創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第五十四話:皇女のお茶会]

 

 もし、俺がすべてを捨てて。

 お前と一緒に逃げたいと言ったら。

 お前はついてきてくれるか? レイナ。

 

 

 いつだったか……彼女に訊こうとしてやめた言葉を思い出した。

 いつだっただろうか。

 確か、恋人になってまだ間もない頃のデートで。

“捨てる”とか“逃げる”なんて、本当は選択肢に無いけれど。彼女がどう答えてくれるのか気になって。

 そんなに遠い記憶ではないのに、もうずいぶんと昔のような気がする。

 そうだ。

 あの時すでに彼女は“秘密”があると言って泣いていた。

 それが、今朝話した事だったのか。

 

 宮廷の中の、自分の部屋のベッドで横になりながら、レオはふとそんなことを思い出していた。

 上質なのに寝心地の悪いベッド。

 酷く息苦しい。

 昨夜は全くそんなことはなく、心地好く寝られた。

(アイツが居たからか)

 しかし、彼女のせいで今眠れないのも事実。

「いてっ……」

 昼間、訓練の時にうっかり怪我してしまった足が痛む。普段はこんなことは無いのだが、今日はあまりに考え事をしていて。

 ずっと、彼女のことを。

 泣いていた彼女の姿が目に焼き付いて離れない。

 泣いていたけれど、抱きしめることをしなかった。

(過去ってなんだよ、一体)

 過去から来た、と彼女は言った。

(っていうか、それが意味わかんねー)

 他に、どこから来たと言っていたか。

(なんだっけ……ニ……ニホ……?)

 彼女の言葉をよく思い出す。

(なんだっけ? この国の……大昔の?)

 もしかすると、と思い、レオは飛び起きた。

(大昔の名前? だっけ?)

 もしも、彼女の言っていることが本当ならば、調べれば本に載っているかもしれない。

 半信半疑だが。もし、彼女の言った名前が本に載っていたら、信じられるか?

(いや、アイツは考古研究者だぞ。そういうの、自分の知識で言っているのかも)

 そこまで考えて、彼女が『自分は考古研究者ではない』と言っていたことを思い出す。

(そうか。嘘だったんだ、考古研究者は)

「ああ」

 やはり頭が痛い。何を信じればいいのか分からない。

 それに……

 たとえ、過去から来た意味が分かったとしても、『帰る』ことには変わりなく、プロポーズも断られた。

(そうだよ。俺が解った所で、アイツは別れる気満々じゃねーか)

 それでも、彼女は自分のことを好きだと言っていた。

 レオは呟く。

「俺だって……お前のことが好きだ」

 彼女はこの場に居ないのに、つい。

「好きで堪らない」

 なのになぜ、一緒に居られないのか。

「わっかんねーよ」

 レオは溜め息をつき、もう一度横になり布団を被った。

(もしかして俺、振られたのか?)

 一人になりたいと言ったのは自分だが、求婚を断られた時点でそうだ。『一緒に居られない』とも言われた。

(……振られたのか)

 気付いた途端、空虚感が増す。

 

 レオはその夜、眠れずにずっと玲菜のことを考えてベッドにただ横になっていた。

 

 

 

 眠れなかったのは玲菜も同じく。一夜明けても涙は乾かずに彼女の頬を伝わせる。

 自分の心とは裏腹に外は良い天気らしく、高い位置の窓から射す陽の光を浴びて玲菜は起き上がった。

(もう朝だ)

 このままベッドで横になっていても眠れる気がしないので、起きて顔を洗うことにした。

 いつもなら彼が朝風呂をしているはずの静かなバスルームに入る。

 やはり彼は帰ってこなかった。もしかすると……と、小さな期待もしたのだが、そんなはずはなかった。

 洗面台の鏡で自分の顔を見て、目の赤さと目の下のクマに溜め息をつく。

(やっばい。ショーンに絶対心配される)

 

 その予想はまんまと当たって、朝食時にショーンは新聞も読まずに玲菜の顔ばかりを窺った。

「た、頼むから。思いつめないでくれよ」

 玲菜は食欲があまりなかったが、ショーンに気を遣って無理にでも食べる。

「大丈夫だよ。ホラ、ご飯も食べられるし。夜はどうしても考えすぎちゃって眠れなくなるけど」

 ふと、ショーンの持つ新聞に目をやると『戦』の文字が。

(戦争もまた、始まるかもしれない)

 皇后も、皇帝陛下の死の情報が漏れるのは時間の問題で、それを機に攻められるから戦は近いと言っていた。

(レオがまた戦場に行っちゃう)

 こんな時に朱音も居ない。

 玲菜が不安そうに俯いていると、ショーンが心配そうに顔を覗きこんだ。

「ホントに平気か? 顔色悪いぞ?」

「あ、うん。これは……戦争が心配で。回避できないことなのかな? って」

 目の前にあるおじさんの顔にはシワと一緒に小さな傷が幾つかあり、恐らく戦で付いたものと予想できるが、一つだけ他のより目立つ傷が左目の目蓋から頬にかけて縦に付いていた。目立つといっても今まで気にかけなかったのだが、よく見ると頬骨辺りにあるもう一つの小さな傷と十字になっていて、偶然昨日聞いたレオの話を思い出した。

「ショーン、その傷って」

「え?」

「レオを助けた時に付いた傷なの?」

「あー」

 ショーンは照れくさそうに縦の傷を触る。

「これは……うん。助けたっていうか、ま、戦場で付けた傷だよ」

 そして続けて頬骨の方の傷に触れた。

「こっちは戦争じゃないんだけど……」

 途端に何かに気付いた顔をする。

「あれ? ちょっと待てよ? この傷を付けた奴は、どこで……あの情報を?」

「え? あの情報って?」

 不思議そうに玲菜が訊くと急に慌て出す。

「ああ、えっと……その……ちょっと、おじさんの個人的な話」

 うまくはぐらかされたような気もするが、おじさんにも色々あるだろうと思って追求はしない玲菜。ゆっくりと朝食をとり、本日は掃除や洗濯で時間を費やそうと心に決める。家を空けて二、三日しか経っていないのだが、家事に集中している間は余計なことを考えずに済むと思って。

 

 しかし、そう思っていたのも束の間。ショーンの予想通り、午前中には“クリスティナ皇女の使者”が家に訪ねてきて『お茶会』なる誘いを持ってきた。それは午後で、ちょうどショーンも城に行くと言うので誘いを受ける玲菜。

 家事は午前中で終わらせて昼食をとった後に、用意された馬車でショーンと共に城へ向かう。

 着くとショーンとは別れて後宮に向かい、クリスティナの侍女に出迎えられて皇女の部屋に入った。

 

 

 部屋ではクリスティナがすでに席に着いて待っていて、玲菜の分の紅茶や菓子も用意されている。簡単な挨拶を交わしてから玲菜は席に着き、早速話し始める皇女の話を聴いた。

「私、レイナ様とお話しをしたくて、さっそく呼んでしまいましたわ。ご迷惑ではなかった?」

「いえ! 迷惑だなんてとんでもないです。私もクリスティナ様と話したかったですし」

 敬語が危ういのだが、この際いいか。

 金髪の美少女は、ドレスではなく本日も美しい水色の着物を着ている。

「その着物、素敵ですね」

 玲菜が褒めると彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「私、ヒラヒラのドレスよりもこういった民族衣装の方が好きですの。レイナ様はどう思います?」

「え? わ、私は……」

 正直、着物は持っていない。今はもちろんのこと、元の世界でも。今年の成人式で振袖をレンタルしたが自分では持っていない。

「着物は良いと思います。でも持ってなくて」

 苦笑いすると、皇女は玲菜の服を見て「そのお召し物も素敵ですわ」と褒めてきた。

「い、いえ。私の服、なんか安物ですし。クリスティナ様のお茶会に相応しくない格好ですみません」

「そんな! ……『お茶会』は名ばかりなので、普段着で結構ですわ。それに、値段ではなく、レイナ様の服のセンスが良いと思います」

 服のセンスを褒められると非常に嬉しい。

「あ、ありがとうございます」

“お茶会”は和やかに始まり、美味しい菓子と茶を堪能しながら他愛のない会話が続く。服やオシャレについて話して一息ついた頃、クリスティナは時計を見て思い出したように立ち上がった。

「あ! こうしていられないわ! レイナ様をこの時間に呼んだのはちゃんと意味がありますの!」

「え?」

 クリスティナが動くと侍女やメイドたちが一斉に動き出し、なんだか分からない玲菜の手を皇女が引っ張った。

「外に移動しましょう? 今日は天気もいいし、良いものが見られますわよ」

「良いもの?」

「この時間、いつも外で訓練しているのですよ、お兄様が」

 彼女にとって異母兄《あに》は三人いるはずだが、恐らくレオのことに違いなく。

「え? レ…あ、アルバートを見るんですか?」

 戸惑う玲菜に「ウフフ」と笑いかける。

「心配しなくても、遠くからなので。元々訓練場には近づけませんもの」

「えええ! で、でも」

 見たいのは山々だが、バレたらどうする。

 心配する玲菜に、クリスティナは「良いことを思いついた」と自分の部屋のタンスに向かう。

「ではレイナ様! 変装しましょう?」

 そこには、妙に楽しそうな皇女の顔があった。

 

 

 玲菜は、皇女に言われるがまま青いドレスを着せられて金髪のカツラまで被せられた。

 侍女たちが数人がかりで着替えを手伝ってきたのですぐに変装は完了。

 その見栄えに、皇女は満足して褒め称える。

「レイナ様! 完璧です! 素敵よ! これなら絶対にお兄様にバレませんわ」

 改めて、やはり楽しそうだ。

 着替えている間に、外での『お茶会』の用意は済んだようだ。給仕が部屋に迎えに来た。

 そして、侍女たちを引き連れて皇女が移動する。

 玲菜はその斜め後ろをおずおずと歩き、レオの姿を見ることができるのか期待と緊張をした。

(レオ……訓練しているのかな?)

 前に“サプライズ”として城に来た時、中庭にある剣の訓練場で彼を見かけた。

 あの時彼は訓練を中断して自分の所にやってきてキスを――柱の陰でした。

 彼とキスなんてもう二度とできない。

 今後、元の世界に戻って新たに好きな人が出来たとしてもあんなロマンチックな経験はできないだろうと、漠然と思う。

 そもそも、新たな好きな人ができるかどうかも怪しい。

(絶対レオと比べるだろうな)

 できる気がしない。

 そんなことを思いながら落ち込んでいると、一行は立ち止まり、クリスティナが嬉しそうに声を掛けてきた。

「レイナ様、レイナ様、特等席ですわ!」

 

 そこは、たくさんの花壇がある場所で、どうやらクリスティナの庭園らしく。立派な囲いがあるのだが、階段を設けた高い場所の屋根の下にテーブルと椅子があり。その席からは練兵場や訓練場がばっちり見渡せる風になっていた。残念ながら弓の的場は壁向こうのためにここからでは見られないのだが、レオは弓の練習はあまりしないので問題ないと教えられて玲菜は席に着かされた。

 隣にはクリスティナが座り、二人の正面からは兵士たちが訓練している様が一望できる。もちろん遠いけれど、青い格好の皇子はきっと目立つ。

 そう思った矢先にクリスティナが声を上げて指をさした。

「レイナ様! あそこ!」

 指した先には、まさに青いマントで黒髪の騎士が剣の訓練をしている最中。

 皇女の侍女たちも「素敵」とざわめき、彼が紛れも無くアルバート皇子だと一目で分かる。

 玲菜は紅茶も飲まずにただ、その姿を一心に見つめた。

(レオ……)

 皇子は青いマントを脱ぎ、他の兵士に混ざって剣を振る。たまに実戦さながらの手合せを兵士たちとするので玲菜は怖くて目をつむったが、大抵は皇子が勝ち、庭園に居る女性たちは黄色い声を出して喜んだ。

「やっぱりアルバート皇子は敵無しよね〜」などと喋り、「でも」と皇子の近くに居る巨体の筋肉男を見る。

「なんだかんだで一番強いのはバシル将軍かしら?」

 バシル将軍と聞くと、彼に夢中なアヤメの顔が思い浮かぶ玲菜。

(そうなんだ。バシル将軍の方がレオより強い?)

「それと、フェリクス様も。皇子と手合せすると、いつも寸差で負けるけど、あれは実力を隠していると思うわ」

 侍女たちの会話に自分の婚約者の名が挙がり、照れる皇女に彼女たちは噂話を慎んだ。

 

 玲菜は、遠くに居る彼を見つめて胸が高鳴った。

 見ると切なくなってしまうのではないかと思ったけれど。

 意外と幸せな気分になれた。

 まるで片想いの頃に戻ったような感覚。

(なんか、これで十分な気がする)

 最初から多くを望まなければいい。遠くから彼を見つめられればいいじゃないか。そう思ってじっと見ていると、休憩に入った皇子がふっと庭園の方に目を向けてきた。

 とっさに下を向く玲菜。

 こんなに遠く離れて、しかも変装もしているので気付かれるはずがないのだが。いや、だからこそ万が一、彼が異母妹《いもうと》の様子を見にこちらにやってきたら……

「お、お兄様……?」

 クリスティナが慌てたような声を出す。その声に反応して玲菜が顔を上げると、なんと、本当にレオがこちらに向かって歩いてきている。

「どうして、こちらに? 普段来ることなんて無いのに」

 慌てていても仕方なく、どんどん向かってくる皇子を見てクリスティナが侍女たちに命令した。

「いいこと? 皆。 お兄様に、レイナ様のことが絶対にバレないようにして!」

「はい」

 侍女たちは何食わぬ顔でそれぞれに動き始めて、一人が日傘を玲菜の顔を隠すように差し直した。

 そして、皇子の護衛が急に歩き出した彼に追いついた頃、皇子も庭園の柵の前に来て、そこから異母妹に向かって声を掛ける。

「クリスティナ! 珍しいな。この時間、日差しが強いからいつもなら部屋で茶を楽しむだろうに」

 玲菜は、顔を隠されていても俯いて、レオの声にドキリとした。

「今日はいいお天気ですから、たまには。お兄様こそ珍しいですわね。普段、私がここから訓練を見ていてもこちらに来たことは一度もありませんのに」

「ちょうど休憩に入ったから、たまには、と思って」

 通常、一言二言喋るとレオは戻るはずなのに、一向に戻ろうとしないで話を続けてきた。

「ところで、お前の庭園は男子禁制か?」

 まさかの侵入要請。

 これは断るわけにいかず、クリスティナは焦りながらも自分の召使いに庭園の扉を開けさせた。

 すると皇子は接近して、テーブル越しから顔の見えない異母妹の友人に興味を示した。

「そちらのご婦人は?」

 この流れは、顔を見せなくてはいけないようで、まさに絶体絶命。

 いくら金髪のカツラを被っていても、こんな間近で顔を見られれば絶対にバレる。

 玲菜が泣きそうになって必死に、顔を見せなくてもよい言い訳を考えていると、突如奇跡の助け舟がやってきた。

「シリウス! そこで何やってんだ! サボってんのか?」

 その声は玲菜がよく知る声。軍師として城に呼ばれたショーンだった。

 おかげで渋々庭園から出て練兵場に戻る皇子。

 偶然か……いや、練兵場に来たのは偶然かもしれないが、皇子の姿とクリスティナたちの姿を見つけて直ちに玲菜の危機を理解して、恐らく助けに来たのだと思われる。

 とにかく、ショーンのおかげでバレずに済んで、皇子が遠く離れた後にその場に居た女性たちは皆で安堵の溜め息をついた。

「ああ、びっくりしましたわ。アルバートお兄様は目も良いし、勘も鋭いですからバレてしまったのかと」

 しかしバレなくて良かったと、また訓練の続きを見始める。

 玲菜はショーンの機転に感謝して、遠くから二人を見つめた。

 

 一方、レオはショーンに誘導されて練兵場に戻りながら、動揺した風に小声で話す。

「一瞬……あの金髪の娘がレイナに見えた」

 ひどくうろたえて頭を抱える。

「そんなはず無いのに。アイツがクリスティナと一緒に居るはず無いのに、つい、確認しに行っちまった」

 真相を知っていたショーンは、何も言えずに彼の言葉を聞く。

「だって、金髪だぞ? 髪の色も全然違うのに、アイツに見間違うなんて、俺どうかしてるな」

 レオは自分を落ち着かせるように息をつき、練兵場に戻ると刀を構えてショーンの方を向いた。

「ショーン! 俺と一回、手合わせしてくれ」

 周りがざわつき、訓練していた兵士たちが皆注目をし始めた。

「昔よくやったんだから、いいだろ?」

「あのなぁ。昔っていつの話だよ。俺はもう、この国の平均寿命超えてんだぞ。煙草も吸ってるし」

 ショーンはブツブツ言っていたが、何気なく距離を置いて向かい合わせで立ち、上着を脱いだ。

「ホレ! ご覧通り鎧も何も着ていないけどどうする?」

 何の脅しだろうか。レオは仕方なく刀を木刀に替えて二つ持ち、更に一つをショーンに投げた。

「胸当てだけでも着けろよ、ショーン」

 木刀を受け取って、ショーンはニッと笑う。

「大丈夫だよ。お前は俺のことを打てないから」

 これは挑発か。

「そんなことねぇよ。あばらが二、三本折れたって知らねーからな」

 皇子が構えると、ショーンも「やれやれ」という風に構えて、周りが静まり返った。

 

 びっくりしたのは遠くで見ていた玲菜たちで、何やらレオとショーンが対峙している様子にハラハラする。

(え? レオとショーン、何するの?)

 玲菜が心配した矢先に二人は動いて、なんと、打ち合いが始まった。

(え? 何やってんの!? レオ、やめてよ)

 どうやら木刀のようだったが、玲菜は口を押えて二人の攻防戦を見る。

 

 てっきり、レオの方が優勢なのかと思った。もちろん、レオの方が圧している感はあるのだが、ショーンは速く襲いかかる木刀をうまく避けて受けて決定打を防ぐ。

 なぜなら、ショーンには防具を付けないからこその圧倒的な身軽さがあった。

「ホラな、言っただろ? 同じ条件なら俺が負けるけど、このまま続けたらお前疲れるから。恥をかく前にやめてもいいぞ」

 本当はショーンも、レオの猛攻に反撃できずにいたのだが、心理作戦で相手を焦らせる。

「くっそ。こうなることを計算済みか」

 まんまとレオは勝負の決まらなさに焦りと疲れを感じて、いつしか攻撃の動きが鈍ってきた。ただでさえ防具の付けないショーンに本気で打てないのに。

(俺が、無意識に手加減するのもオヤジは読んでたな)

 レオは一旦距離を置くと、構えながら少し呼吸を整えて、冷静に一本取ることを考えた。しかし、考えている間に今度はショーンから間合いを詰めてくる。

 ずっと攻めていたレオはついに防戦になり、ショーンの打ち込みを受ける。本来、焦らなければ弾き返せそうな力だったのだが、ショーンがボソボソと気を散らすようなことを言ってくるのでレオはとにかく圧されて下がっていった。

「お前さ、女のことばかり考えてるから、剣に身が入らないだろ? 戦だったら死んでるぞ」

「うるさい、オヤ…ショーン! 卑怯だぞ!」

「あのなぁ……敵が皆、騎士道野郎じゃねーんだよ。俺はお前の部下みたいに甘くねーから。卑怯で結構!」

 

 皆は会話の内容が聞こえずに、軍師のショーン殿はこんなに強かったのかと、ただ呆然と見る。皇子と互角に渡り合えるのは、この中ではバシル将軍一人だったので、まさか齢五十過ぎの頭脳派軍師に皇子がこんなに圧されるとは思わなくて。遠くで見ていた玲菜たちも同じく。クリスティナと無言で二人の手合いを眺める。

 

 しかし、さすがにショーンも疲れて、猛攻が緩んだ一瞬の隙を皇子は見逃さなく。レオは渾身《こんしん》の力でショーンの木刀を弾き飛ばした。

 そこでやっと勝負はつき、「おおお!」と場内から歓声が上がった。

「や、やった!!

 思わず本気で喜んでしまったレオと、悔しそうにその場に座り込むショーン。

「ああ疲れた。おじさんは歳だから疲れた。俺もちゃんと訓練しないと駄目だなぁ〜」

 言い訳しながら汗を拭いていると、レオが横に座ってボソリと言った。

「十年前より、大分強くなっただろ、俺も。あの時は、いつかオヤジに勝つことが夢だった」

 十年前、レオがショーンに剣を教わっていた頃の話だ。

 二人しか知らない昔の記憶を思い出しながらショーンは笑った。

「お前が強くなったのはもう知っている。とっくに」

 レオが皇子だと判明して城に行ってから、自分が剣を教えることはなかったが、彼が強くなったのは十分に分かっている。

「分かってたよ」

 

 レオは遠くを見てしばらく黙り、冷たい風が吹き抜けた時に小さな声で言った。

「オヤジの言う通りだ。俺はレイナのことばかり考えていて、剣に集中しきれていない。多分戦場に行けば切り替えられると思うんだけど」

 ショーンにだけ聞こえるように静かに訊く。

「アイツ……昨日どうしてた?」

 気持ちは分かるが、ショーンは頭を抱えた。

「お前なぁ。心配なら、家に帰ってこい。そしたら分かるから」

「帰れねーよ!」

 レオは、きっとショーンが自分たちの話を玲菜から聞いていると、悟っていた。

「俺は、アイツにどう接したらいいか分からない。オヤジは、アイツの秘密を知っていたんだろ? 最初から」

「知っていたよ、最初から。それで協力している。あの子は考古研究者じゃない。砂漠の遺跡商人の所も、預言者・シドゥリの所も、あの子が元の世界に帰る鍵を見つけるために行った」

「オヤジは知っていて、俺は知らなかった」

 うずくまるレオに、ショーンは頭を押さえながら言う。

「俺が言ったんだよ、あの子に。お前には……レオには隠しとけってさ」

「最初から言ってくれれば良かったのに」

「あのなぁ! じゃあ、お前は、あの話を信じられるのか?」

「信じられねーよ!」

 つい、レオは怒鳴ってしまった。おかげで周りは「何事か」と注目してきたが、ショーンは気にせずに返す。

「ほれみろ! だから俺は……」

「信じたい」

「ん?」

 レオは辛そうに続けた。

「でも、信じたくない。今だって、アイツとオヤジが大掛かりな嘘をついて俺を騙していると思いたい」

 そして無意識に、庭園に居る玲菜の方を向く。

「正直俺は、どうしたらいいか分からない」

 恐らくそれが今の彼の本心で、しかしショーンには考えがあって、敢えて突き放した。

「分からないからと言って俺に答えを求めるなよ。自分で考えろ」

「分かってるよ」

 分かってはいるが、それでもレオはムスッとして言った。

「冷たいな」

 苦笑いして立ち上がったショーンは、去り際にレオの方を向かずに手を振った。

「おじさんはもう行く。ヤケ酒くらいなら付き合ってやるから、集中して訓練しろよ」

 レオは「休み過ぎた」と立ち上がり、ショーンを見送ってから訓練に戻った。

 

 一方、二人を見ていた玲菜にはクリスティナが「そろそろ部屋に戻りましょうか」と声を掛ける。

「あまりここに長居していてもなんですし。ただ、先ほどはびっくりしましたわね。少し心臓に悪かったのですが、もし宜しければ懲りずにまた外でのお茶会を開催してもいいですか?」

「え?」

 ボーッとしていた玲菜は慌てて返事をする。

「あ、は、はい!」

 確かにびっくりしたし、心臓に悪かったのだが、やはり遠くからでもレオの姿を見られるのは嬉しいと感じる玲菜。今日は声も聞けた。

「クリスティナ様、どうもありがとうございます。とても嬉しかったです」

「いえいえ! またお呼びします。毎回お兄様が見られるとは限りませんが、私がお喋りしたいので」

 それから、二人は部屋に戻り、少しお喋りをしてから『お茶会』は終了した。

 玲菜が帰る頃にショーンとも会って、二人で一緒に馬車に乗って帰る。

 

 

 しばらくの間、その『お茶会』の日がほぼ毎日続いて、ショーンも城に出向く。玲菜は外でのお茶会の時に遠くからレオを眺めて、見られない日もあったが、少しの時間だけでも彼の姿が見られることに幸せを感じていた。クリスティナとは初めこそぎこちない時もあったが、数日話すともうかなり仲良くなって、街や恋の話をたくさんする。前回の戦の時の話も、彼女は凄く興味を持って聞き入った。

 

 

 

 そうして、安定の日々を過ごして一週間が過ぎた頃、玲菜にとって胸の苦しくなる話が舞い込んできた。

 

「レナ様が、アルバート皇子のお見舞いのために城に来るそうよ」

 最初にその話を聞いたのはクリスティナの侍女たちの噂話から。

 どうやらその話は本当らしく、明日にでも到着するのだという。

 今日も例の如く、皇女のお茶会に参加していた玲菜は、噂話を聞いて愕然とした。

 彼女が来るというだけで、この胸が締め付けられる苦しさはなんだ。

 話を聞いたクリスティナは侍女に問う。

「お兄様のお見舞いってなんですか?」

「あの……、アルバート様の具合がよろしくないという噂が殿下の使用人たちの間であったらしく、その話がレナ様の耳にも届いて、心配してやってくる、と」

「まぁあ! なんてこと」

 クリスティナは玲菜の手を掴んだ。

「大丈夫よ、レイナ様! 私は応援しますから。お兄様だって、会うかはどうか分からないもの」

 皇女は自分のことのように玲菜を心配して、異母兄とどうすれば復縁できるか頭を悩ます。しかし、結局は戦のことで忙しいのでそれどころではない、との現状。そこに婚約者という強力なライバルがやってくることになり、ますます焦って対策を考える。

「そうだわ! お守り!」

 良いことを思いついたと、クリスティナは提案を出す。

「名付けて、“お守り大作戦”です、レイナ様!」

「え? 大作戦?」

 つまり、彼女の作戦とは、レオが戦に出向く際にお守りを渡して復縁のきっかけにするということ。

「レイナ様が心を込めて作ったお守りを渡せば、お兄様とのぎこちなさも消えて、きっと元通りよ」

 そう簡単にはいかないような気がしたが、お守りを渡したいという気持ちはある。

 玲菜はその作戦に乗ることにして、一先ず婚約者への不安は考えないようにした。


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