創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第五十五話:レナ]

 

 外れることの無いらしい盲目の預言者・シドゥリの予言は『アルバート皇子の伴侶になるのはレナ』と、そう言っていた。だからだろうか。そのレナがレオの見舞いに来ると聞いた時、凄く嫌な予感がした。預言者は、予言は『そう遠くない未来』としていたので。自分と彼の関係がこんな風になってしまった今のタイミングで来るなんて、まるで運命のようだ。

 見舞いに来たのがきっかけで二人の仲が進展してしまったら……

(ああ……!)

 胸を苦しくしながら、玲菜は不安で悩んで布団の中に居た。

 今は深夜で、普段なら寝ている時間。

 一週間前は全く眠れなかったのだが、最近はレオを遠くから見つめることに幸せを見出してきたので、なんとか眠れるようになっていた。それなのに、本日聞いた話でまた寝られなくなってしまった。

 明日(厳密にいうと今日)も“皇女のお茶会”に呼ばれていて、もしかしたらレナと鉢合わせする可能性も。

 もしもレオとレナが並んで歩いている所でも見てしまったらそれだけで辛い気分になる自信がある。

 でも、自分には邪魔をする権利は無い。本当は正式に別れていないのであるのかもしれないが、邪魔をして一体どうする。自己満足して彼から幸せを奪って終わってしまう。

(そんなの嫌だ)

 実際、玲菜からすれば少しの時間でも彼の姿を見ているのだが、彼からすればこの一週間、全く玲菜と会っていないことになる。それでも彼が家に帰ってこないのは、忙しいというのもあるだろうが、レオにとって、自分は会わなくても平気な人間だと切ない解釈もできる。

 このまま自然消滅になるのが容易に読めてきて、玲菜は泣きそうになった。

 いや、我慢せずに泣くか。

 今は一人で誰も見ていない。

 玲菜は声を出さずにとにかく泣いて、自分の気持ちを涙と一緒に流した。思いきり泣いて朝には落ち着くように。

 

 

 

 そして夜が明けて。

 その日は昼食を一緒にとろうとクリスティナから誘いがあったので午前中から城に向かう。ショーンも一緒に城に行って、いつものように馬車から降りたらおじさんと別れたのだが、後宮に向かう途中の庭路で、低い壁越しの廊下に従者と共に歩いている青いマントの男が居るのが見えて、慌てて身を隠す。

 まさかと思ったが、どうやらレオに間違いなく。確かに同じ宮廷内に居れば遭遇する可能性があることを改めて実感する。

 玲菜は大きな木の後ろに隠れて息を潜めながら、彼が通り過ぎるのを待つ。

 彼は従者に向かって何やら文句を言っている様子。その声が大きかったのでつい聞いてしまった。

 

「はあ!? レナが俺を見舞いに? 何のために? 俺がいつ具合を悪くしたって?」

「あ、あの、私共の早とちりでして。すみません! ですが、もう到着されるとの事。レナ様には事情を説明して、誤った情報を届けたお詫びにせめて昼食だけでも殿下とご一緒に、と」

「お前たちの尻拭いを俺に頼むとは、いい度胸しているな」

 レオの言葉に、従者は立ち止まって深く頭を下げる。

「は! 真にその通りでございます! 御無礼をお許し下さい。今の話は聞かなかったことに!」

「俺は忙しいから、女とのんびりメシ食ってる暇は無いんだよ」

 そう言って、従者と去っていくレオ。

 木の陰で聞いていた玲菜は、彼が去った後もしゃがんだままで深い息をついた。

 正直、ホッとしている自分がいる。レナの話が出た時にドキリとしたが、彼は食事を断ってくれた。こんなこと思っては悪いが、「良かった」と思う。

 しかし、なんというか……近くで彼の声を聞くだけでこんなにドキドキする自分が居る。元々彼の声はカッコよくて好きだし、特に耳元で囁く時の声が好きだ。「お前」でも「レイナ」でも、今呼ばれたらどんなに嬉しいか。

 そんなことを思いながらボーッとしていると、後ろから声を掛けられて激しく動揺した。

「あの、大丈夫ですか?」

 なぜ激しく動揺したかというと、その声がレオの声に凄く似ていたから。しかし、言葉遣いは全く違う。

 振り向くと、そこに居たのはレオ……ではなく、レオに良く似た黒髪の青年。青年は背中まである長い髪を後ろで縛っていて、貴族の護衛のような服を着ている。それもそのはずで、彼はきっとレナの護衛なのか従者なのか……とにかく付き人には違いなく。前に市場と宮廷で二度会ったことのある人物。

 玲菜はとっさに彼の名前を思い出した。

「セ、セイさん?」

 セイは一人で居て、レナや他の者の姿は近くに無い。しかし、彼がここに居るということは、きっとレナが到着したことも分かる。

「え? レイナさん?」

 彼もレナの付き人だからかレイナの名前を知っていて、振り向いた娘がその見覚えのある娘だと気付いた。

「レイナさんは、なぜここでしゃがんでいたんですか? 具合でも悪い?」

「い、いえ! 大丈夫です」

 慌てて立ち上がり、キョロキョロする玲菜。

「セイさんこそ、どうしてここに?」

「僕は、アルバート皇子の従者の方に呼ばれて。この辺で待っていると聞いたんですけど」

「そ、そうなんですか」

 レオの従者とはさっきレオと一緒に歩いていた者か。そういえばどこに行ったのかと思い出している玲菜に、セイは訊ねる。

「レイナさんもアルバート皇子の見舞いに? 皇子の具合はどうですか?」

「あ、あの、私は違うんです。あと、アルバートも元気だし」

「え?」

 セイと玲菜が会話していると、そこにレオの従者が遠くから声を掛けてきた。

「お待たせいたしました、セイ殿!」

(やばい)

 レオの従者には顔が知られているため、玲菜は慌ててその場を去ろうとする。

「わ、私はこれで」

 従者が近くに来る前に、セイにコソッと話した。

「あの、私がこの城に居たこと、レナさんにも、アルバートにも秘密にして下さい」

「え?」

 セイには理由が解らなかったが、教える間もなく玲菜は去り。駆け寄ってきた従者に「今のご婦人は?」と訊かれたが、セイは玲菜の意思を守って「誰かの使用人で、彼女に皇子のことを訊いただけだ」と彼女の正体を言わなかった。

 

 一方玲菜は、レナのことが気になったが、レオも「彼女と食事はしない」と言っていたことだし、一先ず約束のクリスティナの許へと行く。

 彼女は普段、食堂の食卓で食事をしていたが、玲菜に配慮をして自分の部屋に二人分の料理を用意させて待っていた。

 玲菜がやってくると、さっそく席に着かせて楽しそうに昼食をとり始める。

 驚いたのが皇女の食事の量で、こんな所にレオとの共通点があるとは思わなかった。

 彼女は給仕の運んでくる料理を次々に平らげて、速さも異母兄《レオ》の如く。びっくりしたのが、どんなに大食いで速くても、決して失わない上品さで。この可憐な美少女のどこに大きな胃袋が、と思う反面、たくさん食べているようには見えない美しさと優雅さで食事をする様はさすが皇女様と、うっとりする程。

 玲菜がまだ少ししか食べていない内に彼女は食事を終わらせて、あっけに取られている玲菜に慌てて言い訳をする。自分の大食いは父譲りで、けれど、異母兄妹が全員大食いなわけではなく、長男のフレデリックはここまでではないし、次男であるヴィクターや自分以外の皇女はむしろ少食である、と。

 必死に言い訳する彼女は可愛く、むしろ玲菜は皇帝が大食いだったことに驚いた。

(レオのお父さんって、昔はどうだったのかな?)

 レオはきっと嫌がるが、もしかしたらレオに似ていたのかもしれないと思いつつ、病に侵されて衰弱していた皇帝を思い出して切なくなった。

 そのことで俯く玲菜を見て、皇女は勘違いをして話しかけてくる。

「レイナ様、もしかしてお兄様とレナ様のことが心配?」

「え?」

 確かに心配が全く無いわけではないが、もしかしたらレナは帰ったのかもしれないと思う玲菜。

「ええと。アルバートは病気ではないし、もしかしたらレナさんは……」

「そうですわ! お兄様は病気ではないし、この流れだと一緒に食事なんて可能性も……」

 食事の件をレオは断っていたが、それを知らないクリスティナは慌てて玲菜の腕を引っ張る。

「レイナ様! 確認しにいきましょう! 或いは、私が二人の邪魔をしてみせます」

 御淑やかな異母妹だと思っていたが、意外にも行動的なクリスティナはまだ食事が終わっていない玲菜を連れて自分の部屋を出る。向かう先は異母兄・アルバートの部屋で、玲菜が慌てるのも聞かずに意気込んで進む。まるで戦にでも行くかのようだ。

 

 

 そうして、アルバート皇子の部屋の近くまで来た時に、ある女性と数人の付き人たちの姿を見つけたので、素早く柱の陰に隠れた。

 その女性とは――銀色の長い髪をした十六歳の少女・レナだとすぐに分かり。一緒に黒髪の青年も居る。黒髪の青年は後姿だったのだが、玲菜にはセイだと分かった。

(っていうか、レナさん……居た!)

 てっきり帰ったのかと思ったのに。なんだか不安になる。

 セイらしき人物はレオの部屋の前に居る従者と話をしていて、玲菜たちは一先ず柱の陰から耳を傾けた。

 従者は言う。

「ですから、皇子はご病気ではなく。誤った情報がそちらに流れてしまったのです。今は部屋で食事中であり、臥せっているわけではありません。わざわざ出向いてもらったお礼とお詫びは私共の方から必ず致しますので、何卒《なにとぞ》……」

 すると、セイではなくレナが前に出て、直々に従者に話した。

「わたくしは、シリウス様の元気なお姿を拝見するまで帰りません。どうか、一目だけでも……シリウス様がご病気ではないという証拠を見せて頂きとうございます」

 きっぱりと言った彼女の想いが通じたのか、発言後に部屋のドアが開き。何か物を食べ途中のアルバート皇子がムスッとした様子で出てきた。

「ずいぶん大きい声で聞こえてしまったが、御覧の通り俺は食事中で体は何ともない。誤報に惑わされたのは同情するが、これで気が済んだだろ? 大人しく帰って……」

 銀髪の聖女は、たとえ不機嫌でもシリウスの姿を見ると感極まって泣いてしまった。

「シリウス様……! 誤報で安心しました。わたくしはご病気だと聞いてずっと心配で。お元気で良かった!」

 さすがにかわいそうというか、分が悪い顔をするレオ。

「ああ、まぁ……うん」

「先日は、恥ずべき行動をしてしまい、失礼しました」

 彼女は俯いて顔を赤くして謝り、「それでも」と彼を見つめる。

「わたくしは、ずっとシリウス様にお会いしたくて。見舞いを口実に来てしまいました。一目だけでも元気な姿が拝見できて嬉しく思います」

 柱の陰で見ていた玲菜は、健気なレナのセリフに愕然とした。こんなこと言われたら、誰だって……そう思った矢先に、仕方なさそうにレオは言う。

「じゃあ、少しだけ一緒に食事を。但し、俺の昼食が済んだら悪いけども帰ってもらう。こっちも忙しいから」

 ぱっと明るい顔をする彼女の姿がそこにあった。

 レオは部屋の中に戻り、皇子の従者がレナと数人の付き人を部屋の中に入れる。

 そこまで見て我に返ったクリスティナは、慌てて止めようと柱の陰から飛び出る。だが、皇女の行動を玲菜が止めた。

「待って! 待って……」

 涙が出そうで何も言えなくなって、首だけを振る。

「レイナ様。でも、このままお兄様とあの人が仲良くなってもいいの?」

 嫌だ。

 玲菜はまた首を振った。

「だったら、私がレイナ様の代わりに二人の邪魔を……」

 皇女の心遣いは嬉しいが、玲菜はついに泣いてしまった。我慢ができなくて。

「いいの。違うんです、あの二人は……」

 あの二人は、いずれ結ばれる運命で、きっとそれは彼の幸せに繋がるから邪魔はできないと。言えなくて、ただ涙が出る。

「レイナ様、泣かないで」

 十五歳の少女は、自分までもらい泣きをして玲菜を慰める。

 一旦、柱の陰に戻って、落ち着くのを待った。

 

 そして、少しの間、二人で泣いた後。

(私、五歳も年上なのに慰めてもらってる)

 玲菜は、皇女に申し訳ないと涙を拭き、深呼吸をした。

「あの、大丈夫です。クリスティナ様も涙を拭いて」

 言うと、一緒についてきた侍女がハンカチを出して彼女に渡した。

 クリスティナはもらい泣きした涙を拭いて玲菜に謝ってきた。

「ごめんなさい、私、レイナ様の気持ちも考えずに突っ走って」

「いえ、そんな……! 私はクリスティナ様の心遣いが嬉しいですよ。いつも感謝していますし、今だって私のために色々としてくれようとして、凄くありがたいです」

 玲菜が気持ちを話すと、クリスティナは恥ずかしそうに顔を赤くした。

「私、今までこんな風に話せる友達が居なかったので、私もレイナ様と仲良くなれて嬉しいのです。色々とズレた行動をするかもしれませんが、どうか許して下さいね」

 

 二人が廊下の柱の陰でやり取りをして、とりあえずは一度皇女の部屋に戻ろうと侍女が提案を出して、歩き始めようとした矢先に。

 なんと、レナたち一行が早くも皇子の部屋から出てきた。

 ――レオの食事の速さは尋常じゃなく、本当に彼が昼食の料理を食べ終わったら追い出された様子。レナの付き人たちは「少し失礼では?」と腑に落ちなく怒っていたようだったが、当のレナは怒るどころか嬉しそうに去っていき。

 その表情を見て、玲菜はやはり胸が痛んだ。

(レナさん、本当にレオのことが好きなんだ。少しの時間でも会えて嬉しいんだ)

 それは自分と同じだから。

 彼女も自分と同じように彼に恋をしている。

 けれど、彼にとって彼女は未来になりえるが、自分には過去しかない。

 

 

 

 その日から、レナは毎日のように城に通い、僅かな時間でもシリウスに会いに来た。

 それはたとえば、食事や茶の時間のみといった本当に短い時間だったが、彼は断らなかったので承認されることになった。

 レナはたとえ五分だとしても嬉しそうにしていて、やがてその噂は宮廷中に広がる。

“アルバート皇子もまんざらではない”とか、“このまま婚約者になるのも時間の問題だ”とか。

 むしろもう婚約者になってしまったのだと思う者も多数居て、皇子は特に否定もしない。

 そうして、レナが誤報で城に訪れてから一週間が流れた――。

 

 

 ―――――

 

 玲菜は相変わらず皇女のお茶会に呼ばれて城に行き、たまに廊下で聞こえるアルバート皇子とレナの噂に耳を塞いだ。

 今大事なのは皇女と共に作っているお守りであり。

 玲菜はレオのために、クリスティナは婚約者のフェリクスのために。それぞれクリスティナの侍女に教わった刺繍のハンカチを縫う。刺繍などやったことはないし、下手ではあったが一生懸命作った大事な物。このハンカチを青い宝石(クリスティナはオレンジ色の宝石)と一緒に袋に入れて渡すつもりで、ハンカチはほぼ出来たので後は入れるための袋作りとなる。

 本日もお茶会兼お守り作りの会に参加する為に後宮近くの庭路を歩いていると、近くに居た女の使用人たちの噂話が耳に入ってきてしまった。

「今日も来るのかしら? レナ様」

「そりゃあ、愛しい皇子に会う為ですもの。もちろん来るわ」

 この一週間で何度も聞いた話だから気にしない方が良いのだが、いつ聞いても胸が苦しい。

 早々に立ち去ってしまおうと早歩きした時に、今までと違うショックな話が聞こえてきた。

「ねぇ、最近なんとなく、皇子の食事やお茶の時間が長くなった気がしない?」

「確かにそんな気がするわ」

「それってつまり、レナ様と長く一緒に居たいからってことよね?」

「そうよ。きっとそうだわ!」

「その内、もっと長くなって、レナ様と二人きりで食事をするってこともありえるんじゃない?」

「二人きりってつまり……」

 そこまで話して、女たちは「キャアキャア」興奮しながら去っていく。

 その場に一人だけになった玲菜は、女たちの言う意味が分かって足が震えた。

 もちろん“二人きり”というのは彼女らの予想だが、このまま時が経てばその可能性もあるわけで……いや、今日にだってそうなることがあるかもしれない。

 そう思うと、さすがに気が気ではなくなる。

 しかも、食事の時間が長くなったという話まで聞いた。

(レオ……段々レナさんのことを気に入ってきているの?)

 元々彼は神話のレナのファンらしく、彼女の見た目は好みなはず。

 もしかすると、噂通り好きになるのは時間の問題なのかもしれない。

 

 玲菜が庭路をトボトボと歩いていると、後ろから彼に似た声で呼ばれてドキリとした。

「レイナさん!」

「は、はい」

 振り向くと、これまたレオに姿が似ているのでもう一度ドキリとするのだが、髪の長さと雰囲気の異なる顔と喋り方ですぐに別人だと分かる。人物の名前も。

「あ、セイさん」

 セイは、レナの付き人ゆえに毎日城に来ていたのだが、たまに単独行動している際に偶然会うのでなんとなく話すようになっていた。

「どうしたんですか? ボーッとして。危ないですよ」

 そう言って彼は玲菜の手を引っ張る。

「え?」

 自分の居た所の足元を見るとそこには溝があり、あのまま歩いていたら確実に落ちていた。だから、彼が自分を引っ張ったのは助けるためであって。

 玲菜は礼を言う。

「あ! ありがとうございます、セイさん」

 セイは掴んだ手を離し、無理して笑顔でいる彼女を心配する。

「レイナさん、何か悩み事でも?」

「え? あ、あの」

 いきなり見透かされて焦る玲菜に、彼は優しく微笑んだ。

「僕で良ければ話を聞きますけど」

「いえ、あの、えっと……」

 妙に動揺してしまう。

「皇子のことですか?」

 彼は悟っている瞳で言った。

「レイナさんはアルバート皇子の恋人ですよね?」

 恐らく、前にレナと玲菜が会話をしていたのが聞こえていた様子。セイにもバレていて玲菜は慌てる。

「わ、私は」

 慌てつつも恋人と言われたことが嬉しくて、同時に哀しくなる。

「私は……もう、彼の恋人ではないような気がします」

「別れたのですか?」

「別れたっていうか……でも、似たようなもので」

 自分で言いたくなかった。

「そうですか。でしたら、そのことをレナ様にお伝えしてもよろしいですか?」

「え?」

 まさかのセイの言葉。

「レナ様は、皇子への想いが日に日に強くなっていく傍ら、貴女という“恋人”の存在があるために、切なさも深くなっています。もし、貴女方が『別れた』のでしたら、きっと苦しみから抜け出せるので」

「いっ……いっ……」

 玲菜は悩んで、一度「言ってもいい」と喉まで出かかったが、ふとショーンの顔が思い浮かんでとっさに首を振った。

「嫌です。言わないで! レナさんには悪いけど、だってまだはっきり『別れて』いないし」

 そもそも『別れる』の定義がどこからなのか不明だが。『しばらく一人にしてくれ』からまだ約二週間しか経っていないことだし。

 もしここでレナに譲るような発言をしてしまったら、ショーンに怒られるような気がした。

 それに、気になることが一つある。

「セイさんは……セイさんは、私がアルバートと別れたら嬉しいんですか? もしそれでレナさんとアルバートが婚約することになっても?」

 彼が彼女を見る目で、勘付いていた。

「セイさんはレナさんのことが好きなのに?」

 

 セイは少し止まって、哀しそうに笑いながら口を開く。

「そうですね。レイナさんと皇子が別れたら、僕は嬉しくありません。それは、レナ様への想いのせいではなく、レイナさんが悲しむので」

「私が?」

「ええ。しかし、レナ様が幸せなら僕にとってそれが幸せなので。“喜ぶこと”はできます」

 彼の一途な想いに胸を打たれる玲菜。

 愛する人が別の人と幸せになってもそれを喜べるのかと、今の自分に置き換えるととてもじゃないが無理というか。レオの幸せを願う気持ちもあるのだが、現状無理というか。もしも自分が元の世界に戻った後ならばできるかもしれないが。

 セイのことを尊敬しつつ、もう一つ訊いてみる玲菜。

「セイさんは、自分がレナさんの恋人になりたいとか思わないんですか?」

「えぇ?」

 なんと、セイが珍しくも顔を赤くしたので、むしろ玲菜の方が照れてしまいそうだ。

「いや、ぼっ僕は、そんな畏《おそ》れ多いことは……」

 どもりながら話すセイ。

「レ、レナ様は、幼い頃からシリウス様と結婚するのだと言われていて、レナ様自身も会う前からずっと憧れていたようなので。あの、僕のような従者の出る幕ではないですし」

 なんとなくセイには親近感がわいたが、こんな所で長話している場合ではないと、玲菜は気付く。

(あ、そうだ! クリスティナ様の部屋に行かなきゃ!)

 きっといつもより遅いと皇女を待たせている。

「あ、あの、色々と質問に答えて下さってありがとう! 私、呼ばれていることを思い出したのでこれで! また今度お話しましょう」

 お辞儀をして後宮に向かおうとした玲菜は、ふと気づいたことを彼に伝える。

「あと、レナさんに言っていいかわざわざ訊いてくれてありがとう。訊かないで勝手に言っちゃうこともできたのに、セイさんってお人好しですね」

「お人好しですか?」

「うん」

 セイは少し恥ずかしそうにしながら、「でも」と付け足した。

「もしかしたら勝手に言うかもしれませんよ」

「そうですね。でも、セイさんはそんなことしないような気がします」

 そう言って、今度こそ玲菜は後宮に向かって歩き出す。途中からそそくさと走って去って行った。

 

 そんな玲菜を見送っていたセイに、通りかかったメイドがコソッと話しかけた。

「うまくレイナに近付いたじゃないの。アナタ、中々やるわねー」

 セイは驚き、しかしすぐに誰だか分かって名前を呼ぶ。

「ユナさん?」

 それは、前に玲菜を拉致したことのある、あのユナであり。

「静かに!」

 黒髪のメイド――ユナは周りを確認する。

「メイドに変装して、侵入したんですか?」

 セイが訊くと、彼女はニヤッと笑いながら首を振った。

「今だけよ。もう出ていく。組織の“計画”を“あの方”に伝言しに来ただけ。見つかる前に行かないと」

「計画……」

「そう、“神の石計画”。ひいては民族の為の計画よ。大義なんだから失敗しないようにしなくちゃ」

「神の石?」

「もしくは神の意志」

 ユナは確信的な目で話す。

「もうすぐよ。もうすぐ、民族の苦労が報われる。神の石の欠片の在り処も大体把握している。あの女を殺して、手に入れればきっと……。もし失敗しても次の計画を実行する準備も進んでいるし」

「次の計画?」

 セイの質問には答えずに、ユナは何かに酔いしれているように言った。

「すべては神の意志。私たちは長年の夢を掴むのよ! そのために、あの賢者を仲間に引き入れなきゃ。人質を使ってでも」

 賢者や人質という言葉で嫌な予感がするセイ。

「ユナさんたちは一体何を……? もしかして、僕が知っている目的以上の事を?」

「アナタは自分の復讐を遂げればいいのよ。その為に、レイナを利用したっていい」

「しかし、レイナさんは『もう別れた』と言っていたし、彼女を利用する価値は……」

 ユナはセイの顔を疑ったように見た。

「え? 嘘でしょう? アナタのお姫様がもう奪っちゃったの? それとも、まさかレイナを本気で気に入ったとか言わないでよ?」

「そ、そんな……」

 俯く彼を見て首を傾げながら、メイドの変装をしていたユナは「もう時間切れ」だと去っていく。

 一方セイも、レナの許へ戻らなければならないと、急いで彼女の待つ場所へと向かって歩いた。

 

 その頃、クリスティナの部屋にたどり着いた玲菜は、いつものように茶の席に着き、皇女とお喋りを楽しむ。もうすぐ完成するお守りの話と、本当はお守りを渡さない方が……すなわち、戦が始まらない方が良いということ。しかし、どうやらそれは避けられないので、早く終わってほしいという希望。そこから話はシリウス軍の話になり、バシル将軍やフェリクスが強いという話。

 優秀な部下の話では護衛の忍者・朱音の話題も出て、玲菜は落ち込む。

「でも、朱音さんは……」

 今は拘束の身で、戦場には行けないし、そもそも彼女が疑われたことが悲しい。

「私には、朱音さんが犯人だとはどうしても思えません。どうすれば朱音さんを助けられるんでしょうか」

 玲菜は正直にクリスティナに打ち明けた。

 もしかしたら、クリスティナにとっては、自分の父親を毒殺した憎い容疑者だと思っているかもしれなかったが。

 彼女はそんなことはなく、同じように沈んだ顔をする。

「そうですわね。あの方はお兄様の忠実な部下ですから、お兄様を陥れるようなことは絶対しないですし。ましてや、お兄様がお父様の暗殺を企てるわけもありません」

 悲しい顔で彼女は続ける。

「勾留されている者とは普通、面会できないのですが。一応、会えるかどうかを決める権限を持っているのが皇后様なので、もしかしたら皇后様に頼めば、或いは」

「面会できますか?」

 玲菜が身を乗り出すと、クリスティナは悩む。

「も、もしかしたらですわよ。面会したところで、どうにかなるとは限りませんけど」

「そ、そうですよね」

 玲菜は「う〜ん」と考えて、それでも何か助けになればと、皇女の話を実行に移すよう話を進める。

「じゃあ、私、皇后様に頼んでみます。まず、皇后様に会えるかどうかだけれど。私のような一般人と会ってもらえるでしょうか?」

「では、私と一緒に行きますか?」

 クリスティナの案は願ってもないもの。玲菜はありがたくて席を立った。

「あ、ありがとうございます!! お願いできますか?」

「ええ。でも、もし無理だったら残念ですけど」

 決まりだ。

 

 思い立ったが吉日ということで、早速皇后に会いに行くことにする玲菜とクリスティナ。まさか、一般人が朱音の勾留のことを知っているのはおかしいので、クリスティナが会いたいということにして、玲菜は着替えてクリスティナの侍女ということになった。

 侍女の振る舞いは、本当の侍女から付け焼き刃的に指導を受けて、実際の侍女含む三人で皇后の許へ向かう。

 皇后は今の時間、後宮ではなく広間に居るというのでその方へ進み、途中でレオに出くわさないようハラハラしながら廊下を歩いた。

 その矢先、クリスティナが「お兄様」と言ったので、玲菜はビクリとしたが。異母兄は異母兄でも、茶髪の次男の方で、確か名前はヴィクターと言ったか。見た目は紳士的な二十三歳の青年だが、レオが凄く嫌っている異母兄だった。

 ヴィクターは周りに付き人も居なく、代わりに誰か聖職者らしき人物と廊下の隅で話している様子。それはこの前、例の朱音が拘束された時に居た三人の聖職者の中の一人で、やたらオドオドしていた人物だと思い出せる。

(あ、あの人)

 あの場に居たということは、権力者ではあるはずだが。頼りないというか、気弱そうというか……たとえるなら、パニック映画で『自分だけ先に逃げようとして見せしめのように死んでしまう要員』というか……。そこまで考えて、玲菜は自分の頭の中の想像を消した。

(失礼なこと考えたし)

 申し訳なかった。

 ところで、年齢的にはショーンと近そうだが中身が全く違う感じの灰鬚の聖職者は、よく見るとまた怯えていて、まさか優しそうなヴィクターが脅しているのか。

 クリスティナも不思議に思ったらしく「あれはオーラム司教とヴィクターお兄様?」と首を傾げる。

 しかし、何か怪しいと思いながらも近くまで歩くと、ヴィクターはこちらに気付いて微笑みながらクリスティナに近付いてきた。

「やあ、クリスティナ! 珍しいじゃないか。どこへ行くんだい?」

 相変らず喋り方が爽やかすぎる。

「ちょっと、皇后様の所へ。ヴィクターお兄様はオーラム司教と大事なお話ですか?」

「いや、そんなことないよ。もう司教と話は終わったし、良ければ皇后陛下の所までエスコートしようか?」

 しかもシスコンか。

「い、いえ、結構ですわ」

 クリスティナは異母兄の申し出を断り、玲菜と侍女を連れて通り過ぎようとしたが、ヴィクターは前を塞ぐように回り込む。

「クリスティナ、異母兄に対して冷たいじゃないか」

 ニコニコしているが、何か威圧感がある。玲菜はレオが嫌っている理由が少し分かったような気がした。

(なんか、怖いな。この人)

 そういえば、ヴィクターの母親のことをレオは『腹黒』と言っていて、息子とそっくりとも言っていた。ということはヴィクターも実は腹黒か?

「で、殿下……」

 助け舟を出したのはまさかのオーラム司教。彼はオドオドしながらも「あの、まだお話が……」と声を掛けてくる。

「そうだったっけ?」

 言葉は優しかったが、一瞬、ヴィクターが鬼のような顔でオーラムを睨んだ気がした。

 しかし、次の瞬間にはヴィクターの顔は優しい表情に戻っていて、まるで見間違えたかのよう。

(あれ? 今、恐い顔してなかった? そう見えたのは私だけ?)

 クリスティナと侍女は特にびっくりした様子は無い。気付かなかったのだろうか。

 一方、オーラム司教は青い顔をして小さくなっている。

(私だけじゃないよね? オーラム司教も見たよね?)

 そう思ったが訊けるはずもなく。

 ヴィクターは渋々と司教の方に戻り、玲菜たちはまた三人で広間へ向かうことができた。

 

 

 そうして、広間に着くと。

 皇后が誰かと話をしていて――と思ったら、それはショーンで。

 戦のことだろうか。

 向こうも、クリスティナたち三人が部屋に入っていくとこちらを向き、ショーンは玲菜の姿を見て驚いた顔をした。

 だが、クリスティナと一緒に居る様子と、侍女のような服を着ていることですぐに空気を読んで知らない人のフリをする。

 クリスティナはお辞儀をして皇后に話しかけた。

「皇后様、お話があります。今、軍師さまとお話し中ですか? それでしたら出直しますけど」

「あ、いえ!」

 すぐにショーンがクリスティナに言った。

「私は報告だけでして、それも今終わったところです。皇女様、どうぞお話し下さい」

 ショーンはそんな風でいいのかという敬語で二人に挨拶して、玲菜に目配せしてから広間を出ていった。

 ――いや、実際には出ていく前に事が起きた。

 

 皇后がクリスティナの話を聞こうと「何事です?」と訊ねた時。

 ショーンが広間の入口の前で伝令係と遭遇する。

 

 伝令係は息を切らしながら皇后に向かって大声で叫んだ。

「申し上げます!! 只今隠密隊から報告が入りました! ナトラ・テミスに動きが有った模様!」

 

「え!?

 クリスティナは話をすることが叶わなく、侍女と共に口を手で覆う。

 皇后は「詳しく話せ」と伝令係に近付き、ショーンは頭を押さえた。

「やっぱ。このタイミングか」

 合わせるように皇后が言う。

「軍師殿が今言った通りであったな」

 つまり、直前のショーンの報告はこの事を予期したものであったらしく。

 それよりも、玲菜は話を理解して呆然とした。

(もしかして、もう戦が始まるの?)

 覚悟していたが、ついに来てしまった。


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