創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第四十一話:創作した小説が世界の神話になっていた]
温もりを感じて玲菜は目を覚ます。
そういえばいつからだろうか。
目を覚まして自分の居る時代を勘違いしなくなった。
それだけこの世界に慣れた。
そうだ。父のことを思い出して泣くことも少なくなった。
久しぶりに父の夢を見た。いや、父だけではなく、母も居た。
その二人が自分を置いてどこかへ行ってしまって、泣いていたらレオが来てくれて手を繋いでくれた。
――そんな夢。
ボーッと思い出していると、目の前にそのレオの寝顔があった。
(え……? 一緒に?)
レオと一緒に寝ていたのか。
なぜ?
玲菜は思い出さなかったが、無性に愛しくなる。
(キスがしたい)
その愛しい気持ちのまま、彼の頬にそっと口づけをした。
バレないようにしたつもりだったが、唇が触れた瞬間に彼の顔が動く。しかも目が開いていて、その瞳と目が合った。
(え?)
玲菜は慌てて顔を離す。
だが、次の瞬間には後頭部に手を回されて、ぐいっと押される。
そして、引き寄せられるままにキスをさせられて玲菜は目をつむった。
何度もキスを交わすと、彼が段々激しくしてくるのが気分を高揚《こうよう》させる。
しかし、このまま流れに身を任せてはいけない。
「ちょっ……!」
玲菜が何か言おうとするとレオが口を塞ぐので、玲菜は両手で彼の唇を押さえた。
「ちょっと待って!」
まず状況の確認からだ。
「私たち、なんで一緒に寝てるんだろう?」
レオは自分の口元から手を離させて答える。
「お前の望みの通りにしてやっただけだよ。昨日言ったろ? 『抱いて』って」
「えぇ? 私が? そんなことを?」
玲菜が憶えていないのは当然で、本当は『抱きしめて』だったが。レオは勘違いさせる気満々だった。
「でもお前寝ちゃったから。今から望みを叶えてやる」
そう言って今度は首筋にキスをしてくるレオ。
「え? ……」
玲菜はくすぐったくて声が出そうになって、慌てて自分の口を押えた。
「やだ……ダメ! レオ!」
そもそもここはどこだ。確認している間にも彼のキスは続き、唇がどんどん下がる。
「ちょっと……レオってば!」
そうだ、ここは魔術師の家のはずだ。
「他人《ひと》んちで、ダメだよ!」
「大丈夫。まだ朝早いから皆寝てる。声出さなきゃ誰にも気づかれないだろ」
レオの根拠のない説得に流されそうになった玲菜は、「それもそうか」としばらく無抵抗になって静かにしたが……
よくよく考えて、やはり駄目だと我に返った。
「そういう問題じゃないの!!」
思い切り押されてようやく止まったレオはムスッとしてそっぽを向く。
「じゃあ、いつならいいんだよ。その下着は、俺のためじゃないのかよ」
「え……?」
上体を起こした玲菜が「ハッ!」と下を見ると、いつの間にか自分の服が半分脱がされて下着が少し見えていた。
「わぁあああ!!」
慌てて布団を被って服を直す玲菜。
彼のために買った下着だったが、実際に見られると恥ずかしさで死にそうだ。
それでも、恥ずかしさを押し殺して先ほどの質問に答える。
「いつならって……。とりあえず、他人《ひと》の家じゃ駄目だよ」
「そうか」
レオは布団を被っている玲菜を布団ごと抱きしめてきた。
「レオ……?」
「……良かった。お前が元気で」
言われた瞬間に玲菜は昨日の事を一気に思い出した。
(あ……! 私……)
シドゥリに告げられたショックな事が一つ一つ記憶に戻る。
レオが皇帝になり、自分はその妻にはなれなく、レナが結婚するという予言。
自分の書いた小説『伝説の剣と聖戦』がこの世界では神話になっているという話。その神話が元で戦争が起きている現実。レオが苦しんでいる事実。
それで、あまりにも恐ろしくなって自分は一時意識を失って。
考えると今でも怖くて震えそうになるが、自分を包んでくれている腕が優しくてなんとか呼吸を整えられる。
(レオ……)
そうだ。昨日もそうだった。
目を覚ました時に彼が居て、あの時も抱きしめてくれた。
ずっと傍に居てくれた。
「レオ……」
堪《たま》らなく愛しい理由が分かった。
玲菜は一度彼の腕を解《ほど》いてベッドを降りる。二人で向き合って立つと彼の身長が自分よりも頭一つ分以上高いのが分かる。
(180センチくらい?)
玲菜は踵《かかと》を上げて背伸びして、彼の首に腕を回した。そうして首元に顔をうずめる。
「ありがとうレオ。もう大丈夫」
本当は大丈夫ではないが、心配する彼のためにも心を強く持たないといけない。
(私が落ち込んだってどうにもならない。私が「神話はすべてフィクションで、神や英雄も居ません」って人々に言えば戦争は終わるの? そうじゃないよね)
そんな簡単な問題ではない。
だからといって「どうにもならない」と何もしなければいいのか?
(わからない)
何かすればまた歴史を変えるのかもしれない。でも……
(自分にできることをしよう……ううん、自分にできることを探そう)
或《ある》いはそれは自己満足だが。
(自己満足だっていい。っていうか、『自己満足=駄目』じゃない)
そもそも、一体誰に対しての言い訳か。
色々なことを考えていると、レオが少し屈《かが》んで、玲菜が背伸びしなくてもいい状態にしてきた。
「なんだよお前。ようやっと甘えてきた…」
彼が言っている途中で、玲菜は彼の口を塞ぐようにキスをした。
「ん?」
不意だったのと、初めて彼女からキスをしてきたので、レオの心は舞い上がって危うくそのまま押し倒しそうになったが堪《こら》えた。
(なんだよコレ、我慢大会?)
悶々《もんもん》としている彼に、唇を離した玲菜が呼びかける。
「レオ」
彼女は凄くためらってから蚊の鳴くような声で言った。
「今度……私の……を、……してください」
「え!?」
レオはほとんど聞こえなかったのだが、自分なりに解釈して今の言葉を彼女の耳元で復唱して訊いてみる。
「――って、今言ったのか?」
「違う!! そんなヘンなこと言ってないよ!! どっから出てきたの? その言葉!!」
玲菜は悲鳴じみた声で全否定した。
うっかり顔を真っ赤にしたのはレオの方だ。
「え? じゃあなんて言ったんだよ? 俺には聞こえたぞ。『私の…」
「声に出さないで!!」
玲菜は泣きそうだ。
「そんなこと言うわけないでしょ! お父さんのことだよ? 私がファザコンだから、レオがそれを卒業させてって! そういう意味だったの!」
「え? は? ファザコン? お前そういうわけわからん言葉使うなよ。たまに使うだろ? 故郷の言葉か知らねーけど」
言葉は割と現代用語で通じるのに、たまに意味が通じない時がつらい。
玲菜はもう一度言い直した。
「つまり、私は今までお父さん大好きだったんだけど、これからはお父さんを卒業していきたいの。その為に今度レオと……」
何を言うつもりなんだ。自分は。
続きの言葉が頭を過《よぎ》った時に、一気に恥ずかしさが溢れてきて喋れなくなる玲菜。
(何言おうとしたの? 私!)
顔から火が出るとはまさにこの事で、レオに悟られたくないし顔を見られたくもない。
しかし、こういう時だけやけに勘の鋭い彼は玲菜の顔を自分に向けさせる。
「今度俺と……なんだよ?」
「ううっ……」
玲菜はレオの顔が見られなくて目をそらした。
「あの……要するに、レオと仲良くしていきたいってことなの」
これ以上は訊かないでほしい。
「仲良くって、たとえば?」
それ言わせるか。
「一緒に出掛けたりとか、手を繋いだり」
続きをレオが言う。
「抱き合ったり、キスしたり?」
「う、うん」
照れながら返事をするとレオは耳元で囁いてきた。
「その続きは? キス以上のことも?」
その声があまりにも色気があったので玲菜は目をギュッとつむって、無言で頷いた。
レオは肩を掴んでそっと訊く。
「今……?」
危うく反射的に頷きそうになった玲菜は慌てて首を振る。
「今じゃない! 今度今度!」
レオはあからさまにガッカリして頭を抱えて座り込んだ。
「ああ〜〜もう〜〜。お前は頑《かたく》なに拒むよな〜〜。俺は今したいのに」
今、なんて言ったのか。
玲菜は思わず彼の頭をぶっ叩いた。
「だから! さっきから今は駄目って言ってんでしょ?」
叩かれた頭を押さえながらレオはボソッと呟く。
「お前ってホントに似てるよな」
「え?」
「レナに」
「え?」
レオは「あ!」と付け加えた。
「レナっていってもあれだぞ? 神話の」
「神話……」
神話というと……
(私の小説のレナってこと?)
気付いて玲菜はドキリとした。
自分の小説のヒロイン・レナの性格は自分に似せているので、似ているのは当然ともいえる。
「見た目は違うけどさ、ちょっとした言い方とか、性格が似てるんだよな。まぁレナはシリウスのことを殴ったりとかしないけどな」
「ぶったのは……! レオが悪いんでしょう? 変なこと言うから。シリウスだったら絶対言わないよ! もっと紳士だもん」
玲菜の反論に、レオは気まずそうに目を伏せる。
「分かってるよ。俺がシリウスに似てるのは見た目だけだ」
こんな会話、まさかレオとできるなんて。自分の小説の登場人物の話を彼とできるのが不思議で仕方ない。
(私の小説、本当に神話なんだ? レオも読んでいるんだ?)
そう考えると少し恥ずかしく感じる。
(あの、拙《つたな》い文章が……)
更に驚くことを彼は伝えてくる。
「俺はさ、実は……神話の『伝説の剣と聖戦』を子供の頃に読んで凄くシリウスに憧れたんだけど。その影響でか、レナみたいな女が理想っていうか……まぁ、そんな感じで」
若干照れて俯いている。
「だからなんつーか、似ていたお前のこと、最初の方から気になってたっていうか……。今だから言うけど」
レオはたまにこちらをチラチラ見ながら言った。
「名前だって似てるだろ? レイナとレナで」
名前は自分の名前に似ている名をわざと付けた。だから似ているに決まっている。玲菜はなんともいえない気持ちになった。
(レオが、小説のレナのことが好きで、だから私のことが気になったっていうこと?)
「もちろん好きになったのは似てるとか関係無かったけどな」
レオは先ほどまで目をそらしていたのに、急にまっすぐ見つめてきた。
「なんか、いつの間にかお前が俺の心に入ってた感じ。どうしてくれんだ」
「どうしてくれんだって……!」
なぜか玲菜が悪いかのような言い方。
「なんか私が悪いみたいじゃん」
「ああ、悪い」
レオは真剣な眼のまま玲菜の腰に手を回して自分に引き寄せる。
「だからレイナ。お前、責任取って俺と……」
「おはようございます、レイナ様、アルバート様。朝食の用意ができましたのでこちらへどうぞ」
邪魔タイミングで部屋に入ってきたのは預言者・シドゥリの付き人である大男・エドで。カップルがいる部屋にノックもせずにドアを開けるのは配慮が足りないと思われるが。
とにかくまんまと続きの言葉が言えなくなったレオは不機嫌になる。
しかしその不機嫌も、案内されて入った部屋の食卓に彩られた美味しそうな料理を目にしたら吹っ飛んでしまった。
「こちらが朝食でございます。どうぞ遠慮なく」
エドにそう言われて席に着いたレオはすぐに料理に夢中になる。食卓にはすでにショーンが席に着いていて、呆れた目で彼を見た。
「レオ。お前入ってきた途端なんだ」
しかし返事はなく。代わりに、一緒に入ってきた玲菜が席に着いて挨拶をした。
「ショーンおはよう」
「レイナ。おはよう。大丈夫か?」
昨日倒れた玲菜を心配するショーン。
「うん。大丈夫だよ。ありがとう、ショーン」
返事をして、玲菜は部屋を見回した。その心に気付いたエドが伝えてきた。
「シドゥリ様は寝室に居ます。皆さまには失礼にあたりますが、本日は体調がすぐれなく起きられないので。申し訳ないです」
「俺たちの予言をするために力を使ったからってことか?」
意味深長なことをエドに問うショーン。しかしエドは顔色一つ変えずに返す。
「チカラ? なんのことですか? シドゥリ様はお歳を召していて持病がありますので。長時間お話をすることは叶いません」
「しかし」と玲菜の方を見る。
「昨日レイナ様が倒れてしまってシドゥリ様は大変気に病んでおりました。そのことで、あとで話があるようです。よろしいですか?」
聞いて、また緊張が走る玲菜。何かショックなことを言われたらどうしようかと不安になったが、それは出さずに「はい」と頷く。
けれど、横で食べていたレオが、珍しくも食事の手を止めて口を出してきた。
「駄目だ。これ以上何か腹立たしいことを言われたら嫌だからな。俺は気にしないからいいけど、レイナがショックを受ける予言もどきは却下だ」
「予言ではありません。皆さんがこの館に訪れた本来の目的の在りかとヒントを教えると、そう仰《おっしゃ》ってました」
エドの言葉に玲菜とショーンは顔を見合わせる。
そうだ。ここには予言をしてもらいに来たわけではない。しかも、預言者は御見通しだった。さすがは魔術師と呼ばれるだけあるか。
三人は食事をして少し休んでから、エドの誘導のもと、シドゥリの寝室へ向かった。
薄暗く、装飾や家具がほとんどない部屋の隅のベッドで、白髪《はくはつ》の女性は背もたれに寄り掛かりながら上体を半分起こして座っていた。
エドと三人が部屋に入る足音でこちらを向き、口元が笑う。
「寝台に入ったままで失礼しますね」
三人が近付くと玲菜だけを呼んで「二人だけで話がしたい」と要望する。レオは反対したが玲菜が応じたので、渋々とショーン、エドも一緒に部屋を出ていった。
レオが出ていく時にシドゥリは「皇子の護衛もしばらく離れてほしい」と注意する。それは密かに近くで窺《うかが》っていた朱音たちのことで、彼女たちもレオの命令で少しの間シドゥリの部屋からは離れることにする。
そうして、人払いが済んでからシドゥリは玲菜を近くに座らせて小さな声で話し始める。
「まずは、昨日のことを謝らなければなりませんね、レイナさん。貴女を傷つけてしまったことをお詫びします」
「い、いいえ。シドゥリさんが悪いわけじゃ……」
玲菜がショックだったのは、レオとのことではなく、自分の創作した小説が世界の神話になっていたことであり。間接的に人を殺しているかもしれないという罪の意識からだ。
その心を悟ったのか、まず初めに、シドゥリは小説について話した。
「貴女の小説は、この世界で神話になっていますけど、それは貴女が悪いわけではありませんし、そもそも今起こっている戦争は神話を利用しているだけで、神話が原因ではありません。神話が無ければ別の物を大義名分に戦は起こります。そういうものです」
言われてみれば確かにそうなのかもしれないが。それにしてもやはり、心の奥で罪の意識が消えない玲菜。これはきっと解消されない。少なくとも今はそう感じる。
落ち込みながら玲菜はふと疑問に思っていたことを訊いた。
「シドゥリさんは、その……何者なんですか? なんで私のことを知っているんですか? 小説のことも」
「……そうですね」
間を空けてからシドゥリは答える。
「私は代々、神から言葉を預かる預言者……元々は巫女の家系で、二つの物をずっと守ってきています」
「二つの物……?」
シドゥリは自分の着ている服の袖をめくって左腕を見せる。そこには石でできた重そうな腕輪が填められていて、血のような赤い文字が呪文のごとく刻まれ、青色の丸い宝石が埋め込まれていた。
「これは、呪われた魔眼石《まがんせき》を使って作られた“アヌーの腕輪”です」
「まがん……? アヌー?」
ショーンなら知っているかもしれないが、玲菜は初めて聞く言葉。
玲菜が混乱していると、シドゥリはなるべく難しい言葉を使わないように説明してきた。
「そうですね。細かい説明を省きますと、填めると絶対に外せない腕輪で、同時に空の神・アヌーの力を操る賢者・シドゥリの能力も得ることができます」
「え?」
細かい説明を省かれたのによく聞き取れなかった。しかし、最後に言った言葉は分かる。
「シドゥリの能力を得るって? 言いましたよね?」
「そうです」
シドゥリは頷く。
「つまり、私はシドゥリと名乗っていますが、厳密に言うとシドゥリの能力を得た人間なのです」
「え?」
「そして、その能力を得た時に私の目は呪いに耐えられなくなり朽《く》ちました」
シドゥリの言葉に愕然《がくぜん》とする玲菜。
(朽ちた? 普通の失明とは違うの?)
「私のこの“視える”能力は、大昔の『神の遺産』を使い、両眼を失って初めて得る能力です」
(神の遺産?)
どこかで聞いたような。と玲菜は思ったが思い出せない。
(多分ショーンが言ってたはず。あとで訊いてみよう)
確認しているとシドゥリが続きを話す。
「代々その能力を受け継ぎ、神の遺産である“アヌーの腕輪”を守ってきた私の一族は、もう一つ、“この世界にとって”大事な物を守ってきました」
それが二つ目か。
シドゥリはベッドの横の棚に置いてあった箱を手探りで取って出す。
「それが……こちらです」
その箱はかなり年月が経っている物のようで、古ぼけていて黒ずんでいる。
一瞬、どこかで見たことがある気がする玲菜。
(どこだろう?)
思い出そうとしていると、シドゥリが「どうぞ開けて下さい」と差し出してきた。
「え?」
受け取って「自分が開けてもいいのだろうか」と思いながらも、ゆっくりと箱の蓋を開けるとそこには……
――あまりの古さで茶色く変色した原稿用紙らしき物の束。そして紙に綴《つづ》られた文章。
その、見覚えのある文章と用紙の束に、玲菜は放心状態になった。
しばらく口が利けなく、何度も目を疑う。
鼓動が激しくなって手が震える。
(これってもしかして……)
「それは、神話『伝説の剣と聖戦』の原本です」
盗まれたはずの小説が、変わり果てた姿でそこに在った。