創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第二十四話:鋼鉄の馬車]
伝令の後、明らかに辺りの空気が変わった。
兵士たちは静まり、シリウスの命令を待つ。練兵場の近くに居た女性たちも心配そうに皇子の判断を見守った。それは洗濯係の玲菜も同じ。
(始まったってレオ言ったよね? それにショーンまで駆け寄って。ついに戦争なの?)
レオは伝令係に問う。
「ナトラ・テミスの大軍が国境近くの陣に着くのは大体どのくらいと、隠密隊はみている?」
「はい。およそ三日後かと、情報が入っております」
「ふぅん。計算通りだな。国境越えの小隊も居るから挑発だと因縁も付けられないだろ。確信犯だもんな」
考え込むレオに話しかけるショーン。
「どうする? 小隊は罠だな。明らかに」
「でも、集落が襲われているらしいから、領民を見捨てるわけにもいかない。かといって、軍の人員をたくさんは割けない。少ない人数で確実に領民を助けて連中を追い払えるのは……」
レオの問いに、ショーンは近くに居る鳳凰《ほうおう》騎士団長のフェリクスを見る。その考えはレオも一致していて、すぐにフェリクスに命令した。
「フェリクス団長! 鳳凰騎士団に集落と領民の安全確保、及び侵入してきた敵の討伐《とうばつ》を命ずる! 今から準備ができ次第すぐに発ってくれ。
「ハッ! 承知しました!」
フェリクスは頭を下げてから足早に歩き、団員を集め始める。
レオは兵士たちに言い放った。
「鳳凰騎士団以外の本隊は明朝から出陣する! 詳しくは各隊長、各団長に説明するからそれまでに準備を進めろ!」
それを聴いて兵士たちは皆いきりたち大声を上げ始めた。出陣前の気合いなのか興奮なのか分からないが、「うおおお!」だとか「シリウス」と呼ぶ声も。
一方レオは急に慌ただしく歩き始めて、ショーンや将軍たちと一緒に城の方へ行ってしまった。
(明朝って明日の朝?)
玲菜は現実味を増してきた戦に不安と恐ろしさが込み上げてきて、心は洗濯どころではなくなったが、辛うじて手だけは仕事のために動かし、休憩時間になったら一度ショーンと会わなくてはならない、と考えていた。
そうやって働き続けて、ようやく昼食のための休憩時間に突入した。
食堂では、ついに始まったと、練兵場での事を見ていなかった女性たちにも話が伝わっていて、皆がその事を心配そうに話していた。
玲菜は急いで昼食をとり、残った休憩時間でショーンを捜した。様々な人に訊いて回り、ようやく居場所を突き止めると、ショーンはひとけの無い風車塔の中で誰かと話をしていた。
「ショ……」
声を掛けようとした玲菜だったが、ショーンと話す人影がレオであり、何か深刻そうな話をしている雰囲気に口を閉ざす。つい、二人の話を風車塔入り口付近で立ち聞きしてしまった。
「で、どうすんだ? 全軍出撃すんのか?」
これはショーン。
「とりあえず砦の守備兵と司教の隊を残して西方門近くまで出陣する。あとは密偵の情報から国境警備隊の詰所《つめしょ》で最後の作戦会議だ」
今のはレオ。ちゃっかりウヅキまで一緒に居て、レオはウヅキを抱っこしている。ショーンは心配そうに言った。
「俺も行こうか?」
「オヤジはここに残れよ。あいつを一人にさせる気か?」
レオの言葉に、一瞬「あいつ」とは誰かと思ったが、少し考えてそれが自分だと気付く玲菜。ついでに自分のせいでショーンが動けないということにも気づいてしまった。
(ショーンもしかして、本当はレオを助けたいのに私が居るから動けないの?)
「昼の前にも伝令があって、村を襲われた領民が警備隊の詰所に避難しに押し寄せてるって聞いてな。さすがにそれはやばいから、難民を全員この砦に誘導させる隊も必要だし」
困った顔をするレオと考え込むショーン。
「そりゃあ……当然罠だから急いだ方がいいな。下手すりゃ領民を人質に取られる」
「ああ、分かってる」
レオは言う。
「出陣は明日だが、難民救出はすぐの方がいい。詰所には食料の蓄えがそんなに無いはずだから救援物資と部隊と……」
「包囲の可能性は?」
「無いだろ。向こうもこっちが近くまで来てる事を分かってるはずだ」
「そうか」
ショーンは「う〜ん」と考えて、何か言いたそうにしたが首を振った。 その心に気付いたレオは呆れた顔で言う。
「なんだよ。言えよ」
「うん。……」
ショーンは一度ためらってから口を開く。
「今の内に遺跡商人の所行っとくかな、と思ってさ。きっと戦のニオイを嗅ぎ付けて早くしないと彼らは移動しちゃうから。そうなると今度いつ現れるか分からん」
思い出して賛成するレオ。
「そうだ! 行っとけよ。明朝出陣って言っても各隊分けて行くから俺が出るのは遅いし。何か大事な物探してんだろ? なんだか知らねーけど。早く手に入るといいな」
それを聴いて心が痛くなった玲菜はつい二人の前に出てしまった。
「わ、私は……」
「レイナ?」
「私は……」
続きの言葉が出ない。
早く帰りたい? レオのそばに居たい?
今はレオのそばに居たい。だから探すのは待ってほしい?
(そんなの都合が良すぎる!)
ショーンもきっと分かってくれていて。きっと悩んでくれているはず。
(私、ショーンに重荷を背負わせているかも)
玲菜の気持ちを知っているから。本当に、帰るための道具を探していいものか迷っているかもしれない。
それでは駄目だ。
「私も、ショーンと一緒に行く!」
「はあ? 何言ってんだ。ってか、いつからそこに居た? 一緒に行くって、どこに敵がうろついてるか分からないんだぞ。お前はここで……」
レオはびっくりして止めようとしたが、玲菜の心は変わらない。
「大丈夫! だって私の、自分のための物なんだよ? 私が行かないと」
その言葉に、レオは疑問を持った。
「お前が必要な物? 研究の材料ではなくて?」
とっさに付け加えたのはショーンだ。
「レイナの! レイナの研究の材料なんだよ」
「え? ああそうか」
うまく誤魔化すことができた。
しかし、いつまでも隠していられないということにも、玲菜は気付いていた。
(言ったら、レオなんて言うかな?)
びっくりするに違いない。もしかするとショーンには教えていて自分には秘密にしていたことを怒るかもしれない。そうして、色々あっても最後には別れるのか。
もちろんちゃんと帰れたらの話だが。
(私、こんなにレオのことが好きなのに、“いい思い出”みたいになるのかな)
まるで何かの物語みたいに。
「ハッ!」と思い出す玲菜。
(そうだ。私の小説のシリウスとレナも、レナが一度神の世界に戻るって言って、別れるんだ)
『伝説の剣と聖戦』の終盤の話。シリウスはレナが自分のもとへ戻ることを信じていた。「必ず戻ってきてくれ。俺はずっと待っているから。お前の帰る場所はここなのだから」そう、彼女に伝えて、約束するかのような鐘が鳴り二人はキスをする。
――そこまでしか書いていないが。実は、玲菜は続きを迷っていた。レナがシリウスの許《もと》へ帰らない悲恋版と帰って幸せになるハッピーエンド版。両方のパターンを考えていて、どちらにするかははっきりと結論づけていなかった。いや、どちらかというと悲恋版の方に心が傾いていた。
(悲恋の方が、読者が感動するかもしれないって思ったんだな)
しかし、今続きを書くとしたら……と玲菜は考える。
(やっぱハッピーエンドかなぁ? 二人が幸せになった方が良いよ)
「じゃあ、一緒に行こうか、レイナ」
ショーンのセリフで、我に返る玲菜。
「え? 何?」
つい訊き返してしまったが。
「うん。だから、一緒に行くってこと。家政婦の仕事はレオがなんとかするから」
「え!? 俺がなんとかする!?」
今度訊き返したのはレオの方だ。
「そうと決まればすぐ行くぞ。なるべく今日中に戻ってこよう。砂漠仕様の服に着替えて!」
「は、はい」
ショーンに言われて玲菜はすぐに聖堂に戻ることにした。
一方、話の展開についていけてないレオはあっけにとられながら先ほどと同じ疑問を繰り返す。
「俺がなんとかする!?」
ウヅキを抱っこしながら、困ったようにたたずんでいた。
結局玲菜は皇子の“使い”ということで、一度砦を離れる事になる。もちろんそれは苦し紛れにレオが考えた理由であり、本当はショーンと一緒に砂漠の遺跡商人のもとへ向かう。
そのことを知らないアヤメたちは「気を付けて」と心配しながら見送り、洗濯係の仕事を続ける。
砂漠仕様の服に着替えた玲菜はアヤメたちに後ろめたさを感じながらショーンの待つ城門へと向かった。
「じゃあ、行こうか」
ショーンは城で飼われていたラクダを一頭借りて、玲菜を乗せて自分も乗った。鳳凰城塞から東に行くとすぐ砂漠になる。
そこから北東の遺跡を目指して、その周辺で商人を探す。
(それにしてもまた砂漠かぁ〜。もうこりごり)
玲菜は砂漠が嫌いになりかけていたが、仕方ないと割り切った。
やがて……
うんざりするほど砂丘を見て。喉がカラカラなところにようやくそれらしき一行を見つけるショーンと玲菜。実はそれらしき一行はこの前に二組ほど見つけたが、ただの旅人と遺跡調査員で、二組共商人ではないという残念な結果になったが。三度目の正直とばかりにまたショーンが声をかけると、ついに遺跡商人だと正体を現してくれたのでようやく目当ての連中を見つけることができた。
東の遺跡商人の話を彼らにするショーン。
「――というわけで、俺たちは旧世界の宝の情報を聞きつけてここにやってきたんだ。なんか凄い物を発見したとか?」
商人たちは顔を見合わせてニヤニヤ笑いながら言う。
「お客さん、お目が高いね。その通り、すっごい宝を発見したんだよ」
これは期待が持てる。
ショーンはぐいっと近付いて訊いた。
「それはどれなんだ? 物によっては高値で買う。旧世界といっても、色々あるが、前世界の“人間の世界”か? それとも前々世界の“精霊の世界”か?」
まずはそこが問題で。
商人たちは得意げに発表した。
「前世界の物だよ!」
……お目当ての物ではないと、ここで分かってしまった。
大きな溜め息をつくショーンと玲菜。
(そう、うまくいかないよね)
玲菜はガッカリしてショーンも商人に背を向ける。
「え? どうしたんだい? お客さん」
二人の反応に慌て出す商人たち。
「前世界の凄い物だよ? 興味ない?」
玲菜が元の世界へ戻る為に必要なのは“精霊の世界”の物ではないと意味がない。それ以外には興味がないとショーンが断ろうとしたところで、商人たちが大発表してきた。
「なんと! 鋼鉄の馬車だよ!? しかもほぼ完ぺきな形。凄いだろ?」
「鋼鉄の馬車!?」
食いついたのはショーンだ。
玲菜はなんだかわからずにキョトンとした。
(何? なんの馬車? どっちにしろ必要無いよね?)
だが、ショーンが物凄い勢いで食いついたのも束の間、商人の一人がオチのように言ってきた。
「ただねぇ、それもう売れちゃったからね」
なんと、売却されたならまるで意味が無い。
「ショーン、売れちゃったんだって」
玲菜が呆れてショーンを戻そうとしたが、ショーンはそれどころではなさそうに更に商人に詰め寄る。
「誰に? 鋼鉄の馬車なんて誰も買わんだろ? 誰に売ったんだ?」
「お、女の人ですよ」
「おんなぁ?」
「顔を隠し気味だったけど、有名だからすぐに分かって……」
「有名人?」
ショーンが訊くと商人は答える。
「はい。帝国四賢者の一人・天才技師のマリーノエラさんですよ」
「マリーノエラだと!?」
ショーンが凄い剣幕だったので、後ずさりをする商人たち。慌てて玲菜が訊いた。
「ど、どうしたの? ショーン。知り合い?」
ショーンは一人でブツブツと言った。
「マリーノエラ。なるほど、彼女なら買いそうだな」
何かに気付いたように焦りだした。
「まずいな! 買ったのがマリーノエラだったら大変なことになる!」
「ショーン?」
「レイナ、行くぞ!」
ショーンは意見も聞かずに玲菜をラクダに乗せて自分も乗る。
そしてラクダの上から水だけを買い、地図を確認して出発。ラクダは北西に向かっているよう。
訳が分からなかった玲菜はもう一度訊いた。
「ショーンどこ行くの? マリーナントカさんって誰? その馬車って必要なの?」
疑問だらけだ。
ショーンは興奮気味に答えた。
「これからマリーノエラっていう女の所に行く。俺の知り合いだ。マリーノエラはこの近くに住んでいるから行けないことはない」
「なんで?」
行く理由を答えてもらっていない。
「マリーノエラは帝国四賢者の一人と言われるほどの腕を持つ天才技師なんだが……何しろ解体が好きでな、解体師・マリーノエラとも呼ばれているんだ。彼女に買われたらなんでも解体されてしまう」
「解体って何を?」
「鋼鉄の馬車を解体されたら困るからな」
つまり、鋼鉄の馬車というものが遺跡から発掘されて、それをマリーノエラという天才技師が遺跡商人から買って。ショーンはその彼女の家に行くということか。
(解体されたら困るから?)
玲菜にはまず鋼鉄の馬車がなんなのか分からないのでなんともいえない。自分が元の世界に帰るための物と関係があるのか。訊いてみた。
「鋼鉄の馬車って何? 私が元の世界に帰るためのアイテムと関係があるの?」
「無い」
ショーンはきっぱりと爆弾発言をした。その後にワクワクしたような目で言う。
「無いけれど、旧世界の鋼鉄の馬車って言ったら……見てみたい。もしかすると……」
「もしかすると?」
「……俺がずっと研究してみたかった物かもしれない」
要するに、玲菜は関係無く自分の研究材料だったようだが。
(まぁいいか)
ショーンがそこまで興味を持っている物なら仕方ないかと玲菜は思った。
それにしても、旧世界の鋼鉄の馬車とは、一体どんなものかと玲菜は考える。
(大昔の大貴族が乗っていた超豪華な馬車とか?)
超豪華な馬車というのもあり得るが、よくよく考えると鋼鉄と聞くと重そうで。想像力を広げていくと、ある物が思い浮かんだ。
(ちょっと待って? もしかして車? え? 車って鋼鉄?)
馬車ではないが、鋼鉄の車両で思い浮かべるのは車か電車かそういったもの。
(やっばい。車だったらどうしよう。ちょっとドキドキする)
もしかするとボロボロで原型を留めていないかもしれない。もし留めていたとしても解体師とやらに解体されている可能性も。
玲菜は色んな意味でドキドキしながらマリーノエラという人物の家に着くのを待った。
そして、少し休憩を取りつつ、速くラクダを走らせたショーンは夕刻少し前くらいに一軒の家の前に着く。家は砂の中に建っているのではなく、乾いた大地ではあるが緑が少々。よく見ると近くにオアシスがある。
ショーンはラクダから降りて玲菜も降ろして、手綱を繋場《つなぎば》に掛けて家に近付いた。すると、前に数人の若い男たちが立ちはだかる。
「誰だ、貴様ら! 怪しい奴め」
まさかこんな普通の家に警備か?
「あー」
困ったように言うショーン。
「突然来てすまないけど、俺はマリーノエラの知り合いなんだ。通してくれよ」
「知り合い? 証拠は?」
若い男たちは護身の剣を抜き、二人に近付く。
「しょ、証拠!?」
ますますショーンが困っていると、そこに……
「あらぁ、知ってる顔ねぇ。渋い殿方さん」
オレンジに近い髪色をした、三十代くらいの綺麗な女性が黒いタートルネックにジャケットを羽織った格好で近付いてきた。
「マリーノエラ!」
ショーンが呼んだことで彼女が“マリーノエラ”だと判る。
マリーノエラは警備をしていた若い男たちを退《ど》かした。
「大丈夫、この人私の知り合いだから、下がっていいわ」
若い男たちは剣を収めて下がる。それにしてもやけに美形ばかりだった。
ショーンは呆れた風に言った。
「まーた若い美形の男ばっか雇ってんのか」
「何よ、私の勝手でしょう? このところ戦も近いっていうから物騒でね。どうせ雇うなら目の保養ができた方がいいじゃない」
マリーノエラは玲菜の方を見てショーンに言った。
「あらぁ、ショーンこそ、若い娘連れちゃって。隅に置けないじゃな〜い。人の事言えないわね」
「お前と一緒にするな」
ショーンは玲菜を紹介する。
「この娘は俺の助手でレイナという。それ以外に無い。どちらかといえば自分の娘みたいなものだ」
「よ、よろしくお願いします」
お辞儀をする玲菜に手を差し出すマリーノエラ。
「レイナさん。よろしく! 私はマリーノエラよ。一応技師やってるわ」
握手をしてから、マリーノエラはキョロキョロとした。
「ところで、ショーン、確かよくシリウスと一緒に居たわよねぇ? 彼は居ないの?」
「シリウスは今、鳳凰城に居る。ここも危ないから避難した方がいいぞ」
「危ないのは分かってるわよぉ〜。シリウス、会いたかったわねぇ。前に会ったのが二年前くらいだから、さぞかし男前になってるでしょうね〜」
マリーノエラの言葉に、微妙な気分になる玲菜と、「はぁ」と溜め息をつくショーン。
「ばっか。息子みたいな年齢の男に手を出すなよ」
玲菜的に引っかかった言葉があった。
「え? 息子みたいな年齢って……」
「ああ、マリーノエラはこう見えて五十歳…」
「まだ四十九よ!!」
すぐに訂正があったが、それよりも信じられない年齢が聞こえた。
「え? 四十九……?」
どう見てもそうは見えない。大体三十五、六歳に見えるし、体つきもナイスバディだ。
「え、ええええ〜〜〜〜〜!!」
びっくりして玲菜は大声を上げた。
「それ、良い意味の驚きの声よね?」
嬉しそうな顔のマリーノエラと呆れ返るショーン。
「顔の表面分厚いくせに」
「厚化粧とか言わないでくれるっ!」
いや、しかし。たとえ厚化粧と言っても凄く若く見えると、玲菜は尊敬した。
(す、すごい! 自分が歳取ってもああなりたいっ!)
「ところで、こんな所で立ち話してたら寒いでしょ? 要件はなんなの?」
マリーノエラは二人を家の中へと案内した。
「実はな、マリーノエラ」
ショーンは歩きながら急いで要件を言う。
「お前、先日砂漠の遺跡商人から“鋼鉄の馬車”というのを買っただろう? それなんだが……」
「ああ、鋼鉄の馬車ねぇ」
マリーノエラが案内した最初の部屋は彼女の研究室兼作業場だったらしいが。そこにあったのはなんと……
「これのこと?」
解体されてバラバラになった鉄の板やガラスや部品たちであり。その無残な姿にショーンは悲鳴を上げた。
「うわあああああ!! 解体されてるーーーー!!」
「そりゃあ、するわよ。一週間前に買ったのよぉ? もっと部品あって、倉庫にも置いてるけど」
平然と彼女は言う。
「色々調べたんだけど、凄いのよ、コレ!」
むしろウキウキしている。
「多分びっくりするから。この馬車わね、なんと! ……」
「なんてことしてくれたんだ!!」
普段の落ち着いた様子のおじさんではなく、ひどく動揺したショーンが凄い剣幕で彼女に詰め寄った。
「俺が、研究しようとしていた自動車が〜〜〜!!」
「や、やあねぇ。落ち着いて、血圧上がるわよ。それに私が買った物なのに“俺が研究しようとしていた”だなんて。悪いけど、残念としか言いようがないわぁ」
マリーノエラは驚いていたが、それよりも玲菜の方が驚いていた。
こんなに取り乱したショーンは初めてだし、いや、そうではなくて。
(自動車? 今、自動車って言った? じゃあやっぱり“鋼鉄の馬車”って車だったんだ!?)
解体された部品をよく見てみると確かに車っぽく見える。
というか、そもそもショーンは旧世界の物を当時のままの名前で呼ぶところが凄い。
(商人は“鋼鉄の馬車”って呼んでたのに。凄いな、考古研究者って)
ともあれ、涙目のショーンにマリーノエラはニコッと笑って言った。
「大丈夫よ〜。私は天才よ? 解体できるってことはもちろん組み立てもできるんだから。解体よりも少し時間がかかるけど」
「いつ!?」
訊かれてマリーノエラは考えた。
「ええと……解体が一日だったから五日? 急いで三日かしらね」
やけに差がある。
「二日! 今から二日で組み立ててくれ。そしたら明後日俺が買い取るから」
自分勝手なショーンの頼みに、マリーノエラは激怒した。
「何言ってるのよ! 正気!? 私が買ったって言ったでしょう? こんな凄い物、売らないわよ! もっと研究しまくるんだから」
彼女の言い分はもっともだ。ショーンは「う〜ん」と考えて苦渋の決断を下した。
「じゃあ、代わりにシリウスをやる。これでどうだ!」
尊《とうと》い犠牲だが仕方ない。
「売った!」
マリーノエラが即答で応じたので取引が成立した。
「ちょっと待った〜〜〜〜〜!!」
慌てて止めに入ったのは玲菜だ。
玲菜が根気よく五十歳前後《アラフィフ》のおじさんとおばさんを説得したおかげで皇子は人身売買されずに済み。
ショーンは巨額の金で“鋼鉄の馬車”――自動車を買い取ることに成功。その代わり、いつかシリウス(レオ)の解体ショーを行うというとんでもない約束をこじつけて、マリーノエラは組み立てに応じてくれた。
(解体ショーってどういう意味?)
玲菜は凄く気になったが知らぬが仏か。どちらにしろ本人が知らないので無効のような気もしたが。それよりもショーンの身勝手さの方が今回の一番のショックだった。
ともあれ、もう外は暗くなっていたが、一旦砦に帰ることにするショーンと玲菜。夜でもラクダは元の場所へ戻れるという賢さがあったため、寒さ対策の毛布だけ被って二人で乗る。
どこにも寄らずに、急いでまっすぐ戻れば恐らく二時間ちょっとか。
現在十七時頃なのでうまくいけば夕食の時間にもギリギリ間に合う。
ラクダに揺られながらの帰り道、毛布の温かさと揺れ具合で眠りそうになりながらも、玲菜はショーンに対して色々な想いを抱いていた。
(ショーンってなんか落ち着く……)
慣れているとはいえ、他人の年配の男性と一緒にラクダに乗ったら本来気まずく感じそうだ。もし若い男だったらそわそわするし、レオとだったらドキドキしてしまう。
(なんなのこの心地好さ)
最初は若干恋に似た感情があったと思う。今は父……いや、父だったら逆に恥ずかしいか。しかし、父親に似た特別な存在。
(この人って未来の人なんだよね。まさかお父さんの生まれ変わりなんて……)
映画のようなことを考えて笑いそうになった。
(何その漫画みたいなオチ)
「どうした?」
本人に訊ねられて、慌てて誤魔化す。
「う、うん。ちょっと……。と、ところで、ショーンはどうして自動車の組み立てを急がしてるの?」
ついでに気になっていたことを訊いてみた。自分の研究のために欲しいのは分かったが、何も急がせる理由は無い。
「うん。明日……レオたちが出陣するだろ? そうすると、早ければ三日後には戦が始まるから」
ショーンは困ったように言う。
「マリーノエラが住んでいる辺りは危険だからな。でも彼女は興味深い物があるとそこを動かないから。なんとか戦が始まる前には彼女らを避難させないと」
聞いて目からウロコが落ちる玲菜。
(ショーン! マリーノエラさんを避難させるために!?)
「彼女は、解体した物をそのままにしては絶対に離れないと思うから。造らせる必要があった。その後俺が買い取って、マリーノエラを砦に避難させようと思ったんだ」
だから二日以内に組み立てさせる必要があった。下手すると戦が始まってしまうから。
「そうだったんだ! てっきりショーン、自分の私欲のために急《せ》かしてるのかと」
言われて頭を掻くショーン。
「いや、自動車が欲しいのは完全に私欲だぞ」
それでも、彼女の性格を計算して命を守ろうとする駆け引きは尊敬する。
「良かったよ、レオを取引に使ったのもマリーノエラさんを助けるための演技だったんだね!」
「……あー……」
なぜかこちらには返事がなかったが。
まぁいいか。
二人はラクダに揺られて、やがて無事に、砂上の砦・鳳凰城塞に帰りついた。