創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第四十話:盲目の預言者]
魔術師の家の前に着いた頃からだろうか。
玲菜の持つペット用の籠《かご》の中で寝ていたはずのウヅキが急に騒ぎ始めたので、玲菜は籠からウヅキを出して抱っこした。
「どうしたの? ウヅキ」
ウヅキは若干毛を逆立たせている。怯《おび》えている…いや、何かに警戒しているような。
「妙な気配を感じ取ってるんだろ」
そう言うレオは腰に差している刀に手を添えている。彼はいつも装備している刀の他に、先日受け取ったシリウスの剣まで装着していて、短刀を合わせると計三本の刀剣を所持していた。見た目はカッコイイのだが、少し重そうだし手入れの様子などを見ると面倒そうだ。
そんなことはさておき、警戒するウヅキとレオにショーンは笑いかける。
「大丈夫だって。シドゥリは年齢こそ不詳だけど、怖い魔女とかじゃないし。別に魔物がいるわけじゃ……」
言っている途中で、魔術師の家のドアが開いて中から一人の大男が出てきた。男は茶色いローブをまとっていて、フードで目元を隠している若干怪しげな人物。
背の高さはレオを超す2mくらいはありそうで。男が近付いてくるとウヅキは更に毛を逆立てたし、レオも刀を抜きそうな体勢になる。
そんな二人(一人と一匹)にショーンは「落ち着け」という風に手を向けた。
「彼はシドゥリの護衛兼使いだよ。シドゥリが数年前に都に呼ばれた時に会ったことがある」
ちなみにシドゥリとは魔術師の名前らしい。
「お久しぶりです、ショーン様。エドです。シドゥリ様が、貴方たちのことが『視える』と仰《おっしゃ》いましたのでお迎えに上がりました」
エドと名乗った男はショーンの前まで来て会釈をした。
ショーンは彼に挨拶をする。
「『視えた』か。相変らず凄いな、盲目の魔術師は。エド、久しぶり。シドゥリは変わってないか?」
訊かれて気まずそうに答えるエド。
「それが……シドゥリ様は最近お体がすぐれなく。ほとんどの時間はベッドで過ごされています。本日は体調が良いので大丈夫ですが」
そう言って三人を誘導してきた。
彼のあとをついて歩きながら、レオは疑問に思ったことを一人で口に出す。
「盲目なのに『見える』?」
何か超能力のニオイがする。
似たようなことを感じた玲菜はレオに質問した。
「レオは魔術師さんと会ったこと無いの?」
四賢者の内、技師のマリーノエラとも医師のホルクとも知り合いのようだった。もしかしたらそれは皇子だからかと思っていたのだが。
「無い。俺も魔術師のことだけはよく知らない。陛下が賢者の称号を与えたのは俺が生まれる前だし、オヤジと一緒にマリーノエラやホルクとは会ったことがあるけど、シドゥリは今回が初めてだ」
そんな謎の人物に今から会えると思うと緊張する。
エドに案内されて、魔女が棲《す》んでいそうな家の中へ通された一行。レオと玲菜は入った途端にキョロキョロと見回して首を傾《かし》げた。
「意外と普通……」
つい口に出してしまった玲菜。
外からの見た目が木と同化していたような割には普通の家で、なんだかガッカリしてしまった二人にエドは言う。
「外での見た目は、ただ見え難くするためのものなんで。中までは木と同化していませんよ」
「あ、そうなんですか」
彼に心を読まれたみたいで玲菜は恥ずかしくなった。
(ガッカリしたのバレてるし)
ともあれ、一つの扉の前でエドは立ち止まり、扉の向こうに声を掛けた。
「シドゥリ様。ショーン様たちを連れてまいりました」
「わかっています」
向こう側から聴こえた声に驚く玲菜。
(声、若い)
声の感じからすると三十代くらいの女性のよう。しかし、レオが生まれる前に既に賢者の称号を得ていたことを考えると決してそんな若い人物のはずではない。
(どんな人なんだろう?)
玲菜が興味と期待を持っていると、「どうぞお入りください」という声が聞こえて、エドが扉を開けた。
部屋の中は暗く、ランプを灯していて。やはり魔女……というか、想像する占い師の館のようだったが……それよりも、玲菜は小さな明かりに灯されて見えた彼女の姿にある種“既視感《デジャヴュ》”的なものを感じて。ショーンとレオが奥へ入っていくのに、一人立ち止まってしまった。
――それは、妙な確信。
まるで時が止まったような感覚になって。その後一気に不安が押し寄せる。いや、これが“不安”なのかどうかも分からない。
心臓が止まりそうだ。
(似てる……!)
黒いローブをまとって、黒いフードで顔を隠した彼女は、自分の小説を盗んだ人物によく似ていた。
(本人?)
まさか、ただ似たような服を着ているだけだ。と玲菜は思い直す。
第一、最初男だと思っていた黒ローブの人物の真の姿は見ていない。声も聴いていない。
それなのに。
この妙な感じはなんだ。
自分を、この世界に入り込ませた原因の黒いローブの人物。
その人物に、目の前の魔術師は似ている。
そう感じる根拠はなんだ。
(違う違う。服が一緒なだけ。あと、魔術師っていう雰囲気でそう思っちゃっただけ)
玲菜は首を振って考えを捨ててから前に出て、皆の許《もと》へ歩いた。
玲菜が近付き終わると、魔術師は自分が被っていたフードを取る。
出てきたのは両目を包帯で巻いた白髪《はくはつ》の女性。ただし、包帯を巻いた以外の顔の部分にあまりシワは無く、白髪といえども若そうな印象で、まさに年齢不詳という言葉が似合う。
「皆さん、御揃いでようこそ」
しかも先ほど感じたように声も若い。
「ショーン、アルバート皇子、それにレイナさん」
自分たちの名前まで呼ばれて、レオと玲菜はドキリとした。
「私はシドゥリです。一応、預言者と呼ばれています」
この、何もかも分かっている風な彼女の雰囲気に、レオはつっこんでしまった。
「なんで俺のこと……。レイナの名前も!」
「視えましたので」
当たり前のように、彼女は言う。
「ショーンと貴方とレイナさんがここにやってくるのが、先日」
「視えた?」
「ええ。そうですよ。黒い髪の皇子様」
彼女は盲目のはずで、両目に包帯を巻いている。
レオの見た目までを当てたことが信じられない。
「オヤジ、教えてないよな?」
念の為、レオは疑ってみたがショーンが教えるはずもない。
「そんなわけあるか。俺も驚いてるよ」
「う〜〜〜ん」
レオは彼女が実は見えているのではないかと疑った目で包帯をじっと見ていたが。やはり玲菜の名まで当てたことは不思議で首を捻《ひね》る。
その様子に苦笑いしながら、ショーンは預言者・シドゥリに話しかけた。
「シドゥリ、久しぶり。俺が……俺たちが今日ここに来たのは……」
「分かっています。まずはお掛け下さい」
シドゥリは三人にソファに座るように勧めて、三人が腰掛けると同時にエドが紅茶を運んできた。
目が見えていないはずの預言者は、皆に紅茶が配り終わった頃に話し始める。
「ショーン、お久しぶりですね。貴方が再びここに訪れることは分かっていましたよ。そしてそれは運命だということも」
「うんめい……?」
ショーンの表情が変わる。
「それはまた、大層な言葉が出てきたな」
いつものおじさんと違って妙に緊張している風なのは気のせいか。
「ええ。もう一度ここに来るのは、貴方自身も分かっていたことでしょう?」
シドゥリは言う。
「大事な物を盗んだのですから」
動揺して紅茶をこぼしたのは玲菜だ。
「あ! あの、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ」
すぐにエドがテーブルを拭いて紅茶は広がらずに済んだが、玲菜の動揺は治まらない。
(え? ショーンが『盗んだ』って? 何を?)
『盗む』だなんて……決していい言葉ではないし、なぜか胸騒ぎがする。
(盗む……)
何か、凄く引っかかった。
一方レオは別の意味で解釈して、一人で納得していた。
(シドゥリの心を盗んだってことか? やるなぁ〜オヤジ)
ショーンは「ああ」と頭を押さえて、気まずそうに口を開こうとしたが、先にシドゥリが言った。
「しかしそれも必然。なぜなら、あなた方は三人とも非常に重要な運命を背負っていますので」
「運命? 三人? なんだそれ、予言……いや、占いか?」
軽く訊いたレオに、不敵な笑みを浮かべてからシドゥリは言う。
「アルバート皇子。貴方はいずれ歴史に名を残す。なぜなら……」
皆が静まる中、シドゥリの声は響く。
「帝国の英雄・シリウスが次の皇帝になる運命だからです。そしてそれは遠い未来ではありません」
「なっ……」
レオは立ち上がり、玲菜はドキリとした。
(これって予言? レオが次の皇帝に……しかも近い未来?)
当たっていそうで怖いし、色々な不安が募る。
(やっぱり、レオが皇帝になるかもしれないんだ。そして、その時私はどうなっているんだろう?)
不安がっていると、シドゥリの方が玲菜に声を掛けてきた。
「レイナさん」
「は、はい」
「貴女は、皇帝の妻にはなれません。つまり、アルバート皇子……シリウスの配偶者になるのはレナであり、その運命は神話のごとく。変えることができません」
今、……なんて言ったのか。
なんて、言われたのか。
理解できない。
自分は、いずれ皇帝になるアルバート皇子の妻にはなれない、と。
それは、神話の運命と同じでシリウスとレナが結婚するから、と。
(私……レオとは結婚できない)
半分解っていたことだったが、他人に突き付けられるとショックが大きくて、玲菜は震えた。それに……
(神話って何?)
玲菜の心の疑問に答えるように、シドゥリは告げた。
「貴女のよく知る、『伝説の剣と聖戦』は、この世界の神話です」
ああ。
それだ。
ずっと知りたかった疑問の答えが、そこにあった。
(私の小説が、この世界では……)
いきなり理解できない。
信じられない。
けれど……
(神話だった……?)
思えばすべてが繋がり、辻褄が合う。
玲菜が呆然としているとレオが口を挿んできた。
「何? なんでいきなり神話のことを?」
彼は震える玲菜の手をそっと掴んでからシドゥリに言った。
「魔術師、アンタ一体どういうつもりだ? 大体、予言だか占いだか知らねーけど、いきなりなんだよ。運命? 神話のごとく? そんなわけあるか。俺は皇帝になるつもりはないし、レナと結婚する気もない。俺は……」
一度玲菜の方を見て、それから口を開く。
「自分の配偶者は自分で決める。たとえ陛下の命令だったとしても断ってみせる。俺は、自分の好きな女以外とは結婚しないつもりだからな」
(違う……!)
玲菜は目をつむった。
シドゥリの予言がきっと当たると分かったから。
レオと自分が結婚できないのは皇帝とか神話とか関係なく。
(私が元の世界に帰るから、レオとは結婚できないんだ。自分が原因なんだ)
だから、自分が居なくなったあとに、レオは皇帝になってレナと結婚する、と。そんなことは容易に想像できる。
そしてそれが運命であり、自然な形だと。
(私は元々、ここに居るべき存在じゃなかった!)
自分の小説が何者かに盗まれて、気付いたらここにたどり着いていた。
(私は……私の、小説は……)
そうだ、シドゥリは、盗まれた玲菜の小説が、この世界の神話だと。そう言った。
ここは未来の日本で。
神話の話は何度も今まで聴いた。
それが自分の小説と似ていたのは、単なる偶然だとずっと思っていた。その時感じた違和感をずっと深く考えないようにしてきた。
もしも……
自分の小説が、今居る時代よりもずっと前に送られたとして。
そこで読まれて広まって……語り継がれたら……
神話になることがあるのか。
ましてや、それが信仰されたら……
どんな風に影響されて町や国、宗教や文化ができるのか。
それに争いも。
(争い……?)
もしも、自分の書いた小説が神話になっているとして。その神のために戦争が起きたとしたら……。
考えた途端、玲菜にとてつもない吐き気が襲ってきた。
(アルテミス……!!)
自分の小説に出した神の名と、この世界で信仰されている神の名の一致を思い出したから。
今回の戦で、敵だった隣の大国が信仰していたのは『女神アルテミス』で。その、神話に出てきた神のために大勢が血を流して死んだ。
「うっ……」
玲菜は吐きそうになって口を押えた。
気持ち悪くて苦しくて涙が出る。
(アルテミスなんて、月の女神から勝手に名前を付けただけの、なんでもない存在なのに……!)
自分が適当に考えたキャラクターで。
(どうでもいいただの小説なのに。私が小説家になるための……空想の……)
自分が、自分の夢のために考えたフィクションで、今まで何万という人間が死んだのか。
「お、おい! どうした? レイナ!?」
心配して自分をさすってくる愛しい人も苦しめている、その元凶を書いたのはもしかして……
(私なの? 私だったの……?)
たくさんの人にただ読んでもらいたかっただけなのに。
むしろその願いは叶っているのに。
(私の書いた小説で……戦争が起きたの?)
小説家でもなんでもない自分が書いた物語を皆が信じて。
(全部嘘なのに!! シリウスもレナも、アルテミスも居ないのに……!)
どれほどの犠牲があったのか。
考えたら、玲菜の目の前は真っ暗になった――。
*
母が亡くなったのは、玲菜がまだ六歳の頃で。小学校にあがる前だった。
だから、小学生の頃は父との思い出しかない。
それなのに。
玲菜は、自分が小学生で父と母と一緒に歩いている夢を見た。
それはとても幸せで、儚い夢。
*
一時的な強いショックで気絶した玲菜が目を覚ましたのは魔術師の家に着いた日の夜中だった。
玲菜が倒れてしまったので、その日はシドゥリの家に泊まることになり、彼女はベッドに寝かされていた。
起きると、物凄い汗を掻いていたのが自分で分かり、ベッドの近くで座りながらウトウトしている男の姿が見えた。
それはレオで。
彼女が目を覚ましたのを感じ取ったのか、レオも目を開ける。
「レイナ……」
彼は起きてもまだ顔色の悪い玲菜を抱き支える。
「大丈夫か?」
「レ…オ……」
駄目だ。彼の顔を見ると激しい苦しみに襲われる。
彼を苦しめている元凶である神話が憎いとさえ思ったこともある。
玲菜はうまく呼吸ができなくなって無意識に彼に謝っていた。
「レオ……ごめんね。私のせいなの。レオ……ごめん。ごめんなさい……」
「は? 何謝ってんだよ?」
疑問を感じながら背中をさするレオ。
「なんかわかんねーけど、平気だから。とにかく落ち着け」
「おとうさん……おかあさん……」
震えて息を切らしながら小さく呟く玲菜の声を聞いて、レオは悟った。
「……お前を苦しめているのは俺なんだな」
彼女をそっとベッドに寝かせて立ち上がる。
「オヤジを呼んでくるよ。その方が落ち着くだろ」
そう言って行こうとするレオの手を玲菜は掴んだ。
実際、彼の言ったことは合っていて、息が苦しいのは自分でどうにもならなかったが。
行かないでほしいという気持ちが落ち着きたいよりも勝《まさ》った。
ショーンに来てもらって安心するよりも、苦しくても辛くてもレオに傍にいてほしいと。
「レオ……」
それはまるで、言ってはいけない罪の言葉。
「一緒に居たい。ずっと……」
たくさんの人が死んだ戦争も、彼を苦しめる元凶も、すべて自分の書いた小説にあるかもしれない。
本来、ここに居てはいけない存在なのかもしれない。
シリウスとレナの邪魔をして運命を変えているのかもしれない。
そして、無責任にも元の世界へ帰ってしまうかもしれない。
けれど……
「離れたくないの」
レオは掴まれた手を自分から掴み直して、またベッドの近くの椅子に戻って座った。
「じゃあ、お前の望み通りにしてやるから。どうしてほしい?」
目をつむって間を空けてから玲菜は呟く。
「抱きしめて」
返事もせずにレオは横に添い寝して優しく彼女を抱きしめた。
彼女が息を乱しそうにすると落ち着くまで髪を撫でる。
他には何もせずに、たまに名前だけを呼んだ。
そうして、彼女が眠りに就くと寝顔に小さく話しかけた。
「運命なんて、俺が変えてやるから」
そっと頭を撫でながら言う。
「まだ早いと思って言えないけど。……結婚しよう、レイナ」
返事なんてあるわけない。
「……なんてな」
レオが苦笑いしていると、彼女の頬を涙が伝った。
(寝てても泣いてる)
悲しい夢を見てるのか、それとも……
「嬉し涙か?」
(だったらいいけどな)
レオはそのまま彼女を抱きしめながら眠った。