創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第三話:あのチョコは美味しい]
捕まるなんて絶対に嫌だ。
玲菜はまずそう思った。
「助けてくれる」と、いい人そうな茶色い髪のおじさんは言った。しかもこっそりと。
初対面の人をいきなり信用するのもどうかと思うが、少なくともシリウスもどきよりは信じられる。なんていうか、「いい人」に違いない。直感で分かる。
シリウスもどきはおじさんのことを「親父」と呼んでいた。ということは親子? 全く似ていないが。しかも息子の方が偉そうだ。そもそもシリウスもどきは美形とはいえ、目つきがややきつい感じがする。対しておじさんは茶色い優しい瞳。髭が生えていてダンディだし。どちらの言うことを聞くかは明白だ。
しかし……
玲菜は思い出す。「知らない人についていったら駄目だ」と、子供の頃に言い聞かせられた父の言葉。
(大体、なんで私が捕まらなくちゃいけないの? 何も悪いことしてないのに。こんなわけわかんない連中に)
『小説を盗んだ謎の人物を追いかけていったら不思議な世界に迷い込みました』
なんてシャレにならない。
(ちょっとイメージ違うけど、シリウスいるし、“レナ”とか言ってるし……ここって私の小説の世界?)
「そんなわけないか」
今の思考が恥ずかしくて声に出して否定する玲菜。
(小説の世界って。ライトノベルかっての)
以前そういうネタの小説を読んだことが有るような無いような。
漫画やゲーム、小説、映画……物語にありふれた、タイムスリップや別世界に行くネタは大抵現実世界の家族の存在が主人公にとって薄い話が多い。主人公はその世界の美形の恋人に夢中で家族のことなんか思い出す暇も無い。その手の話を読むといつも違和感を覚えていた。
(私が異世界トリップしたら、絶対にお父さんのことばかり気にするだろうな)
そうだ。もし、自分が……
(あれ? この状況って……)
急に自分の現状を認めそうになって一気に冷や汗が出る玲菜。
「違う違う違う違う!!」
突然玲菜が「違う」と連呼し始めたのでシリウスもどきの青年とおじさんは不思議そうにこちらを見た。
(これって夢じゃないの?)
これでもか、と目を見開いても目を覚ます気配はない。
「違う!! 違う!! 違う!! 違う!! 違う!!」
玲奈は大声で否定した。大声を出せばもしかすると夢から醒めるかもしれなかったから。
「お、おい。どうした?」
シリウス似の青年が近付いて玲菜の肩を掴んだ。
反射的に玲菜はその手を振り払った。
「あんた誰よ!!」
「シリウス様!」
青年の手が叩《はた》かれたことで衛兵たちが反応した。すぐに剣を抜く態勢に入る。そこを青年自身が制御した。
「よせ。問題無い!」
玲菜は自分でも信じられないほど動揺していた。
「嘘でしょう? 嘘でしょう?」
「レイナ、落ち着け」
今度はおじさんが言った。
「嘘でしょう? ここ、どこなの?」
玲菜の目から知らずに涙がこぼれる。
「レイナ!」
おじさんは玲菜に近付いて優しく背中をさすった。そこで初めて、玲菜は自分の息が凄く乱れていたことに気付いた。
「捕まると知って急に動揺したか。それとも泣き落としか?」
シリウス似の青年は冷たく言う。
「違うよ! 馬鹿!」
玲菜の文句に反応したのは近くにいた衛兵だ。
「貴様、誰に向かって暴言を! この方は我が帝国の皇子、アルバート=シリウス=スサノオ様であられるぞ!!」
恐らく、この衛兵は玲菜が仰天するだろうと思っていたのだろう。その証拠に得意円満な顔をしている。だが、玲菜は無反応どころか衛兵の表情に腹を立てた。
「なにそのドヤ顔!! 誰だよ、アルフォートナントカなんて知らないよ! なにそれ美味しいの?」
「ど、どや?」
むしろ驚かないで言い返す玲菜の方に仰天する。衛兵たちが騒めいた。
身分が高いらしいシリウス似の青年は一息ついてから衛兵たちに命令した。
「とりあえず不法侵入罪として連行しろ。宗教警殿《しゅうきょうけいでん》の方だ。もしかしたらスパイかもしれない」
「シリウス! ちょっと待て!」
また、おじさんが助け舟を出してきた。
「泣いている女性にはまず優しくするのが基本だぞ。急いで連行する必要も無いだろ」
しかも紳士的。それを不審そうに返すシリウスもどき皇子。
「お、オヤジ。いつからそんな甘いこと言うようになった? ロリコンか?」
「馬鹿言うな。元からだ」
微妙に慌てている感じがするのは気のせいか。
「とにかく、この娘を一旦休ませる。それでいいだろ? レオ」
「……」
皇子は納得がいかないような顔をしたが渋々頷いた。
「俺だって別に……。まぁいいか」
木陰に連れていかれる玲菜。
近くにはおじさんだけが立ち、他の者は遠くにいる。
ふと気になったことを訊いてみた。
「あの人のこと“レオ”って……」
「あの人? ああ、シリウスのことか」
おじさんは快く答えてくれた。
「レオはシリウスの名前だよ。アルバート=レオ=シリウス=スサノオっていう。ホントはな」
「長い名前」
玲菜の反応に苦笑いして続きを話すおじさん。
「アルバートが名前だけど、父親も同じ名だからレオと呼ばれていたそうだ。シリウスはまぁ……あだ名みたいなもんだしな」
(シリウスはあだ名なんだ)
じゃあ、自分の小説のキャラとは違うのか。いや、どうだろうか。自分の小説のキャラクターも『英雄・シリウス』と呼ばれていただけだ。
(ああ、でもシリウスって呼ぶのはやめよ。しゃくだな)
あんな奴を愛しのシリウスと同じ名で呼びたくない。
「じゃあ、あなたもアルバートっていうの?」
父親も同じ名だと、今聞いた。
「え? いや。俺は……ショーンだけど」
「え! だってアルバートは父親と同じ名前って」
会話が微妙にかみ合っていないのは玲菜が勘違いしているからだ、とショーンは気が付いた。
「俺はあいつの父親じゃないぞ」
「え!?」
「あーーなるほど」
勘違いするのに思い当たるフシがある、と説明をするショーン。
「あいつが俺のこと“オヤジ”って呼んでるから勘違いしたのか」
なんと、父親ではなかった。
「お父さんじゃないの?」
訊き返す玲菜の言葉に頷いたショーンはニッと笑った。
「レオのことは息子同然にも思ってるけどな。俺には娘がいるんだ」
「そうなんだ」
なんとなく、娘がいるから自分にも優しいのかと感じる玲菜は父のことを思って空を眺める。
青く透き通った空は凄く広くて永遠に続いているよう。
(綺麗……)
一瞬、ここがどこでもいいような気にさせてくれる。
(どこだか分からないけど、空は変わらないんだ)
空を見るのは好きだ。
そうだ。自分の部屋に居る時に見た空は夕焼けになる少し前の空。
現実とは考えたくないが、今が現実だとするとあれから何時間経ってしまったのか。
(お父さん、今頃どうしてるだろ)
父のことを考えると泣きそうだ。メールの返信も無く、家に帰っても自分が居なくてきっと心配するだろう。捜し始めるかもしれない。警察にも捜索願を出すかもしれない。
(お父さん、私が居なくなって泣いちゃったらどうしよう)
駄目だ。また涙が出てきた。
早く帰りたいが、どうやって、どこに行けばいいのか見当がつかない。あの、暗い空間に戻ればいいのか。自分の小説を盗んだ人物を捜せばいいのか。
(どうやって)
途方に暮れて泣いていると、ふと、後ろから声が聞こえた気がした。最初は気のせいかと思ったが。
「ねぇ! ねぇ!」
女の子の呼びかける声が確かに聞こえる。
振り返ると木の陰に黒い髪の娘が隠れるように居て「静かに!」と言うようなポーズをしていた。更に、玲菜に何か話したいような仕草まで。
なんとなく、ショーンにバレてはよくないかと思い、さりげなく娘の方に近付く玲菜。
娘は玲菜が近付くと小さな声で話しかけた。
「アナタどうしたの? もしかして衛兵に捕まってる?」
なんて勘がいいのか。状況を当ててくる。
玲菜が頷くと黒髪の娘はまた小さな声で言った。
「ねぇ、助けてあげようか?」
(え?)
思わぬ展開に返事をどうしようか考える玲菜。
(助けてくれるって今言った? この状況から?)
そういえば今自分は捕まっているというのか。ショーンは助けてくれると言ったが果たしてどうなるか。そして、いきなり現れた黒髪の娘も助けてくれると言った。こっちは信用できるか? そう、考えている最中に黒髪の娘は木の陰から飛び出して衛兵たちに向かって走っていった。
(え? まだ返事してないのに)
「し、侵入者だ!」
黒髪の娘を見つけて、彼女が逃げる方向へ追いかける衛兵たち。ショーンも驚いてそちらを見ている。玲菜が逃げるなら今の内だ。
(ショーンはいい人だけど)
玲菜はショーンや衛兵たちが見ていない方向へ走り出した。皆気付いていない。近くに林があったので夢中で走ってその中に逃げ込んだ。そろそろ気付くか? そう思った矢先に「あの娘も居ないぞ!」という声も聞こえた。多分自分のことだ。
もう引き返せない。林の中も捜しにくるかもしれない。玲菜は後ろを何度も確認しながら林の中を走った。
抜けた先に衛兵が先回りをして待ち伏せしていたらどうしようか。というか、自分はどこへ向かえばいいのか。とっさにここへ入ってしまったが。元々知らない場所。本当は最初に居た場所を離れない方が良かったか。いや、しかしあのままではどこかに連行されていたはずだし。
(どこへ行けばいいの? 私、どこへ行けば帰れるの?)
不安になっていると、後ろから誰かが追いかけてくる足音が聞こえた。
まさか衛兵!?
焦った瞬間に聞こえてきたのは女の子の声だった。
「待って! 私だよ」
さきほどの黒髪の娘だ。
玲菜は立ち止まって振り返り、彼女が追いつくのを待った。息を切らしながら後ろから衛兵らが追ってこないかも確認する。誰か来ている様子は無い。息は少しずつ整っていった。そして追いついた黒髪の娘に礼を言う。
「どうもありがとう」
黒髪の娘は周りを見回してから改めてこちらを向いてニコッと笑った。
「振り切れたみたいだねー!」
「うん。どうもありがとう」
もう一度礼を言う玲菜。
「いいのよ、困った時はお互い様だもんねー。実は私も侵入してたんだ」
「そうなの」
自分は侵入していた認識は無いが。とりあえず頷いておく。
そもそもあの場所は一体どういう場所なのか。周りには建物があったわけではなく、何も無い地面と木が幾つか生えていて。よく見てなかったが、そういえば石像もいくつかあった変な場所。確か『レナの聖地』と呼んでいたか。
(なんかの遺跡?)
そういう雰囲気もあった。とにかく侵入禁止の場所らしい。どこからどこまでかは分からないが。
玲菜が考えていると黒髪の娘は自己紹介してきた。
「私、ユナっていうの。アナタはー?」
改めて黒髪の娘、ユナを見る玲菜。肩くらいまでの長さの髪を後ろで束ねている。切れ長の目。黒い瞳。服装はベージュの長そでシャツと、濃い緑のズボン、靴はサンダルを履いている。歳は自分と同じくらい。背格好も近いかもしれない。
「あ、私はえっと、玲菜」
「レナ?」
ユナまで連中と同じ反応か。
「レナじゃなくて玲菜」
「へー。レイナか〜」
ユナは歩き出し、玲菜もつられて一緒に歩き出した。
「レイナはどうしてレナの聖地に侵入してたの?」
それを訊かれると困る。まずレナの聖地が一体どういう場所なのか分からないし。なので逆に訊いてみた。
「ユ……ユナは?」
「私はただの興味本位だよ。立ち入り禁止なんて気になるじゃん」
単純すぎる。
玲菜は根本的なことを訊いてみた。
「レナの聖地って一体なんなの?」
訊いた後に「もしかしたらまずいこと訊いたかな」と心配になったが、ユナは笑いながら答えてくれた。
「ちょっと! 冗談でしょ? レナの聖地だよ? レナが空から降りてきたとされる伝説の場所じゃん」
まるで皆が知っていて当たり前という風に。いや、実際そうなのか。それよりもどこかで聞いた伝説だと思う玲菜。
(空から降りてきたレナって……)
それはまさに、自分の小説のヒロインであるレナの設定と全く同じだった。