創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第五十三話:涙]
「カコの世界……?」
レオは玲菜の言ったことが全く理解できなくて訊き返した。
「カコってなんだよ?」
「過去は過去だよ。……大昔ってこと」
玲菜の答えに「ああ、その過去か」と納得して。もう一度訊き返す。
「え?」
過去の意味が分かっても理解はできない。
今、玲菜は『自分は過去の世界から来た』と、そう言った。
「どういう意味だ?」
涙を拭き、真剣な表情で玲菜は言う。
「つまり、タイムスリップってこと」
「タイム……? なんだ?」
「要するに時空移動ってことで」
「ジクウ移動?」
彼には全く話が通じない。
いや、それが当たり前か。多分、話の通じたショーンが特殊なのだ。
信じてもらおうと思ったのが甘かった。
「私、この世界……っていうか、この時代の人間じゃなくて。最初、自分の部屋で小説を書いてただけなんだけど」
必死に玲菜は説明する。
「その小説が盗まれて、盗んだ人物を追いかけたら時空移動しちゃって。気付いたらレナの聖地に居たっていうか。……あ、その小説っていうのが、伝説の剣とせ…」
「レイナ」
レオは俯き、静かに言う。
「もう少し、意味の分かる話をしてくれ。つまり、何が言いたいんだよ、お前は」
「だ、だから、私は……」
「過去とか時空ナントカとかいいから! 俺は、お前の気持ちが知りたい!」
「わ、私は……」
自分の本当の気持ちを伝えようとするとまた涙が出てしまう。
「私は、レオが好き」
けれど、いくら好きでもどうにもならない。この世界を壊すことはできないし、何より、“出会っていなかったこと”になるのはもっと嫌だ。帰らなければ。
レオは、真意はともかく、玲菜の気持ちを感じ取って訊く。
「でも、結婚はできない?」
玲菜は、彼の方は見られずに、俯いて涙を流したままゆっくりと頷いた。
「そうか」
落ち込んでベッドに腰を下ろすレオ。
「俺は、お前がたとえ帰らなきゃいけなくても、プロポーズすれば引き留められると思っていたんだ」
肩を落として下を向く。
「……自惚れてた。そうではなかったんだな」
「あ、あの、レオ……」
様々な言い訳が思い浮かんだが、結局『別れる』ことには変わりなくて、何も言えない玲菜。
彼はまだ理解していない。けれど、理解したからといって何か変わるのか。
精々『仕方ない』『自分のせいではない』と彼に無理やり納得してもらって、自分の気が軽くなるだけだ。
彼を傷つけるのは変わりないのに。
もしも、『自分は元の世界に帰るけど、一緒に来てください』と言えば彼はついてきてくれるだろうか。
きっと今の彼ならばついてきてくれると言うだろう。
そして、周りの人間のことなどすべて無視して駆け落ちができるかもしれない。
ショーンのことも無視して、自分たちだけは幸せになれるかもしれない。
いや、おじさんはそれでも祝福してくれるだろう。
なんて、一瞬考えた後、自己嫌悪した。
自分勝手はもちろんのこと、彼の存在を一体どうしようというのか。
可能かどうかも……
いや、多分不可能だ。
彼は皇帝になる運命。
駄目だ。何も言えない。
……そう、一度思ったが、玲菜は首を振った。
(違う。今までだったらそうやって諦めてたけど、ちゃんと言わないと、相手には伝わらない)
口をつぐんではいけない。隠していたことをすべて話さなければ。
「レオ。信じられないかもしれないけど、私は、『伝説の剣と聖戦』の作者なんだよ」
「え?」
いきなり何を言うのかと、彼は思っただろうか。
「シリウスもレナも、私が作ったの。女神アルテミスも。名前だけは元々ある神話から借りたけど」
「は? 今度は何を……」
「それで、私は創世神らしいから」
話しても、きっと彼は信じない。いや、信じられない。それは分かっている。
「私は、自分の時代に戻って、小説をこの世界の文明が始まった頃に送らなきゃいけないんだ」
そもそも、話が理解できないはず。
「その為に、今までショーンと鍵を探していたの。戻るための鍵を」
「オヤジ……?」
彼の顔色が変わった。
「なんでオヤジが? え? オヤジはお前のその、わけの分からん話を知って……信じているのか?」
玲菜は頷く。
「うん。最初から信じて協力してくれた。創世神とか小説のことは最近……っていうか、私自身も知らなくてシドゥリさんに聞いてからショーンに教えたけど。過去から来た話は最初に教えて」
「シドゥリから聞いた? あの時、お前が具合悪くなった時?」
「うん」
「っていうか、オヤジには最初から話していて、俺にはずっと隠していたのか」
それを言われると辛い。
「だって、レオはそういう話を信じないからって、ショーンに言われて」
「信じられるかっ!」
やはり、彼にそう言われた。
「信じられるわけねーだろ! お前が過去の人間? 神話の作者? 創世神?」
レオは頭を押さえる。
「もう、わけ分かんねーよ! もっと分かる話をしてくれよ。もしも、俺に愛想尽かせて別れたいって言うんだったら、それの方がまだ理解できる」
「あ、愛想尽かすなんて…」
その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
レオが返事をすると「食事の用意」を訊ねる給仕の声が聞こえたが、皇子は「後でいい」と断った。それは通常ありえないことで、彼の使用人たちの間で「皇子の具合が悪いのではないか」と心配をされることになる。
その影響は後日にあるとして、現時点はそれどころでなく。
玲菜はもう一度言う。
「愛想尽かすなんてないよ! 私、こんなにレオのこと好きなのに」
自分の本音を言ったつもりだったが、こちらを向いた彼の眼が今まで見たことも無いような冷たい目をしていたので愕然とした。
彼は黙っていたが、その瞳だけで絶望を感じる。
(レオ……!)
「俺は、今までお前を疑ったこと無かったんだけど。なんていうか、何を信じればいいのか分からない」
レオは表情を変えずに告げる。
「でも、お前のことは信じたい。……ただ、頭の中が真っ白で。どうにもならない」
一瞬、感情が無くなってしまったのかと――思った。
「レオ……私……」
「お前は、こうなることを分かっていたんだろ?」
そう、自分はこうなることを分かっていた。
分かっていて、悩んで、どうにもならなくて。
彼がショックを受けることも。
――分かっていた。
(私は、分かっていたんだ)
何が“彼を守る”だ。
本当は、自分が一番彼を傷つける。
何が“信じて”だ。
彼が、何を信じればいいのか分からなくなるのは当然だ。
“彼はきっと自分を信じてくれないだろう”と、自分が彼を信じずに隠した。
結果がこれだ。
先に疑ったのは自分の方だ。
まるで独り言のようにレオは呟いた。
「悪いんだけれど。しばらく、一人にしてくれ」
「しばらく?」
「ああ。当分。……ちょっと色々と考えたいから。いつまでかは分からないけど」
これは、実質、彼からの別れの宣告だと玲菜は受け取った。
そして、自分はそれを受け入れなくてはいけない、と。
「うん。……分かった。じゃあ……私は帰るね」
どんなに辛く哀しくても。
つい数十分前までは、まさかこうなるとは思えないほど仲良くしていて。
突然あっけなく崩れるとは思わなかった。
夢だったらいい。
たったの数十分前がこんなに尊い。戻りたくても戻れない時間。
玲菜は無言で部屋を出ていく用意をする。彼は一切こちらを向かなかったので隠す必要も無く坦々と寝間着を脱いでメイド服に着替えた。
「すぐオヤジを呼ぶ。城門で待ってるといい。荷物はあとで全部届けさせるから。俺の屋敷にあるお前の服も」
これからどうなるのか。空虚感を覚えながら、玲菜は彼の配慮を断った。
「ショーンは呼ばなくていいよ。自分で歩いて帰れるから。時間もあるし」
この部屋で使った少ない荷物だけ持って、玲菜はこちらを向かない彼に訊いた。
「レオは帰ってくるの?」
「……忙しいから。分からない」
多分帰ってこないのだろう。
なんとなく玲菜は悟り、別れの挨拶もせずに彼の部屋を出ていく。
正式に『別れ』を告げられたわけではない。けれど――
失ってしまった。すべて。
どれだけ涙を流しても意味が無い。
もしも、このまま彼と会えずに元の世界へ戻る鍵を手に入れたら。
まさか、これが最後の別れか。
その可能性もある。
もう、二度と会えないかもしれない。触れることも。声を聞くことも。
せめて、元の世界に帰るその日までは一緒に居たかった。
彼との思い出が甦る。
この世界で、最初に自分を発見してくれたのは彼だったのだという。けれど、出会いは最悪で――
不安な気持ちのまま一緒に住むことになった。
それが、彼のことを好きになったのはいつだっただろうか。
彼が怖い人間ではないと知ったのは割とすぐに。一緒に出掛けて、助けてもらって。
だらしがないとか子供っぽい欠点があったが、本当は優しい人なんだと分かった。
戦を通じて、彼が本当は重圧を抱えていることも。
辛い過去だって。
自分は、彼が抱えている物を少しでも軽くしたかった。
いつも助けてもらってばかりだけど。支えになりたかった。
両想いになって、たくさんの幸せと温もりを貰ったが、自分も同じだけ与えたかった。
彼は『抱きしめてくれる』と……泣きたい時はいつだって抱きしめてくれると、そう言った。
“愛している”とも。
言葉だけでなく、本当に包み込んでくれた。優しく、時に力強く。
彼はあんなに自分を大事にしてくれたのに。それを、自分から――失ってしまった。
(どうしよう……涙が止まらない)
もう彼の胸では泣けないのに。
人が通る前に涙を止めないと。
玲菜はしばらく皇子の部屋の前で立ち止まっていたが、無理やりにでも涙を拭いてとぼとぼと廊下を歩き始めた。
自業自得のくせに、悲劇のヒロインぶっていられない。
泣くなら、家に帰って大泣きすればいい。
そう思い、涙を堪えて玲菜が歩いていると、一人の女性が駆け寄ってきて声を掛けてきた。
「あの、ちょっといいですか? 貴女、今、アルバート皇子の部屋から出てきましたよね?」
「え?」
振り向くと、そこに居たのは茶色い髪の十七、八の女性で、少し離れた場所に数人の女性たちもいる。
もしや自分とレオのことがバレたのかと、玲菜は焦ったが、茶髪の女性はコソッと耳打ちする。
「もしかして、アルバート皇子の所のメイドさんかしら? ねぇ、皇子の様子はどうですか?」
「え? え?」
戸惑っていると、近くに居た数人の女性たちの中から一人、金髪の美少女がこちらにやってくる。
「アルバートお兄様は元気ですか? お体の具合が悪くなければいいけれど」
赤い着物姿のその少女はなんと、レオの異母妹《いもうと》であるクリスティナであり。
どうやら、玲菜のことをレオのメイドだと勘違いしたクリスティナが、異母兄《あに》を心配して侍女に声を掛けさせてきた様子。
「あ、あの、えっと……」
レオとのことで動揺していた玲菜は、突然の質問にうまく答えられず、しかも、クリスティナは玲菜の姿をじっと見て何かに勘付いた。
「あら? 貴女、見たことが……?」
更に、玲菜の首元を見て心配する。
「ど、どうしたのですか? その首の赤い跡は」
気付いたのは茶髪の侍女だ。
「ひ、姫様!」
なんて言えば良いのか分からないらしく慌てる。
もっと慌てたのは当然玲菜で。
「あ、あ、いえ、違うんです、これは!」
とっさに首元を荷物で隠す。
侍女には絶対にキスマークだとバレた。ついでにアルバート皇子との関係もバレたかもしれない。
一方、十五歳の純真無垢なクリスティナにはそれがなんなのかバレなかったが、玲菜が誰であるのかはバレてしまった。
「あ! 思い出しました! 貴女、確かお父様に勲章を貰った方!」
お父様とは皇帝陛下のことだ。
彼女が言っているのは祝賀パーティーの時のことで、あの場に玲菜一人しか女性が居なかったので注目して憶えていたらしい。
「ということは、貴女、アルバートお兄様の……」
そこまで言って、クリスティナは口をつぐみ、茶髪の侍女に何かを伝える。侍女は頷き、皇女の代わりに玲菜を誘ってきた。
「もしよろしければ、クリスティナ様が貴女とお話をしたいと仰っています。今、時間はありますか?」
「え?」
びっくりするような話。
しかし、どうせ暇だった玲菜はその誘いを受けることにする。
承諾すると、クリスティナは女性たちと歩き始めて茶髪の侍女が玲菜を誘導した。
一度外へも出て、宮廷の奥へ奥へと歩き続ける。
やがてたどり着いたのは、恐らく後宮と呼ばれる場所のクリスティナの部屋。
花柄の壁やレースのカーテン。豪華な天蓋付きベッドにフリルの可愛いクッションやたくさんの人形など。玲菜が想像する如何《いか》にも“お姫様の部屋”にて。
皇女と向かい合わせで座るテーブルには紅茶と菓子が用意される。
玲菜はメイドの格好なので、傍《はた》から見ると何か異様なのだが。……と、思ったら、クリスティナがズバリ訊いてきた。
「あの、レイナ様はどうして、その様な格好をなさっているの?」
ちなみに名前は先ほど紹介した。
「あ、あの、この格好は……」
なんて答えようか。と、悩んだが、彼女は恥ずかしそうにコソコソと訊いてくる。
「やっぱり、アルバートお兄様の傍にいる為ですか?」
しかもバレている。
恥ずかしさと哀しさが混ざって顔を赤くする玲菜に、申し訳なさそうな顔をした。
「実は私、レイナ様がお兄様の秘密の恋人だと、フェリクス様から聞いて……あ!」
慌てて口をつぐんだクリスティナは「フェリクスの名は聞かなかったことにしてくれ」と頼んできた。
そうだ。鳳凰騎士団長のフェリクスは、シリウス軍の時はレオの部下で、きっと皇子に付き添っていた娘の姿は見ている。一時的に特別扱いされていたことも。そしてその話を、流れによっては婚約者に話すことだって。
ただ、話した理由は分からないが、さすがにフェリクスは口が軽いと思われても仕方ないので、婚約者の名誉を傷つけないためにも、「聞かなかったことに」と、彼女はフォローを入れてきた。
玲菜が「はい」と頷いたことで安心した皇女は興味津々にもう一度確認する。
「それで、レイナ様は本当に、お兄様の恋人?」
たった今、別れたとはいえない。厳密に言うとまだだが、同然というか時間の問題というか。だが、一応頷いておくことにする。
クリスティナは「まぁ!」と嬉しそうに話す。
「では、本当に、お兄様の傍に居るためにメイドのフリをしているのね! 素敵」
彼女は喜んだが、表情を曇らせて訊いてくる。
「でも、アルバートお兄様は元気ですか? 昨日あんなことがあって、落ち込んでいないかしら?」
玲菜は改めて、自分が最悪だと思い直した。
昨日は彼にとってショックな出来事が起きた。一番信頼している部下の朱音が陛下毒殺の疑惑が持たれて拘束されたのだ。それに、父親の死も。
そんな精神的に打撃を受けている矢先に、追い打ちをかけるように秘密をバラさなくてもよかった。
(ああ)
また自己嫌悪に陥る。
しかし落ち込んでいる場合ではなく、質問に答えなければ。
「アルバートは、昨日の事件の後は思ったよりも平気で。ただ、今はもう分かりません。別のことで落ち込んでいるのかも」
自分とのことで。
「別のこと?」
彼女の次の質問に、玲菜は頷いた。
「さっき、あの……私と……」
「もしかして喧嘩ですか?」
喧嘩ではない、か。
しかし、なんて答えれば良いかも分からないので「そういうこと」にしておく。
「は、はい。私が――彼を傷つけて」
「まぁあ〜!」
なんだか興奮したクリスティナは顔を赤くして話に食いつく。
「お兄様とまともに向き合える女性は初めてですわ! お兄様が婚約を断った理由も頷けます。貴女のことがとても大事だったからよ」
その言葉を聞いて、十五歳の少女の目の前だというのに、つい涙を零してしまう玲菜。
「どうなさったの?」と訊かれて、堪えられなくて話してしまった。
「私は、彼を傷つけたから、もう一緒に居られない」
「レイナ様……」
クリスティナは慌てて顔を覗きこむ。
「なぜ、一緒に居られないのですか? 二人とも愛し合っておられるのに?」
「愛……」
愛し合うなんて、自分らはそんな大層な間柄だっただろうか。
(愛ってもっと、夫婦とか、親子で使うものなんじゃないの?)
たとえば、長く付き合っていた男女の片方が恋人に結婚を申し込む際に「愛しています。結婚して下さい」と言う、みたいな。
そこまで想像して、玲菜は切なさが増した。
「愛している」も「結婚しよう」も彼に言われている。
(ああ、レオ……)
彼はきっと、――自分を愛していてくれた。
出会ってたった三ヶ月半……付き合ってからに至ってはたった三、四週間しか経っていないと、よく期間ばかりを気にしていた。
そうじゃない。
以前、彼に言おうとして結局言えなかった言葉。さっきだって。
(私も多分……)
「私も、愛していたのに」
こんな大事なことを、彼に伝えていない。
「レイナ様。それは、本人に言うべき言葉ですわ」
クリスティナの言葉が心に響く。
「で、でも、もう……」
少なくとも、しばらくの間は彼に会う術《すべ》が無い。彼は「一人にしてくれ」と言った。つまり会いたくないということ。しかも、当分と言ったので、“距離をあける”とも解釈できる。
「会えないから」
「なぜですか!」
クリスティナが玲菜の手を掴んで迫ってきたので驚いてしまう。
「え? え?」
「会えないというのは、どういうことですか?」
「あ、えと……」
玲菜は説明する。
「レ…アルバートが、『当分、一人にしてくれ』って言ったの。いつまでかは分からないけど、どっちにしろ私はお城に入れないから。待つしかなくて。ただ、こ、故郷に帰るので、ずっとは待っていられない。……です」
一応彼女には“故郷”とした。
十五歳の娘は、彼女なりに一生懸命考えて、提案を出してくれた。
「あ! では、こういうのはどうでしょう? レイナ様が私の話し相手《コンパニオン》になる、と」
「コ、コンパニオン?」
接待をする女性のイメージが思い浮かぶ玲菜。
「話し相手のことですわ。侍女も居ますけれど、レイナ様は侍女ではないので要するにお友達ってことで良いですか?」
「友達?」
まさか、皇女からの。
「ええ。そうすれば、後宮に呼ぶことができますし、お兄様に会いたいのならその時に」
ありがたいが、戸惑う玲菜。
「あ、でも、私が会いたくてもアルバートが……」
「では、遠くから見つめるという手もありますわ!」
遠くから見つめるとは、まるで片想いか。しかし、と玲菜は考える。
(このまま二度と会えないよりはましかも。ちょっとストーカーっぽいけど、レオの姿だけでも見たい。っていうか、現状、片想いからやり直してもいいのかな?)
もちろん、『別れ』が待っているので、未来の無い期間限定の片想いだが。
今はどうしても彼への想いを断ち切ることはできない。
玲菜はクリスティナの提案に甘えることにした。
「ありがとうございます。なんか、さっき会ったばかりなのに優しくしていただいて嬉しいです」
「いいのですよ! 私、お兄様の話も色々聞きたいですし、レイナ様と……こ、恋のお話もしてみたいです」
頬を赤らめてクリスティナは言う。皇女で婚約者が居てもまだ十五歳。やはり恋愛系の話は好きなのだ。
玲菜は「はい」と返事をした。
「私も、フェリクスさん……フェリクス様とのお話を聴きたいです」
「わ、私とフェリクス様はまだそんな……。フェリクス様は素敵な大人の男性ですが、私はまだ子供なので」
照れる美少女は可愛いと思いながら、玲菜は改めて挨拶をした。
「あの、よろしくお願いいたします」
「ええ。こちらこそ。私は結構暇なのですが、レイナ様はいつならお呼びしても平気ですか?」
「あ、いつでも」
「あら、じゃあ毎日お呼びするかもしれませんわ」
玲菜とクリスティナはその後少しの時間、他愛のない話をして過ごした。
そして、昼頃になり、玲菜は一旦家に帰ることにする。クリスティナに別れの挨拶をして、外に出て、流れ吹く風を感じながら歩く。
レオの部屋を出た時はこの世の終わりのように落ち込んでいたが、皇女のおかげで大分、気が紛れた。元気を取り戻したわけではないが、俯かずに歩ける。涙ももう乾いた。
(ちょっとお腹空いたかな)
食欲はあまりないが、朝からほとんど食べていなかったのでそう感じる玲菜。
(どっかで食べて帰ろうかな)
なんとなくだが、これからショーンの家に帰るのに少し抵抗感。
前にショーンは『レオと気まずくなっても家を出ていくな』と言った。今がその“気まずい”……いや、それ以上な時で、恐らく帰ってこないとはいえ思い出の詰まる家に帰るのは辛い。
(どうしようかな。ミリアの所に寄っちゃおうかな)
場合によっては、彼女の家に泊めてもらうことも。
考えたのだが、城門の所に立つ人物に気付いて足が止まる。
(ショーン?)
通路の壁には、五十歳くらいの男性が寄り掛かって誰か人を待っていた。
鬚を生やした彼がこちらを向くと、玲菜に気付いて「ニッ」と笑う。
それはいつものおじさんの得意な笑顔。
その笑顔が優しすぎて、玲菜は乾いたはずの涙がはらはらと出てきた。足が動かずにその場で止まってしまう。
ショーンは玲菜に近付き、そっと頭を撫でた。
「ショーン……ショーン……」
泣きじゃくってうまく言葉が出ない玲菜を自分に引き寄せる。
「うん。分かっているよ、レイナ」
「ショーン、私……」
彼は何もかも分かっている風に頷く。
「よく頑張ったな、レイナ」
「ううぅ……ううっ……」
言葉にならない。
玲菜は、おじさんの胸で声を漏らしながら泣いた。
そんな彼女を優しく包んで、おじさんは頭を撫でる。
「家に帰ろう。飯作っといたから」
玲菜は家に帰って食事をしてから、ショーンにすべてを話した。
皇帝のこと、朱音のこと。
そして、彼にプロポーズされて断ったこと。自分の秘密を打ち明けたこと。
彼に「一人にしてくれ」と言われて帰ってきたこと。
帰る前にクリスティナと仲良くなったこと。
ショーンはいつものように、黙って話を全部聴いてくれた。食後の茶を飲み、時折ウヅキを撫でながら。
「――うん。大体分かったよ」
話を理解して頷くショーン。
「やっぱり、……そうなったな」
彼はこうなることをある程度予想していたのか。
「レオがプロポーズしたってのは、ちょっと驚いたけど。でもまぁいずれは……」
おじさんは「うん、うん」と頷いてギクリとするようなことを言ってきた。
「まぁ、キミらが駆け落ちしなくて良かった」
それは玲菜が一瞬考えたことで、なんていうか……鋭い。
「しかし朱音さんがねぇ……困ったな」
そう、朱音のことも深刻だ。
「私は、そんな大変な時にレオを……!」
顔を青くする玲菜の肩を叩くショーン。
「大丈夫だよ。朱音さんの補佐は朱音さんの部下と黒竜さんがしっかりやるだろ。それに、アイツがそこまで深刻そうにしてないなら、彼女を釈放させる何か案があるのかもしれない」
「案?」
「多分」
何か良い策があるのならいいのだが。それでも落ち込む玲菜におじさんが言う。
「なんなら、おじさんが何か方法を考えてやる」
一瞬賛成しそうになった玲菜は、慌てて首を振る。
「駄目だよショーン! ショーンは色んなこと抱え過ぎ」
敵地にある“鍵”を手に入れる方法や、軍師としての戦略も考えているに違いない。その上、朱音を救出する方法までなんて。
「ああ、まぁ、じゃあ余裕があったら考えるよ」
そう言って、ショーンは天井を仰いだ。
「どうすっかなー。一度レオに会わねーと。レイナの話の様子だと、アイツ当分は帰ってこないだろ」
「ごめん」
「いや、仕方ねーから」
面倒くさそうに頭を押さえて溜め息をつく。
「じゃ、まぁ、軍師として城に行くかな。どうせもう呼ばれてる。レイナも姫さんのとこに行くならちょうどいいし」
ショーンは立ち上がり、玲菜に優しく声を掛けた。
「レイナも、一旦落ち着くために今日はもう風呂入ったりのんびり休めよ。家事はいいから。もしかしたらすぐにでも姫さんの使者が来るかも。城に行くなら一緒に行こう」
「う、うん」
彼は部屋を出ていき際に言った。
「あ、そうだ。今日、俺を玲菜の迎えに呼んだのはレオだからな。アイツなりにちゃんと気遣ってる。今はまだ混乱しているだろうけど、キミのこと嫌いになったわけじゃないから、安心して」
……それは、玲菜も分かっている。
「うん」
小さく頷いて、玲菜は涙を浮かべた。
ショーンが城門に居た時に、優しい笑顔に安心したのもあるが、同時にレオが呼んだのだと分かって、嬉しさと切なさで泣いた。
いくら嫌いじゃなくても、もう元には戻れない。
ショーンは、玲菜の肩が震えているのが分かったが、そっとしておいた方がいいだろうと、部屋を出た。
いつか彼女たちが幸せになれればいいと、願って。