創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第二部・第四十七話:サイの都]
前の戦いでは旧世界の兵器をすべて破壊していた。
そもそも最初に壊したのはただの大砲であり、ショーンが『火炎放射砲』と勘違いしていたのはさておき。
次に、改造済みだったガトリング砲も破壊成功。
地雷や改造されていなかったガトリング砲には犠牲を多数出しながらも回収後解体。
城門を突破した後に出てきた改造済みガトリング銃(マリーノエラは砲として数えていた)も手榴弾《てりゅうだん》発射銃の擲弾《てきだん》を命中させて壊し。
周りを火の海にした火炎放射銃も苦戦しつつ破壊。
更に、もっとも恐れたロケットランチャーは改造されてあって最悪な事態は免《まぬが》れた。
すべて壊したと勘違いしたショーンの命を奪いそうになった拳銃も最後に破壊。
七つの未知の兵器は無くなり、悪夢は過ぎ去ったともいえる。
ただ、再戦において問題は山積み。
第一に兵力が大分落ちている事。
フェリクス及び近衛隊と戦うのはバシルと緑龍騎士団の気が進まない事。
偽皇帝出陣という、レオを誘き寄せる罠にみすみす飛び込むという事。
総じて士気が低すぎる事。
敗けたら奪還軍は終わりで、レオは捕われずに殺されてしまうだろう。
もし逃げ果《おお》せても、立て直すことは不可能。緑龍城も押さえられてひっそりと暮らすしかない。残党狩りに怯えながら。
その場合、民衆の間で広まっている反乱分子も革命を起こせ得ずして終息していくと思われる。
再戦前夜。ショーンは眠れずに外へ出て、夜風に当たりながら考え事をしていた。
空を見ると明日が良い天気なのは予想できる満天の星。
ちょうど半分輝く月を見て娘たちのことを考えた。
(玲菜たちは今頃、どうなっているか。危ないことになっていなきゃいいけど)
恐らく都に到着した頃であって、とにかく護衛の朱音を信じるしかない。
あとは、完全回復していないレオの体も心配だ。
(戦うことはできても、背中の痕《あと》が気になるし。精神面もちょっと心配だな)
偽皇帝と対峙して、果たして冷静でいられるか。
シリウスの剣の使用だけは絶対に阻止しなければならない。
そのためには作戦の成功が鍵を握っている。
これから欠けていく下弦《かげん》の月は、静かに野営地を照らし続けていた。
―――――
一方その頃。
同じ月を眺めている娘が一人、泊まっている宿の部屋の窓近くに立ち、想いに耽《ふけ》っていた。
娘というのは玲菜であり、都近くの町に夕方少し前くらいに到着。
明日からいよいよ都に入るというので早めの就寝と決めたのだが、なかなか眠れずにベッドから出たところだ。
ミリアはもうぐっすり寝ていて、いつも見張りをしている朱音も今日は一緒の部屋でベッドに横になっていた。
但し、彼女は何かの気配があればすぐに起きられるらしく。
玲菜が起きて窓の近くに立った気配で案の定に起きてしまった。
「レイナ様? 眠れないのですか?」
ちなみに彼女の寝間着は普段の黒装束に近い物であり、寝ている時も武器を所持している。それこそ武器は、体を洗うと言った時もバスルームにまで持っていき、常に警戒しているよう。
玲菜は自分が起きたことで朱音を起こしてしまったと申し訳なく感じた。
「あ、朱音さん。すみません」
「何を謝っているのですか?」
「あの、起こしてしまって」
おずおずと玲菜が答えると朱音は優しく微笑む。
「そんな、謝る必要無いですよ」
「でも私、朱音さんにいつも迷惑掛けてて……」
「迷惑?」
首を傾げる朱音に、俯きながら玲菜は言う。
「私、いつも朱音さんに助けてもらってばかりで。でも、私が朱音さんを助けることって無いし。本当にお世話になってばかり」
「え!?」
朱音は立ち上がって歩いてきた。
「私《わたくし》も、レイナ様には十分助けられていますよ。たとえば先日の戦でも」
「戦?」
戦なんて、絶対に朱音を助けるはずがないと思った玲菜はびっくりしたが。
「レイナ様が居なければ陛下を止めることができませんでした。ありがとうございます」
つまり、レオがシリウスの剣を使った時の事であり。
礼を言われるとなんだか恥ずかしくなる。
「あ、あれは……私も夢中でしたけど、本当は敵兵も居て危なかったかも」
玲菜は照れつつも、自分の隣に並んだ朱音を見て、ふと質問をした。
「ところで朱音さんって、なんでレオの護衛をしているんですか?」
もしかしたら秘密の事であって、まずい質問をしたかもしれないと直後に思ったが、意外にも平然と朱音は答える。
「私の家系は代々皇家に仕える忍びの一族でして。私も物心ついた時には修業を積んでいましたので、当然のように仕えた……と言いますかね」
他にもそういう一族は結構居て、もちろん家柄関係なく忍びをやっている者も多々居るという。
密偵や陰で活躍するのが多いというだけで、貴族の騎士と扱いや身分に差異はそれほど無いらしい。
皇帝や皇家の家臣には違いなく、表には出ないがむしろ腹心的存在であったりする、と。
「ただ私は、最初アルバート様付きではなかったのです」
爆弾発言にも思える事をサラリと告げる朱音。
「予定では、カタリナ様の長男で……つまり、クリスティナ様の兄であるセイリオス様に仕えるはずだったのですが。私が就任する直前に、セイリオス様は事件に巻き込まれて」
「事件……?」
まず、セイリオスという名を初めて聞いてドキリとする玲菜。
(セイリオスってどっかで聞いたような)
一瞬、偽皇帝の疑いがかかっている者の名が浮かんだが、そうではなく、もっと違う形で引っかかるような。
答えを、朱音が言った。
「セイリオス様の名前の由来は『シリウス』だったからか、狙われることが度々あったのです」
「あ!!」
そうだ。
シリウスだ。
レオもしょっちゅう命を狙われていたが、帝位継承権問題の他に『シリウス』という名にも原因があると聞いたことがある。
神話の英雄の名は、民衆の心を惹きつけると同時に、同じ神話を宗教として信仰する他国から目を付けられる。
(だから事件に?)
なんの事件かは分からないが、セイリオス皇子は巻き込まれてしまった。
(っていうか、クリスティナさんのお兄さん!?)
そういえば、クリスティナの母親にも息子が居たという話をどこかで聞いた憶えを思い出す。
どこだったかは忘れたが、一つ思い出すとどんどん別のことも思い出していった。
クリスティナの母・カタリナは病気だということ。
その原因は確か……
(あれ?)
思い出していき、段々と怖くなる玲菜。
(もしかして、息子さんが亡くなったから、ショックでって聞いたような)
要するに、朱音が仕えるはずだったセイリオス皇子はカタリナの長男(クリスティナの兄)だったが亡くなってしまい。
(え、ちょっと待って!?)
確かに、息子が死んで母親が臥《ふ》せってしまうのは分かるが、それよりも……
(実は亡くなった理由が事件に巻き込まれたから?)
気付いた途端に玲菜は背筋が凍った。
もしかしたら以前にも少し疑ったかもしれないが、事件がまさか『暗殺』だったらどうする。
彼が『シリウス』に因《ちな》んでいる名のせいで!?
(そんな! ひどい!)
レオもまた、『シリウス』の名のために暗殺されそうになることが多かった。
ただ、セイリオス皇子の死因が暗殺事件ではまずいので、民衆には伏せられたのか。
そこまで考えて首を振る玲菜。
自分の勝手な憶測はしない方がいい。しかももう昔の事だし。
頭の中の考えを振り落していると、朱音がゆっくりと続きを話す。
「私はセイリオス皇子の護衛に就任していませんでしたが、事件の後に隣国の密偵の疑いをかけられて、危うく無実の罪で処刑されそうになりました」
就任のタイミングが悪かったのか、冤罪《えんざい》で捕まった彼女。
「しかし、宮廷に来たばかりのサーシャ様によって、私は助かったのです」
「え?」
サーシャはレオの母親。
ここに二人の繋がりがあった。
そして朱音は、サーシャに感謝してレオの忍びの護衛となった。
命を懸けて恩人の息子を守り、仕えようと。
「――以上です」
話を聞いた玲菜は、レオの護衛になった理由よりも、亡き皇子の事件の方が印象に残ってしまった。
相変わらずのずさんな容疑のかけ方に呆れ返るやら腹が立つやら。
危うく朱音は冤罪で殺されるところだった。
(なんでもっとしっかり調べないんだろ。裁判もちゃんとしたのは無さそうだし)
以前に自分も密偵の容疑で捕まった事を思い出す玲菜。
あれは大きな陰謀の罠だったわけだが。朱音の話した事件にも何かがありそうな気もする。
ただ、今更憶測しても仕方ない。
昔から皇家には陰謀がつきまとうのだろう。
玲菜は話してくれた朱音に礼を言った。
「そうだったんですね。話してくれてありがとうございます」
「いいえ」
朱音は微笑み、睡眠を促した。
「レイナ様、どうかお休みくださいますよう。明日には都に入りますので、しっかり休んでいただきたく思います」
「は、はい! そうですよね」
慌てて玲菜がベッドに入ると、会釈をして朱音もベッドに戻る。
しばらくの間、玲菜は明日の緊張とレオたちの心配で眠れなかったが、ずっと目をつむっていたらやがて眠りに就き。
夜は更《ふ》けていった。
―――――
翌日。いよいよ、再戦の朝。
相手に先手を取られないように夜明けすぐから出撃の準備をする。
「今度こそ勝つぞ!」と意気込む者も居れば、「結果は同じだ」と不安を隠せない者も居て。
士気は微妙な感じだ。
それでも兵たちに緊張が走り、各隊の隊長による激励等があれば徐々に気合いは入っていく。
敵側の最新の状況を黒竜から報告されたショーンは、レオに演説もさせずに兵を出させる。
どうやら向こうも戦闘準備しているらしく。けれど、こちらに攻めてくる様子ではないとの事。
恐らくこちらの動きが密偵によって報告されて、迎え撃つ準備をしているのだと予想できる。
それなら好都合だとショーンはホッとした。
『幻覚作戦』が実行可能になる。
やがて、レオやショーンも緑龍騎士団らと共に野営地を出て。鳳凰城塞までの短い距離を移動。
ついに以前と同じ“砂上の砦の手前”まで来て戦闘配備をした。
すでに相手からは威嚇砲撃が始まっている。
爆発音は地響きと共に辺り一帯に広がる。
兵たちは自ら怯えないように喊声《かんせい》を上げて気持ちを高ぶらせた。
ただ、今回は重要な作戦を成功させるために勢いのある総攻撃ではなくじわじわと攻城していく必要がある。
根比べ的な要素も入っていた。
前と変わらず第一陣を任せる砂族と砂狼《さろう》の団長・レッドガルムにショーンは念を押した。
「無理せず自己判断でも後退してくれ。血の気の多い砂狼の連中はイライラするかもしれんが、頼むよ」
「わかっております。部下たちには我慢させますゆえ」
炎のような赤い髪の男はニッと笑って兜を被る。馬鹿でかい斧槍《ふそう》を担いで前衛に向かった。
レッドガルムを見届けた後、ショーンは自分の横に居る白銀《しろがね》色マントの男に声を掛けた。
「レオ。平気か?」
「ああ、問題ない」
見つめる先は敵軍であり、砦の奥に居ると思われる偽皇帝を睨むような目つきをしている。
「やっとあいつを処刑できると思うと腕が鳴る」
若干《じゃっかん》憎悪を感じて、慌てて注意するショーン。
「レオ!」
勝手な行動をされたら困る。
「分かってるよ」
レオは怒られるのが面倒くさい子供のように言った。
「作戦には従う。シリウスの剣も使わないし」
緑龍城の在る方角を見て恋人を想った。
「アイツと約束したんだ」
「ああ、なるほど」
ショーンは誰のことかすぐに分かったが、娘が居るのは緑龍城ではないことに後ろめたさを感じる。
しかし悟られないように黙って配置に就いた。
レオの斜め後ろには、朱音と白雷の代わりの忍び兵がついていた。
風は吹き抜けて赤い砂を舞わせる。
視界が悪くなると砂族にとっては有利となる。
彼らは武器を構えていつでも出られるといった様子だ。
掩護《えんご》射撃の準備も万端。
大盾が次々と置かれて簡易防壁も作られる。
投射機の巻き上げ機は回されて、大砲には弾が込められる。
あらかじめ掘られた溝には燃料が流されて射出攻撃用の火が放たれた。
その火を使い、長弓の矢は火矢に化ける。
砂を舞わせる風は軍旗をなびかせ火を勢いづける。
燃え盛る炎とは裏腹に、軍総隊長は静かに命令を下した。
「第一陣、突撃を開始しろ」
レッドガルムや各隊長の号令が一斉に入り、掩護射出が放たれると同時に第一陣は突撃した。
大砲の轟音《ごうおん》が響き、兵たちの怒号と合わさる。
この戦いを守り切れば反乱組織を壊滅に追い込めると向こうも分かっていて、鳳凰城塞側の迎撃《げいげき》も勢いが大きい。
しかも、相手側には『シリウスが来た』という心強さが相乗効果を生み、より士気が盛んになっていた。
我らの後ろには守り神が居る、と――。
*
一方その頃。
鳳凰城塞と遠く離れたサイの都では“上”と“下”を隔《へだ》てる大壁《だいへき》の通路にて、二年前より厳しくなった検問を通るための列が人と馬車の両方でできていた。
豪華な馬車に乗った玲菜とミリアは『都に観光に来た地方のお金持ちの娘』のフリをするために、用意されてあったドレスを着て緊張しながら順番を待つ。
都に入る時の帝都壁《ていとへき》では簡単に通ることができたが、果たして大壁の通路はどうだろうか……二人はドキドキして座っていた。
ちなみに朱音は、金持ち娘たちの付き人という設定で、侍女《じじょ》のような格好で馬に乗り一緒に通る予定。左腕は義手をして手袋を填めて誤魔化した。
いよいよ自分たちの番になり、検問兵たちは馬車の荷物を調べる。
荷物には怪しいものなど無いので調べられても別に良いが。
玲菜は検問兵たちの持っている指名手配の似顔絵が気になってチラチラと見てしまった。
するとミリアも気になったらしく。
ただ、彼女は似顔絵を見てつい「あ!」と大声を上げてしまう。その顔が自分の知り合いによく似ていた為に。
それもそのはず、似顔絵は二年前のレオとショーンとレッドガルムであり。
声を上げたことで検問兵には不審そうに見られてしまった。
「どうした? お尋ね者に知り合いでも居たか?」
「い、いいえ」
誤魔化そうとしたが妙に動揺してしまった二人は検問兵たちに怪しまれる。
混乱する中、玲菜はとっさにあることを言った。
「あ、あの、似てたんで」
「え!?」
ミリアは慌てたが、これは玲菜の苦し紛れの作戦。
「こ、こ、皇帝陛下に!!」
似顔絵はレオなので、皇帝陛下に似ているのは当然であり。
察したミリアは話を合わせる。
「ああ、そうなんです! 皇帝陛下にそっくりだったから。わたし……ワタクシたち、アルバート様の大ファンなんですもの」
皇帝陛下に似ている似顔絵につい反応してしまったという設定。
検問兵はまんまと騙されてくれた。
「ああ、なるほどな」
呆れて二人に言う。
「似ているけど、皇帝陛下のわけあるはずがないだろう。まったく。こっちは反逆者なんだからな。世間知らずのお嬢様か知らないけど、滅多な事言うもんじゃないよ」
「そうですわね、オホホホホ」
なんともうさんくさい演技をした二人だったが、運よくその場は凌《しの》ぎ。
無事に通過しようとした矢先――
一緒に通ろうとしていた朱音を見た検問兵が似顔絵と見比べて引き止める。
「ちょっと待て、そこの従者」
似顔絵の中には朱音と思われる顔もあり、二年前の為に頬の傷も無かったがもちろん似ている。
「……似ているな?」
ただ、資料の方に『片腕負傷の可能性』と書いてあるらしく、首を傾げて朱音の両腕を見た。
義手は長袖と手袋で隠している。
玲菜とミリアは調べられやしないかハラハラしたが……
「いや、違うだろ。よく見ろよ」
もう一人の検問兵が笑いながら、疑う仲間の肩を叩く。
「え、でも、念の為確認……」
「いいよ、オレには分かる。こんな美人が反逆者の仲間のはずないよ。後が詰まるし、早くしようぜ」
鼻の下を伸ばした検問兵のおかげで、なんとか通り抜けることができた。
そして大壁を見事に突破。無事“上”にたどり着く。
後から朱音もやってきて合流するとミリアが「はぁ」と大きなため息をついた。
「あ〜〜良かった〜。美人に弱い検問兵のおかげで助かったわね〜!」
「そうだね!」
玲菜も頷いたが朱音は俯き、深刻な顔をしている。
二人が顔を覗き込むと気難しそうに話した。
「うかつでした。結構手が回っているようです。救出作戦は簡単にはいかないかもしれません」
その言葉で二人に不安が走ったが、慌てて付け加えた。
「でもショーン様はこの事も計算されていたようですので」
「え?」
一体どこまで軍師は計算しているのか。「さすがショーン様」とうっとりするミリアと少々怖く感じる玲菜。
父の思惑は分からないが、とにかく作戦が成功する事を祈ってまた馬車で進む。
宮廷に入るのは難関であり、心配だけれども一先ず窓から町の様子を見た。
――そこに在ったのは二年経った都の景色。
相変わらず建物が多くて綺麗な街並み。……と、思ったが、巡回している兵士がやけに多い気がする。おかげで外を歩いている人が少ない気がするし、賑やかだった通りも妙に静か。
玲菜とミリアは顔を見合わせた。
「ここって都だよね?」
「うん」
建物は二年前とほとんど変わっていないのに、雰囲気が明らかに違う。
店の戸はこんなに閉まっていただろうか。
住居もそうだ。
商店街の大通りがどうしてこんなに静かなのか。いつもたくさんの人が歩いていたのに。
そういえば、外で遊んでいる子供が少ない。
馬車からでも、見て分かる変化に動揺する二人。
まるでそっくりな別の町のようだったが。
凄く見覚えのある通りに出て、玲菜は声を上げた。
「ここ! うちの近く!!」
そうだ。二年間誰も帰っていないショーンの家の近く。
ただ、ショーンの家に帰るのは(見張りが居る可能性があるので)禁止だった為に近寄れない。
玲菜はさみしそうにショーンの家の影を見送った。
やがて、人々の憩いの広場に着き。一旦馬車は停まって休憩とする。
二人はドレスのまま馬車を降りて伸びや深呼吸をする。懐かしい広場を見回した。
ここへはよく遊びに来ていた。ミリアの働いていたパン屋も近くにあったし、レオとのデートもここを散歩した。
広い石畳と小さな水路や噴水が綺麗で、恋人たちや家族がいつもたくさん歩いたり休んだりしていた場所。
食べ物の屋台もいっぱいあって、美味しそうな匂いが漂っていた。
大きな教会の鐘の音を聞きながら、日除けテントの下のテーブルに着いて食事をしたり、ベンチに座ってお喋りを楽しんだり。
二人は、二年前より大分静かになったこの広場で、都は変わってしまったのだと悟る。
楽しそうな恋人たちよりも兵士の方が多く歩いている気がする。
いろんな国の人間が居た気もするのに、目立つのは威張って歩く茶色い髪の人間たち。
玲菜はまだ人種の区別がそんなにつかないのだが、ミリアがポツリと言った。
「あれってエニデールの人たちかな」
黒い髪の人間もヤマトの民とは少し違う雰囲気がある。
国家は無く、帝国では入国が認められていなかった。しかし実際には多くのエニデール民が不法に住んでいたらしい。
『ユナ』もその一人でしかも工作員であった。
彼女らの努力が実ったのか、皇帝の変わった今では、エニデール民は特権階級となっている。
帝国の人間は突然、うろつく兵士や彼らに怯えて暮らす日々を強いられた。特に古来ヤマトの民は酷い扱いを受けるので外国へ亡命する者も出る程。
外へ出て、因縁を付けられる事を恐れた人々は家に籠るようになる。
だから、都は静かになった。“下”ならまだしも、“上”はあからさまだ。
現実に自分の目で見て、暗い気持ちになっていた二人に、朱音が近くの店で買ってきたパンを渡した。
「休んでいる間、少し食べておきましょう。もうすぐ作戦を実行しますので」
「はい」
玲菜とミリアは、近くのベンチに座ってパンを食べる。その間朱音は「情報収集する」と、またどこかへ行ってしまった。
食べながら俯いたミリアは「これ、うちのパンかも」と自分の働いていた店を懐かしく思い出す。
そう、しんみりしていると、近くに居た若い女性がちらちらと何度もこちらを見てきた。
もしかしたら知り合いか? 大人しそうな娘である。
誰だろうと、玲菜が思っていると、二人の前に近付いてきて、おずおずと話しかけてきた。
「あ、あの……」
最初、ミリアの知り合いなのかと思った。もしかしたらパン屋の店員かと。
だが、その娘は玲菜の方に声を掛ける。
「もしかして、レイナ様でいらっしゃいますか?」
「え?」
瞬間的に記憶が甦った玲菜は、彼女が誰なのか……いつもと違う格好だったが、思い出した。
「メイドさん……?」
「やはり、レイナ様でいらっしゃいましたか」
「メイドさん!?」
そうだ。彼女は――レオの専属の使用人の一人で、掃除などを担当していた女性。玲菜と歳も背格好も近かったので、メイドのフリをした時に服を貸してくれて、他にもいろいろと世話をしてくれた娘だ。
確か襲撃事件の後に、レオは付いてきていた使用人を(フルドと給仕以外)全員辞めさせたらしいが。多分、その時に彼女も辞めている。
「え? メイド?」
隣に居たミリアが不思議そうに訊いたので教える。
「あのね、前にレ……アルバートの所で働いてくれていた人なんだけど」
「ああ! なるほどね」
玲菜は懐かしくメイドと話をした。
「お久しぶりですね!」
メイドと呼ぶのは失礼か。
「あ、あの、今更なんですがお名前なんていうんですか?」
訊ねると彼女は『クララ』と名を教えてくれる。クララは心配そうに訊ねてきた。
「レイナ様、こんな所で会えるなんて。今、何をなさっているのですか? 私、心配しておりました。陛下のことも……」
「あ、えっと……」
彼女に奪還軍のことを話すのは軽々しいか。
「アルバートは元気ですよ。今ちょっと、近くには居ないんですけど。クララさんは元気でしたか?」
差支えない形で玲菜が話を進めていると、思い立ったようにミリアが手を叩いた。
「ね、レイナ!」
良いことを思いついた、と。
「もしかして、クララさんなら詳しいわよね?」
「え?」
「宮廷に!」
あまり他人を巻き込みたくないと思っていた玲菜は、ミリアの考えに気付いたが慌てて耳打ちする。
「詳しいだろうけど、もしかして手伝ってもらおうと思ってる? 駄目だよそれは、危険だもん」
聞いたミリアは「それもそうだ」と思い直す。
しかし……
「あの、もしかして……陛下のことか何かですか?」
クララの方が勘付いて自ら言ってきた。
「もしも、困り事があったら仰《おっしゃ》ってください。私、できる限りの協力をしますから!」
彼女の目は真剣で逆に頼んできている。
確かに彼女は宮廷に詳しく、使用人ならではの裏の通路等知っているかもしれない。
顔を見合わせた玲菜とミリアは頷き合い、クララに協力してもらうことにした。