創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第五十九話:緑龍奪還作戦]
戦が始まったという情報は瞬く間に砦中に広まる。第一皇子フレデリック率いる大軍はすでに西方門近くに陣を張っているはずで、傭兵団が国境前線で敵を迎え撃つ。
相手国は恐らく前回の戦から準備をしていたために、いきなり総攻撃で西方門突破及び詰所の砦制圧を狙ってくる予想。
「フレデリック皇子にはなんとか踏ん張ってもらわねーとな」
参謀長である軍師のショーンは軍議室で頭を押さえた。
もしも突破されたらそのままの勢いで鳳凰城塞を陥《お》としに来る。
「あ〜〜。それにしても、思ったより早かったな〜」
場を不安にさせるような言動を平気でするショーンを、伝令係と共に軍議室に到着したレオは注意した。
「ショーン!」
「ん? ああ、すまん」
鳳凰城塞軍議室の長テーブルで、各隊長や将軍たちを集めたショーン軍師は、参謀長ぶって「ゴホンッ」とわざとらしく咳をしてから皆に言った。
「諸君、今がチャンスだ」
何かキャラを演じているのか。
「ナトラ・テミス軍……今より敵軍と呼ぶが。敵軍が西方門突破に全総力を挙げている今こそ、領土奪還の機であり、唯一の好機。えー……」
ショーンは一度自分の手の平を見てから口を開いた。
「国境警備の手が緩んでいる今、少々過酷ではあるが、砂漠を越えて敵国に侵入。そのまま湖上の砦――龍宮の緑城《グリーンドラゴン》に突撃。えー……」
もう一度手の平を見るショーンに、ついレオがつっこんでしまった。
「ショーン……手の平に何が書いてあるのか知らないけど、いつも通りでいいから」
「うっ……」
ショーンは周りの目を見て、皆がレオと同じ事を思っていることに気付いた。
苦笑いしながら頭を掻いていつもの口調で言い直した。
「ま、よーするに。敵軍が西方門に集中している間に、俺たちは砂漠から国境越えて、龍宮の緑城を攻めちまおうって作戦だ。そうすれば自《おの》ずと向こうは西方門からも手を引くし、うまくいけば領土も奪還! 帝国軍の完全勝利になって、戦も終結、と」
この作戦はもう決まっていたものだが、ショーンは釘をさす。
「そう易々とすべてがうまくいくとは思わねーけど、とにかく、この作戦の成功の鍵は速さにあり、そこは各々《おのおの》身を引き締めてほしい」
言いたくないことだが、心を鬼にした言葉を発する。
「味方や友人が倒れても振り返るな。足手まといを捨てる覚悟を、どうか頼む」
その場に居た全員は軍師の残酷な作戦を肝に銘じる。
「国境越えや湖上の砦攻撃が遅れれば、西方門はもたない。突破されて、最悪、詰所の砦だけでなく鳳凰城塞も制圧されることになる。もちろん、戦が長引いてこちらの総力戦にも気づかれたら都も危ないし」
「都もですか?」
誰かが訊くと、ショーンは気まずそうな顔で答える。
「ああ。手薄だと情報が漏れる。もちろん、手薄にしているつもりはないが」
「私たち皇子が三人も出ているからね」
第二皇子のヴィクターが他人事のように言った。
「それでさ、ショーン軍師。この作戦は、私や兄上が囮でアルバートが活躍するものなのかな?」
さすが腹黒。ニコニコしながら嫌なことを言うと、レオは思ったが、ショーンはサラッと返事した。
「そうですよ、ヴィクター皇子」
「なっ……!」
まさかの返答に、一同が凍りつく。
しかしショーンは動じない。
「シリウスが成功すれば一番の英雄になれる。しかし、その代わり死ぬ確率が一番高いです」
今度焦ったのはレオだ。
「ショーン……!」
縁起でもない。
「防衛にしても、湖で戦っても、英雄にはなれます。要は、死んで英雄になるか、生きて英雄になるか、皇帝になるか」
ショーンの言葉に、ヴィクターは妙に納得した様子で「なるほど」と頷く。
レオは心の中で溜め息をついた。
参謀長は皆に発表する。
「現時より、緑龍奪還作戦の態勢を整える! 国境越えは夜中に決行するために、砦を出るのは夕刻。詳しい段取りはまたその度に通達するから、伝達漏れの無いように。それだけは注意してくれ! あとはずっと前から進路や手筈を叩きこんでいたから分かるだろ?」
そう、この作戦は皇帝の城――サイ城で念入りな打ち合わせを繰り返していた。
皆は頷き合い、軍師の方を見る。
そのショーンは「しまった」と、思い出したようにヴィクターとレオの方を見た。
「――私からは以上です、両殿下。ご命令を……」
今のがほぼ命令だった。レオは苦い顔をして、ヴィクターが「やれやれ」という風に言い放つ。
「貴卿達に参謀長の意の通りに行動することを命ずる!」
「ハッ!」
「……で、いいのかな?」
ヴィクターはコソッとレオに問う。
「私は慣れてないからね」
「問題ないですよ、兄上」
(なんだこのグダグダ感)
レオは心の中で文句を言いながら、場に居る者たちに言い放った。
「以上! 解散!」
戦場に赴くのはいつも自分だったが為の、異母兄たちの頼りなさはイライラする。
(こんなんで作戦がうまくいくのか?)
せめてもの救いは優秀な部下が多いことか。
それと、どうやって計算しているのか分からないが、いつも成功する軍師の作戦。
計算の裏側がどうなっているのかなんて、レオは深く考えなかったが。
軍議室を出たショーンが頭を悩ませながら歩いていると、傭兵団・砂狼のレッドガルム団長がショーンの横に付いて話す。
「ショーン殿、“湖族《こぞく》”の件ですが」
「ああ、どうだった?」
「それが、警戒心が非常に強くて、部下が行っても何も収穫できず、申し訳ないです」
レッドガルムの言葉に、ショーンは「やはりな」と溜め息をつく。
「駄目か。そうだろうな〜」
「ショーン殿、どうされますか?」
「うん、また考えるよ」
呑気なショーンに、レッドガルムは慌てた。
「しかし! もう時間が……」
「分かってる。だから西方門攻められるのが思ったより早くて困ってるんだよな」
「ショーン殿」
「次の交渉が失敗したら、もう諦めるしか無ぇな」
ショーンは頭を抱える。
「なんだっけ? 相手は誰なら話を聞くって言ってんだっけ?」
「一般女性です。女の部下が一般女性のフリをして行きましたがバレました」
「一般女性か……」
ふと、ある女性のことが思い浮かぶショーン。
「そうか! 彼女なら……!」
「誰か思い当たる方がいるのですか?」
レッドガルムが顔を覗くと、ショーンは思い切り悩む。
「んんんん……んんんうーん」
頭が痛い。
「どうしようかな〜」
色々と心配だが、どうだろうか。
「一応、頼んでみるか」
幸い、彼女はこの砦に来ている。
―――――
その頃、玲菜は相変わらず大量の洗濯作業に追われていて、疲れていた。
西方門で戦が始まったとの情報が入ったあと、砦内の兵士たちは慌ただしく動いている。家政婦の女性たちは心配したが、自分たちには仕事しかできない。
まさかその日の夕方には砦に居る残りの兵も(守備隊を抜かして)出陣するとは思っていなく、レオにお守りを渡すのは夜にしようと計画を練っていた。
もちろん、レオが先ほど自分を捜していたなんて知る由も無い。
玲菜は干す係もこなしていて、籠に入れたたくさんの重いシーツを一生懸命持って干場に運んでいく。
そんな彼女の前に誰かが現れて声を掛けてきた。
「あら〜! レイナじゃないのぉ〜。久しぶりねぇ!」
「え?」
大量のシーツで視界が隠れてよく見えない。
その人物は姿が見える横に移動してきた。
「私よ! わ・た・し!」
そこには、オレンジに近い色の髪を髪留めでまとめてアップした綺麗な女性が立っていて、「ハァーイ」と手を振ってくる。
「マリーノエラさん!」
彼女は帝国四賢者の一人で天才技師と呼ばれるマリーノエラだった。別名『解体師』とも呼ばれる。
「どうしてここに居るんですか? 避難?」
玲菜は籠を置くこともできずに運びながら話しかけると、マリーノエラはついてきた。
「えー。違うわよぉ。呼ばれたから出張したの」
「呼ばれた?」
「そうよ。一昨日ね。本人じゃなくて使者が来たんだけど。ホラ、あんたたちに売った自動車の整備してくれってさ」
「自動車の整備?」
ということは、呼んだ人物は分かる。
「おお〜〜〜居た居た!」
ちょうどその時、恐らく呼んだ人物であるショーンが駆け寄ってきて。
「って、何、レイナの邪魔してんだ、おばさん」
近付くなりいきなりマリーノエラが気にしていることを言った。
「な、なんですってー!」
確かに四十九歳なのだが、若作りしていて三十代(本人的には二十代)に見えるマリーノエラは激怒した。
「おばさんって何よ! この中老! それに別に邪魔してないわよ、話しただけじゃない」
ショーンはマリーノエラを無視して玲菜の籠を持とうとする。
「重そうだな、レイナ。おじさんが持ってやろうか?」
「い、いいよ」
断って一人で持つ玲菜の後ろから二人は付いてきながら口喧嘩をしている。
「相変わらずレイナには甘いんだから〜。ショーンおじさんってば、イヤラシイわねぇ」
「はあ? イヤラシイ? なんでだよ」
「三十歳も離れているのよ〜?」
「だから、俺にとってレイナは娘同然だから。若い男好きなお前と一緒にするな」
「私の場合、向こうから寄ってくるのよ。未だに保ってる色気のせいかしらね」
「色気っていうか、熟女好きなんだろ。いるんだよな〜、そういう奴」
「熟女〜?」
「熟女だろ。それともおばさん好き? あ、厚化粧好き?」
「なんですって〜〜〜!」
「二人共うるさーーーい!!」
玲菜は激怒して籠を置いた。
ちょうど干し場に着いたのだが、なぜ二人がついてくるのかが分からない。
「もう、なんで私の後ろで喧嘩してるの? もー、作業中なんだから邪魔しないでよ!」
「ごめん、ごめん」
ついてきたのはただなんとなくだが、二人は悪いことをしたと思って干すのを手伝った。
干しながら、ショーンはマリーノエラに話す。
「ああ、そうそう。マリーノエラ、頼みがあるんだ」
「整備でしょ? その為に来たのよ。出張代は高くつくからね」
「あ、うん。整備もそうなんだけど、その前に一仕事……」
面倒くさそうにマリーノエラは訊く。
「何? 一仕事って。また何か拾ったの? 解体だったらやるけど」
「今夜、暇か? 今夜っていうか、下手すりゃ数日かかるけど。終わったらすぐ帰っていいし」
「はあ?」
嫌そうな顔をするマリーノエラの手を掴むショーン。
「頼む。キミにすべてが懸かっているんだ! 天才・マリーノエラ!」
「ええ? まぁ、美人で天才の私にできないことはないけどぉ」
すっかり機嫌を好くしたマリーノエラは「その仕事って一体何?」と訊ねる。
ショーンは嬉しそうに……しかし、気まずそうにためらいながら言った。
「砂漠から国境を越えて、湖族に交渉するんだ」
「嫌よ!!」
マリーノエラはショーンの掴んでいた手を振り払って思い切り叫んだ。
「砂漠越え!? 国境越え!? その上湖族ですって? アイツら、湖賊稼業もしてるのよ? 冗談じゃない!」
「ホントに頼む! お前しか居ないんだ!!」
「ぜーーーーーーーーったい! 嫌!!」
断固として首を縦に振らないマリーノエラ。
「砂漠越えも、国境越えも、湖族交渉も、命が幾つあっても足りないわよ! 自分でやりなさいよ」
「俺じゃ駄目なんだよ!! 向こうは交渉に『一般女性』を要求してるんだから!」
「ウルサァアアアアアアアアアイ!!」
また玲菜は怒鳴った。
「もう手伝わなくていいから! 近くで口論しないでよ! どうして二人は大人げないの?」
「ご、ごめんなさい」
二人は謝ってその場を去ろうとしたが、玲菜の方があることに気付いて引き留めた。
「ねぇ、ちょっと待ってショーン」
「ん?」
「交渉に一般女性を要求って、私でも平気?」
ショーンは、マリーノエラとの会話をうっかり玲菜の前でしてしまったことを後悔した。
「だ、駄目だ」
「駄目? 駄目じゃないでしょ? 私だって『一般女性』だよ?」
そして彼女は意外に頑固で。
「いや、危ないから」
「危ないのは分かってるよ。なんでマリーノエラさんには頼んで私は駄目なの?」
時々危険を顧《かえり》みない。
ショーンは頭を押さえた。
「レイナ……」
「ねぇ、もしかして……もしかして、レオやショーンと一緒に行ける?」
しかも、そういう時は勘が鋭い。
「やめなさい、レイナ!」
横で聞いていたマリーノエラも止めてきた。
「砂漠越えはキツイし、国境越えなんて、いつ向こうの警備兵に攻撃を受けるか。それに湖族は帝国の人間ではなくて危険な連中よ」
ショーンの方をキッと睨み、訊ねる。
「ショーンもどうして、そんな連中と交渉を? 意味が分からないんだけど。まず理由を話してちょうだい!」
「ああ、うん。そうだな……」
仕方なさそうにショーンは理由を話す。
「今回の攻城の作戦でさ、湖での戦いをしなくちゃならねーんだけど」
――湖の近くには国に属していない民族『湖族』が居るのだという。
彼らは普段漁などをして生計を立てているが、最近は稼ぎが悪く、湖を渡る船を襲う――湖賊を副業にする者も少なくはない現状になっている。
「湖賊は厄介でさ。当然戦とかも邪魔してくるから。もしも連中のおかげでこっちの罠が敵にバレたりしたら嫌だし」
「だから交渉を?」
「ああ。邪魔するなってね。ついでに戦に巻き込まれて関係ない者が死んでも嫌だから」
「それでショーンは湖族に話をつけるつもりなんだ」
玲菜は感心したが、マリーノエラは含み笑いをした。
「どーかしらね〜。本当はそれだけじゃないんでしょ? ずる賢いショーンのことだから」
聞いて、ショーンは「バレたか」という風に苦笑いをした。
「ま、そーだな。あわよくば味方にしようと思ってる。ちょっと、連中と取引する手も考えてあってさ。もしくは彼らから、緑城攻略のヒントが聴けないかなって」
「ええ!?」
驚くのは玲菜だけで、マリーノエラは「やはり」と呆れ返った顔。ショーンは気まずそうに続きを話した。
「で、まぁ、その交渉なんだけど、どーやら彼らは凄く警戒心が強くてさ。『一般女性だったら話を聞いてもいい』って言ってるみたいなんだ。湖賊もしてるし、捕まるんじゃないかとか疑ってるみたいでな」
「なるほど」と二人は頷く。
「マリーノエラ、頼むよ」
もう一度頼むショーンに、マリーノエラは断固として首を振った。
「嫌よ! 交渉なんてこっちが言ってたって、捕まって人質にされたらどうするのよ」
「だからキミに頼むんだろ!」
きっぱりと言われて、頭をぶっ叩くマリーノエラ。
「なんですって!?」
「いてぇ!!」
今のはショーンが悪いと、玲菜は目をつむる。シーツもすべて干し終わり、籠を持って洗濯場に戻ろうと歩き出す。
「ねぇ、だから、私が行くって言ってんでしょ!」
「駄目!」
おじさんとおばさんの二人が玲菜を止めた。
「お願い、ショーン」
振り向いて、玲菜は必死な表情で頼む。
「私、いっつもショーンに任せてばっかりだから、たまには役に立ちたい。交渉なんて自信無いけど、戦場には一緒に行けないからせめて補佐的な事だけでも」
その表情を見て、マリーノエラは溜め息をついた。
「仕方ない。じゃあ、行くわ、ショーン」
なんと、ついに彼女が折れた。
「ホントか?」
ショーンは喜んだが、条件を付ける。
「但し、レイナも連れていく。私がこの子を守るから、いいでしょ?」
「マリーノエラ!」
「マリーノエラさん」
駆け寄る玲菜の肩を叩くマリーノエラ。
「アンタ、一生懸命で可愛いから、私の若い頃にそっくりで、つい応援したくなっちゃのよね」
『可愛い』と私の若い頃に『そっくり』を特に強調していた。
頭を押さえたのはショーンだ。
「そうきたか。じゃあもう……時間も無いし、いいか」
ここまできたら仕方ないと諦める。
「それじゃ、俺は今から特別任務として家政婦長に断ってくるから。玲菜も班長や係長に伝えて。『参謀長に頼まれた』と。そして、仕事切り上げてすぐに準備してくれ」
砂漠仕様の格好と、数日の旅支度をしなくてはいけない。
「うん、分かった!」
玲菜が返事をすると、念の為に忠告してくる。
「あと、残念だけど、アイツには会えないよ」
「え?」
マリーノエラが「アイツって誰?」と訊いてきたがショーンは無視する。
「湖族への交渉は極秘だから。失敗するかもしれないし、情報も洩れたくないから俺とレッドガルム団長だけでやってる。それに……」
ショーンは目蓋を落として告げた。
「キミが居ることを知ったら、アイツは動揺するから。それは命取りなんだよ」
命取りという言葉にドキリとする玲菜。
(そっか。私は、戦の間はレオと会わない方がいいのかも)
彼が動揺して怪我でもしたら嫌だ。怪我ならまだしも、命の危険があるのはもっといけない。
「分かった。見つからないようにするから」
玲菜は籠を持ち、仕事を抜けることを伝えに洗濯場へ走って戻った。
自分一人が抜けるとその分皆の負担が増えてしまうので、申し訳ないと思いつつ。交渉が成功すればきっと戦が良い方向に進むと信じて。
―――――
いよいよ、夕刻になり、緑城奪還のための軍隊が総出陣する。
帝国西方門の方からは、今の所互角で後退も前進もしていないとの情報が入った。だが、現在の戦力は互角でも兵力は向こうの方が上なので、長引くと不利になるのは分かっている。
一応、隠密に移動ということで、演説も無しに小隊に分かれて順番に砦を出ていく兵士たち。
湖戦のための船を運ぶ部隊もあり、大掛かりな編成でゆっくりと運んでいく。
砂漠も大変だが、国境越えが一番難関で、敵の警備兵を見つけたら殲滅させなくてはならない。けれど、なるべく戦闘を避けたいので極力明かりを使わずに過酷な砂漠を進む。
なので、移動で脱落してしまう者や、下手すると遭難する班も出てくるのだが、その者たちに構っている暇はない。
肉体的にも精神的にも厳しい作戦となる。
玲菜は、マリーノエラと一緒に、傭兵団・砂狼の中にある女兵士の班と行動を共にした。寒さと砂嵐が容赦なく襲いかかり、喉の渇きも気力を失くす。マリーノエラはすぐに元気が無くなって嘆きを繰り返しながらも置いて行かれないように歩いた。
砂漠には危険動物も居て、たった一匹の蚊に刺されて命を落とす場合もある。流砂に嵌まる場合だって。
玲菜やマリーノエラの班には、途中から特別にラクダが譲られて、なんとか二人はそれで進むことができた。
警備兵にだけは注意して、暗さの怖さと戦いながら砂漠の国境越えを果たす。
たった一晩なのに、辛い時間は本当に長く感じる。
やがてようやく夜が明けて、もう敵国に入ったはずで。
砂は減り、荒れ地になり、幾つかの班と幾つかの隊が廃墟の町で一旦落ち着いた。順番に食事と休息を取る。
「もう帰る」と百回くらい言ったマリーノエラも、自分らが休息の番になると、渡された毛布ですぐに眠ってしまった。
玲菜も、最初こそ眠れなかったが、毛布に包まったら段々眠くなって、座りながら眠りに就いた。
目的地に着くまではあと丸三日歩かなくてはならないのだという。距離的にはそう遠くもないのだが、慎重且つ大軍の移動は何かと時間がかかる。
ラクダのある玲菜たちや馬に乗れる者は大分楽だったが、気持ちが休まる時が一切無い。実際、どこかの隊は一戦交えていて、負傷者や亡くなった者もいるし、遭難した班も。
そして、最も辛いのは、彼らを見捨てなければならなかった事だ。見捨てる対象には、毒や病気で動けなくなった者たちも含まれて、おかげで精神的ダメージを受ける兵士も少なくない。
しかしほとんどの兵はそれを乗り越えて進む。皆が参謀の作戦の先にある勝利を信じていた。
(良かった。士気が落ちるかと思ったが、そんなことなかったな)
ショーンは兵士たちの様子にホッと一安心した。
玲菜やマリーノエラが心配だったが、様子を聞く限り大丈夫そうだ。軍の進み具合も予定通りで、大きな問題も無い。
目的地に着いたら休息を取って、その後陣を張る。
陣を張っている間に自分と玲菜たちは湖族の集落に交渉に向かう。これは最後のチャンスで、失敗したら諦めるしかない。
ともあれ、交渉の制限時間は約一日か。あまり長くはできない。
次の日には早朝からヴィクターに出撃させる。その間に、レオたちの部隊が城の背後の地下から潜入。本丸を一気に叩く。
しかし、いくら正面からの湖戦を仕掛けたとしても地下からの潜入は危険が大きすぎる。
(敵だってそういうの想定しているだろうしな)
潜入などが得意な、砂狼の元砂賊の活躍を期待するか。
あとは作戦が前もってバレないこと。それが重要だ。
(それと、交渉が終わったら速やかにあの二人を逃がさないと)
そのための護衛も用意している。
(そういえばウヅキは元気か?)
鳳凰城塞の玲菜の友達に預けたウヅキのことをふと思い出す。
心配だが、ウヅキは賢いしきっと大丈夫だ。
ショーンは自分も少し休むことにしてしばしの眠りに就いた。
*
そうして休憩を取りながらも丸三日歩いて。朝方には無事、目的の地に辿り着いた兵士たち。そこは――龍宮の緑城に比較的近くて、出撃しやすい上に人里離れているので、陣を張るのに絶好の場所。
湖とこの場所の間には林もあって、うまく目隠しにできる。
着いた隊からテントを張っていき、中には到着しない班もあったが、続々と帝国軍の兵が集まってきた。
兵士たちは出撃準備をする前に一眠りする。
割と早くに着いていた玲菜たちもテントの中で眠って、ここまでの疲れを癒した。体力の回復はある程度しても、喉の渇きがそろそろ限界でもある。大量にあった給水器の中身は残り僅かで、補給ができないので水を我慢するしかない。マリーノエラの厚化粧はとっくに取れていたし、玲菜は風呂に入れないのが死にそうなくらい苦痛だった。食事も美味しくはないし。
正直、ここまで辛いとは思わなかった。自分らは一番楽をしていたはずなのに、それでも。
兵士たちはこの後、命を懸けて戦うのだ。そう思うと彼らを尊敬する。彼らの負担を少しでも軽減できるように自分たちが交渉を絶対に成功させなくてはいけないと心に誓う。
早朝から眠って数時間。
昼よりも少し前の時間に玲菜とマリーノエラは起こされた。
起こしたのは砂狼団の女兵士で、彼女に連れられて歩くと、兵士たちが出撃準備をする中、茶色いマント姿のおじさんが数人の兵士と共に待っていた。
おじさんがショーンなのはすぐに分かったが、玲菜が驚いたのは、兵士の一人がなんと、イヴァンだったこと。
そうだ。彼は砂狼団に入っていたのだと思い出す。
「イ、イヴァンさん!」
「レイナちゃん! ホントに?」
イヴァンはショーンから直々に話を聞いて、湖族の集落に行く時の護衛を頼まれたのだという。レオには内緒だということももちろん聞いている。
話がすぐに理解できる彼はまさにうってつけで、きっと玲菜も安心するだろうと、ショーンが配慮したことであった。
イヴァン含む数人の兵士とショーン、玲菜、マリーノエラは、いよいよ交渉に行こうと、湖族の集落に向かって周りに警戒しながら歩いた。