創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第五十六話:看病]

 

 今回の戦は、相手が総攻撃を仕掛けてくることを読んでの総力戦を踏まえた兵を出征準備させたが、作戦は防衛だけでなく。

 元帝国領土の砦である『龍宮の緑城』を奪還することで相手に打撃を与え、そのまま敵を後退させて最終的には相手国の白旗と戦争の終結を狙ったものであり。

 そのためには帝国の完全勝利が必要となる。

 

 隣国『ナトラ・テミス』は恐らく、前回の戦と同じ帝国西方門を突破しようと、いきなり大軍で来る可能性があるが。そこは焦らず、相手の出方を待って防御に徹する。

 状況にもよるが、国境防衛には全帝国軍の約三分の一と多数の傭兵団を投入する。

 少し間を空けてから、都の守備に必要な兵を抜かした残りの兵……全帝国軍約半分に近い勢力で龍宮の緑城奪還作戦に挑むが、そこは難攻不落の湖上の砦と呼ばれる場所。約半分の力をもってしても陥落させるのは容易ではない。

 そこで、幾つかの精鋭部隊がショーン軍師の策により、別ルートで城を奪還するという決死の作戦が取られる。

 

 まず、国境防衛には長男のフレデリックが率いる軍で当たり、緑城奪還の湖戦では次男のヴィクター中心に。一番危険な別ルート部隊はアルバート皇子率いるシリウス蒼騎士聖剣部隊と傭兵団・砂狼のみが任についた。

 ちなみに、クリスティナの婚約者であるフェリクス率いる鳳凰騎士団は、鳳凰城塞と西方門の両方を状況に応じて守る為、今回シリウスの直下にはならない。

 戦地に最初に向かうのはフレデリック皇子で、伝令係により、相手国に動きがあったとの通達が来た以上、急きょ明後日に出立《しゅったつ》が決まった。兵は今日と明日の二日間で最終準備を行い、出立前夜会は用意が間に合わないので軽いものとする。

 

 

 そこまで決まるや否や、城内は騒然として皆が忙しそうに動き始めた。たとえ出立がまだだとしても、レオやショーンはもちろん忙しく食事もままならないので、折角来たレナは仕方なく帰ることになる。

 当然皇后も忙しくなって、朱音の話を聞くなんてことはできるわけない。クリスティナと玲菜は一旦諦めて、とにかく部屋に戻った。

 

「どうしましょう。戦が始まるんだわ」

 皇女の部屋に戻って、クリスティナは嘆くように言った。覚悟はしていても、やはりいざとなると恐ろしさと不安が襲いかかる。

 また大事な人の命が危険にさらされる。

「レイナ様!」

 不安がるクリスティナの手を玲菜は掴んだ。

「大丈夫です。きっと大丈夫ですから」

 レオやショーンのことを想うと、自分も大きな不安に怯えたが、なんとか平静を保つようにする。

「そ、そうだ! お守り! お守り作りましょう」

 玲菜はクリスティナの気を紛らわそうと提案を出したが彼女は手で顔を覆って泣き出した。

「夜会があったら、その時にフェリクス様にお渡ししようと思いましたの。でも、鳳凰騎士団はフレデリックお兄様と同じ先発隊でしょう? 出立前夜会も急きょ明後日に決まって、来られるはずがないし。お渡しできない」

 確かにそうだ。

 もしも鳳凰騎士団がシリウスの下ならば、そんなことはなかったはずなのに。参謀の決めた作戦を個人的な理由で変えられるはずもなく。

「えっと……じゃあ……」

 玲菜は考える。

(あれ? 防衛戦は前と同じ帝国西方門? ってことは、また鳳凰城塞が本部になる?)

「わ、私が!」

 とっさに言葉が出る。

「私が代わりに、フェリクス様にお守りを渡します!」

「え? レイナ様が?」

「前に話しましたよね? 前回の戦の際に家政婦の仕事をしたって。今回もきっと募集すると思いますし、経験者だから雇ってもらえるはずだから」

 ミリアやアヤメから聞いた話だとそうだった。

「私、今回の戦でまた家政婦やりに砦へ向かいます。その時に、フェリクス様にお守りを渡すことができると思うので。クリスティナ様の想いを届けてみせます!」

 クリスティナは止まり、横で聞いていた侍女が皇女に話しかけた。

「ひ、姫様! そうですよ! レイナ様に託しましょう。レイナ様はアルバート皇子の傍に居られるし、ちょうどいいわ」

 侍女の言葉に、目からうろこが落ちたのはむしろ玲菜の方だ。

(あ、そうだ! 砦の家政婦の仕事やれば、またレオの傍に居られる。ミリアやアヤメさんとも会えるし)

 戦場に近い場所なのに、なぜか希望に感じる。

 まぁ、レオは国境防衛ではなく、領土奪還の方(しかも特殊部隊)なのであまり砦には居ないのかもしれないが。

 クリスティナは少し顔を赤くしながら頷き、玲菜が代わりに渡すことが決定した。必然的に砂上の砦に行くことも。

 とりあえずその日はもう時間が無くなり、次の日からお守りの袋作りを始めることにする。袋の方にも刺繍を加えるので数日かかる予定。

 玲菜は自動車で(できればショーンと一緒に)行くつもりで、もしレオが出立する前に完成したら、先に自分はレオに渡してから砦に向かい、砦に着いたら今度はフェリクスが出陣する前に皇女のお守りを届けなくてはならない。

 全部うまくいくかは分からないが、とりあえずこれからの予定を決めて玲菜は家に帰った。

 

 

 

 そして次の日。

 慌ただしく城へ行く用意をするショーンに、玲菜は相談を持ちかける。

「あの……ショーン」

「ああ、レイナ。おじさん、今日は先に城に行くから。レイナは姫さんに呼ばれた時間に馬車が来るんだろ?」

「あ、うん。そうだけど。そうじゃなくて、私、今回も砦に行きたい……」

 危ないから駄目だと言われると思った。だが――

「そうか。分かったよ」

 なんと、まさかのあっさり承諾。

「え? いいの?」

 思わず訊き返したが。

「どーせアイツの傍に居たいんだろ? 俺も今回ばかりは参謀に属すし。キミはまた狙われるかもしれないけど、都に居てもそれは同じで、だったら近くに居てくれた方が助かるし」

 ショーンは「そういえば」と玲菜に訊く。

「アイツにはそのこと教える?」

「ううん」

 玲菜が首を振ると「そうか。分かった」と頷く。

「キミが行く時、俺も一緒に車乗って行くから」

 それは頼もうとしていたことで、ありがたく思う玲菜。

「うん。お願いします」

「じゃあ、そのことも誤魔化さないとなー」

 そう言って、ショーンは忙しそうに家を出ていった。

 

 玲菜は一人残った家で、ウヅキの相手をしながらゆっくりと支度をする。そっと頭を撫でて、誰も居ないレオの部屋を眺めた。

「ウヅキ、ごめんね。今日も一人で、留守番で」

 自分もショーンも毎日のように城に行くし、レオなんて二週間以上も帰ってきていない。

 まぁ、昼間に誰も居ないのは今までもそうだったし、ウヅキは外に出たり色々と遊んでいるようなので寂しくはないか。たまに隣のサリィさんの家に居ることも。

「ウヅキは、レオに会いたい?」

 ふと、自分の想いをウヅキに訊く玲菜。

(私は……)

 そっと抱っこして呟く。

「会いたいよ……レオ!」

『見て』はいる。偶然声を聞いたことも。

 けれど、会ってはいない。

「会いたい」

 彼に会いたい。

「レオ……」

 いつも近くに居るのに。

 喋ることも触れることもできない。

 彼の瞳に自分を映すことも。

(レオ、会いたい)

 そう、強く思うと抱っこしていたウヅキが嫌そうに腕から抜け出た。

「あ、ごめん、ウヅキ! 苦しかった?」

 つい力を込めてしまった。

 自分から逃げて離れていくウヅキを見ると寂しくなるが、そこは我慢して城に行く用意をした。

 

 

 玲菜は久しぶりに一人で昼食をとって、片づけや食器洗いを少しやったら服を着替えた。

 いつものように準備が終わるともう馬車が迎えにくる時間になったので外に出る。

 乾燥した空気と冷たい風。本日は曇りでかなり寒い。小さい鞄を持ち、白い息を吐きながら待っているとやがて馬車が到着する。

 いつも通り、馬車は城に向かって走った。

 こんな風に自分が城通いするなんて不思議だ。

 なんとなく、今日は雪が降りそうな気がする。そう思いながら外を見る。本当に降るかどうかは分からないが、そのくらい寒い。

 

 馬車は城壁内に入り、後宮の近くの庭園で停まる。玲菜は庭路を歩き、後宮に入ってクリスティナの部屋に入った。

 今日はいよいよお守り袋作りが始まり、たまにお茶の休憩を取りながら、侍女に教わりつつ刺繍をする玲菜とクリスティナ。想いを込めて丁寧に縫い、そろそろ時間が終わるという時――

 クリスティナの使用人が一人、慌てた様子で部屋に入ってくる。

「姫様! ……あ、いえ、レイナ様! ショーン軍師から『大事な用がある』と伝言を頼まれました」

「え? ショーンから?」

 こんなことは一度も無かったのでびっくりする玲菜。

 一体なんの用だろうか。

 戸惑っていると、クリスティナが気を遣ってきた。

「レイナ様、後片付けは私がやっておきますので。どうぞ、軍師様の許へ」

「え? は、はい」

 玲菜はお辞儀をして皇女の部屋を出る。

 使用人が言うには、ショーンは後宮の近くの庭路で待っているとの事。彼女と一緒に歩いていって、庭路まで行くと確かにショーンが壁に寄り掛かって待っていた。

「ショーン?」

「ああ、レイナ!」

 二人を確認して、会釈をしてから去っていく使用人。玲菜も彼女に会釈をしてからショーンに駆け寄った。

「ショーン、どうしたの?」

「レイナ……! 良かった、まだ居たか。もしかしたらもう帰ったかと思った」

「うん、帰ろうと思っていたよ。用事って何?」

「用事っていうか、ちょっと……」

 ショーンは歩き出して、玲菜はそれについていく。彼は早歩きで少し慌てている様子。

「まぁさ、大丈夫だと思うんだけど。っていうか、ただの疲労で。あと、今日寒かったから体調崩したんだと」

「え? 何? ショーン、どうしたの? 具合でも悪いの?」

 彼に付いて歩きながら、玲菜は見たことのある廊下と階段にドキドキした。

(あれ? このまま行くともしかして……)

 

「うん、まぁ、俺じゃなくてだな」

 ショーンが立ち止まったのは見たことのある部屋のドア。立派な扉で、ドアの前には護衛らしき人間が立ち。それに、あの人の従者。

「お待ちしておりました」

 従者はそう言ってドアを開ける。

 ここが“彼”の部屋なのは間違いなくて、状況が信じられなくて心臓が止まりそうになる玲菜。足が止まってボーッとしていると、ショーンが腕を引っ張る。

 部屋の中に連れていかれると、若い娘のメイドと年配の男性がウロウロしていて、メイドは玲菜に気付くなり涙を浮かべて駆け寄ってきた。

「レイナ様! 殿下が!」

“彼”の専属の使用人は皆、玲菜のことを知っている。

「何が? どうしたんですか?」

 メイドの様子に、恐ろしい予感がする玲菜。だが、年配の男性がすぐに彼女を注意してきた。

「大丈夫だ! レイナ様が勘違いされるだろう? 大袈裟に泣いたりするんじゃない」

 普段、年配の男性は物静かで落ち着いた雰囲気だったので、玲菜はむしろメイドを叱りつける姿に驚く。

 しかしやはり緊張が走って、ショーンの服を掴む。

「ショーン、ここ、レ……アルバートの部屋だよね? アルバート、どうしたの?」

 

「シリウスはさっき、俺の目の前で倒れた」

 

「え!?

「こっちだ」

 ショーンは玲菜を彼のベッドの前に連れていく。

「ちょうどその場には俺とアイツの従者と護衛しか居なかったから、大事《おおごと》にしたくなくてこっそり部屋に運んでベッドに寝かせたんだ」

 ベッドでは、紛れも無くレオが眠っていた。苦しそうに顔を赤くしていて、恐らく熱があるのだと予想される。

「シリウスは朝から顔色が悪くて、注意していたんだが。やっぱり疲れが溜まっていたんだ。もっと早く気付いてやればよかった」

 自分を責めるショーン。

 玲菜は少し混乱してその場に座り込んでしまった。

(レオ……!)

 そこにメイドが椅子を持ってきて、玲菜をゆっくりとその椅子に座らせる。

「私が『こんな時にレイナ様が居らっしゃれば』って言ったんです。そしたらショーン様が『呼んでくる』と。まさかこんなに早く到着するなんて。もしかして宮廷の近くに居らっしゃったのですか?」

「あ、あの、えっと……居ました」

 そうだったのか。

 それでショーンが自分の所に来て……と思い出す玲菜。

 すぐ前にレオが眠っていて、未だに信じられないのだが、一先ず熱が心配になった。

「何か冷やす物無いですか?」

「は、はい!」

 慌ててメイドは濡れタオルを用意して玲菜に渡した。

 玲菜はそっとそのタオルを彼のおでこの上に乗せる。その時一瞬だが、おでこに自分の手が触れて――たったそれだけで胸が熱くなった。

「ありがとうございます」

 涙がこぼれそうだ。

 色んな想いが溢れる。

 

「多分、一晩寝ていれば熱が下がると思うんだけど」

 ショーンは玲菜の肩に手を添えた。

「レイナ、シリウスの看病、頼めるか?」

 駄目だ。声を出したら多分泣く。

 玲菜は何も言わずに頷いた。

「何かあれば私共をお呼びください」

 メイドは玲菜に向かって言う。

「廊下で誰かしらが待機していますから」

 告げた後にメイドと年配の男性は部屋を出ていった。

 ショーンも玲菜に話す。

「俺も、今ちょっと忙しいんだけど、今日は城に泊まることにしたし、何かあれば従者さんとかを通して呼んでくれよ。すぐ行くから」

 玲菜はまた頷き、それを見てからショーンはゆっくりと部屋を出ていった。

 

 部屋に二人きりになって。

 ようやく玲菜は彼のことを「レオ」と呼ぶことができた。

 呼んだ途端に涙が溢れ出る。

「レオ……レオ……」

 心配で堪らないが、同時に嬉しさも。

 こんな風に二人きりになるなんて……どのくらいぶりだろうか。

(って、嬉しがっている場合じゃない)

 玲菜はとにかく一生懸命看病した。

 何度もタオルを冷たくして首の付け根やうなじにもあてる。

 やがて彼が汗を掻き始めると拭いて熱を確かめる。早く良くなるようにと祈りながら傍でずっと看ていた。

 

 

 そして……

 少し熱も下がり容体が落ち着いたので、玲菜がホッとしてベッドの横の椅子でウトウトしていた深夜の頃。

 ふと、彼の苦しそうな声が聞こえて玲菜は目を覚ました。

(え? レオ……)

 部屋は真っ暗で、少し明かりを灯して彼の様子を見る玲菜。

 レオは眠っていたが、汗を掻いてなにやらうなされている。

(また熱が上がったの?)

 汗を拭き、おでこを触ってみたが……そうでもない。

 しかし、彼は苦しそうに寝言を呟く。

「嘘だ……死ぬな……嘘だ……」

(え? 死ぬ?)

 次の一言で、何の夢を見ているのか分かった。

 

「……お母…さん……」

 

(レオ、お母さんが亡くなった時の夢を見ているの?)

 彼が流しているのは汗だけでなく、涙もだ。

 彼が泣くなんて初めて見た。

「違う……お母さんは……」

 もしかすると、夢の中の彼は十三歳の少年なのかもしれない。

「自殺……なんか…じゃ……」

(レオ……)

 玲菜は思わず彼の手を握った。

「分かっているよ、レオ」

 うなされている彼に心の中で話しかける。

(大丈夫だよ)

「……俺を置いて……いかないで……お母さ…ん」

 

「私がついてるから」

 

 玲菜は、夢の中の少年に訴えてギュッと強く手を握る。

(レオ……好き……)

 そしてその手にキスをする。

 

 段々と彼が落ち着いてきたのはその後だ。

 涙と汗を拭くと、もう寝言は呟かずに僅かに微笑む。寝ているはずなのに玲菜の手を握り返して静かな眠りに戻った。

 

 

 

 玲菜は、そのまま朝まで手を握って椅子で眠った。

 朝になり、寝不足だったが清々しい気分で目を覚ます。

 彼はまだ眠っていて、けれど、朝日が射して見えた顔色はもう大丈夫そうだ。熱も下がっているのが分かる。

 このまま目を覚ますまで待っていようか。玲菜は考える。

 今なら流れで平然と顔を合わせられる気が。

 彼は驚くか、嫌がるか?

 意外と笑ってくれたりして。

 もし笑ってくれたら、もう一度自分の気持ちを言いたい。はっきり言って、これからも会いたい、と。

 許してくれるなら、別れの時まで一緒に居たい、と。

 ……それはさすがにわがままか。

 玲菜は手を握ったまま彼に呼びかけた。

「レオ……」

 すると、彼は眠りながらも反応してこちらを向く。

 しかし、口を開いた彼が発したのは、玲菜が最も聞きたくなかった名前。

 

「レ…ナ……」

 

 その瞬間に、玲菜は掴んでいた手を離した。

(え? 今、……レナって呼んだ? レイナじゃなくて?)

 いや、もしかしたらレイナだったのかもしれない。それがレナと聞こえただけだと、必死に思い込もうとしたけれど駄目だった。

 心がついていかない。

(今、レナって呼んだ……)

 絶対にそう聞こえて、都合よく解釈なんてできない。

 

 ……駄目だ。冷静に考えるには胸が苦しすぎる。

 

 玲菜は泣きそうになって必死に涙を堪える。ここで泣いては駄目だ。彼が起きるかもしれない。

 もう具合は良くなっているから、起きたら今のことを忘れて笑顔で迎えなくては。

 そんなことを思いながら俯いていると、急にノックも無しに部屋のドアが開いて、誰かがいきなり入ってきた。

「お、お待ちください!」

 引き留めるように続けて入ってきたのはレオの従者で、玲菜の方を見てアタフタする。

「レ、レイナ様。あの、お止めしたのですが……」

 彼は恐らく修羅場になると思ったらしく。それもそのはず、引き留める従者を振り切って入ってきたのはレナであり。

 レナは入ってくるなり、玲菜の姿を見てショックそうな顔をした。

「ど、どうして、レイナ様が?」

 ショックだったのは玲菜も同じく。たった今、彼女の名を彼の口から聞いた気がしたので余計に心苦しい。

「あ、あの、私は……」

 レナは玲菜の言葉を最後まで聴かずに眉をひそめて悲しそうな顔をした。

「レイナ様はずるいです」

「え?」

「わたくしだって、シリウス様を看病したかった」

 銀髪の美少女は手で顔を覆う。

「シリウス様と結婚するのは、このわたくしで、それは運命なのです。どうか、これ以上邪魔しないでください、お願いします」

「運命……?」

 ドキリとする玲菜。

 更に、胸が痛くなるようなことを彼女は続ける。

「わたくしは、ずっと、ずっとシリウス様をお慕いしておりました。初めて会ったのは最近ですけれど、子供の頃からずっと好きだったのです。レイナ様はいつからですか?」

 そんなことを言われたら言い返せない。

 想いは年月ではないと言いたかったが、言う資格が無いと思ってしまう。

 どんなことを思っても、結局は、自分はもうすぐ居なくなる事に行きつく。

 元々この世界の人間ではなくて、もしかすると本当に運命の邪魔をしたから。

 それに……

 先ほど、彼が『レナ』と呼んだことが胸に突き刺さったまま抜けない。そのことが辛すぎて居た堪れない。

「わ、私は……長くないけれど、レ……彼が好きです」

 それ以外に何も無い。

「でも、帰ります。アルバートの具合はもう大丈夫だから、後をよろしくお願いします」

 玲菜はそれだけ伝えると、皇子の部屋を出ていった。

 廊下でレオのメイドに引き留められたが、何も答えられずに会釈だけして去っていく。

 今日は、さすがにお茶会は無いか。ショーンもどこに居るか分からない。

 少し捜してもおじさんは見つからなく、玲菜は馬車も呼ばずに一人で歩いて家に帰ることにした。

 

 

 一方。

 うなされていたのが嘘のように熱が下がったレオは、夢の続きのように目を覚ます。

 自分がショーンと話している途中で眩暈がしたのは憶えている。高熱があったことも実は自分で分かっていた。その後、恐らく倒れて部屋に運び込まれた。以後の記憶は無い。

 うなされながらも、誰かがずっと看病していてくれたのはなんとなく分かる。それに、母が死んだ時の辛い夢を見た。その時も、その人物は自分を呼んで傍に居てくれた。

 苦しみの中、自分は少し幸せだった。彼女が居てくれたから。

 その彼女の名を呼ぶ。

「レイナ……」

 だが、目の前にあったのは聖女の顔だった。美しく微笑みながら、自分を覗きこんでいる。

(レイナじゃない)

「レナ……?」

「はい……! シリウス様!」

 彼女は目に涙を浮かべて、嬉しそうな顔をした。

「良かった! 快復されて」

 そうか。倒れたのは昨日で、彼女はその時まだ帰っていなかったのかもしれない。

「お前だったのか」

 自分を夜通し看病してくれたのは。

 手を握って、悪夢から救ってくれたのは。

 ――彼女だったのか。

(レイナじゃなかった)

 ずっと、玲菜だと思っていた。なぜだか分からない。ただ、なんとなく。――いや、恐らく自分の願望で。そう思い込んでいた。

 だから朝、「レオ」と彼女に呼ばれた気がして「レイナ」と呼び返した。

 でも……

 違った。玲菜ではなかった。

(俺がそうであってほしいと思って、そう感じたのか)

 そうだ。よく考えると彼女《レイナ》が城に居るはずがない。

(ああ……)

 レオは少し落ち込み、それでも自分をずっと看病してくれたレナに礼を言う。

「ありがとう、レナ」

 途端に、想いが溢れたのか、レナが自分に抱きついてきた。

「シリウス様……! シリウス様……!」

「レナ……」

 レオは一瞬、彼女の背中に手を添えかけたが止まる。こんな気持ちのまま、彼女に期待させたら悪い。

 手を下ろしたレオはレナに向かって静かに告げる。

「レナ、すまない。感謝はしているが、お前の気持ちには応えられない。俺には恋人が……」

 言いかけて、考える。

(向こうは、俺と別れたと思っているかもな)

 もう二週間以上も会っていない。きっとそう思っている。

 レオは言い直す。

「俺には好きな女が居て……」

「分かっております」

 レナは一旦離れて言った。

「それでもわたくしは待っていますから」

 聖女のような彼女の微笑みに、レオは顔をそらすことしかできない。

「もう平気だから。お前も疲れただろう? もう看病はいいから、悪いけど」

「はい、シリウス様」

 レナはレオの言いたいことを悟って部屋から出ていった。

 そんな彼女を見てから、部屋に一人になってレオは溜め息をつく。

「はぁ……」

 色んな想いが交差しているのが自分で分かる。

 こんなことで悩んでいる場合ではないのに。

 

 

 その頃、部屋から出てきたレナは、廊下で待っていたセイの許へ行き、何も言わずに彼を従えて歩き出した。

 朝、『皇子が倒れた』という話を聞いて飛んできた。今度は誤報ではなかったが、回復していて良かった。良かったはずなのに……涙が出る。

 どんなに想っても、彼の心にはまだ恋人が居るから。

 さっきだって抱きついたのは決死の覚悟だったのに。抱きしめてはくれなかった。

「レナ様」

 セイの呼ぶ声が聞こえる。

「レナ様」

「なんですか? セイ」

 振り向くと、いきなりセイに抱きしめられてびっくりした。

「セイ!?

「レナ様……」

 ひとけの無い廊下で、ちょうど誰も居なかったのだが、レナは「困ります、セイ」と言って彼の腕を解く。

「セイ、いきなりどうしたのですか?」

 セイは切なそうな顔をして頭を下げる。

「大変ご無礼をいたしました、レナ様。どうかお忘れください。嫌でしたら私を首に」

「セイ……」

 そこで初めて彼の気持ちが分かるレナ。

 しかし、どうにかなるわけでもなく、驚いたけれども首にするほど不快ではない……というか、彼は自分が子供の頃から仕えてくれていた付き人で、抱きしめられたぐらいでは辞めさせるなんて考えられない。なので、一先ず謝れば良しとして。

「首にはしません。ただ、“無かったこと”にさせていただきます。それでいいですね?」

「はい。レナ様。すみませんでした」

 セイが謝るとレナはまた歩き出して、自分がいつも使わせてもらっている客間に戻った。


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