創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第十話:お風呂でドッキリばったり会っちゃった〜ボロリもアルヨ?〜]
玲菜は夢をみた。
それは、自分の小説『伝説の剣と聖戦』の夢で、普段よく見ている夢。
夢の中では自分は決まってヒロインのレナになっている。そして現れるのが優しいシリウス。しかし、今回は違った。
優しいシリウスは偉そうで、しかも美女と浮気をしている。彼は浮気相手の女にこう言った。
「俺が愛しているのはお前だけだ、ウヅキ」
「ウヅキーーー!?」
玲菜は自分の叫び声で飛び起きた。途端に何かの気配が走って部屋から出ていく。それは猫のウヅキだった。
「あ! ウヅキ!?」
呼んでももう居ない。
(え? うそ! ウヅキが私の部屋に?)
せっかく来ていたのに。叫んで起きたせいで逃げられてしまった。
「ああ」
玲菜は身の回りを確認した。
ここはショーンの家の(半)地下室。自分のベッドではなく、ホコリっぽいベッドに自分は寝ていた。他に何も無い。高い窓から朝日が射しているだけ。
起きた瞬間は現実と今の世界がまだ判別できていないから。自分の部屋の自分のベッドだと勘違いする。しかし、目に見えるのは今までの記憶を一気に思い出させる世界。
(ああ、まだこの世界が現実なんだ)
もしかしたら起きた時に元の世界に戻っていたらいいとまだ思う。色々買ったが、この世界でずっと暮らしていく気は無い。一時しのぎだ。
(起きなきゃ)
玲菜はベッドから降りた。
何か変な夢を見た。
(なんだっけ。いつもの小説の夢のような気がしたけど、なんか違ったような……)
もう思い出せない。叫んだ言葉も。
(そういえば今、ウヅキが居たんだよね)
逃げられてしまったが、嬉しい進歩。
(少しは慣れてくれたのかな?)
慣れたのはいいが、あることに気付く。
(っていうか、ウヅキが入ってきてたってことは……)
部屋のドアは開いている。寝る前に閉め忘れていた。
(私ってば、自分の家じゃないのに)
他人の家で危機意識が足りなかった。いくらショーンが父親みたいだとはいえ、若い男であるレオまで居るのに。
(私、知らない男の人二人と住んでるんだ)
しかもイケメンと渋い男。
(安っぽいラノベみたい)
玲菜は自分の状況に苦笑いしてドアを閉めて着替えた。
着替えた玲菜は顔を洗って歯を磨こうと同じ地下にある洗面所へ向かった。ちなみに歯ブラシは現代のと似たような物があったのでありがたい。歯磨き粉はその名の通り、粉だったが。
洗面台とトイレと風呂……つまりバスルームというべき部屋のドアを開けた玲菜は目に映ったものが何であるのか一瞬分からずに呆然とした。
目の前には風呂から出て体を拭き途中だったレオが居たから。そのレオと目が合って、玲菜は叫び声も上げられずに急いでドアを閉めた。
「なに開けてんだお前ーー!!」
叫び声を上げたのは向こうだ。
「だってだって! 鍵閉めておいてよ!!」
頭の中が混乱する玲菜。
見たか? ……いや、見て……いない……はず。
目に映ったモノがナニでなくて良かった。偶然にもタオルを腰に巻いていたのはどこかで良心的な力という奇跡が働いたためか。とにかく少年漫画にありがちな『お風呂(厳密に言うとバスルーム)でドッキリばったり会っちゃった』が早々と現実に起こってしまった。
(少年漫画このやろ〜〜〜!!)
少年漫画に罪は無いのにイチャモン的に文句をぶつける玲菜。
しかし、ボロリが無くて本当に良かった。
心臓が止まりそうになった。もしボロリがあったら多分止まっていた。それに逆でなくて本当に良かった。自分が見られていたらもうここで暮らせない。
(ああそっか)
玲菜はウヅキが自分の部屋に居た理由が分かった。
(レオがお風呂に入ってたから。迷い込んだんだ)
ああしかし、前にも一度パンツ一枚姿のレオを見たとはいえ、朝からかなり刺激的。玲菜の動悸は激しいままだ。
(なんで朝からお風呂入ってるのー?)
玲菜が落ち着く為に深呼吸をしているとバスルームのドアが開いてレオが出てきた。ちゃんとシャツとズボンは穿いている。
玲菜は慌てて自分の部屋に逃げ込んだ。
「ムッツリスケベ女」
レオが覚えたてでボソッと言った言葉に玲菜は反論した。
「ムッツリじゃないよ! スケベも死語だし! 恥ずかしいから使わないでよ」
レオは何も言わずに階段を上がっていく。
深く息を吐いてから玲菜はバスルームに入った。
顔を洗って歯を磨いて。少し落ち着いた玲菜が恐る恐る階段を上がると、どこの騎士かと見間違う格好のレオが居た。水色の詰襟の服に青いマント。服には綺麗な刺繍。
「鎧は屋敷にあるから。そっちで着ける。外に居る迎えの連中に裏に回れと言ってくれ。目立つから」
これはショーンに言っているのか。
「はいよ」
ショーンは外に出ていき、ボーッと見ていた玲菜にレオは冷たく言った。
「なんだよ。邪魔だ」
自分の立っていた場所は部屋の入口だったので、慌てて退く玲菜。
「す、すごい格好。王子様みたい」
「うるさい。俺だって嫌なんだ。でも仕方ない」
(褒めたんだけど)
玲菜は思った。
格好一つでこうも変わるか。正直カッコイイというか凛々しくて素敵だ。元々シリウスの顔だからイケメンなのは間違いないが。高貴オーラが半端ない。
ついうっとりとしてしまう。
(やば。さっきとは大違いだ)
先ほどの裸姿を思い出す玲菜。途端に別の意味で顔が赤くなった。
(何思い出してんの私)
前に見た時も思ったが、レオの鍛えている体はなんていうか色っぽい。
(あわわわわわ)
玲菜は慌てて、頭の中から彼の姿を追い出す。
「レオ、もう行くのか?」
そこにショーンが現れたのでもっと動揺した。
「あー。裏から出る。明日か明後日には帰るから」
そう言って、裏の勝手口から立派な格好をしたレオは出て行く。
見ると裏道に立派な装飾の馬車が停まっている。
(あれに乗っていくの?)
ますます王子様みたいだと思う玲菜。
ショーンは手を振って彼に言った。
「おお、行ってこい。サーシャによろしく!」
レオは馬車に乗り込む前にこちらを向いてショーンに返した。
「オヤジ! 二人きりだからって若い女に手を出すなよ」
「馬鹿野郎! そんなわけあるか」
ショーンは怒ったが。玲菜には意味が理解できなくて二つのことが気になった。
(サーシャって誰? 若い女って誰?)
まずは前者の方を訊いてみる。
「サーシャって誰?」
ショーンはレオの乗った馬車を見送りながら答えた。
「サーシャはレオの母親だよ」
「え!?」
母親ということは皇妃か? いや、皇后というのか? 玲菜は疑問に思ったことをすぐに訊いた。
「ショーンってレオのお母さんと知り合いなの? 皇妃様でしょ?」
ショーンは笑って勝手口の扉を閉める。
「ああ。ちょっと昔馴染みでな」
それは凄い。
だが、皇妃と知り合いのショーンがレオの世話をしているのは妙に納得がいく。
(ショーンって、よく考えると凄い人なのかもしれない。だから皇妃様と知り合いで、レオも父親みたいに慕ってて)
玲菜は改めてショーンを尊敬した。
(やっぱおじさんでもカッコイイな)
ふと、もう一つの疑問も投げかける。
「じゃあ、レオの言ってた“若い女に手を出す”って何?」
「あ〜」
ショーンは困ったように言った。
「それはアイツが勘違いしてるだけだ」
「勘違い?」
「ああ」
おじさんはこちらを見ずに答える。
「つまり、レイナに手を出すなってことさ」
「え? 私?」
気付いて顔が火照ってくる玲菜。
(手を出すって、ショーンが? 私に?)
そうだ。確かにレオが居ないと家に二人きりか。急にドキドキしそうだ。
けれどショーンは慌ててはっきりと否定した。
「大丈夫! 出さないから! 絶対。おじさんは絶対そんなことしないから安心して」
「う、うん。わかってる。信じているから」
玲菜も慌てて返す。
ショーンのことは信じているし、そもそも二人の間にそんなことがあるはずないと確信できる。なぜなら彼は……
「俺は、妻と娘を裏切るようなことは絶対にしないし」
まさに、玲菜が今思ったことをショーンは言った。
多分そうだと思っていた。妻子が居ると知った時点でそうなのだろうと思っていた。
彼みたいな誠実そうな人は、娘のような若い女に手を出したりなんてしない。ましてや、浮気なんてありえない。
(奥さんと娘さんは、別の場所で住んでいるのかな?)
もしかすると亡くなっているのかもしれないと思ったが、今の発言を聞くとそう捉えることができる。
玲菜は思う。
(でも、今のセリフって、もし私がショーンに惚れてたらショックだな)
惚れていたら。
今あるこの感情は、そうではないと思う。
レオにも言ったし、自分にも言い聞かせてきたけど、“父親”のように好きだという想いだ。
(わかってたけど、ちょっとショック。なんでだろ)
ショーンが、自分の理想の相手、自作小説の人物であるシリウスに似ていたからか。
(でもあれは元々、お父さんに似せて作ったキャラだけど)
相変わらず安定のファザコンから来る感情かもしれない。
女の子は父親に似た男性に惹かれるというのをどこかで聞いたことがある。
だから少しだけ恋に似た感情もあったのかもしれない。
玲菜は初めてショーンの妻子について質問した。
「奥さんと娘さんってどういう人?」
ショーンは懐かしむように言う。
「妻は優しくて綺麗だよ。それにしっかりしている。彼女は俺の恩人でもあるんだ。そして娘は……」
玲菜の方を見るショーン。
「キミに、よく似ている」
やはりそうだった。改めて思う玲菜。
ショーンが自分にやけに親切だったのは娘さんに自分がよく似ているからだ。
(だから出会って間もなくても助けてくれたんだ)
多分、娘の姿が玲菜に被ったか。
「私も今度会ってみたい」
玲菜がそう言うとショーンは「うん、うん」と頷いた。
「今度な」
それから玲菜は朝食を頂き、昨日の続きとばかりに台所の掃除を始めた。ショーンも手伝ってくれるのではかどる。台所がそれなりに綺麗になると今度は居間、と手を広げる。
手を広げると色々と欲しいものが出てくる。たとえば、一階と二階の床はコンクリートではなく木の板なのだが、絨毯《じゅうたん》を敷いても良いかと思ったり、もう少し効率よく掃除ができないかと思ったり。昼食の後にまたショーンが図書館に行くと言うので一緒に出ていき、自分は店へ案内してもらい、必要な物を買う。そうして一日が過ぎた。
次の日。晴れ渡った空と若干暖かめな陽気に、玲菜は気になっていた家事に挑戦することにした。
それは洗濯。現代の洗濯機はもちろん無いが、手動でハンドルを回して洗う洗濯桶のような物が庭にあり、そこで洗濯をして庭に干したり、ベッドの布団を出してきて干したり。そのあまりの玲菜の働きっぷりにショーンは感心して、ついに玲菜に留守番を任せるほどになった。
「ふぅ」
昼食を済ませて、留守番を任された玲菜は台所のテーブルに、前の日に買ったテーブルクロスを掛けてみる。
「これで、こっちで食事ができるよね」
今まで食事は居間の机で食べていたが、それは台所のテーブルが物で溢れて使えなかったからだ。物を片づけた今、綺麗に拭いてテーブルクロスを掛ければ余裕で使えるしオシャレに見える。
台所は綺麗になった。居間も大分片付いた。洗濯もしたし布団も干した。しかし掃除する場所はまだまだある。それにやはり絨毯などが欲しい。
玲菜が考えていると、レオの部屋からウヅキが出てきた。実はウヅキはレオが居なくなったあと、ようやく玲菜にも少し慣れてきて逃げなくなっている。まぁ、まだ警戒している感があるが前よりマシで、玲菜があげるご飯をちゃんと食べてくれるし、ちょくちょく姿を現してくれる。
(四日も経てばさすがに?)
自分がこの家に来て四日か。彼女からすると自分は掃除婦に見えるだろう。
(もしくは家政婦)
玲菜は箒《ほうき》を持ってレオの部屋に入った。
(レオはいつ帰ってくるんだろうな〜)
暗いレオの部屋。歩いていると何かを踏んづけて危うく転びそうになった。
(な、何?)
拾い上げるとそれは空の酒瓶で。呆れ返ってしまう。
(レオってアル中?)
まだ若いのに。
玲菜は閉まりきっている雨戸と窓を開けた。途端に光が射して部屋が明るくなる。そうして見えてきたのはゴミの山。
「ゴミ屋敷!!」
玲菜は唖然としてしばらく止まった。
(ゴミ屋敷に住んでんの? あの皇子)
屋敷というか部屋だが。まさか一国の皇子がゴミに埋もれて暮らしているなんて誰が想像するか。
入るなとは言われていたが。
(明らかにゴミだったら捨てていいよね?)
そう判断して、玲菜は明らかに汚い物を捨てて片づけ始めた。
(私ってお母さん?)
まるで男子高校生の母親の気分だ。
(こういう時、エロ本見つけたりするんだよね)
この世界にエロ本は無いか。しかし似たようなものがあるかもしれない。玲菜は片づけながら少しだけそういう面白い物が無いか期待する。
(ああ、でもアイツは持ってなさそうだな)
そう思って本を片づけていた時、中に挿んでいたらしい一枚の紙が抜けて出てきて床に落ちた。
(え? ホントにエロ画が?)
拾い上げて見ると、そこに描かれていたのは綺麗な女の人の肖像画で。
(だ、誰?)
一瞬、恋人かと思ったがそうではなく。
金髪に青い瞳の三十代くらいの美しい女性。どことなくレオに似ているような。しかも煌びやかなドレス姿。
(え? これってもしかして……)
「お、お前! 何やってんだ!!」
いきなり怒鳴られてびくっとする玲菜。
振り向くと部屋の入口に青マント姿のレオが立っていて凄い形相。
これはまずい。
「あ……レオ。お帰り。早いね」
気まずそうに笑う玲菜にレオは文句を言いながら向かってきた。
「おい! 勝手に入るな! しかも勝手に片づけんなよ!」
「あんま片づけてないよ。ゴミ捨てただけ」
聞かずにレオは玲菜の腕を掴んだ。
「何見てるんだ!!」
玲菜が手に持つ肖像画の紙を奪い取って表情を変える。それは、いつもの怒っている顔とは違い、冷淡な顔。
(怒鳴られる!)
玲菜は察して身構えたが、レオは怒らずに黙ってその紙を本に戻した。彼は背を向けたままこちらに質問した。
「見たのか? 他には?」
「他って? え? その綺麗な人の絵しか見てないけど」
玲菜の答えに、レオは一旦息をついていつものように怒ってきた。
「じゃあもう出ていけよ! 掃除とか余計なことしなくていいから!」
「ご、ごめん」
もちろん悪気はなかったが、相手を怒らせてしまった。やはり勝手に入ってはまずかったか。と、玲菜が落ち込んで部屋を出ようとすると、レオは小さな声で呟いた。
「ああ、でも……その……ゴミを捨ててくれたのは、あ、あり……」
最後の言葉は小さすぎて聞こえなかった。しかし、恐らく礼を言ったのだと理解できる。
素直な彼に気を良くした玲菜は出ていかずに話をした。
「ねぇ! 家の中見た? 昨日と今日で掃除してみたんだけど。洗濯も!」
「あー。少し見た。居間が綺麗になってた。庭に色々干してあったし」
「台所も見てよ!」
得意げな玲菜にレオは近付く。
「お前凄いな。掃除婦になったらどうだ?」
「え? でも、私の夢は小説家――」
言っている途中で、青いマントが自分を包んだので玲菜は何事かと止まった。
(え?)
青いマントはレオの物。レオが羽織っているもの。
自分はいつの間にか彼の腕に捕まっていたから。
「つかまえた」
彼は言う。
「二人きりの時に、ずっと男の部屋に居るってのがどうなるか警戒しろよお前」
「え?」
何も考えられなくなる玲菜。顔を上げると彼の顔が迫ってきていたから。まっすぐな瞳からは目がそらせない。
このままではキスをするのではないかと、ギリギリまで近付いたところでレオは顔を赤くして不機嫌そうに言った。
「っていうか、いいのかよ! 俺がキスしても」
瞬間、我に返って玲菜はレオを思いきり押した。
「駄目だよ! 何やってんの!」
途端に腕は放される。後ろに倒れそうになったレオは上体を戻して焦ったように言った。
「まぁ、そういう手違いがあるかもしれんから気を付けろ」
別の方を向いて。
玲菜は腹が立った。
「手違い!?」
「あ〜えっと……」
レオは答えに困っている様子。
「冗談だよ。悪かった」
「どっちが?」
玲菜は怒って部屋を飛び出した。自分が何に怒っているのかさえも分からずに借りている地下の部屋に入り込む。
一方、レオも頭を押さえて目をつむり、自分のベッドに倒れこんだ。
「なんだよ今の……」
自分の行動が分からないし、顔が熱い。
普通だったらあそこでキスしてしまい、女性を落とす。しかし、ショーンに「手を出すな」と言われたからではなく、自分の理性で手を止めた。
まだ駄目だと思って。彼女が、自分のことを好きではないからよくないと思って。キスをしてしまって、嫌われるのがこわくて?
そんなことをまさか自分が思うとは思わなくて。
(何がしたかったんだ俺は)
こんなこと今まで考えたこともない。
「っていうか、なんでアイツをくどいてんだ俺!」
これが一番の謎で。
レオは自分自身が分からなくなり、しばらくベッドで寝転んでいた。