創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第七十話:異端者の疑い]
皇帝陛下暗殺の密偵容疑で捕まった玲菜は、皇女が付き添いしているからか丁重に扱われ、連行も縄なしで手荒な風にはされなかった。
自分の容疑も身に覚えがなく、信じられないのだが。それよりももっと信じたくない情報を聞いて呆然としながら歩く。
――アルバート皇子が主謀容疑で捕まったということ。
そもそも、皇帝暗殺の件は最初に容疑がかかった朱音が拘束されたことでアルバート皇子のことは疑わないと……された気がしたが。
(違ったかな? なんで今頃)
考え込んだ先に、玲菜はある事に行きついて愕然とする。
(もしかして……私のせい?)
その予想は当たり、悪夢に変わる。
「レイナさん。貴女の出身はどこですか?」
普段使われていない塔の上の小部屋にて。
皇女と一緒に入らされた玲菜は、さっそく尋問者らしき男に取り調べを受ける。
尋問者の周りには兵士が待機していて、自分の横にはクリスティナが。クリスティナは玲菜に「どうぞお答えになって」と優しく言うが、答えられない。
自分の密偵疑惑を晴らすには答えないといけないのに。……答えられない。
「私は……」
玲菜は泣きそうになった。
(そうだ。私みたいな身元不明者は、密偵って思われても仕方ないんだ)
自分がスパイだと思われることで、レオの疑いが確定する。
「失礼ですがレイナさん、貴女は、アルバート皇子と深い関係を持っていますね?」
そして何らかの形でレオとの事がバレた。
いや、バレない方がおかしいか。
部下が拘束されて秘密の恋人が密偵であるならば、アルバート皇子に主謀容疑がかかるのは自然な流れ。
(私のせいで! レオが……!)
玲菜は涙を堪えて小さく頷いた。
「はい」
これはきっと何者かの罠であるのに、過去の記録の無い自分の存在を利用されるなんて。不覚すぎる。
しかし嘘はつけない。
「私は、アルバート皇子と恋人関係にありますが、でも、皇帝陛下暗殺なんて考えません。密偵でもないですし」
「では、貴女は何者ですか?」
何者で、あるのか。
「ちなみに、ショーン軍師も図書館で任意同行させてもらい、貴女との関係を別の場所で尋問中です」
「私とショーンは、別に……」
考古研究者というのは嘘で、証明する術がない。
なんで……どうしてこうなってしまったのか。
「私は……」
過去から来た人間で、神話の作者であり、この世界の創世神だ。なんて……言えるはずがない。
「私は、この時代の人間ではないけれど。この時代の人間になりたいと思っています」
玲菜の突然の訴えに、尋問者と兵士たちは不審な目で首を傾げ、クリスティナも不思議そうな顔をする。
「レイナ様?」
「もしかしたら、大勢の人の命を奪ったかもしれないけど。小説を……『伝説の剣と聖戦』を書いたことを後悔しない」
兵士たちは顔を見合わせて、誰かが言った。
「異端者……?」
尋問者はもう一度訊ねる。
「レイナさん、貴女はどこの出身ですか?」
何も答えないと、質問を変えてくる。
「では、誰の命令でこの国に来ましたか?」
玲菜が首を振ると、更に付け足す。
「どの神を信じていますか?」
信仰する神を訊いて、ある程度の国を割り出そうというらしい。
玲菜は首を振ってついに言ってしまった。
「私は! 日本人です! 宗教はやってません!! 特定の神様を信じるとかないです!」
「信仰する神が居ない?」
兵士たちにどよめきが起こった。
「ニホンってどこだ?」
尋問者は眉をひそめて首をひねる。
「しかし、今、神話の名を挙げましたよね? 神話のことは信じているのですか?」
「あれは、神話じゃないです」
これ以上言えなく、俯く玲菜。
一方、異端者ともとれる彼女の発言に尋問者及び兵士たちの間に不穏な空気が流れた。
密偵だけでなく、異端者の可能性もある、と。
そこに、追い打ちをかけるような情報が入ってくる。
兵士の一人が情報を確認して尋問者に耳打ちした。
「宗教警殿!?」
どこかで聞いたことがあるような。
すぐに玲菜は問われた。
「レイナさん、貴女は一度、宗教警殿に入ったことがある、と。間違いないですか?」
(宗教ケイデン?)
玲菜は、すぐには分からなかったが。もしかして、と思い出す。
この世界に来た時、最初に捕まって入った牢屋がそういう名ではなかっただろうか。
(でもあれは、レオが……)
勘違いをして入れられた。
「入りましたけど、あれは……」
アルバート皇子の勘違いで、後でショーンに助けられたと言うのか。
そんなこと言ったら、スパイを匿ったショーンと、レオの主謀説が濃厚になるのでは?
「間違いで、あとで釈放されました」
いろいろと考えた玲菜はうまく言ったつもりだったが、逆に異端者説が濃厚になってしまったようだ。兵士たちは「やはり」と頷いて玲菜を見下す。
(駄目だ。何を言っても疑われる)
それどころか、悪化しているような。
――いや、どうせ疑われるなら。
(“異端者”でもいい! でも、レオが主謀犯になるのは嫌だ。ショーンだって、尋問されているなんて駄目)
玲菜は決意して言い放つ。
「たとえ私が『異端者』と言われようと構いませんが、密偵では決してありません。ましてや、アルバート皇子が自分の父の暗殺を企てるなんてありえないです!」
もう、黙っていられない。
「これは! アルバート皇子が何者かに陥れられた陰謀です! 彼が皇帝になることを望まない誰かに、仕掛けられた罠です!!」
皆が口をあんぐり開けているが構うものか。
「しかし、犯人は愚かです。なぜなら、アルバート皇子は帝位を望んではいない。なのに焦って皇帝を暗殺して、無意味な争いを生んだ」
まさか自分の口からこんな風にスラスラと言葉が出るとは思わなかった。
「真犯人こそ! この国を内から乗っ取ろうとしている密偵なんじゃないですか!?」
唖然としているのは尋問者だけでなく、兵士も、クリスティナもだ。
本当はまだ言葉に続きがあって、「貴方たちは皆、騙されていますよ」と言いたかったのだが、それは叶わなく。
尋問は一旦打ち切りになり。
玲菜とクリスティナは残されて尋問者たちは去って行った。
続きは明日になるらしい。
実質、二人で幽閉ということになるのだが、部屋は綺麗ですべて揃っているし、食事もちゃんとしたものが届けられる。着替えも用意される。
外に出られない以外は自由で、二人なので寂しくはない。クリスティナに至っては、いつでも言えば自分の部屋に戻れるらしいが、彼女はそれを断った。
尋問者たちが去った後、皇女は玲菜の手を掴んで先ほど啖呵《たんか》を切った事を褒め称える。
「レイナ様! 凄い! 私、びっくりして感動しました。あんな風に物怖じしないで自分の意見を訴えられるなんて、素敵でしたわ」
「わ、私も……自分でちょっとびっくりしてます」
照れながら玲菜は答える。
「ただなんか、夢中で」
クリスティナは、出身地が言えない玲菜のことを疑わないのだろうか。恐る恐る彼女を見ると、クリスティナはニッコリと微笑んだ。
「私は、レイナ様には何か事情があるのだろうと思っていますから。密偵だとは思っていません。秘密は知りたいですけど」
「秘密……」
自分を信用してくれている彼女に言えないのはつらい。
「秘密は、今は言えないですけど。でも、密偵ではないと信じてくださってありがとうございます」
「いえ」
クリスティナはためらいながら言った。
「正直なところ、レイナ様は私の初めての友達ですので。万が一、……密偵だったとしてもいいと思っています」
これが彼女の本音か。
「お気を悪くしました?」
覗きこむ彼女に首を振る。
「いえ。そう思っていただけて嬉しいです」
「小さい頃、私の友達はアルバートお兄様でした」
クリスティナはベッドに座って懐かしむように天井を仰ぐ。
「アルバートが?」
玲菜が隣に座ると「クスッ」と笑って続けた。
「ええ。アルバートお兄様は、他のお兄様やお姉様が知らないような遊びを教えてくださいました。木登りとか、池に入る事とか」
レオらしいと、玲菜は思う。
「もちろん、侍女たちに止められるので。でも、こっそりと」
昔を思い出して楽しそうに話すクリスティナは、物悲しそうに俯いた。
「アルバートお兄様は、サーシャ様が亡くなってから宮廷に戻らなくなって。戦にも行ってしまうし。元々たくさん遊んでもらった記憶はないですけど、私は友達を失ってしまったと思っていて」
話を聴く玲菜の方を見る。
「でも、レイナ様という新しいお友達ができて本当に嬉しいのです。お兄様は兄妹ですけど、レイナ様はもしかしたら義姉妹になれるかもしれないですし」
「義姉妹……」
意味を想像して、顔を赤くする玲菜。
すかさず察してクリスティナは顔を覗きこんだ。
「仲直り、したんですね!? レイナ様!!」
ずっと訊きたかったらしい。
「あ、は、はい」
返事をするとクリスティナは「キャアア」と喜んだ。
「やっぱり!! 砦に行ってお守りを渡したのですか?」
「お守りは……」
お守りを渡して復縁したわけではないが、渡すことはできたので頷く。
「渡しました。あ、フェリクス様にも! クリスティナ様のお守りをフェリクス様にも渡しました!」
「え?」
「すっごく喜んでいました!」
その言葉に、クリスティナは頬を赤く染める。
「渡してくださってどうもありがとうございます」
嬉しそうに俯きながら小さく微笑む仕草はたまらなく可愛い。
「でも良かったです。お兄様とレイナ様が元通りになって。私、自分のことの様に嬉しいですもの。お二人は早くご結婚なさればいいわ」
「けっ結婚……」
十五歳の少女にさらりと言われて玲菜は戸惑う。
(結婚……?)
ずっと無理だと思っていたから、ちゃんと考えたことが無かった。
(私とレオが、結婚?)
ずっと一緒に居たいとは思っている。すなわち『結婚』も、何か幸せなものとして望んでいるが。
(違うよね? もっと現実的に考えないと)
同居しているので、今の生活の延長のようにも感じていた。けれど、それとはやはり少し違うか。
(本当に、そんな未来が?)
この世界で彼と、子供を産んで育てて……一生を過ごす。
漠然としすぎていてよくわからない。
(でもレオは、私との結婚をちゃんと考えていてプロポーズしてくれた)
あの時は嬉しくて哀しくて。結局断っている。しかし、この世界に戻ってきた時にもう一度してもらえたら間違いなくOKする。
正直、この時代の医療などが未だに不安という気持ちはあるけれど。
玲菜は目をつむった。
(大丈夫だよ。私はこの時代の人間になるんだ)
そこまで決意して、現状がそれどころではないことを思い出す。
只今幽閉中であり、レオも捕まっているらしく、ショーンも尋問されている、と。
本来、絶望的な状況なのに、そこまで絶望的な気持ちにならないのはきっと、クリスティナが一緒に居るからだ。もし一人だったらどんなに心細かったか。
――いや、不安は大いにある。
彼が今、一体どういう状況に置かれているのか心配でたまらない。
(レオ……)
何か言いがかりで酷い目に遭っていなければいいが。
現状『犯人確定』ではなく『容疑』であるし、皇子だから手荒な真似はされないとは思うのだが、どうだろうか。
約一週間も会っていなくて、やっと会えると思ったのにこの仕打ち。
自分の身だって……
今日はなんとか切り抜けたが、明日の尋問でどうなるか分からない。
一体いつまで、クリスティナを巻き込んでこの状態でいなければならないのか。
(私の身元が証明できれば、疑いは晴れるの?)
いや。そもそも――
これは、明らかに罠のはずで。
一体誰が、この企みを……
皇帝暗殺の犯人をレオに仕立て上げて、一体誰が得をするのかなんて、考えたら……――
その時、静かだった塔の階段から集団の人間が昇ってくる足音が聞こえて。
何事かと、クリスティナと玲菜が顔を見合わせた後に。
荒々しくドアが開いて、先ほどの尋問者と兵士たちが断りもなしにドカドカと部屋に入ってきた。
雰囲気が先ほどとは違い、何やら重々しい空気。いや、妙な威圧感があり、雰囲気を察知したクリスティナが険しく立ち上がる。
「一体何事です? 続きの尋問は明日だと仰いましたよね? それなのに、何の断りも無しにいきなり入ってくるなんて、失礼ではありませんか?」
「はい。失礼いたしました、クリスティナ様」
尋問者はそう言うと「ですが」と続ける。
「先ほど、レイナさんが異端の疑いで異端審問にかけられることが決定しました。よって今より、宗教警殿の異端審問所の方へ移動してもらいます」
「え?」
「こちらの方は付き添い不可なので、クリスティナ様には自部屋へ戻ってもらい、レイナさんのみの移動となります」
(異端しんもん?)
最初、玲菜は分からなかったが、嫌な予感がする。
(なんかさっき、異端者とか言ってたけど。“異端者”って、宗教的ななんか良くない意味だよね)
映画や漫画、小説を書く時にいろいろと調べた知識を甦らせる。
そこで思い浮かんだのが『魔女狩り』だったために、背中がゾッとした。
(え? 嘘? そういうの!?)
ドイツ旅行で行った中世拷問博物館を思い出す。
ここは未来の世界なので、過去の歴史とは違うと思うのだが……。
(でもなんか、やばそうな雰囲気)
現に、話を聞いたクリスティナは青ざめて震えている。
「異端審問!? 何を言っているのです! この私が許しません! 審問所に行くのも却下です。大体、レイナ様を異端者と決めつけるとは…」
「レイナさんは、ご自分で申されたのですよ?」
尋問者はきっぱりと告げた。
「『異端者と呼ばれてもいい』と」
確かに、言われてみれば、そういうセリフを言ったかもしれなく。
尋問者は考えを改める様子も無い。
「大丈夫ですよ。場所が異端審問所に変わるだけで、やることは変わりません。尋問と……或いは、裁判。裁判でも無実になる可能性もありますし」
「しかし噂では、異端審問所は宗教警殿の中といえども別物だと。今まで無罪になった方が居ないと聞いていますけど」
皇女の発言に体が震えたのは玲菜だ。
(や、やっぱり、裁判……。なんか、まさか変な拷問とか無いよね?)
これは悪夢なのか。
それとも、絶望か。
尋問者は皇女の脅しに怯まずに言う。
「ですから、それはただの“噂”ですね?」
なぜ、彼がそこまで強気でいられるのか。もしかすると皇女よりも権力の強い者が後ろにいるのか。玲菜が疑問に思った時に、彼はニッと笑った。
「ただ、レイナさん。貴女がもし、“密偵”の容疑を認めれば、異端審問の方は無しにできますが、どうしますか?」
「なっ……!」
まさかの、脅迫紛いの取引。
「ひ、卑怯者!!」
クリスティナは怒鳴る。
「そもそも、一介の尋問者如きの貴方に、そのような取引ができる力があるとは……」
「力はあるよ」
不敵な笑みを浮かべて、そこに現れたのは立派な服を着た茶色い髪の男。二十三歳くらいで、やや美形。普段はキザなセリフと紳士的な態度で、いかにも王子様なのだが。
本日は悪巧みを考えているかのような雰囲気でご登場。
いや、これが彼の本性だと思えば、むしろ納得がいく。
レオはずっとそう言っていたわけだし、まさに化けの皮が剥がれるという感じか。
とにかく、玲菜も薄々勘付いていた。
一体、誰が得をするのかと。
「ヴィクターお兄様……」
クリスティナは、現れたその男に愕然としながら名を呼ぶ。
第二皇子・ヴィクターが裏で糸を引いていたというのはしっくりいきすぎて逆にこわい。
長男のフレデリックが亡き今、アルバート皇子が失脚すれば彼の邪魔者は居なくなり、彼が皇帝に決定する。
(だからなの? いつから?)
この陰謀はいつから仕組まれていたのか。ずっと機を狙い、それが今だったのか。
現に、“力のある”彼が今ここに来た。
「お兄様、どうして……」
クリスティナは泣きそうになりながら震える声で自分の異母兄に問う。
「お兄様が、アルバートお兄様を? そんなに、帝位が欲しかったのですか?」
「クリスティナ、人聞き悪いな〜。なんか、私がアルバートを嵌めたみたいじゃないか。父上を暗殺したのはアルバートの部下で間違いないよ」
ヴィクターの言葉に反論したのは玲菜だ。
「朱音さんはそんなことしないです! あ、貴方が、帝位欲しさにアルバートを陥れたのは分かります! フレデリックさんも亡くなって、邪魔者はアルバートだけですよね? 元々アルバートは次期皇帝に一番近かったし」
ここで負けてはいけない。
「今ここに来たことが何よりも証拠じゃないですか!」
一瞬、目を吊り上げたヴィクターはニヤッと笑いながら二人を見る。
「確かに帝位は欲しいね。私がこの国に君臨するなんて気分がいい。ただ、欲しいのはそれだけじゃないんだ」
その眼は異母妹のクリスティナに向けられる。
「クリスティナ。ちょっと二人だけで話があるのだけど良いかな?」
何か嫌な予感。
「え? 二人だけで?」
それは、クリスティナ本人も感じたらしい。
「うん。場合によっては、キミの友達が異端審問所に行かなくて良いかも。密偵疑惑だって、晴らす方法が……」
駄目だ。
とっさにそう察知した玲菜は、二人の間に入る。
「待ってください!」
密偵疑惑は絶対に認められない。認めたらレオが犯人にされる。
そして、自分の身の安全と理不尽な交渉のためにクリスティナを犠牲になんてさせたくない。
覚悟を決めないと。
「私、異端審問所に行きます!!」
どんな所かは分からない。予想だと恐ろしい所の気もする。中世ヨーロッパの魔女裁判的なイメージもある。
一方的な裁判が待っているのかも。有罪になったらどんな恐ろしいことが……
(でも……でも!)
唇を噛みしめて恐怖と戦う。
「私は密偵ではありませんし、異端者の意味がわかりません。だから……」
「レイナ様!」
クリスティナは十五歳とは思えないような大人びた瞳で、決意したように一歩前へ出る。
「私が、異母兄と話をしますから」
「え?」
「大丈夫です」
絶対に大丈夫ではない気がするのに。
「私も異母兄妹として、皇女として、対等な話し合いをします」
彼女の言葉で決定してしまい。
『二人きり』という約束なので、玲菜は止める間もなく部屋から出された。
「まっ待ってください、クリスティナ様!! いけません!」
ドア越しに叫んで訴えたが声は届かなく、逆に「邪魔だ」と階段を下りるよう命令されて塔から外に出された。
外はもう真っ暗で、いつの間にか夜になっていたのだと分かる。
(ちょっと待って? 二人きりなんて絶対危険!!)
対等とか、そういう問題ではない。異母兄妹だから平気……?
(違うよ!!)
レオも言っていた。次男の危険性を。
(駄目だ駄目だ。……クリスティナさんが危ない!)
事の危険さに気づいた玲菜はまた塔に向かう。
(なんで……なんで、しがみついてでも止めなかったんだろう?)
恐ろしいことが頭を過って体が震える。
(駄目だ! 今からでも!!)
玲菜が夢中で塔に入ろうとすると、その場に居た兵士たちが前を塞ぐように立ちはだかった。
「どいてください!!」
「駄目です。お二人が今、話し中ですので」
「そんな! 約束を守るとは限りません! 本当に話かどうかも……」
訴えても無駄で、兵士たちは全く動こうとはしない。
玲菜は青ざめて、それでも必死に階段に向かった。
「どいて!! どいてよ!!」
(助けなきゃ!! クリスティナさんを助けなきゃ!!)
無我夢中で走る玲菜は、力の強い兵士に掴まれて地面に叩きつけられる。
一瞬、自分の身に何が起きたのか分からなかった。
気付いたら地面に倒れていて、腕と膝に激痛が。……いや、混乱していたので痛さはその時感じなかったが。
兵士たちを急に恐ろしく感じる。
「大人しくしろ! 皇子を色仕掛けでたぶらかした女諜報員が!!」
皇女が居なくなった途端、明らかに態度が一変して言葉遣いも変わっている。
尋問者が先ほどとは違う悪人面でニヤニヤと下品な笑い方をしながら近付いた。
「レイナさん。アナタ、自分の立場が分かってないですねぇ。人の心配より、自分の心配をしたらどうですかぁ?」
「え?」
背筋がゾッとする。
次の瞬間、玲菜には手錠が掛けられた。
「これからアナタを、異端審問所に連行します」
自分の状況が分からなくて呆然とする玲菜。
「え?」
なぜ今、手錠を掛けられて異端審問所に連れていかれるのか。
確か、それを阻止する為にクリスティナは異母兄と話し合いの場に。
「や、約束が違う……」
見ると、兵士全員がニヤニヤといやらしく笑っていて、尋問者はあざ笑う。
「約束ってなんですかぁ?」
(騙された!!)
青ざめた玲菜は、現時点のクリスティナが一体どういう状況なのか不安でとにかく放心状態になった。
その頃。
玲菜の不安が的中してクリスティナの身に危機が迫る。
「お、お兄様……?」
異母兄の眼が尋常じゃない雰囲気で自分を見つめるので怖くて後ずさりをする。
(いつものお兄様じゃない)
話し合おうとしたのに、二人きりになった途端、無言で何かを考えている様子。
窺っていたら、突然肩を掴まれて押されて歩かされ、部屋のベッドに倒された。
「なっ……!?」
起き上がる間もなく、ヴィクターが上に乗ってきて、クリスティナは身動きが取れなくなった。
「お兄様!? 何を……!!」
異母兄は顔を近付けて言う。
「クリスティナ、話し合おうか」
「え?」
いつもの優しい顔ではなく、恐い表情をしている。
力も強くて痛いし、悲鳴を上げるクリスティナ。
「お兄様、痛い! どいてください。このような格好では話し合いができません」
「クリスティナ……! なんて美しく成長したんだ、お前は」
そこで初めて、異母兄の感情に気付くクリスティナ。
いや、今までも、自分に向けられる目が他の異母兄とは違っていたのには薄々気付いていた。
だから最近は少し避けていた。
自分の勘違いであってほしいと、思っていたのに。
「お兄様、やめて」
恐怖で体が震える。
「お兄様、お願いです。お願いです!」
「お前が大人しく言う事を聞けば、アルバートもお前の友人も助かるのに?」
残酷な選択肢をヴィクターは告げてきた。
「え……?」
自分が犠牲になれば大事な二人が助かると聞くと迷う。
しかし――婚約者の顔が思い浮かぶ。
(フェリクス様!!)
まだ返事をしていないのに、ヴィクターが口づけを迫ってきて、クリスティナはとっさに避けた。
「駄目です! やめて!」
「では、あの二人がどうなってもいいと?」
その言葉に、クリスティナは目に涙を浮かべる。
「レイナ様!!」
名前を聞いて、ヴィクターは不敵な笑みを浮かべた。
「ああそう、お前の友人はもしかすると、今頃は……」
「レイナ様に何を!?」
彼は意味深長に笑い、答えぬまま異母妹の服に手をかけた。
(レイナ様……!!)
クリスティナは必死に抵抗しながら玲菜の身を案じて涙を流す。
一方。
その玲菜は……
手錠を掛けられて護送馬車に入れられて自分を囲む兵士たちの恐怖と戦っていた。
彼らはいやらしそうな顔で自分を見て、汚く笑う。
一人が玲菜の顔を掴んできた。
「お前、皇子をたらしこんだだけあって、よく見ると中々の見た目じゃねーか」
その手が痛いし、何も抵抗できなくて怖くて震える玲菜。
さっきまでの強気の発言もできない。
言おうとして口を開けても声が出ない。
「但し、体は貧弱そうだけどな」
いきなり胸を鷲掴みにされて、びっくりした玲菜は体を捻ってその手を離させた。『やめて』と叫びたいのに恐怖が勝って叫ぶこともできない。
自分がどうなるのか、想像するのも怖い。これは夢だと思いたい。
今までも、何度も危機があったが、こんなに絶望的なのはなかった。
いつも、レオやショーンが助けてくれた。
けれど今は、二人とも捕まっているらしいので、その可能性は無い。恐らくレオの部下である黒竜たちも抑えられていると予想できる。
助けは来ない。
そして、この状況は……
一人の兵士が、玲菜の足を掴み始める。
「おい、お前何やってんだよ」
別の兵士が注意したが、止める様子はない。
「皇子の女が、どんなものか確かめてみたくないか?」
兵士は興奮した風に脚を触った。
「あの、アルバート皇子をたらしこんだんだぞ。もしかするとすっげぇのかも」
兵士たちは顔を見合わせる。
「でもお前、バレたらただじゃ済まないぞ」
「バレなきゃいいだろ。どうせ異端審問では有罪になる。この女は処刑されて証拠は残らない。後は、皆が黙っていれば」
「つまり、皆が共犯者になれば……」
まさに、あまりの恐ろしさに玲菜が慄いたその時――
「ぎゃああああ!!」
“共犯”という言葉を出した兵士が叫び声を上げてその場に倒れた。
皆、唖然としながらも剣を持ち、倒れた男から離れる。
「な、なんだ!?」
「誰だ!!」
倒れた兵士は口から血を出していて、よく見ると小さな刃が突き刺さっている。
玲菜は悲鳴を上げそうになったが、それよりも……
「あまりにも下衆な言葉だったので、黙ってもらいました」
暗闇にゆらりと立ち上がった人影が、美しく月に照らされる。
つい、兵士たちは見惚れてしまい、玲菜も同じく見惚れたが。
知っている姿に知っている声だったので信じられない。
しかしようやく、声を出すことができた玲菜はその名を呼んだ。
「朱音さん……!」
彼女は振り返り、前と変わらない微笑みをした。
「遅くなってすみません、レイナ様」