創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第五十一話:罠]

 

 彼と何もせずに、一緒に寝るのはもう何度目だろうか。

 思えば付き合う前からそれはあって。

 いわゆる“そういう事”が無くても凄く心地好く眠っていられる。

 そして決まって幸せな気分で起きる。

 温もりが愛しい。

 

 本日も温もりを感じながら起きた……はずだったが。

 目を開けると同じベッドに彼が居なくて、玲菜はボーッと上体を起こした。

「レオ……?」

 自分はメイドの服のまま眠ってしまったが仕方ないか。

 今、何時だろうか。

 眠り始めたのは深夜……いや、むしろ朝方だったはずなので、もしかするともう昼か?

 それにしても、部屋を見回しても彼が居ない。

(どっか行ったの?)

 たとえば皇族の集まりとか? 自分は置いてかれてしまったのか。

(うそ? この部屋で待ってろってこと?)

 だが、ふとどこからか人の話し声が聞こえた。

(え? どっかに居る?)

 玲菜がその声の許を辿ると、どうやら廊下から聴こえてくるようで。あまり大きな声ではなく、どちらかというとひそひそ声というか。

 一人はレオ、もう一人は……恐らく朱音の声が聞こえた。

(え? レオ、廊下で朱音さんと話している?)

 もしかすると声の感じからいって、あまり聞いてはいけないような気がしたが。

 玲菜はついつい壁に耳を当てて聞いてしまう。

(こ、これって盗み聞き?)

 罪悪感も生じるがやはり気になる。

 何やら、今回の皇帝の死という大事件について話しているよう――

 

 

「――というわけで、陛下の死については、しばらく国民及び他国には隠すという方向になりそうです」

 これは朱音。返事をするレオの声が聞こえる。

「だろうな。でなければもう昨夜の内に崩御の鐘を鳴らすだろうし」

「はい。ちょうど戦が始まるか始まらないかの瀬戸際の時期ですし、兵の士気にも関わります。もしも次期皇帝がすぐに決まっていれば訃報も民衆に流れたかもしれませんが」

「結局、陛下は指名遺言もせずに死んだんだろ?」

「はい。容体の急変でした。危篤の報せも出来ぬまま逝去されました」

 朱音の言葉に溜め息をつくレオ。

「厄介だな。そもそも、シリウスの剣を俺に渡すから話がこじれる。衰弱していたのになぜ余計なことをしたかな」

「皇子! そういうことは心の中で呟いてください」

「ああ、そうだな」

 レオは苦笑いをして「それより」と話した。

「陛下の容体が急変っておかしいな。最近はずっと安定していたようにも思える。医者がずっと付き添っていたし。危篤の報せも出来ないまま死ぬなんて」

「ええ。宮廷内に不穏な空気が流れています。皇子、お気を付け下さい。隙があれば何か言いがかりをつけられるやもしれません」

 壁越しに聞いていた玲菜は心配になる。

(レオ、変な言いがかりつけられたらどうしよう)

 一方、レオは頷き、朱音の方にも注意した。

「そうだな。俺を陥れるためにお前や黒竜も狙われるかもしれんから。まぁお前らに限ってまさかとは思うが、身辺には細心の注意を払えよ」

「はっ……はい」

 なぜか、朱音は一瞬慌てたようにも感じたが、理由はその場では分からず。廊下で誰かが走ってくる音が聞こえた。

「アルバート様!」

 玲菜からは見えないが、男性の声で、レオの従者か誰かか。

「どうした?」

「はい、あの……アンナ皇妃とミシェル皇妃が親族にお話があるそうで。広間に集まっておいでです。アルバート様にも是非とも来てほしいとの事」

「あの二人が!?

 レオの凄く嫌そうな声が響いた。

「俺はあの二人苦手なんだよなぁ。普段仲悪い癖に共通の邪魔者が居ると妙に団結するし。おまけに息子と性格がそっくりだろ」

「あ、あの、アルバート様」

 慌てているのは男の従者だけで、レオは平然と続ける。

「偉そうなフレデリックの母親・アンナ皇妃と、腹黒ヴィクターの母親・ミシェル皇妃」

 すぐに朱音がぴしゃりと言った。

「皇子! もう少し発言を慎みください」

「分かってるよ。じゃあ仕方ないから広間に行ってやるか面倒だけど」

「よろしくお願いいたします」

男の従者の声でそう聞こえた後、廊下を歩いて遠くに行く足音が聞こえて、従者はきっと去ったのだろうと予想できる。

 また二人きりになった後、朱音はそっとレオに話した。

「皇子。言いにくいことなのですが……」

 なんとなく、言うのをためらっているようにも聞こえる。

「陛下がお亡くなりになられたことで、ご存じの通り、皇家は今混乱しております」

「ああ、分かっている」

「アルバート様」

 朱音は一度目をつむり、言うのをやめようとしたが。決心して口を開いた。

「お願いですから、こういう時はどうか他人を信用しませんよう。それがたとえ近しいショーン様やレイナ様であったとしても」

 

(え? 私!?

 自分の名が挙がり、玲菜はドキリとした。

(私、朱音さんに怪しまれてる?)

 まさか、過去を調べられたりしてはいないだろうか。

 調べられても何も出てこないので、逆にそれが怪しいと思われるかもしれない。

(ど、どうしよう)

 

 しかし、レオは笑いながらその言葉を返した。

「なーに言ってんだよ。オヤジやレイナが怪しいわけねーだろ」

「確かにあの二人のことは信用しております。ショーン様は皇子にとっての父親代わりでもありますし、レイナ様も皇子の恋人に相応しい素敵な方だと思っております」

「お、おう」

 皇子は照れたが、朱音の表情は曇っている。

「ですが。レイナ様はまだ分かりませんが、ショーン様のことを完全に信用しきるのは、いささか不安を感じます」

「え?」

「それというのも、ショーン様の過去が……」

 話は続いていたが、皇子は朱音を睨み付けた。

「お前、レイナやオヤジのこと調べてんのか!?

「それは致し方ないことでございます。皇子の身を守る為に」

「ふざけるなよ!」

 少し大きな声が廊下に響き、壁越しで聞いていた玲菜もびくりとした。

「オヤジは、母の知り合いだぞ? 怪しいはずがない。母は陛下とのこともあって、警戒心が強かったけど、オヤジのことは信用していた」

 レオは自分の声が大きなことに気付いて少し声量を下げた。

「俺だってもう六年も一緒に住んでいる。オヤジに不審なことがあったら気付く」

「それに」と彼は付け足す。

「俺が戦で無茶した時も、オヤジは命がけで俺を守った。それがあの、顔の傷だぞ」

「分かっております」

「そんな相手を、疑えと言うのか!」

「ですが、アルバート様……」

 朱音は何か言いたそうにしたが、レオは話を打ち切った。

「いい。聞きたくない」

 

 壁越しに二人の会話を聞いていた玲菜はハラハラした。

(え? どういうこと? 朱音さんがショーンのこと怪しいって言って、レオがそのことに怒って?)

 ショーンが怪しまれるのも嫌だが、朱音に対してレオが怒るのも嫌だ。

(やだやだ。気持ちは分かるけど、レオももっと落ち着けばいいのに)

 しかし彼はショーンに対して絶対的な信頼をしているので、朱音の言い方に立腹するのも分かる。

 そんなことを思いながら耳を壁に当てていると、部屋にレオが入ってきたので、慌てて布団に潜り寝たふりをする。

 彼は「はぁ」と溜め息をついてベッドに近付き、無言で布団に入って玲菜を後ろから抱きしめてきた。

 びっくりした玲菜が動けずに止まっていると、耳元でそっと囁く。

「何、寝たふりしているんだ。もう行くぞ」

「わぁあ!」

 うっかりビクッとしてしまった玲菜は、起き上がろうとしたが、なぜかレオが腕を離さないので上体を起こせない。

「あ、あ、分かったから。もう起きる」

「うん」

「あの、だから離して?」

「うん」

 返事をしても放そうとしないレオに、もう一度呼びかける玲菜。

「レオ?」

「ちょっ、待て。なんか……寝る前、お前に色んな話をした気がするから。ちょっと恥ずかしい」

 なんと、恥ずかしがっているというのか。

「うそ? ちょっと顔見せて?」

 玲菜が振り向こうとすると、レオは余計に力を入れて振り向かせないようにした。

「待てっつってんだろ」

 しばらく振り向かせてはくれなそうなので、玲菜は今の廊下での話を聞いてしまった事を白状することにした。

「レオ。今さ、廊下で朱音さんと話していたでしょ? 私、つい聞いちゃったんだけど。ごめん」

「ええぇ!?

「ごめんね。盗み聞きみたいな真似」

「あー」

 彼は驚いたが意外にも怒らずに言う。

「まぁ、ちょっと声が大きかったか。別に聞こえちゃまずい話じゃないからいい」

「うん……」

 玲菜は思い立って訊いてみた。

「ねぇ、朱音さんって、私とかショーンのこと、不審に思っているのかな?」

 答えづらいことを訊いてしまったか。レオは少しの間何も言わずに止まっていたが、玲菜の髪に顔を触れさせながら言った。

「朱音にしろ、黒竜にしろ、あいつらは俺に近付く人間はまず疑うのが仕事だから仕方ない。ただ、オヤジのことをまさか今頃言われるとは思わなくて少し困惑しているけど」

 ショーンの過去の話は、玲菜を拉致したユナも言っていたので、まさか朱音からも話が出ると心配になる。

(でも、ショーンのことは信用したい)

「ま、俺は信じているよ。オヤジのことも、お前のことも」

 信じていると言われて嬉しくなる玲菜。だが、ふと気になったことも訊ねた。

「レオは、どうだったの? 私のこと、最初は疑っていた? 別に怒らないから言って?」

 彼には初め、不法入国的な理由で捕まっている。やはりスパイだと疑われていたのか。別にそれならそれで仕方ない。

 彼は思い出すように話し始めた。

「お前と初めて会った時、正直、何者なのかと思ったな。俺とオヤジはよく『レナの聖地』に行っていたんだけど。あの日もオヤジが『調べ物がある』みたいなこと言うからあそこに行って……」

 聞きながら玲菜も思い出していく。

「実はさ、お前が倒れているの見つけたのは俺だったんだ」

「え?」

「オヤジだと思っただろ?」

 確かに、玲菜が最初に聞いた声も顔もショーンで、ショーンが発見してくれたのかと思った。

「俺が『女が倒れている』って言ったら、オヤジの奴がすぐに駆け寄ったんだよ。その前まで人の気配無かったからびっくりしたし、もしかして刺客かと思って、オヤジを止めようと思ったんだけど。止める前に行っちゃって」

「そ、そうだったんだ」

 玲菜が納得しているとレオは思い出したように布団を剥いで起き上がった。

「こんなことしている場合じゃないっ!」

「あ!」

 玲菜も気付く。

「レオ、皇妃様の所に行く?」

「お前……そんなことまで聞いていたのか」

 呆れてこちらを見るレオに、玲菜は申し訳なさそうに謝った。

「ご、ごめん」

 レオは「まぁいい」という風にベッドを降りてタンスの方へ行き、着替え始め。玲菜もバスルームに入って顔を洗ったり身なりを整えたりした。

 

 そして準備が終わって部屋を出ると、他の従者たちが待っていて、入れ替わりに部屋に入る。

「え? あの人たちは?」

 玲菜が彼らのことを訊くとレオは「彼らは掃除だ」と答えた。

「俺の付き人はお前だけでいい」

「え? 私、なんにも分かんないよ」

「別に分かんなくていい。俺の傍に居ろ」

 そう、レオが言ったので、玲菜は彼の後ろをとにかくついて歩いた。

 

 やがて、目的場所である広間に着き。そこでは朱音が現れて玲菜と一緒にレオの後ろに控えたので少し安心する。

 レオ以外の皇家の錚々《そうそう》たる面子はすでに集まり、他にも偉そうな人間がちらほら。祭服姿の聖職者らしき人間も数人。いわゆる宮廷の権力者たちが集まった形で、余程の重要な事を発表するのかと想定される。

 発表者は長男の母親である第一皇妃・アンナ。それに、次男の母である第二皇妃・ミシェルも加担している様子。

 レオが広間に入るなり、黒髪で高飛車そうなアンナ皇妃は見下すような目でこちらを見てくる。

「アルバート殿、やっとお越しくださいましたね。さすがは陛下に寵愛されたサーシャ様の息子で、シリウスの剣まで手中に収めた皇子。緩慢《かんまん》でも堂々としておられる」

 褒めているようで完全に嫌味が籠っていて、レオは一瞬、苦虫を噛み潰したような顔をしたがすぐに表情を戻して答えた。

「遅れてすみません、アンナ様。陛下の死を悼んでおりましたらつい時間の経過に疎くなってしまい」

 続けて哀しそうな笑顔で言ってきたのは茶髪のミシェル皇妃だ。

「アルバート皇子は特に愛されておいででしたから、さぞかし悲嘆にくれたでしょうね」

 皇妃の表情の向こうのどす黒い何かに攻撃されたレオは怯みそうになったが、負けずに切り返した。

「そうですね。おかげで先刻は居た堪れなくてすぐに退室させていただきました」

 その答えに、アンナ皇妃は「白々しい」と小さな声で呟き、ミシェル皇妃は「うふふ」と笑う反応。

 レオは頭痛がした。

(ホントに、分かり易いな)

 

 一方、近くでそのやりとりを見ていた玲菜は怖くて身震いする。

(な、何これ。皇妃様たち怖い)

 一応正室を皇后、側室を皇妃と呼ぶらしく、黒髪の皇后が一人に、黒髪の第一皇妃、茶髪の第二皇妃、金髪の第四皇妃と、皇妃が三人居る。

 皇后に子は居なく、第一皇妃と第二皇妃、それにすでに亡くなっている第三皇妃(レオの母親)に一人ずつ男子が居る。

 実は第四皇妃にも息子が居たようだが、その皇子は亡くなっていて、現在では第四皇妃には娘が二人しか居ない。

 玲菜はその第四皇妃であるカタリナを改めて見た。金髪美人で、娘のクリスティナは彼女によく似ている。おっとりしていそうだが、実は病気らしく何かボーッとしている。

(あの人、病気なのか。精神的な病気とか? 鬱? あの人はなんだか優しそうなのにな)

 第一皇妃のアンナはいかにも“皇妃様”というか、例えるなら意地悪な継母風だし、第二皇妃のミシェルは一見上品で優しそうなのに、何か怖い迫力がある。表裏がありそうな雰囲気。

 皇后様は、やはり正室なだけあって妙な自信と気品を感じる……比較的まともそうな人ではある。あまり感情で動かなそうな冷静な方という感じがする。

 そして、病気の第四皇妃・カタリナ。

 四人を見回して、複雑だと玲菜が感じていると、聖職者らしき人物の中で一番気弱そうな灰鬚の男が、おどおどしながらアンナ皇妃に訊いた。

「と、ところで、もうすぐ陛下の葬儀の準備もしなくてはいけないのですが、皆をここに集めてのお話とは一体何でしょうか?」

「よくぞ聞いてくださいましたわ、オーラム司教」

 アンナ皇妃はニヤッと笑った後に怖い表情で話を続ける。

「実は大変な事が発覚しまして。私《わたくし》は恐ろしさで震えていますの」

 見ると、震えてはいないようだが。

「恐ろしさだけではありません。怒りや悲しさが溢れてきます」

 アンナ皇妃は突然、ハンカチで涙を拭く素振りを見せた。

「陛下は……陛下は……」

 わざとらしく崩れる彼女に、わざとらしく駆け寄る第二皇妃のミシェル。

「アンナ様、大丈夫ですか? 私《わたくし》も怒りと悲しみで打ち震えていますわ」

 泣き崩れる二人に、何か下手な演技を見させられている気もしたが、次に衝撃的な言葉を発した。

 

「陛下が……! まさか何者かに毒を飲まされて殺されていたなんて!」

 

「そ、そんな!!」と声を出したのは先ほどの気弱そうな司教。驚き過ぎて腰まで抜かす始末。

 他の者も呆然としてその場が凍りついた。

 しばらく静まり返り、口を押える者、顔を見合わせる者。皇女の一人・クリスティナとその妹はショックで支え合い、長男のフレデリックが自分の母親に対して不審そうに尋ねた。

「ど、どういうことですか! 母上!」

「つまり、そういうことなのです、フレデリック」

 

 皇帝の主治医が前に出てきた。

「陛下は、死の寸前まで容体は安定しておりました。ですが、急変してお亡くなりに」

 主治医は声を震わせる。

「何か怪しいと感じた私は、念の為に調べさせてもらったのです」

 皆が主治医の言葉に注目する。

「すると、なんと……陛下から毒が検出されまして」

「なっ! 真か!」

 冷静そうな皇后が声を上げた。

「それが事実ならば重大な事! 冗談では済まされぬ」

「嘘ではございません。“最期の慈悲”という、飲めば数分で死に至る毒が口元から出ました。陛下は寝たきりなため、無理やり飲まされたと思われます」

 

 淡々と主治医が喋るのを皆は黙って聴く。

 玲菜はその今の状況を呑み込めないで、まるで現実ではないような感覚で立っていた。

(え? 何? 毒?皇帝陛下が?)

 ふと、レオの方を見ると「最後の慈悲だと!?」と小声で呟いて何か思いつめたような顔をしていた。

「“最期の慈悲”は、異国製の物ですわよね?」

 確認するようにミシェル皇妃が言うと、近くに居た誰かの従者がうっかり口に出す。

「まさか、他国の暗殺者が侵入!?

 途端に皆の顔が青ざめる。皇帝の主治医は困ったように告げた。

「“最後の慈悲”は、我々医師でも入手困難で。ただ、聖職者ならば比較的手に入れやすい、と」

 この場に三人居た聖職者は「まさか我々を疑っておられるのか」と怒鳴り、特に気の弱そうなオーラム司教は「私ではありません」と否定するのに必死だ。

 更に、聖職者の一人は自分らに疑いの目が来ないようにある事を思い出して即座に話した。

「そういえば、この城で以前全く同じ毒が使われた事件がありましたな」

 皇后や皇妃は皆で顔を見合わせる。そしてミシェル皇妃が恐ろしそうな顔で呟いた。

「サーシャ様……」

 サーシャはレオの母親で、毒を飲んで自殺したと――言われている。

 皆の目は自然とレオの方へ向けられた。そこを待っていたかのようにアンナ皇妃が口に出す。

「アルバート殿、サーシャ様の使った毒は、その後どうなったか知りませぬか?」

 レオの顔が引きつる。

 玲菜は不安で心がどうにかなりそうだったし、体が震えた。

(もしかして、レオが疑われているの? でもレオは違う。昨夜は私の部屋に居たんだ。私はレオが犯人じゃないことを知っている)

 このことを発言したい。けれど、どう言えばいいのか分からない。そもそもメイドに扮している分際で口を出せるとも思えない。

(まさかレオ、誰かの陰謀に嵌められそうになっているの? やだ!)

 玲菜が口を出したくても出せない状態でいると、レオの異母妹であるクリスティナが声を出した。

「アンナ様! まさかアルバートお兄様を疑っておいでですか!? やめて下さい!」

 彼女はレオに友好的で、婚約者のフェリクスがシリウス軍でもある為にどちらかというと味方な印象を受ける。

「そうですよ!」

 今まで何も喋らなかったのに、ミシェル皇妃の息子であるヴィクターが口添えをした。

「アルバートは昨夜、城に居ない。それとも何か証拠でもあるのですか」

 一瞬、助け舟のようにも感じた。だが、彼はレオが警戒している“次男”。

 そう、玲菜が不安に思った通り、まるで口裏を合わせたかのようにアンナ皇妃が答えた。

「そうですね。アルバート殿は宮廷に居なかった。けれど、彼の部下が陛下に手を下すことは可能」

 レオはずっと黙っていたが。ついに気に障ったように返す。

「どうも、アンナ様は私に陛下毒殺の罪を被せようとしているように見受けられます。私がシリウスの剣を授かったからでしょうか。どうか焦らずに。私は、帝位を強く望んでいるわけではありませんので」

「なっ!」

 図星だったらしく、アンナ皇妃の顔が引きつった。

 レオは落ち着いたように話すが内心は怒りに震えているらしく、眼は鋭く口元は笑っている。

 玲菜は心配になった。

(レオ……)

 彼が怒っているのは、母親の毒について触れられたからだ。彼は毒殺されたと思っているので、当然自分の母親が毒を手に入れたと言われることは耐え難い苦痛。しかもそれをダシに自分まで疑われるなんて、冷静でいるのも相当な無理をしている。

 一方、アンナ皇妃は怒った顔をしたが周りに宥められて表情を戻して反撃をする。

「私はなにも、何の根拠もなく言っているわけではないのですよ。貴方は証拠が無いと思っているようですが」

 言うと、アンナ皇妃の従者が城の巡回警備兵を連れてきて前に出す。巡回警備兵はひざまずき、恐る恐る申し上げた。

「私は、昨夜、陛下の部屋の近くの夜間警備の担当をしていた者ですが。陛下の容体が急変される前に陛下の部屋に入っていく者を目撃しまして」

 皆がざわつく。

「目撃したのに捕まえなかったのか!」

 皇后が指摘すると頭を深く下げて土下座をする。

「申し訳ございません! ただ、見たことのある護衛の方でしたので、陛下に用事があっての事と思いまして」

 皆が息を呑んで話を聞くと、アンナ皇妃が口元を扇子で隠しながら勝ち誇った顔で訊いた。

「して、その者とはこの中に居るか?」

「は、はい」

 震える声で兵士は答える。

「暗がりだったのですが、見覚えがございます。こ、この……方……」

 震える手で指した先に居たのは――

 

 レオ――ではなく、レオの後ろに控えていた朱音。

 

 その場に居た全員が朱音を見て、時が止まったように静まり返った。

 

(う、うそ……)

 玲菜の心臓はどうにかなりそうな激しい鼓動を打つ。

 怖くて朱音の方を向けない。レオもそうだったらしく、しばらく止まっていたが。ゆっくり振り向いて彼女の方を見る。

 しかし、朱音の肯否も訊かずにすぐ兵士に反論する。

「貴様、誰に頼まれて我が部下を陥れる! 見間違いでは済まされないぞ! もし違った場合、絞首刑に処されるがお前はその覚悟が…」

「アルバート殿!」

 アンナ皇妃は怒るレオと怯える兵士の間に入って、閉じた扇子でレオを指す。

「実に見苦しい。脅しで目撃証人を黙らそうとするなど。しかし、先ほども申しましたように証拠は挙がっておりますよ」

「証拠……? この兵士の情報のみが?」

 レオがそう返すと、アンナ皇妃はほくそ笑んで、主治医に訊ねた。

「陛下のお体が急変した時に、部屋で見つけた物をここへ」

「は、はい」

 主治医は一度奥へ引っ込み、何かを大事そうに持ってくる。それは、朱音の持つ小太刀によく似ていて。朱音の小太刀にしか記されていない紋章なども刻まれている、まるで本物。

 いや、まるでというか……

 

 朱音は目をつむり、呆然とするレオに小声で謝った。

「殿下、申し訳なく存じます。私のミスで、罠に嵌められました。しかし私は捕まりますが、後のことは黒竜にすべて任せてありますので」

「な、何言って……朱音……」

 

 朱音は前に出て主治医の許へ行った。

「その小太刀は、私の物でございます。何時ぞやに無くした物で、命を懸けても陛下の命を奪ってはいないと断言できますが、疑者である以上、疑いが晴れるまで勾留《こうりゅう》は覚悟します。ですが、」

 アンナ皇妃の方を向く朱音。

「私の勾留に免じてアルバート皇子への疑いや私の部下への疑いは一切無きにして頂きとうございます」

「何を申しておる。そなたは疑者ではなく犯人なのだから、そのような頼み事は……」

 アンナ皇妃は朱音の頼みも聞かない態度を示したが、そこは皇后が口を挿んだ。

「いや、まだ断定は出来ぬ。我が身の拘束と引き換えの嘆願は護衛として見上げたもの。私は認めよう。異議はあるか?」

「皇后様」

 この場……いや、現時帝国で一番偉いのは皇后であり、誰も反論は出来ないのは周知。

 誰も文句は言わず、朱音は拘束された。

 

 玲菜は朱音が連行される様子を、夢でも見るかのようにただ呆然と見る。

 信じられない。

『朱音は無実だ』と叫ぶことも出来ない。

 足が震えて立っていられなくなりそうだが、なんとか踏ん張って立つ。

(どうすればいいの? どうすればいいの?)

 どうすれば彼女の無実を証明できるか。

 レオを守り、自分も常に守ってもらった。凄く頼りになる女性。おまけに強い。

 そんな彼女が居なくなったら彼はどうなる。

 レオは放心状態でまだ物事に納得していない様子。

 しかし、振り向きもせずに連れていかれる朱音が広間を出る時に声を掛けた。

「朱音!」

 朱音は振り向き、何も言わずに微笑んでまた連行された。

 

 朱音が去って、何とも言えない雰囲気になる広間。クリスティナはまた妹と泣き出し、フレデリックとその妹、そしてヴィクターは不信な目でレオを見る。いや、兄妹たちだけではない。その他のこの場に居る皆が落胆した目でレオを見た。

 民衆の間では英雄で、次期皇帝の可能性も出てきた彼が、少なくともこの場では皇帝暗殺を起こした疑者である部下を持つ皇子だと疑心の目で見られる存在になってしまった。

 元々敵は多かったが、次期皇帝の可能性が出てきた時に近付いてきた連中はもう手の平を返してアンナ皇妃やフレデリック皇子に取り入っている。

 玲菜は物凄く居た堪れなくてレオと一緒にこの場を去りたくなった。

 その微妙な雰囲気を打開させたのが皇后だ。

「皆の者、陛下殺しの疑者は拘束された。今よりこのことは城内外で口外禁止! もちろん陛下逝去についても知られてはいけない。もしも知られたら口外した者が極刑になることを肝に銘じよ」

 皇帝が亡くなったことはまず秘密なので、アルバート皇子の不名誉な話がこの場以外に広まることを避けたのは不幸中の幸いか。

「そして、真相はこれから調べるので、その事も頭に入れておくように。犯人が確定され次第、その者は必ず処刑される。それがアルバート皇子の護衛であるか他に真犯人がいるか定かではないが」

 皇后はきっぱりと言う。

「共犯者、少しでも加担した者、黙した者も同罪であるので身に覚えがある者は覚悟するように」

 事実上、次期皇帝が決まるまでは皇后が君主代行として権力と発言力を有する。

「しかし今はまず、戦が大事。いくら口外せずとも、訃報はいつか漏れる。その時、一気に攻め込まれる前に対策をしっかりせねばならぬ。悲嘆は今日までにして、明日からはまた軍事会議を行う。良いな?」

 皇帝の死は秘密なので、半旗も喪に服すことも禁じられる。

 皇后の宣言によりその場は一先ず解散になり、やっと動けるようになった玲菜はレオに駆け寄った。そして、どこからか黒竜も姿を現して朱音の代わりの護衛に従事する。

 レオは玲菜が駆け寄っても何かを考えるように俯く。黒竜が「皇子」と声を掛けてようやく気付き顔を上げた。

 その矢先、少し遠くで取り巻きを連れたアンナ皇妃やミシェル皇妃があざ笑うように去って行った。それを見て悔しくて泣きそうになる玲菜。

 けれど一番悔しくて辛いのはレオのはずなので自分は我慢する。

 レオは特に何も言わずに歩き出して玲菜と黒竜はついていった。


NEXT ([第五十二話:求婚]へ進む)
BACK ([第五十話]へ戻る)

目次へ戻る
小説置き場へ

トップページへ
inserted by FC2 system