[第一章:ウホッ!! ゴリラじゃないよ、ゴリラじゃないよ]

 

 この国の名は獅子の国という名で、島国だ。外の国へは常に海を渡るしか手段が無く、おかげで一般庶民は異国へあまり行ったことが無いし、外国人もあまり見かけない。けれど西の大陸の大国とは何故か昔から交流が盛んで、妙に興味をそそられる文化もある。

 俺の父は王家に仕える沢山の武士の一人で、城勤めをしているけれど。家を継ぐのは一番上の兄貴だし、二番目の兄貴は異国に行ってしまい、三男の俺はとりあえず剣を教えるバイトをやりながら親のスネをかじって暮らしていた。

 もう十七になってしまったし、一応可愛い許嫁がいるのだけど結婚もまだしたくなくて。なんていうか、俺はもっともっと大きい何かをやれそうな気がするからちゃんと就職もしていなくて。許嫁には「結婚」を目で催促される毎日。そう思っていたら早速……

「時ちゃん」

 俺の可愛い許嫁、『春』がやってきましたよ。

 春は可愛くて背も低くて、ずっと幼い頃から仲良くて、いつの間にか許嫁になっていた一つ年下の女の子だ。俺は『時三郎』っていう名なんだけれど、子供の頃から変わらず「時ちゃん」と呼んでくる。それが俺には恥ずかしい。

「春、お前いい歳して“ちゃん”付けはやめろよ」

「なーによ」ムスッとした顔も可愛い春は頬を膨らませて反論した。「いい歳して恥ずかしいことやってんのは時ちゃんの方でしょ!」

 恥ずかしいことってのは、反マゲ組のことか? 反マゲ組のことかーーー!!

「もうやめたよ」

 言ってやった。今日解散したんだから。

「ホントに!?」目の前には喜ぶ春の顔があった。「良かった〜! これでもう時ちゃんが『毛髪テロリスト』なんて白い目で見られることは無いのね」

 そんな風に呼ばれていたの!? 初耳なんすけど。

 少なからずショックだった俺を気にせずに春はいつもの上目遣いで例のことを切り出してきた。

「ねぇ時ちゃん、今日おばさんにね、『早く嫁に来い』って言われちゃった」

 うちの母親は三百六十五日そう言っているのか。ってつっこみもしたかったけれど、春の仕草が俺の弱点をついていたので、俺は口づけをしようと春の肩を掴んだ。

「うん、まぁ、その内……」

 だが、彼女は「その内っていつよ? 時ちゃんっていつもそればっかり! この甲斐性無し!」と捨て台詞を吐いて去っていった。

 俺は……

蝉の声がうるさ過ぎてよく聞こえなかった、ふりをした。

 

 

 ―――――

 

 マはまぬけのマ、ゲはゲロ……ゲラ? ゲリ、ゲル、ゲレ……ゲレゲレ……げつく? ダメだ! お下品過ぎる!! なんていうかもっと教養的な、それでいて相手に精神的ダメージを……

 って、俺は解散したはずの反マゲ組の日課であったマゲの悪口をいつの間にか考えていて我に返った。

 毎日の習慣ってこわい。もう夜中になりつつある。

 ここは俺の実家の俺の部屋で、暑いから窓を開けながら月を見ていた。今夜は満月で何か不思議なことが起こりそうな予感で胸が騒ぐ。胸騒ぎって、あまりいい感じじゃないか? とにかく胸が高鳴る。今宵はもしかすると……もしかするぜ?

 なんて考えていると、庭に猫が入ってきた。白くて可愛い猫。野良猫か? 腹が減っているのかな? 俺が猫に目がないっていうのを知っての狼藉か? ついつい庭に出て猫に話しかけてしまった。

「お前、どうした? 野良か? 家出か?」

 

「家出です、先生」

 

猫が、答えたよ。

 

え? 誰かが隠れているのかな?

「誰だ?」

 訊くと、また声が聞こえた。

「文京です」

 文京は俺が剣を教えている生徒の一人だ。確かに今のは文京の声だけど、肝心の姿が見えない。

「ここですよ、先生」

 聞こえた瞬間に、目の前の猫の皮が破けて中から少年が姿を現した。それは文京で、今年十四歳になる俺の教え子。特技は無駄に凄い変装だった。

恥ずかしながら自分の声じゃないような悲鳴を上げてしまった俺は文京の大きさを見て冷静に判断した。

「無理だろ、猫は」

「いえいえ、頑張れば!」

 きっぱりと、満面の笑みで文京は答える。その綺麗な笑顔に俺も、今夜は空でも飛べそうな気分にさせられる。

「そうか。じゃあ俺も今度猫になってみようかな」

「無理です、先生では」

 文京は冷たく否定した。その後に悲しそうに言った。

「家出をしてしまいました」

 さっきも言っていた言葉だ。

 こんな夜中に家出なんて、一体何があったんだか。行く当ても無く俺の所に来たってわけか。猫に変装してまで。

 とりあえず俺は心を落ち着かせる場所を考えて家を出ることにした。

 

 

 真っ暗で静かな満月の夜には近くの海に行くのがちょうどいい。

 俺は文京を連れて家からそう遠くない浜辺に向かった。

 家出といえば海だ。海はいい。でかいし、広いし、水平線には無限の可能性を感じる。さすがに夜は真っ暗で黒くて波の音がゴロゴロ鳴っているし、先の闇は不安にも感じるけど。俺は海が好きだから家出をすると必ず浜辺に来て海を眺める。

 本当に、あの闇の向こうに大陸があるなんて信じられない。本日も星が綺麗だから明日も晴れに違いない。夜の今は幾分か涼しいけれど、暑苦しい朝がやってくるんだ。ぬるま湯のような生温かい潮風が吹き抜ける。

 文京は俯いて俺の後をついてきていた。しばらく浜辺を歩いているとようやく口を開く。

「先生も家出ってしたことありますか?」

「しょっちゅうだよ」

 言ってやった。

「先生も、僕のように家が嫌になることがあるんですか?」

その質問につい苦笑いしてしまう。

「俺だって色々あるしさ」

文京はなんでこんな時間に家出なんかしたんだろうな。

「文京、お前、夢ってあるか?」

 ふと、訊いてみると文京が逆に訊いてきた。

「先生は?」

 俺は……

「いつか、異国に行ってみたいな」

 そうだ、異国に行った兄貴のことがたまに羨ましくなる。俺もいつかは行ってみたいんだよ。その為には金を貯めなくちゃいけなくて。だって、永住するわけじゃなくてただの旅行レベルで行きたいわけだし。

 俺が立ち止まると文京も横に並んで海を見た。

「僕は自分の夢が分からないんです。家を継げって言われているんですけど。最近は、なんだかモヤモヤして」

 俺も海を眺める。相変わらず遠くの闇が恐いような寂しいような気分にさせてくれる。

「そういう時は何も考えないで海を見るのがいいぞ」

 俺はいつもそうやってきた。

「お前の人生はお前のもので、お前が望めば大泥棒にだってなれるんだからさ」

「大泥棒って!」

 突拍子が無かったか? 表情が緩くなって文京は少し笑った。

「先生は、ホントに発想が変わってるっていうか。毛髪テロリストもそうだけど」

いや〜、俺も自分がテロリストになるとは夢にも思わなかったけどさ。

「一つ、為になる言葉を教えてやるよ」

 ちょっと先生ぶって浜辺に「人」という字を書いてみる。

「“人”という字は……」

「それ、知ってますよ」と、言われたけど。

 違うんだ!

「人という字は、小さい奴の上に大きな奴がのしかかっている……つまり理不尽な程の弱肉強食…」

「先生! なんだろ? あれ!」

 まだ解説中だというのに、文京の奴が口を挿んで遠くの岩陰を指した。岩陰には怪しい明かりが灯っていて、何やら怪しいニオイがプニプニする。怪しいというか軟らかそうというか。

 見たい!!

「行ってみんべー!」

 俺は誘惑に負けて怪しい岩陰の方へ文京も連れて近付いた。

「嫌ですよ!」

 正直、文京は凄く嫌がっていた。「胸騒ぎがする」と。胸騒ぎなら俺もしたもんね。しかもさっきしたもんね。俺の方が早いもんね。でも、

「大丈夫、大丈夫! だっておめー、プニプニよ?」

「なんなんですか! その、なんだかいかがわしい…」

 文句を言いたそうな文京だったけど。怪しげな岩場が近付き、微かに話し声も聞こえたので俺達は黙って陰に隠れた。

 思った通り誰か居るみたいだ。こんな夜中に海なんぞに居るのは家出か密航か海賊か。とにかく何か事件のニオイがする。もしかするとすんごいお宝見られちゃうかもしれないし。やっぱり正解だよ〜、満月正解だよー! 満月の夜は血が騒ぐんだよ。

 妙なテンションでウキウキする俺とビクビクする文京の目の先にあるのはいかにも怪しい木箱達。話し声が聞こえたけど、人の気配はまだ遠い。

 俺は無性にその木箱が気になった。

 調べてみたい。出来れば壊して中身を見たい。だって、何かお宝が入ってるかもしれないだろ? やくそうとか、金とか、なんかの種とか。もしかしたら錆びた剣とかさ。下手したら死体とか。あの木箱を開けることで俺が英雄になるかもしれんのだよ? そう思うとワクワクするだろ? 俺はこの為に今まで反マゲ組なんてくだらないことをやっていたのかもしれない。全ては今日この時の為に。

 俺は文京が物凄く止めるのも聞かずに、猫の被り物だけを借りて木箱に近付いた。いざという時に猫のフリをすればなんとかなるかもしれないし。

木箱は何個かある。大きさは、頑張ってうずくまれば人一人くらい入れるか入れないか。もしかしたらどれかは罠かもしれない。全てぶん投げて壊したいけれど。そこは我慢ということで、一番気になる木箱の蓋を少しだけ開けてみることにした。

幸い蓋には鍵や釘は打ち付けられていないので開きそうだし……と思った矢先――

「先生! 誰か来る!」

 見張っていた文京による危険報告が発せられた。

 周りを見ると確かに遠くの方で光が動いてこちらに向かってくる様子。まずい。まずいですぞ。ここは一先ず猫を被って猫のふりをするのがいいか。

 俺はこんな時の為に借りた猫の被り物を着てみることにした。文京に出来て俺に出来ないわけがない。まず右足は右足に入れて……右足は右足に入れて……あれ? 左右逆? 慌てるな、俺。俺の足はどうにも猫の被り物の足部分に入らない。大き過ぎて。そもそもこの被り物は普通の猫サイズなわけで。どうやって文京が入れていたのか見当もつかないし。いきなり足が入らないってなによ。

 文京が小声の持てる最大の声を出して必死に俺に言ってきた。

「だから、先生には無理だって言ったんですよ!! っていうかこっちに戻ってくればいいじゃないですか!」

 目から鱗が落ちるってこのこと? 俺は阿呆か。いや、阿呆は俺か。というか気が動転したっていうか。いやだってさ、入るわけないじゃん? 冷静に考えてみても。小さ過ぎだし。許容範囲じゃねーし。つーかその前に入らずに文京の方へ戻れば良かったんだけど。混乱ってこわい。冷静に物が考えられなくなるってこわい。そうなんだ、何が起きても常に冷静な奴ほどこういう時生き残れる可能性が高いというか。

 とにかくもう文京の方に戻る時間が無いわけで。俺はとっさに目の前の木箱の蓋を開けて中に入り込んでしまった。何が入っているか分からんけど。見つかる可能性がかなり高いけど。それしか選択肢が思い浮かばなくて。

 内側から蓋をした直後に何人かの足音が聞こえて俺は息を止めた。真っ暗闇の狭い中できつい体勢のまま硬直する。そのすぐ後に声が聞こえた。

「ん? 今なんかここに居なかったか? 物音がしたような気がしたんだけどな」

 万事休す。開けられる! と思った瞬間「ニャーン」という猫の鳴き声が聞こえた。……いや、これは猫じゃない。異常にそっくりだけど猫の鳴き声を真似した文京の声だ。まじかよ!?

「なんだ猫か」

 まじかよ!!

連中が騙された声が聞こえたことが信じられない。こんな古典的な術、する方もする方だけど、お約束のセリフで騙されるなんて奇跡だろ? いや、ホントに。文京もなんつーか完全に猫じゃん。普通に猫じゃん。猫に変身出来る妖術使いじゃん。なんとかこの特技を活かせる職業に就かせてやりたいよ。そう思っていると連中の話す声がまた聞こえた。

「まぁいいか。運ぶぞ」

 運ぶぞ?

「よいしょ!」

 よいしょ? 疑問に思った瞬間に宙に浮く感覚がして。けれどすぐに落とされた。

「なんじゃこりゃ、重ぇ!!

 そりゃそうだよ。俺が入ってんだからさ。っつーか。ひょっとして運ぶつもりか? どこに?

「だらしねーな。一人で持てねーのかよ」

「いや、本当に重いんだよ。手伝ってくれよ」

「しょーがねーな。ほら」

「せーの!」

 この声の後にもう一度宙に浮く俺。俺っていうか俺の入っている木箱。

「うおっ! ホントだ」

「だろ?」

 俺は息を吸い込んだ。気持ち的に軽くなるような気がして。連中の為じゃなく、底が貫けないように。

「これ、何が入ってるんだろうな」

「確かめてみるか?」

 よせーーーーー!!

「いやいいよ。バーベルか何かじゃないか? とにかく時間が無い」

「そうだな」

 なんとか危機を回避した俺。なんでバーベルだよってのはさておき、何か急いでいるようだ。とりあえずじっとしていてどこかに置かれたらそこから脱出するか。なんて対策を考える。倉庫か物置だったら扉の鍵を閉められる前に逃げなきゃいけないし。海だからもしかすると船かもしれないけど、船だったら夜に出港はしないだろうから人に見つからないようにこっそり抜け出して最悪、海に飛び込めばいいだろうし。それにしても運ぶなら早く運んでほしいものだ。体勢がきつ過ぎる。思ったよりも苦しい。このまま死んじゃいそうだよ。

 

 俺にとって物凄く長く感じた時間が過ぎてようやく降ろされた後、自分的にはもう限界なのに連中が去る足音が聞こえなくなるのを待ってから、そっと蓋を開けて外を確認してみた。

「はーーーーーー」

 誰も居ないのでつい溜め息が出る。

 ほんっっっとに疲れた。やっと外に出られる。やっと手足を伸ばせる。本当にきつかった。もう一度静かに溜め息をついて俺は木箱から出て思い切り伸びをした。木箱の中に密かにあったものは思い切り踏んづけていたんだけど。ただの葉っぱだったようで。まぁやくそうくらいなら別にいいかと見なかったことにする。

 死ぬかと思った。先生、死ぬかと思いましたよ。って、文京は居ないんだけど。

 薄暗い周りを見渡すと木箱や荷物がいっぱい積み重なっていて。どうやらここは予想通りどこかの倉庫らしいことが分かった。

 ここはどこだ? 足下がどことなくゆらゆら揺れている感じがするから船か? また誰かが荷物を運んでくるかもしれないからのんびりしていられない。早く脱出しないと。扉を閉められても最悪だし。

 俺は急いで出口を探した。

 

 幸い、出口らしき扉はすぐ近くにあり。鍵も掛かってないし。そーっと外を覗いてみたけど人の気配も無い。俺は音を立てずに扉を開けてこの暗い部屋の外に出ることに成功! 少し明るい通路に出た。

 やっぱり少し傾いている気がする。船の中なんだ、きっと。通路だって窓とかも無くて船の中っぽいし。

よぉーし、さっさとここを出ておさらばするかい。木箱で運ばれた時はどうなるかと思ったけど、案外ちょろいっていうか、人生ちょろいっていうか。なんていうかロイチョー? まぁ大体そんな感じで。

油断していた俺の耳に人の足音が聞こえてきた。

ちょいーーーー!!

早くもピーンチか!?

いや、ちょい待ち。

落ち着け。今度こそ慌てずに行動してここを乗り切っておさらばっていうか。

思ってる内にどんどん足音が近付いてくるし。どうしようどうしよう、どうすんべーどうすんべー。さっきの物置らしき部屋に戻るか? それとも?

それとも!?

……俺の目の前には扉があった。開けてみるか? 誰も居なければ少し隠れられるかも。いや、そんな危険な賭けに出て誰か居て捕まったらシャレにならん。でももう足音はどんどん近付いてるし、物置に戻る時間が無いような、ある…いや、無いような。もう時間が無い!!

俺は一か八かで目の前の扉を静かに早く開けてみる。頼むから誰も居ませんように!!

 

――って、息も足の音も殺しつつ、そーっと早く扉の中に入ってみるとそこは真っ暗で何も見えなくて急いで扉を閉めて隠れることが出来た。

 やっぱ!! ちょろいっす!! ちょろいとか普段使わない言葉だけど、こんな短期間にロイチョーも合わせると計四…いや、五回使用か。とにかくピンチを乗り切ることが出来たわけで。ホントにホントにホントにホントに……

 

 …………

 

 うほっ!?

 ちょっと待て!! ちょっと待て!! ちょっと待て〜〜〜〜〜〜!!

 

 あっぶねーーーーな!! まじですか!? 今危うく大声を出すところだったじゃん。しかもゴリラっぽい……あの、なんつーの? まぁいいか。

 目が慣れてきて気付いたけど、

 真っ暗なこの部屋には、まるで人形のように綺麗で動かない娘が椅子にじっと座っていた。

 俺は声を出さないように手で口を押さえてもう一度見る。

 え? ホントに!?

 だって、びっくりするだろう? 一瞬幽霊かと思ったし。

 真っ暗な部屋にポツンと一人で椅子に座っているんだぜ? 俺が入っても声どころか物音一つ立てないで。動かないからホンキで人形かと思ったし。とにかく驚いた。

 え……っていうか、いや、実はやっぱり人形か……?

 全く動く気配の無い娘っぽい人形にそっと近付く俺。

 真っ暗でよく見えないけど、息してます?

 ――と、思ったら人形娘が首を動かしたので俺はついにゴリラの声を出してしまった。

「ウホッ!! ……」続きの言葉が出ない。

 やっぱ!! 生きてたんだ。人形じゃないよ! こっち見てるもの。不審な目でこっち見てるもの。ゴリラを見るような目つきでこちらを見下しているもの!

「あーーー、えっと……」俺は小声の持てる最大の綺麗な声で念を押した。

「ゴリラじゃないよ」

 しまった。うわずった。

「ゴリラじゃないよ」

 俺は今まで十七年間生きていて恐らく生まれて初めて言ったであろう言葉を二回も言ってしまった。

 けれど相変わらず黙っている人形娘。目が慣れてきて分かったけど、髪の長い綺麗な異国の娘だ。実は年齢は同い年くらいか? 服はこの国の着物を着ている。

 って、見惚れている場合じゃなくて。俺は我に返った。

 この船を出ないと!

 人形娘は何も言わないし、動かないし、害は無さそうだ。このまま去っても平気かなぁ? それとも、不審者だと密告されるか? 今のところそういう気配は無いけど。そもそも俺は怪しいけど「ゴリラじゃないよ」としか言ってないし。普通さ、いきなり入ってきた謎の男が「ウホッ! ゴリラじゃないよ、ゴリラじゃないよ」って話しかけたら悲鳴を上げるよな。でもなんの反応も無いし。このまま去っても大丈夫か? どうするか。

「あ、あの」俺は一か八かで訊いてみた。

「この船の出口ってどこ? ……か、分かりますか?」

 敬語で。

 また反応無いかな? と思ったけど、なんと、娘が頷いた。しかも言葉を発した。

「わかってる」

 うほぉーーーーい! 結構綺麗な声だな。いや、それよりも「わかってる」って! やったじゃん。

「アナタが、ゴリラじゃないって」

 ああ、そう。ゴリラの回答を今頃貰っちまった。ん〜〜〜と、惜しい。

 俺が落ち込んだ矢先、娘は自分の横を指差した。

「こっちに出口ある」

 

 え? うわっ! ……よっしゃ〜〜〜〜〜!!

 俺は思わず娘の手を掴んだ。

「すまない! ありがとう。恩に着る」

 指した先は暗かったけど、よく見ると扉らしきものが見えた。あそこから、多分出られるんだ!! やった、船から出られる!

 

 何回も礼をして薄っすら見える扉に近付く俺。そこを開ければ外なんだ、きっと。はしごとかあれば降りられるし、無くてもなんとかなるか? 見張りだけ気をつければ。最悪、海でも俺は泳ぎが得意だから飛び込んで逃げられる。

 なんて考えてた。気楽に。

 船が海の上を走るものだと決め付けて。

俺は扉の前まで行って呆然とした。

やけにうるさい音が聞こえたから。多分それはプロペラの音で。扉の近くにあった小さな窓から見えた、視界に広がる真っ暗な世界に見覚えが無くて理解するまですっごく時間がかかった。

 斜め上にある白く光る無数の粒はなんだろう、と。

 

 

 ――それは、星だったんだ。船から見上げた時に見えるのとは全く違う。空が近過ぎて星があり過ぎる。しかも上じゃなくて正面にある。

 

 扉は開かない。開けられない。

 だって、外は空だから。

 

 世界には、海から空へ飛ぶ飛高船という乗り物がある。

 空を高速で飛ぶからその名がついている。『飛高船《ひこうせん》』と。

 俺は忘れていた。というか、頭に思い浮かばなかった。乗ったことが無くて馴染みが無いから。この国では飛高船はほとんど飛ばない。王家とか金持ちが専属で持っていて、外国との定期船があるのは一部の港だけだし。飛高船の空路は海の上の空がほとんどで。俺も空を飛んでいるのは数回しか見たことが無い。

 だから、気付けなかった。

最悪、海に飛び込めばいいと思っていた。それで帰れる、と。

 でも現実は目の前の光景をずっとボーッと見ることしか出来ない。

 だって、空なんて無理だ。

 まさか……

「まさか……」つい声に出る。

 俺ってば、帰れない?

 なんで? 嘘だろ?

 嘘だろ!?

 

 異国に行くのが夢だって言ったけど、むしろ今の状況が夢であってほしい。

 俺はこの後しばらく思考が停止していた。


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