創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第九話:魚の生肉]
行きはずっと下り坂だったということは、当然帰りはずっと上りというわけで。しかも荷物を持って歩きにくい石畳というのは正直きつい。
上り階段道で玲菜が息を切らしていると呆れた風にレオが玲菜の荷物を取り上げた。
「お前、こんなので疲れてんのかよ」
「ちょっと慣れてないだけ」
玲菜は言い訳したが、レオの行為は嬉しく思う。なんだかんだで荷物を持ってくれる優しさ。
(言葉づかい悪いけど、やっぱ結構いい奴じゃん)
「レオ!」
「ん?」
「どうもありがとう」
「あー」
レオはこちらを向かずに荷物をたくさん持ちながら階段を上る。
「荷物のことだけじゃなくて、さっきのことも」
ひったくりに盗まれた物を取り返してくれたこと。彼がこちらを向いていないので逆に素直に言える。
「あの時のレオは結構カッコよかった!」
途端に転びそうになるレオ。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫だ。問題無い」
すぐに体勢を整えてまた運ぶ姿は少し頼もしい。レオは少し間を空けてから気付いたように言った。
「お前は人混みで油断しすぎだ。お前の田舎は余程の安全な所だったのか?」
「んーーー」
日本は確かに治安がいいと言われている。
「そうかも。あんま意識したことなかったけど。人混みでもスリとか遭ったことないし。ひったくりなんて初めてだよ」
「……そうか。いい所だな。今度行ってみたい」
レオの言葉に、それは無理だと思う玲菜。
(レオを連れてったら絶対面白いと思うけど)
現代の日本にレオを連れていったことを想像して可笑しくなる。
(びっくりするだろうな〜)
まず、自分が帰れるかが微妙なところだが。それはショーンを信じるしかない。
階段が終わり、普通の道に戻って玲菜は荷物を自分に戻した。
「ありがとう。もう平気だから持つ」
二人で並んで歩きながら考える。
本当に自分は帰れるのか。できれば元の時間に戻りたい。
(お父さん、心配してるかな)
父には身内が自分しかいない。
焦っても仕方ないのはわかるが。
(今頃捜索願が出てるかもしれない。お父さんちゃんとご飯食べてるかな)
考えると不安になる。
「心配するな」
突然、レオが言った。
「え?」
心を読まれたようでドキリとする玲菜。
「故郷を離れて不安なのは分かるが、都もそんなに悪くないはずだから」
少し違うが、あながち遠くもないこと。レオは玲菜の不安な表情に気遣ってくれたのか。
「う、うん」
ありがたく思いながら玲菜は頷いて空を眺めた。
空はいつの間にか朱く染まり、同じ色で街を染める。
「わぁ……!」
高い場所から見ると夕焼けの空と街はまた絶景。色々な所から響いて広がる教会の鐘の音。
ふと、どこかで聞いたような……と感じる。
(どこだろ? ドイツ? ドイツでも聞いたと思うけど……最近もどこかで聞いたような……)
もしかしたら夢の中で。
そんなことを思いながら玲菜はレオの歩くあとについていく。そうして、二人はショーンの家に帰った。
玄関を開けてすぐに出迎えたのは猫のウヅキだった。ウヅキは「ニャー」と甘い声を出してレオに近付いたが、後ろに居た玲菜の姿を見てびっくりして逃げ出した。
「ああ〜。逃げなくてもいいのに〜」
玲菜が嘆くとレオは荷物を床に置いてウヅキに近付く。
「ウヅキ、おいで」
ウヅキは少し警戒しながらレオに寄り、レオがウヅキを抱き上げた。
「ウヅキは人見知りだからな。それに俺のことを愛しているから、他のメスに嫉妬してるのかもしれん」
「嫉妬って……。ウヅキは女の子なの?」
そう訊く玲菜に近付くレオ。彼は抱っこしたウヅキを玲菜に近付けさせた。
「ああ。触ってみるか?」
玲菜はお言葉に甘えてウヅキをそっと撫でてみる。レオに抱っこされている彼女は逃げずに大人しくしていたので玲菜は猫の柔らかい毛と表情に癒された気分になった。
「かわいい〜〜! 私、猫大好き! 飼ってなかったけど」
玲菜は子供のころから猫が好きでよく捨て猫を拾ってきていた。しかし父が苦手だったので結局飼うことはできなかったことを思い出す。
そこに、奥の部屋からショーンが出てやってきた。
「おお。お帰り〜二人とも」
出かける前と服の違う玲菜を見て目を丸くする。
「レイナ! 服を替えたのか。似合うじゃないか。凄く可愛いぞ」
「え!?」
ショーンの褒め言葉に玲菜は照れて真っ赤になった。
「あ、あ、ありがとう。あの、……レオが買ってくれて」
顔が赤いのがバレやしないか動揺してついどもるし、恥ずかしくて俯く。
「そんなことより腹減った」
お腹が空いて機嫌が悪いのか、レオはムスッとしながら買った食材を持って台所へ行く。玲菜も自分の持っていた食材を台所へ運ぼうとすると、ショーンがそれを持ち上げる。
「結構買ったな、二人共。冷蔵庫に入るか〜?」
玲菜の代わりに食材を持ったショーンの後をついて、台所に行く玲菜。
そこではレオが銀色の横長な台のような箱を開けて生ものから先に食料を入れていた。しかも上から。大きさはおおよそ高さ50センチ、幅80センチ、横100センチといったところか。
(え!? あれが冷蔵庫!? どういう仕組み?)
自分の想像する形と違うし、思ったより小さいというかなんというか。
レオは買ってきた物を全ては入れず、残りは別の場所に入れるようだ。
「これは貯蔵庫に置いとく」
そう言って床にある取っ手を引き上げ、床下収納を開ける。床下収納といっても、玲菜の家にある大きさとは違い、こちらには地下への階段がある。いわゆる地下室だ。
(すごい! こっちにも地下室あるんだ)
荷物を持って階段を下りるレオ。玲菜が覗いてみると、涼しげな地下空間に木箱と大量の酒。
(うわっ! お酒がいっぱい)
これは恐らくレオの物か。
食材を地下倉庫の木箱に入れて戻ってきたレオの手には酒瓶があった。
「これ、あとで飲むから冷やしておく」
なんだか嬉しそうだ。
レオは酒を冷蔵庫に入れると、片付いた流し台に初めて気付いて声を上げた。
「うわっ! なんだこれ。綺麗になってる!」
「レイナがやったんだよ」
ショーンの言葉に玲菜を見て少し感心したような顔をした。
「ふーん。凄いな、お前」
若干上から目線な気がするのは皇子だから仕方ないのか。
「よーし、キミたちご苦労さん。じゃあ後はおじさんが夕食作ってやるから」
機嫌よくショーンは服の袖をまくる。玲菜は悪いような気がしたが、レオは当たり前のように自分の食べたい物を注文した。
「今日は魚の生肉がいい」
魚の生肉とは何かと考えている玲菜にショーンが訊く。
「レイナは?」
「え? あ、私は……なんでもいいよ」
「魚の生肉食べられる?」
質問されて、頭の回転を速くする玲菜。
(魚の生肉って? 生魚のこと? 生魚は嫌だよ)
よく“踊り食い”などという言葉を聞くが、玲菜的に絶対に無理な食べ方。生の魚のことをよく考えていると、ようやく連想できるものが思い浮かんだ。
(ちょっと待って? もしかして刺身? あれって要するに魚の生肉?)
生肉と聞くと豚や牛の生肉が思い浮かんでイメージわかなかったが。魚の生の肉を考えていくと確かに刺身に行きつく。
「あ、うん、食べられるよ」
半分不安だったが、返事をしてみる玲菜。これで違う物が出てきたらアウトだ。
「よし、わかった」
ショーンは調理台の上にあるランプをマッチの火で点ける。
この家には電気があったはずだが。台所では電灯は無いのか。そのまま窓を開けて、調理台の下の棚から包丁とまな板を出す。
「鮮度のいい魚買ってきたから」
レオはそう言うと居間に向かい、ソファに寝転がる。
自分はどうすればいいか分からない様子の玲菜に冷蔵庫を開けながらショーンが言った。
「できるまで向こうの部屋で待ってていいぞ。飯は炊いてあったから、すぐだし」
しかし、何をして待っていればいいのか分からない玲菜は壁に寄り掛かった。
「あ、ここで見てていい? 料理に興味があって。邪魔じゃなかったら手伝うし」
こんな時、現代ならばテレビやパソコンやゲームや……色々と待っている手段があるが。ここでは何をして待っていればいいのか分からない。
「ん? ああ、別にいいぞ」
ショーンは冷蔵庫から魚の入ったガラスの容器を出してまな板の上に置いた。ガラスの容器から魚を出して眺める。
「確かに。これはいいな」
言ったあと手際よく魚を丁寧にさばき始める。まるで料理人のようだ。玲菜はその包丁さばきに感動した。
(す、凄い、ショーン。うちのお父さんも料理うまかったけど)
若干グロいが、見惚れてしまう。
(魚ってああやってさばくんだ?)
玲菜も小さいころから料理を手伝っているが、基本的に魚は切り身などを買っていたので自分でさばくのはやったことはなかった。まれに父が釣ってきた魚を調理するということがあったが、その時も生きている魚が切られるのを見るのが怖くて見られなかったし。
感動している間に調理は終わり、見事な刺身がそこにあった。
(やっぱ刺身だったんだ!)
魚の種類は何なのか分からなかったが、美味しそうだ。
(お刺身大好き!)
テンションの上がる玲菜。
その後ショーンは鮭をさばいて切り身にして焼いて、夕飯は魚づくしの日となった。調味料は醤油にほぼ近い物があったし、茶碗ではなく、皿の上に乗せているがご飯もある。それに卵焼きまで出てきて玲菜は満足にご飯を食べられた。ショーンは料理の腕があるようで、昼に入った食堂よりも美味しい気がした。
そして食べ終わったら片づけて、玲菜はまた風呂を借りる。
玲菜が風呂に入っている間、居間で酒を飲んでいたレオにショーンは訊いた。
「レイナのこと、気に入っただろお前」
途端に、飲んだ酒でむせこむレオ。
「な、なんでだよ。なんで俺が。あんな田舎娘を」
「田舎娘?」
「なんでもかんでも珍しそうにしてた。おまけにスキだらけだし。今日は危うく物を盗まれそうだったし」
「へぇ〜」
ショーンは話を聞いて真面目に言う。
「そうなんだ。彼女はこの町のことを良く知らないから。お前が守ってやってくれ」
「はあ!?」
レオはムキになって返す。
「なんで俺が。自分で守れよ。大体、手を出すなって言ったり、守れって言ったり、どっちなんだよ」
そのセリフにはショーンはつっこむ。
「手を出すのと守るのは違うぞ? 手を出さないと守れないのか? お前は」
うまく返せなく、ぐいっと酒を飲むレオ。
「……だから、そうじゃなくて。オヤジがあいつのこと好きなら、守る役目は自分でやれって言ってるんだよ」
「お前勘違いしてるな」
ショーンは「はぁ」と溜め息をつく。
「俺は別にレイナに恋愛感情は無い。でも、自分の娘のように思う感情はある。……そういうことだ。お前が今日彼女のことを気に入ったなら大事に守ってほしい」
「でもあいつはオヤジのこと好きだぞ。多分」
言われて焦りだすショーン。
「え!? それは駄目だ。いや、好きって、父親のようにってことだろ?」
確かにそういう風に言っていたが、レオには二人が両想いに見えて物凄く面白くない。
「本人に訊いてみろよ」
「ああ……いや、……うん」
ショーンが明らかに動揺している風に見えるのは気のせいか。ますます面白くないレオは更に酒を飲んでから思い出したように言った。
「そうだ。今日、市場で妙な奴が居たんだ」
「妙な奴?」
「ああ」
市場で自分のことがバレた時、変な視線があった。気付かないフリをしたが。
「身に覚えは?」
ショーンに訊かれて、レオは笑う。
「ありすぎる。皇族関係かもしれないし、戦争で家族を失った者かもしれないし、不法入国のスパイかもしれないし、あるいは俺のことが好きな女かも」
「レオ……」
最後の言葉には呆れたが、心配しているショーンにレオは酒を注いだ。
「昔から命を狙われすぎてるから慣れてる。後はつけられなかったから良かったが、つけられていたら俺はここに帰らない」
注がれた酒を一口飲んでショーンは彼に言う。
「俺は家族だから、余計な気は遣うなよ。それより、今日はもう酒はやめとけ。明日に響く」
明日はレオにとって大事な用がある。
「別に響いたっていいさ。陛下に会うだけだから」
陛下というのはレオの父親であるアルバート皇帝だ。
「でも陛下はともかく、サーシャにも会いにいくんだろ?」
それを聞いてレオはようやく酒の手を止めた。
「……そうだな。二日酔いで母上に会うのは失礼だな」
しばらく黙ってからショーンに訊く。
「オヤジは母のことを……」
しかし、レオは苦笑いで首を振って、続きを訊くのをやめた。
「いや、なんでもない」
立ち上がり、ウヅキを呼んだ。
「ウヅキ、おいで」
ウヅキはソファでうずくまっていたが、声に反応してレオの後を追う。
「お前風呂は?」
「明日入る。今日はもうウヅキと一緒に寝るから」
そう言って部屋に戻るレオにショーンは冗談半分で声をかけた。
「今日は女の所には行かないのか?」
振り向いて、慌てたように言うレオ。
「行くかっ! 俺はそんなに女の所にばっか行っているわけではないぞ。もちろんレナの所にも行かない。今日はそんな気分じゃない」
レオが妙にムキになって否定したので疑問を感じたショーンは後ろに気配があることに気付いて振り向いた。
後ろには風呂から上がった玲菜が髪を拭きながら部屋に入ってきていた。
「お湯、お先にありがとう。次はレオが入るの?」
レオは返事もしないでウヅキを抱っこして自分の部屋へ入っていく。
玲菜は聞こえなかったのかと思い、そのまま居間のソファに座った。ショーンは彼女が着ている服に注目する。
「その服も買ったのか?」
水色の長そでシャツとズボン。服屋で寝間着にと店員に勧められた物だ。
「うん。パジャマに。ショーンはお風呂入らないの?」
残りの酒を飲みながらショーンは答えた。
「ああ、もう少ししたら入る。レイナは俺とレオの会話聞いてたのか?」
「え?」
玲菜は思い出す。
「レオが今日は女やレナの所には行かないって言ったところだけ」
「ああ、そうか」
ショーンは「ふ〜ん」と頷いたが、玲菜はレオとレナのことが心配になった。
(シリウスとレナは仲良くしなきゃいけないのに! レオってば何してるんだろ? ちゃんとレナと付き合ってるのかな?)
今までに聞いたショーンとレオの会話を思い出すと、女癖が悪そうにも感じる。
(それじゃあ、レナがかわいそう! レナは一途なのに)
自分の小説のヒロインのことを考える玲菜。ふと、ある疑問を感じた。
(待てよ? ここの世界でのレナってどうなんだろ? 私の小説と性格同じ?)
シリウスは性格が全く違った。急に不安になる。
(もし、高慢な女とかだったらどうしよう。すっごい性格悪いとか)
気になったら確かめたくなった。
「ね、ねぇ。レナってどこに居るの? 私会ってみたいなぁ」
「え?」
ショーンは一旦レオの部屋を見てから言った。
「あーそっか。そうだな。今度レナの所へ行ってみるか?」
「う、うん」
少し緊張する。レナが一体どんな娘なのか。玲菜は色々と想像しながらショーンと今日の出来事を話して、それから自分が与えられた部屋に行って眠りについた。
ベッドの布団はフカフカではなく、しかも少しホコリっぽかったが、美味しいご飯を食べてお風呂に入ったせいかぐっすりと眠ることができた。