創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第七十七話:決断]

 

 翌日。

 ついに森の預言者の家訪問ツアーの出発日になって、玲菜は朝早くからサンドイッチをせっせと作り始めた。

 前回同様、レオが五人前、自分もショーンも一人前、計七人前を用意する。もちろん、ウヅキの分の猫用弁当も用意して。

 作っていると、食べ物の匂いにつられたのかレオが起きて台所に入ってきて、彼女のエプロン姿に見惚れた後、調理を覗き見る。

「おっ! サンドイッチ!」

 つまみ食いしようとしたのでその手を弾く。

「これはお昼用なの! 朝ご飯はあっち!」

 サンドイッチの残り物だが、朝食も作って用意しておいた。

 レオはさっそく食卓に着き、すぐに食べようとしたが玲菜に注意される。

「レオ、手洗いうがいは? ちゃんとしてから食べないと駄目だからね」

 まるで母親と小さな子供。

 レオは渋々とバスルームに向かう。

 入れ違いにショーンが入ってきて、用意された朝食とサンドイッチを作っている様子に感心した。

「レイナ、偉いな!」

 そのショーンは身なりが整っていたので恐らく準備万端。朝食後すぐに出られそうだ。

(やばい、私が一番遅くなる!)

 玲菜は急いでサンドイッチを作り、包んで鞄にしまい、飲み物なども入れてから食卓に着いた。服が汚れたら嫌なのでエプロンを着けたまま食事をする。

 バスルームから戻ってきたレオが、何度も見てくるのが気になったがそのまま食事を終わらせて。歯磨きや軽い化粧などを行った。

 

 三人共準備が終わり、ウヅキも連れていつもより早くに家を出る。

 清々しく晴れたよい天気ではあるが、風が強くて寒い。まだ雪でも降りそうな気温なので防寒着は必需品だ。

 玲菜はふと思う。

(もう旧暦でも三月中旬なはずなのに、気候的にはまだ二月後半みたい)

 気候はきっと昔と違う。

 ただ、街路を歩いていると、所々に梅の花が咲いているのに気付いた。

(あれって梅だよね? 桜じゃないよね?)

 そういうのを見ると、もうすぐ春という気がしてワクワクしてくる。

(なんかな。春っていうとイベントがいっぱいある感じ)

 桃の節句に自分の誕生日、ホワイトデーに、母の誕生日。世の中的には卒業シーズンと入学・新学期。

(ケーキいっぱい食べられるイメージ)

 そうだ。もしあのまま自分の時代で過ごしていたら、次の三月というと2013年になるわけだが。果たして無事に2013年を迎えたのかなんて……縁起でもなく思ってしまう。

(だってさ、2012年の十二月にさ、マヤの予言あるよね?)

 有名な人類滅亡の予言。世の中では『続きの暦が見つかった』などと予言を覆すニュースもあったのだが、過ぎてみないと分からない。

 今現在、この世界では一応過ぎているといえば過ぎているか。しかし当時の記録が無いとなんともいえない。

(でもまぁ、私には関係無いかなぁ?)

 この世界に戻ってきて、ここで暮らしていったら関係無い。けれど、父には関係あるか。

 もしも、万が一、パニック映画の様に予言が当たったら……

 玲菜は首を振った。

「ないないない!」

 その様子に驚いたのはレオとショーン。

「何? どうしたんだよ」

 縁起でもない妄想を否定したらうっかり声が出ました。

 なんて言えない。

「な、なんでもない。それより今日は寒いね」

 玲菜は誤魔化しながらまだ静かな街路を二人と一緒に歩いた。

 

 三人が馬車を捉まえたのはそのすぐ後。ちょうどレオが「俺の馬車を呼んでおけばよかった」と面倒臭がった時で、偶然にも馬車が通りかかったので引き留めた。

 馬車は都の城壁を出て車の置いてある洞穴の方へ向かったが。もちろん近くまで来たら降りて、馬車が遠くに去るのを待ってから洞穴に向かって歩き出す。

 目印の大きな木を見つけると自然と足が速くなり、隠してある車を無事発見すると一安心した。

「うぉおおお!! 自動車だ! 久しぶりに見たけどカッコイイな、やっぱ」

 レオは完全に車の虜になってしまっている。

 洞穴から出すのは玲菜で。けれど出した途端に運転したいと我儘《わがまま》を言う。

 なんとか宥めて、せめて道路までは玲菜が運転すると説得して。

 とりあえず後部座席に座ってもらった。例の如く地図係のショーンは助手席に座る。

 レオは興奮していて、車が動き出したら加速に喜んで外を眺めた。

「やっぱすげぇ! 何度乗ってもすげぇ!」

 思い出して、運転する玲菜に話しかける。

「これって、確かお前の時代にあったんだよな? なんかすげぇよな、これが馬車の代わりにいっぱい走ってたんだろ?」

 さっきから「すげぇ」ばかり言っている。

 自動で流れるCDの音にも改めて反応して「なるほど」と分かった風にする。

「このシーディーとかいう歌もさ、自動車が動くと聞こえる仕組みなんだよな? 最初なんだか分かんなくて混乱したけど、お前の時代の高度文明だと思うと興奮するな」

 多分、CDの仕組みなどはよく分かっていない。彼的には車の中に内蔵されている音楽というイメージなのか。

 玲菜は彼にCDのことを説明したかったが、運転中にどうすれば上手く説明できるか分からず「そういうこと」にして返事した。

「うん。車は……あ、自動車はいっぱい走っていたよ。馬車は現代…私の時代じゃ、あんま見かけないかな。ドイツでは観光用のであったけど。私は乗らなかったし」

「ドイツ……」

 彼はまだドイツのことを把握していない。

「あ、あのね。ドイツってね、私が旅行で行った場所なの。言ったっけ?」

 故郷ではないという説明は前にした。

 どこまで話してどこまで話していないか、もう憶えていない。

「俺が聞いたのはお前の故郷がニホンのサイ…ナントカと、空を飛ぶヒコーキってやつの話だ」

 二人の会話を聞いていたショーンは、気遣って玲菜に言う。

「運転変わろうか? 俺は道分かるし、運転ももう慣れたから。レオと喋りたいなら変わるよ」

「え? えーっと」

 玲菜が変わってもらおうか悩んでいると更に付け加える。

「っていうかさ、おじさん運転したいんだ」

 それならば。

「あ、じゃあ変わってもらおうかな」

「ちょっと、待てよ」

 運転という言葉に反応したのはレオだ。

「変わるんなら俺が変わる!」

 とりあえずショーンと変わると思って玲菜は停めたが、レオがかなり食いついてきている。

 おじさんは選択肢を出した。

「じゃあ、俺が運転してお前ら二人が仲良くするか。お前が運転して、俺とレイナが仲良くするか。選べ」

 なぜか脅迫が入っていたようにも感じたが。レオは迷わずに前者を選んだ。

「もちろん! 俺とレイナが仲良くする」

 

(こういうのなんて言うんだっけな? ああ、そうだ……)

『ちょろい』とショーンは思い、玲菜と運転を変わった。

 

 おじさんの運転で車は進み、レオと玲菜は楽しくお喋りを続けた。

 CDについて玲菜は説明したが、彼にはうまく伝わらない様子。

「ん? つまり? 音楽家の演奏と歌をシーディーに入れて? それを自動車で流してるって?」

 まず、『CDに入れる』が理解できないらしく首を傾げる。

「音を閉じ込める……箱みたいな……?」

「うんっとね、箱じゃないよ。CDは。薄くって円《まる》いっていうか。音はね、データで入れるんだけど」

 その説明に、レオはしばらく考えたが結局理解ができなくてそのまま眠ってしまった。

(寝てるし)

 玲菜は呆れたが、まぁ仕方ないと思って自分は外を眺める。

(朝も早かったから仕方ないかな)

 この辺りは珍しく草原が広がる地域で、おかげで集落も多い。広大な畑や丘の間に割と大きな町が見えて通り過ぎる。

 眺めていると、段々と自分も眠くなり、玲菜はレオの肩に寄りかかるように眠りに就いた。

 一方、レオの膝の上に居たウヅキは起きていて、二人が眠ると助手席に飛び移る。

「ウヅキ、お前も寝てていいぞ」

 ショーンが言っても彼女は眠らずに、じっとショーンの運転する姿を眺めていた。

 

 

 そうして、昼になると休憩して玲菜の作ったサンドイッチを楽しく食べたりして過ごす。充電のために長い時間休んでまた出発し、夕方になると宿のありそうな町を探す。その辺は当てずっぽうではなくショーンが地図を見て計算しているので、大体日が暮れる前に町に着く。車は近くに停めて隠してその日は就寝した。

 

 

 翌日も同じく。途中、天気が悪くなって予定が遅れたが、夕刻には森の近くの村に着いた。そこで一泊すると明日は森へ入ることになる。森では体力が必要なため、早めに就寝して次の日に備えた。

 

 

 ―――――

 

 いよいよ森へ入る日の朝。

 天気は上々、但し昨日に雪が少し降ったらしく足元が滑りやすいという難点あり。

 三人は村から森の前まで来て前回同様ショーンが地図を広げる。

 薄暗さと不気味さは相変わらずで、一度来ているといってもやはり怖い。怖がる玲菜の手をレオが優しく掴んだ。

「大丈夫だよ。俺がついてる」

 なんていうか、彼はたまに恰好つけたセリフを言う。

「うん」

 玲菜が握り返したところでショーンが二人に促した。

「準備はいいか?」

 慌てて手を離し、玲菜は頷いた。

「は、はい。平気!」

 一行はショーンを先頭に、レオが後ろを警戒しながら森へ入って、滑る地面に気をつけて奥へ進んだ。

 

 森は歩きづらく、たまに獣の声が聞こえる。風が吹くと木々は怪しくざわめき、鳥を飛び立たせる。昨日の天気のせいか霧が出ている所もあり、一行はランプを点ける。二度目なので早く歩けると思いきや、そうでもなく。途中何度も休憩してようやく魔術師もとい預言者の家の前へ辿り着いた時には日が暮れそうになっていた。

 

 

「こんな時間に、悪いな」

 ショーンは申し訳ないという風に、木と同化した家に近づく。

 すると前回と同じく大男が玄関から出てきて皆に挨拶した。

「ようこそお越しくださいました、ショーン様、皆様」

 茶色いローブを着て、フードで顔があまり見えない男・エドだ。彼はなぜか盲目の預言者シドゥリの護衛兼付き人をしている謎の人物。身長が二メートルほどありそうだという他に、妙な雰囲気があってウヅキが毛を逆立てる。

 一瞬玲菜は、ショーンが地底遺跡で言っていた『亜人《ア=ヒト》』という言葉が思い浮かんだが、彼に悪いと思ってその考えをかき消す。

(いや、そんなことないって。失礼な)

 しかしまぁ、エドだったらたとえそうであっても違和感が無い。

 それよりも、また“視えて”いたのか、エドは皆に言った。

「シドゥリ様は中でお待ちです。どうぞこちらへ」

 前回は驚いたが。今回はさほど驚かずに彼についていける。

 

 エドの誘導で預言者の家に入り、そして――部屋のドアの前で立ち止まり、彼は皆に告げた。

「実はシドゥリ様は、最近ずっと体調が芳しくなく。寝台から出ることができません。本来、人と会うことも体に障るので好くないことですが、シドゥリ様がどうしても伝えることがあると仰っていましたので。……どうぞ、そのことをご了承ください」

「え? シドゥリさん、具合が悪いんですか?」

 玲菜の質問には答えずに、エドはドアを開けて皆を中へ通す。

 

 そこには、奥のベッドに横たわったままの預言者が居て、確かに衰弱しているというか、状態があまり良くないのが見てすぐに分かった。

 三人はベッドに近づき、白髪で目に包帯を巻いた盲目の彼女の前に立つ。

 すると、音で気付いたのか彼女はゆっくりと口を開いた。

「いらっしゃいませ、ショーン、アルバート皇子、レイナさん。このような寝たままの姿で失礼いたします」

 次に告げたのはまさかの言葉。

 

「本当はちゃんとした形でお話したいのですが、残念ながら私の命もあと僅か。死期が近付いております」

 

「え!?

 三人が驚いた反応をするとシドゥリは静かに微笑みながら続きを話した。

「自分の運命は分かります。そして、本日あなた方がここに来ることも。私は、あなた方に伝えなければならないことがあります。それが私の使命」

“運命”や“使命”はレオにとってうさんくさい言葉であったが、玲菜やショーンは熱心に聴く。そもそも訊きたいことがあったからここに来た。

 玲菜が自分の使命についてや、アヌーの結晶石について訊ねようとすると先にシドゥリが言った。

「まずはあなた方が訊きたがっている話をします。私は長く喋れないので、代わりにエドが。彼にはすべて話していますので」

 エドはいつの間にか紅茶を持ってきていて、玲菜たち三人に、テーブル前にあるソファに座るように案内した。

 

 言われるままソファに座って紅茶を一口飲んでから、前の椅子に座るエドに訊く玲菜。

「あの、私の使命についてなんですが」

「はい。アヌーの結晶石を手に入れておいでですね?」

 そういえば、まず今持っているアヌーの結晶石らしき物が本物であるのか確かめなければならない。ショーンは自分の鞄の中から青く輝く小さな球石を取り出し、エドに見せた。

「これなんだけど、本物か分かるか?」

「本物かどうかは、シドゥリ様に触ってもらったらすぐに分かると思います」

 これでもし違ったら最悪だが。本物だと信じてショーンは青い球石をシドゥリの許へ持っていった。

 彼女は石を手に取り、すぐに確信する。

「安心してください。本物ですよ」

 何か力を感じるのだろうか。しかし彼女が言うなら間違いないとホッとして、候補でもあった残りの青い宝石と共にアヌーの結晶石をしまうショーン。

 唐突に一番気になっている問題を訊いてみた。

「レイナの使命……つまり小説を送らないと、この世界は壊れるらしいが。それを実行する期限みたいなのはあるのか?」

「それは以前シドゥリ様が伝えそびれたことですね」

 伝えそびれたということはもしや。

「結論から言うと期限はあります」

 エドはきっぱりと答えた。

「しかし、シドゥリ様はあなた方が期限に間に合うと感じておりましたので特に急かすことはしませんでした」

 と、いうことは……

「期限は、この世界に来た日を0として、六度目の満月が過ぎるまでです」

 

「六度目? つまり半年?」

 エドは頷く。

「そうですね。シドゥリ様が視えたのは、新年が明ける前の満月まで、と」

「新年が明ける前の満月?」

 要するに。

「年内ってことか」

 ショーンは計算したが、玲菜はすぐに把握できない。

「え? いつまで? 今、何月だっけ?」

 つい最近自分の誕生日祝いをやってもらったが、それは旧暦だったために混乱する。

 ショーンは玲菜に教えた。

「つまり、来月の満月が最後のチャンスってわけだ」

「それっていつ?」

「大体、約一ヶ月後かな」

 一ヶ月と聞くと、思ったよりも期限までに余裕があったような……しかし、決して遠くはない日。

(私がこの世界に居られるのもあと一ヶ月?)

 ふとそんな風に過ったが、首を振る。

(ううん。その後戻ってきたらそんなことない)

 そうだ。戻ってくる予定ならば、別れと考える必要はない。使命の責任だけは重要だが。

 一方レオは、気付いたように呟く。

「それって、俺の誕生日の前だよな?」

 やはり一瞬、別れが不安になったようだが、彼も考えを振り払った。

「お前が戻ってきてくれるなら、俺の誕生日は一緒に過ごせるか」

 目は、完全にそれを強要している。

 しかし……

 レオの言葉に、エドが反応した。

「戻ってくる?」

 何かまずいのか。不穏な空気が流れる。

「あ、はい。あの……」

 玲菜はオドオドしながら訊いた。

「私、使命が終わったらこっちに戻ってくるかもしれなくて」

 まさか。

「無理ですか?」

 

 玲菜の質問にエドは一度俯き、少し考えるようにしてから答えた。

「無理ではありません。可能ではあります」

 なんとなく含みのある言い方にレオは怒り出した。

「なんだよ! 一瞬無理なのかと思って焦ったじゃねーか」

 玲菜も同じく。『可能』という言葉に安堵する。

「ですが」

 二人がホッとしたのも束の間、エドは言いにくそうに告げる。

「同じ日に戻ってくることはできません」

 

「え?」

 

「アヌーの結晶石は、『“時空の渦”への入口』を開けるための鍵で、往復分としての二回ほど入口を開けることができますが、入口として使った扉を出口として使うことはできません」

 彼の説明にあった言葉で気になる単語が幾つか。

「時空の渦?」

「あの場所のことはそう呼びます」

 今まで玲菜はタイムマシンと仮称して考えていたが、『時空の渦』という名が判明した。

 アヌーの結晶石はまさに鍵で、二回ほど入口を開けることができるらしい。

(時空の渦への入り口)

 玲菜は考える。

(じゃあ、あの場所にあったたくさんの扉は出口って考える感じ?)

 出口には鍵は必要ないらしい。

(そうだよね。私があそこに紛れ込んで出る時は結晶石持ってなくても出られたわけだし)

 入るには鍵が必要――ということは、黒衣の人物(自分?)は小説を盗んだ後にもう一度入口を開けたことになる。

(その時、追いかけた私は一緒に『時空の渦』に入っちゃったってわけか)

 計算は合う。

(使命を実行する時も、一回鍵を開けて時空の渦に入って2012年に出て、小説を盗んだらもう一回開けて時空の渦に入るって手順かな)

 鍵は二回しか使えないらしいが、それで十分だ。

(出るのに鍵は要らないらしいから。小説を送る時も使わなくていいし)

 自分の記憶だと、黒衣の人物は扉の前に小説を置いていた。自分がこの時代へ来た時だって、扉に触れたら勝手に引き込まれた。つまり、触れると行ける仕組みか。

 ただ、行ったら最後、戻れないのが怖い。

(間違って行っても、もうアヌーの結晶石で入口を開くことはできないから絶対に失敗しちゃいけないんだ)

 そう思うと玲菜の体は震えた。

 ショーンもレオも同じことを考えていたらしく、三人で目を合わせる。

 二回しか使えないというのは想定の範囲で、失敗しないというのは元より考えていた。

 レオの希望としては、小説を送った後に自分の時代への扉に戻ってきてほしかったのだが。

 ここで問題が生じる。

「ん? 入口は出口にできない?」

 先ほどエドの説明で判明した想定外の仕組み。

 エドは頷く。

「そうです。アヌーの結晶石を複数持っているなら別ですが、鍵を開けて入口として通過した扉は消えてしまいます。先ほども言いましたが、同じ日には帰れないのです」

 その意味をレオは理解しなく、気楽に言った。

「じゃあ、次の日に帰ってくればいいんじゃねーの?」

「駄目だよレオ!」

 玲菜は悟った。

「扉は多分、ブルームーンの日に通じる出口しか無いから」

 ショーンの仮説だったが、エドも頷く。

「その通りです」

 ということは、一番近い次のブルームーンの日に戻るしかないことになる。

 

「じゃあ、早くて二年後……?」

 

 自分で言って、玲菜は愕然とした。

 小説を送って戻れるのは、2015年かもしくはこの世界での二、三年後か。

 聞いて呆然としたのはレオも同じく。頭の回転を速くしたショーンが別の疑問を持つ。

「アヌーの結晶石が複数あるなら別?」

「そうですね。“その”結晶石で開けた入口の扉が消えるだけなので、別の結晶石で開ければまた扉は復活しますが」

 エドの答えを聞いても、アヌーの結晶石は現状一つしかないのでどうにもできない。

 考え込むショーンを見て、玲菜はあることが予想できたので彼に呼びかけた。

「ショーン!」

 ショーンは今にも『自分が代わりに使命を実行する』とでも言いそうだったから。

「私一人でやるから」

「しかしな、レイナ……」

 ショーンは良い方法が無いかいろいろと考えて頭を悩ませている。

 そもそも玲菜は、どちらに戻るか最終決断をしていない。心の中では決まっていたが、口に出すのが怖かった。

(やっぱ駄目だ。自分でやらなきゃ。私が行って小説盗んで、お父さんへの手紙を置いてまた時空の渦へ入って。小説を送って。それで私は……この世界の二年後へ戻ってこよう)

 密かにそう決心しても、納得いかない人物が一人居る。

「二年後だと?」

 たとえば、レオたちと別れてこの世界に戻るまで、玲菜にとっては一時間くらいだとしても。レオにとっては二年待たなくてはならない。行ってもすぐに戻ってくると信じたから協力もしたのに。彼が腑に落ちないのは当然の反応。

「ちょっと待てよ。……二年?」

 厳密に言うと早くて二年。ブルームーンの日までを計算しないと判らない。

「それまで、俺に待てって?」

 実感はわかないが、気が遠くなるのは分かる。彼女の居ない二年間なんて絶対長い。距離を置いていた、たった一ヶ月でさえ辛くて死にそうだったのに。

「二年……」

 放心状態になっている彼を見て、玲菜も不安になった。

 彼が放心するのも分かる。自分だって二年なんて待たされたら嫌だ。というか、想像するだけで辛い。

(私だったら大泣きする)

 連絡の取れない遠距離恋愛だと思って我慢して泣いて、二年後をずっと待ちながら毎日を暮らすのだろうと予想できる。思っただけで心臓が痛くなった。

 彼に何か声をかけようか。

 しかしなんて声をかけて良いのか分からない。

 二年後に戻ってくるから待っていて、なんて――言えない。

(どうしよう)

 

 隣で二人を見ていたショーンは彼女らの心情に気付いて心配したが、自分ではうまい助言もできなくて不甲斐なく感じた。

(やっぱり俺が代わりに……なんて無理かな)

 それよりも無事に彼女が戻れるかが心配になった。

(まさかとは思うけど、平気だよな)

 そして、肝心の疑問がある。

「ところで、レイナは時空の渦の中にたくさんの扉があったって言っていたが、そこへ行った時に『どの扉なのか』分かるもんなのか? 彼女の時代へ戻る時とか、こっちの時代に帰る時とか」

 確かにそこは重要で、分からないと扉を選びようがない。出口を間違えるのが怖くて何もできなくなる。

「それには心配は及びません」

 今の質問に対してもシドゥリに教わっているらしく、エドはすぐに答えた。

「アヌーの結晶石に『術』を入れておけば結晶石が光を放ち、導いてくれます。その術はアヌーの腕輪を受け継いだシドゥリ様が使えますので、後ほどやってもらいましょう」

 話を聞いていたのか、ベッドからシドゥリの声が聞こえた。

「満月の夜に。空間の繋がる場所で、月の力を掲げれば結晶石が反応し、鍵となって入口を開きます。あとは光の導くままに」

「シドゥリ様!」

 エドは彼女に近付き、何か言伝を聴く。

 皆の前に戻ってきたら玲菜に伝えた。

「神話を送る時代と、こちらに戻ってくる時はシドゥリ様が分かるそうです。導きを信じて時空の渦に入ればいい、と。ただ、小説を盗む時に関しては詳しい時間まで分からないと難しいとの事。盗まれた時刻がいつだったか思い出せますか?」

「え?」

 まさかの難題。同じ時間に行かなければならないと、エドは言う。

「思い出せましたらシドゥリ様にお伝えください」

「えっと、2012年の八月――」

 何日だったか。

「ブルームーンの日は確かで」

 残暑が厳しい夏の終わり。

「夕方……お父さんが会社から帰る前の」

 何時頃だっただろう?

 なんせ、もうずいぶんと月日が経ってしまったのでうろ覚え。

(大体じゃ、駄目かな? もっとはっきり時間が判らないと?)

 焦る玲菜に、エドが教える。

「ゆっくりでいいです。今夜は遅いですし、皆様ここに泊ってください。レイナ様は明日までに思い出していただければ」

「明日まで?」

 少々不安だ。

 

 一先ず今夜はここに泊ることになり、玲菜は自分に与えられた部屋であの時の記憶を思い出すことになった。

 食事も入浴も終わり、ベッドに座って一人で考える。

(あの日はバイトが休みの日だったな。八月三十か三十一日くらい。八月終わりなのに凄く暑くて。夕方だった)

 一生懸命思い出そうとしたが、レオのことがチラついて集中できない。

(レオ、凄くショックそうな顔してた)

 当たり前だ。逆の立場だったら耐えられない。物語だったら二年後なんてすぐに経つが、現実はそうもいかない。しかも、恐ろしいのが“自分にとっては”すぐだということ。

(怖い……!)

 自分が使命を終わらせて戻ったら、彼らの時間が二年も経ってしまうなんて。その頃、一体どうなっているのか。

(レオは二十二歳か二十三歳で、皇帝になってて……?)

 まさか、予言はこれだったのか。

(え? まさか、その頃レナさんと結婚しているなんてこと、ないよね?)

 急に背筋がゾッとする。

(何その最悪な結末!!

 彼が待っていてくれていると信じて戻ったら、奥さんが居たなんて。

 父を残してこの世界に来たのに、ずっと辛くて後悔の日々を過ごさなくてはいけなくなる。

(そんなの嫌だ!!

 玲菜は想像だけで苦しくなって泣きそうになった。可能性が0ではないのがまた辛い。

 そんなこと、あるはずない。彼を信じなくてはいけないのに。二年間なんて何があるか分からない。

 やはりいっそのこと、元の時代へ戻る方が良いのではないか。

 ふと、そんな風に心が揺れそうになった時、部屋のドアをノックする音が聞こえて、返事をするとレオだったので中に入れた。

 今、彼のことを考えていた最中だったのでなんだか気まずい。

「どうしたの?」

 訊いても彼は答えずに、黙って椅子に座った。

 仕方なく、玲菜もベッドに座って俯く。

『二年後』の話を聞いて以降、怒っているような気がしたのでこっちから話しかけづらい。

『怒っているの?』とも訊けない。自分が悪いわけでもないので謝るのも不自然だ。

 沈黙の時間が長くて辛い。

 

 あまりに辛くて、やはり話しかけようとすると、レオは下を向いて呟いた。

「二年? ふざけんな。待てねぇ」

「え? 待てないって?」

 やはりそうなのか。

 自分で想像した最悪な結末を思い出して涙が溢れる玲菜。

 けれど泣かないように我慢する。

「やっぱ、そうだよね。わた……私は……」

 駄目だ。声が震える。

「私は、レオが、待っててくれるなら……こっちの世界に……」

 戻ってきたい。

 けれど、彼が無理だと言うなら……

「あ、私は、レオのことが……レオとずっと一緒に居たいから」

 離れたくない。

 そう思うのは自分勝手なのかもしれない。

(やっぱり、予言が当たるんだ)

 悪い方へと考えて体を震わす玲菜の前にレオは立つ。そっと頭に手を置き自分に引き寄せた。

 

「待てねぇよ。待てないけど! ……待つから。泣くな」

 

「……え?」

 泣くなと言われたのに、玲菜は涙を零した。彼の言葉が嬉しすぎて。

「待つって言ったの?」

「言ったよ。……言った」

 聞いた途端、玲菜はレオの胸に顔をうずめた。

「レオ、ごめん泣いて。あとね……」

 そして今、決断をする。

 

「ちゃんと言ってなかったけど、ここに戻るからね」

 

 宣言したら、更に涙が出てきた。

 

「あったりまえだろ」

 レオは内心ホッとしたのにそんなこと言ったら恥ずかしいと思い、強気に返した。

「ちゃんと言われてなかったけど、そんなことは分かってたよ」

 心の中では「良かった」と。彼女の父に勝ったと喜んで彼女の頭を撫でる。

「戻ってこいよ、俺の許へ」

「うん……!」

 それから二人はしばらく抱きしめ合った。

 レオは玲菜の隣に座って彼女ごとベッドに寝転がる。

「あ、あの、レオ」

 彼女が慌てると向き合ったまま笑い、髪を触る。

「分かってるよ。他人の家じゃ駄目なんだろ? ただ寝るだけだって」

「あ、うん。寝るだけ、ね」

 優しく頬にも触れる。

「まだ眠くないなら、寝ながら喋るか」

 彼と寝ながら喋るなんて玲菜にとって最高の贅沢。

「うん! そうする」

 自分の髪に触れる手に幸せを感じながら、玲菜はレオとのひとときを楽しんだ。


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