創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第四十七話:皇子の過去]
レナとばったり会ってしまい、凄く気まずくなっていた玲菜は、忘れ物を取りに行っていたショーンが戻ったことで解放された。
ショーンが玲菜に駆け寄ると、レナは会釈をして付き人たちと一緒にその場を去る。
その聖女の姿を見ておじさんは首を傾げた。
「え……? 婚約者?」
複雑な表情の玲菜に訊く。
「レイナ、なんで婚約者と喋ってた? なんか言われたのか? レオの恋人だってバレた?」
ショーンは昨日のややこしい出来事を知らない。ただ、昨夜の食事の時にレオと玲菜の様子が少しおかしかったので、何かあったのではないかと勘付いていた。
「え、えっと……」
ためらいながら話す玲菜。
「ちょっと、色々あって……。恋人だってことはバレたんだけど。別に何か嫌な事を言われたとかではないよ」
つい、庇ってしまうのは彼女が切なそうだったからか。
「レナさんは、レオのこと一途に想ってて。私のことが羨ましいって言われただけ」
「あー」
ショーンは頭を押さえて、玲菜に釘をさす。
「キミだって、アイツに一途だろ? なんか、自分はどうせ居なくなるから彼女に譲ろうとか、変なこと考えるなよ?」
「かっ……」
一瞬、頭を過《よぎ》った考えだった。けれど玲菜は誤魔化す。
「考えてないよ。っていうか、そんな辛いこと実行できないもん。私、そこまでいい子じゃないし」
「レイナ」
ショーンは一瞬ためらってから歩き出し、玲菜が後ろをついていくと、振り向かずに言った。
「……悪いけど、おじさんはキミの『いい子』の定義に共感できない」
「え?」
「なんとなく、『いい子風』ではあるけどな」
何かを思い出すのか、ショーンは天井を仰ぎ、少し笑った。
「だってそれは、レナのことを想って身を引くけど、レオのことは考えてないだろ?」
「か、考えているよ!」
彼にとってもその方がいいのではないか、なんて……
「考えていないよ。どんなにレオがキミのこと好きかってことを」
それは、彼の為を思ってと理由をつけた自己防衛だ。
「自己犠牲じゃないよ、それは。自分の好きな人の気持ちも犠牲にしてる。そして、他人であるレナの気持ちを一番優先してる」
ショーンの言葉が心に響く。
「それが、キミの言う『いい子』だとしたら、キミは『いい子』になるなよ」
あまりにも的を射ていて、玲菜は足が動かなくなった。
返す言葉も無い。
立ち止まって俯く玲菜に、初めて振り向いて話しかけるショーン。
「『いい子』じゃなくていいんだよ、レイナ」
「わ、私は……レオの恋人でいてもいいの?」
レオには訊けない。「いい」と言うのに決まっているから。
でもそうではない。
こんな想い、ショーンにしかぶつけられない。
玲菜はもう一度訪ねた。
「私はレオの恋人でいてもいいの? いつまで?」
何を訊いているんだと、心の中で自問もする。
ショーンを困らせるだけなのは分かっている。
「レイナ」
優しいおじさんが、玲菜の頭に手を載せた。
「俺はさ、レオのことも本当の息子のように思っているから。だからさ、キミたちが幸せになってくれればいいと思っているよ」
軽く撫でながら言う。
「無理に諦めようとか別れようとしなくていいから」
その言葉で、玲菜は一瞬救われた気がした。
ショーンは気を遣っているだけなのかもしれない。けれど、彼だけは解ってくれる。
無言で頷く玲菜の肩を、軽く叩いたショーンはまた歩き始めた。何も言わずに、ついてくる玲菜のペースに合わせて。
その日、ショーンの家にレオが帰ってきたのは夜遅くで。やはり疲れている様子。玲菜は短い晩酌の時間だけ彼と過ごして眠りに就く。
無理して帰ってこなくてもいい、とも思うのだが。彼曰く、自分が帰りたいから帰るのだと。少しの時間でも玲菜に会いたいから帰ってくるのだと、理由があるらしいので素直に嬉しいと感じる。
そして次の日。また朝からレオは城に行き、玲菜は初めてショーンと一緒に図書館に行くことにした。
図書館には神話の本がある。つまり、自分の小説が本になった物があるはず。
本当に神話として本になっているなら凄く興味があるし、読んでみたい。
特に、自分は小説を最後まで書いていなかったので、一体最後はどうなっているのか気になる。
昼下がりの午後。玲菜とショーンは広場の近くにある、都で一番大きな図書館に向かった。
そこはショーンがいつも通っていて、帝国中の本が集まっているといっても過言ではない場所。
神殿のような立派な建物で、中は凄く広い空間になっている。その、広い館内では天井程ありそうな高い本棚が所狭しと並べられて、手が届かない棚の本はハシゴで取らなくてはならない様子。
図書館に入った玲菜は、広さと本棚の多さに圧倒されて声を上げそうになったが、人が多くても静まり返っていたので慌てて口をつぐむ。
ここでは貸し出しは行っていないらしく、本はすべて館内で読まなくてはならない。
ショーンは読書するためのテーブルにたくさんの本を持ってきて早速調べ始めて、玲菜はショーンが見つけてくれた神話の本『伝説の剣と聖戦』を手に取り、隣の席に座って緊張しながら本を開いた。
(これが……)
自分の小説が本になっているなんて、夢であったわけだし、ドキドキする。
妙な気分で読んでみると――
(なんか違う?)
内容やセリフ、描写などは一緒なのに、文体がどうも違うことに気付く。
(え? これって私の小説?)
確かに、伝説の剣と聖戦であるのに間違いはないが。なんというか……まるで校正されたかのような雰囲気。
玲菜は、自分の小説でありながら他人の小説のような感覚で本をざっと読んだ。
懐かしい気分や、書いていた頃のことを思い出す。
――そしていよいよ問題の終盤に差し掛かり、シリウスとレナが一度別れた部分まで来ると……
(続きがある!)
自分が書いていない続編が存在していた。
別れたままの悲恋版にするか、戻ってきて再会するハッピーエンド版にするか迷っていた続き。
―――――
最後まで読んで、玲菜はしばらく物思いに耽っていた。
(ハッピーエンドなんだ。この世界の神話では)
そう、この世界の神話としての『伝説の剣と聖戦』は、誰が書き足したのか分からないが、レナが神の世界から戻ってきてシリウスと結婚して、二人が幸せになるという流れで終わった。
(いいエンディングだったな)
しかも、書き足された最後の部分は特に文章が巧みだった。
(私より文章力ある人が校正したんだ)
少しだけ残念な気分。
それでも、自分の小説がこの世界で神話になっているのを目で見て確認した。
なんだか感慨深い。
読み終わった神話の本を見つめて色々なことを考えていると、隣で調べ物をしていたショーンが玲菜の心を察して説明をしてくる。
「この国ではさ、特にシリウスの信仰が篤くて。シリウスを軍神として祀《まつ》っているだけでなく、称号みたいに扱われたりもするんだ。そもそも初代皇帝がシリウスだと信じられているし」
そう、皇帝の持っていた剣は現に『シリウスの剣』と呼ばれていた。そしてその剣は皇帝から皇帝へ受け継がれている、と。
「レオは、黒髪の青眼の皇子だから、シリウスの洗礼名を貰って。人々の信仰心を仰いで戦場に駆り出すにはうってつけの役割だったんだ。もちろん自らも戦場に赴《おもむ》かないといけないけれど」
ショーンは哀しそうな表情で言う。
「アイツはそれを分かってて、陛下に『シリウスの名』を貰った。そんで戦場に出て活躍して。名実ともに英雄になったんだ」
シリウスは守り神だとも言われていた。
「今では民衆からは“勝利の皇子”と呼ばれている。シリウス軍は常勝無敗だからな」
「そうなんだ」
玲菜は頷いてレオのことを考えた。シリウスの名が重くてずっと嫌なのかと思っていた。確かに、重くて嫌という気持ちはあるのだろう。戦争に赴かなければならない重圧も。
けれど、同時に彼は神話の英雄に憧れてもいたのだ。
もちろん彼が見た目で仕立て上げられた感じはある。だが、それならばと、彼も自ら英雄になる事を受け入れた。
シリウスになって戦うことを選んだのだ。
「アイツが初めて戦場に出たのは十五でさ」
それはレオ本人からも聞いたことがある。
「その時、俺は止めたんだ。皇子が、そんな早く戦場に出ることないってさ」
ショーンは思い出すように話す。
「でもアイツはもう決めていた。戦場に出ることを。陛下からシリウスの名を貰うことを。どうせ押し付けられるなら自分から志願する、と」
たった十五歳の少年が、死と栄光の覚悟をしてしまった。
「俺は、アイツの母親が死んだから、てっきりヤケになっているのかと思ったんだ。でもそうではなくて、『生き抜いてやる』とレオは言っていたから」
だから自分は彼の助けになるように軍師になった――と、ショーンは言った。
ショーンから聞かされた彼の想いや言葉の意味を考えて玲菜は切なくなった。
(生き抜いてやる、だなんて……)
たった今、母親の死後に戦場へ出たのだと判明したから、より重く感じる。
いつだったか前に「ショーンの家に六年間居候している」と聞いたことがある。玲菜は静かに訊いてみた。
「レオのお母さんって、いつ亡くなったの? レオが何歳の時?」
「六年前かな。レオが十四歳の頃だよ。確か誕生日がまだだったから正確には十三歳だったかな。でもまぁ、大体十四歳」
その答えですべてが解った。
母親が死んで、彼は城を出た。そしてショーンの家に住むようになった。それが十四歳(厳密にいうと、ちょっと手前の十三歳)の頃。彼がシリウスとなり、戦場に出たのは一年後の十五歳の頃。
そもそも彼は、牢獄にたとえていた城に居たかったのか?
(違う! レオは城を逃げ出したって言ってた)
嫌で嫌で仕方なかった城に居たのはなぜだ? 母親が居たからに決まっている。
だから、母親が亡くなったら城から逃げてショーンの家に行ったのだ。
きっと、彼の中で何かが変わった。
(レオ……!)
玲菜は泣きそうになって顔を手で覆った。
つらかったに違いない。果てしなくつらかったに。
勝手に皇子にされて、ずっと我慢していたのは母親のためのはずで。その母が居なくなったら心の支えを失ってしまう。
でも――
玲菜は手を外して隣に座るおじさんの顔を見る。
(ショーンが、居たんだ)
彼にとっての父親であるショーンが、彼を支えた。戦場に行く時も、軍師となってついてきてくれた。
(私も、ショーンに支えられている)
この世界に来て、最初に助けてくれたのはショーンだった。いや、今も助けてくれている。
「ショーン、ありがとう」
玲菜は、何度言っても足りない礼をショーンに伝えた。
「私を助けてくれて……レオの傍に居てくれてありがとう」
「え?」
おじさんは少し照れたように返した。
「なんだ? 礼なんていいよ。おじさんはキミたちと居て楽しいんだからさ」
今なら訊けそうな気がする。
「ねぇ、ショーンは……」
自分を拉致したユナに言われて、ずっと引っかかっていたこと。
「レオのお母さんと……恋人同士だったの?」
「えぇ?」
一瞬気まずそうにしたショーンは、苦笑いしながら答えた。
「違うよ。昔馴染みだ」
答えには続きがある。
「ただまぁ、サーシャのことは昔、好きではあったよ」
「昔?」
サーシャとは、レオの母親のこと。
何か核心に触れた気がして玲菜はドキリとしたが、ショーンは「ふぅ」と息をついて遠くを眺めるように言った。
「昔な。若い頃だよ。でも恋人にはなっていない。……俺は、ちょっとこの国を離れていた時期があって、その時に妻と出会って一転したんだ」
もしかして、偽りではないかとも少し疑ったこともある奥さんの話。
「ちょうどその頃、俺は困っていて。彼女に助けてもらった、いわば恩人だ。肌が白くて、笑顔の素敵な綺麗な人」
ショーンの顔を見ると、妻を愛していると一目で分かる。玲菜は、ユナに言われた『レオの母親の浮気相手』という情報を少しでも信じそうになった自分を恥ずかしく思った。
彼がレオの実の父親だなんて……
(ありえない。ショーンは、そんなことしない!)
改めて感じる。
彼はレオの母親とは恋人にはなっていないと言った。つまり、そういう関係ではなかったはず。そして、別の女性と出会って結婚したのだから、疑惑は白だ。(と思う)
「私ね」
ショーンはきっとレオやレオの母のことをすべて知っている。そう思って玲菜は話す。
「レオから聞いたの。レオが昔、下町に住んでいて。その頃は本当の身分を知らなかったって。私は……」
「レイナ」
ショーンは頷いて、レイナに向かって小さく首を振った。
「その先は帰ってから聴く。これから帰ろう。今日の調べ物はもういいから」
そうだ。この話は国家機密レベル。周りには誰も居ないし、小さな声で話しているが。やはり外でする話ではない。
「うん」
察して本を片づけた玲菜は、ショーンの後を黙ってついていく。
二人は何も喋らずに図書館を出て、家に向かって歩く。そこへ、俯いている玲菜に声を掛けてくる一人の若い娘が居た。
「あれ? レイナ? ねぇ、レイナでしょ?」
ショーンも気付いて立ち止まる。
自分を呼ぶ可愛らしい声に顔を上げた玲菜は、自分に駆け寄ってくるツインテールの可愛らしい娘の姿を見てびっくりした。
黄緑に近い金髪。ぱっちりした緑色の瞳。少し幼く見えるが実は二歳年上のその娘は、砂上の砦で家政婦として仲良くなったミリアだ。
「あ、ミリア?」
ミリアは玲菜に駆け寄り、横に居るショーンの姿を見た途端、驚いて声を上げた。
「え!? ショッ、ショッ、ショッ……」
思わぬ再会に目を輝かすのは彼女がショーンに惚れているため。
「ショーンさん!! どうして!?」
ちなみに、玲菜がショーンと一緒に住んでいることは知らない。
「ああ、キミは、レイナの友達の……」
気付いたショーンよりも早く発言するミリア。
「ミリアです!! ショーンさん、お久しぶりです!! え? どうしてレイナと?」
玲菜はショーンと一緒に住んでいることがミリアにバレないように、先に口を出した。
「考古研究者として、調べ物があったの。私助手だから、一緒に調べるために図書館に行ってて」
「ふ〜ん、そうだったの」
ミリアはコソッと玲菜に耳打ちした。
「羨ましいわね、レイナ」
二人の様子を見て、ショーンは気遣ってくる。
「レイナ、久しぶりに友達に会ったんだろ? どうする? これから二人で一緒に夕食にでも行ってきたっていいぞ」
今はもう夕方で、陽は町を朱色に照らしながら暮れていく。
家に帰ってショーンと話をしたかった玲菜は戸惑ったが、ミリアの方が残念そうに断ってきた。
「ああ〜、そうしたいけど、ちょっと用事があって無理なんです」
嘆きながら提案を出してきた。
「ね、明日! 明日の昼間はレイナ暇? わたしね、明日休みで。ちょうどアヤメさんが都に来るっていうから約束しているのよ。レイナも一緒にどう?」
アヤメは同じく家政婦の時に同室の同じ係で仲良くなった姐御肌の女性だ。
「え? アヤメさんと?」
もちろん玲菜は明日の予定も無く。ならば一緒に、と約束をする。待ち合わせの時間と場所を聞いて、用事があるというミリアとはそこで別れた。
去っていくミリアを見送ってから、ショーンはまた歩き出し、やがて家に着く。
中に入ると、大事な話は夕食後ということにして、まずは二人で夕食を作り、食事をする。緑茶を淹れて二人で居間のソファに座り、落ち着いた所で図書館の続きの話をすることにした。
玲菜はショーンに、単刀直入に訊いてみた。
「レオはいつ“皇子”になったの? いつ、皇子としてお城につれていかれたの?」
レオは、ショーンと会ったのが十年前だと言っていた。そして、その頃はまだ“皇子”ではなかったと。
ショーンは茶を一口飲んでから話し始めた。
「そうだな。どこから話そうか。俺が、レオと初めて会った話は聞いたか?」
「ショーンは町で有名だったって、レオが言ってた。自分のお母さんと知り合いだったことも。それに、初めて会ったのは十年前で、皇子になる前だって」
「うん……」
最初に、「主観が入る」と断りを入れてから、ショーンは語り始めた。玲菜がレオから聞いた話も織り交ぜて話す。先ほど図書館で言っていたことも。
それは、十年前の話――
*
久しぶりに帝国の都に戻ってきたショーンは、外で得た知識で医学や技術の方面に助言をしていた。それは今まで無かった発想が多く、しかし確実に役に立つ情報ばかりで、たちまち都中に広がっていき、彼はいつの間にか有名人になっていた。
そんな彼は人々の尊敬を集めて、噂が広がり、いつしか皇帝の耳にも話が届くようになる。
だが、ショーン自身は自分の名声を得るために都に来たわけでなく、懐かしい友人に会うために帰ってきたのだった。
その一人が昔馴染みのサーシャ。帝国を離れる前の最後に姿を見た十一年前と変わらず、金色の長い髪と青い瞳の美しい姿だったが、一つ変わったのは十歳の息子が居たこと。
黒い髪で青い瞳の少年は、美人のサーシャによく似たいわゆる美少年で。しかし、綺麗な顔立ちとは裏腹に、いつも服や顔が土で汚れているほど外遊びやいたずらを全力でする元気で無邪気な子供だった。もちろん、遊びだけでなく家の手伝いもする母親想いのいい子であり。名を、誕生した時期の夜空に輝く星……旧世界の星座名から取った『レオ』といった。
彼は自分(ショーン)に興味を持ったらしく、懐いてきていて。同時に、生まれる前に戦場で亡くなったとされる父親への想いを向けているフシも少し感じられた。
レオは、いつか騎士になってシリウスのように活躍して母親を助けるのが夢だと自分に語ってくれて、剣を教えてくれと懇願してきた。
だから、傭兵だった時の経験を生かして少し剣を教えたりもしたが……
その必要は無い、ましてや父親は死んでいなかったと知るのはすぐのことだった。
なぜなら、ショーンの噂を聞きつけた皇帝が下町にやってきた時に、サーシャを見つけてしまったからだ。
サーシャは初めて、ショーンに真実を教えた。
約十一年前、恋に落ちた男性との間にレオを身籠ったけれど、その人が皇帝だったと知って自分は姿を消した、と。
皇帝はその時すでに結婚していたし、側室もたくさん居て、帝位継承争いがあるのも知っていた。生まれてくる子供をそういうものに巻き込ませたくはなかった。
だから、一人で生んで一人で育てる覚悟をした。レオには父親のことで嘘をついていた、と。
皇帝がずっと、彼女のことを捜していたと知ったのは、偶然に再会してからだ。
皇帝・アルバートは昔、“皇帝”という身分を隠して町へ繰り出していた頃に出会った町娘に本気で恋をした。すでに結婚もしていたが、二人で会っていた時はそのことを忘れていた。
彼は、愛し合ったはずだったのに身分が判明すると同時に姿を決してしまった娘・サーシャを十一年経っても捜していて。
やっと見つけたその日から、生まれていた息子共々宮廷に来てほしいと、熱心に頼んだ。
サーシャ自身も実はまだアルバートを愛していたのだが。皇帝の頼みを呑んだ理由は、彼にバレた時点で今後自分らの存在が他の者にもバレていき、レオの命が狙われるかもしれないという恐ろしさにもあった。そうなってしまったら、町で怯えて暮らすよりも宮廷で護衛と共に過ごした方が幾分かましかもしれない、と。
しかし、一般人と御落胤がノコノコと後から宮廷に入るなんて前代未聞。皇帝は当人らと極一部の人間以外には秘密でサーシャの身分を偽造して、身を隠していた側室と皇子ということにして二人を城に通す。
*
「――つまり、レオが皇子だと知って城に入ったのは俺と出会った直後だから同じく十年前だよ」
ショーンは自分を責めるように告げた。
「俺は……一度城に呼ばれていたのに無視して下町に居たんだ。だから皇帝が下町に来て、一緒に居たサーシャがバレた。もしかしたら俺は都に帰るべきではなかったのかもしれん。……というか、いつも俺は……」
「ショーン」
心配して玲菜が声を掛けると、「はっ」と我に返ったようにする。
「……うん、まぁ。そういうわけだ」
「話してくれてありがとう」
玲菜は礼を言って、冷めた茶を飲みながら頭の中で整理した。
そもそもの発端は、二十一年前、皇帝が町娘に恋をしたことから始まる。
そして二人が愛し合って町娘・サーシャが子供を身籠って。(もしかすると皇帝はそのことを知らずにいたのかもしれない)
相手が皇帝だと正体を知ったサーシャは一度都を離れて息子・レオを産む。
しばらくするとサーシャは都の下町に戻ってひっそりと暮らしていた。レオが幼馴染のイヴァンたちと遊んでいたのはこの頃で。やがて十歳になった頃に転機が訪れる。
当時、都に現れたショーンという人物は、その豊かな知識でたちまち有名人になり。母親の知り合いだったがために出会ったレオは彼に憧れを抱いて懐く。
だがおかげで、噂を聞きつけてやってきた皇帝とサーシャは再会して。やむなく息子共々宮廷に入ることになる。
レオは三番目の皇子、サーシャは側室として城で暮らしたが、彼が十三歳(もうすぐ十四歳)の時に母が他界。
その事がきっかけで城を逃げ出したレオはショーンの家に居候し始めて、十五になるとシリウスの名を貰って戦場に出る。
――そして今、その彼は神話の英雄の如く戦に勝ち進み、第三帝位継承権者でありながら皇帝から次期皇帝の証である剣を貰った。
父親である皇帝は病気で、もう長くはないのだという。
やはり改めて整理しても未だ理解力が追いつかず、玲菜は頭を押さえた。
話だけ聴くと、皇帝はレオの母を相当愛していたのだと想像できる。妻はたくさん居るが、きっと全員政略結婚だ。
しかも、恐らくサーシャの息子であるレオのことはかなりヒイキしていると思える。
(だって、アルバートって自分の名前付けてるし。シリウスの剣与えてるし)
けれど、レオはどうだ?
彼は、皇帝のことを陛下と呼び、“父親”とは思っていない様子。それどころか、言動から察するに、あまり好ましく思っていないような。
そんなことを考えながら悶々としていると、玄関のドアの鍵を開ける音が聞こえて玲菜はドキッとした。
(レオだ!)
彼が帰ってきた。
湯呑をテーブルに置いて玄関にまで出迎える。
家に入ってきた彼は本日もクタクタで。目蓋が半分落ちている。玲菜は先ほど彼の過去を聞いたのでなんとなく元気づけるように明るく言った。
「お帰り! レオ!」
「ああ」
レオはショーンが出てこないのをいい事に、玲菜にもたれるように抱きしめてくる。
「疲れた。でも一段落ついた」
「一段落?」
「ああ。明日は城に行かなくてもいい」
嬉しそうに、彼はそっと耳打ちしてきた。
「だからレイナ。明日は一緒に出掛けよう。連れていきたい所がある」
なんと……
なんと!!
「あ、明日は予定が」
玲菜は泣きそうになった。せっかくレオがデートに誘ってくれたのに。しかし、ミリアやアヤメとも会いたい。
「え?」
一旦離れてもう一度訊くレオ。
「予定?」
「友達と、会う約束して」
「あっ……」
溜め息交じりにレオは頷いた。
「そうか」
「ごめん」
玲菜が謝ると首を振って歩き出す。
「別に謝らなくていい。予定があったなら仕方ないし」
どことなく怒っている風なのは気のせいか。
「あ、あの、次はいつ平気そう?」
「わかんねーよ!」
彼が怒鳴ったことで落ち込む玲菜。
「そ、そうだよね」
居間に着き、なんてタイミングが悪いのかと肩を落としながらソファに座る。
二人が居間に来ると、ショーンは吸っていた煙草の火を消して立ち上がった。
「さてと。じゃあおじさんは風呂に入ってくるかな〜」
明らかに気を遣ったショーンが部屋を出て地下に行くと、最初一人掛けのソファに座ったレオが席を移動して玲菜の隣に座ってきた。
「お、怒ってねーから」
そう言って髪に触れる。
「仕方ないのは俺も分かっているし」
「うん」
残念だが仕方ない。玲菜はそう心に言い聞かせて、気持ちを切り替える。
「あ、レオ! ご飯は食べるの? お酒は? 持ってきてあげようか?」
いつも通り晩酌の用意をしてあげようと、玲菜が立ち上がるとレオはその腕を引っ張ってまた座らせてきた。
「後でいい」
てっきり肩でも抱いてくるのかと思ったが、手だけ握って黙る。
しばらく沈黙が流れて、間が持たなくなった玲菜が話しかけようとしたら、ようやくレオが「焦る必要ないか」とボソッと呟き、口を開いた。
「明日は俺も買い物するから。途中まで一緒に行こう。友達との待ち合わせ場所はどこだ? 送ってってやるよ」
「え? あ、あ、え? 送ってく?」
よくよく考えて、玲菜は焦ったが。
「大丈夫かな? 友達にレオのことバレたらどうしよう」
レオ自身はどこから自信が来るのか「大丈夫だ」と平然と返してきて、そのまま流れで途中まで一緒に行くことが決定する。
その後いつも通り晩酌をして、風呂に入り、次の日の用意をしてから玲菜は眠りに就いた。