創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第七十一話:勘違い]

 

 そういえば、猛将軍の出身は帝国西側だった気がする。

 あの辺りは戦になる前のナトラ・テミスから移民してきた者たちが多く住んでいた。

 宮廷でも名を噂に聞いたことのあるバシルという男は、戦果の割に地位の低い軍兵だった。

 それどころか彼は、自分よりも圧倒的に弱い無能な上司からぞんざいに扱われていた印象を受けた。

 

 だから、当時の第三帝位継承権所有者・アルバート皇子が直々に、自分の部下になるよう命じた。臣下として、相応な地位も与えた。

 

 彼は忠誠を誓う際に、バシリスクという本当の名を教えてくれた。

 訳あって隠しているが主《あるじ》には知ってもらいたい、と。

 

 

「――あの時、隠し名があることは珍しくもないし、詮索しなかったけど」

 自分にも隠し名があったレオは、彼の出生などについて深く追及しなかったことを思い出す。一応一通りのことは朱音が調べていたし、名前如きを重要視するはずもない。

「無能野郎にぞんざいに扱われていたのも、理由があったんだな」

 優秀な部下に対するただの嫉妬かと思ったが違った。

「あいつの先祖が、ナトラ・テミスの移民だったからだろ」

 敵国の血の入ったバシルは差別されていたのだ。

 

 

 緑龍城に向かう渡し船の中で、レオは皆にバシルのことを話していた。

 皆というのはショーン、玲菜、タチアーナ、エドであって、昨夜『魔眼《まがん》の娘の子孫』のことを聞いた為についてきている。――といっても、ショーンは軍議に参加するのだから一緒に行くのは当然であり、玲菜もアヤメに会いにいく。

 タチアーナは昼間の姿だが、夜の記憶もちゃんとあるらしく、エドは彼女の護衛として同行している。

 ついでにウヅキも、アヤメの息子・ミズキと遊ばせるために連れてきた。

 

 ―――――

 

 珍しくも軍議より大分早い到着の軍総隊長に、バシルは驚きながらも出迎える。

 さっそくウヅキをミズキに預けると、軍議室ではなく小部屋にてバシルを交えた六人で話を始めた。

 レオは単刀直入に訊ねる。

 

「お前は魔眼の娘の子孫なのか?」

 

 余りにも単直すぎて、玲菜は彼を注意した。

「レオ! 前振りも無いのに!」

 

 一方、唖然《あぜん》とするバシルにレオはもう一度説明から入った。

「いや、ええと……」

 どこから話すか。

「ちょっと今、俺は調べ物をしていて……」

 そうだ。新顔の紹介もまだだった。

「あ、ここにいる二人は、帝国四賢者の一人だった預言者の姉と護衛で、手伝ってもらっているんだが」

「おお、預言者シドゥリ殿の?」

「そうだ。タチアーナとエドという」

 タチアーナも元預言者だということは伏せて続きを話す。

「調べている物に、ナトラ・テミスの『魔眼の娘』という伝説の女が関係してくるんだけどな」

 

「精霊術のことですか?」

 

 なんと、こちらから訊ねる前にバシルが答えた。

「そ、そうだ!! お前やっぱり!?

 それよりもレオは先に彼の事情を踏む。

「っていうか、悪い! お前の名のこと……ここにいる連中に話した」

「いえ、何の問題もございません」

 バシルは申し訳なさそうに言った。

「実は私も……。一族の名だけ受け継いで、精霊術のことはさっぱりなので」

「え?」

 愕然《がくぜん》とする一同に慌てて付け足す。

「いや! 全く知らないというわけではなく、ただ……なんせ、遠い祖先のことなので。自分もおとぎ話のように聞かされただけでありまして」

 

 精霊術のことを知っているということは、彼は恐らく『魔眼の娘の子孫』である。けれど、まさか術や石は伝わっていないのだろうか。

 不安な空気が場を包んだが、彼の次の説明で光が見えた。

「ただ、自分は『名前』ですけれど、『術』を受け継いだ血族がナトラ・テミスに居る……と」

 つまり一族全員が帝国に移民したわけでなく、向こうに残った者もいるらしい。

「どこに!?

 肝心な場所が知りたい。

「ここからですと北。砂岩山《さがんざん》のふもとの住みにくい土地だそうです」

 次に重要なこと。

「帝国の人間は入れるか?」

 

 バシルは口を閉じて俯《うつむ》いた。

「……残念ながら」

 要するに無許可区域だということ。

「ああ」と落胆する皆に、バシルは言い難そうに告げた。

「但し、方法が無いわけではありません」

 ――と、いうと?

「先に私の故郷へ行き、兄弟を頼ればなんとか……」

 

 

 

 最初、バシルが遣《つか》いを申し出た。

 けれど、戦が近いので無理となった。

 レオももちろん無理でショーンも無理。

 タチアーナとエドと玲菜が行くことになる。……いや、正確には危険だからという理由で玲菜は保留。ただ、本人は断固として行く気満々。

 一先《ひとま》ず国境越えは置いといて、バシルの故郷までならと許可が下りる。

 タチアーナの能力を駆使すればまぁ、平気か。

 

 軍議の時間になってしまった為に話はここまでで、バシルの故郷までの話はアヤメに訊くこととなった。

 

 

 約一ヶ月ぶりに会ったアヤメとは、まず世間話からする玲菜。次に、バシルの故郷への行き方を聞き、一緒にいたタチアーナは「ショーンの家に居候するのも悪い」という理由で空き部屋を訊ねた。

 すると、町の再建により町人が帰っていった為に部屋が空いたとのこと。そこは以前玲菜たちが借りていた部屋であり、ちょうどいいのでタチアーナとエドの仮住まいが決定した。

 

 その後、昼食を頂き、たわいない会話の続きを楽しむ女たち。

 家政婦の仕事に参加するのは明日からとして、夕刻頃帰ろうとすると、レオたちの軍議はまだ済んでいないというので先に自宅に帰った。

 

 

 玲菜は急いで晩飯の用意をしたが、終わるまでに帰ってこなかったので居間のソファで休む。きっともうすぐ帰ってくるだろうと思いつつ、疲れたのでそのまま少し眠ってしまった。

 

 多分うたた寝程度だったと思う。けれど物音に気付かないで寝ていて、目を覚ましたのは「うわぁあああ!」と、男の叫び声が聞こえた時。

 

 

「――えっ!?

 

 最初、誰の声だか把握できないまま起きた。

 自分が居間のソファに座って寝ていたと気付いて「はっ!」とする。

 今、何か叫び声が聞こえた? と認識すると同時に二階から声が聞こえた。

「どうした? レオ?」

 今のはショーンの掛け声で――とすると、叫び声の主はレオか。

 玲菜は確認せずに声のした方へ向かった。

(洗面所?)

 声の響き具合が風呂場に近かった感じ。

 

 彼の身の危険だろうか? 必死に走ってドアを開ける。そこで見えたのは――

 

 

 顔を赤くして固まっているレオと、……手で裸体を隠して止まっている夜姿タチアーナ。

 

 

 彼女の豊満すぎる胸が手なんかで隠れるわけもないし、いや、なんていうか……

 

 これが少年誌的同居の罠である『お風呂でドッキリばったり会っちゃった』の理想形態。しかもポロリ(巨乳)もちゃんとあった。

 

 現場を見る第三者的自分。

 

 玲菜は、ショックで頭が真っ白になりそうだったが、目に付いたタオルをすぐさまタチアーナに渡した。そして婚約者の頭をぶっ叩いた。

「なんでずっと見てんの!?

 

 多分、事故だというのは分かる。

 鍵を閉めなかったタチアーナと、知らずに開けて入ったレオ。

 でも、とっさに目を隠せと言いたい。免疫の無い男でもあるまいし。

 どうせ、あまりに凄い体だったから目が離せなかったのだろう。

 怒りが加わってかなり強い力を込めてしまった。

 

 ぶっ叩いた瞬間を目の前で見たタチアーナが軽く悲鳴を上げるくらい。

 

 直後、「どうした?」とショーンがやってきたので入ってこないよう注意した。

「ショーンは駄目! 来ないで! エドさんも」

「……ああ」

 タチアーナの姿が無かったのと、洗面所という場所に察したショーンはエドと一緒にその場を離れる。

 

 一方、あまりの痛さに頭を押さえて絶句していたレオは、玲菜に押されて廊下に出される。彼女も一緒に出て行き、居間に戻ると妙な沈黙が部屋に流れた。

 

 少ししてからレオが言い訳を呟く。

「……俺は悪くない」

 帰って洗面所に行ったら、裸のタチアーナが居ただけだ、と。

 

 居間のソファで玲菜がうたた寝していた頃、ちょうどタチアーナは風呂に入り、鍵の存在を知らなくて閉めなかった。エドは二階で、明日から緑龍城へ移動するために自分たちの荷物を整理していた。

 そこにレオとショーンが帰ってきた。

 ショーンは荷物を置きに自分の部屋へ行ったが、レオは汗を掻いた顔を洗うために洗面所へ行った。

 素っ裸のタチアーナとはそこでバッタリ出くわした。

 

 確かに彼は悪くない。というか、誰も悪くない。

「……分かってるよ」

 分かっているが、ショックだ。

 

 玲菜はタチアーナが服を着て出てくる前に二階へ駆け上がり、自分の部屋に入り込んだ。

「お、おい!」

 すぐにレオは追いかけたが、掴《つか》む直前でドアを閉められる。

「ああ、もう!」

 彼の中では「また昨日と同じか」という気持ちが沸き起こる。

 自分は悪くないのに、という気持ちも。

「なんでだよ!!

 

 玲菜もそれは分かっているが、今はショックの方が大きい。

 仕方ないとはいえ、動揺してすぐには割り切れない。

 思い出したくないが、二人はキスをしたことだってある。レオは受け身で、タチアーナは酔った勢い風に、一瞬。

 そんなつらい思い出まで連想しているとは知るはずもないレオは腹が立ってしまった。

 叩かれた頭も痛かったし。

「もーいーや。もういい」

 逆の立場だったらありえないほど不快になることには気付かずに。

「勝手に怒ってろよ!」

 

 

 

 ――結局その夜、玲菜は自分の作った晩飯も食べずに部屋に籠《こも》っていた。

 レオも無言で食事をして自分の部屋に入り、ショーンやエドは心配したが、二人の問題だからと口を出さなかった。

 ただ、タチアーナはベッドを借りるので部屋に入れてもらい、おずおずと謝る。

 謝られた玲菜は「タチアーナさんは悪くないし怒ってもいない」と言ったが、彼の言葉が胸に突き刺さって落ち込んでいた。

『勝手に怒ってろよ』と言われたこと。

(そりゃ、レオ悪くないもん。ああ言うよね)

 彼が面倒になって怒るのは当然だと思う。

(しかもあんな強く叩いちゃうなんて!)

 

 玲菜は謝らなければと思い、勇気を出して彼の部屋へ向かった。

 しかし……深呼吸してドアをノックしても返事が無い。

 寝てしまったのか。それとも、怒って返事をしないのか。

 何回かノックと呼びかけをして待ってみたが応答は無く……。

 諦めて部屋に戻った。

 朝、謝れば良いだろうと思って。

 

 

 

 

 ――だが、こういう時はいつもタイミングが合わなくなってしまう。

 レオは黒竜に呼ばれて、ショーン共々朝早くから緑龍城に行ってしまった。

 当然玲菜は謝ることはできなく、それでも自分も家政婦の仕事をする予定があったので準備をした。

 タチアーナとエドも荷物をまとめて一緒についていくことにする。彼女らは今日から緑龍城の部屋を借りる予定であった。そこは元々玲菜たちが借りていた場所で二部屋あるからちょうどいい。

 三人で食事をし終わると目的地へ向かった。

 

 

 そして、午前中に緑龍城へ着いた三人はそれぞれに分かれる。タチアーナ・エドは部屋へ。玲菜はアヤメの許《もと》へ行った。

 奪還軍の家政婦は鳳凰城塞《ほうおうじょうさい》の組織的な雰囲気とは違って、まだ人数も少ないし身内が多いので和やかな雰囲気があった。実質、戦も始まっていないからどことなくのんびりしている。

 但し、大所帯ではあるので何かと仕事は多い。

 家政婦の女性は、一つの係ではなく様々な仕事をこなしていた。

 

 玲菜も同じく。和気あいあいとしながらもいろいろな場所に行って手伝いをする。

 おかげで時間はすぐに経って、やがて夕刻になった。

 

 

 

 夕刻といってもまだ陽は落ちずに明るかった頃、外で洗濯用具を片づけていた玲菜の許へ、一人の大柄な男が駆け寄ってきた。

「レイナさん!!

 嬉しそうに走ってきたその男は、大柄といっても紳士的な貴族で……要するに茶色い髪のカルロス。すぐ後から小柄な金髪おかっぱ眼鏡のタヤマもやってきた。

「こんにちは、レイナ様」

「こんにちは」

 挨拶を返すと、カルロスは玲菜が手に持つ用具を引き寄せて自分が持った。

「重そうですね! 俺がやります!」

 返事をする前に、一緒に片づけをしていた女性たちの荷物も持って、タヤマにも持つよう促《うなが》す。

「我々に任せてください、御婦人方」

 その頼もしい様子に、家政婦の女性たちはうっとりとして喜んだ。

「ありがとうございます」

 彼はなんていうか、頭が弱いことを除けば気さくな紳士である。容姿も若干濃いが良い方だ。

「素敵ね、カルロス様」

 こそこそと褒めつつ、何かを悟った女性たちは玲菜に告げた。

「じゃあ、レイナちゃんはごゆっくり。私たちは先に行くわね」

 多分、カルロスとの関係を勘違いしている様子。引き止める前に彼女たちはそそくさと去ってしまった。

 

 仕方なく、用具をしまう場所まで案内する玲菜。

 彼は嬉しそうに荷物を運び、タヤマは二人と距離を空けて歩いた。

 

「それにしても、かなり日が長くなったし暑くなった!」

 少し汗を掻きながら話すカルロス。

「こういう時は湖でひと泳ぎしたくなります。もちろんこんな時間には入りませんが」

 笑いながら喋る彼に、素朴な疑問を訊ねる。

「カルロスさんは泳ぎが得意なんですか?」

 この世界では砂漠が多いせいか、得意な人間は少ない様子。

 彼は自慢げに胸を張った。

「はい! 昔は河の近くに住んでいた。アスールスにも海があって、凄く好きな町です」

 現在のアスールスの状態を思うと顔が曇るが、今は考えないことにする。

「ここでも湖があるので、時間がある時は少し泳いでいます」

「へぇ〜」

 そういえば、彼の別宅にもプールがあった。少し遊ばせてもらった記憶を思い出す。

(レオも水泳得意だけど、どっちの方が得意かな)

 ずっと水辺の近くに住んでいたカルロスの方が少し上かもしれない。

 

 

 洗濯用の小さな倉庫に着き、中で荷物を置きながら、カルロスは訊ねた。

「レイナさんも泳ぐのは好きですか?」

「え、えっと私は……」

 泳げなくはないが、好きというほどではない。ただ、暑い日は確かに湖に入りたい気がする。

 考えていると、彼が手を掴んできた。

「今度一緒に湖で泳ぎましょう! もし苦手なら教えますし。駄目ですか?」

「ええっ!」

 いや、手を掴まれるのは困る。

「あの……」

 玲菜が言う前に彼が「ハッ」と気付いて手を離した。

「す、す、す、すみません。つい」

 そんな風に動揺して顔を赤くされるとこっちまで赤くなりそうだ。

「いえ、大丈夫です」

 

 玲菜は『謝らなくて平気』という意味で言ったのだが、カルロスは勘違いした。

「え? 大丈夫? なら良かった! 俺はいつでもいいです!」

 湖で一緒に泳ぐ方向に。

「あ、でも、今日の軍議ですぐの出立《しゅったつ》が決まったから、ええと……」

 

「出立?」

 むしろ玲菜はそちらの方が気になった。

「出立って、アスールスに?」

 森の預言者の家でも、緑龍城に帰ったら早い時期に戦が始まると聞いたような。だからレオは、バシルたちに準備を進めておくよう、忍びに伝達させた。

「そうです。我が町を取り返しにいきます!」

 

 不安そうな顔をして俯く玲菜の肩を掴むカルロス。

「レイナさん……!」

「はい?」

「大丈夫です。俺は必ず帰ってくる」

 まっすぐな瞳で見つめる。

「帰ってきたら、さっきの約束……」

 

 

「約束ってなんだよ」

 

 

 ……ちょうどカルロスが真剣な表情で告げようとした時に、黒髪の男は入ってきた。

 暗くて狭い倉庫の戸を開けたから光が入り、顔が見える。

 ――それはまさしくレオで、明らかに怒った顔。

 

「うわぁ! あ! レオ様!!

 カルロスは仰天して、慌てて玲菜の肩から手を離す。

 

「外にいたタヤマを絞め上……訊いたら、中だって言うから。まさかとは思って来たけど」

 レオは下を向き、静かに言った。

「……家政婦の女たちが言っていたことも、あながち嘘ではなかったんだな」

 

「え……?」

 

「こんな風に、隠れてコソコソと……」

 彼が何か勘違いしては困るので、玲菜は弁解した。

「隠れてコソコソって違う! 私たちは洗濯用具の片づけをしてただけ」

「片付け!? 肩を掴んで見つめ合うのが片付け?」

 彼はまるで裏切られたかのような眼をしていた。

 それがあまりにも冷たくて、玲菜はショックを受けた。

「違うよ、レオ! 出立の話を聞いたの。だから私、心配で……」

 正直、玲菜が心配だったのはレオのこと。もちろんカルロスのことも心配だが、レオと離ればなれなのは嫌だし、『呪い』の不安もある。

 

 けれど実は、今回の戦は一先ずカルロスや水上戦が得意な隊の出軍であって、レオはまだ出立しない。

 玲菜が、出立の話を聞いて心配しているのはカルロスの身だと――捉《とら》えられる。

「何が違うんだよ」

 やはりそうなのだ。と、レオは確信して惨めな気分になった。

(いつの間に?)

 こんなこと思いたくないのに。

 いつの間に、二人は仲良くなったのだろうか。

 少なくとも、あまり会ってはいなかったはず。

 ただ、カルロスが好意を持っていて、二人は気が合っている様子だった。

(まさか、密会なんてことは無いよな?)

 

 さっきだって一体何を約束したのか。

 

 昨日はあんな風に怒ってしまったけど、今日は仲良くしようと思って迎えにきたのに。他の男と隠れて良い雰囲気になっているところを見てしまうなんて。

(最悪だ)

 

「レオ! なんか勘違いしてる?」

 絶対に彼は誤解していると感じた玲菜は、怒って行こうとしているレオを引き止めた。

「ねえ?」

 だが、掴まれた手を彼は振り払った。

「勘違い? なんでだよ!」

「話を聞いて……」

 

「話を聞かないのはお前の得意技だろうが! 昨日も一昨日も! 俺は無実なのに」

 

 そうだ。

 それで昨日、謝ろうとしたのに謝れなかった。

 返す言葉も無く立ち止まる玲菜。

 

 さすがに今のは言い過ぎたか? 妬かれること自体は嬉しくもあったはず。

 言い放った後でレオが思い直した時。

 二人のやりとりを見ていた男が間に入ってきた。

「レオ様……」

 カルロスは「ふぅ」と息をついてからゆっくりと言った。

「無礼を承知で言います」

「はあ? お前は今、口を出す……」

 レオが命令する前に胸ぐらを掴んで引っ張ってきた。

 

「好きなら信じろ!! 彼女を泣かすなよ!!

 

 まさかの行動に度肝を抜かれたレオと慌てる玲菜。

「カルロスさん! 私、別に泣いてな……」

 言った瞬間に涙腺が緩みそうになったので頑張って堪《こら》える。

「……泣いてないですから。あと、あの、レオは悪くなくて」

 

「俺はレイナさんが好きだ」

 

 突然のカルロスの告白。

 

「それだけだ。残念ながら彼女とは何も無い」

 

 

 真剣な眼で訴える彼を睨み返すレオ。

「……手を離せ」

 

「ハッ!」と我に返ってカルロスは手を離した。

「まぁ、そういうことだ……です」

 顔を赤くして玲菜からも目をそらす。

 

 一方、掴まれて乱れた服を整えたレオは、混乱している玲菜の腕を引っ張って歩き出す。

「泣かさないし、玲菜には手を出すな!」

「え?」

 引っ張られながら、玲菜は一応カルロスに伝えた。

「あの、カルロスさん……」

 喧嘩(?)に巻き込んでしまったことと、自分の気持ち。

「ごめんなさい」

 

「ああ、……はい」

 

 レオは振り向かずに言い放った。

「俺の胸ぐらを掴んだことは無礼だが許してやる! 今回だけはな!」

 

 

 呆然《ぼうぜん》と二人を見送るカルロスにタヤマが駆け寄ったのはその直後。

「若様〜〜〜」と半分泣いている様子。

「立派でございました!!

 想い人への見事な告白っぷり(振られっぷり)。

「そして! 畏《おそ》れ多くも皇帝陛下の胸ぐらを掴んで啖呵《たんか》!!

「ああ!」

 従者に言われて初めて恐ろしさに気付く。もしかしたら、あの場で忍びの護衛に殺されてもおかしくはなかった。

 カルロスが震え始めてもお構いなしにタヤマは続ける。

「あんなことして、明日処刑されるかもしれませんのに、若の勇気と生き様に感動しました!」

 最悪の場合、極刑に至る。

「うわぁあああああ! タヤマ〜〜〜!」

 気付いたカルロスは恐怖に包まれた。

「どうしたんですか? 若」

「なんてことをしてしまったんだ、俺は!!

 青ざめる主人を支えるタヤマ。

「若?」

「俺はなんて馬鹿なんだ〜〜〜〜」

 こいつ……ようやく自分で気付いたのか。とは言わずに、タヤマは打ちひしがれるバ……カルロスをしばらく慰めていた。

 

 

 一方その頃。

 無言で玲菜を引っ張り歩き続けていたレオはひとけの無い茂みに入り込む。

「え? ちょっと……」

 戸惑う玲菜を抱き寄せて――いきなりキスをした。

 

「……ん!?

 

 突然の激しさに焦る玲菜。

 

 嫌ではないが、事情を訊ねたくて唇を離してもすぐに塞がれる。

 段々と息苦しくなり、同時に高揚していった。

 

 但し、ひとけの無い茂みとはいえ外ではあり、誰かに見られるのではないかと思う。

 玲菜はキスとキスの間で素早く声を掛けた。

「レオ……」

 言い切る前にまた唇を重ねられたが彼は解った様子。次の瞬間には抱きしめたまま移動して、近くの壁の陰に入る。

 そこは壁と壁の隙間で狭く、何もしなくても密着する場所。けれど腕は離さずにようやく唇だけ離した。

「心が傾いた?」

「え?」

「あいつにあんな風に愛の告白をされて、心が傾いたか?」

 

 正直、今までの行為で頭がぼうっとしてうまく考えられないまま首を振る玲菜。

 

 彼は無言で強く抱きしめてきた。

 

 ギュッとしてしばらく経つと今度は優しく包み直す。

 玲菜は彼の胸が心地好くて自分も背中に腕を回した。

 

 ……温かい……というか熱い。でも幸せを感じる。

 何も言わなくてもお互いに気持ちが分かった。

 

 

 やがて日も暮れようとしていた頃。

 ずっと狭い場所で抱き合っていても仕方ないので壁の間から出て行く二人。

 辺りはもうほとんど暗くなっていて、空だけに朱《あか》さが残っている。

 涼しい風が吹き、「わぁ!」と当たる玲菜の手をレオは優しく握った。

「帰るぞ」

 小さくそう言って歩き出す。

 

 無言で、人が通っても手を離さずに歩いていたレオは、渡し船の船着場で人目も気にせずに肩を掴んできた。

 じっとこちらを見つめて、一瞬ためらってから言う。

「やっぱ、城……じゃなくて、どっかに泊まるか」

「え?」

「オヤジには伝言頼むから」

 日は暮れたばかりだが、時刻的には夕方ではない。今から帰っても夜遅くになってしまうからというのは建前で、本当は……

 

「今日は……一緒に寝たい」

 

 恥ずかしそうに彼は目をそらす。

 空き部屋なら緑龍城にもあるのに、わざわざ別の場所で泊まろうというのには理由があると、玲菜は気付いた。

(緑龍城ではダメって……私が言ったから?)

 多分そうに違いない。

 つまり、彼の目的は決まっている。

 察した瞬間に玲菜は顔が熱くなった。

(ああ、そっか。そういう意味だ)

 ……覚悟しなくては。

「……うん」

 返事をして、完全に受け入れ態勢な自分が恥ずかしくなる。

(でも、今日は……レオと一緒にいたい)

 

「ええと、じゃあ……どこか泊まる所を探して……」

 そう言って周りを見始めたレオは何かを思い出してハッとする。

「あ! そうだ。忘れ物を」

「え? 何?」

 彼が忘れたのは大事な物であり、放ってはおけない。従者に取りに行かせるというのも……フルドなら良かったが、今の従者にまだそこまで信頼を置けない。となると、朱音か黒竜か……。

「いや、いいや。自分で行くか」

 幸い置いてある所は、今居る場所から然程《さほど》遠くはない。

 彼は玲菜に「取ってくるから待っていてくれ」と言って、走って向かった。

 

 

 待たされた玲菜は、最初の内はじっと待っていたが――

 

 中々帰ってこない彼が心配になった。

(あれ? レオが忘れた物ってどこに?)

 もしかすると、自分らが昔使わせてもらっていた部屋か? レオはそこがタチアーナたちの部屋になるとは知らずに朝、荷物を置いたかもしれない。

 もしかするとタチアーナたちがどこかに置いたか、使用人が知らずに別の場所に持っていったか?

 彼が捜し回っている様子が目に浮かんで不憫《ふびん》に感じた。

(捜すの手伝おう!)

 本当は妙な胸騒ぎもあった。けれど気のせいだと思い、玲菜はあの部屋へ向かった。

 

 

 ――そして、そこで見たのは……

 ベッドの上にて。上半身裸のレオが、下着姿のタチアーナに覆い被さっている姿だった。


NEXT ([第二部・第七十二話:すれ違い]へ進む)
BACK ([第二部・第七十話]へ戻る)

目次へ戻る
小説置き場へ

トップページへ
inserted by FC2 system