創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第六十五話:真実]
戦で死んだ者は通常火葬になっており、身元が分かる者の遺族には骨と身に着けていた物が返される。
敵兵もそれは同じで、礼儀を尽くして祖国に送り返される。
死体の回収と火葬、掃除作業は兵も行うが、特に敵兵に関しては捕虜に作業を任せて、他、処理班が率先して行う。処理班は砦からも派遣させてとにかく早めの“後片付け”を完了させる。
伝染病を流行らせないためだ。
過去には死体を利用して敵軍に伝染病を蔓延《まんえい》させるという戦略もあったようだが、ショーン軍師はその戦略を禁止。彼は衛生に関して徹底した指導をしていた。
都でもそれは同じで、彼の衛生指導により病死亡率が激減。帝国の平均寿命を上げたとさえも言われている。
城に留まる一部の兵隊と処理班たちを残して、他の兵たちが続々と帰り始める頃。
玲菜はアヌーの結晶石と思われる幾つかの宝石を鞄に入れてショーンと一緒に湖を渡る船に乗っていた。
大分済んでいたが、湖に沈没した船の回収や死体の引き上げはまだ行われていて、玲菜は怖くて目をつむって見ないようにしていた。
さすがに慣れたといえば慣れたのかもしれないが、だからこそ見たくはない。
布を口と鼻に当ててじっとうずくまり、体の震えを抑えていた。
岸に着くとそこで待っていたのはこげ茶色の髪のくせ毛のイヴァンで、足に包帯を巻き、杖をついて立っていたが、ショーンの姿を見るなり頭を下げて謝ってきた。
「ショーン軍師、すみませんでした!! 約束を破って、レイナさんと戦場に……」
「ああ、うん」
ショーンは気まずそうに返事して「いいから」と手を向ける。
「分かってる。レイナから聞いた。大方、レイナが無理やり頼んだんだろう?」
「違います。確かに頼まれましたが、戻ってきたかったのは自分の願望。すべて責任は自分に有り、どんな処分でも受ける覚悟でございます!」
「イヴァン君!」
心配して声を掛ける玲菜とイヴァンの間に立つショーン。
「大袈裟だな、イヴァン。二人とも無事だったからもういい。……あ、違うか。君は名誉の負傷をしているんだったな。レイナのことも守ってくれたし、むしろ礼を言うよ。ありがとう」
「お、おじさん……!」
つい、昔に戻ってショーンを“おじさん”呼びしてしまうイヴァン。
「そういえば」と玲菜は気付いた。
(あ、そっか。二人も知り合い?)
十年前にレオが下町に住んでいた頃にショーンと出会ったのだから、幼馴染のイヴァンだって知り合いの可能性が高く。
もしかするとレオと同じく、イヴァンもショーンに憧れを抱いていたかもしれない。
ともあれイヴァンは慌てて口を押えたが、ショーンはニッと笑って言った。
「いーよ。おじさんって呼んだって。なんか昔を思い出すな」
やはりそうだ。
懐かしそうな表情をするショーンに、イヴァンが嬉しそうに告げる。
「オレとレオはさ、昔、おじさんのこと“シリウス”なんじゃないかって言ってたんだよ」
「シリウス?」
「うん。髪色とか瞳の色は違うけど、なんとなく雰囲気で。シリウスが歳取ったみたいなイメージっていうか」
「へえ?」
ショーンは意外そうな顔をしているが、横で聞いていた玲菜は凄く同意しそうになった。
(うん。確かに、ショーンはシリウスっぽい!)
作者ながらそう思う。
優しくて紳士で頭が良くて。剣の腕も実はあるし。
そもそもシリウスは元々自分の父をモデルにしたわけなので、父に似ているショーンは必然的にシリウスにも似ているということになる。
(お父さん……)
もうすぐ帰るかもしれない。
玲菜は父のことを想う。
(もし帰って、お父さんが家に帰ってきたら、私の髪が短いことびっくりするかな?)
多分、美容院に行ったのかと訊かれるだろう。
(私、お父さんの顔見たら泣きそうだな)
そしたらきっとびっくりする。『なぜ?』と訊かれるかもしれない。
(話したら、お父さんは信じてくれる?)
こんな漫画のような話。
(多分、信じてくれる)
父はいつもそうだった。
自分の話を疑ったことなどない
真面目にちゃんと話を聞いてくれる。
(そうだよ。ショーンと同じ)
ショーンをここまで信頼したのは、やはり父に似ていたから。色々と細かい所は違っても、全体的な雰囲気がそっくりだった。
ショーンも、いつも自分の話をしっかり聴いてくれる。疑わずに。
前に一度、ショーンはもしかしたら父の生まれ変わりかもしれないと、ふと思った時があった。
それこそ漫画みたいだと、自分で笑ってしまったが。
(もしかしたら、本当に……なんて)
確かめようもない。
(まさかね)
ただ、これだけは言える。
(ショーンのことは絶対に信じる。ショーンは私にとって、この世界での“お父さん”だもん。レオにとっても)
色々なことを考える玲菜が、思い出話をしながら歩くショーンとイヴァンの後をついていくと、やがて湖の近くの林を抜けて。
そこには小隊と見覚えのある連中がウロウロしていた。
ちなみに小隊はレオの護衛隊らしく。
見覚えのある連中はどうやら湖族。
屈強な男たちが勢揃いする湖族の中から、飛び抜けて屈強な褐色肌のモヒカン男が、ショーンの姿を見るなり内股で駆け寄ってきた。
「ショーン様〜〜〜!」
「おお、ロッサム! 昨夜の宴の時の料理美味かったぞ!」
料理の腕をショーンに褒められたロッサムは、野太い声を高くして喜ぶ。
「そ、そんな! では今度、ショーン様だけのために作ります〜!」
その、くねくねした彼の後ろから黒髪で褐色肌の姐御が堂々と出てきた。
「遅かったじゃないか、ショーン。ところで、肝心のアルバート皇子はまだ?」
湖族長のダリアだ。
「ああ、多分もうすぐだと思う。少し待ってくれ」
どうやら彼女らは、今回の戦で味方した際の取引を直接皇子から承認されようと待っているらしく。交渉したショーン参謀長が責任を持って立ちあうことにする。
ダリアは「まだ待つのか」と溜め息をついた。
「ホントは、昨夜の宴の時に話をするつもりだったんだがね。というか、戦が終わってからすぐに捜していたけど、全く見つからないし」
全く見つからない理由に、身に覚えのあった玲菜は慌てて俯いた。
(見つからないって……多分、私と一緒に居たからだ)
思い出すと顔が赤くなってしまう。
「宴の場に主役のシリウスが現れないって、一体何やってたんだろうねぇ、あの男は」
「あ、あ、あの……」
つい、謝ってしまいそうになる玲菜の言葉を遮ってショーンが口を開いた。
「アイツは寝てたんだよ。さすがにすっげー疲れてたから」
皆は納得したが、玲菜はますます動揺してしまった。
(あれ? ショーン今、私のことさりげなくフォローした?)
なんだか配慮されたような。
つまりショーンは二人の昨夜の様子に気付いていたと……解釈するのは深読みか。
(いや、深読みじゃないよ。絶対気付いてる)
そう思うとなんだかショーンの方を向けなくなる。
以前、『そういうのは結婚するまで大事にした方がいい』と注意された記憶も甦ったので尚更。
(でもショーン。私たち、結婚は……)
頭の中で言い訳を思った途端にプロポーズのことを思い出す。
距離を置く前に彼がはっきりと『結婚しよう』と言ってくれた。
まさか、二十歳の自分が結婚なんて元の世界だったらあまり考えられない。でも今は……
(レオとずっと一緒に居たい。もし、本当に運命が変えられるなら私……)
「キャア〜! シリウス様〜! お待ちしておりました〜!」
その時、野太高いロッサムの声がして。
茶色いマントを着たレオが護衛や従者と共に姿を現す。
シリウスらしからぬ地味な格好の皇子にダリアは冗談に疑いながら近付いた。
「ずいぶんと地味な格好だね。あんたホントにシリウス?」
「遅くなった。すまないな、ダリア」
格好は地味でも堂々とダリアと対面したレオは、まず秘密の地下通路や戦での助っ人の事に礼をする。
「ダリアや湖族たちには世話になった。改めて礼を言う。湖族の助けが無かったら戦には勝てなかっただろう。犠牲者や船の損害については後日賠償する。それと……」
ダリアは「そんなことより」と期待の目を促す。
他にも言う事があったが、渋々とレオは宣言した。
「アルバート=シリウス=スナノオの名において、緑龍奪還作戦時のショーン参謀長との取引を認める! 湖族の活躍は必ず皇帝陛下の耳に入る。証明書の発行と叙勲を待たれよ」
皇帝陛下は亡くなっているので、実際は皇后陛下の耳に入るわけだが。ともあれ、宣言を聞いた湖族たちは喜び、代表して族長のダリアがアルバート皇子に手を差し出した。
「これから帝国とはいい関係が築けそうだ。湖がまた他国に狙われそうになったら共同戦を張ろう。それと……今後はシリウス軍の掩護だったら引き受けてもいい。遠慮なく要請してくれ」
皇子はありがたく握手に応じる。
「ああ。湖族は腕の立つ戦士ばかりだから助かる」
二人が握手をしていると、横でロッサムが羨ましそうな目でもじもじしていた。
「シリウス様……族長の妹兼護衛として、ワタシも握手いいですか?」
どう見ても弟だったが。敢えてつっこまず、レオはロッサムとも握手した。
正直、妙に汗ばんでいたのと力が異常に強くて中々離さないのには困るのだが、なんとか離させて、従者が書いた仮の証明書をダリアに渡す。もちろんそこには自分の署名も入れて。
目的が終わった湖族は自分たちの集落に帰って行った。ロッサムだけはかなり名残惜しそうに泣いていたが、姉に引きずられていく。
そうして湖族が去って。
ようやくここでの用が済んだかと、レオは従者に訊いた。
「もういいのか? 帰って」
「はい。後はもう、帝国西方門の詰所の砦まで行くだけです」
そこに着いたらヴィクターとの合流と異母兄フレデリックの死の確認をしなくてはならない。
レオは溜め息をついて落ち込み、それでも顔には出さずに玲菜に近付いた。
「待たせたな、レイナ」
近くに居るイヴァンやショーンの顔も見てニッと笑う。特にイヴァンには、釘をさした。
「帰りは俺が乗せていくからな」
玲菜のことだ。
「分かってるよぉ〜。レオ君ってば、子供みたいなんだから〜」
イヴァンはからかうように笑い、二人にコソッと訊ねる。
「っていうかさ、やっぱり二人は恋人なんだ? いつから?」
前の戦の時はまだそういう関係ではなく、付き合いの疑いを彼には否定していたので。
「い、いつだっていいだろ!」
レオは顔を赤くして更に小さな声で怒りながら彼に迫った。
「それよりお前なぁ、オヤ…ショーンとレイナ以外の奴が居る前で“レオ”と呼ぶな! 分かったか!」
イヴァンの声は恐らく周りの者には聞こえていなかったはずだが、念の為。
「ご、ごめん。気を付けます」
彼が謝った事でもう一つ付け足すレオ。
「あと、俺は子供じゃねぇからな!」
そういうところが子供っぽいとは本人気付いていないらしい。
レオはムスッとしながら、預けていた自分の馬の前に行き、玲菜を呼び寄せる。
ドレス姿の彼女を見て、まず従者の用意した茶色いマントを被せた。
「お前跨れるか? ゆっくり走るから別に横でも平気だと思うけど、跨れるならそっちの方がいい」
一瞬、玲菜はお姫様のような横座りがしたいと言いたかったが。バランスが不安だったので跨ることにする。幸い足が開けるスカートだったので、従者とレオに支えられながら馬に跨って座る。レオは後ろに乗って玲菜の手を掴みながら手綱を持った。
「しっかり掴まれよ」
そう言って彼は耳元で囁いた。
「やっぱり、イヴァンに嫉妬するな。こうやってお前の手を握ったと思うと」
「そ、そんな、握ってないよ。片手だけ。添える感じで」
「ふ〜ん」
レオが馬を歩かせると、護衛の兵たちも馬を歩かせて皇子の四方に散らばる。ショーンやイヴァンもついてきてのんびりと帰りの道を走った。ちなみにイヴァンは乗り降りの時だけ手伝ってもらえば足が不自由でも馬で一緒に帰れる。
周りに終始気を張りながらも良い天気の中、途中休憩をとりつつ移動をした。
やがて日が暮れる頃にはテントを張って、そこで食事と休息をとった。
食料と水は緑城で十分に補充したが、砂漠越えもあるので決められた配分以外は飲食できない。
たとえ皇子でもそれは同じく。配分は若干多めではあったが、足りない事には変わりない。しかし文句は言わずに、設置されたテントに入って体を休める。
一つ良い事といえば、テント内では恋人と二人きりであるということ。
運ばれた食事をとったレオは、隣に座る恋人の肩を抱いた。
一方玲菜は少し緊張しながら彼の肩に頭を乗せる。
こうしている時間が幸せで、けれどもなんだか他の兵士たちに悪い気がした。
「なんか、私たちって贅沢? テント二人だけで使ってるし、食事も運んでもらったり」
テントは複数人で使うか、もしくは外で寝袋や毛布だけで寝ている者たちも。
「私は大丈夫だからさ、ショーンやイヴァン君とか呼んでここで寝てもらってもいいよ? 寝られるスペースあるでしょ」
「はあ? アイツらだってどっか別のテントに入ってるよ」
「でも、二人を呼べばそこのテントが空いて、外で寝ている人がそのテントに入れるし」
玲菜は良い案を出したと思ったが、レオは全く乗り気にはならなく、むしろ彼女を押し倒してくる。
「嫌だよ。アイツら呼んだら、お前とこういうコトできねーし」
「ちょっとレオ! 駄目だよこんな所で! 外に護衛の人だって居るし」
皇子のテントの入口や周りには護衛が立っている。
慌てて彼を止める玲菜の髪に指を絡ませながら、平然とレオは言った。
「平気だよ。恥ずかしいなら声だけ我慢すれば。バレない」
それもそうか、と思いかけた玲菜は別の可能性が思い浮かんで彼を抑えた。
「バレる! 急に誰か入ってきたらどうするの? ショーンとか!」
まず、急に誰かが入ってくるはずがないのだがショーンだけはありえるので、レオは止まって……そのままゴロンと横に寝転がった。
沈黙していた彼に毛布を掛けて隣に寝る玲菜。
「ね、私はこれだけでも充分だから。一緒に寝よ!」
「あー」
レオはしばらくふて腐れていたが、天井を見つめながらふと話す。
「お前の住んでいた世界ってどんなだ? 今よりも高度文明? 旧世界で合っているのか?」
よく考えると、色々と予想しただけで何も確認し合っていない。
「どうしてここに来たとかって、分かっているのか? オヤジも? 神話の作者っていうのは、誰に聞いた? シドゥリ?」
こうして並べると、何も知らなかったと、痛感するレオ。
「全部教えてくれよ。頑張って理解するから。疑わないから」
知っていることも知らないことも、自分の中だけで理解したことも、一度話し合って整理した方が良いと。
玲菜は頷き、まずどこから話せばいいのか考えてから語り始めた。
「私はね、……私が居た世界は――多分、旧世界とか前世界って言われている大昔なんだけど。ここと比較すると高度文明っていうのかな。要するに、凄く科学が発達していたっていうか……」
この世界をすべて把握しているわけではないけれど。少なくとも『帝国』と『日本』を比べると、大分科学力が違うのが分かる。
「車はいっぱい走っていたし」
「クルマ?」
「自動車のこと」
車だけではない。
「電車も、新幹線もあった。飛行機だって空を飛んでたし」
「空を飛ぶヒコーキ? なんだ? 鳥の名前?」
レオの質問に、玲菜は苦笑いした。
「違うよ。鳥みたいな形をした、鉄の大きな乗り物が空を飛ぶんだよ」
唖然とした彼は、「そういえば」と思い出したように言った。
「どっかの国で、大きい鳥みたいな鉄の塊を発掘して、そこでは空を飛ぶ研究がされているって前にマリーノエラか誰かに聞いたことがある。もうずっと前の話で、でも見つかっていない部分も多くて未だに解明できないみたいだけど」
この世界では、前世界の物が発掘されると、よくそれが利用される。砂漠の中には宝があると、地下資源や地下遺跡を狙って争いが起きる。
故に独自の科学力が発達していないのも事実。たまに飛び抜けた天才が居て賢者と(帝国では)呼ばれるが。
「じゃあ、それが多分“飛行機”かな。飛行機は凄いんだよ! 私も何度か乗ったことある。修学旅行とか、あと、最近はドイツに行った時に」
「ドイツ? ドイツって……お前の故郷……では、ないんだっけ?」
レオはずっと勘違いしていた。
「うん。ドイツはね、ヨーロッパ。日本からは離れているんだよ」
「ニホン……。ニホンが、昔の帝国?」
恐らく日本がそのままの形で帝国になったわけではない、というのはなんとなく予想できる。
帝国は島国ではなく、大陸のような気がするから。
(分かんないけど、もしかすると大陸移動でユーラシア大陸と繋がった感じ?)
或いは、海だった部分が陸になったか。
(そっちかも。あ、両方?)
まぁ、この辺りのことは説明すると混乱しそうなので言わない方がいいだろう。
「私はね、日本の埼玉県に住んでいてね、家で小説を書いていたの」
「サイタマケン?」
「うん。彩の国さいたま!」
「サイの国って……!」
聞き覚えのある名前に反応するレオに頷く玲菜。
「うん。『伝説の剣と聖戦』に出てくるでしょ? 女神アルテミスが作った、シリウスたちが住んでいる国」
「そうだ。今のサイの都の名は、神話のサイの国から来ているんだ。元々アマテラス帝国が伝説の国だったという意味で」
神話は『神話』ではない。
「でも、神話は私が書いた空想の物語なんだよ」
今まで漠然と『彼女が神話の作者らしい』と思っていたが、改めて説明されると、あまりにすべてが覆される話だったので呆然とするレオ。
「空想?」
呆然というより、愕然か。
「全部?」
「うん」
きっぱりとした彼女の返事に、レオは口を押えて落ち着こうとした。
「いや、俺も……神話が全部真実だなんて思ってないけど。少しは何かこう……元となった史実があって。とか、思ってて……。シリウスみたいな英雄とか、レナみたいな聖女とか。伝説の剣みたいなのをめぐった戦とか……」
「無いよ」
シリウスに憧れていた彼にとっては、少々残酷だったかもしれない。
「無いのかよ!!」
「まぁ、しいて言うならシリウスはうちのお父さんでレナが私かなぁ?」
「なに? お前の……親父?」
ファザコンでごめんなさい。
玲菜は心の中で謝った。
「もちろん、お父さんそのものじゃないよ? ただ、ちょっと似せてるっていうか……。レナも、書いてるうちに段々自分に似ちゃって」
「ああ……」
妙に動揺している彼がそこに居る。
「ああ、だからか。俺は……お前が、神話のレナに似ていると。性格が」
もう一度彼は確認する。
「ぜ、全部空想?」
即答するのが気まずくて、玲菜は少し間を置いてから頷いた。
「うん」
彼は頭を抱えて言い訳のように告げた。
「俺は、全部は信じていなかったぞ。ただ、……世の中には信じている奴も居るから。いや、信じている奴が多いから。誰にも言わない方がいい」
まさか言うわけはないが、「うん」と返事する玲菜。
「異端者だと言われるぞ」
自分の小説は神話といっても、この世界では恐らく宗教的なものになっているのだと理解できる。
「それで――」
レオは目をつむって続きを質問した。
「どうしてお前の書いた物語がこの世界の神話になったのか。たまたま残って? それと、どうしてお前がこの時代に来たのか」
彼なりに頭を捻って考えた。
「もしかして、高度文明だったお前の時代では、そういう……時代を移動するような手段があるとか?」
言っている発想としてはタイムマシン的な物を想像しているのか。
玲菜は首を振った。
「そこまで高度じゃなかったよ。私の時代は。ただね、えっと……」
ここからはショーンの仮説に入る。
「ショーンが言うには、そういう“時代を移動する”物が、もっと私の時代よりも遥か昔にあったみたいで」
「遥か昔?」
「えっと、この世界の前々世界?」
言っていて、自分でも混乱しそうだったが、レオはもっと分からなくなってしまったらしく。悩んだ末に断念した。
「すまん。分からなくなった」
無理もない。彼は元々、そういうことを信じない性質だし。
自分の話を呑み込んでくれるだけで相当な無理をしているはず。
「うん。とにかくね、大〜〜昔にそういうのがあったっていうか、ね」
「ああ。大昔に」
レオはなんとか理解しようと眉をひそめて頭の中に入れる。
「大昔に、移動できる手段が……」
「そう、移動できる乗り物って考えてみて!」
玲菜は自分にとって考えやすい方法を教えた。
「たとえばさ、海や川を渡るには船が必要でしょ? そういう感じの乗り物。時代を渡るための船みたいな」
「ああ、船」
レオでも少し理解したようだ。
「大〜〜昔に造られたその船が、今でも動いているとして。私が住んでいた時代でも」
玲菜的には船というか、タイムマシンで想像している。
「私はそれに乗ってこの時代に来てしまった」
「なぜ? なぜ乗った?」
レオの質問に、玲菜は自分の迷い込んだ暗い空間をタイムマシンその物だと考える。
「船の入口が私の部屋に開いたの。それで、船から出てきた人が私の小説を盗んだから。追いかけて」
「えーっと、つまり?」
一生懸命頭の中を整理するレオ。
「大昔に造られた時代を渡る船が、お前の時代のお前の部屋に入口を開けて。中から出てきた人間がお前の小説を盗んだから、追いかけたお前も船に乗ってしまい。船から出てきたらこの時代だった。みたいな?」
自分で言っていても混乱するらしく、頭を押さえる。
「疑問がいっぱいある」
レオはその疑問を順番に挙げた。
「まず、なぜお前の時代のお前の部屋に入口が開いたのか。中から出てきた人間は誰か。なんで小説を盗んだのか。なんでこの時代に出てきたのか」
答えるには、ショーンの仮説に当てはめるしかない。
「あのね、ショーンと考えたんだけど、入口が開くのはブルームーンっていう数年に一回起こる現象の日なんだ。私が船に入ったのは、ちょうどその日でね。なんで私の部屋かっていうと、はっきりとは分からないんだけど。たまたまかもしれないし、ただ、世界にはそういう場所が幾つかあるんだって」
なぜ自分の部屋が入口の開く場所だったのか……それはまだ分からない。けれど。
「この時代だとレナの聖地が、入口にあたる場所なの。だから私がそこに現れたんだよ。入口っていうか、出入口?」
そして、もしかすると玲菜の部屋とレナの聖地は同一の場所の可能性。
「船の中からの出口はね、一つじゃないの。いっぱいあって」
玲菜はあの空間で見たたくさんの扉を思い出した。
「多分全部、色んな時代のブルームーンの日に続いていたのかも。私は小説を追いかけて、たまたま入っちゃった出口がこの時代に続いていたんだと……思う」
その日は、ここでもブルームーンの日だったと、ショーンが言っていた。
それから玲菜は、小説を盗んだ人物の正体に繋がる話を、シドゥリから聞いた予言や創世神の事も兼ねてゆっくりと説明した。
盗まれた自分の小説の行方が、この世界の文明が始まった頃シドゥリの先祖の巫女の手に渡ったことから神話へと変わった事。
そしてその影響で歴史が作られたために、シドゥリからは『創世神』だと言われた事。
だから世界を壊さないよう、小説を送る歴史を変えてはいけない。視えた未来だと、小説を送る使命を実行しに過去(元の世界)へ戻る玲菜の姿がある、と。
つまり盗んだ張本人は自分だとの解釈。
――大事なのは、この世界を壊さないこと。たとえ、壊れなかったとしても、レオと出会わなかったことになるのは防ぎたいこと。
全部話したら、また涙が出そうになる玲菜。
「私は、レオと出会わなかったことになるのだけは嫌だから。やっぱり帰らなきゃいけない」
初めてすべての話を聴いて。レオはちゃんと理解するのに時間がかかりそうだったが。それでも大事な部分の把握はできた。
繰り返すが、彼女は過去から来て、神話の作者で、だから創世神で。この世界を壊さないために元の世界に戻らなくてはいけない。小説を盗まなくてはいけない。
更に、船(時代を移動するための物の仮名)の入口を開けるために必要な鍵の話も、探していた『アヌーの結晶石』と一致した。
船の入口は世界のどこかに幾つかある。その一つが彼女の部屋に在った。開く日は数年に一回のブルームーンの日のみで、しかもアヌーの結晶石という鍵が必要。あの時、彼女の部屋の入口が開いたのは小説を盗むために鍵を持った自分が未来からやってきた為。
「ああ、……そうか」
自分は単に彼女と離れたくなかったのだが、彼女にはそれだけでは済まない理由があった。
彼女は距離を置く前も必死に『自分《レオ》のことが好きだ』と言った。今までに『一緒に居たい』や『好き』は何度も言ってくれていた。
元の世界に戻るという選択は父親のことだけではない。――自分と出会わなかったことにはなりたくないから、と。
「レイナ」
レオは玲菜を横から抱きしめて自分に引き寄せ、そのまま仰向けになり、彼女を自分の上に乗せた。
「それでお前はずっと悩んでいたんだな」
今頃気づくなんて、自分は馬鹿だ。
「シドゥリの家に行った時だって……お前は……」
散々悩んで泣いて、自分には告げられなくて。
(それなのに、俺は……一度、突き放すようなことを)
愚かすぎる。何度後悔しても足りない。
「……ごめん」
「なんで謝るの?」
彼女は謝った理由が分からないらしく、問いながら……自分の胸で涙を流していた。
嬉しいのか哀しいのか。
今が幸せで未来が不安なのか。
それとも、辛かった時を思い出しているのか。
(でも俺は……お前を諦めきれない)
いや、真実を知ったから尚更。
(“運命”を変えたい)
レオは玲菜を抱きしめながら、どうすればいいかよく考える。
(要するに、小説を盗めばいいんだろ? それって、レイナ以外の人間じゃ駄目なのか? っていうか、行ったら戻れない? 実はもう一度こっちの世界に来られるとか?)
そうだ。そもそもアヌーの結晶石がどういう物なのか分からない。
或いは、もう一度こっちの世界に戻ることが可能かもしれない。
(そうだよ! どうしてそんな簡単なこと、思い浮かばな……)
途中まで考えて、彼女が元の世界に帰った後にこちらに戻らない理由を見つける。
(あ、“お父さん”……か)
父の存在が、彼女を元の世界に留まらせる。
そのことに気付いて、レオは悔しくなった。
(俺を選べよ。俺のことの方が好きだろう?)
……いや、違うか。
まず、一度元の世界に帰った後にもう一度こちらに来られるか。そこが問題だ。
たとえば、船で時代を間違えずに同じ出口へたどり着けるのか。
(ああ、俺ってどうしてこう……浅はかっつーか)
父親と恋人、どちらを選ぶとかそういう単純な話ではない。
(もっと複雑? ……なんだろうな。こいつが自分の小説を盗むって話がまず……)
「え……?」
そこで違和感に気付いたのは、レオなりの胸騒ぎだ。
(ちょっと待てよ?)
なぜこんな単純な違和感に今まで気付けなかったか。
「最初のお前、どこに居る?」
つい、レオは前置きも無く玲菜に訪ねてしまった。
「え?」
「お前が自分の小説を盗むって話だよ」
「え?」
あまりに初歩過ぎて見逃していた疑問。
レオは順を追って説明する。
「ホラ、『過去のお前』は、小説を盗まれたからこの世界に来るだろ? で、『この世界に来たお前』が小説を盗みに行くって言ったよな?」
「うん」
「逆に言うと、“小説を盗まれないとお前はこの世界に来られない”のに」
盲点だったと、玲菜は気付く。
「あれ? 私……」
「じゃあ、最初にお前の小説を盗んだのは誰だよ?」
この世界に居ないはずの自分は小説を盗みに行けない。
……そこに、すべての運命の“鍵”があるような――気がした。