創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第七十九話:裏切り]

 

 集団の馬の蹄の音はシドゥリの横で泣いていた玲菜の耳にも聞こえていた。

 何事かと顔を上げるとエドがどこからか槍を持ってきて彼女に言う。

「レイナ様はここで隠れていてください。どうやら盗賊らしき連中が来たようです。私が追い払ってきますので」

「え?」

 まさか、シドゥリの能力もしくはアヌーの腕輪を狙う輩なのか。

 止める間もなく彼は行ってしまい、しばらくするとショーンが剣を装備した姿で玲菜の許へやってきた。

「今、レオとエドが外へ行った。訪問者を追い払うらしい。連中は恐らくレオかシドゥリを狙ってやってきた奴らだから」

「二人で?」

 心配すると、大丈夫だと首を振る。

「アイツの頼もしい護衛も居るから、多分平気だろ」

 恐らくそれはあの二人だろうと予想して玲菜は少し安心する。

(そっか、朱音さんや黒竜さん、姿見せないけどついてきてるんだ)

 あの二人が居ると百人力で、もしかすると二人以外に数人の忍者も居るかもしれない。

 玲菜はそう思いながらも妙な胸騒ぎを感じていた。

 

 その頃、エドと一緒に外へ出てきたレオは明らかに不審な訪問者の、人数の多さに頭を押さえる。

「なんだよこれ、軍隊か何かか?」

 騎馬が十数騎。馬に乗っていない荒くれ者風の男たちが二十人程。計、三十人ちょっと。

 対してこちらは自分とエドと、朱音、黒竜、朱音の部下二人。計六人。

 シドゥリの家の前は、ちょうど木々がない広い場所となっており、騎馬も悠々と戦えるのが少々厄介か。おまけに夕刻で暗く、ただでさえ森の中なのでほぼ夜も同然。見えにくいという問題がある。

 自分はよく暗殺者に狙われていて、忍びや雇われた賊みたいな連中には襲われ慣れているが。戦でもないのに騎馬が居るなんて軽装備としてはキツイ。

 しかし、家の中にはショーンと玲菜が居る。

(やるしかねぇなぁ)

 レオは短刀と刀を抜き、近くに居た比較的軽装な奴に斬りかかった。

「うわぁあ!!

 周りに居た連中は前触れもなしに斬りこまれたので、動揺しながら離れる。

「なんだお前、なんでいきなり斬ってきやがった!?

 

「はあ?」

 一人倒し、刀を構えながら眉をひそめる皇子に、念の為朱音が注意する。

「アルバート様、こういう時はまず相手に理由を訊くものです」

「理由? 訊いたってどうせ襲うつもりで来てんだろうが。こんな武装した集団が森で道に迷ったわけでもないだろ。それとも、シドゥリの家に茶でも飲みに来たのか?」

 皇子の発言に連中はどよめく。

 すると後ろの方から、女性の笑い声が聞こえて。野蛮な連中の間から屈強な男たちを護衛に従えた一人の娘が前に出てきた。

「あはははは。さすがアルバート皇子。上層の出とは思えない言動」

 黒髪で、背格好は玲菜とよく似ている切れ長の目の娘。エニデール民という国を持たない民族で、帝国には不法侵入して皇家を乗っ取ろうとした連中の恐らくは仲間。むしろ陰謀の裏の主犯はこちら側なのかもしれない。

 一度玲菜を拉致したこともある前科者――ユナは、屈強な男たちの他に黒い長髪の男も横に連れている。

 見た目と声は少し自分にも似ているその男の名を、レオは驚きながら呼んだ。

「お前は……レナの付き人のセイ?」

 自分に敵意があるのは知っていたが、ただの嫉妬や逆恨みだと思っていた。確か玲菜は「いい人だ」と言っていた。

(またかよ。アイツ、本当にすぐ狙われるんだからな)

 ユナの時同様、彼女はまた完全に騙されていた。

「なんだよお前、レナの付き人を辞めてこいつらの仲間に転職したのか」

 或いは最初から仲間であり、レナに近付いたか。まさか聖女まで奴らの仲間ではないと思うのだが。

 セイは答えずに、何か複雑な表情をしている。

 

 それよりも、ユナがセイとレオの間に入って不敵に笑いながら言った。

「先日は、長年の計画の一つだったミシェルの陰謀を打ち破ってくれちゃって、どうもありがとう」

 やはり関与していたか。

「陰謀はどうでもいい。俺は復讐を遂げただけだ」

「うふふ。彼女はかわいそうに、捨て駒になってしまった。彼女の大事な皇子様も」

 なぜかユナは楽しそうに告げる。

 

「私たちの真の目的は“神の石の欠片”。かつて、神の石と呼ばれた万能な石の欠片――『アヌーの宝石』を手に入れること」

 

 やはり、狙いはアヌーの腕輪だったらしい。

「神の石の欠片? 帝国を乗っ取ることが目的ではないのか? 宝石を手に入れてどうする?」

 警戒しながらレオが訊くと、ユナは得意げに答えた。

「私はアヌーの宝石を使って、“時空の渦”に行って、歴史を変えるの!」

 時空の渦のことや、アヌーの宝石のことを知っているようだが、何かとてつもなく大きな野望すぎて現実味がない。

「我が民族が、世界の頂点に君臨できるように過去に行く」

 まぁ、不可能ではないような話だが。

 

(……いや、無いだろ)

 少し考えたレオが全否定した。

「何言ってんだ? お前。馬鹿か」

 馬鹿にされてユナの顔つきが変わった。

「アナタ、本当に憎たらしい皇子ね」

 口元はニヤッと笑う。

「でも、これを見てもそういう発言ができるかしらー?」

 

 

 信じたくない光景がそこに在った――

 

 

 レオが今までにないほど放心するのも無理はない。

 

 勘付いていたのに、“いつ”か分からなくて事前に食い止めることができなかった朱音は後悔して……見たくもなくて、目をつむった。

 朱音の部下も、黒竜も、エドも皆、呆然とする。

 

 

「悪いな……レオ」

 

 そこに立っていたのは、玲菜の口を片手で塞ぎ、もう片方の手で彼女の両腕を背中に回して押さえる――ショーンであり。

 他人の前なのに自分を『レオ』と呼び、別人のように冷たい眼をした彼。

 

(なんでだ?)

 なぜ、玲菜を掴まえて「悪いな」などと言うのか。

 なぜ、家で彼女を守ってくれと頼んだのに出てきたのか。

 なぜ、そんなにも冷たい眼をしているのか。

 

 訊きたいのに、声が出ない。

 

(レイナ、泣きそうじゃねーか)

 自分の知っている彼なら、娘のように接していた彼女をそんな酷い目には遭わせない。

 なぜ、まるで人質のように……。

 

「アヌーの宝石は? あの女を、殺したの?」

 ユナはショーンに話しかける。

「殺してはいない。寿命だった。宝石だけ外すことはできなかったから、腕輪ごと持ってきた」

 ショーンは、シドゥリから托されたアヌーの腕輪を入れた鞄を背負っている。

「この鞄に入ってる、腕輪だけでなく結晶石も」

 まるで、ユナの仲間のようにショーンは彼女と会話する。

 そもそも、腕輪や結晶石の話を、なぜユナは当たり前のように知っているのか。話が筒抜けだったとしか思えない。

 そして、それはある可能性が浮かび上がる。

 温厚そうだったエドが怒鳴った。

「ショーン様、貴方まさか……!」

「悪かったな、エド。シドゥリも、俺を信用してくれたのに」

 

「皇子!」

 あまりにも放心状態になっているレオに、朱音が呼びかけた。

「アルバート様!」

「アルバート様!!

 

「ハッ!」と我に返ったレオはようやく声を出す。

「オヤジ……?」

 未だに状況が掴めない。

「何やってんだ?」

 

「裏切りです」

 心を鬼にして、朱音はきっぱりと告げた。

「ショーン様は、殿下を裏切りました」

「……え?」

 

「あははははは! いい気味―!」

 ユナの嘲笑う声が響く。

「アナタのそのショックそうな顔、ずっと見たかったんだから」

 貶されて、段々と把握してくるレオ。

「ふざけるなよ」

 ショーンに駆け寄ろうとすると、ユナが声を上げる。

「動かないで! 動いたらレイナを殺す」

 ショーンが掴まえている玲菜に、数人の男たちが剣を向ける。

「オヤジ! 何やってんだよ! ふざけてないでこっちに来い! レイナが危ねーだろ」

 レオの言葉にユナは唖然とする。

「ちょっと、察しが悪いわね。この状況で分からないの?」

「うるっせえよ!!

 皇子は怒鳴り声を上げた。

「黙れ!!

 彼の手が、自然と刀ではなくシリウスの剣の方に触れる。

「ショーン!! 今すぐレイナを放せ! アヌーの腕輪も、結晶石もどこへ持っていく気だ」

 

 傍に居た、ユナの仲間が一人、レオに近付いたが。

「おいおい、わっかんねー皇子だな。頭悪いんじゃねーのか? お前は裏切られたんだぞ? 女を人質に取られて、オレたちに殺される…」

 ――無残にも胴を斬られたのは一瞬だった。

 一瞬で血が噴き出て、切り離された体が崩れ落ちる。

 

 レオが抜いたのはシリウスの剣であり。

 あまりにも軽く信じられない斬れ味。

 

 その場に居た全員が凍りつく。

 

「なんだよ今の」

 連中の数人は足がすくみ、後ずさりをする。

 

 当のレオは興奮状態にあって、恐ろしさを感じていない様子。

 何より不気味だったのは、黒い刃が斬った人間の血を吸いこんだことだ。

 朱音と黒竜でさえ、息を呑んで顔を見合わせる。

「お、皇子……その剣は……」

 朱音が止めようとした矢先、玲菜がショーンの手を外して叫ぶ。

 

「レオ!! 駄目って約束したでしょ!!

 

「え!?

 我に返ったレオが隙を見せると、ユナとその取り巻きとセイ……そして、玲菜を連れたショーンは馬に乗って森に入る。

「待て!!

 レオは追いかけようとしたが、ユナの手下の軍勢が前に立ち塞がる。

「退《ど》け!」

 そう言っても退くわけはなく、連中は次々に襲いかかってきた。

 レオは一瞬またシリウスの剣に手を掛けようとしたが、玲菜の言葉を思い出して踏み止まる。代わりに刀と短刀を持ち、襲いかかる輩と戦った。

 早く全員倒して追いかけたくて焦るが、とにかく数が多い。しかも意外に手練《てだれ》の者も多い。

「くっそ!」

 特に騎馬は手強い。

 しかし、騎馬に対して強かったのはエドだ。でかい槍で次々に騎馬を倒す。見かけ倒しではなかった。

 朱音やその部下は、レオを守りながら戦い、素早く軍勢を抜けたのはやはり黒竜だった。

「殿下! お任せください」

 黒竜はエドが倒した騎馬兵の馬を一頭使って森に入る。ユナたちを追うつもりだ。

 彼は絶対に獲物を逃がさない。

 レオは自分も追いたかったが一先ず頼りになる部下に任せて、目の前の敵を斬っていった。

 

 

 そうして、軍勢を全員倒して。

 辺りが暗闇と血臭に塗れた頃。残っていた馬に乗ろうとするレオを、エドが止める。

「待ってください! こんな暗い時間に森へ入るのは危険です」

「退け、レイナがさらわれたんだぞ!! 腕輪だって結晶石だって取られたし!!

 返り血に塗れながら、レオは叫ぶ。

「オヤ……ショーンが裏切ったんだ! くっそ!!

 朱音から密かに忠告されたのに。そんなわけないと軽くあしらった。

「ちくしょう……!」

 信じていたのに。

 ずっと父親だと、何があっても彼を信じると決めたのに。

 こんな形で。

「アルバート様!」

 最愛の女性を人質に取る、卑怯な仕打ちをされるなんて。

「なんだったんだ、あの日々は!」

 二人で暮らしたあの日々だって……最近の、三人で暮らしていた楽しい日々も、こんな風に壊される。

「落ち着いてください、皇子!」

 こんなにあっけなく。

「今行くのは得策ではございません。黒竜が戻ってきてから」

 ようやく朱音の言葉が届き、レオは馬から手を離した。

「……分かったよ」

 自分は今、気が動転している。

 気付くと自分の息が物凄く乱れているのが分かった。

 汗なのか血なのか、額が気持ち悪い。

 

「すみません、エドさん。家の周りを血で汚してしまい。ここにはすぐ処理班が入りますので」

 朱音はエドにそう伝えると、またレオの許へ行く。

「皇子。黒竜の帰りを待ちましょう。きっとレイナ様の居場所を突き止めると思います」

「でも、アイツらがレイナに酷いことしないとは限らないよな? なんせ、俺をとにかく傷めつけたいらしいから」

 言って自分でゾッとするレオ。

 彼女の身に何かあったら……

「大丈夫です!!

「なぜ大丈夫と言いきれるんだ、朱音! 俺の人質としてレイナを生かしても、十分に俺を苦しめられる。絶対手出しをしないと取引したわけでもない。俺を、死ぬより辛い目に遭わせる方法は分かってるはずだ!!

 

「勘です!!

 

 説得するにはやや不安だが、朱音は言いきる。

「ショーン様が、レイナ様を酷い目に遭わせないようにすると、私は思います!」

 開いた口が塞がらないとはこの事。

「あいつが裏切ったんだぞ、俺を!! どうしてレイナを守ると言える? それに、ショーンが裏切るかもしれないって、お前が言ってたんだろ! その通りになったじゃねーか」

 そう。拘束から戻ってきてしばらくした頃、朱音はショーンへの疑いを晴らせずに、密かにレオに伝えていた。その時、レオは「そんなわけない」と否定したが。朱音の言う通りになった。

 今まで信じてきたものが崩れて、レオは冷静さを失っていた。

 朱音は無念そうに目を閉じる。

「そうです。ショーン様はずっと何かを隠されていました。けれど、それは連中の仲間だということではありません。もっと別の……」

 以前調べたショーンの経歴は見つからないことが多かったが、だからといってスパイとも思い難い。

「憶測ですが、例えば……ショーン様の家族が人質に囚われている、とか」

「誰に? エニデール民に?」

「分かりません。ただ、私にはどうしても、サーシャ様が全信頼を置いていたショーン様の人柄が嘘だったとは思えませんし、殿下を命がけで守った行動も、偽りだとは思えません」

 命がけでレオを守る彼女だからこそ解るショーンの本質。

 彼が本気で自分を守ってくれたことくらい、レオにも分かる。

 ずっとそうだった。何度も命を助けてもらった。

 ……命だけではない。何度も、救ってもらった。

「俺だって思えねーよ」

 ボソッと呟き、レオは問う。

「じゃあ、止むを得ず、連中に協力しているってことか?」

 朱音は考え込み、答えた。

「それだけではありません。もっと裏があって、更に裏がありそうな……」

「なんだよ! 信じればいいのか? 信じない方がいいのか?」

 

 いつも的確な判断をする朱音が初めて嘆いた。

「わかりません!」

 彼女は勘が冴えている方だが、ショーンに関してはお手上げらしい。

「ただ一つ言えることは、レイナ様の身の安全と、ショーン様と過ごした日々は信頼して良いものと思えます」

 

「……そうか」

 息を整えて、ようやく少し落ち着くレオ。

「俺はレイナを助けに行く。但し、黒竜の報告を待ってからにする」

「皇子……!」

 

「だが、もしレイナに何かあったら、俺はショーンを殺すかもしれない」

 

 レオは、決心をする。

「朱音、ショーンのことを調べる事を許可する」

 実は今まで、詳しく調べることを禁じていた。

 母親が信用していたから必要ないと。

 本当は、万が一、知りたくない事実が発覚するのが怖かったから。自分の優秀な部下に規制を張った。

(そういえば、オヤジは俺のことを全部知っているのに、俺はほとんど知らない)

 訊くのが怖かった母親との関係や、先ほど判明しかけたシドゥリとの繋がり。それに、地底遺跡での意味深長なセリフ。思えば引っ掛かる事はいくらでもある。

「ハッ! 仰せのままに」

 朱音が返事をすると、二人の話が終わるのを待っていたエドが話しかける。

「では二人共、お仲間が到着するまで中へ。私も相談事がありますし。良ければ血もお流しください」

「ああ、厄介になる。すまない、エド」

「私は大丈夫です。外で見張っています」

 レオはエドの気遣いをありがたく受け取り、黒竜が来るまで中で休ませてもらい。朱音は例の如く断って外に居た。

 

 

 

 ――黒竜がシドゥリの家に到着したのは真夜中。

 血と汗を流して着替えたレオは休むと言っても眠ることはできずに考え事をしていた。

 エドも同じく。シドゥリの遺体の横でじっと座っていたらしく。

 外で見張りをしていた朱音はいつ着替えたのか服や顔の血や汚れは無くなっていた。

 三人は黒竜を出迎えて家の中に入り、見張りは朱音の部下が行った。

 

「レイナ様の居場所が分かりました。というか、実は私が追っていることは敵側にもバレていまして、伝言を預かりました」

 黒竜の言葉に、レオはため息をつく。

「そりゃバレてんだろ。向こうにはショーンが居るんだし。で、伝言はなんだ?」

「はい」

 黒竜は話す。

「『三日後の満月の夜に“レナの聖地”で待つ。シリウスの剣を持ち、皇子一人で来い』との事です」

 いかにも過ぎてレオは頭を抱えた。

「殺す気満々だな」

「なぜ、レナの聖地なんでしょうか?」

 朱音は疑問を持ったがレオには分かる。

「大方、過去に行く、とでも言うんじゃねーか?」

 エドが頷いた。

「そうですね。シリウスの剣が必要なのも、その為かと」

 それよりも、レオが一番気になっていることがある。察して黒竜は告げた。

「満月の夜までは、レイナ様は丁重に扱うそうです」

 ならば良かった。レオは少しホッとしたが、完全な安心はできない。

「この森から、レナの聖地まで三日で着きますかね?」

 朱音は不安に感じた。すでに移動中のはずのユナたちでもギリギリな気がする。

「大丈夫だよ。森はエドに案内してもらえばすぐに抜けられるし、こっちには自動車があるからな」

「ジドーシャって、あれですか!?

 一度玲菜の運転で乗ったことのある朱音は仰天した。

「確かにアレは速いですけれど、皇子、動かせるのですか?」

 玲菜も居ないしショーンも居ない。運転は前に少し玲菜に教わってしただけ。

 レオはきっぱりと言う。

「できる! 任せとけ!」

 幸い鍵は部屋に置きっ放しの玲菜の鞄の中に入っているので平気だ。起動の順序も彼女のやり方を見て覚えていた。

「ただ、俺は道がよく分かんねーんだよな」

「道は私なら分かりますけど」

 朱音が余計なことを言ってしまったと思うのはこの後だ。

「じゃあ朱音、お前助手席に乗って道を教えろ」

「えぇ?」

 明らかに嫌だという気持ちが込もってしまった。

「朱音、殿下を横で御護りしろ!」

 気の毒そうに朱音を見る黒竜にも御鉢が回ってきた。

「黒竜、お前も一緒に来るんだぞ?」

 ……返事がない。

「……え?」

 いや、遅かった。

「お前も来るに決まってるだろ!」

「で、では、馬でついて……」

「馬でついてこられる速さじゃねーよ、自動車は」

 ギロリと皇子に睨まれて、黒竜は観念するしかなかった。

 遠くから見守ったことはあるが、なんとも恐ろしげな鋼鉄の馬車に乗らなくてはならないなんて、不安が募る。

 長年皇子に仕えてきて、何度も死線をくぐり抜けたし、皇子のためならいくらでも自分の身を犠牲にするが、しかし……

 できれば乗りたくない、とは言えない。

「あの!」

 話を聞いていたエドが言った。

「私も、乗せてもらっても良いですか?」

「え?」

「厳密に言うと、私とシドゥリ様も」

 失礼だが、レオは訊き返す。

「はあ? どうやって? 棺に入れて? 自動車に入るか?」

 予想だと定員オーバー。しかもエドはただでさえ体がでかい。

 

「で、では、私が乗るのを控えさせていただきたく…」

「黒竜! ずるい!」

 ちょうど黒竜と朱音による、どっちが降りるかの言い争いが始まった頃、エドは心配要らないと告げた。

「大丈夫です。シドゥリ様は火葬を希望されていましたので。明日の朝に火葬して、お骨を持っていきます。場所は取りません」

 残念そうな顔をする朱音と黒竜の姿がそこにあった。

 

「じゃあ、明日の朝ここを出発しよう。順調なら明後日の夜には都に着く。遅くなっても三日後の夜までには絶対間に合う。ところで……」

 レオはエドの顔を見た。

「どうしてお前はシドゥリの遺骨を持って都に向かう? 何かあるのか?」

「はい。遺言です。都の、戦没者の墓地にシドゥリ様の大事な方の墓があるそうで。できれば近くに自分も埋めてほしい、と」

 確かに戦没者の墓地はある。

「だが、戦没者の墓地には何も入っていない墓も多いぞ」

 戦没者の中には、結局遺体が見つからずに、形だけの墓が作られている者もいる。

「はい、大丈夫です。シドゥリ様はそれでもいいと仰ってました」

 エドの答えにレオは目をつむる。

「そうか。分かった。時間があったら墓地まで案内してやるよ。シドゥリには世話になったし、お前にもな」

「ありがとうございます、アルバート皇子」

 

 

 

 ―――――

 

 その日レオは結局、あまり眠れずに夜が明けた。

 ようやく眠れたのは朝方になってからで。しかもショーンを殺すという悪夢を見て飛び起きた。

 夢か現実か分からなくて物凄い汗を掻いていたことに気付く。

「ああ……」

 レオは袖で自分の額の汗を拭いた。

(夢か……)

 酷い夢を見た。

(俺が、オヤジを殺すなんて)

 夢なのに、やけに現実味があって。

(あれ?)

 ふと、レオは思い当たることがあり、ベッドを降りる。

 廊下に出て、隣の玲菜が割り当てられていた部屋に夢中で入ったが――

 そこには誰も居なかった。

(ああ、そうか)

 自分の愚かさに笑いがこみ上げた。

「これは現実か」

 昨日の日暮れ時の出来事も、現実に感じる夢だったら良かったのに。

(さすがに現実だよなぁ)

 この感覚は、昔と同じだ。

 自分が『皇子』だと言われて城に連れていかれた時。

 母が亡くなった時。

 全部夢だったら良かったと、何度も思った。

(あれと同じかよ)

 レオは知らずに出ていた汗を拭き、目を閉じた。

 あの時は感情を失くせばいいと、努力した。そうすれば悲しくはならない。

(あの時ほどじゃねぇよ)

 そこまで絶望ではない。自分は大人だし、感情はコントロールできる…はず。

 そして、絶対に彼女を助ける。

(今まで結構オヤジに助けてもらったけど。別にオヤジが居なくたって、俺には優秀な部下が居るし)

 彼女が無事で、助けることができればもうそれでいい。

 

 ふと、自分の足元に何かがすり寄ってきた。

 白くて柔らかい毛の可愛い猫。

「ウヅキ!」

 レオはウヅキを抱き上げて顔を撫でた。

(良かった。ウヅキは居た)

 ギュッと抱っこするといつもは嫌がってスルリと逃げてしまうのに今日はなぜかじっとしている。

「ウヅキ……」

 ショーンや玲菜が居ないからか、彼女もどことなく寂しげな様子。

「ウヅキ、腹減ったか?」

 食欲は無いが、ウヅキには何かを貰おうと、レオがウヅキを抱っこして居間に行くとエドの姿は無い。

(シドゥリの部屋か?)

 彼は一晩中シドゥリの部屋に居た様だから。

 そちらに行くと、そこにも姿は無く。というか、シドゥリの遺体も無い。

「もしかして」と思い、レオは外へ出ようと玄関へ向かうと、ちょうど外から帰ってきたエドと出合わせた。

「ああ、アルバート皇子。起きましたか」

 彼の手には大きな陶器の容れ物。

「……焼い……火葬したのか?」

 

 彼は無言で頷き、大事そうに奥へ持っていく。

 

 しばらくして居間に戻ってきて、レオの食事と猫用の御飯も運んできた。

 レオは促されるまま席に着く。

 陽の入り方や気温でなんとなく分かった。

「もう昼か。悪いな、遅くなって」

「いいえ。私もちょうど火葬が終わりました。食事が終わったら出発しましょう」

「ああ」

 レオは食欲が無かったが、食べないと力が出ないのは分かっていたので料理を口に入れた。

 今頃、玲菜はどうしているか。

(アイツもショックだろうな。オヤジに裏切られて。アイツはオヤジのことを盲信してたし)

 彼女の悲しがっている顔を想像するとショーンが憎くなる。

 きっと彼女は泣いている。

(やっぱり一発ぶん殴ろう)

 訳有って、向こう側についていたとしても彼女を悲しませたことは許せない。

 腹が立ったら段々食欲もわいてきて、レオはいつの間にか料理を完食していた。

 

「では行きますか」

 エドは立ち上がる。

「ああ」

 レオも立ち上がり、ウヅキを連れて出る準備をしに一旦部屋へ戻った。


NEXT ([第八十話:満月の時]へ進む)
BACK ([第七十八話]へ戻る)

目次へ戻る
小説置き場へ

トップページへ
inserted by FC2 system