創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第三十三話:二人きりで過ごす日]

 

 レオがショーンの家に帰ってきたのは夜二十一時近く。玲菜たちは待ちくたびれていたが彼は超特急で帰ってきた様子。その姿は先ほど凱旋《がいせん》の時に見た立派な皇子ではなく普通の青年で。第一声が得意の言葉だった。

「腹減った」

 玲菜は、仕方がないとはいえ遅かったことに腹を立てていたが、彼の姿を見て声を聞いたらすべて吹っ飛んで上機嫌になった。

「お帰り! レオ! お疲れ様〜!」

「あ、ああ」

 可愛い格好の玲菜を見て、例のごとく直視状態で止まるレオ。いつも以上に長く見つめて、普段は聞かない言葉を発した。

「ただいま」

 いつも挨拶などしてこない奴が珍しい。

 一方玲菜も、久しぶりに彼に会えた嬉しさでついじっと見つめてしまう。

 二人で見つめ合っているとショーンが呆れて食事を促《うなが》した。

「キミたち、そういうのは後でやってくれ。おじさんはお腹空いたし、料理も冷めるから」

 慌てて席に着いたレオはすぐさま食事にありつき、夢中になる。玲菜やショーンがあっけに取られているうちにどんどん平らげて会話をする間もない。

 そしてあっという間にほぼ食べつくしたレオは自分だけ満足して今度は酒を開ける。そこでようやく落ち着いてゆっくり飲み始めた彼を見て、玲菜は心の中で嘆いた。

(お酒、乾杯しようと思ったのに〜)

 自分は飲めないし、確かに彼のために買ったのだが。なんだか腑に落ちない。

 しかし、開けてしまったものは仕方ないので、気を取り直して会話を始める。

 他愛のない一週間の出来事の話をして、遅い晩飯兼レオの帰還祝いは過ぎた。

 そして一夜が明ける。

 

 

 次の日。

 玲菜が朝起きて顔を洗いにバスルームに行くと、案の定レオが風呂に入っているらしく。覗きはしないが、洗面台の近くから彼に声を掛けた。

「おはよう、レオ。今日も朝からお風呂なの?」

「あー」

 響く返事が聞こえる。

「朝風呂はいいぞ。なんならお前も入ってもいいけど、覚悟してから来いよな」

 両想いになっても会話は相変わらずか。しかし、こういうやり取りが心地好いと思う玲菜。

 凄く久しぶりに平和な会話をした気がするから。またあの日常が戻ってきたのを実感して嬉しい。

「今日は遠慮しとく」

 そう言って、顔を洗って歯を磨いてバスルームを出て階段を上がる。

 一階の居間でショーンが茶を飲みながら新聞を読んでいるかと思っていたが、そこにおじさんの姿は無く、ウヅキも居ない。

(あれ? ショーン、二階かな?)

 今日は念願の絨毯《じゅうたん》を敷く日だとずっと計画していて。ショーンに手伝ってもらおうと考えていたが、台所に行くと置手紙と朝食が用意して置いてあった。

『おじさんはウヅキを連れて図書館に行くから。レオとゆっくり』

 手紙にはそう書いてある。

(え? こんな朝早くから?)

 玲菜は疑問に思ったが、もしかすると……

(ショーンってば、まさか私とレオに気を遣って?)

その可能性があると気付く。人に配慮するのが得意なショーンならやりかねない。

玲菜は嬉しくなると同時にドキドキした。

(今日は、ショーンが帰ってくるまでレオと二人きりなの?)

 いつ帰ってくるかは分からないが、両想いだからこそ妙な緊張感。

 そうだ。今までとは違う。これからは恋人という立場でレオを見て良いのか。

(ホントにいいの?)

 イマイチ実感がわかない。

 色々と考えていると、後ろに人の気配がして。

「あれ? オヤジは?」

 風呂から上がったレオがシャツとズボン姿で髪を拭きながら台所に入ってきたので慌ててショーンの置手紙を後ろに隠した。

「あ、あ、ショーンは図書館だって」

 つい動揺してしまう。

「図書館? こんな時間から?」

「あ、朝ご飯はあるよ」

 玲菜が用意された朝食を指すとレオはそのままテーブルに着いて食事をし始める。玲菜にも食事を勧めて不思議そうに話した。

「つーか、オヤジってお前が来てからなんつーか……父親っぽくなったよな〜」

「え?」

「俺だけの時はこんな風に朝食の用意とかしといてくれなかったし」

 なんとなく腑に落ちなさがあるようだ。

「俺たちは一緒に食事とかとってなかったから。俺は勝手に冷蔵庫の中の物食ってた感じかなぁ。なのにお前が来た途端、オヤジの張り切りようって言ったら……」

 そうだったのか。確かに、自分が来た頃の台所は物で溢れていて、使っていなかったのが一目瞭然だったが。

 自分も食事をとりながら、レオの話を聞く玲菜。

「まぁ、お前が台所片づけたからかもしれねーけど。でもやっぱり、いくらお前が女だからって、オヤジはお前に優しすぎるっつーか甘すぎるっつーか……」

「そ、それは私が……ショーンの娘さんに」

 一瞬ユナの「娘は存在しなくて実はレオが息子だ」というセリフを思い出して玲菜は言葉を止めたが、心の中で否定して続ける。

「似てるらしいから」

「ふ〜ん」

 レオはその言葉にも疑問を感じたらしくびっくりするような事を言った。

「俺はオヤジの娘とやらに一度も会った事ないけどな。オヤジのことは十年前から知ってるし、十四の頃から居候してるけど」

 というか、居候が長いとも感じる。単純計算で六年間も。

(レオ、そんな頃から。だからホントの親子みたいなんだ)

 それよりも、そんなレオでさえショーンの娘に会ったことがないという事実。まるでユナの予想を裏付けるようでこわい。

 レオは全く別のことを考えているようで、ムスッとしながら玲菜に話す。

「むしろ俺は、オヤジがお前のこと好きだから優しくしてるんだと思ってたよ。というか、今でも少し怪しんでるけど」

「ええ!?

 慌てて否定する玲菜。

「そんなことないよ! だって、いつも私とレオがうまくいくように協力してくれるし、今日だって多分……」

「え? 今日?」

 訊かれて、玲菜は気まずそうに答える。

「ショーンは、気を遣って私たちを二人きりにしてくれたんだと……思うし」

 最後の方は小さい声になってしまった。

 聴いたレオも顔を赤くしたから。

「あ、そっか。二人きり」

 今気づいたらしい。

(やっぱ、意識してたのは私だけなんだ)

 恥ずかしくなって話を変える玲菜。

「あ、ねぇ、レオ。食べ終わったら手伝ってほしいことがあるんだけど」

 本当はショーンに頼もうと思っていた事。

 玲菜はレオにお願いする。

 

 

 朝食をとっていた二人が、せっせと絨毯を敷き始めたのはその後で。

 そういえば一体いつ絨毯を買ったのかさえ思い出せない。

 ずっと後回しにしてきたが、ずっと敷きたいと思っていた念願の絨毯。

 木の床の居間とコンクリートの床の玲菜の部屋に敷き、自分の部屋が温かい絨毯に変わった嬉しさで、玲菜は靴を脱いでゴロンとその上に寝転がった。

「わぁ〜〜〜!」

 レオにも靴を脱がせる。

「ホラ、ね! レオ! 綺麗な絨毯で過ごせば家の中で靴も脱げるし、こうやって寝っ転がれるんだよ?」

 なんだかよくわからないまま隣に寝転んで、レオは首を傾《かし》げる。

「ん? 家の中で靴を脱いだらなんの得がある?」

 日本人のセリフとは思えない。

「靴じゃなかったら、床がそんなに汚れないし、汚くなかったらこうやって寝られて気持ちいいでしょ?」

 そう言った矢先に、自分の上にレオが重なってきたので、驚いて玲菜は止まった。

「え?」

「なるほど。確かに得だな」

 重なるというか、体は密着していないのだが。

 要するに目の前に彼の顔があって、段々と近付いてくる。察して、玲菜は目をつむった。

 直後に優しい口づけ。

 しかし、寝ている体勢でキスというのはなんとも危険な香り。

 レオが唇を離してもそのままの体勢で髪を触ってくるので、玲菜の鼓動は激しくなった。

(あれ? ちょっと待って? この状況って……)

 気付いた途端に体が固まる。

(え? まさか……)

 ショーンはいつ帰ってくるか分からない。

「レイナ」

 レオはまっすぐ見つめて、もう一度キスをしてきた。

 今度は先ほどよりも長いというか甘いというか。

 一気に全身が熱くなる。

(う、嘘でしょ?)

 心の準備をしていなかった。

 彼のキスは髪や頬にも触れてくる。

 緊張していても、意外と頭の中は冷静で確認をする玲菜。

(下着の柄って上下バラバラじゃないよね?)

 念の為に今日の下着を思い出していると、急に首筋に彼の唇が触れて、くすぐったくて寒気がする独特の感じに思わず声を漏らす。

(今なんかヘンな声出さなかった私!?

 恥ずかしく思っても逆に彼のキスを加速させるだけで。レオが何度も首筋に唇を触れさせるので玲菜はゾクゾクしながら目をギュッとつむる。すると、彼は手を掴んできて――と、その時……

 

 玄関のベルが鳴り、とっさに玲菜は飛び起きた。

「誰か来た!!

 

 玲菜が飛び起きたために、絨毯の上でうつ伏せ寝状態になったのはレオだ。彼は状況が把握できずに止まってしまう。

 素早く部屋から出て階段を駆け上がる玲菜に唖然として何も声が掛けられない。

「え?」

(誰か来ただと?)

 正直、自分的には無視して続きをしたかったのに。玲菜は玄関に行ってしまった。

 しばらくボーッとしていると彼女が何か興奮した様子で階段を下りてきた。

「レオ!! 大変!! お城の祝賀パーティーの招待状が私に!!

「あー」

 うつ伏せで絨毯に寝ていたレオは立ち上がる。

「そうか。やっぱり」

「知ってたの?」

 玲菜が訊くと彼は首を振る。

「いや。予想してたから。お前さ、奇襲の時に俺のこと助けただろ? その報告が城に入って、多分陛下が」

 陛下とはレオの父・皇帝陛下のことか。

 お城のパーティーに自分が呼ばれるなんて。夢のようだ。

(私、シンデレラや白雪姫みたいなお姫様に憧れてたんだ。もしかしてドレスが着られるの? お城のパーティーで?)

 玲菜は舞い上がってもう、今レオといい感じだったことなど忘れてしまった。

 自分がお姫様のようなドレスを着て、王子様とダンスをする妄想が広がる。というか、皇子は目の前に居る。

(レオだって当然パーティーに出るよね?)

 レオとダンスをして、十二時の鐘が鳴った時に階段を駆け下りてわざとらしくガラスの靴が脱げたところまで妄想して、玲菜は皇子の手を掴んだ。

「ね、ね、これからパーティー用のドレス買いにいきたいんだけど、一緒に行かない? 皇子様!」

「え?」

 それよりも続きをしたい。とは言えない。

 皇子様は渋々頷いて、着替えてから二人で家を出ていった。

 

 商店街までの道のり。良い天気だけれど気温が低い中、二人は今までと違う雰囲気で並んで歩く。二人で買い物に行くのはこれで三度目だが、今回のは正式にデートっぽい。前回、前々回と気分が全く違う。

 先ほど絨毯で妙な状況になったとはいえ、まだ慣れていなく。緊張してレオの横を歩く玲菜。

 せっかく両想いになったのだから手を繋ぎたい気持ちがあるのだが。前に一度繋いだことがあっても中々自分から触《さわ》れない。レオの手に自分の手を伸ばして掴めずに引っ込める。別に初めての彼氏ではないのに。この新鮮さはなんだ。それは先ほどの絨毯でもそうだった。

(ああ、そうだ。さっきの……)

 思い出して玲菜は恥ずかしくなる。

(要するに床の上で何やってんの。私たち)

 厳密にいうとまだキスだけだが。

(ああいうことしても手を繋げないって、私ってどんだけヘタレ)

 まぁ、“ああいうこと”といっても自分は受け身だっただけだが。

(レオはきっと慣れてるんだろうな〜)

 彼の今までの経験を想像すると落ち込む。

 そんなことを考えていると、大きな木が並ぶ道に出て。

(あれ? ここって……)

 今は葉が無いが、銀杏の並木道だと思い出す。

(戦争とか行ってる間に、葉っぱがすっかり落ちて無くなっちゃったんだなぁ)

 そうだ。この世界に来てもう二ヶ月近く経ってしまった。ずっと帰りたかった気持ちは今は無く、代わりに複雑な心境が。色々なことがあった。……色々な。

 玲菜は勇気を出してレオの手に触れた。控えめにそっと掴むと、レオが掴み直すように手を繋ぐ。

 二人は何も喋らずに手を繋いで歩いて、やがて商店街にたどり着いた。

 

「パーティー用のドレスか」

 たくさんの様々な店が建ち並ぶ道で、レオは少し考えてから玲菜の手を引っ張る。坂をしばらく上がって、普通の服屋とは違う高級そうな店の扉を開けた。

 そこにはいくつかの見本風ドレスとたくさんの布地が並んでいる。

「ここの仕立て屋は宮廷にも出張するし、老舗《しにせ》で質もいいぞ」

 レオの説明のあとに店主がやってきて「いらっしゃいませ」と声を掛けてきた。

(もしかしてオーダーメイド?)

 皇家御用達なんてやけに高そうだと玲菜が怖気《おじけ》づいていると、レオは平然と言った。

「なんか気に入ったのいくつか選んで。全部注文すればいい。俺が買ってやるから」

 さすが皇子だからかこの感覚の違い。それに、注文している暇はないと玲菜はつっこんだ。

「パーティー明後日だよ? 頼んでる時間は無いよ。あと、そんなに何着も要らないから。自分で買うし」

 見本にある値段を見ると桁違いの高さに青ざめたが、いつまでもショーンやレオに自分の物を買ってもらうわけにはいかない。

 砦の家政婦の仕事でまぁまぁの給料を貰ったし、いざとなったら前にカジノで稼いだお金がある。

 玲菜は見本を売ってくれるように店主に交渉して、いくつかの中からドレスを選ぶ。散々迷った中から一着を決めて高いお金を支払った。買って袋に入れた物はレオに持ってもらい、ワクワクしながら店を出る。

 時間的には昼頃になっていて、二人は昼食のために近くの食堂に入った。

 レオは食事に夢中になったが、玲菜は買ったドレスを着るのが楽しみで食事中に妄想ばかりする。

 

 そして、時間をかけた食事が終わって二人は広場を散歩した。

 寒空の下、たくさんの人が散歩したり休んだり、遊んでいる子供もいて和やかな雰囲気。子供たちの中には剣に見立てた枝を持ってシリウスの真似をして遊ぶ男の子も。

 玲菜はレオがシリウスだと気付かれないかドキドキしたが、本人は平然とその子供たちを見て面白そうにしている。

 時折、懐かしそうな顔をして言った。

「俺も昔、ああいう風に神話のシリウスを真似して遊んでいたな」

 恐らく子供たちが真似しているのは神話ではなくアルバート皇子の方なのだろうが。玲菜は訊く。

「イヴァンさんと?」

「ああ、そうだな。イヴァンたちと」

 彼はきっと幼い頃は皇子ではなく普通の子供の様に幼馴染たちと遊んでいたのだろうと想像する玲菜。

 イヴァンはレオが皇子だったとは知らないで遊んでいたと言っていた。レオは子供の頃から命を狙われていたのでその時は下町で身を隠していたとも。

(レオはいつからお城に戻ったんだろう?)

 彼は城を牢獄にたとえていた。

(そりゃそうだよね。気ままに外で遊んだりする生活と比べたら、お城なんて勉強とか多そうだし)

 詳しくは分からないが、自分の予想としてはそういうイメージがある。

 彼の顔を見ると彼もこちらを見ていて。玲菜の手を掴んで言った。

「お前の子供の頃を知りたい。というか、お前のことを全部知りたい。ゆっくりでいいから話してくれよ」

 嬉しいし、自分も彼のことをすべて知りたいと思う玲菜。しかし玲菜は自分のことをすべては話せない。

 玲菜が俯くとレオは慌てて言う。

「ちゃんと聴くからさ!」

「……うん」

 頷く玲菜を引っ張って歩き出すレオ。

「俺は今まで他人に興味ないっていうか……あんまいろんなこと知りたいって思ったことないから。自分のことももちろん言いたくなかったし」

 遠くを見つめながら話す。

「でも不思議だな。お前のことは知りたいっていうか。……今に始まったことじゃなくてさ。なんつーか、お前とはいろいろ話したいんだよ。俺は今まで女と話すの嫌いだったけど」

「そうなの?」

「ああ」

 レオはベンチに座る。

「あんままともなデートみたいなのもしたことないし」

 玲菜が隣に座ると引っ張って抱きしめてきた。

「レイナ」

 突然の抱擁にドキドキして心臓が止まりそうになる玲菜。

「あ、は、はい」

 つい緊張した返事をしてしまう。

「せっかく両想いになれたのに、すぐに離ればなれだったからずっと会いたかったんだ」

 レオのセリフと同じことを思っていた。

「わ、私も……! 離れてた六日間が凄く長く感じてて」

「ホントか?」

「ホントだよ!」

 玲菜の言葉にレオは息をもらして小さな声で言った。

「俺は、オヤジにだって妬くぞ。オヤジがライバルじゃなくてホントに良かったよ」

「え?」

「勝ち目無いから」

 まさかレオがそんな風に思っていたなんて。ショーンに対して嫉妬までするなんて思わなくて。

 玲菜は妙な嬉しさを感じる。

「ショーンは確かにいい人だしカッコイイけど、私的にはやっぱり“お父さん”って感じがするし。でもレオはいいところも悪いところも全部……い、愛しいっていうか……」

 言いながら自分で照れていく。

(レオのこと知れば知る程好きになるし)

 こちらは口に出せなかった。恥ずかしいというのもあったが、レオが一旦少し離して顔を近づけてきたから。キスだと察して目を閉じる心の準備をした。

 その前に周りが気になってつい横目で見てしまう。

 人前でキスなんて、前の彼氏とはしたことがない。そんなことを思いながらいよいよ閉じようとすると、ふとあるものが目に飛び込んでつい、そちらに気を取られてしまう。

「あれ? ショーン?」

 途端に表情を変えて慌て出すレオ。

「え? オヤジ?」

 悪いことをしていて親に見つかった中学生のように妙に焦っている。玲菜と同じ方向を見て彼もショーンに気が付いた。

 

 ショーンは馬車を降りて自分たちとは別方向に歩いていく。ウヅキを連れているらしく、ペット用のカゴも持っている。こちらには気付かずに歩いていって、やがて見えなくなった。

 

「オヤジ、どこ行ってたんだ?」

 首を傾げるレオに、玲菜が説明する。

「多分図書館だよ。朝、置手紙に図書館に行くって書いてあったし」

「いや、図書館に行くのにわざわざ馬車使わねーだろ。言うなれば、今向かって行った方向が図書館だし」

 レオはショーンの向かって行った方向を指す。その先には立派な建物があり、そこが図書館だと彼は言った。

「馬車に乗るってことはそれなりの遠出だと思うけど、妙だな。俺たちに隠してたのか?」

「べ、別に隠してはいないでしょ。図書館とその場所に用があって、そっちのことは書かなかっただけじゃん」

 そんなことはよくあることだと玲菜は気にしなかったが、レオは何か引っかかるらしく気にしている。ベンチから立ち上がって歩き出した。

「レオ! どこ行くの?」

 玲菜がついていくと、向かう先はショーンが降りた馬車。

 

 レオは御者《ぎょしゃ》にショーンが行っていた場所を訊いた。

「え? さっきの人を乗せた場所? 確かレナの聖地の近くですかね。ちょうどその近くの村から都に帰る途中で通りかかったんですが」

 御者の答えに、眉をひそめるレオ。

「レナの聖地だと?」

 レナの聖地は玲菜が最初に倒れていた場所であり、今後元の世界に戻る時も使うかもしれない場所。玲菜はそのことが思い浮かんで、「もしかすると自分のためにレナの聖地を調べてくれているのか」と思ったが、レオには言えない。

 レオは立ち入り禁止の聖地にショーンが無断で行くことに疑いを持った様子。

「なんでオヤジがレナの聖地に……」

「レナの聖地じゃなくて、近くの村に用があって、聖地の衛兵さんに挨拶しに立ち寄っただけなのかもしれないよ」

 庇うように玲菜がたとえを挙げると、逆にレオの不審感を上げてしまった。

「確かに、そういう可能性もあるけど。なんか怪しいな。お前何か知ってるのか?」

 なぜこういう時、この人の勘は鋭いのか。

「し、し、知らないよ」

 そして自分の誤魔化し下手に呆れそうだ。

 途端にレオはムスッとした。そっぽを向きながら言う。

「また俺は仲間外れか」

 まるで子供のような言い方だが、当たっている。

(どうしよう。いずれバレることだし、レオには言っちゃおうかな)

 彼には隠し事をしたくないと思う玲菜。

 けれど、どうやって? どこから、なんて言おうか。

(私には秘密があって、実はこの世界の人間じゃないの。……じゃ、通じないよね)

「レオ」

 玲菜は意を決する。

「実は私ね、ホントはずっとレオに隠してることがあって」

「え?」

 レオは突然の“秘密がある”という彼女の発言にもう一度反応する。

「え? 隠し事!? 俺に?」

 明らかに動揺している様子。

「ホントに!? ホントにお前、俺に何か隠していたのか?」

 秘密があった事自体が信じられないらしい。

「い、いや、俺もまだお前に言ってないこといっぱいあるけど」

「ええ!? レオも!?

 玲菜にはむしろそちらが気になる。

「いっぱいって……! 私にいっぱい隠し事あるの!?

「隠し事とかそういうんじゃなくて。いや、だから、これから順々に教えていくから。さっき言っただろ? お前には話したいって」

 レオは話を戻す。

「それよりまずは、お前から言えよ。俺に何を隠してる?」

 迫られて、急に怖気《おじけ》づいてしまう。

「あ、あの……」

「実は故郷に彼氏が居るとか?」

「そ! そんなんじゃないよ」

 実は知られざる恋人がいるという話題で玲菜は皇子にこそそういう相手が居そうだと感じる。

「レオだって、実は婚約者とかがいるんじゃないの? だって皇子でしょ? 政略結婚とかありそうだし」

「俺はまだそんな話聞いてない。もし来ても断るし」

 レオはきっぱりとそう言ったが、急に不安になる玲菜。

(レオ、皇子だから絶対そういう話ありそう……! 貴族の娘とか、どこかのお姫様とか)

 彼とは両想いになったばかりで、結婚なんて……そもそも、元の世界に帰るかもしれないのに。意識するのを遠ざけていた話だったが。だからといって他の女性とだなんて、考えるだけでつらすぎる。

「それより、お前の……」

 言いかけて、玲菜が泣いていることに気付くレオ。

「な、なんですぐ泣くんだよ、お前は」

「ごめん」

 むしろ、自分はこんなに泣く人間ではなかったはずなのに。この世界へ来てから妙に涙腺が緩い気がする。

(すぐ泣く女なんてサイアクだ、私)

 玲菜は急いで涙を拭く。

「ごめんね。ちょっと待って」

 拭いていると、レオがまた抱きしめてきた。

「お前がもし計算高い女だったとしたら、俺は完全に典型的な馬鹿男だぞ」

「え?」

 言われた意味を考えて、焦る玲菜。

「え? 私ってもしかして男を騙す悪女?」

「演技だったらな」

「演技じゃないよ!! 演技のわけないじゃん!」

 慌てて離れようとするとレオは更に強く抱きしめてくる。

「分かってるよ。分かってる。お前は俺の前で臆したり媚びたりしないで、怒ったり泣いたり笑ったりちゃんと感情を見せながら話してくれるだろ? “皇子”だからって一目置かないでさ」

 耳元で優しく囁いた。

「そういうとこが気に入ってんだから。もっと泣いたっていいぞ。その度に抱きしめてやるから」

 こんな殺し文句、今まで言ってもらったことがない。

 今度は嬉しさで泣きそうになる玲菜。

 熱くて苦しい。

 玲菜は顔をレオの胸にうずめた。

(レオ……好き……)

 また更に彼のことが好きになった気がする。

「レオ」

 けれどまだ打ち明けられない。

「もう少し待ってくれる? もう少し。今はちょっと頭の中で整理がつかなくて。でも必ず話すから……お願い」

 間を置いてから彼は頷いた。

「ああ、分かった。気になるけど、仕方ないから待つ」

 レオは腕を解いて、何か訊きたげに玲菜の名を呼んだ。

「レイナ。もし……」

 しかし首を振って、言葉の代わりに手を差し出す。

「いや、いい。帰ろうか」

 繋いだ手を離したくないと玲菜は思いながら、二人はゆっくりと歩いて家へ帰った。


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