創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第五十八話:砂上の砦、再び]
前回の戦でシリウス軍が出立した日、玲菜は早朝に家でレオを見送ったために、軍隊が都から出ていくのを見なかった。
「レイナ様! ここからならお兄様がよく見えます!」
しかし今回はクリスティナに連れられていった塔の窓からその様子を見る。
いつもの青い立派なマントをつけた皇子は、立派な装飾を付けた白い軍馬に跨り、直属の蒼騎士聖剣部隊を率いて城を後にする。集まった群衆は声援を送り、勝利を願う。
塔からは下の街並みがずっと遠くまで見えて、軍隊が通る大通りにはずいぶんと人が集まっていることが窺える。
横で見ていた侍女が感心したように言った。
「やはりアルバート皇子の人気は絶大ですわね。凱旋でもないのに、あんなに人が!」
続いて通るのはレッドガルム率いる傭兵団・砂狼であり、通常、傭兵団は現地で集合する事が多いのだが、今回は蒼騎士聖剣部隊と同じ作戦で働くために一緒に行動する模様。
玲菜はレオの方を眺めた後、砂狼の軍隊も見てイヴァンのことを思い出した。
(あの中にイヴァンさんも居るんだ)
もちろんどこに居るのかは分からないが。
(傭兵なんて危ないんじゃないの? 大丈夫かな)
彼のことも心配になる。
やがてレオの姿が見えなくなったので塔を降りて、玲菜も本日出発する予定なので、クリスティナに「しばらく会えなくなる」と挨拶をする。
クリスティナは「寂しい」と少し目を潤ませたが、玲菜が異母兄とうまくいくようにと祈ってくれて、更にくれぐれも気を付けてと心配をした。
玲菜は礼を言って、鳳凰騎士団長のフェリクスに届ける彼女のお守りを受け取り、もう一度別れの挨拶をしてから後宮を出た。
『帰ってきたらまたお茶会をしましょう』と約束をして。
そして、城門でショーンと待ち合わせて会い、二人で馬車に乗って家に帰る。
帰ると、用意しておいた旅の荷物をまた確認して昼食をとり、片付けと戸締りをしっかりしてから家を出る。
ウヅキを連れて、荷物をたくさん持ってまた馬車に乗り、都を出て自動車を隠している洞穴近くまで行って降りた――。
「大丈夫かなぁ? 車」
もうずっと置きっぱなしだったので、不安になる玲菜。
目印の大きな木を見つけて、ドキドキしながら洞穴を捜す。
もし無かったら。或いは、壊されていたら。
緊張しながら捜すと、ショーンが「あったぞ」と声を掛けてきたのでその方に向かう。
……自動車は無事に発見したが、砂まみれで物凄く汚くなっていたので、今度は故障していないか不安になった。
ちゃんと動くのだろうか。
玲菜は恐る恐る鍵を開けて運転席に入る。「ふぅ」と一息ついてから電源スイッチを押すと、軽快なメロディが鳴り。同時にCDもかかる。
なんとか起動したと、一度セレクトレバーやメーターなどを確認してアクセルを踏む。
特に問題無く発進して、洞穴から出てショーンを助手席に乗せた。
「良かったな、動いて」
ショーンも安心して方位磁針と地図を開く。ちなみにウヅキは動き回られたら困るので、ペット用の籠の中で大人しくさせているのだが、果たして静かにしているかどうか。
不安はたくさんあったけれど、とりあえず動かして道を進み、休憩と充電をしつつ東に向かう。砂漠を避けるための遠回りの道をゆっくりと走り、しばらくすると今度は南に。
日が暮れてきたら早めに集落で落ち着き、次の日も南に。その次の日は一日中西に。途中、道路の不具合で迂回を余儀なくされて余計に時間がかかり、更に次の日で西と北へ。翌日はずっと北に向かえばやがてたどり着く。
*
――旧要塞大聖堂の砂上の砦・鳳凰城塞に着いたのは、車だったのにも関わらず、出発してから五日目の夜。
相変らず威圧感のある、何重もの城壁。見張り塔や歩廊では明かりを持ったたくさんの兵士が夜襲を警戒しながら抜かりなく警備している。
暗くても、明かりに照らされて見える砲台や銃眼や仕掛けが、以前よりも増えた気がする。
さすが要塞。とも言うべきか。
同じ敷地内には元修道院付き大聖堂も立派に建っている。
たどり着いたその足で玲菜は家政婦帳のマーサの所に出向き、雇ってもらい。ショーンと別れて、修道着仕様の仕事着を受け取ってから前と同じ部屋に入った。
家政婦の仕事は、経験者だとすぐに雇ってもらえて、前と同じ係になる事が多い。そして、部屋も空いていれば同じ部屋。
玲菜はまた洗濯係になり、前と同じ部屋に入ると、既に部屋に入っていた二人が顔を出した。
二人とも玲菜の姿を見るなり駆け寄ってくる。
「レイナ〜〜!」
「レイナちゃ〜〜ん!」
緑っぽい金髪をツインテールにした可愛らしい娘・ミリアと、黒髪のショートボブのサバサバ系姐さん・アヤメだ。
「やっぱり来たんだね!」
三人は声を揃えた。
「アヤメさんはね〜、一番乗りだったのよ〜」と言うのはミリア。
アヤメは都からの軍隊が来る少し前からこの砦に来ていたのだという。
そしてミリアは、二日前らしい。
「レイナちゃんは結局どっちなんだろう? って思ってたんだけど、ミリアが来るって言っててね、それでこの部屋のベッドを一人分確保しといたの」
アヤメの言葉に、そんな手回しがあったのかと思う玲菜。アヤメは砦の家政婦の仕事のベテランで、色々なことに詳しい。
「そうだったの? どうもありがとう! 私、一緒の部屋になれて嬉しいよ」
玲菜は礼を言って、それから荷物を置き、自分のベッドに腰掛ける。
三人で「また、しばらくよろしく」と挨拶をして、結局戦が起こってしまったとの嘆き、そして現状の説明を二人が玲菜に教えてきた。
――まず、今砦に入っている都からの軍は長男のフレデリック皇子が率いていた隊だということ。その大軍は帝国西方門の防衛で、すでに緊迫している状態。明日にでも他の傭兵団を率いて出陣する様子。出陣には、鳳凰騎士団も居ると聞いて、玲菜はお守りのことを思い出す。
(じゃあ、明日の朝、急いでフェリクスさんを捜して渡さなきゃ!)
明日には恐らく次男のヴィクターが率いる隊が砦に入ってくる予定だという。そしてレオ――アルバート皇子が率いる隊は明後日の予定。
「明日からはもう凄く忙しくなるからね」と、アヤメは脅してくる。
近隣のオアシスの町の住民はもう前に避難している上に、前のように敵の小隊が国境内に侵入することは少なく、ここに来た難民はさほど多くはないという。
一通り聞いて、状況をなんとなく把握する玲菜。兵士の数は前回よりも数倍多いので、相応に仕事が多い。もちろん家政婦の女性はまだまだ募集中で、しかし、あまり多いと今度はいざという時の混乱になるので、実状は前よりも少し多いくらいの人数で一人あたりの仕事が増える模様。明らかに大変だと分かり、しかしその分給料も良いのだという。
積もる話もあったのだが、明日の仕事に響くといけないので今夜は一先ず休むことにする。
玲菜は旅の疲れを癒すように眠った。
次の日。
早朝から砦内は慌ただしく皆が動き回る。出陣する兵たちは準備をして、家政婦の女性たちはそれに合わせての仕事がいきなり降りかかる。
前線である西方門、及び実質本営の敷かれる国境警備隊の詰所は緊迫の状態が続き、本陣であるこの砦にもピリピリした空気が伝わる。
伝令係が情報を持ってくる度に緊張が走る。
玲菜は洗濯の仕事の合間に急いで鳳凰騎士団長であるフェリクスを捜し回り、ようやく鎧と橙色のマントを装着した彼を見つけて駆け寄った。
「フェ、フェリクス様!」
すると彼の周りに居た騎士たちが玲菜を止めるように間に入る。
「キ、キミ! 団長は今、忙しいから」
どうやら玲菜をフェリクスのファンか何かだと思ったらしく。しかし、フェリクスの方が玲菜に気付いて「貴女は……」と、反応した。
「もしかして、アルバート様の……」
恐らく「恋人」だと気付いたようだが、言ってはいけないと思ったらしく、口をつぐむ。
それよりも玲菜は、クリスティナから預かったお守りを彼の前に差し出した。
「あの、私、クリスティナ様からこれを預かっていて、フェリクス様に届けようと思っていました。クリスティナ様が心を込めて作った物ですので、どうぞ」
「え? クリスティナ様から?」
さすがに驚いた様子。
しかし、フェリクスは、アルバート皇子の恋人が異母妹であるクリスティナと繋がっていても不思議ではないと気付き、お守りを受け取る。
婚約者からの贈り物を嬉しそうに眺めて礼を言ってきた。
「わざわざ届けてくれてどうもありがとうございます。クリスティナ様にもお伝えください。お守りは大事にしてきっと、クリスティナ様の許へ戻りますから、と」
金髪で青い瞳の美形な彼の素敵な言葉にうっとりする玲菜。やはりクリスティナとお似合いだと思いドキドキする。
(やっぱりフェリクスさん、素敵! 遠く離れていてもクリスティナ様と相思相愛って感じでもう……!)
羨ましいし、自分のことのように嬉しい。
「必ず戻って下さいね! クリスティナ様は、ずっと会いたがっていましたから。お守りも本当に一生懸命作っていましたよ」
玲菜はそう言って、お辞儀をして彼の前から去る。
“お守りを届ける”という約束は果たせた。
あとは、自分のお守りをレオに渡さなければ。
(レオは明日来るんだっけ?)
玲菜はレオのことを考えたが、それよりもすぐに仕事に戻ろうと走り出し。
しかし、その途中で第一皇子であるフレデリックによる出陣前の演説が始まって足止めを食らった。
前の戦の時にレオが言ったのと似たような言葉……いや、それ以上の長い演説が続き、終わると兵士たちが沸き上がる。
いよいよ西方門防衛の大軍が砦を出ていく際には、城塞中大騒ぎの若干混乱が起きるほど。
それを見届けてから、玲菜は仕事場に戻り、家政婦の女たちは、今度は第二皇子ヴィクターが率いる隊の到着を迎える準備をしなくてはいけない。
その日は一日中駆け回り、また都からのヴィクター隊を歓迎し、忙しいまま日が暮れる。玲菜や女性たちはくたくたになって、部屋に戻るなり皆がすぐに就寝して一晩が過ぎた。
疲れは次の日の朝になってもすべては取れず。しかし……
(でも今日、レオが到着するんだ)
玲菜の胸は高鳴り、嬉しさや緊張、不安が交差する。
(お守り渡さなきゃ。お守り渡さなきゃ)
すぐには渡せないかもしれない。
『俺にはもうレナからのお守りがあるから』なんて……まさか断られやしないだろうか。
(まさか!)
玲菜はギュッと目をつむって服を黒のシスター服っぽい仕事着に着替えた。
(そういえばレオって、シスター服に弱いって言ってたな。聖女っぽいの好きだからだよね)
自分で思って自分で傷つく。聖女といえば一番にレナが思い浮かぶ。
シスターの格好をしたレナを見て彼が顔を赤らめるのを想像して泣きそうになった。
(やばい、自爆)
しばらく落ち込み、布団に顔をうずめる……暇も無く、もう朝食をとりに行かなくてはならない時間なので、顔を洗い、身だしなみを整えて部屋を出た。
シリウス直属蒼騎士聖剣部隊と傭兵団・砂狼が到着したのは昼過ぎ。都からの最後の軍隊は兵が一番少なかったが、出迎えの盛り上がりは一番大きく。それもそのはず、女性たちに大人気の第三皇子アルバートが率いていたからであり。
砦中の女たちが仕事をさぼって出迎えた様子。
玲菜もアヤメやミリアたちと一緒に例の、聖堂中庭の回廊の二階に行ったのだが。よく見えるという噂がすでに広がっていたためにごった返していて、とても前に行けない。
三人は嘆きながら隙間からシリウス隊の到着を覗き見る。
やがて、中庭にアルバート皇子が現れると大歓声。女性たちの黄色い声が飛び交う。
アヤメは一番にバシル将軍を見つけて興奮して、ミリアはショーンが居ないので覗ける隙間を玲菜に譲ってくれた。
隙間からドキドキしながら玲菜が彼を見つめていると、青マントの騎士は馬を降りて兜を取る。黒い髪に青い瞳で整った顔立ちを見ると皆が自然に「シリウス」と呼んだ。
一瞬、シリウスは誰かを捜すように回廊の二階を見回した気がした。そう感じたのは玲菜だけでなく、二階の回廊に居た女性たちが「こっちを見た!」と大騒ぎ。
だが、皇子はすぐに城主のウィン司教と挨拶を交わして、兵を率いて中庭から出ていった。
兵士たちが出ていくと見物人たちも皆各自の持ち場に戻り始めて。
三人は少しの間残っていたが、突然ミリアが嘆き出す。
「も〜〜。ショーン様も出てくると思ったのに〜。出てこなかったわ〜」
一方アヤメは満足げに「筋肉、筋肉」と興奮状態。
玲菜とミリアは呆れた目で見つめたが、「ハッ」と気付いたようにミリアが言ってきた。
「レイナ! あなた、シリウスさまを見つめる姿が尋常じゃなかったわよ! いくら彼氏とうまくいっていないからといって、似ているシリウスさまに心変わりしちゃ駄目なんだからネ!」
まさか同一人物だとは思っていないので、紛らわしい忠告。それよりも、『彼氏とうまくいっていない』という言葉に反応したアヤメが慌てて訊き返す始末。
「え? レイナちゃん、レオさんと喧嘩でもしたの?」
「うっ……」
なんて答えようか。
しかし、雑談をしている場合ではないと気付いた三人は持ち場に戻る。とりあえず玲菜の恋の話はあとで部屋にて話し合うとして、急いで作業を再開した。
やがて――夕刻になったが。仕事は終わらず、洗濯の量が半端無い。なんせ帝国軍約半分の兵がここに居るので、それもそのはず。兵舎はギュウギュウ詰めで、野営のテントで寝る者も多く、汚れる服やシーツが余計に届く。
夜の寒空でも乾燥場で洗濯物を干し、おかげで夜にまで仕事が押し寄せる。覚悟していたが、とてもじゃないがレオを捜しにいくことなどできずに、玲菜は作業をしながら心の中で嘆いた。
ようやく仕事が終わって食事をとり、部屋に戻ると新しい子が二人増えていた。その二人とも挨拶を交わして、お喋りをしようとしたが、ベッドに入るとつい眠ってしまった。
(今日こそ渡さなきゃ!)
朝起きて、後悔する玲菜。
せっかくレオが到着したのに、忙しいのと疲れていたのでお守りを渡せなかった。
休憩時間は短くて、捜す時間が無い。
こうなったら食事の時間を割いてでも行くかと計画を立てる。
本日も朝から洗濯の量が半端無い。
洗濯係の特権は、洗濯場から練兵場が見えるということだったが。
実は今回アルバート皇子をたくさん見られると得をしたのは掃除係だった。
なぜなら、蒼騎士聖剣部隊や砂狼団の今回の作戦は湖上の砦への侵入であり、実戦形式での訓練は城で行われる。よってアルバート皇子はほぼ城の中に居て、たまに練兵場にも出てきて馬上戦の訓練などもしたが、時間は少ない。
せっかく仕事をしながらレオの姿が見られると思ったのに。玲菜は他の女たち同様にガッカリして作業を続けた。
そうして昼食の時間になり、玲菜は急いで食事をとってレオを捜しに行くことにする。
お守り袋を手に持ち、色々な兵士たちに訊きながらついに居場所を突き止めると、緊張しながらその場所に向かう。
そこは外郭の鍛冶屋などがある場所で、多くの兵士たちが行き交って騒がしい。
玲菜は青いマントの騎士を一生懸命捜したが中々見つからず、ついに諦めた方がいいかと思った矢先に、一人の騎士が一人の兵士に怒鳴っている所に遭遇した。
まず先に気付いたのが、怒鳴られている兵士がイヴァンだということ。イヴァンはヘラヘラしていて、対する騎士は怒っている。騎士は、青マントこそしていなかったが、黒髪の青年――レオだった。シリウスだとは周りにバレていない。
(レオ! 居た!)
玲菜は防具などを売っている店の近くからその現場を窺う。
「お前、なぜ俺に黙って傭兵になったんだ!」
こう言ったのはレオで、迫ってくる彼に手を向けてイヴァンは「まぁまぁ」と返す。
「いいじゃんか。オレだって戦いたかったんだよー。昔よく二人で言ってただろ? それに、あの頃はお前よりもオレの方が強かったし」
「何、ガキの頃の話してんだ! 俺はお前とは違うぞ! 俺はあれからずっと訓練しているんだからな。あの頃とは比べ物にならない……」
「分かったよー。お前の苦労は分かったから、怒るなよ〜」
イヴァンは細い目をもっと細くして苦笑いする。
「いや、オレだって一応剣の訓練してたし。もちろんお前ほどじゃないのは分かるけど、全く戦えないわけじゃないんだよ。砂狼に入った時だって、剣の腕見せたらレッドガルム団長に褒められたし」
「ふざけるな!!」
レオが怒鳴るとイヴァンはビクッとする。
防具屋の陰から見ていた玲菜もつられてビクッとしてしまった。
レオは「ふぅ」と息をついてから言った。
「お前は、鍛冶屋になったんだろ? この前、打ってもらって感心したよ、『すげぇな』って。なんで、鍛冶屋で我慢できなかったんだ。わざわざ傭兵なんて、死ぬつもりかよ」
「危険なのは分かってる。でも死ぬつもりはないって」
イヴァンはレオの肩を叩いた。
「オレだって夢だったんだから。お前と一緒に、シリウスの様に戦うことが」
「イヴァン……」
「ただ、びっくりした。お前がこんなにオレのこと心配するとは思わなくて」
「し、心配っていうか……」
途端にそっぽを向くレオ。
「ただ、お前みたいな奴って死ぬ確率高いから」
「やめろよ〜〜〜! レオ君、そんな不吉なことサラッと言わないで!」
怯え出すイヴァンにレオは呆れて溜め息をついた。
――その時、玲菜に駆け寄り、声を掛ける女性が。
「レイナちゃん、こんな所に居た!」
「え?」
振り向くと、そこにはアヤメの姿。
「仕事始まったのに居ないから、どこに行ったのかと思って捜してたんだよ」
「え! もうそんな時間?」
レオを捜すのに必死で、時間を確認していなかった。
「早く、早く!」
引っ張るアヤメに連れられて、玲菜はレオにお守りを渡せずにその場を去る。つい、イヴァンとのやり取りを見てしまった。「今度こそは」と思ったのに。
玲菜は軽く落ち込んだが、仕事なので気持ちを切り替えることにする。
一方、レオは微かに「レイナ」という言葉が聞こえてすぐに周りを見回した。
「レイナ……?」
呟くと、隣に居たイヴァンが「ああ」と頷く。
「レイナちゃん、また来てるんだよね。オレたちの出立の日にオレ、偶然会ってさぁ。お前にお守り渡そうとしてたみたいだけど、渡せなかったから。でも『砦で渡す』って言ってた」
「え?」
「ホント、可愛いよね〜レイナちゃん。健気っていうかさ。そういやこの前都の市場でも会ったんだよ。その時、お前に似ている奴が居てさ、長髪だったんだけど……」
イヴァンの話が耳に入らないレオ。
それどころではなくて。
(俺にお守りを渡す? ここで?)
いや、頭の中が整理できないが、ある結論がまず来る。
(アイツがこの砦に、居るのか?)
ならば先ほど聞こえた「レイナ」という名前は……
――すぐに聞こえた方に走り出すレオ。
「え? レオ!」
イヴァンに呼びかけられたがそれどころではない。
走りながら、今まで言われたことを確認していった。
イヴァンが出立の日に偶然会ったという話。
(どこで?)
お守りを自分に渡そうとしていた、と。
(お守りなんか、作ってたのか? 俺のために?)
胸が苦しくなる。
けれどその時には渡せずに、ここで渡そうと……。
(さっき、近くに居たのか?)
すぐに捜せば良かった。もうどこにも見当たらない。
けれど……
レオは家政婦の洗濯場の方へ向きを変える。
もしかしたら居るかもしれない。
(もしかしたら)
その時、ショーンの言葉が一気に甦る。
『彼女はお前の傍に居る』と。
ああ、そうだ。
(もしかしたら、ずっと宮廷に?)
前にショーンの付き添いで来ていたことがあったが、ひょっとしたらその手の理由でずっと宮廷に来ていたのかもしれない。
そしたら自分の看病をしてくれたのが彼女だったと、確信できる。
“レオ”と呼ばれたのは夢ではなかった、と。
そして今も、自分の近くに。
「レイナ……」
レオは人目もはばからずに大声で呼んだ。
「レイナ!!」
周りに居た者たちは皆振り向いたが、その中に彼女は居ない。
(ああ、くそ!)
一体いつまで、彼女はこの世界に居るのか。
『過去から来た』ということは認めたくないが、もし本当ならばいつ戻るのか?
彼女が戻るまでに伝えなくてはいけないことがある。
(なんか……何か、言っていたな。なんでこの世界に留まっているんだ? なんで帰れない?)
「鍵?」
レオは思い出した。
(戻るための鍵だ。確か、オヤジとそれを探しているって……)
砂漠の遺跡商人も、森の中の預言者への許へも、そのために行った。
しかし見つからなかった。
(いや、違うな。預言者にはヒントを聞いたんだ。俺は最初、それが考古研究で使う物だと思ってたけど。なんだっけ? ナントカの結晶…石?)
確か、必要ならば、戦の時に自分が取ってきてあげようとして。
――龍宮の緑城に、それがあるのは間違いない。
(そうか。オヤジはもしかして俺と一緒に龍宮の緑城に行くつもりか?)
ショーンは戦場で指揮を執るのかと思ったが、多分違う。
(一緒に行くつもりだ、絶対! それでレイナのために“鍵”を見つける気だ)
考古研究のための材料ではなかった。
そしてそれを見つけたら、彼女は帰る。
すべて予想だが、間違いない気がする。
(そうだったのか)
戦の終結が、彼女との別れかもしれない。
やはり未だに信じたくない自分がいる。
信じたら、彼女が帰ることを認める気がして。
今でも嘘だと言ってほしい。
(そしたら、一ヶ月以上辛かったけど、許してやるのに)
しかし、もうその可能性はないのだろうと、心のどこかで分かっていた。
今はただ、会いたい。
(レイナ……!)
ずっと走り通した。途中で彼女に会うことはできなかったけれど、もし彼女がここに来ていて、また洗濯係をしていれば洗濯場で会えるのは間違いない。
今、会いに行ったら少なくともその場に居合わせた女性たちに自分とのことがバレるかもしれない。
(それでもいいか?)
もう、それでもいいか。
レオは洗濯場の方へ向かって歩いて、最後の確認をする。
彼女が居たら、仕事を中断させてでも連れていこう。
自分勝手だが、気持ちが抑えられない。
(ま、まずい。俺としたことが……緊張を……)
彼女に会うのに、こんなに緊張するなんて思わなかった。
自分の鼓動がうるさい。
しかしレオは決心して前に進む。
だが――
一度すれ違うと色々とかみ合わなくなるようで。
こんな時に、またもや伝令が。
それは一気にレオの気持ちを切り替えさせる。
「アルバート殿下! ここにおられましたか!」
声を掛けられて振り向くと、伝令係の兵士が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「先ほどヴィクター殿下や参謀長殿にも伝えましたが、西方門からの連絡でございます!」
「え?」
「西方門近くの国境付近にて、戦が始まったとの事! お伝えに上がりました!」
レオは一瞬ボーッとしたが、我に返って答える。
「分かった。伝令受け取った。参謀長はなんて言っている?」
「ハッ! 参謀長殿からは『アルバート皇子を呼ぶように』と預かっておりまして」
それはそうか。
「分かった。すぐ行く。お前も一緒に来い」
「ハッ!」
残念だがこればかりは仕方がない。
レオは一度目をつむり、気持ちを切り替えてからショーンの許へ向かった。