創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第五十二話:求婚]

 

 部屋に戻るまでの間、レオはずっと無言で玲菜は凄く不安になった。朱音は彼にとって最も信頼できる部下であり、護衛なのだから。

 捕まるなんてやはり信じられない。

 そんなことを思っていると、アルバート皇子の部屋に着き、いつの間にか黒竜は姿を消していた。

 部屋に入ると中は綺麗になっており、食事の用意をして給仕が待っていた。玲菜はその様子にびっくりする。

(凄い。用意周到!)

 もしかしたら、皇子は食欲が無いかもしれないと心配したのも束の間。彼はすぐに席に着いて食べ始めて、ボーッとしている玲菜も座らせて食事を勧めた。

 確かに腹は減っていたが食欲はあまり無い玲菜とは対照的に、彼の安定の大食い。

 レオは普段通り大盛りの料理を軽く平らげて、食後の紅茶も飲んだら大きな溜め息をついた。

「ああ。やっと落ち着いた」

 まだ食事は済んでいなかったが、心配して声を掛ける玲菜。

「大丈夫? レ……アルバート」

 給仕の者が居たので念の為『アルバート』の方で。

「辛かったよね」

「全くだ。ホントに、腹が減って腹が減って。死ぬかと思った」

「え?」

 まさか言い間違いか?

「腹が立ってじゃなくて?」

 一応、訂正含めて玲菜が訊くと、彼は思いもよらない反応を示した。

「ん? 怒る?」

「え、だって。皇妃様のこと、腹が立ったでしょ?」

 レオは一瞬止まって。「ははは」と声に出して笑った。

「そりゃまぁ、少しは。でも、あんなんでイチイチ怒ってたら身がもたねーよ!」

「で、でも、朱音さんも捕まっちゃって……」

 玲菜が俯くと、彼は頭を撫でてくる。

「大丈夫。絶対に真犯人を見つけてやるから」

(どうやって?)

 その疑問を玲菜は口に出さず、なぜか自分が慰められていることに気付いて、彼の手を掴んだ。

「違う! 逆だよ!」

「え?」

「私が慰められてどうすんの! 私が、レ…アルバートを慰めなきゃ!」

「えぇ?」

 自分でも何を思ったのか。いや、むしろ半分混乱していたのかもしれないが、玲菜は彼を慰めようと椅子を近づけて彼の頭を撫で始めた。

「うぉっ!」

 慌てたのは皇子だけでなく。その場に居た給仕も慌てて食器を片づけてそそくさと出ていく。

「ちょっ! 待て!」

 頭を撫でてくる彼女をやっと止めたのは二人きりになってからで、給仕には明らかに勘違いされたと、皇子は顔を赤くして頭を抱えた。

「お前、何やってんだよ! 子供じゃねーんだから! お、俺が……絶対そういうやつだと、思われた」

「そういうやつ?」

 キョトンとする玲菜に怒鳴りつける。

「俺が恋人の前では子供みたいに甘えてるって、給仕に思われたってことだよ!!

「え? そ、そうだったかな? ごめん」

 謝っても、酷く落ち込む彼をもう一度慰めるように頭を撫でる玲菜。

 

「分かってねーな、お前は」

 彼が呆れた言葉を掛けてきたがめげずに返した。

「いいの! 今は二人きりだし。レオを慰めてあげる!」

「ガキ扱いかよ」

 レオはつっこんだ後、ふと気になったことを訊いてみる。

「そういえばお前って何歳だっけ? 年齢聞いたことあったか? 俺は普通に同い年だとずっと思ってたけど」

「レオは何歳?」

「二十だよ」

「じゃあ一緒だ。私も二十歳《はたち》だから」

「はたち?」

“はたち”が通じなかった。玲菜は言い直した。

「二十歳ってこと」

「じゃあ同い年で合ってたな」

 よくよく考えて、お互いの知らないところはまだあると思うレオ。

「そういや、お前の誕生日は?」

「え? 私は三月六日だよ」

「へー。じゃあ、俺の方が少し年上だな」

「いつ?」

「シリウスと同じ、一月一日だよ」

 自分の小説のシリウスには誕生日の設定など無かったと思う玲菜。

(え? この世界では一月一日なの? っていうか、神話で勝手に作られた?)

 その可能性が高い。

(一月一日かぁ〜。分かり易いな)

 しかし、先ほど彼が「年上」と言ったことに疑問を感じる。

(え? レオ、本当に私より年上? だって、この世界と旧世界では暦が違うよね?)

 仮に、今が旧世界の一月頃だとすると、自分の誕生日はあと二ヶ月。しかしこの世界での二ヶ月後というのは……

(今が九月だから、十一月? レオが二十一歳になるのは来年の一月一日でしょ? ってことは、約四か月後ってことで)

 旧世界の暦でいえばもしかすると彼の誕生日は四月の後半か五月の初め頃。

(本当は私の方が年上じゃん! 学年だってレオは一個下じゃん)

 自分の計算でいえばそうなのだが、ここでは仕方ないか。

「へ〜、そうなんだ! シリウスと一緒なんだ」

 玲菜がそう返すと、レオは微妙な顔つき。

「知らなかったのか。自分では、国民に有名かと思ってたからちょっとショックだな」

 恐らく、シリウスと同じ誕生日の皇子なので、国民には有名らしく。それが分かった玲菜はすぐに言い訳する。

「あ、知ってたよ。あ、忘れてたの。ごめん」

「別に謝んなくていい。それより」

 皇子は目蓋を落として恥ずかしそうにする。

「いつまで頭撫でるつもりだ」

「え?」

 今まで無意識にずっと撫でていた。おかげで髪が乱れているような。

「ああ! えっと! 元気出た?」

 玲菜が手を離そうとすると、彼はその手を掴み、肩も掴む。

「もっと、別の慰め方があるだろ? 俺はそっちの方がいい」

「え?」

 意味が解って玲菜は焦る。

「あ、あの……」

「レイナ」

 真剣な眼差しで顔を近付けるレオ。

 しかし……

 

「アルバート様!」

 廊下からの呼び声が聞こえて、レオは凄く嫌な顔をした。

「……なんだ! 用か? 大した用でなかったら後で聞く!」

「あ、あの。そろそろ陛下の葬儀の用意を……」

 大した用だ。

 レオは頭を痛めて廊下に返事をした。

「分かった。持ってきてくれ」

「は、はい!」

 廊下の人物が去る音が聞こえて、レオは肩を落として溜め息をついた。

「ああ、くそ。そうだ葬儀だ。忘れてた」

「皇帝陛下の?」

「ああ」

 レオは玲菜の手と肩を掴んでいた手を離す。

「陛下の死は秘密だから。本当に身内だけで。だから、お前を連れてはいけないから、お前はここで待っていてくれ」

 なるほど、と思い玲菜は頷いた。レオは念も押す。

「部屋では自由にしてていいけど、誰か来ても返事するなよ? 窓もカーテンも開けるな。鍵は外から掛けておくし」

「う、うん」

 返事をしながら、玲菜は不安になった。

(自由にって言われても何しよう?)

 監禁……いや、軟禁か? とにかく自由度は限られる。

(本でも読もうかなぁ)

 それと、風呂に入りたいような。

「あ、あの、お風呂は使ってもいい?」

 この部屋にはバスルームがある。

「ああ、そうか。じゃあ着替えとタオルを。俺が着替えている間にメイドも呼ぶから、その時必要な物をメイドに言ってくれ」

「うん! ありがとう」

 一先ず安心だ。

「飲み物や軽食も用意させる」

「ありがとう」

 玲菜は礼を言って、メイドの到着を待つ。

 やがて、レオが葬儀用の服に着替える頃にメイドがやってきて、玲菜は必要な物を彼女に頼んだ。そして、給仕もやってきて、茶や軽食の用意をして去る。

 

 レオは白いシャツを着て紺色のズボンを穿き、その他身に付ける上着等は護衛も兼ねる男性の従者に持たせて髪を整えた。

「俺はもう行くけど、お前は平気か?」

 玲菜はメイドに持ってきてもらった物を確認しながら返事をする。

「うん。平気」

 必要な物は足りているはず。

「私は大丈夫だから。行ってらっしゃい」

 レオは従者の前でも気にせずにキスをして、耳打ちした。

「帰ってきたら慰めてくれよ」

「えぇ?」

「じゃあ、後でな」

 手を振り、従者と共に部屋を出ていくレオ。

 ドアを閉められて、鍵も掛けられて一人になった玲菜はボーッと言葉の意味を考えた。

 いや、考えなくても分かる。

(えぇ!?

 心の準備をしなければ。

 玲菜は顔を赤らめながらまず風呂に入ることにした。

 メイドから何着かの着替えと新しい下着もいくつか持ってきてもらった。それに、肌を整える物、櫛《くし》、少しの化粧品等。石鹸や歯ブラシなどはこの部屋にあるので平気だが、いわゆる女性に必要な物は無かったのでそういう物で城に有る物を主に用意してもらった。

 いつまでここに居るかは分からない。

 レオ専属の従者や使用人は玲菜が恋人であることを分かっていて、しっかりと協力してくれる。

 彼らに感謝しながら玲菜は、髪や顔、体を洗ってゆったりと湯船に浸かった。

 

 そして、風呂から上がると、メイドの用意してくれた寝間着に着替える。フリルやレースの付いた可愛らしいワンピース型の寝間着で、「お姫様みたい」と喜んで着たが、鏡を見て妙に恥ずかしくなった。

(これっていわゆるネグリジェだよね?)

 ネグリジェは初めてだったので、この姿で眠るのが少し不安というか……

(私、誘ってる子みたいじゃない?)

 勝手な解釈かもしれないが、勝負寝間着のような。

(違う違う)

 玲菜は一先ず髪を拭きながら化粧水(っぽい液体)も顔に付けた。

(今頃、お葬式始まってるかな?)

 レオはどうしているか。また、皇妃たちから攻撃を受けていなければいいが。

 少し肌寒さを感じた玲菜はベッドに入った。

 気疲れなのか、若干眠い。きっと風呂に入ったせいもある。

 どうせ暇だし、一眠りしておくか。

 

 

 

 最近――

 父の夢を見なくなった……気がする。

 会いたい気持ちは変わらないのに。

 自分と父の時間はあの、八月の終わりの日で止まっている。

 バイトが休みで、朝から小説を書いていた。途中で眠くなって机で寝て、起きてから洗濯物を取り込んだ。

 あと、何があっただろうか。

 何かが鳴り響いて……そう、携帯電話が。多分、父からの帰る連絡。

 確かあの日は、定時に上がれる日だったはず――

 

 

 

「……う……ん……」

 妙な気分で玲菜は目を覚ました。

 今見た夢の違和感か。

(違和感……?)

 一体なんのことだ。

(違和感って何?)

“あの時”の夢を見た気がする。だが、何かを忘れているような。

 それが思い出せない。

(なんだろう?)

 玲菜はしばらく考えたが、思い出せないので考えるのをやめた。こういう時は、無理に思い出そうとしても無駄だ。

 何かあったらきっとその時思い出せるはずだ、と。

 思ったところで別の違和感を覚えた。

 何かが自分の胸に……

(ん?)

 背後が温かい。

「あっ……!」

 思わず声を出したのは、誰かの手が自分のネグリジェの中に侵入していたから。

 厳密にいうと後ろから胸に触れる両手があったから。

 危うく悲鳴を上げそうになった。

 手の主の正体は分かる。というか、彼でなかったら本当に悲鳴ものだ。

「レ、レオ!」

 玲菜は恥ずかしさとくすぐったさを我慢しながら呼びかける。

「あ、あの、ちょっと」

 ゆっくりと彼の手を離そうとすると、なんと簡単に離せた。

(あれ? もしかして)

 そっと体を移動させて捲れていたネグリジェとズレた下着を元に戻す。

 そして背中側に体の向きを変えると、そこにはレオが、玲菜の胸を後ろから揉んでいるようなポーズで止まって眠っていた。

 服は葬儀に行ったままの服装だ。

 玲菜は恥ずかしさを通り越してなんだか呆れてしまった。

 恐らく、部屋に帰ってきた彼が、玲菜が寝ている姿を見てベッドに入り、(起こそうと思ったのか)後ろから胸を揉んでそのまま眠ってしまったのだと、予想できる。

(なんでこのまま寝てるの)

 余程疲れていたのだと理解できるが、ポーズがとにかく恥ずかしい。

 玲菜は彼の体を仰向けにさせて、手を正常な位置に戻した。

 多分、疲れているのは体ではなく心だ。平気そうにしていたって、様々なショックな事が立て続けに起きているし、朱音の拘束は何より痛手だ。

 彼の隣で横になって布団を被る玲菜。

「お休み、レオ」

 手を繋いで、自分も一緒に寝ることにした。

 

 すれ違いでレオが起きたのはその少し後。

 いつの間にか彼女と手を繋いで寝ていたので、なぜそうなったのか理解できずに呆然とする。

 確か……部屋に戻ってきたら、彼女が色っぽい寝間着姿で眠っていたので当然誘っているのだろうと判断した。

 裾から手を入れたい衝動は抑えられない。それに、触りたい衝動も。

 自分がその欲求通り行動したら、彼女はどんな反応で起きるのかなんて……想像するだけで興奮する。

 出る前に「慰めてもらう」約束もしたことだし。

 寝返りを打つだけでちらりと見える脚に魅了されないわけはない。

 そう考えて実行に移した。

 しかし、横になったら激しい眠気に襲われて。その後の記憶がほぼ無い。

 下から手を入れて触った憶えは辛うじてある。ただ、彼女の反応は見ていない。

(まさか寝たのか、俺)

 その事実に気付いて、軽く自己嫌悪に陥るレオ。

 きっと彼女は可愛い反応をして起きたに違いない。

 それを見られなかった悔しさ。

 彼女もきっと自分が寝ていたことでびっくりしただろう。ひょっとしたらがっかりも。

「ああ」

 がっかりされていたかもしれないと思うと落ち込む。

 もうこうなったら今から続きをしようか。

 そう思ったけれど、手を繋いで幸せそうに寝ている彼女を見るとなんだか手が出せない。

(キスだけ……)

 レオはそっと彼女に口づけをした。

 しかし起きる気配が無い。

 もし起きたら続きをしようと思ったのだが、駄目だった。

 玲菜の寝顔を眺めるレオ。

(可愛いな)

 愛しくてつい見惚れてしまう。

 このままずっと、自分の傍に居させたいが、明日からきっとまた忙しくなる。しかも、戦関係の会議や訓練になると従者としても連れていけない。

 そうすると、部屋に閉じ込めておくのはさすがにかわいそうだ。

(明日、オヤジに来てもらうか)

 ショーンは軍師なのでどうせ宮廷に来てもらう予定がある。その時に、玲菜のことを頼もうと心に決める。

 精神的に、一番不安定だった時に彼女に助けてもらった。とりあえず今は一旦落ち着いた。朱音のことも、心配だが信頼もしている。きっと大丈夫だ。

 玲菜を束縛してはいけない。

(本当はすっげー独占してたいけど)

 レオは、今度は彼女の首筋に唇を触れさせて跡を付けた。彼女が寝ながら小さく反応するのが楽しくて調子に乗る。

 やりすぎた。と反省するのは大分跡を付けてしまってからだ。

 

 

 

「な、な、な、なにこれ〜〜〜〜〜〜〜!!

 次の日の朝、皇子の部屋の洗面台前にて悲鳴を上げたのが玲菜で。

 首元と胸の近くにある、見覚えのない虫刺されのような跡に泣きそうになりながら、幸せそうにベッドで眠る奴の上に乗っかって怒り起こした。

「レオ! どういうことなの! 昨日何したの!?

「……ん?」

 彼は寝ぼけ眼で起きて、自分の上に乗る彼女に何か勘違いをした。

「なんだよ。朝から。……ま、いーけど」

 玲菜をぐいっと引っ張り、キスをしようとする。

「自分から上に乗るなんて、大胆なお前も凄くいい」

「ちがう!」

 涙目で彼を押さえる玲菜。

「そうじゃないの! なんなのコレ? って訊いてるの!」

 彼女が自分に見せる首元の赤い跡の正体を答えるレオ。

「キスマーク」

 名称は分かる。

 それよりも、彼がなぜこんなに跡をつけたのか、或いは他の行為もあったのか訊きたい。

「昨日何したの? 他にもした?」

「あー」

 彼は目を泳がせる。

「お前が起きないからいけないんだろ。ってか、普通起きるだろ、あんな激しくしたら」

「激しく!?

 激しく何をしたというのか。

「お前、いい反応だったよ」

 その言葉を聞いた瞬間、玲菜は恥ずかしさのあまり彼の頭を叩いてしまった。

「いてぇえっ!!

 叩かれた頭を押さえて彼は上体を起こす。

「あのなぁ、お前寝てただろ! 俺は、キスしかできなかったんだぞ。キスマークいっぱい付けるくらいいいだろ!」

「え? キスしか?」

「そーだよ。お前、俺がどんなに激しくキスマーク付けても起きなかっただろ。反応はしたのに」

 そっぽを向く彼を呆然と見ながら、玲菜は自分の勘違いに気付く。

(え? 激しくって、キスマークのこと?)

 てっきり別のことだと思った。

 しかし、ソレはなかったとしても、こんなに首に目立つ跡を付けられて、どうやって外を歩けばいいというのか。

「こんなにキスマークがあったら恥ずかしくてレオの後ついて歩けないよ〜! どうすんの?」

 玲菜が嘆くと、さすがにレオも悪いと思ったのか提案を出してくる。

「首隠れる服あるから、それを持ってこさせる。その服着ろよ」

「ううっ」

 彼の使用人に手間かけて悪いと思う玲菜。それでも、提案には乗る。

「分かった」

 玲菜がベッドから下りると彼も一緒に下りて、「そういえば」と大事なことを告げた。

「っていうか、今日、オヤジ呼ぶから。お前はその……オヤジと一緒に家に帰っていいぞ」

「え?」

 もっと長く一緒に居るのかと思っていた。

「か、帰っていいって……」

「うん。だからさ、俺はまた忙しくなって、戦関連の用事だとお前は連れていけないから」

「え? じゃあ、私、レオの部屋で待ってるよ」

 彼から「傍に居てほしい」と言われたのだが、玲菜自身も傍に居たかったので腑に落ちない。

「でもお前、退屈だろ?」

「大丈夫だよ、暇だったら部屋の掃除とかしてるし」

 玲菜の言葉に、レオは止まったが。やはり駄目だと首を振る。

「ホントに、部屋に戻れるのが夜かもしれないし。そんな待ってられないだろ」

「ま、待ってるよ! 本とか読んでる。私、できるだけ一緒に居たいの。せめて、この先レオと別れる時までは……」

 必死に告げた玲菜のセリフには、レオが気になる単語が入っていた。

 

「俺と別れる……?」

 

 聞き間違いかと。いや、言ったとしても他愛のない意味合いだと……思った。

 

 だが、聞き返した時の彼女の表情が尋常じゃなかった。

「あ、あ、あの……私……」

 声が震えている。

「え? どうしたんだよレイナ。別に、深い意味じゃないだろ? 別れるって。オヤジの家に帰るとか、そういう意味合いで使った…」

「違うの!」

 本当は、誤魔化そうとした。

 けれど、それは卑怯だと思った。

「違うの……レオ……」

 いつまでも彼に本当のことを言わないのは最低だ、と。

 

「私、レオとずっと一緒には居られないから」

 

 いや、もしかしたら、このタイミングで言うのは最悪だったのかもしれない。

 それでも、玲菜は告げた。

「私、自分の世界に帰らなきゃいけなくて」

 

「え?」

 

 彼の反応は正しい。

「何?」

 当然理解できない。

「何言ってんだよ?」

「私あの、信じられないかもしれないけど……」

「レイナ!!

 レオはもう一度訊いた。

「何、言ってんだよ、お前。帰る?」

 彼は理解できなくて自分なりに解釈する。

「田舎に……ドイツに帰るってことか?」

「ち、ちがっ! レオ」

「故郷に帰るから、俺とは別れるって?」

「あ、あの」

「別れるってどういう意味だよ」

 彼が段々動揺してくるのが分かる。

「離れるって意味か? つまり、あまり会えなくなる、みたいな」

「あまりっていうか」

 俯いてうまく答えられない玲菜の肩を掴むレオ。

「それとも、俺との関係を清算する意味の『別れる』か?」

 玲菜は何も答えられなかった。

「レイナ! 俺の方を見ろ!」

 怒鳴られて、ビクッとしながら顔を上げる玲菜。

 彼は怒っているわけではなく、今までにないくらいの真剣な表情で伝えた。

 

「本当は、もっとちゃんと言いたかったんだけど。……結婚しよう、レイナ」

 

 

 今……なんて……言ったのか……

 

 彼の青い瞳から目が離せない。

 

 人生で最も嬉しくて最も儚い言葉がそこにあった。

 

 涙を溢れ出させるには一回のまばたきで十分だ。

 玲菜は自分でも信じられないくらい涙を零して、崩れるようにその場に座った。

「お、おい。レイナ!」

 彼の呼びかけに何も応えられない。

 レオは自分も膝をついて玲菜の目線に合わせる。

 そっと頬に触れて涙を拭いた。

「レイナ。……返事は?」

 口を開かない彼女を見て、「ああ」と息を漏らすレオ。

「ごめん。やっぱ早すぎだよな。返事なんて、すぐにできないよな。ただ、勢いとかじゃなくて、本気でお前と結婚を考えているから。お前も考えてくれよ」

 どうやら相当焦っているらしい。

「あ、えっとな。返事はすぐじゃなくてもいいんだよ。いや、早い方がいいけどさ。俺も、いや、ホントに。何言ってるんだ」

 レオは自分で混乱しているらしく、一度間を置いて頭の中を整理してから言う。

「本当は、花も指輪も用意して、ちゃんと計画練ってから言いたかった。お前が故郷に帰る予定だっていうのはなんとなく分かってて。その前に、とは思ってたんだけど。中々時間も無かったし。まさか、こんな早くお前が帰るって言うとは思わなくて」

 彼は、玲菜が故郷の田舎に帰るものと思っているらしい。

「でも、結婚は最初から思ってた。お前は俺の身分関係なく付き合ってくれただろ? 俺にとっては、お前しかいないっていうか、お前しか考えられない」

「レオ……」

 やっと、玲菜は声を出せた。

 そして、次に言うのは残酷な返事。

「私、レオとは結婚できない」

「え?」

 彼が、玲菜の返事をまともに受け取れないのは無理もない。

「俺が、皇子だからか?」

「ううん」

 首を振る玲菜に、まったく納得がいかないレオ。

「それとも、そこまで好きではない?」

「そんなことないよ! レオのことは凄く好きだよ!」

「俺のことは好きだけど、結婚となると不安か?」

「そうじゃなくて」

 そういえば、とレオは思い出した。

「まさか、前に魔術師が言った占いを信じているのか? あんなのはでたらめだぞ」

「レオ……」

 玲菜がボロボロと泣いていると、レオは彼女の手を掴む。

「レイナ、お前が望んだら、俺は“皇子”を辞めたっていい。お前は以前、そういうことを言っていたじゃないか。あれは不可能じゃない。名誉も金も復讐も、そういうのを全部捨ててお前と暮らすよ」

 

「違うの! レオ!」

 

 玲菜は精一杯の声で言った。

「ドイツじゃないの。私の本当の故郷は日本の埼玉なの!」

「え? ニホン? 何? どこだ? どこの集落?」

「集落じゃないよ。国だよ。この国の昔の呼び名」

 レオには意味が解らない。

「は? 昔? なんだよ、考古研究の話か?」

 首を振る玲菜。

「私、考古研究者じゃないの」

「え? まさか……」

 レオは思いつく最悪の可能性を言う。

「お前、帝国の人間ではない? 工作員……だったとか?」

 自分で言いながら、凄くショックそうな顔をしていたが、玲菜はそれも「違う」と否定をして。

「お願い。私が今から言う事を信じて」

 もう一度話した。

 

「私、過去の世界から来たの」

 それは、彼に初めて告げる真実だった。


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