創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第六十九話:英雄不在の凱旋]

 

 時期的なのか乾燥して風が強く吹く中、そんなのは全く関係なく快適に車で移動する玲菜たち。ずっと繰り返し流れているCDはもう正直飽きたが、何も無いよりはましだ。

 もし一度元の世界に帰って、その後こちらに戻ってくる時に時間があれば、別のCDを持ってこようか……なんて、玲菜は考えたが。

(違うな。小説を盗んだらすぐにまたあの暗い場所に行かなきゃ。“私”を追いかけさせないといけないし)

 それこそ、別の事をして過去を変えてもいけないし、自分に正体がバレてもいけない。

 うまくいくか少々不安だ。

 それと……小説を送った後にどちらに戻るか。ほとんど心は決まっているが、“心残り”はある。

(お父さんに手紙。ショーンの家に帰ったら書こう)

 ふと、運転しているショーンに訊ねる。

「ねぇ、ショーン。ショーンは私がこっちの世界に戻ることどう思う?」

「え?」

「ごめんね。運転中に」

 道はまっすぐなので特に注意するほどではないが。

 ショーンは少し間を空けてからゆっくりと答えた。

「俺は嬉しいよ。レイナがまたこっちに来てくれるのは」

 そう言うだろうと思った。

「“父親”としては?」

「え?」

「娘が、手紙だけ残して居なくなるの、どう思う?」

「それは……」

 ショーンはためらいながら答えた。

「ショックだよ。さすがに」

 言ってはいけないと思っているのか、気まずそうに。

「おじさんだったら泣くかも」

 その言葉を聞いた途端、玲菜は涙を浮かべて口を押さえた。

 自分の父も泣く気がしたから。

 とてもじゃないが、今喋ったらショーンの前で泣いてしまう。肩を震わせて、息を声と一緒に漏らさないように我慢している玲菜に、ショーンは優しく言う。

「でも、手紙書くんだろ? それ読んだら、時間がかかってもその内納得するよ。嫁に行ったもんだと思ってさ」

「嫁?」

「父親は、覚悟しているもんだからさ。もちろん、二度と会えないなんて思ってはいないし、孫が見られないのも寂しいけどな」

 やはり心が痛む。

 ずっと親孝行しようと思っていたのに。

(私って親不孝)

 駄目だ。涙がこぼれる。

 今はファザコンだと自覚しているが、一時期……中学生くらいの頃だろうか。父親に凄く反抗した時もある。母が居なくて、いろいろな事が父にバレるのが恥ずかしくて素っ気ない態度をしたり、家の手伝いを当たり前のようにしない友達に「家事をしてるなんて偉い」と言われて何も家事をしなくなった時があったり。理不尽に泣いてすべてを父のせいにした時も。

 確か、くだらない理由で家出したこともあった。内容は忘れたが、自転車で夢中で走って行ける所まで行った。その時、本当は捜しにきてほしくて。でも来なかったから、悔しくて帰ってから無視をした。本当は車で捜していたと知ったのは後からで、悪かったと思ったのだが謝らなかった。

 いろいろと思い出したら心が揺らぐ。

 涙はこぼれて、自分はグスグスしているのできっと泣いていることはショーンにバレているだろう。

 玲菜は思い出さないように、CDの曲に合わせて歌を口ずさんだ。しかしこんな時に歌詞がちょうど『離れた恋人を想う』ような歌詞だったので、恋人ではないのに想いが重なる。

 迂闊《うかつ》だ。

 気を紛らわすどころか逆に悲しくなった。

 玲菜は口ずさむのをやめる。

(それでも私は……やっぱり……)

 

“彼”と一緒に居たい。

 

 

 *

 

 

 ――レオと会えなくて少し寂しい、車移動の旅は砂漠を迂回する道で特に問題もなく進み、四日後の夕方には、いつも車を隠している都近くの洞穴にたどり着く。大きな木が目印になるその洞穴周辺は人の気配がなく、木々が目隠しになるので駐車しておくにはうってつけの場所。いつも通り木の枝や落ち葉や草などで車を隠しつつ、玲菜は被せられる布か何かがあるといいと思う。

(カバーっていうか……なんか作れないかな?)

 市場で大きな布を探してみるか。

 

 そんなことを考えながら、玲菜は懐かしい都を眺める。遠くからでも圧倒されるほど建物が並び、何重もの壁が敵の侵入を防ぐ。形状はまるで山のよう。そして――頂上にそびえるのは皇帝の城。もしも、敵国のスパイが状態を知るために来たとしても、とても外から攻められるとは思わずに諦めて帰るだろう。

 玲菜とショーンの二人は重い荷物を持ちながら歩き、なんとか大回水路近くまで辿り着くと馬車を見つけて、そこから馬車に乗って家まで帰った。

 その頃にはすっかり夜になっていて、疲れ切っていたので何も食べずに眠る。久しぶりの家のベッドは物凄く快適で次の日の昼頃までぐっすり眠ることができた。

 

 

 そして寝過ぎたと思いながらも起きた玲菜はまず風呂に入る。朝から(もう昼だが)風呂に入るなんてまるでレオみたいだったが仕方ない。昨日は疲れて寝てしまって。

 ただ、風呂に入りたい欲求には勝てない。

 都を出て約一ヶ月近く。まともな風呂には入っていない。車で移動中は村や町の宿に泊まるのだが、水……ましてや湯が豊富な地域は少なく、シャワーだけもしくは風呂が無い宿もあるし、砂上の砦もシャワーのみ(しかも時間制限あり)。交渉のために緑城へ向かった時は言うに及ばず。唯一、湖族の村と、緑城のレオと一緒に使った部屋にはまぁまぁまともな風呂があったが。その後またずっとシャワーだけや入れない日々を過ごした。

 かつての温泉大国がなんてざまだと大声で嘆きたい。

 ともあれ、そういうストレスにさらされていたために、ショーンの家に帰ってきてようやくのんびりとまともな風呂を体験できて、玲菜は幸せな気分になった。

(やっぱり、お風呂最高!)

 体も髪も思う存分洗って、長湯に浸かる。

 

 心も体もホカホカになって、居間に向かうと台所から美味しそうな匂いが。

 それは、ショーンによる絶品料理の昼食であり。

 二人で食事をして満足した玲菜は、まったりとウヅキと戯れてまた幸せな気分になる。

 だが、ふと我に返って立ち上がった。

「って! こんなことしている場合じゃない!」

 もう昼だ。掃除、洗濯……やることはたくさんある。

(今から洗濯して乾くかなぁ?)

 心配になりながらも、必要最低限の衣服を洗濯して干し、部屋の中に溜まったホコリを掃う。掃除はショーンも手伝ってくれて、二人でできる限り綺麗にする。

 そうしてその日はほぼ掃除だけで過ぎて。玲菜はレオが帰ってくるのを待ち遠しく感じながら眠った。

 明日はもしかすると凱旋かもしれないと期待して。

 

 

 ―――――

 

 次の日。玲菜の予想はまんまと当たり。朝早くから食料を買いに商店街へ行った時に本日凱旋だという情報を入手。

 一気に気持ちが昂り、まだ買っていない食材もあるのに浮かれて家に帰った。

 

「ショーン! やっぱり今日帰ってくるって!」

 玄関を開けるなりそう叫んで、おじさんに報せる。

 しかし返事が無く。

「ショーン?」

 第一研究室に入ったが姿は無い。

(あれ? 台所?)

 出掛けるとは言っていなかったので、家に居るはずだが。

(あ、二階かも)

 二階にはショーンの部屋ともう一つの研究室がある。そこはあまり勝手に入るなと言われている場所だったが、居るかどうか覗くくらいならいいだろう。机などは触らないという約束で掃除に入ったこともあるし。

 玲菜は買った物が入った紙袋を置いて階段を上り二階に行く。

「ショーン、ただいま」

 そっとドアを開けて挨拶をすると、そこには、珍しくも机で寝ているショーンが居た。

(疲れてるのかな)

 ショーンはよく二階にこもってずっと何かを研究している。合間で玲菜のことも調べてくれているようだが、たまに徹夜をしている気配も。

 彼の机の上には幾つもの資料らしい本と、大量の吸殻の入っている灰皿、そして、大事そうに手に持っている紙があった。

(なんだろ、あの紙)

 それと普段、鍵が掛かっていて決して開いているところを見たことがない引き出しが少し開いている。

(あ、引き出しが開いてる)

 玲菜は、悪いと思いながらもつい、その引き出しを覗くと、中には黒い何かが……

 ――しかし、次の瞬間にはおじさんが起きて、人の気配を察知してすぐにこちらを振り向いた。

「うわぁ! びっくりした!」

 その反応にむしろびっくりしてしまったのは玲菜だ。

「あ! ショ、ショーン、起きたの!」

 なまじ、彼の秘密の場所を覗こうとしていたので動揺する。

 だが、おじさんの方がもっと動揺していて、めったに見られない慌てっぷりを披露された。

「ああああ!! れ、レイナ!!

 すぐに、持っていた紙を雑に折り、鍵付きの引き出しに入れて閉める。

「な、な、な、帰ってたのか」

 そんなに慌てるとは思わなくて、玲菜は謝る。

「ご、ごめん。今、帰ってきたんだ。返事が無かったから部屋のドア勝手に開けちゃった」

 おじさんは玲菜の様子と周りの状況を確認して大きく息をついた。

「大丈夫だよ、うん。ただ――」

 玲菜の眼を見る。

「見ていないならいい」

「え? うん、何も見てないよ」

 その瞳は、玲菜が嘘をついていないか探っているよう。

(ショーン?)

 玲菜が不審に思う前に、ショーンはすぐにいつも通り優しく接した。

「ごめんな。おじさん、寝ててさ。買い物から帰ってきたんだな。じゃあ、昼にしようか」

 何事もなかったように伸びをして部屋のドアを閉める。

 玲菜は階段を下りながら、元々彼に何を伝えようとしていたのか思い出した。

「あ! 凱旋!」

「ん?」

「今日の午後、都に凱旋なんだって」

「へぇ? あ、そっか」

 ショーンは一階に着くとまず、自分の足元にすり寄ってくるウヅキに猫用のミルクをあげる。

「買ってきたのどれ?」

「あ、これなんだけど」

 後をついていった玲菜は、先ほどテーブルに置いた紙袋をショーンに差し出す。

「ごめん、買い忘れた物がちょっとある」

「うん。まぁいいよ」

 紙袋の中身を確かめて、そこからいくつか食材を取ってショーンは台所の調理台へ向かった。

「あいつは最後尾って言ってたな」

「うん」

 遅くなるから観にこなくていい、とも。

「どうする? 観に行く?」

「うん!」

 いくら待ったっていい。玲菜は勢いよく頷いた。

(早く会いたい)

「凱旋が最後ってことは、今日うちに帰ってくるのは夜遅くだぞ、多分」

「うん、分かってる。遅くても帰還祝いしたい!」

 玲菜は彼が帰ってくるのがとにかく嬉しくて、今からウキウキする。

 夜までに食事、酒を用意しなくては。凱旋を観に行くのは夕方として、可愛い服を着よう、と。運良く前回のように気付いてもらえるかは分からないが、念の為。

 そんなことを呑気に考えながら、玲菜はショーンの手伝いをして、それから昼食をとる。

 その後少しの掃除をして、身支度も。

 

 準備が終わったら夕方に頃合いを見て二人で外に出た。

 外ではたくさんの人が歩いていて、もう凱旋は終盤のはずなのに帰ってくる人間よりも向かう人間の方が多い気がする。皆も目当ては同じらしく、ザワザワと浮かれた様子。花などを持った者も。

 

 やがて軍隊が通過する大通り近くになると、帰還を祝う見物人たちでごった返す。家族や知り合いの兵士に声を掛けたり、活躍した将校が通ると歓声も。

 便乗して屋台まで出ていて、一種の祭りの様にもなっている。

 その雰囲気が楽しくて玲菜はワクワクしながらもショーンに訊ねた。

「レオ、まだかなぁ?」

 ショーンは今通っている隊を見て彼女に教える。

「ああ、もしかしたらちょうどいい時に来たな。シリウス隊はもうすぐだよ」

 近くに居た見物人たちも蒼騎士聖剣部隊を待っているらしく、「まだか、まだか」と首を長くする。女性たちが噂するのはシリウスのこと。

 中には、フレデリック皇子の訃報を嘆きながらも、こうなったらやはり皇帝はアルバート皇子に任せるしかないと話している輩も。

 聴こえていた玲菜は心の中で否定する。

(違う。レオは皇帝にならないもん。私と約束してくれた。それで、きっと運命が変わるんだよ)

 ――その時、近くに居た誰かが大声を上げた。

「来たぞ!! 蒼騎士聖剣部隊だ!!

 その場に居た皆が軍隊の歩いてくる方を見る。

(レオ! 居るの?)

 玲菜もそちらを見ようとしたが、人が多くて少ししか観られない。そう思っていると、前回同様ショーンがなんとか前に移動して、玲菜を連れていった。

 おかげで、まぁまぁよく見える場所に着いた矢先――

「先頭はバシル将軍だ!! 帝国最強の武人!!

 また誰かが叫んで皆が歓声を上げた。

「バシル将軍〜〜〜!!

「バシル様〜〜〜〜!!

 立派な将軍は堂々と一隊を率いている。

「攻城戦の時に一人で敵陣に切り込んだらしいぞ!」

「百人相手に戦っても負けないんだとよ!」

 色んな噂が飛び交い、民衆は熱狂する。

 ただ一つ……

「ところでシリウス様は?」

 本来、蒼騎士聖剣部隊はシリウスの隊なので、シリウスが先頭でないことにやや違和感。

 玲菜もレオの姿が見えなくてショーンと顔を見合わせた。

「あれ? レオは? 最後?」

 彼は“最後尾”と言っていたが、それは本当に一番後ろという意味だったのか。

 民衆は蒼騎士聖剣部隊を称えながらも、一番の英雄・シリウスが居ないことに疑問を感じる。

「シリウス様はどこ?」

 そしてそれは不審に変わる。

 

 なんと、結局シリウスが現れずに軍隊が去ってしまい。

 見物していた民衆からどよめきが起こる。

 皆、シリウスの姿を見たかどうか確認し、見た者が居ないとざわめく。

 辺りはもう暗くなっていたが、あんな目立つ格好をした皇子を見逃すはずもない。

「シリウス様、どうしたのかしら?」

 所々でこんな声が聞こえる。

『具合が悪かったのではないか』『何か理由があって遅れているのでは』『実は蒼騎士聖剣部隊とは別に軍隊の先頭だったのではないか』などといろんな憶測が生じたが、結局分からず。シリウス目当てだった民衆は首を捻りながらも仕方なしに家に帰る。

 

 一方玲菜は、しばらく呆然としてからショーンの方を見る。見物人はバラバラに歩き、日が暮れてきている。

「レオ、どうしたんだろう?」

 何か胸騒ぎを感じながらショーンに訊くと、ショーンも気難しい顔をしている。

「うん。どうしたんだろうな」

「何かあったのかな?」

 ショーンは少し考えて、歩き出した。

「とりあえずここに居ても仕方ないし、帰るか。もしかしたら……」

「もしかしたら?」

「俺には少しだけ心当たりがあって」

「え!? そうなの?」

 ショーンは何か知っているのか。

「うん。ただ、確信が持てないけど。俺よりもレオの方がそれを疑ってるっていうか」

「どういうこと?」

 玲菜には何が何だか分からない。

「えっとな」

 ショーンは歩きながら空に光り始める星を眺めた。

 

「神は天へ、人は地へ堕とされた。……故郷を欲し、人は這い上がる。――か」

 

「え?」

「いや、なんでもない。大昔の言い伝え」

 なぜ突然、ショーンがそんなことを言ったのか分からなかったが。

「レオはさ、多分色んなことを考えていてな、遅くなるかもしれないけど。必ず帰ってくるから」

 今の彼の様子なのかと、玲菜は訊ねる。

「レオが今、何かやってるってこと?」

「そうだな。それで遅くなってしまったのかも」

 ショーンはやはり何か知っているらしく、用事があって遅くなったのならいいか、と玲菜は納得する。

「でも帰ってくるならいいや。ショーンの家に」

 おじさんは優しく笑って、玲菜の頭を撫でた。

 

「“キミの許に”だよ」

 まるで父親が自分の子供にするような、自然な感じで。

 

 心配していた玲菜はなんとなく安心できた。

「うん。ありがとう、ショーン」

 家路を歩いていると、どんどん暗くなり、逆に星が増えて空は美しく輝く。一等輝く彼の青い星を探しながら、玲菜はもしかしたら夜遅くにでも彼が帰ってくるのではないかと予想して不安を消した。

 ――しかしその夜、どんなに待ってもレオは帰らずに一晩が過ぎた。

 

 

 

 次の日の早朝。

 あまり眠れなかった玲菜は起きて、念の為に彼の部屋や風呂場を覗きに行く。

 しかし、やはりまだレオが帰ってきた様子はない。玲菜の不安はまた募ってしまった。

(レオ、まだ帰ってこない。それとも、今頃お城には帰っているとか?)

 そうであってほしい。

(それとも、まだ砂漠? 砂嵐で足止め食らっているとか)

 そういう可能性もある。

 こんな時、携帯電話のような、何か連絡の取れる手段があれば良いのにと思う。

(砂漠だったら、圏外になるかもしれないけど)

 一瞬、砂漠で携帯電話を使う皇子を想像して笑いそうになったが、すぐに気持ちは沈んでしまう。

(レオ、今、一体どこにいるの)

 ――その時、玄関のベルが鳴り。

 彼かと思って、玲菜は走って玄関に向かう。

 彼だったら鍵を持っているのでベルを鳴らすはずがないと気付くのはドアを開けてからだ。

 

「朝早くにすみません、レイナ様」

 見ると、懐かしい人が立っていた。

 いや、名前などは知らないが、皇女クリスティナの使者で、戦に向かう前は何度も顔を合わせていた女性。

「あ! えと、お久しぶりです」

 挨拶を交わすと、女性は以前の如く皇女の誘いを伝えてきた。

 それは、昨日の凱旋で兵士が帰ってきたのを知った皇女が、玲菜も帰ってきているだろうと予想して、久しぶりにお喋りをしたいというお茶会の誘い。

(お茶会……!)

 玲菜は迷ったが、誘いに乗ることにした。

 レオのことは心配だが、家でじっと待っていても意味ないし、クリスティナには話したいことがいっぱいある。もしかしたら城に居る方がレオと早くに会えるかもしれないし。

 玲菜は二つ返事をして、皇女の使者は「また午後に迎えにくる」と言って去って行った。

(クリスティナさん、元気かなぁ?)

 まずは、無事にフェリクスへお守りを渡したことと、レオとのことを話さなければ。彼女の喜ぶ顔が目に浮かび、自分も口元が緩む。

 それから午前中に洗濯などを済ませて城に行く用意をしなければと動き始める玲菜。

 途中でショーンが起きてきて、お茶会のことを話すと、おじさんも今日は図書館に行くのだと言う。二人とも帰るのは夕方で、それまでにレオが帰ってくれば夕食は三人で食べられると話し、そのことを望みながら朝食をとった。

 食べ終わるとショーンはさっそく図書館へ。玲菜は洗濯の続き。洗濯が終わると後宮へ行くための服に着替えて身だしなみをきちっと整える。

 昼はウヅキと一緒にとって、約束の時間近くになったら外で迎えの馬車が来るのを待った。

 

 そうして、来た馬車に乗り込み。

 以前と同じように城の庭園に着くと馬車を降りた。

(久しぶりだなぁ〜)

 皇女とのお茶会は、楽しくもあり切なくもあった。

 お喋りや刺繍は楽しかったが、レオのことをずっと遠くで見るだけで、姿を見られる幸せと近づけない哀しさが交差した。途中からは通っていたレナを見る苦しさも。

 玲菜は後宮に向かう庭路を歩きながら一度深呼吸した。

 もしかしたらまた、レオに会いに来るレナと会うかもしれない。

(でももう、逃げたり隠れたりしないで堂々としよう)

 彼女を傷つけても、はっきりとレオが好きなことを伝えよう。

 怖気づいては駄目だ。自信を持たなくては。

 自分はこの世界に戻って来る。そしたら多分――彼とずっと一緒に居られる。

「ふぅ」

 一息ついて、玲菜は後宮の廊下に入った。

 レナのことは、今は忘れてクリスティナの部屋に向かわないと。

 そう思って歩いていると、突然どこからか声が聞こえる。

「レイナ様!」

(え?)

 女性の呼びかけに振り向こうとすると、コソコソと小さな声で話してくる。

「どうか、振り向かずにそのままでお聞きください」

(誰?)

 どこかで聞いたような。

「私は、クリスティナ様の侍女です。レイナ様、詳しく話している暇はありません。只今姫様の部屋では兵士が待ち伏せており、貴女が行くと捕まってしまいます」

 そうだ。声はクリスティナの侍女だ。それよりも状況がおかしい。

「私は、姫から貴女に伝えるよう、密かに命令されて来ました。もう部屋に戻らないと疑われるので長くは居られません。どうか、急いでここから離れて。馬車もきっと今頃押さえられていますので、大変ですけど歩きで」

(えぇ!?

 なんてことだ。理由は分からないが、自分に危機が迫っている。

「わ、分かりました」

 玲菜は小声でそう言うと侍女を探さずに後ろを向いた。

 このままさりげなく城を出ないと。

 

 ――だが、玲菜が引き返そうとしたその時に、クリスティナの部屋のドアが開き、怒鳴り声と中から兵士がたくさん出てきた。

「無礼者!! 姫様を離しなさい!」

 これは女性の声。そして……

「おやめなさい!! 私《わたくし》の命令が聞けないのですかっ!」

 そう言って出てきたのが皇女クリスティナ。

 それよりも部屋から出てきた兵士たちは玲菜を見つけるなり「居たぞ!」と言いながらこちらに向かってくる。

 クリスティナは玲菜の姿を見て叫んだ。

「レイナ様! 逃げて!!

 

 どうすればいいのか分からない。

 先ほど、玲菜にこっそり話しかけていたであろう声の主の侍女が柱の陰から出てきて玲菜の手を掴む。

「レイナ様! こちらに!!

 

 しかし、少しの逃亡虚しく、庭路に出ると兵士に回り込まれて玲菜は侍女共々周りを囲まれた。

(な、なにこれ?)

 状況が掴めない。

 一体どうして、後宮で兵士に捕まる目に遭うのか。

 呆然とする玲菜の前に、一人の兵士が出て話しかけてきた。

「あなたが“レイナ”さんかな?」

「はい?」

 

「あなたに、皇帝陛下暗殺の密偵としての容疑がかかっています」

 

「は?」

 意味が分からない。

「大人しく捕まってください」

 兵士はそう言うと手を向けて、別の兵士数人が玲菜の腕を掴む。

「い、痛っ!」

 痛がっても嫌がってもお構いなしで手首に縄を掛ける始末。

「え? 陛下あんさつ? みってい?」

 全く身に覚えがないし混乱する。

「なんで私が?」

「話は後ほど聞きますので」

「レイナ様!」

 侍女は玲菜と兵士を引き離そうとしたが力で押されて地面に倒された。

「ちょっと! 何する……」

 

「おやめなさいと、言っているでしょう!?

 

 そこに駆け付けたのがクリスティナで、他の侍女が止めるのも聞かずに玲菜と兵士の間に入る。

「私を誰だと思っているのです! 第二皇女のクリスティナです。よくも私の命令を無視できますわね?」

「ですがクリスティナ様! たとえ貴女様の御友人でありましても、こればかりは……」

 リーダー風の兵士は皇女に対しても物怖じしない。

「申し上げにくいのですが、恐らく、騙されておいでです。クリスティナ様。友人になろうと巧妙に近付いてきたのですよ」

(巧妙に近付く?)

 なんて言われようだ。

 玲菜が怒る前にクリスティナが声を上げた。

「そんなことはありません! レイナ様はそんな方では……!」

「しかし、容疑がかかっている以上は連行させていただきます。これは法律ですから」

 兵士が玲菜を連れていこうとすると、クリスティナは前に立ちはだかった。

「待ちなさい!」

「クリスティナ様!!

 近くに居た侍女たちが皆で止める。

「お願い。私の好きにさせて」

 クリスティナは彼女たちにそう告げると兵士に向かって言い放つ。

「どうしてもと言うなら、私も連れていきなさい! レイナ様が密偵だとするなら、後宮に招き入れたのは私です」

「え?」

 驚いたのは玲菜だけでなく、兵士も皆びっくりして止まってしまったが、リーダー風の兵士は首を振る。

「いけません。容疑の無い皇女様を縄に掛けることはできません」

「いいから! では、付き人ということでいいですか?」

「クリスティナ様……」

 兵士は困ったが、別の下っ端風な男が近付き、彼に耳打ちする。

「なんだと?」

 何かを聞いた兵士は、「なるほど」と一人で納得して、皇女の要望を聞いた。

「分かりました。付き添いで。二人とも小部屋に入ってもらいます。申し訳ないですが、侍女は無しという形でもよろしいですか?」

 侍女たちは慌てたが皇女は頷いた。

「分かりました。大人しく連行されますから、レイナ様の縄も解いてください」

 縄を締めた兵士は戸惑ったが、リーダーの兵士はそれも許す。

 玲菜は縄が解かれて、クリスティナを心配した。

「クリスティナ様、どうして! 私は大丈夫ですから」

「いいのです、レイナ様。私はレイナ様が密偵ではないと信じています。それに、きっとアルバートお兄様が助けにきてくださいますわ」

(レオが……)

 レオはまだ帰ってきていないが、もし帰ってきたらきっと助けに来てくれる。

 玲菜はそう信じて心を強く持った。

(そうだ。私は無実だし、ちゃんと訴えよう。間違ってもクリスティナさんには被害が及ばないように。レオももしかしたら)

 こんな理不尽はあり得ない。何かの間違いで、しかし密偵ではないことは確かだから疑いは晴れる。

「そうですね。信じてくださってありがとうございます。私もなんとか無実を証明してみます」

「レイナ様!」

 

 二人が話していると、話を聞いた兵士が心を打ち砕くようなことを告げた。

「残念ながら、その、アルバート皇子ですが。皇帝陛下暗殺の主謀容疑として捕まっています。まだ、内々の情報ですが」

「え?」

 耳を疑う言葉。

 

 だから、凱旋でも今も、彼は帰ってこないのか。

 

「嘘ですわ!」

 青い顔をしてクリスティナは叫んだが、玲菜は衝撃の言葉にただ呆然として兵士たちに連行された。


NEXT ([第七十話:異端者の疑い]へ進む)
BACK ([第六十八話]へ戻る)

目次へ戻る
小説置き場へ

トップページへ
inserted by FC2 system