創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第八話:皇子とデートと東京の国営公園]

 

 イケメンと隣に並んで歩ければ嬉しいなんて……必ずしも思わない。その典型的な例だと、玲菜は思った。

 いくら見た目が自分の大好きなシリウスだって、中身は不機嫌皇子なのだから。

「ほら行くぞ」

 レオは眉をひそめてこちらを見てから背を向けて玄関のドアを開けた。玲菜は不安そうにショーンを見たが、ショーンは笑顔で送る。

「レイナは一銭も持ってないからお前が全部払うんだぞー!」

 一瞬嫌な顔をするレオ。

 玲菜は憂鬱な気分になって彼の後をついていった。もしこの町の事を知っていたら一人で行く方が気楽だ。けれど仕方ない。

(なんかの罰ゲームみたい)

 玲菜の気持ちは沈むばかりだ。

 

 しかし、気持ちが沈んだ玲菜は外に出て景色を見た途端、一気に気分が変わる。ショーンの家に来た時は夜だったので気付かなかったが、石畳の地面と周りに見える街並みに「わぁ!」と声を上げた。

 赤ならぬ青の屋根で統一されたヨーロッパ風の家々。だけでなく、どことなくアジア風の瓦屋根の家も。ショーンの家は割と高台にあった為か町が遠くまで見渡せる。建ち並ぶたくさんの家々とたくさんの緑。電線も見えない青い空。家々の少し先に高い壁がずっと続いているが、もしかして町を囲む城壁か? 壁の向こうにも家々がたくさん並んでいるようだ。その先はもう少し高い場所に行かないと見えない。

「凄い! 綺麗〜〜〜!! ね、ね! あの先には何があるの?」

「あぁ?」

 レオは面倒くさそうに返事をしたが、景色を見ている玲菜の横に立って同じ方を見る。

「あの先?」

「壁があって、更に家があるでしょ? その先」

「ああ、壁って大壁《だいへき》のことか? 大壁の外の更に先はまた壁がある。帝都壁《ていとへき》。そのまた向こうには大回水路《だいかいすいろ》だ」

 意外にも丁寧に教えてくれるレオ。

 一方玲菜は知らない言葉ばかりが出てきたので聞き取れなくて戸惑った。

「へ、へぇ〜〜〜。すごいね」

 なんとなく適当に返してしまった。

「田舎もんか、お前は」

 レオは呆れてつっこんでから気付いて納得した。

「ああ、そうか、お前、田舎から来たんだっけな。じゃあ仕方ないか」

 それが玲菜の設定。

「う、うん。私ここのこと全然よく分かんないから。ごめんね」

 レオは「ふーん」と玲菜の格好を見て頷いた。

「なるほど。だからそんな変な格好してるんだな」

 半袖ボロシャツにハーフジャージに部屋用スリッパ。

 玲菜は言い返せなく、悔しい思いをしながら、歩き出したレオの後をまたついていった。

 

 しばらく歩いて、玲菜の足が凄く遅いことに気付くレオ。自分が歩くと小走りでついてくるので一旦止まって玲菜の足元を見る。

「まずは靴を買え。どこの田舎から来たか知らんが、ここではその靴じゃ歩きにくいだろ。それと……」

 今度は玲菜の服の上下を見て言う。

「お前の田舎は暑い所なのか? 都は今の時期少し寒いから、もっと暖かい服を買った方がいいぞ」

 玲菜の格好は残暑の厳しい夏の格好だったから仕方ない。

(この世界が寒いなんて知らなかったし!)

 ふてくされる玲菜に渋々自分のジャケットを脱いで渡してくるレオ。

「ほら。買うまで貸してやるから着ろ」

 まさかの紳士的行動に唖然とする玲菜。

(え?)

 想定外だ。

「あ、あの……えっと……」

 妙に戸惑ってしまう。

「どうもありがとう」

 受け取って着ると、直前まで着ていたレオの温もりもあって暖かい。

“不良が空き缶を拾った”現象で騙されている感もあるが。

(ショーンの言った通り、根はいい奴なのかなぁ〜?)

 少しだけ見直せる。

 口は悪いが、先ほどから発している言葉は全て玲菜の為のこと。

「じゃあ行くぞ。まずは靴」

 レオは先ほどよりもゆっくりと歩いて玲菜を連れて行った。

 

 しばらく歩いて、人が多くなっていく街を玲菜は眺める。

 歩きにくい石畳の地面と、細い路地に並ぶたくさんの家々。石造りやレンガの建物。先ほど高台から見た町の全体像とこの辺りはイメージ的にヨーロッパ風だ。数か月前、友達と海外旅行でドイツに行ったが、建物の雰囲気は若干似ている。それはまさに自分の小説の世界観と全く同じ。自分の小説の街並みのモデルを、自分が行ったドイツの中世ヨーロッパ風の町にしたので、もしここが“そう”なら必然的にそうなる。しかし、高台から見た城壁(?)の向こうはそうとは限らないし、この辺りに建ち並ぶ家々の中にもアジア風というか、昔の日本風な家もたまにある。それに、街を歩く人間も様々な国の人間がいるようで、日本人風な人間も少なくない。なんか色々混ざっている。それは服装もだ。確かに現代風ではなく、自分は若干浮いていたが、皆の格好は様々で、まるでおとぎの国のリアルな集団コスプレ。

物珍しそうに見ている玲菜に、レオが田舎者に説明するが如く教えてきた。

「都には帝国に住んでいる様々な民族が集まっているからな。外国からもたくさん人が入って来るし」

『民族』や『外国から人が入る』という言葉で黒髪の娘・ユナのことを思い出す玲菜。

(そういえばあの子、大丈夫かなぁ?)

 自分はショーンに助けてもらったが、彼女は……。今頃尋問だろうか。

(釈放されているといいな)

 なんだか心配になる。しかしレオには言いにくい。

 レオは玲菜に上着を貸したせいか少し寒そうにしながらゆっくりと道を歩いている。二人の間に吹く風は少し冷たくまるで秋の風だ。そう思っていると、目の前に黄色い葉っぱの木々の並木道が広がった。

「銀杏《いちょう》!! これってイチョウじゃないの!?

「イチョウ? いや、これはギンアンだぞ」

「ギンアン? 銀杏《ぎんなん》じゃなくて?」

 玲菜は落ちている葉っぱを確認する。

「これ、イチョウだよ。東京都の木の。ギンアンって、ここでの呼び名? 漢字は銀と杏だけどイチョウって読むんだよ?」

「は? 何? トウキョー? 何の話だ? 古代の話?」

 レオの反応にハッとなる玲菜。

(ああそっか。東京なんてこの世界に無いよね。レオは私が考古研究者だと思ってるから、それの専門用語か何かだと思ってるのかな?)

 しかしこの世界にも銀杏があるとは驚きだ。

(しかも紅葉してるし)

 そういえば先ほど高台から見た景色の緑の中にも赤やオレンジの色が混ざっていたような。

(この世界にも四季があるのかな? だとしたら今は秋?)

 現代の日本でいうならば十月か十一月くらいか? 体感温度は十一月ほど寒くない。

「ここ抜けると商店街だぞ」

「ホントに?」

 なんだかウキウキする玲菜。

 まるで銀杏《いちょう》のトンネル。黄色く色鮮やかで石畳に映える。

「綺麗だな〜!」

 前に行った東京の国営公園を思い出す。確かこういう所があったはずだ。あの時は彼氏と一緒だった。彼氏がその公園の近くに住んでいたので誘われたのだ。手を繋いで並んで歩いて、良い雰囲気の時に彼が言ったのは「オレ、銀杏《ぎんなん》の匂い苦手」だ。気持ちは分かるけども、あの時に言ってほしくなかった。

 懐かしい記憶に苦笑いする玲菜。

「どうした?」

 レオが訊くと玲菜が微笑みながら答えた。

「ね、レオはぎんな…ギンアンの匂い好き?」

「ギンアンの匂い? どちらかというと苦手だな」

「やっぱり?」

 一人で面白そうにしている玲菜。レオは不思議に思い、あることに気付いて注意しようとした。

「お前、俺の名を……」

 気安く呼ぶな、と言いかけて止める。

「……まぁいいか」

 レオという名はショーンしか知らないし、ショーンにしか許していないが。

(同居のよしみだ。許してやるか)

 それに、彼女が初めて自分に笑顔で話しかけたから悪い気はしなくて。

 

 やがて、銀杏の並木道を抜けると、カラフルな日除け《オーニング》テントが目立つお店らしき建物がここぞとばかりに軒並み建ち並ぶ。

「うわっ! お店いっぱい! 可愛い!」

 お店の壁の高い位置には鉄でできたオシャレな看板が付き、路地に向かって飛び出ている。

「わ〜〜〜なにこれ、写真撮りたいっ!!

 妙に興奮している玲菜を見てつくづく田舎から来た者だと実感するレオ。

 玲菜ははしゃぐ。

「ねぇねぇ、こういう路地ドイツにもあった!」

「お前の住んでた町はドイツというのか?」

 何か勘違いさせてしまった。

「え?」

 もちろん違うが。

「えっと……あっと……うん」

 つい、そういうことにしてしまう。

「聞いたことない町だ。小さい集落なのか?」

「う、うん」

 返事をしながら玲菜は自分につっこむ。

(って、なんで私ドイツ人?)

 白人でもないのに。

 小さい集落呼ばわりとはドイツにも失礼だし。

 ともあれ、レオに誘導されて靴屋らしき店に入る玲菜。

 こじんまりとした店内に、展示されている靴は幾つか。カウンターがあり、カウンターの中にたくさんの引き出し。最初誰も居なかったが、ドアを開けた時に鈴が鳴って、しばらくすると店の奥の部屋から店員らしきおじさんが出てきた。

「おお、ジョンじゃないか。久しぶり」

「ジョン……?」

 玲菜が疑問に思うとレオが返事する。

「おじさん、久しぶり!」

 その後小さな声で玲菜に耳打ちした。

「俺の偽名だ。街では“皇子”じゃない方が楽だからな。ショーンの息子ということになっている」

「ジョン、可愛い女の子連れてるじゃないか。彼女か?」

『可愛い』という言葉と『彼女』という言葉に戸惑ってしまう玲菜。

 てっきり嫌そうな顔で否定するかと思われたレオが平然と言う。

「田舎から出てきたイトコのレイナだよ。考古研究者としてオヤジの助手やるんだ。住み込みで」

「へぇ〜」靴屋のおじさんはニコニコしながら玲菜の近くに来る。

 玲菜はそれよりもレオが平然と自分の名を呼んだことに驚いた。今までずっと「お前」と言われ続けていた。

(私の名前なんて憶えてないのかと思ったよ)

「それでおじさん、今日はこいつ…じゃない、レイナの足に合った靴を欲しいんだけど」

 今たしかに“こいつ”と言った。……まぁ、別にいいが。

 レオに言われて靴屋のおじさんは物差しで玲菜の足を測りだす。

「ちょっと待って! ちょうど合うサイズの靴が新作であるんだ」

 そう言って一旦奥へ引っ込んで、しばらくしてから出てくるおじさん。手には真新しい感じの茶色いブーツを持っていた。

「試しに履いてみてもいいか?」

 レオが言うとおじさんは玲菜にブーツを差し出す。おずおずとレオの顔を見ると彼が頷いたので玲菜はそのブーツを履いてみることにした。

 ヒモは若干通しにくいが中々オシャレなブーツ。履き心地は悪くない。

「どうだ?」

「いいよ、これ。可愛いし」

「じゃあそれにしよう。このまま履いてくから、おじさん、レイナの靴を入れる袋くれ」

 なんと、即決定。レオは靴屋のおじさんに金を払って、玲菜が今まで履いていたスリッパを入れる袋を貰って店を出る。

「じゃ、次は服だな」

 早すぎるレオの行動に玲菜は自分の意見もあまり入れられなくついていく。そうして、店をいくつか回って気付いたら服を全て揃え終わっていた。

 

 

 玲菜はすっかり街に溶け込んだ格好になっていた。買った服はその場で着させてもらい、自分が着ていた服を袋に入れる。

 白い長袖のブラウスと、赤くて厚い生地の膝下丈のスカート。黒いタイツと茶色いブーツ。他にも替えの服を何着か。

 返してもらったジャケットを羽織り、改めてじっとこちらを見るレオ。かなりの勢いで直視してきたので玲菜は慌てて視線からずれた。

「な、何か変?」

 ハッと我に返り、妙に慌てた様子で言うレオ。

「いや! ……変じゃない」

 すぐにそっぽを向いて歩き出した。

「ちょっ! ちょっと待ってよ!」

横に追いついた玲菜はレオが全ての荷物を持っていたのでいくつか引っ張った。

「ああ、ありがとう。私も持つ」

「平気だ」

 しかし、彼が持っている荷物の中には女性用下着の袋もあったので、さすがにそれは玲菜が持つことにした。

 ちなみに下着は現代の物に近い形の物があり、それだけはレオに金を受け取り、玲菜が自分で買ってきたものである。

 

 早歩きのレオが次に入ったのは美味しそうな匂いのする食堂。

(ああ、そっか! ご飯食べにきたんだ)

 レオの出かける目的は昼食をとることで、それなのに自分の服を買う方を優先してくれたことに初めて気付く玲菜。

「ご、ごめん! お腹空いてたでしょ? 私のこと先にやってもらってごめんね」

 玲菜が謝るとレオは特に無反応で空いている席につく。玲菜も向かいの椅子に座って彼の顔を伺った。

(怒ってるのかな?)

 今までだと機嫌が悪くなるパターン。よく見るとほのかに顔が赤かったのでやはり怒っているのだと解釈して玲菜は俯いた。

(やっぱ怒ってるんだ)

 ついつい何度も顔を見てしまう。

 するとレオは先ほどよりも顔を赤くして注意してきた。

「なんだよ、あんまじろじろ見るな。言いたいことがあるなら言え」

「ごめん!」

「え?」

「あと、ありがとう」

「は?」

 玲菜は言う。

「あの、だって、自分がお腹空いてるのに、私のこと優先してくれたし」

「あー。いや、俺は別に……」

「レオは実は怒ってたのかなって思ってさ」

 落ち込む玲菜に首を振るレオ。

「え? 怒ってない」

 玲菜は今までの行動を指摘した。

「だって、こっち見ないでどんどん早歩きで行っちゃうし」

「あれは! お前が結構かわ……」

 ここで突然言葉を止めるレオ。

「かわ? 川?」

 玲菜が訊くと自分の口を手で塞いでまたそっぽを向く。

「ああ、いい。なんでもない。とにかく怒ってないから」

 やはり顔が赤いか。レオは「ふぅ」と一回息をついてから促す。

「それより早く、何食うか決めろ」

「は、はい」

 メニュー表を探すとテーブルの端に表がある。文字はなんと漢字と平仮名と片仮名だ。

「日本語!」

「え?」

「あ、ううん。どれにしようかな」

 種類は少ない。パンにご飯に肉、スープ、魚の肉……

「魚の肉? 魚の肉って魚肉ソーセージ?」

「魚肉ソーセージ?」

 レオに訊き返されて玲菜は首を振った。

「あ、えーと……魚の肉にしようかな。あとご飯と飲み物」

 

 玲菜は魚の肉という文字で勝手に連想してソーセージ的な物が出てくると思ったが、実際に出てきたのは普通に白身魚で少しガッカリした。

(魚じゃん。焼き魚じゃん。肉とか紛らわしい書き方しないでよ)

 しかし、まぁまぁ美味しく食べられたので満足した。

 それにしても……と、前の席のレオを見る玲菜。

(凄い食べるな、この人)

 そういえばショーンも言っていたか。「よく食べる」と。だからと言って「全部」なんて普通注文するか? しかも全て平らげていて皿が積み重なっている。

「さて行くか」

 レオは立ち上がり金を払う。それを不安に見る玲菜。

(あのお金って国の税金じゃないよね?)

 自分の服もあの金で買ってもらったが。皇子の金の出所が不明だ。

 

 さておき、遅い昼食も終わり、満足した二人はあと一つ、やることを思い出す。

「ああ、そうだ。食材を買わないと」

 ショーンに頼まれていた。

 レオは少し考えて思いついたように言う。

「下の広場の市場に行くか。冷蔵庫の中が空になってたし、あそこなら食材がいっぱいある」

「下?」

 疑問に感じたことを訊く玲菜。

「ああ、大壁の向こうだ。壁を境に“上”とか“下”とか呼んでいる」

 レオの答えになんとなく納得する。

 もしかしたら町全体が山のようになっているのか、ショーンの家からここまで坂を下りてきた。レオの言う大壁とやらは今居る場所よりも低い位置にある。壁の向こうの町も恐らく下の方にあるのだろう。

 

 レオの誘導で坂道や階段を下りていく玲菜。小さい水路を渡り、やがて大きな壁の前に辿り着く。壁は二重になっていて、高い位置に巡視通路があり、そこには兵士が立っている。

「こっちだ」

 見上げている玲菜を連れて壁を通り抜ける路《みち》に向かうレオ。

 通路ではたくさんの人が行き交っていて、ここにも兵士が居る。鉄格子の頑丈そうな扉が上げられていて、いざという時に落として閉める仕組みか。更に通路を抜けるとまた濠《ほり》のような水路。ここを渡るための橋は跳ね上げ式になっている様子。

 その先にようやく広場があって、たくさんの人たちで賑わうテントの屋台がずらりと並んでいた。

「すごーい!! なにこれ、沖縄の市場みたい! なんだっけ? マチグワーだっけな」

 見た途端テンションが上がる玲菜。

「オキナワの市場? マチ……? なんだ?」

「うん。高校の時の修学旅行でね、自由行動の時に……」

 そこまで言って口をつぐむ。レオが不思議そうな顔をしているので誤魔化した。

「あ、なんでもない! ちょっと考古学のことでね」

 レオは不審そうにしたが「まぁいいか」と歩き出した。

「お前本当に考古研究者だったんだな」

「え? 疑ってたの?」

 恐る恐る玲菜が訊くと間を置いてからレオが答える。

「もしかすると、オヤジとデキてて、それを隠すために俺に嘘をついているのかと」

「オヤジとデキててって、ショーンと? 私が?」

 妙に動揺して顔が赤くなる玲菜。その様子を見てレオが言う。

「……お前、好きなのか? オヤジを」

「ち、違うよ!!

 慌てて玲菜は首を振る。

「いや、いい人だと思うけど。っていうか、好きだけどそういう意味じゃなくて、お父さんみたいっていうか……」

 さすがに年齢に差がありすぎる。それに“父みたい”というのはその通りで、ショーンは自分の父にどことなく似ている。

「あ、そうそう、レオはなんでショーンのことを“オヤジ”って呼んでるの? やっぱお父さんみたいだから?」

 話をレオにふると彼はしばらく黙ってから空を見上げて言う。

「俺にとっての父親はオヤジだけだから」

 聞いて、ハッとなる玲菜。

(あれ? そういえばレオって皇子なんだよね? っていうとお父さんは王様? ……あ、皇帝?)

 何か色々と事情がありそうで。けれどまだそこまで親しくないので訊けなくて、玲菜は返す言葉が出なかった。

市場では賑やかな声が飛び交い、食料の店ではレオが覗き見る。玲菜は黙って彼の後をついていき、少しずつ買った食材が増える。さすがにレオ一人では持ちきれないので玲菜も手伝い、必要以上の会話も無くなった頃、急にレオが玲菜の手を引っ張ってきた。

「ここ混んでるから。離れるとはぐれるぞ」

 確かに物凄い人混み。ここではぐれたら不安だ。玲菜はレオの腕を掴んだ。

「何? なんでこんなに混んでるの?」

 人々の視線の先を見ると、煌びやかな騎士の格好をした男と、ビラを配る兵士風の男たち。男たちは何かを訴えている。

「何あれ?」

「ああ、あれは傭兵志願を募っているんだろ。ここの広場ではたまに居る」

レオの答えに気付いた質問をする玲菜。

「え? ようへいって傭兵のこと? 戦争でもあるの?」

「戦争はどこだってある。帝国を狙う他国も多いし、国内だって紛争があるからな」

 平然と答えるには物騒な話。

「え! 嘘でしょ? やだ!」

 玲菜が腕をぎゅっと引き寄せてきたので動揺するレオ。

「な、なんだよ。あんま引っ張るな」

「わ! ごめん!」

 慌てて玲菜は離す。

「い、いや、掴むのは別にいいけどな。むしろはぐれると危ないから掴んでてもらった方が……」

 そう、レオが言った時だ。

突然玲菜が男にぶつかられてその拍子で手荷物を一つ奪われた。

「え?」

 驚いている暇も無かった。

 男は玲菜の荷物を抱えて人混みの中に逃げる。

(え? ちょっと待って? なにこれ? もしかして盗まれたの? ひったくり?)

 今まで自分は出会ったこともない。

 海外旅行では危ないから注意しろと言われるが、日本で意識して注意したことはない。

(嘘でしょ?)

 呆然としていた玲菜とは違い、すぐに反応したのはレオだ。

「待て!」

 レオは玲菜に自分の荷物を預けて追いかけ始めた。

 早すぎる行動についていけない玲菜。レオに預けられた荷物を持つと両手が塞がって前すらよく見えない状態。その時――

「おおおお〜〜!」という人々の歓声が上がった。

(何? 何?)

 よくは見えないが、人々の声は聞こえる。

「あの青年、泥棒を捕まえたぞ」

「すげ〜」

「素敵!」

 玲菜が耳を疑った。

(え? 何? レオが犯人捕まえたの?)

 どこからか拍手が聞こえる。そして、彼の声が聞こえた。

「相手が悪かったな、コソ泥」

 玲菜がようやく人々の隙間から注目の元を見ると、見事レオが男を捕まえて地面に伏せさせ、玲菜の荷物を奪い返している所だった。

(嘘でしょ?)

 なんだかちょっとカッコイイ。まるでシリウス。玲菜がドキドキしてその様子を見ていると、先ほどの傭兵志願を募っていた騎士たちがレオに近付いて褒め称えた。

「君、凄いな! どうかね? 私の所で働いて……」

 騎士はレオの顔を見て仰天して飛び上がった。

「あ!! 貴方は、シリウス様!!

 近くに居た人間がどよめく。

「え? シリウス様?」

「シリウス様だ!!

「勝利の皇子シリウス!?

 次々に声が飛び交い、更に人が寄ってくる。しかも女性たちの黄色い声まで上がる。

「シリウス様〜! 素敵〜!」

 レオは「バレた」という顔をして騎士にひったくりの男を預けた。

「こいつを頼む。俺は私用で買い物をしているだけだから民衆を騒がせるな」

 その声はもう騒いでいる野次馬には聞こえない。

 レオが取り返した荷物を持って歩き出すと民衆は道を空けて羨望の眼差しで彼を見る。そんなことを気にせずにレオは玲菜に声をかけた。

「ほら、取り返したぞ」

 自分まで皆に見られてうろたえる玲菜。

「あ……ど、どうもありがとう」

 皆が「あの娘は誰?」などと噂をしている声が聞こえる。「従者だろ」という解釈の声まで。

 レオは玲菜に預けていた荷物を自分に戻して盗まれた方の荷物を玲菜に返した。

「派手すぎるだろ」

 余計な一言を付け加えて。

 盗まれた袋の中身は新しい下着。

「ちょっと! 中見たでしょ!!

 玲菜は怒りながら、前を歩くレオの横に並んだ。

「別に。見えただけだ」

 今さっきカッコイイと思った乙女心を返してほしい。

「こういうの、なんて言うんだっけ?」

「え?」

「なんだっけ……」

 そうだ。死語っぽい言葉が妙にしっくりくる。

「ムッツリスケベってやつだ。レオは」

「むっつり? なんだそれ」

「知らない。今度検索してみる」

「ケンサク? ああ、検索か。辞書で?」

 全く通じていないレオにイライラしつつ、玲菜は思う。

(ところでムッツリスケベってどういう意味? 隠れエロみたいな感じ?)

 検索しようにもパソコンが無い。

 玲菜は溜め息をついた。本当は感謝しているのに、うまく伝えられなくて。

 

 一方、そんな二人を人混みから見つめて不敵に笑う人物が居た。

「やっと見つけた。シリウス……いや、アルバート皇子。正体隠して町で暮らしているのは本当みたいだね」

 静かにそう呟き、また人混みに姿を消した。


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