創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第三十五話:皇子の部屋]

 

 夢見ていたお城のパーティー。

 会場できっとレオと出会えると思っていた。

 自分のドレス姿を彼に見てもらって、もしかしたら喜んでもらえるかも、と。

 ダンスはできないが、楽しくお喋りをしてパーティーを満喫する。ひょっとしたら庭園に出て、ロマンチックな星空の下でキスとか……そんな妄想まで。

(安易すぎる。現実はそうもいかないよ!)

 

 玲菜は虚しいまま中庭へ通じる扉から外へ出た。

 寒いのは承知だが、とにかく人が居ない所へ行きたくて。

 しかし、こんなに寒いのにひとけがないゆえか、カップルが数組、中庭でイチャイチャしている。

(誰も居ない所、無い)

 玲菜は白い息を吐いて大きな溜め息をつき、中へ戻ろうとする。

トボトボと下を向きながら歩いて扉の近くまで行くと、そこに美形の紳士が現れた。

 美形というのはレオではなく、見たことがある金髪の貴公子で。

(フェリクスさん……?)

 それは今回の戦で活躍した鳳凰騎士団の団長。彼が祝賀パーティーに呼ばれているのは納得いく話だが、それよりも驚くのがなんと、金髪の恋人らしき娘を連れていることだ。しかもそれは……

(ええ!? 嘘!?

 まさかの……宮廷で見たことがある美少女。

(ええ!?

 金色の髪で青い瞳をした十五歳くらいの可愛らしい娘は、記憶が確かならレオの妹のはず。

 向こうは玲菜に気付かずに横をすれ違って歩いていく。玲菜はついついその二人を隠れて見てしまう。

(フェリクスさんとレオの妹さんが!? え? ホントに?)

 二人は仲良さそうに並んで歩く。そして少し離れた場所には護衛らしき人物らが二人を見守っている。

(普通に公認の仲なんだ? もしかして婚約者とか?)

 フェリクスは二十五歳前後で、歳の差もあるし、下手するとフェリクスが犯罪的な感じもあるが。

(でもお似合い!)

 美青年と美少女なので凄く絵になる。

 

 玲菜が寒いのも忘れて見惚れていると、後ろに人の気配があり。

「覗きなんて趣味が悪いな、どこかのご令嬢」

 呆れた皇子の声が斜め上から聞こえた。

「え?」

 信じられない。

「え? ……レオ?」

 ゆっくり振り向くと、そこに居たのは青いマントのアルバート皇子ただ一人。

 次男も居ないし、取り囲んでいた女性たちもいないし、付き人もいないし。護衛はもしかすると遠くにいるのかもしれないが。

「レオ……!」

 嬉しくて抱きつきたくなる玲菜。

 しかしここは我慢して、質問だけをする。

「どうしてここに? 女の子たちは?」

「あの後女たちを撒《ま》いてすぐにお前を追いかけたから。途中で見失ったけど、もしかしたら外に居るのかもしれないと思ってここに来た」

 レオはニッと笑う。

「まさか、妹とその婚約者を覗き見してるなんて思わなかったけど」

「やっぱり!!

 玲菜は興奮した。

「フェリクスさんって、レオの妹さんの婚約者なの〜?」

「声が大きい」

 玲菜を静かにさせて、周りを確認してから喋るレオ。

「まぁ、そうなってる。親が決めた相手だけど、二人とも好き合ってるみたいだし、クリスティナがもう少し成長したら結婚するだろ。フェリクスは名門貴族の息子で、しかも武勲もあるから皇女の婿に申し分ない相手だし」

「おまけに美形だしね〜!」

 玲菜がうっとりしていると、レオの表情はムッとした感じに変わる。

「ああいうのが好みなのか? お前は」

「違うよ! フェリクスさんは美形だけど、私の好みはレオみたいな人だし」

 本当は自分の小説のシリウスだと思ったのだが、要するに見た目はレオでも合っているのでそう言う。

 すると、見事に皇子の機嫌を直すのに成功。

 しかも彼は、月明かりに照らされた玲菜の姿をじっと見て、普段言わないようなことを告げてきた。

「お前、今日はなんか違うな。なんていうか、いつもより……綺麗だな」

 少し照れている様子。

「ドレスも凄く似合っているし」

 素直なレオの褒め言葉に、玲菜は頬を赤らめる。

 物凄く聴きたかったセリフだが、いざ言われると信じられなくてまるで妄想のしすぎの幻聴だったみたいに感じる。

「何? もう一回言って?」

 玲菜が訊くと、お約束のごとくそっぽを向く。

「言わねーよ!」

 

 外は寒いが満天の星の下。宮廷の中庭で玲菜はレオとキスがしたくて仕方がなくなった。

 ちょうど今、少しいいムード。物語のヒロインみたいに自分はドレスを着ていて、目の前に愛しい皇子様が居る。

 外に居るカップルは皆自分たちに夢中で周りを見ていない。

(今の内に……)

 玲菜は高鳴る心臓を深呼吸で少し押さえて、勇気を出してレオの顔を見つめる。

 それからキスの意思を伝えるようにゆっくりと目を閉じる。

 だが、レオはキスしてこないで焦ったように玲菜を歩かせた。

「ちょっ、待て。ここじゃ無理」

「え?」

 一気に恥ずかしさに襲われる玲菜。

(私、目なんかつむって恥ずかしい……!)

 レオは誰からも見えないような木の陰に玲菜を連れていく。そして、恥ずかしさで顔を覆っている玲菜の手を外しにかかってきた。

「なんで顔隠してんだよ」

「だって、恥ずかしいんだもん」

「なんで?」

 レオにキスしてもらうために目をつむる、あざとい行為が失敗して恥ずかしかったとは言えない。

「私、今日のこと妄想ばっかしてて。でも失敗ばかりだから」

「妄想? 妄想って何を?」

 言えるわけない。

「言えないよ。聞かなかったことにして」

「できない!」

 やけに真剣な眼でレオは言う。

「言えよ。妄想じゃなくしてやるから」

「え?」

 

 玲菜が答える前にレオはキスをしてきた。

 少し強引で少し長めの口づけ。

 最初、目を開けっ放しだった玲菜はすぐに目を閉じる。

 段々と気分が高揚するのが分かる。

 

 唇を離してから、レオはもたれるように玲菜を抱きしめる。そして、余裕のない様子で言葉を漏らした。

「もう無理だ」

「え?」

「もう俺は、我慢の限界」

「え?」

 レオは聞こえるか聞こえないかくらいの声で言った。

「多分、俺の妄想の方が凄い」

「え?」

 本当に聞き取りにくかったので訊き返した玲菜の耳元でレオは囁く。

「レイナ。俺の部屋に来い」

「え?」

 多分、今ので五回連続の『え?』になる。

「え? じゃなくて。解るだろ?」

 解るだろ? に続く言葉は『意味が』

「う、うん。解るけど」

 本当は混乱していたが、冷静を装って玲菜は答える。

「いつ?」

 恐る恐る訊くと、レオはもう一度耳元で言った。

「今」

「え?」

 また訊き返してしまった。

「お前『え?』って訊いてばかりだな」

「だって、パーティーは?」

「気分が悪いことにして抜ける」

「でもレオは主役でしょ?」

「いいんだよ」

 玲菜を引っ張って歩き出すレオ。

「ど、どこ行くの?」

 彼は広間には戻らず、そのまま中庭を突っ切る。

 玲菜は草木にドレスが引っかかって破れないかヒヤヒヤしながら連れられて歩いた。

 中庭でイチャついているカップルは周りが見えていないようだったが、レオはなるべく自分がバレないように月明かりや電灯を避けて暗い所を歩く。

 ついに茂みにまで入ったので、玲菜は悲鳴を上げた。

「ドレスが!」

「俺が弁償する!」

 弁償すればいいという問題でもなかったが。レオは必死な様子だったので玲菜は口をつぐむ。

 

 やがて彼は、木がたくさんあって、誰からも見られないような真っ暗な場所に行き、足で地面を何回も踏み始めた。

 周りがよく見えない玲菜はレオのマントを掴む。

「何? ここどこ? 見えない」

「静かにしろ。聴こえない」

 レオはそう言って、少しずつ移動しながら地面を踏み、突然何かに気付いたようにしゃがみ込んだ。

「あった!」

「え? 何が?」

 見えないし、玲菜には何がなんだか分からなかったが、彼が見つけたのは地面と同化している取っ手で。

「ちょっとどいてろ」

 玲菜を退かしてレオがその取っ手を引っ張ると、植物ごと蓋らしき物が外れて地下への階段が現れた。

「ええ!? なにそれ!?

「皇家専用の隠し通路」

 レオは周りを見回してから玲菜の手を掴んで階段を下りる。

 少し下りてから先ほどの蓋を閉めたが、なぜか完全には真っ暗にならなかったので、なんとか目を凝らして足元を見る玲菜。

 レオはゆっくりと玲菜を誘導する。

「ここから城の外にまで出られるし、俺の部屋にも繋がってるから」

 恐らく、敵に襲撃などをされた時に皇家が逃げる特別な隠し通路ということか。

「なんか、どっかから光が入ってるのかなんなのか知らねーけど、真っ暗にならないんだ、ここ。大昔の遺跡だったって聞いたけど」

 レオは説明しながら薄暗い洞窟風の通路を歩く。

 確かに真っ暗ではないが、暗いことは暗いし、寒い上に静けさが不気味で玲菜はレオにしがみ付きながら歩いた。

 途中、坂や階段があったり、分かれ道や地下水路みたいな場所もあったりしたが、レオは迷うこともなく誘導して、狭い螺旋《らせん》階段を上がった先にまさかの回転扉があり。

 たどり着いた先はいきなり部屋の本棚の前。

 そこも薄暗くてよく見えなかったが、レオが明かりを少し灯して家具が認識できた。

 確かに、前に来た事のあるレオの部屋。

「わ! わぁ〜! 凄い! ここに繋がってたの?」

 玲菜は感激して声を上げる。

 それに、先ほどまで暗い洞窟みたいな場所だったので、部屋の中に着いた安心感もある。

「迷わなくて良かった」

 レオはベッドに腰掛ける。

「間違って妹の部屋とかに着いてたら大変だしな」

「あはは」

 笑いながら近くの椅子に座る玲菜。

「でも、妹さんはフェリクスさんと中庭でデート中だったでしょ?」

「ああ。まぁ中庭だからいいけどな。もしフェリクスがクリスティナの寝室に居たら殴る」

 その言葉に、玲菜は呆れて言った。

「フェリクスさんは婚約者なんでしょ? 許せない? レオってシスコン?」

「シスコン?」

「うん。妹を凄く好き、みたいな」

 言われてレオは考える。

「まさか。でも、クリスティナはまだ十五だし。せめてあと一年は手出ししてほしくないな」

 微妙にシスコン発言にも聞こえたが、それは言わずに玲菜は笑った。

「一年後ならいいんだ?」

「クリスティナが十六歳になったら多分あの二人は結婚する」

「そうなの?」

 驚きながら玲菜は別のことが気になる。

「レオには婚約者居ないの? ホントに?」

「俺は戦争で忙しかったし、三男だから少しは甘くて。でもまぁ、もう二十歳だからそろそろ危ないな。今の内にお前を公表しとくか」

 思いがけないことをサラリと言われて、玲菜はドキリとする。

(え? 私が、レオの恋人だって公表されるの?)

 まさか、プロポーズはされていないので“婚約者”だとは公表されないだろうが。色んな意味で焦る。

 その表情を見てレオは苦笑いした。

「そんな焦らなくても大丈夫だよ。お前のことは大事だけど、まだ早いだろ。公表なんてしないから。それに婚約の話が来ても断るし」

「う、うん」

 俯《うつむ》いて返事をすると、レオは言いにくそうに呟く。

「それよりお前、空気読め」

「え? 何?」

 恥ずかしそうな顔をするレオ。

「なんでそっちに座ってんだよ」

「あ!」

 忘れていた。

 そうだ。彼が中庭で余裕なさげに言った「俺の部屋に来い」はつまりそういう意味で。

 急に激しい鼓動になる玲菜。

 緊張して若干体が震えそうだが、ゆっくりと椅子から立ってベッドの彼の横に座る。

(どうしよう。どうしよう。ついに……)

 頭の中は軽くパニック状態の中、急に無言で彼が肩を掴んできたのでついビクッと反応してしまい。その反応でレオは一度手を離した。

「お前、緊張してるだろ」

「……うん」

 恥ずかしながら頷くと、彼は自分の頭を抱えた。

「頼む。深呼吸してくれ。俺まで緊張する」

「ええ!? レオが緊張したら私もっとするから!!

「じゃあ、二人で」

 なぜか二人で深呼吸をして。しかし、やはり緊張は治まらない玲菜。

(駄目だ。やっぱり緊張する! 久しぶりだし、相手がレオだし)

 正直いうと、自分は経験が前の彼氏一人だけでしかも回数も多くない。レオはきっと慣れているから。

(やだやだ。下手くそだって思われたくないよ〜〜〜〜!!

 リアルに深刻。

 それに、自分は胸が大きい方ではないので、もしもガッカリされたら非常に傷つく。

 もう一度肩を掴んだレオは、今度は体の震えに気付いてまた手を離した。

「お前、震えている?」

「あ、えと……ちょっと寒くて」

 本当は怖くての震えもあったはずだが、それは伏せる。

 レオは少し考えて「まさか」と問いだした。

「え? お前、もしかして初めてか?」

 玲菜は首を振る。

「……初めてじゃないけど。経験少ないから、ごめん。多分……下手」

「え!?

 玲菜の悩んでいたことがうまく呑み込めず、一瞬止まったレオは、すぐに察して肩を抱いた。

「ああ、あ……大丈夫だ。別にお前、することないし」

 なんだこの会話。

 違和感を覚えながらも玲菜は続ける。

「それに、私、胸も大きくないから。レオ、ガッカリするよ」

 そういえば、前に彼が口説いた酒場の店員の娘は巨乳だったと思い出して、ますます落ち込む。

「え? あー……いや、問題無い」

 レオはそのまま押し倒そうとしたが、下を向いて目をつむる玲菜が未だに体を震わせている状態なのに気付いて止まる。

 何度もためらい、心の中で必死に自分を説得して、苦心の末に言いたくない言葉を言った。

「やっぱりやめるか? お前、心の準備まだだろ? 嫌なら、俺も無理強いはしたくないし」

「え?」

 顔を上げて彼を見ると、彼は残念そうな表情が出てしまっている。

 

「やめない!!

 玲菜は覚悟を決めた。

「好きにして下さい!!

 うっかり恥ずかしいセリフを言ってしまったが。

 なぜかそれでレオにはスイッチが入ってしまい。

「わかった!」

すぐに玲菜を押し倒してきた。

 

 ベッドに寝かされた玲菜の上にはレオが体重をかけずに乗っかっている状態で。目の前の真剣な表情の彼の顔を見て、玲菜は固まったまま目をつむった。

 レオはマントを脱いで水色の詰襟《つめえり》の上着も脱いで床に置く。首にはスカーフ風ネクタイも巻いていたらしく、それも取って、護身用の短刀も床に置く。ワイシャツとズボンだけの姿になってから玲菜の頬に手を添えた。

「レイナ」

 そして優しく口づけをしてきた。

 何回もキスをしてから手を握ってくる。

 唇は頬や首筋に移り、段々と下がっていく。

 玲菜は更に目をギュッとつむったが、不思議と体の震えは治まってくる。

「レイナ……」

 レオは何度も名前を呼び、またその度にキスをする。口だけでなく腕や手の甲にもしてきて、玲菜は体が熱くなった。彼の呼び声に応えるように自分も彼の名を呼んでどんどん気持ちが昂《たかぶ》る。

 名前だけでなく単なる声だけも多分漏れていて、それは彼が手を体に伝わせるからであり。

 ついに脱がそうとしたのか、背中に手を回してボタンや腰紐《こしひも》を手探りで外そうとするレオ。しかし……

「ん? これどうなってる?」

 きつく結んである腰紐は中々外せなく、一旦止まった。

「ああ、それは……」

 玲菜は上体を起こして自分で紐を解こうとした。だが、うまく外せない。

「あれ? これどうなってんだろ?」

「自分でわかんないのかよ」

「サリィさんにやってもらったから」

「ああ、隣のパンの人?」

 サリィさんはパン作りが趣味らしく、しょっちゅうパンをおすそ分けしてくるのでもう「パンの人」で通じてしまう。

 そんなことはどうでもよく、レオは面倒くさくなって紐を引っ張る。

「これ切っていいか?」

「駄目だよ!!

 玲菜は青ざめた。

「切ったらもう着られない!! やだ!」

「城にある他のドレスを着るんじゃ駄目か?」

「駄目!」

 彼女が怒るので、レオは仕方なく地味に紐を解いていく。早く次の段階にいきたいのに、と心の中で溜め息をついて渋々試行錯誤する。

 そうして、ようやく紐がすべて外せた頃、二人の気分は大分落ち着いてしまったのだが、気を取り直してまた横になる。

 二人は寒いので一旦布団を被り。レオは布団の中で、手探りでドレスを脱がしていく。なすがままの玲菜は段々とまた緊張が甦り、しかも彼の手がくすぐったいのでその手を掴んで止めた。

「ちょっと……待って」

「なんだよ。まだ何かあるのか?」

「くすぐったいから!」

 玲菜が訴えると平然と彼は答える。

「当たり前だろ。わざとそうしてるんだから」

「わざと!?

 悪びれる様子もなく、彼は玲菜の手を離させて続ける。

 あまりにもくすぐったいので思わず声を上げてしまい、玲菜はまた彼の手を掴んだ。

「だから待って! っていうかそういうのやめて!」

「嫌だ。俺はやめろと言われると逆にやりたくなるからな」

 なんて短所だ。

「それに、お前の反応が可愛いし」

「なに言って……!」

 玲菜が怒る前にレオは玲菜の体を引き寄せて自分の体に密着させた。

(あ、あれ?)

 その時、初めてドレスが全て脱がされていたことに気付く。

 つまり布団の中では下着姿で。

(やばい。エロい!!

 玲菜はまた、頭の中が混乱してきた。

(いよいよなんだ。いよいよなんだ)

 レオが自分のシャツも脱いで、玲菜を仰向けにさせて上に重なってくる。

 その姿が妙に色っぽく感じて玲菜は顔が熱くなった。

(胸板厚い……)

 ちょっと触りたい。

 彼は片手を玲菜の背中に回して、顔を近づけて名前を呼ぶ。

「レイナ……」

「は、はい」

 多分返事は必要ないはずだったが、緊張した返事をする玲菜の髪に優しく触れるレオ。

 やがて、おでこにキスをしてきて、口にも……と、まさに、これから、という時に。

 

「殿下! いらっしゃいますか?」

 なんと! 廊下から従者の皇子を呼ぶ声が聞こえた。

 慌て出す玲菜の口を手で塞ぐレオ。

「静かに。いいから。居ないフリするから」

 二人は止まって静かにして従者が去るのを待つ。しかし、従者は中々諦めずに廊下から皇子を呼んでいる。

「早く行けよ。俺は部屋に居ないんだから」

 レオが小声で従者に文句を言った矢先、別の女性の声が訴えかけてきた。

「アルバート様、居るのは分かっていますから、言いますね」

 それはなんと、レオの護衛の朱音の声だ。

「レイナ様も聞いて下さい」

 しかも玲菜が一緒に居ることまでもバレている。二人が焦る中、朱音は部屋に向かって事を告げた。

「アルバート様。陛下から大事な用があると、伝えるよう承りました。陛下はあと三十分程で広間に向かわれるようなのでお急ぎ下さい」

 皇帝陛下の名が出て、レオの表情が変わる。それは明らかに緊張した面持ちで、玲菜はびっくりしたが。朱音は続けて玲菜のことも言う。

「それと、レイナ様も陛下から勲章を授与されると思いますのでお急ぎ下さい。ショーン様が会場に居て一緒に受け取れると思いますので、ショーン様の所へ行けば平気だと思います」

(勲章!? 陛下から授与!?

 驚きすぎる朱音の伝言内容に玲菜は呆然とする。

「以上です。では!」

 朱音と従者が去っていく足音が聞こえて、しばらく止まっていた二人は、玲菜が我に返ってレオに促《うなが》した。

「レオ! 陛下が来るって! 行かないと」

「あ、ああ」

 二人とも今までの行いの続きなんて気分では全く無くなり。特にレオは思いつめた様子。

 一方玲菜は、布団の中にある脱いだドレスをもう一度着て、泣きそうになりながら腰紐を縛る。サリィさんにやってもらったようにやるのは絶対に無理だが、なんとか見られるくらいに縛ればいいかと結んでいると、レオが手伝ってきた。

「適当でいいなら俺が手伝ってやる。元には戻せないけど」

「うん、ありがとう」

 背中のボタンも締めてもらってなんとか着直した玲菜は、せっかく結った髪が下りてしまったことにショックを受けた。

 仕方ないが。

 髪は下ろしたままにして靴を履いてベッドを降りる。

 レオもシャツを着てネクタイを締め、詰襟の上着に袖を通す。そして玲菜に渡されたマントを羽織って留め具で留める。二人で黙々と服を着て、妙にテンションが下がってしまった。

 いいところだったのに、これからだったのに。

 しかしさすがに陛下は無視できない。

 ひょっとしたら彼ならば皇帝陛下さえも無視するかも、と思ったが、そんなことはなかった。

 レオは玲菜の身なりが整ったのを見ると申し訳なさそうに言った。

「ああ、悪い。俺はもう行かなきゃならないんだけど、お前は少しこの部屋で待っててくれ。すぐに朱音を来させるから。そしたら、朱音と一緒にオヤジの許《もと》へ行けばいいから」

 そうか。一緒に広間へは行けないか。

「あ、うん」

 玲菜が返事をするとレオは彼女にキスをする。

 それ自体は軽いものだったが、キスの後に耳元で囁く。

「さっきは“言わない”って言ったけど、もう一回だけ言うと、今日のお前、凄く綺麗で正直俺は焦ってた」

「え?」

 玲菜がレオの方を向こうとすると、彼は向かせないようにする。

「こっち向くな。向いたら言わないからな」

 なんだその制約。

 玲菜は疑問に感じたが、言う通りにして向かないようにして黙って聴く。

「他の男に狙われるんじゃないかと思ったし、特にあの野郎に目を付けられたら最悪だからな」

「あの野郎?」

「変態兄上殿」

「変態兄上殿!?

 玲菜が訊き返すとレオは笑いながら言った。

「今に分かる」

 言った後に言い直した。

「いや、分からない方がいいな。今後絶対近付くなよ」

 兄上というと、長男か次男で、少なくともあまり近付くような人物ではないが。玲菜は訊く。

「え? どっち? 今日会った方?」

 レオは先ほどの制約を解除して自分の方に向かせた。

「あいつは一見優しいけど、猫被ってるだけだから」

 やはり次男の方らしい。

「猫被ってる?」

「今の所、俺ぐらいしか気付いていない」

 レオは妙に鋭い目をして言う。

「いつかアイツの化けの皮を俺が剥いでやるから」

「化けの皮?」

「楽しみにしとけ」

 それ以上は言わず、レオは「じゃあな」とだけ挨拶をして部屋から出ていった。

 残された玲菜は考える。

(化けの皮を剥がすって、次男の? レオ、一体何を考えているの?)

 危険なことでなければいいが。心配になる。

(あの人、名前なんだっけ?)

 確か、ヴィクターといったか。親切で爽やかで物腰も優しい紳士だったが。

(でも、一応警戒しなきゃ)

 ユナの時のように騙されてはいけない。

 ショーンやレオを信じて彼らについていこうと決める。彼らが決して間違いを犯さないというわけではないが、自分は信じて、間違っていた場合に正せばいい。

 玲菜はそう心に決めて、朱音が来るのを待った。

 

 しばらくすると、ドア越しに廊下から声が聞こえる。

「レイナ様、私です。御迎えに上がりました」

 声は朱音だったのでドアを開けると、やはり目の前には黒装束の朱音の姿が。レオの護衛の人たちは正装だったが、忍びだからそうはいかないのか。

(朱音さんがドレス着たら絶対に綺麗なのに)

 そう思ったが言わずに、玲菜は朱音の誘導するまま歩く。

 それよりも、自分がレオともうそういう関係になってしまったと思われているだろうと思って恥ずかしく感じる。

(一応まだなってないけど、否定するのもおかしいし)

玲菜は他愛のない会話だけして広間に着き、ショーンの許へと連れていかれた。


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