創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第四十五話:サプライズ]

 

 この世界にも季節や暦……要するにカレンダーが存在していた。

 玲菜がこの世界に来て約三ヶ月。

 ショーンの研究室の机の上に、地味に置いてある卓上カレンダーは九月になっている。

 同じ場所に置いてある新聞紙の日付は九月十日。ちなみに、カレンダーは現代と同じ十二か月だが、どの月にも三十一日は無い。

 今現在、外の気温や陽の長さはとても九月十日には感じない。乾燥もしているし、明らかに冬だ。

 以前ショーンに訊いた時、旧世界とこの世界では暦が約四ヶ月違うと教えてくれた。

 玲菜は、一階にあるショーンの第一研究室を片づけながらカレンダーを見てふと思った。

(今って、多分一月だよね?)

 自分の住んでいた世界では恐らく。

 春が来るのはまだ先か。

(春、早く来ないかなぁ?)

 春には自分の誕生日がある。春と言ってもまだ肌寒い三月上旬だが、暖かさが待ち遠しい。

(春が来てもこの世界では自分の誕生日が来るのはまだずっと先だけど)

 目の前のカレンダーを見ると、自分の誕生日が来るまであと半年ある。

(夏頃……?)

 その頃には、自分はどうなっているのか。

(ここには居ないかな)

 

 ショーンに相談をした次の日。

 レオは宣言した通り朝からすぐに城に行ってしまい、ショーンは用があると出掛けたので、玲菜は一人で掃除をしながら留守番もしていた。

 ショーンは「なるべく研究室に入るな」と言っていたが、一階の方の研究室はある程度の片づけを許されている。もちろん分からない物は触らないが、本を整えたり、床に落ちている物を拾ったり。その、ある程度の片づけが終わって、玲菜は次にレオの部屋へ行くことにした。

 レオは散らかすのが得意らしく、片づけても片づけてもすぐに汚してくれる。前は「入るな」と言われたが、最近はそうではなく、ショーンの研究室と同じく“ある程度”の片づけならばむしろ喜んでくれる。

 玲菜は彼の部屋に入って、安定の“片づけられない症候群”に溜め息をついた。

(また凄い散らかってる)

 泥棒でも入ったのか。

 放置するとゴミ屋敷に戻る恐れがあるのでこまめに掃除するに限る。

(私ってやっぱりお母さんだよね)

 掃除は嫌いではないので苦にはならない。

 

 玲菜はせっせと片づけて、ホコリ取りや床などの掃除も終わらせて、窓を開けて空気の入れ替えもしてベッドのシーツを取り替えると、その布団の上に寝転んだ。

(ふかふか……)

 皇子のベッドの布団は、上質の物らしく凄く気持ちがいい。彼は普段カーテンを閉めているが、カーテンを開けるとちょうど陽がベッドを照らして段々と暖かくなってくる。

 玲菜は窓を閉めて、しばしレオのベッドで寝る心地好さを味わった。

(レオ……)

 元の世界に帰るための鍵の在り処が分かった。

(なんだっけ? 竜宮城?)

 本当は龍宮の緑城だったが、玲菜は憶えやすい名前で憶えていた。

(また戦争なんて嫌だ)

 特に今回は帝国側から攻め込むこともあり得そうなので怖い。

 アヌーの結晶石は欲しいが。

 戦争なんて人がたくさん死ぬのは絶対に駄目だ。

(私ってこの世界の創世神なんだよね? なのに、なんでこんなに無力なの?)

 今は、一人しか居ないから本音を口に出してみる。

「レオ……離れたくないよ」

 口に出したら急に泣きたくなった。

「レオ……」

 そのまま目をつむると、三か月前のことが思い出される。

 この家に初めて来た時は夜中で。まさかレオが居るなんて思いもよらなくて。

 びっくりしすぎて悲鳴を上げた。

 驚いただけでなく「嫌だ」という気持ちがあった。「恐い」という気持ちも。

 それが今は……こんなに好きに……。

 

 

 玲菜が、自分が昼寝をしていたと気付いたのはショーンが帰ってきてからだ。「ただいまー」という声で起きた。起きて初めて、レオのベッドで寝てしまっていたことが分かる。

 玲菜はすぐにベッドから降りて、レオの部屋から出る。ちょうどその時ショーンも居間の部屋に入ってきて来合わせた。

「おお、レイナ、レオの部屋掃除してたのか? 研究室も片づけてくれただろ。ありがとう」

「う、うん」

 今が何時なのかと時計を見ようとする玲菜にショーンが言った。

「お疲れ様レイナ。これから夕飯作るから。休んでていいぞ」

「え?」

 もうそんな時間か。

(やだ私。あまりに心地好くってつい)

 なんだか時間を無駄にした感と申し訳なさ感が募る。

玲菜は「疲れていないから」と、夕食の支度を手伝い、レオが中々帰ってこないので二人で食事を済ませた。

 

 その日レオが帰ってきたのは大分遅く、夕食は城で済ませてきたようだったが、自分の分が残されているのを知ると遅い晩食をとる。ショーンは(二人に気を遣ってか)二階に籠っていて、玲菜は疲れたレオのために晩酌を用意してあげた。

 酒を注ぎながら、彼がすでに眠そうにしていたので玲菜は心配して声をかけた。

「レオ、眠いの? お酒飲まないで眠れば? 私片づけておくから」

「あー、いや」

 レオは首を振って目蓋を落としかけていた目を開く。

「飲む。俺の一日で一番の幸せな時間なんだから」

「どんだけお酒好きなの」

 呆れた玲菜の言葉に、物申すとばかりにコップを置いて彼女の肩を抱いた。

「酒じゃねーよ。酒だったら城でも飲める。俺がわざわざ帰ってくる理由を考えろ」

「えっ……」

 何も返せなくなった。

 意味が分かったから。

 しばらく沈黙が流れた後、レオは肩を抱いたまま酒を飲み始めた。玲菜が顔を赤くして黙っていると、彼は愚痴を言うように語り始める。

「フレデリックが……。あ、フレデリックって、長男のことな?」

 どうやら兄上の話らしい。

「あの嫌味野郎が……」

 嫌味野郎に下がった。

「自分が先陣を切るとかほざいてて。めんどくせぇ」

 あざ笑いながら言う。

「アイツ、俺が皇帝になりそうだから焦ってやがるんだ」

 長男からすれば、自分が第一帝位継承権者だったが為に焦るのは当然で。しかし、レオが兄妹や戦の話を自分にすることは滅多に無いので黙って聴く玲菜。

 彼は深刻な話をサラッと口に出した。

「陛下も先が短いから。余計にいい所見せようとしてる」

「え?」

 以前祝賀パーティーで見た時、確かに具合が悪そうな感じがあったが。まさか……

「皇帝陛下ってご病気?」

 玲菜が訊くとレオは平然と答えた。

「あー。国民はよく知らないか。陛下はもう危ない。民衆を動揺させないように隠してるけど、病気が相当進行している。また隣国が攻めてきそうなのだって、多分それがナトラ・テミスの間者《かんじゃ》にバレたからだろうし」

「ええ!?

 彼にとって皇帝は父親のはずだが。ずいぶんと言い方が冷めている。

「まぁとにかく、陛下に今死なれると困るな。明らかに帝位継承で揉めるし、それで国内が混乱したらナトラ・テミスはもちろんのこと、他の国にも攻められるかもしれんし」

「レオ……」

 玲菜は、自分の父親の死に対して軽く言うレオに何か言おうとしたが言葉が見つからずに口をつぐんだ。

きっと、自分とは違う。

 本当の父親であったとしてもまるで再婚相手……というか、他人なのだ。

 彼にとっての父親はやはりショーンだと、彼が以前言っていた言葉の意味が解る。

 証拠に、彼は一切自分の父親の事を“父”とは呼ばない。ただ“陛下”と。他人が呼ぶのと同じように呼んでいる。

 

 レオはその後「酒がまずくなる」と、皇帝や兄上の話をするのをやめて、黙々と酒を飲む。玲菜も追及はしないで他愛のない会話に切り替えて酒を注ぐ。そうして眠くなると、ソファで眠りそうになっている彼を部屋まで連れていき、自分は片づけてから風呂に入る。ボーッとレオと皇帝のことを考えながらその日は眠った。

 

 

 

 翌日、レオは風呂だけ入ってまた朝からすぐに城に出向いた。それを見送ってから、玲菜は昨日の続きの掃除を行おうと思っていたが、思わぬ誘いをショーンから受けた。

「レイナ。今日はおじさんとデートするか?」

「え?」

 デート、と彼は言ったのか。

 玲菜が耳を疑って何も返せずにいると、意味ありげに言う。

「いい所に連れてってやるから」

「え? え? え?」

 戸惑う玲菜に対して「ニッ」と笑うショーン。

「愛しい皇子様の仕事場だよ」

「えぇ?」

 玲菜は一旦止まって、自分が勘違いしそうだったことに気付いて俯いた。恥ずかしくて顔が赤くなる。

 それをショーンは「恋人に会いに行けるので嬉しい」と解釈して口元を緩ませる。

「実はレオは知らないだろうけど、俺は今日『賢者』として城に呼ばれているから。レイナも連れてってやるよ。アイツをびっくりさせよう」

 なんと! 彼に会いに行けるのか。しかもサプライズ的なこともできるとは……。

(え? いいのかなぁ? 迷惑じゃないかな? っていうか私入れるの?)

 玲菜は少し不安になったが、ショーンならきっとなんとかしてくれるとワクワク感が高まる。

「じゃあ、家出るのは昼過ぎだから。それまでに用意しといてくれ」

 そう言うショーンに、訊ねる玲菜。

「用意? 用意って? ドレスとか着なくちゃいけない?」

 これは城に対しての偏見だが。ショーンは笑いながら答えた。

「ドレスはいいよ。まぁできればしっかりした格好で。後は、泊まるための用意!」

「泊まる!?

「せっかくだから」

 ショーンは自分も用意をする、と自分の部屋に行き、玲菜はその場で止まってドキドキした。

(泊まる? お城に?)

 以前、レオに連れられて行った時に泊まった……ような、そうでもないような。厳密には皇子の部屋に泊まったのだが、自分は酔っぱらって眠ってしまったので記憶が無い。

 だからもしかすると初めてお城に泊まることになりそうで。

(私たちが行ったらレオもお城に泊まるよね? そしたらわざわざ帰ってくるよりちょっとは楽だろうし、向こうで一緒にご飯食べたりできるかな?)

 想像するだけで楽しみになる。

 玲菜は本日の掃除を中止してすぐさま城への用意をし始めた。

 

 

 そして昼食後。

 ショーンに連れられて、やたらでかい荷物を持った玲菜は家の近くで馬車に乗る。ショーンはその荷物をまじまじと見て目を丸くした。

「泊まるとしても、一泊だぞ? なんでそんな大荷物」

「だって、どの服着ていいか分かんないから。念の為色々と持ってきたの」

 そう言う玲菜の今の服装は新しい白いブラウスに紺色のブレザーと長いスカート。彼女なりにキチッとした服装のつもりらしくかしこまっている。

「うん。今着ている服で十分だよ。大丈夫大丈夫」

 ショーンはそう軽く言うと、自分は鞄から新聞を出して読み始めた。時折「はぁ」と溜め息をつく。

「どうしたの?」

 玲菜が訊くと苦笑いしながら答えた。

「ああ、いや。新聞は嗅ぎ付けるのが早ぇーな〜と思ってさ」

「嗅ぎ付ける?」

「そう。次の戦のこととか」

 次の戦の話は、一昨日レオから聞いたばかりだ。

「もう新聞に載ってるの?」

「あー。詳しくは書いてないけどな」

 ショーンは困ったように記事を見つめた。

「こういう新聞の力で、戦を起こすことも出来るからな。あまり民衆を焚き付けるような事は書いてほしくないな」

 確かにそうだ。

 玲菜は頷き、ショーンは新聞の続きを読む。そうして馬車は内壁を越えて昼間は一般人にも一部開放されている城の庭園まで入って停まった。そこで降りて歩いて宮廷に入る事になる。

 

 冬なのに色取り取りの花壇と、芸術的な彫刻の施されたアーチと噴水。女神や戦士の石像と形の整った木々に綺麗な水路。

 何度見ても美しくて歓声をあげてしまう庭園を通り、二人は宮廷の大きな門と扉の前に差し掛かる。

 そこでは門番が立っていて、その先は、一般人は通れない。ショーンは証明書等を見せて通ろうとしたが、一緒に居る玲菜は引き留められる。慌ててショーンは「助手」だと説明して、納得した門番によって宮廷の中へ通された。

 

 玲菜にとって三回目の宮廷は相も変わらず豪華絢爛で。横を見れば立派な装飾と壁燭台と高価な置物が並べられ、上を見れば美麗な天井画とシャンデリア。天井画はよく見ると、女神や銀髪の美少女、黒髪の英雄が描かれているのでもしかすると『伝説の剣と聖戦』を表した絵なのかもしれない。もちろん、玲菜が自分自身で妄想していた漫画風の絵ではなく、宗教絵画のような雰囲気なので自分の小説が神話だと知っていなければ全く気付かないが。

 上を見ながら歩いていた玲菜はショーンに、端に連れていかれた。

「気持ちは分かる。ただ、上を見て歩くと危ないし、真ん中は歩かん方がいい」

 前にレオと一緒に来た時は真ん中を堂々と歩いていたけれど。なんとなく、身分が高い者以外は真ん中を歩かない方が良いのかと悟った。

 

 そしてショーンに連れられて歩いた玲菜は、レオがどこかにいないかドキドキしながら周りを見回す。青っぽい服の人間や騎士っぽい男性を見かけると一瞬ドキッとするし、彼が自分を見つけた時のことも想像してウキウキする。

 やがて並んだ二つの部屋の前に着き、ショーンは片方を指した。

「そっち、俺の助手の部屋だって聞いたから、レイナ使っていいぞ。俺は隣の部屋だから」

「あ、う、うん」

 玲菜は自分の大きな荷物をショーンから引き取って、部屋に入る前に彼に訊く。

「あ、荷物置いたらどうするの? ショーンは呼ばれたんでしょ? 私も一緒に行く?」

「あーそうだったな」

 ショーンは少し考えてから言った。

「別に一緒に来なくてもいいよ。俺は正直何時になるか分からんから。たとえば城探検しててもいいし。その場合、あんまりキョロキョロしてると怪しまれるから気を付けて。もし引き留められたら俺の名前を出せばいい。どうする?」

「え? 探検?」

「それともアイツ捜すか?」

 アイツとはレオのことで。むしろ玲菜はそれが目当てだったような気もする。ショーンは玲菜が照れているとニッと笑って促した。

「っていうか、捜しといてくれ。レオに俺らが城に居ることを気付かせないと、アイツ家に帰って怒るから」

 そうだ。玲菜たちが城に居ることを知らなかったらきっとレオは家に帰ってしまう。そして誰も居なかったら怒るに決まっている。

「うん。分かった。レオってどこに居るのかなぁ?」

「えーと、アイツの部屋か……」

 言いながら注意するショーン。

「あ、皇子の部屋の近くはあまりウロウロするなよ? ノックだけして居なかったらすぐに去るように」

「は、はい」

「後は……軍事会議中だったらまず会えないから。諦めて終わるのを待って。剣の訓練中も同じく。終わるのを待って」

 基本的には終わるのを待つか部屋に行くかだということが分かった。

 

 その後ショーンは、レオが居そうな場所を大まかな地図で記した紙を渡してくれて去り、玲菜は自分に与えられた部屋に荷物を置いて一休みしてからその地図を片手に部屋を出る。

 緊張と期待を胸にまずはアルバート皇子の部屋へと向かった。

 しかし、皇子の部屋周辺は静まり返っており、ノックしても返事も何も無い。玲菜は居ないことを悟って今度は兵士の訓練場が上から見える回廊を通る。

 通りながら訓練場を見たが、やはりレオが居る様子は無い。となると、軍事会議かもしれないので地図に記してある会議室の近くまで行き、しばらく待ってみる。

 しかし誰かが出てくる様子も無く、あまり待っていると不審に思われそうなので玲菜は一旦移動した。

(レオ、どこに居るんだろう?)

 歩きながら、もしかしたら会えないのではないかと不安になる玲菜。宮廷は入り組んでいるし広い。ショーンの地図を頼りに進んでいるが、それでも迷ってしまう。

 たとえばレオでなくても、彼の護衛の朱音など、知っている人物に会えればいいのだが。

 そう思っていると、廊下のど真ん中を歩く集団が居て、玲菜はアルバート皇子かもしれないと止まって壁際からその集団を見つめた。

 だが、集団の先頭を堂々と歩くのは黒髪で赤いマントの皇子……玲菜の記憶が正しければ、恐らく長男のフレデリック皇子だった。

 彼は気難しい顔をして何やら御立腹の様子。

「くっそ! アルバートの奴め。少しばかり戦に慣れているからといって、調子に乗りおって」

 しかも彼がレオの名前を出したので玲菜は聞き耳を立てた。

(え? 今、アルバートって言ったよね?)

 話が気になる。

 玲菜がコソコソとフレデリックと同じ方へ歩くと、ちょうど前から別の集団がやってきて立ち止まった。

 それは……

 四十代後半に見える黒髪の女性で。煌びやかなドレスを着た、綺麗だが少し高飛車そうな人。フレデリックはその女性に頭を下げて呼びかける。

「母上」

 聴こえていた玲菜はつい二人を交互に見てしまった。

(母上……? ってことは長男のお母さん?)

 もしかして皇帝の正室かと思ったのだが……

(あれ? この前見た皇后様と違う人?)

 先日の祝賀パーティーの時に、皇帝の隣に座っていた女性も黒髪だったが、なんとなく、その人とは雰囲気が違うような。ショーンは皇帝の隣に座る女性を『皇后』と呼んでいた。つまり正室だと解釈できるわけであり。

 その『皇后様』と目の前の女性が違う人物だとすると、長男の母親も側室という事になる。

(え? ってことは、正室に息子は居ないってこと?)

 恐らく。

 皇帝は正室との間に男子はいなく、側室との間に男子を(レオも含めて)三人もうけたのだと……玲菜が頭の中で整理している間に長男とその母親の会話は終わり、二集団は去っていった。

(っていうか、皇帝の奥さん多すぎ!)

 今、把握しているだけで正室一人に側室三人……いや、レオの妹にあたるクリスティナの母親もいるはずだから側室は四人か。

(最低でも五人?)

 まさかとは思うが、他にも妾がいるかもしれないし。

(やだ。大奥みたい)

 玲菜は江戸時代の将軍を思い浮かべて嫌な気分になった。

(レオがもし、皇帝になったら……)

 いや、考えたくない。

 彼ならそんなことはしないと思うのだが、自分は彼と結婚できない。

(私、レオと結婚したい?)

 不可能なのは分かっているが、自分の気持ちとしてはどうだろうか。もしも、この世界に留まれるとして……。

 玲菜は目をつむって自分の気持ちに問う。

 

 もしも……

 彼とこのままずっと一緒に居られたら……

 多分、喧嘩はある。

 でも、楽しく過ごせるかもしれない。

 

「ああ……」

 虚しくなって溜め息をつく玲菜。

 そもそも、彼はどう思っているのか。

 ふと、婚約者のレナのことを思い浮かべる。

 玲菜は壁に寄り掛かって首を振り、気持ちを切り替えた。

(何考えてんの、私。それよりもレオを捜そう)

 先ほど長男がレオの文句を言っていた。

(なんだろう? 会議でなんかあったとか?)

 玲菜はまた軍事会議室の方へ足を運ぶ。長男がもし会議室から出てきたのならば、もしかしたらレオも……。

 そう思って会議室の前に行くと、部屋の扉は開いていて、中には誰も居なかった。

(レオ、どこ?)

 やはりもう少し待っていれば良かったか。そうすれば出てきた時に会えたのに。

 段々焦りを感じ始めて、玲菜は少し小走りになりながらレオを捜す。

 

 そうして、もう一度訓練場を覗ける回廊まで来た時にやっと見覚えのある青マントを発見した。

 (あ、あれ?)

 玲菜は上から身を乗り出して見て、青マントがレオであるのか確認しようとした。

 青マントの人物は黒髪で、銀色の鎧を着けている。剣の訓練場にはたくさんの兵士が集まり、どうやらその人物が一人の武骨な剣士と手合わせを行うのを見ている様子。

 上からなのではっきり確認できず、玲菜が困っていると、青マントの人物はマントを脱いで武骨な剣士との手合わせが始まった。

 武骨な剣士は大剣、黒髪の人物は短刀と刀の二刀だ。

 二人は互角に戦い、攻防戦が続く。周りの兵士たちが歓声を上げる中、黒髪の人物が力で圧された時につい玲菜は叫んでしまった。

「レオ!!

 次の瞬間、黒髪の人物は隙を見せて、なんと武骨な剣士の大剣が黒髪の人物の刀を弾き飛ばす。兵士たちの「おおおお」というどよめきで手合わせは終わり、頭を下げる武骨な剣士に黒髪の人物が何か褒めている様子が窺えた。

 彼が弾き飛ばされた刀を拾いながらさりげなくこちらを見たのはその後で。

 玲菜は目があって、ようやくそれがレオだと確認できた。

(や、やっぱりレオだったんだ!)

 直後、皇子が訓練場から姿を消して。どこに行ったのかと玲菜が捜していると凄い剣幕で走ってきた黒髪の人物に手を引っ張られる。

 そのまま大きな柱の陰に連れていかれて壁を背に顔を近づけられた。

「なっなっなっ……!!

 彼はうまく言葉が出ない様子で手を壁に突く。

「な、なんで!! お前が!! ここに!!

 サプライズ成功らしく、あり得ないほど動揺している。

「お前の声が聞こえたおかげで、バシルに負けたじゃないかっ!」

 手合わせした武骨な剣士はレオの部下のバシル将軍だったらしい。

 自分の呼び声で彼が隙を見せたのだと知った玲菜は謝った。

「ご、ごめん」

 謝りながら玲菜は思う。

(あれ? これってひょっとして壁ドン?)

「謝るよりも説明しろ!」

 声量を下げてレオは訊く。なので、玲菜も小声にして答えた。

「ショーンが、賢者としてお城に呼ばれたんだって。それで私もついてきて」

「え? オヤジが?」

「うん」

「そ……う……か」

 レオは理解する為に頭の回転を上げた。

「それでお前もついてきたって?」

「うん」

「そうか」

 納得してレオは口を押える。

「なるほど。……分かった」

 この反応が見たかった。玲菜は嬉しくなって笑いがこみあげた。対して怒り出すレオ。

「何笑ってんだよ。お前なぁ、びっくりしたじゃねーか」

「なら良かった! レオを驚かせたかったから」

「ああ、もう」

 下を向くレオを覗きこむ玲菜。

「怒ってる?」

「あー」

 レオは一度目をつむってから恥ずかしそうに言った。

「驚いたけど、怒ってはいない。……それより嬉しい」

 嬉しいと言われたら照れる。

「ほ、ほんとに?」

 

 答えずに、レオはキスをしてきた。

 その優しくて甘いキスにうっとりする玲菜。

 

 レオは数回口づけを交わすと、小さな声で訊く。

「お前、何時まで城に居る? 俺の訓練が終わるまで待っててくれるか?」

 待っているも何も。

「ショーンは遅くなるから今日はお城に泊まるって、私の分の部屋も取ってくれたよ」

「え?」

 レオは一旦柱の陰から近くに人が居ないか確認して訊いた。

「お前の部屋ってどこの客間だ? 待ってろよ。訓練終わったらすぐ行くから」

「ええっとねぇ……場所はねぇ……」

 玲菜はショーンに書いてもらった地図を出す。

「ここ。こっちがショーンで、こっちが私」

 地図をよく見てレオはどこの客間なのか把握した。

「ああ、わかった。あそこか」

 彼は柱の陰から出て玲菜に言う。

「じゃあ、部屋で待ってろ。訓練もすぐに終わらせる。一緒にメシ食おう。今日は俺も城に泊まるから」

「う、うん!」

 玲菜が返事をした時にはもう訓練場へ向かって歩き出していて、こちらを向かずに軽く手を振る。彼が訓練場に戻るのを見届けてから玲菜は自分が借りている客間に急いで戻った。急ぐ必要は無いのだがとにかくウキウキして。

 そして、部屋で彼が来るのをドキドキして待った。

 ――だが、待てど暮らせど彼は中々来ず。

 

 

 ―――――

 

 すっかり外は暗くなり、夕食に適した時間も過ぎて大分お腹も空いて。

 それでも部屋に来ないレオに、玲菜は痺れを切らした。

 ちなみに、隣の部屋のショーンもまだ戻ってきてはいない。

 玲菜は何度も立ち上がっては座り、彼が来ないか廊下を見てはドアを閉める。

(レオ、すぐ訓練終わらせるって言ったのに!)

 そう言ってから何時間が経ったか。

 遅い事に腹が立つだけでなく、なんとなく胸騒ぎ。

(レオ、本当にどうしたんだろう? 何か問題が起きたわけじゃないよね?)

 不安が募る。

 

 一方そのレオは、思ったよりも訓練が長引いてしまい、とにかく急いで自分の部屋に戻る。鎧を外したらすぐに玲菜の部屋に行こうと心を躍らせて自分の部屋のドアを開けた途端――

 薄暗い中に気配がして、まさか暗殺かと刀に手を添えた。

(ん? 暗殺ではない……か?)

 気配的には殺気などは感じない。

 よく見るとベッドの傍で小さな明かりが灯っている。

(まさか、女の刺客で色仕掛けの罠か?)

 以前そういう事があった。もちろん罠には引っかからなかったが。ある意味恐ろしい罠だ。

 しかし、刺客にしてはやけに気配が素人というかなんというか……

 レオは思い当たって彼女の名を呼んだ。

「え? レイナか?」

「は、はい」

 緊張して裏返ったような声の返事が聞こえた。

 もしかして、あまりに遅かったがために彼女が自分の部屋に来て待っていたのか。

 わざわざベッドで。

(ちょっ……待て。大胆だな)

 しかし彼女は急に大胆な行動を取る時がある。

 レオがベッドにゆっくり近付くと、確かにそこには女性が居て。

「え?」

 かしこまって座り、震える声で言う。

「シリウス様。どうぞよろしくお願いいたします」

 目の前の、長い銀髪の若く美しい娘に、レオはびっくりしてしばらく止まった。

 緊張した玲菜の声かと思ったが、別人だった。

「レイナ」と呼んだのに返事をしたのは彼女が聞き間違えたか。

 無理もない。名前はよく似ている。その名をレオは呼んだ。

「レナ?」

「はい」

 小さな明かりに照らされて見えた青い瞳は覚悟を決めた眼だった。

 十六歳の少女が、まさか誘惑に来るとは。……いや、違うか。

 誘惑に来させられたのだ。婚約を断られたから。既成事実を作らせるために。

「シリウス様。わたくしは、貴方様に身を捧げます」

 そう言って、彼女は服を脱ぎ始める。

 一瞬ボーッと見てしまったが、我に返ってレオは止めに入った。

「待て! 何をやってる! 俺はそんな気……」

 美しい体に思わず見惚れてしまい、焦って横を見る。

「いや、だから! そんな気無いからな。色仕掛けには乗らないんだよ俺は」

 言っても脱ぐのをやめない彼女に、レオはもう一度言った。

「頼むからやめろ。俺には恋人が居るんだ。申し訳ないが、婚約の件も受け入れられないし……」

「分かっています、シリウス様。しかし、わたくしたちは皇帝陛下の決めた婚約であり、解消はできないと聞いております。どうかわたくしを貴方の恋人と思って抱いてください」

 レナは固い決心をしていて、清らかな体をシリウスに捧げようと、布団を被って横になる。

 もしも玲菜に出会う前だったら受け入れていただろうが……レオは頭を押さえた。

「あのな。それって、俺の恋人の代わりに抱かれるってことか? そんなんで……」

 

「わたくしはそれでも構わないのです。わたくしはずっとシリウス様を想っていたのですから」

 

「駄目だ!! とにかく服を着ろ!! でないとその格好で廊下に出すぞ」

 レオは無理やりにでも彼女に服を着させようと脅す。

「俺は絶対にアイツを裏切らない。それに陛下の命令は聞かない。俺はアイツのことを……」

 

 その時、部屋のドアをノックする音が聞こえてレオは言葉を止めた。

「誰だ?」

「あ、部屋に居たの? 私、遅いから心配になって来ちゃったんだけど……」

 それは玲菜で、部屋にレオが居ることを知ってドアを開ける。

 

 そこで見たのはまさに悪夢。玲菜が勘違いをするには十分な光景だった。


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