創作した小説が世界の神話になっていた頃


 

[第二部・第七十三話:国境沿いの男爵家]

 

 バシルの馬車に乗って、一番びっくりしたのはアヤメがいたことだ。……しかも子連れ。

 

 乗り込んだ時、見送りの父や家に居るレオのことで頭がいっぱいだった玲菜は、出発した直後に前方の席で座る人物に気付いて大声を上げた。

 ただ、大声にびっくりしてミズキが泣いてしまったので慌てて口を閉じる。

 泣いた息子を抱っこしてあやしながら、アヤメは面白そうに声を掛けた。

「レイナちゃん、乗った時に全然気づかないんだもん」

「だって! まさかアヤメさんがいるとは思わなくて」

 ショーンたちのことを気にかけていて、馬車の中をよく見ていなかった。タチアーナやエドのことは見えたが、それはいることを把握していたからだし。

「アヤメさんとミズキ君も一緒に行くの?」

「うん。バシルさんの故郷にほとんど行けてないから。成長したミズキも見せたくて。レイナちゃんたち行くならちょうどいいし、一緒に行こうと思って!」

 恐らくナトラ・テミスには同行しないだろうが、アヤメが一緒ならば玲菜的には一気に楽しくなる。しかし――と、心配も同時にあった。

「でもアヤメさん、奪還軍の家政婦長なのに。それに、バシル将……バシルさん、もうすぐ出立するでしょ?」

「あー。家政婦長はね、申し訳ないけど代理を立てて休ませてもらったの」

 アヤメは首を傾《かし》げた。

「それに、今回の戦、バシルさんは出立しないし」

「え?」

「っていうか、レオさんと同じだよ?」

 

 朝出る前に、バシルの故郷から早く帰ってくればレオに会えると思っていた玲菜は、家を出て馬車を待っているうちに「もうすぐ出立するからもしかすると会えないかもしれない」と思い直して不安になっていた。

 けれど……そもそも出立しないのならその心配は消える。

「なんだ〜〜」

 ホッと胸を撫で下ろした玲菜にむしろアヤメが疑問を感じた。

「え? っていうか、出立しないの知らなかった? もしかしてレオさんのことも?」

 恋人の予定をちゃんと聞いていないのかと。

「うっ……」

 少しすれ違っていたので聞けませんでした。とは言えない。

「うん。なんか勘違いしてた」

「アスールス関係の隊の人たちと、湖族の連合軍で行くんだよ」

 今回は海戦の為、必然的に水軍となり得る隊で行くことになる。アヤメの言葉に玲菜は納得した。

(そうか。だからカルロスさんが出立なんだ)

 アスールス奪還隊の大将はもしかするとカルロス。元々彼の町なので、彼が取り返さないといけない。

 カルロスの隊と海族《うみぞく》・海賊・犯罪組織の隊。それに湖族。

「海には、ピーター船長の仲間や傘下の海賊もいるって!」

 連日、湖で模擬訓練等をしてきた。……海賊らが従うかは別だが。

 兵力的にはまぁまぁ集まる感じもあるけれど、何しろ相手の戦力が分からない。一応、密偵が探りを入れていて、おおよその見当で作戦も決めている。

「大丈夫かなぁ? カルロスさんたち」

 心配する玲菜に、アヤメも頷《うなず》いた。

「そうだね。士気は凄く高いみたいだけどね」

 アスールス奪還はカルロスや海族の悲願ではある。

「ただ、ショーンさんには秘策があるみたいで、タヤマさんや参謀を集めて何回も会議をしていたよ」

 また、父の登場か。

「もう……!」

 玲菜は頭を押さえた。

 一体今度は何をしようというのか。

「あと、船大工や職人さんたちも呼んでいたし」

 かなり心配ではある。

 

「それとね、レイナちゃん!」

 頭を痛めていた玲菜はアヤメに改めて呼ばれて慌てる。

「え!?

「これ、そのショーンさんから昨日頼まれていたんだけど」

 アヤメの手には、小包があった。

「レイナちゃんへ渡してほしいって」

 玲菜がタチアーナと二人だけで話をしていた頃に持ってきたらしい。

 本人が見当たらないからアヤメと一緒に居ると思い、代わりに渡してくれ、と。

「ごめんね、昨日渡しそびれちゃって」

 アヤメは謝ってから受け取らせてきた。

「バレンなんとかのお返しだって」

 

『バレンタイン』のことだと、玲菜はすぐに分かった。

 包みを開けると焼き菓子が入っていて、ほのかに甘い匂いがする。

 更に急いで書いたような添え書きの紙もあった。『アヤメさんたちと』と書いてある。

 多分、アヤメさんに渡すのでアヤメやミズキも一緒に……という意味で書いたのだろう。

(ホワイトデーのつもりなんだ)

 少し遅いがきっとそうだ。父だけは旧世界の行事を分かっている。

「皆で食べてってことなんだと思う」

 玲菜はその場にいたタチアーナやエドに焼き菓子を配る。もちろん、アヤメやミズキにも。

 

 皆は喜んで、ありがたくショーンの手作り菓子を頂いた。

(美味しい)

 まったくいつ作ったのだろうか。ミリアに負けるとも劣らず。

 玲菜は味わって食べながら、本当に手回しの良い父だと感心する。

 菓子はすぐに無くなり、揺れる馬車の中、女性陣は和気あいあいとお喋りをして過ごした。

 

 

 ―――――

 

 一方。

 アスールス奪還連合水軍が明日出立するというので、準備で忙しくバタバタする緑龍城に出向いたレオは、玲菜が何も告げずに行ってしまったことに落ち込みながらも、兵たちの様子を見回る。

 水上で模擬訓練をしている場を見ていると、茶色い髪の暑苦しい男が走ってきて、近付くといきなり深く頭を下げた。

「レオ様……!」

 要するにカルロスであり、従者のタヤマも一緒に頭を下げている。

「先日の非礼を、深くお詫び申し上げます!!

 恐らく、胸ぐらを掴《つか》んで啖呵《たんか》を切った事件。

 レオが黙っていると、頼りない主人の代わりにタヤマが土下座をする勢いで難しい言葉の謝罪を次々に繰り出してきた。

 

 なんとなく面白くてレオは終わるまで眺めていたかったが、途中で近くにいたショーンが「何事か」と止めてきた。

 詮索される前にレオは許す。そして、面倒ながらもカルロスに激励を飛ばした。

「お前がああいう奴なのは分かっている。それよりも明日からのことを考えろ」

「は、はい!」

 嬉しそうに返事をするカルロス。

「まず、包囲網を解き、クラウ公国の侵略から町を守ります。そして必ずや奪還を!!

 聞けばサン・ラーデ市周辺からも志願兵が集まっているという。河の近くゆえに水場は得意だ、と。サン・ラーデ市は一度偽皇帝下の軍と争ったために、偽皇帝に反感を持つ者は多い。

 レオはニッと笑った。

「期待しているぞ!」

 ぱぁっとカルロスが明るい顔をしたのも束の間。軍総隊長は隣に居る従者の肩を叩く。

「タヤマ!」

「え?」

 慌ててタヤマは軍敬礼をした。

「ハ、ハイッ! もったいなきお言葉、ありがたく存じます!!

 クラウ公国は彼の故郷といえど、落ち着いて応戦の策を考える、と。

「いざとなったら、主人の命令に従わなくとも、自身の勘を頼れ」

 タヤマの勘に対してはショーンのお墨付き。

「え? え?」

 レオとタヤマ《自分》を交互に見るカルロスを無視して、タヤマはもう一度返事をした。

「はい! 存じております!」

 もう訓練に戻れとショーンに促《うなが》されて、二人は戻っていく。

 心なしかトボトボ歩くカルロスに、レオは一応声を掛けてあげた。

「アスールス卿《きょう》も、無事に戻ってこい」

 だが、カルロスは聞こえていなかったらしく、とんだ言い損になった。

(あの野郎〜〜〜)

 顔を赤くして機嫌を損ねた皇帝にフッと笑みをこぼすショーン。

 恋敵とはいえ、嫌悪を抱いているわけではない。レオとカルロスもいずれはうまくやっていくだろう、と。

 アスールス奪還隊の出軍は間近に迫っていった。

 

 

 

 やがて翌日になり、カルロスたちは出立した。

 行軍《こうぐん》では、アスールスまで最短でおよそ二週間。暑い中、長旅になるのが無駄に兵を疲弊させる。熱中症等、とにかく気を付けるように水を大量に運ぶ。鳳凰城塞《ほうおうじょうさい》やサン・ラーデ等では休ませてもらい、その分到着が数日遅くなるのは仕方ないとした。

 早く海に戻りたいと逸《はや》る気持ちの海賊たちを我慢させて、入念な準備と衛生班も多めに投入。なるべく病死者が出ないよう祈る。

 ただ彼らは過酷な遠征を覚悟している。ようやく悲願が達成できると、強い意志を持っていた。

 

 

 

 

 ――その夜。

 

 出軍させて、少しばかり静まった緑龍城にて。

 訓練や軍議等のおかげで遅くなり、家に帰らなかったレオは泊まらせてもらう一室のベッドで横になった。

 元自分らの秘密の部屋はタチアーナたちが旅立ったことでまた空いたが、荷物を移動させるのが面倒なので豪華な客間を借りる。

 当然ショーンは別の部屋だし、玲菜もウヅキも居ない。

 静かな広い部屋で、明かりも点けずにぼんやりと恋人のことを想っていた。

 

 今頃彼女は……どこかの小さな集落に泊まっているのだろうか。

 アヤメも一緒と聞いたので、さみしくはないだろう。危険を察知できるタチアーナもいるし、腕のあるエドもいるので多分身の危険は少ない。

 ただ、ナトラ・テミスに入るのは別だ。

 ショーンは止めたらしいが、彼女は恐らく入るつもり。そういう所は意外に強情なので、自分が止めても無理だっただろう。

 後はバシルの兄弟を信じるしかない。

 なるべく安全に且つ早く戻ってこられるよう手配してくれればいいが。その辺りはバシルが手紙を書いてくれた。

「はぁ……」

 彼女は本当に、先日の誤解を解いてから行ったのだろうか。いろんな思いでため息が出るレオ。

 まさかまだ、誤解をしたままでいたら? 一緒にいるタチアーナがあらぬことを言ったら?

 そういう面でも心配が募る。

 けれど……

 レオは自身の頬を触る。

(もしかしたらキスをしてくれたかも)

 自分が半分寝ていた時にそういう感触があった。……気がする。

 あれは多分、彼女が家を出る前。

 キスをしてくれたなら彼女は自分を想ってくれているはず。

(想っていて誤解している場合もあるけどな)

 悪い方へ考えてレオは上体を起こした。

「ああ」

 ウジウジするなんて自分らしくもない。

(なんだよ、この負の思考は)

 首を振り、負思考をかき消して、靴も履かずにベッドから降りた。

 

 少しなら……と、窓に近付いて月を見る。

 ちょうど満ちた月。

 夜、一人で満ちた月を見ると彼女と再会する前の二年間を思い出す。一回目、二回目と数えて、残りの数で自分を励ました。

(玲菜と再会してからは数えなくなったな)

 月を見ることも無くなった。

 

 今、たまたま見ているけれども、もしも彼女も見てくれていたら嬉しい。

 

 そう思いながらベッドに戻ろうとした矢先――突然、左足に激痛が走った。

「――え!?

 思わず片膝をついてしまう。

 もしや訓練の時に知らずに痛めていたか?

 思い出そうとしても思い出せなかったが、とにかく痛い足首を押さえていると、なぜか痛みが広がる。

「はあ!?

 段々とつらくなり、汗がにじみ出るレオ。

 この痛みには……覚えがある。

 

 以前、背中に激痛が走った時と同じだ、と。

 あの時は、自分では見えなかったが、呪印が広がってしまったのだと……

 気付いて、押さえていた手を恐る恐るどけたレオは、左足首を見て思わず声を上げてしまった。

「ああ!!

 

 左足に巻き付くような黒い痕《あと》。

 

 まるで、呪いの刻印が転移したような。

 

 いや、多分背中にもまだ残っていて、左足首の辺りにも広がったというべきか。

 

 黒い痕は、巻きつく蛇のように、左足首から膝下まで螺旋《らせん》を描き刻んでいた。

 

 

 やがて痛みは治まったが痕はそのままで。痛みの無かった右足はなんともない。

「なんだよ……これ……」

 レオは息を切らしながらも汗を拭き、背筋が凍るのが分かった。

 

 背中の時は見えなくて、のちに鏡で確認したけれどもあまり気にしなかった。

 今回は目に見える形で、激痛と共に黒い痕が広がった。しかも背中ではない別の場所。

 不可思議な事は信じられないが、現実に自分の身に起きると、ある種恐ろしささえ感じる。

 数分前まで何も無かった場所に、いきなり呪いが刻まれた。今は痛みが消えたのだけは幸いか。

 

 タチアーナやショーンがいろいろなことを言ってもピンとこなかった。

 

 これが、“呪い”だ。

 

 まるで侵食の如く。非現実的なのに、漠然《ばくぜん》とした恐怖だけ残す。

 

 

 レオは息を整えて、自身を落ち着かせるように目をつむる。

 心配させないように、ショーンには黙っておこうと思った。

 外で見張りをしている朱音も気付いてはいないようだ。フルドが廊下に居たら、もしかすると気付いたかもしれないけれど。

 目を開けたレオは廊下の方のドアをチラリと見て、誰も来ないのを確認してからベッドに戻った。

 足の上にのみ布団を掛けて横になる。

 天井を眺めながら、だから玲菜は急いでナトラ・テミスへ向かったのだと納得した。

(今のを見たからか)

 背中の現象もきっと同じだった。

 

 一刻も早くレオ《自分》を助けるために……。

 

(まいったな。早く寝ないといけないのに)

 先ほどの事で目が冴えたレオは眠れなくなってしまった。

 少なからず不安はあり、つい足を確認してしまう。広がっていないか、右足は平気か。

 

 レオは気を紛らわすために一度起き上がって酒を飲み、また横になってやり過ごす。

 眠れなくて酒を飲むのは久しぶりだと思いつつ、段々と眠りに就いていった。

 

 

 

 ―――――

 

 ――その、玲菜は……

 翌日も良い天気の中、岩の多い山道をバシルの縦長の馬車でゆっくりと登る。山といっても木は多くなく、赤い土と岩だらけ。前に西方門の近くで見たことのある国境の山と似たような岩山であった。この山を越えるとバシルの故郷があるのだという。ナトラ・テミスに行くには、更に大きな岩山を越えなければならない。もちろん、国境も。

 さておき、暑さで休み休み行くとはいえ、ガタガタと揺れる道にミズキは酔わないかと玲菜は心配したが、彼には揺れがちょうどよく眠気を誘うらしくて、ほとんど眠って過ごしていた。

 アヤメは助かったと寝ている息子を見ながら玲菜たちとお喋りを交わす。タチアーナとも仲良くなっていた。

 ちなみに日が暮れる前に村で休み、その際タチアーナはエドと一緒の部屋で休んだために正体はバレず。アヤメは二人が恋人同士なのだと思っていた。

 逆に玲菜は色っぽいタチアーナと一緒でもエドは平気なのかと心配したが、エドは女性にあまり興味が無く(むしろ人間に興味が無……)、タチアーナは平然と同じ部屋で休めるのだという。

 

 

 やがて……

 御者《ぎょしゃ》が中へ声を掛けてきた。

「もうすぐですよ」

 外を見ると岩山が少し開けて家や畑が見えてくる。

 山間の幾つかの集落をまとめている男爵の屋敷も遠くに見えた。ただ、貴族といえども男爵は下位であって、土地も侯爵のものなので領主でもない。いわば土地の管理者的立場。

 その、どちらかというと村長のような存在の男爵家がバシルの実家であった。

 両親は健在であり、息子の出世にあやかって緑龍城に住むこともできたが、故郷を離れることをしなかった。ただ、爵位はすでに息子に引き継いでいて、バシルの兄にあたる長男がナジャーク男爵となっている。

 弟のバシルは、初めは男爵の息子として軍に入っていたが、アルバート皇子の部下として子爵に。武功を挙げて下流伯爵に。重要拠点を任されて中流伯爵に。只今は現皇帝の腹心として扱いは上流伯爵に……と、驚くほど出世した一族の誇り。

 

 玲菜は皇族の例もあり、万が一にも、弟の台頭で胸中穏やかではない身内問題とかあったらどうしようかと思ったが、心配及ばず。そこは宮廷とは違う。

 そもそも、気さくなバシルの親族なので大丈夫だと、アヤメも笑った。

「お義父さんも、お義母さんも、いい人だよー! っていうか、貴族っぽくないかな」

 バシルの両親は齢七十を超えていて、本来(この世界では)長寿にあたりそうなのに、かなり元気だという。

 一体どのくらい元気なのかと思いながら屋敷に近付き、広い畑で農作業する村人が見えた頃、アヤメは慌てて御者に声を掛けた。

「あ! ちょっと停めてください!」

 急に馬車を停めた衝撃でミズキが起きて泣き出したのをあやしながら、畑にいる村人をじっと見る。「あ!」と何かに気付いて大声を上げた。

 

「お義父さん! お義母さん!」

 アヤメが馬車の窓から手を振る先に見えたのは、畑にたたずむ農作業の老夫婦。

 玲菜がまさかと思ったのも束の間。向こうもバシルの馬車を見て気付き、遠くから手を振ってきた。

「あ! アヤメちゃん、ミズキちゃぁああ〜〜〜ん!」

 村人に見えたが恐らくバシルの両親。農作業の格好のまま、全速力でこちらに走ってくる。

 本当に七十を超えているのか!? びっくりするような速さで向かってきて、確かに元気だ。

 力の源は、可愛い孫見たさにあり、貴族とは思えない土まみれた顔で「ミズキちゅわぁ〜ん」とデレッデレに駆け寄った。

 おかげで、一歳(もうすぐ二歳)の孫は、無常にも大声で泣き出す始末。

 久しぶりで憶えていないのに加えて、多分いろんな意味で恐ろしかったのだと……馬車内の誰もが思ったが、言わないでおいた。

 

 

 

 あまり大きくはないナジャーク男爵の屋敷に着き。

 広間に通される玲菜たち一行。

 バシルの兄である当主と奥方、それに、着替えて少しは貴族らしくなった両親も改めて出迎える。

 両親は泣かれると困るので遠巻きに見つめて、十三歳くらいの娘がミズキの相手をした。彼女は当主の次女娘なのだという。アヤメにとっては姪の一人にあたる。

 

 当主はさすがバシルの兄というべきか……ガタイのいい五十歳くらいの男性で、国境警備隊に所属していた。

 つまり……

 

 ナジャーク男爵は弟からの手紙を読んで頭を痛めた。

「国境警備の私に、国境越えを頼むとは」

 本当はレオも添え書きしようと思ったが、それだと命令に見えるので敢えて伏せた。玲菜たちがナトラ・テミスに行くのは個人的な事。無理をさせてはいけない。

 当然玲菜は『アヤメの友人』ということだけを話して、皇帝関係のことは秘密にしておく。念の為に口にも出した。

「あの……都合が悪ければ……大丈夫です。自分たちでなんとかしますので」

「ふむ……」

 ナジャーク男爵は手紙を折りたたんだ。

「申し訳ないことですが……」

 断られるかと思いきや、違った。

「少し待っていただきたい」

「え?」

「ナトラ・テミス側の遠縁に連絡を取って、大丈夫そうなら国境越え後、彼らに連れて行ってもらいます」

 確かに、気を付けなければいけないのはナトラ・テミス領に入った後。

「もし無理ならば諦めてもらいます。アヤメさんの友人を危険な目に遭わせられないので」

「連絡? どうやって?」

 タチアーナが訊ねると、男爵はニッと笑った。

「そこは一族の秘密です」

 なるほど。

 つまり、男爵がナトラ・テミス側の親戚に連絡を取り、協力してもらえるなら実行、と。

 気になって口を挿《はさ》むアヤメ。

「連絡はどのくらいで取れますか?」

 あまりに長いと困るので。しかしそこは心配無用らしい。

「大体、一日程で。明日の夕刻までには取れるでしょう。返事を貰うまでにも一日かかってしまいますが、大丈夫ですか?」

 要するに、明後日までかかってしまうということか。まぁ、仕方ない。

「それまではウチでのんびりしていてください。歓迎します」

 決まりだ。

 玲菜たちはお言葉に甘えて、明後日までのんびりと過ごすことにした。自分の実家ではないが、のどかな雰囲気がある。アヤメもいることだし、バシルの親族も気さくそうだし、楽しく過ごせそうだ。

 レオのことは心配だけれども、焦って失敗するよりは確実な方がいい。

 恋人のことを想いつつ、玲菜は我慢して返事を待った。

 

 

 ―――――

 

 

 そうして、翌々日の昼頃。バシルのナトラ・テミス側の親戚から、『協力しても良い』という返事が入ってくる。

 玲菜たちは「待ったかいがあった」と喜び、すぐにでも国境越えを果たしたいと頼む。すると、向こうもその気があったようで、本日の夕刻と時間が決まった。

 アヤメは心配したがさすがに一緒には行けないのでミズキと共にここで待ち、玲菜・タチアーナ・エドが向かう。

 夕方までに準備を整えた。

 

 

 やがて夕刻になり。

 玲菜たちは男爵ではなく奥方に連れられて落ち合う場所へ向かった。

 男爵は警備隊にて、向こうの警備隊にも含めて玲菜たちが見つからないように行動してくれているのだという。

 心配するアヤメや応援するバシルの両親に挨拶をして、玲菜たちは男爵夫人についていく。闇夜に紛れるよう、三人とも暗い色のマントを頭から被った。

「こっちよ」

 夫人は男性のような格好をしていて、大きな岩と岩の間をスルリと抜けていく。遅れないよう玲菜たちもついていき、段々と日が暮れていく。

 その内に日が暮れて、タチアーナの姿は夜型に変わったが、マントで身を隠しているので夫人にはバレなかった。

 

 崖のようになっている場所は玲菜の足がすくみ、狭すぎる隙間はエドが通れるのか心配になり……いつの間にか、暗い洞窟に入っていた。

 そこで夫人は止まり、小さな明かりだけを灯して誰かを待つ。

 玲菜は少し休みながら、男爵夫人に憧れを感じていた。

 年齢は四十代後半くらいなのに、身軽に岩道を抜けていったし、反り返った護身の剣を見る限り、戦える女性な気がして。

(カッコイイ……!)

 父が居たら軍に勧誘しそうだ。

 

 見惚れていると、洞窟の奥から明かりが見えてこちらに近付いてきた。マントを被り、背の高さから恐らく男性だろうか。近付くと声を掛けてきた。

「ナジャーク家の方ですか?」

 顔は見えないが、やはり声は男。

 夫人が「ええ」と返事をすると、頭の部分の布を下ろして顔だけ出してきた。

 

(あっ……!)

 思わず声が出そうになったのは彼の髪型がアフロだったから。立派すぎて一瞬ドッキリしてしまった。

「私は、ナジャーク家の……あ、ナトラ・テミスのナジャーク家の遣いの者です」

 ナトラ・テミス側でも名字は同じか。

「アフと申します。以後、お見知りおきを」

 

(アフロのアフさん!?

 思わず口を押さえた玲菜は取り乱さないようにして自身の名を言った。

「わ、私は玲菜です」

 エドやタチアーナも名乗る。

 名前紹介が終わったところで、アフはマントを被った。

「では、ここからは私が案内しますのでついてきてください」

 男爵夫人はここまでで、この先の案内人は彼になる。

「洞窟を抜けた先はナトラ・テミス領です。精霊術士の許《もと》へ案内しますので」

 

 いよいよだ。

 玲菜は緊張する心を抑えて、男爵夫人に礼を言った。

「ありがとうございます。アヤメさんや皆さんにも、よろしくお伝えください」

「気を付けて」

 男爵夫人はアフと玲菜たちが見えなくなるまで見送る。

 

 一行はゆっくりと国境を越えた。


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