城主であるウィン司教の居る部屋に案内してもらうことにした。
大聖堂兼修道院の中はひんやりしたひろい石造りの空間と、高い天井に壁画、高い位置の窓には芸術的なステンドグラスがあり、玲菜は何度も大声を上げそうになっていた。
女性に案内されながら中を歩くと、色々な女の人が忙しそうに歩いている。
(これ皆お手伝いさん?)
皆格好はほぼ同じでシスター風の服にエプロンといった姿。
(制服みたいなのあるの?)
いわゆるメイド服と同じなのだろうが、シスター服仕様なのが可愛い。
回廊を通り、やがて一つの部屋の前で止まると、案内してくれた女性はドアをノックする。
「司教様、お客様です」
すると中から声が聞こえた。
「客?」
ショーンは女性に言う。
「どうもありがとう」
「いいえ」
女性は笑顔で会釈をして去っていく。
その後、ドアが開いて神父らしきローブの男が不審そうな顔でこちらを見てきた。
「今日は来客の話は聞いていない。兵の志願ならここではなく、城の騎士に訊け。それとも家政婦の仕事ならば作業室に婦長が居るからそちらに問い合わせよ」
「ああ、ええと……」
慌ててレオの書状を取り出すショーン。
「俺はシリウスの部隊なんだが。ちょっと皇子から頼まれた娘が居てな」
書状を見て神父は表情を変えた。
「こ、これはシリウス様の」
すぐにドアを閉めて中へ引っ込む。
玲菜とショーンが顔を見合わせていると少し経ってからまたドアが開いた。
「失礼しました。司教はこちらです」
そう言ったのは先ほどの神父で。明らかに態度を改めている。
中には立派な格好をした老人が座っていて、もしやこちらが司教か。
司教はショーンの顔を見るなり、気付いたように言った。
「ああ、貴方はシリウス様の所の軍師で帝国四賢者殿ではありませんか」
「あ、ああ、どうも。ショーンです」
気まずそうなショーンと、それどころではない玲菜。
(え? なに? 帝国四賢者? 何それ、凄い人?)
賢者は凄い人間だと聞いたことがあるが、更に凄そうな肩書が出てきた。
(しかも軍師って言わなかった?)
司教はショーンに握手を求めた。
「私はここの城主を務めているウィンです」
握手に応じてからショーンは書状を渡す。
「シリウス……いや、アルバート皇子からの直筆の書状です。ここに居る娘を今回の戦の間だけここで働かせて頂きたくて。急な頼みなんですが」
書状を読んで司教はすぐに頷いた。
「皇子からの頼みでしたら、喜んで。今から婦長に伝えておきます。よろしいですかな?」
恐らく本来は面接があったりと手続きが必要なはずだが。さすが皇子の書状効果で即決定。玲菜は早速司教の使いの女性に連れられていくことになった。
レオの到着を待つと言うショーンにウヅキを預けて別れて、玲菜は女性に案内される。
女性は玲菜を連れて歩き、作業室という広間に居る、赤に近い茶色い髪の年配の女性の許《もと》へ行った。そして司教に言われた話を彼女にする。
「婦長、こちらの娘さんを一時家政婦として雇ったと司教様が言っておられました。マーサ婦長によろしく頼む、とのことです。お願いしますね」
女性は去ってしまい、マーサ婦長と呼ばれた年配の女性は残された玲菜をじっと見た。
「ふ〜ん」
婦長はいわゆる『お母さん』的な雰囲気満載で。大きくて温かそうな体形に力強さと優しさを兼ね揃えたような感じがある。
「司教が自ら? 変ね〜? 誰か上層部からの……」
そこまで言って言葉を止めた。
「まぁいいわ。余計な詮索はしない。特別扱いしないけど、いいね?」
言われて玲菜は返事をした。
「は、はい。玲菜です、よろしくお願いします!」
「うん、いい返事だね」
婦長は周りを見回して黄緑に近い金色の髪を左右の高い位置で結んだ……俗にいうツインテールの娘に声を掛ける。
「ミリア! アンタの部屋、ベッドが一つ空いてるね? そこ、この子のベッドにするから。新人なんだけどついでに色々教えてくれる?」
「え?」
振り向くと凄く可愛い顔をしている。しかも年齢は同じか少し下くらいか。
「まずは余ってる仕事着貰ってきて。着替えたら私のところに戻ってきなさい」
「ハーイ」
返事をした娘は玲菜に近付いた。
「新人ってアナタ?」
「あ、そうです。玲菜です」
「敬語使わなくていいわよ。わたしはミリア、よろしくネ〜!」
ミリアは声も可愛く、軽いノリで玲菜を連れていく。
回廊を通り、階段を上り、二階の廊下の突き当たりの部屋に入ると、そこに居た女性に話しかけた。
「あの〜。新人さんらしーです! 余ってる仕事着ありますか?」
女性は引き出しの中から袋を取り出した。
「じゃあこれね。サイズ合わなかったらまた持ってきて」
「どうも〜!」
受け取ったミリアはそれを玲菜に渡して部屋を後にする。先ほどの廊下に戻り、たくさんの部屋のドアの一つを開けた。
「ここがわたしたちの部屋よ!」
そこにはベッドが四つある。簡易的な仕切りだけあって、あとはベッドの横にテーブル兼引き出しがあるだけだ。
ミリアは一つのベッドに座った。
「ここはわたしのベッドなの」
そこは真ん中の左側のベッドで、隣の左端のベッドを指した。
「こっちレイナのベッドね。仕切りまでが一応自分のスペースだから。狭いけど好きに使って」
「う、うん」
玲菜は自分のベッドと言われた所の横に持ってきた荷物を置いた。
右側のベッド二つにも誰かが居るらしく、荷物だけが置いてある。
(四人部屋なんだ)
ミリアは言う。
「じゃあ、さっき受け取った仕事着に着替えて」
「うん」
渡された袋を開けると、そこには黒のシスター風の服。布地の厚い長袖長裾のワンピースと白い頭巾とベール。それと白いエプロン。少し改良されているらしく、袖などはダボつかずゴムが入っていて、作業に邪魔にならない。
着替えているとミリアが話しかける。
「ここ昔、女子修道院だったらしいから仕事着がシスターの服なのヨ。使い回しっぽいけど可愛いわよね〜」
そういうわけか。確かに可愛い、と玲菜も思った。
「うん。可愛いよね」
(シスターのコスプレみたいだけど)
「ベールと頭巾は、作業中以外は被らなくてもいいのよ」
そう言うミリアは被っていない。さらに質問をしてくる。
「ねぇねぇ、レイナって何歳?」
「え? 二十歳だよ」
「ホントに? わたし二十二歳。歳近いわね!」
ミリアの年齢に玲菜はびっくりした。
(年上だったんだ)
そうは見えない。顔も声も可愛らしいというか……若干幼く感じる。
玲菜が着替え終わると、ミリアはベッドから降りてまた歩き出した。
「じゃあ、婦長の所戻りましょ! 早速仕事割り当てられるわよ。レイナは何が得意?」
得意と言われると何が得意だろうか。
「えっと……掃除と洗濯かなぁ?」
「じゃあ多分洗濯係やらされるわよ! 洗濯の量って凄いもの」
確かにこれだけ人が多ければたくさんありそうだ。
「わたしはねぇ、料理係なの〜」
得意げに言うミリア。
彼女の言う通り、玲菜はまんまと洗濯係にさせられて、得意と言ったことを後悔した。
(掃除にしとけば良かったかなぁ?)
なんだか大変そうだ。
旅の疲れも癒せず、着いた途端いきなり仕事とは中々厳しい。
(でも頑張ろう!)
ここに居ればレオの近くに居られる。しかも間接的に彼の手伝いにもなるのか。ここでの仕事は、駐留する軍の兵士たちのための食事や洗濯、裁縫、城の掃除をそれぞれの係に分かれて行うものであった。他に別枠で看護がある。こちらは城にまで運ばれた負傷者の看護や前線近くの野営の救護テントに派遣される場合があるので少し優遇が違う。まだ本格的な戦が始まっていないので今の負傷者は少ない上に軽傷だが。
一応看護以外の家政婦として働く女性を仕切るのが婦長で、各係の係長と更にグループに分けた班長が居て、玲菜は割り当てられた洗濯係の第三班の班長・アヤメに持ち場へ連れていかれる。
アヤメはサバサバ系の姉さんという感じで声も低い。黒い瞳に黒いショートボブの日本人っぽい顔立ちをしている。歳は二十五なのだという。
「じゃあレイナちゃん、アナタ洗う係やってくれる?」
聖堂と城の中間辺りの庭に洗濯場はある。そこにはでかい洗濯桶と水道ならぬ手押し式の井戸が幾つかあり、ハンドルを上下に動かすと直接洗濯桶に水が流れ、いっぱいになったら桶のハンドルを手動で回して洗濯をする、という仕組みがあった。洗濯係には大きく分けて洗う係と干す係がある。玲菜は洗う係を命じられたので第三班用の洗濯桶の前に行った。
そこにはすでに二人の女性が居て、一人が桶の中に洗濯物を入れて、もう一人が井戸を使って水を桶に流していた。
玲菜は挨拶をした後、桶のハンドルを回す担当になり、両手で回していく。ハンドルはもう一つあり、そちらはアヤメが回したが、二人掛かりでも意外と重くて大変だった。
疲れてくると他の二人が交代してくれて、玲菜は少し休みながら周りを見回した。
近くでは兵士たちが集団または個人で剣などの訓練をしている。
玲菜の目線を見てアヤメが説明をしてくれた。
「あそこは練兵場よ。今はまだ人少ないけど、シリウスの隊が到着したら混雑するからね。こう言っちゃなんだけど、洗濯しながら見てると結構面白いのよ」
シリウスの隊と聞いてドキリとする。
(レオ……)
レオと別れて約一週間か。彼のことは一時《いっとき》も忘れていない。今どうしているかとずっと思っていた。砦に着いたらもしかしたら会えるかと思っていたが、向こうはまだ到着していなかった。到着しても簡単には会えないだろうが、とにかく待ち遠しい。
「交代お願ーい!」
「は、はい」
また桶ハンドルを回していると、同じ班の女性たちが先ほどのアヤメの言った話の関連を喋り始めた。
「シリウスの隊、待ち遠しいわね〜」
「ね〜!」
なんと、自分の他にも待ち遠しいと思っている人が居るなんて。
しかもそれは二人ではなかった。
「早く着いてほしいわ〜」
近くに居た違う班の女性たちが話に加わる。
「シリウス様を早く見たい〜!」
しかもなんと、目当てはレオさんのようで。
「私、見たことあるわよ! もう凄く凛々《りり》しくて素敵なのよ〜」
「そうそう、ホントに“シリウス”って感じで」
「カッコイイのよ〜」
女性たちがレオの見た目や想像だけで騒ぐ。
「ほら、お喋りしてないで交代して!」
アヤメが一度注意したおかげでまた休憩になる玲菜。
(なんか……レオって凄いイメージ良いな)
普段の彼のだらしなさを思い出して笑いそうになった。
(ホントはいつも酒飲んでるし、朝にお風呂入るし、髪ボサボサで服もだらしないまま過ごしてるし、家事しないでゴロゴロしてウヅキと戯《たわむ》れて部屋はゴチャゴチャで)
皆に教えてやりたい。
しかし、自分だけが知っているという優越感も実はある。
そんなことを思いながらニヤニヤしていた所に、数人の女性たちが走ってやってきて、洗濯場の皆に言った。
「シリウス隊、到着したみたいよ〜〜!!」
その場が一気にざわめく。
(レオ、来たの?)
玲菜はドキドキしてハンドルが手に付かなくなったが、洗濯の係長が皆に注意した。
「ほら! 仕事中よ! 終わったら休憩にするから、手を休めないで」
その言葉に、皆が一斉に集中し始める。作業のペースが速くなって次々に“洗い”が終了した。嘆いているのは“干す”担当の方だ。
洗い担当の終わった班の女性たちが急いで城壁の方に走っていく。目指すはシリウス隊の到着した城門の方か。
玲菜は戸惑ったが、終わるとアヤメが誘ってきた。
「レイナちゃんも一緒に行く?」
「は、はい」
まさか彼女までレオ目当てなのかと思ったが、アヤメは違うらしく、自分から言ってきた。
「アタシの目当てはバシル将軍なの。武骨で逞《たくま》しくて本当に素敵」
どうやらごつい武人が好みらしい。
城門近くは砦に居た兵士、傭兵、家政婦の女性たちでごった返していた。
城内に居た者が皆集結したのかと思わんばかり。
物凄い人混みで近付くどころか身動きが取れなくなりそうだ。
(嘘でしょ?)
せっかくレオに会えると思ったのに。見ることもできないなんて。泣きそうになったレイナをアヤメが引っ張る。
「ここじゃ無理、たぶん聖堂の中庭まで入ってくると思うから、聖堂の上から見ましょ!」
聖堂は兵士たちが少ない分、若干空いてはいたが、同じことを考えた女性たちが集まってきていたのですぐに混んできた。
アヤメと一緒にウロウロしていると、上から声が聞こえた。
「あれ? アヤメさーん! それにレイナ! こっちこっちー!」
見上げると二階の回廊の窓からツインテールの娘がこちらに手を振っている。ミリアだ。
「ミリアの所、行こうか」
アヤメに誘導される玲菜。つい気になったことを訊いてみた。
「あ、あの、アヤメさんとミリア…は知り合いなんですか?」
「アタシはあの子と同じ部屋だから。レイナちゃんも知ってるの?」
ミリアと同じ部屋ということは……
「私、同じ部屋になったんです! じゃあアヤメさんも同室ですね!」
「ホントにー? よろしく!」
アヤメがそう言ったところで二階に着き、回廊に居るミリアと合流する。
ミリアは嬉しそうに二人に言った。
「何なに? 二人は同じ班なの? 良かったわね〜レイナ! アヤメさんは仕事できるし良い人よ」
「うん!」
ミリアと玲菜の会話に恥ずかしそうにするアヤメ。
「何言ってるの。照れるじゃないのよ! それよりシリウス隊来た?」
三人で窓から見下ろすと中庭には城主のウィン司教が出迎えるように立っていて。
やがて馬に乗った騎士たちが、開けられた大きな扉から堂々と中庭に入ってきた。
「来た!」
皆が騒いだし、女性たちは黄色い声援を送る。
先頭に居るのはレオだ。なんと、乗っているのは白馬。
(リアル白馬の王子様だーーー!!)
玲菜はつっこみそうになったが、それよりもレオの凛々しさに息を呑む。
(やばい。なにあれ、ホントにレオ?)
見た目が良いのは知っているが。しばらくぶりのせいか、もしくは周りの声援のせいかいつもより数段カッコよく見える。
銀の甲冑《かっちゅう》に青いマント。威風堂々と白馬に跨《またが》る姿はまるで物語の中の英雄。
「へぇ〜あれがシリウスさまかぁ〜。ホントだ〜。美形ね〜」
初めて見たらしいミリアは感心している。それよりもアヤメがそわそわしていた。
「居た! 居た! バシル将軍!」
指すのはレオのすぐ横にいる武骨なおっさん。いかにも将軍風なでかい軍人だ。
「はぁ〜。筋肉凄い! 筋肉凄い!」
興奮したアヤメの趣味は大体分かった。
玲菜はレオが自分の下を通り過ぎようとした時、つい「レオ」と呼びそうになって口を押えた。
(レオって呼んじゃ駄目だよね)
自分に気付いてくれないかと念を送ったが、全く上を向かず気付く様子も無い。
そこに、なんと一人のおじさんが近付いていった。周りの騎士たちが槍を構えようとしたが、レオが制止したのが見える。
それはショーンだった。
「ショーン!!」
つい大声で玲菜は呼んだが、ショーンもレオも声には気付かないよう。二人は何か少し喋って、レオが馬から降りた。そこに司教が近付く。
シリウス隊も皆馬から降りて、何か挨拶が交わされているようだった。
それを見ながら、ミリアが床に座り込んだ。
「カッコイイ〜。どうしよう。一目惚れだわ〜」
「え!?」
まさかにレオに? と、玲菜は焦ったが。
「あのおじさん誰〜? 渋くてモロ好み!」
なんと! ミリアが一目惚れしたのはショーンだった。
それはそれで複雑な気分になる玲菜。つい言ってしまう。
「え! ショーンは五十代だよ」
「知り合いなの!?」
ミリアが食いつき、アヤメもこちらを見た。
レオとのことは隠した方がいいような気がしたが、ショーンのことは少し言ってもいいか。
「あ、うん。あの人、考古研究者で私その助手やってるから」
助手は仮の設定だが、同居のことは言わずにその話をする玲菜。
「ええ!! 嘘!? ホントに!? え? ショーンってまさか……」
興奮したミリアの言葉の続きを言ったのはアヤメだ。
「帝国四賢者のショーン?」
先ほども聞いたような名前が出てきた。
「帝国四賢者?」
訊くと二人が同時につっこむ。
「知らないの!?」
アヤメが説明してきた。
「偉大な賢者の中でも、帝国屈指の賢者四人を帝国四賢者って呼んでるの。あそこに居るショーンさんが『賢者』だったらきっと四賢者のショーンと同一人物じゃない? 確か彼は考古研究者で軍師だと聞いたことがある」
ショーンは確かに「賢者」だと、レオも本人も言っていた。軍師は初耳だが。それに、帝国四賢者という言葉は先ほど司教の口からも出ていた気がする。
「同一人物かもしれない」
玲菜が頷くと二人はびっくりして同時に大声を出した。
「ええ〜〜〜!!」
「アナタ、凄い人と知り合いね」
アヤメは玲菜の手を掴み、ミリアは喜んでいる。
「やだ〜! そんな凄い人だったなんて! ますます好きになっちゃうわ」
「ええ!?」
玲菜が反応すると、ミリアは玲菜をじっと見て言う。
「レイナは皇子のファンなんでしょ?」
「え!!」
ファンではないが、見透かされて動揺する玲菜を面白そうに眺めるミリア。
「だって、さっき物凄くうっとりしてシリウスさまを見てたじゃない」
うっとりしていたのか。
そんな顔に出ていたのかと、玲菜は恥ずかしくなって顔を赤くする。
(確かにレオのことが好きだけど、でもショーンを好きと言われるのも微妙な気分になるのはなんでだろ)
自分の父親を若い娘に「好き」と言われるのと感覚が似ている。「渋い」や「カッコイイ」なら嬉しいが、恋愛感情は別だ。玲菜は恨まれるのを覚悟でミリアに告げた。
「でも、ショーンには奥さんと娘さんが居るよ」
「関係ないわよ!」
きっぱりとミリアは言う。
やはり微妙な気分だ。
そうやって三人で話しているといつの間にか周りの人は減っていて、気付くとシリウス隊は別の場所に移動したらしく、居なくなっていた。
「ハッ!」と気付いてアヤメは促《うなが》す。
「もう戻らないと! シリウス隊が入ってきて、きっと仕事が増えてる」
玲菜はミリアと別れて、アヤメと一緒に洗濯場に戻った。