創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第四話:彩の国さいたま]
小説のヒロインのレナはいわゆる美少女で。長い銀髪に青い瞳、見た目が十六歳、という設定だった。
神の使いである彼女は天から降りてくる。その時偶然に居合わせた英雄シリウスは一目で心を奪われて、やがて二人は恋に落ちる。――それが自分の小説『伝説の剣と聖戦』の恋愛部分の始まりだった。
ちょっとした縁で出会い、今、林の中を一緒に歩いている黒髪の娘・ユナの話によれば“レナの聖地”とは『レナが空から降りてきたとされる伝説の場所』なのだという。
(やっぱり、レナもいるの?)
玲菜は考える。
さっきシリウスと呼ばれている青年にも出会った。但し、自分の小説のシリウスとは性格が全く違うというのは置いといて。
天から降りてきたヒロイン・レナと似た存在まで居るなんてなんて偶然か。
(え? ホントに……私の小説の世界なの? まさか)
ここは自分の小説を盗まれて追ってきたら入り込んだ世界。まさかとは思うが。
自分の小説の世界だと思うと少し理解できる。納得はできないが。
(ええ!? そんなことってあるの!? 世にも奇妙な的な……)
玲菜の頭の中に、奇妙な物語を集めて放送するテレビ番組の曲が流れた。黒いサングラスがトレードマークのストーリーテラーの姿まで思い浮かぶ。その彼が頭の中で言った。
『じゃあ、世にも奇妙なアレ的に自分の小説の世界ということでいいかな?』
「駄目!!」
慌てて、「いいとも〜」と言っている観客たちを皆殺しにする。(頭の中で)
「違う違う違う!」
玲菜は頭の中で考えていたことを振り払った。
その奇妙な言動を不審そうに眺めたのはユナだ。
「何? 何が駄目で何が違うなの?」
「なんでもない!」
玲菜は慌てて首を振った。
「え?」
ユナは疑問に思ったが、それよりも気になることを訊いてみる。
「レイナって面白い格好しているよねー。っていうか寒くない?」
玲菜は家用の半袖ポロシャツならぬ半袖ボロシャツと下は紺の短いジャージを穿いていた。それに、足に履いているのは部屋用のピンクのスリッパ。歩きにくかったはずだ。
しかも言われてみれば寒い。木々がざわめき、冷たい風が抜ける。
「さ、寒っ!」
玲菜は震えた。間違いなく夏ではなさそうな体感温度。
「そんな格好してるからだよー」
ユナは笑って「ところで」という風に訊いてきた。
「レイナってどこから来たの? どこの民族?」
「え?」
なんて答えようか。しかも民族言われても。
(民族って何? 日本人ってこと? どこって場所訊いてるんだよね? 自分の部屋? そうじゃないか)
県民でいえば玲菜は埼玉県民だ。
「え、えーと。さ、さ……さい……」
「サイ!? 都《みやこ》から来たの?」
なんと、埼玉と言う前にサイで通ってしまった。しかも都ときたもんだ。
(何? 都ってサイっていう名前の町なの?)
そう思ってすぐに気付く玲菜。
(あ! ちょっと待って? サイの都って……)
そうだ、自分が小説の中でもサイという名を使っていた。それは国名だったが。『伝説の剣と聖戦』の主要国の名前を考えた時に「彩《さい》の国さいたま」という埼玉県民にだけ通用する名を思い浮かんで『サイの国』とつけたのだ。
もしもこの世界が自分の小説の世界だったとしたら、サイの国との関連でサイの都というのがあってもおかしくない。
(ここってサイの国なの〜?)
自分で付けた名だが、実際に聞くと若干恥ずかしい。ふと、先ほどの衛兵の言葉を思い出して嫌なことに気付いた。
確か、連中は我が“帝国”だとか言っていた。
(だとしたらサイの国じゃなくてサイ帝国。“最低国”みたいなイメージになっちゃう〜〜!!)
玲菜の落ち込みを知る由もなくユナは会話を進める。
「ねぇねぇ! サイの都ってどんな所? 私も近々行こうと思ってるんだよね。あ、その服ってもしかして都の流行り? どうりで斬新だと思ったー!」
「ああ、えっと……」
「レイナは髪型も可愛いねー! それも都の流行り?」
玲菜の髪はこげ茶色で肩より少し長めの髪に若干ゆるかわウェーブが入っている。美容院に行くお金をけちって、実は自己流でやってみたものだが友人にも評判が良かったので褒められると気分はいい。
「どうもありがとう!」
ユナはまるで昔からの友達のように話しかけてくる。玲菜は戸惑いながらもなんだかちょっと安心した。見知らぬ場所で一人だったらどんなに心細かっただろうか。言葉が通じるだけでもありがたい。
(でもなんか訛ってるけど)
標準語なのに訛っている感じがするのはこの際慣れるしかないか。ユナと喋りながら林を抜けたらどうしようと考えていた玲菜は林を抜けた時の最悪なパターンを忘れていた。
「やっと来たか」
なんと、林を抜けた先で待ち伏せていたのは衛兵を引き連れたシリウスもどきのレオだった。
「しまった!」
ユナは慌てて引き返そうとしたが衛兵たちが回り込む。
一方、愕然とする玲菜。
そうだ、待ち伏せされている可能性は一瞬考えたはずだ。けれどユナとお喋りしていてすっかり忘れてしまっていた。
「アンタたち、しつこいんじゃないの? たかが聖地に入ったくらいで。私たちは道に迷っただけなのよ」
ユナはそう言ったが、レオはニヤッと笑ってユナに近付く。
「お前はエニデール民《みん》だな? 国を持たない民族が帝国に不法入国か。それだけで罪に値する」
「何言ってるのよ、私は帝国の人間でヤマトの民《たみ》の末裔…」
「他の者は誤魔化せても皇族の俺は誤魔化せんぞ」
レオの睨みに後ずさりするユナ。その二人を見て玲菜は戸惑っていた。
(え? どういうこと? 不法入国? ユナが? エニデール民って? ヤマトの民って?)
疑問が物凄くある。
「この髪は黒く染めたな。少しでもヤマトの民に近付けようとしたか」
ユナの髪に触るレオ。ユナは更に後ずさって否定する。
「違う! ただのオシャレよ」
二人の状態を見ると、何かレオが悪者に見えてくる玲菜。シリウスにそっくりな姿でそれは嫌だ。というか、もしここが小説の世界で彼がシリウスだったらどうする。
「ちょっと! 民とか一体なんなの? 意味わかんない」
つい口を出してしまった。
そのおかげで今度はこちらに質問が来た。
「お前はなんの民だ。こいつの仲間か?」
なんの民と訊かれても。なんと答えればいいのやら。焦った玲菜は自分でも分からぬまま思いつくことを答えてしまった。
「私は日本人で、埼玉県民ですけど、何か?」
ユナと玲菜の二人は手錠を掛けられて格子のついた馬車の荷台に入れられた。
――最悪だ。
玲菜は頭がガンガンした。
(何この最悪な状況。誰か夢だと言って)
残念ながらその願いは叶いそうもない。
(なんで私捕まってるの? しかもこんな……身売りさられる娘みたいに運ばれて)
自分の状況を認めたくない。
囚人の輸送車のような馬車の荷台は汚いし臭いし最悪だ。しかも生まれて初めての手錠は錆びた鉄で重いし。どこへ連れて行かれるのか不安でたまらない。初めての馬車は揺れて乗り心地が悪い。揺れるのは馬車のせいだけではなく舗装されていない道路も原因か。
一緒に乗っているユナは先ほどまでの元気は無くじっと黙っている。彼女が悪い人には全く見えないが。
自分たちを連行しているのは衛兵たち。レオは命令だけして一緒には来なかった。ショーンも居ない。ショーンは捕まる時も居なかった。もしあの場に彼が居れば状況は変わっただろうか。
(お父さん……)
玲菜はまた父を想った。
現実世界でもし玲菜が捕まったらきっと父は助けにきてくれるに違いない。しかし、この世界では一体誰が助けてくれるのか。自分の小説世界で、もしも自分がレナだったら助けに来るのはシリウス。しかし、自分の小説に似ているこの世界で、自分を捕まえたのはそのシリウス似のレオだ。
(まぁ、私はレナじゃないけどさ)
一体これから自分はどうなるのか。考えたら不安すぎて。玲菜はぐっと涙をこらえながら長い馬車の時間を過ごした。
どのくらい経っただろうか。
いつの間にか少し眠っていた玲菜は「降りろ」という兵士の声で起こされた。引っ張られて馬車を降りるとそこは石造りの高い塀に囲まれた場所。
(何ここ?)
周りを見回す間も無く兵士たちに連れられていく玲菜たち。暗い通路に入ったかと思ったら地下への階段で、ランプを持った兵士たちに誘導される。
(怖い)
玲菜は恐くて足がすくんだが、ユナは平然と歩く。
やがて階段は終わり、長細い通路と鉄格子の牢屋が見えた。不安と絶望がそこに在り、玲菜の目から涙が出てきた。
(牢屋じゃん。うそでしょ? こんな所に入るの?)
唯一良かったのは、ユナと隣の部屋だったこと。それだけであとは地獄だ。
ホコリだらけの石の床に、ゴザが一枚敷いてあり、簡易的な仕切りとその奥にある石の椅子。椅子には穴が開いていて、恐らくトイレのようだが、不衛生そうで絶対に座りたくない。その横には水の入った木のバケツ。
こんな所に居たら気が狂いそうだ。
手錠を外され、手荒く中に入れられ、扉の鍵を閉められる玲菜とユナ。看守は二人に向かって言った。
「今夜は一晩ここで反省しろ。明日の朝に尋問だから。尋問の状況によっては早く帰れるかもしれないがな、長く居たくなければ正直に全部白状することだ」
尋問の状況によっては早く帰れると言ったが。
(最低でも明日の朝までここに居なきゃいけないの? やだ!)
玲菜にとってここで一晩とは長い。
恐らく今は夕方くらいか。食事は貰えるのか? 汚い食べ物は食べたくないが。風呂は無理だろうがトイレは不衛生そうな所を使わなくてはいけないのか。寝る場所は? まさかゴザ? 床は堅い石だし。
(やだやだやだやだ!)
一晩居るだけで病気になりそうだ。
「あの、私なんでも話すんでもう尋問したいです」
玲菜は看守に話したが取り合ってくれない。
それから何度か話しかけたが一向に取り合ってくれない看守に諦めて玲菜はゴザの上に座って呆然としていた。
一晩我慢すればここから出られるか。こういう時の時間が経つのはなんて遅いのだろう。しかも寒いし。そういえばお腹も空いてきた。それに疲れた。だが眠る気にはなれない。
(自分のベッドで寝たい。お風呂にも入りたい。美味しいご飯も食べたいよ)
毎日当たり前のようにしていたこと。それができないことが果てしなくつらい。自分が今、こんなにつらい思いをしていることを現実の誰も知らない。小説の世界を妄想している時がどんなに幸せだったか。実際に行ったらこんなに最悪だった。
バイト中に、もっと一人の時間があればいいのにと、ずっと思っていた。そしたら思う存分小説を書くんだ、とも。今まさに一人の時間を持て余しているが小説を書けるか? 道具がないとかそういう問題ではなくて。心に余裕がないと創作なんてできないのだ。心と、生活に余裕がないと。裕福という意味ではなくて。
また悲しくなってくる玲菜。ずっとだ。わけが分からぬままここに……この世界へ来てずっと悲しい思いをしている。
(なんで私が。異世界に行きたいとか妄想している人間はもっといるじゃん。そういう人たちがこういうとこ来ればいいのに)
帰り方も分からなくて途方に暮れる。
(帰りたい。帰りたい。帰りたい)
玲菜はずっと念じていた。
そうして、数時間が経った頃。
いよいよ精神的に限界になって本当に気が狂うのではないかと思っていた玲菜の前にランプを持った看守が来て扉の鍵を開けた。
「お前がレイナの方だな? 出ろ」
「え?」
出ろと彼は言ったのか。
(もう尋問? もう朝なの?)
玲菜はボーッとしたまま看守についていったが、やがて地上に出て一人の男が立っていたのを見た時は目を疑った。
(ほ、ほんとうに……)
前に居たのは長いマントを羽織った年配の男性。茶色い髪で髭が渋くて優しい瞳の……
「ショーン!!」
思わず叫んで駆け寄った。
本当に、本当に助けにきてくれたのだ。
ショーンがニッと笑った時、うかつにも涙が出た。ずっと悲しくて泣いていたけれど、初めて嬉しくて。嬉しさだけでなく、彼の笑顔を見たら安心して。
「遅くなってすまなかったな」
「うううぅぅ」
本当は「ううん、そんなことない」とかなんとか言いたかったのだが、泣き声が出てうまく言えなかった。
「じゃあ、早いとこ行くぞ」
玲菜の肩をポンと叩いて誘導するショーン。ランプを持って高い壁の通路を抜ける。外はもう真っ暗であまり明かりが無い。玲菜は小さな明かりで転ばないように足元を見て歩くので精一杯だ。道は歩きにくい土の道。自分は相変わらず部屋用スリッパ。そして夜だからか物凄く寒い。そう思った矢先にショーンが自分の羽織っていたマントを脱いで玲菜に被せてきた。
「ど、どうもありがとう」
あまりの紳士ぶりに恋をしてしまいそうだ。
(って、お父さんみたいな年齢の人に!)
玲菜は慌てて自分につっこんだが、その時にあることを思い出して声に出した。
「ユナ!」
「え?」
「私と一緒に捕まったユナっていう子がいるの。ユナは出られないの?」
そうだ。自分のことばかりで忘れていた。仮にもユナは最初に自分を助けてくれた子だ。
「ショーン、お願い! ユナも助けて」
ショーンの服を掴んで訴えると、彼は困った顔して首を振った。
「あー。それは無理だ、レイナ」
「どうして?」
ショーンは言いにくそうに口を開いた。
「レイナを助けるのも、相当の……無理をしている。二人もなんてさすがに」
「そんな!」
玲菜はショックを受けたが。確かに。尋問も受けないで自分が出られたのは何の力だ? と考えると金か権力か……とにかく賄賂《わいろ》的なものが思い浮かぶ。
助けられた分際で要求出来る立場じゃない。
「それに、彼女はキミとは違って問題がある」
言われて、レオの言葉を思い出す玲菜。
(不法入国とか、そういうの?)
けれど、それを言うなら自分も不法入国ではないか? いや、不法というか不本意というか。
「まぁ、心配しなくても反省牢は一晩だから。明日の尋問で早々に出られるかもしれないし」
ショーンは落ち込む玲菜の背中を軽く叩いてまた歩き出した。ユナのことは心配だったが、自分ではどうにもならないとついていく玲菜。
歩いていると道は途中から石畳に変わっていき、暗くてよく見えないが建物も増えてくる。石畳といっても歩きづらく、しかも上り坂になったので玲菜はショーンに追いつくので精一杯だ。そんな中、彼がボソッと言った。
「ああ、そう。なんていうか、シリウスのことは恨まないでくれよ」
シリウスというと要するにレオのことか。
恨まないでと言われても。彼のせいで捕まってあんな牢屋に入れられた。腹が立たずにはいられない。玲菜が返事をしないでいるとショーンは苦笑いをして続きを話した。
「あの場のあの状況でレイナを逮捕するのは仕方ないというか」
言われてみると、確かにショーンもあの時「一度捕まれ」みたいなことを言っていたか。それでも煮え切らない。わざわざ待ち伏せしてまで捕まえにきた。
「シリウスが言わなかったら俺が命令してたかもしれん」
「え! そうなの?」
「……どうかな」
ショーンは空を見る。
「あいつは、根はいい奴だからな」
この時、ショーンがやけにレオのフォローをしていたのには理由がある、と玲菜は後で分かることになる。
それは、だいぶ歩いて辿り着いた一軒の家。
ショーンは「俺の家だ」と言った。
「レイナは嫌がるかもしれないが、一先ずここでいいか? もちろんおじさんは自分の娘みたいなキミに手出しはしないし。俺のこと信用できるか?」
他に行くあてはない。それに、ショーンは信用できる気がする。玲菜が頷いたことでショーンは暗い家の中へ通した。
「この後のことは明日決めようか。まずは腹ごしらえか寝るか」
そう言いながらショーンが壁のレバーを引くとなんと、部屋の明かりが一気についた。
(え! 電気?)
てっきりランプか何かで過ごすのかと思っていた。なんかそういう時代な気がしたから。しかしこの家はやけにハイテク……というか、機械らしきものがいっぱいある。
(なにこの部屋。凄い)
木の歯車やら鉄のパイプやらガラスの瓶なんかも並んでいてまるで何かの実験工場のような。
「その辺触らないでくれよ〜。ここ研究室だから」
触らないでくれと言われても、物がありすぎて床にもゴチャゴチャ落ちていて、踏まないのが難しいほどの部屋を通り抜けて奥のドアを開けるショーン。奥は少しましで、家具などがある模様。
「明るくすると寝ている同居人が怒るんだけど」
「同居人?」
「勝手に住みついたんだ」
そう言って明かりをつけるショーン。
そういえば奥さんや娘さんなんかはいないのかと玲菜が不思議に思うと一匹の白い猫がこちらにやってきた。
「わ!」
可愛い。
「同居人って猫? 可愛い!」
「ウヅキっていうんだ」
ウヅキは玲菜に警戒をして逃げ出した。
「ああ、逃げちゃった」
「人見知りするからね」
「なるほど」
玲菜が部屋を見回すとショーンは勘付いて言った。
「妻や娘とはもう一緒に暮らしてないよ」
「そうなんだ」
なんとなく、深くは訊けなくて普通に流す玲菜。もしかしたら単身赴任的な別居かもしれないし、離婚かもしれないし。まさか亡くなったとか……?
とにかく、今はまだそこまで親しいわけでもないので聞けない。
「じゃあ、ウヅキと二人で住んでるの?」
厳密に言うと一匹と一人だが。訊くとショーンは言いにくそうに笑った。
「基本はな。勝手に住みついちゃったのがもう一人居て……」
「あーーー明るいっ! オヤジ、こんな夜中に電気つけんなって、いつも……」
そう言ってウヅキを抱きながら出てきたのはあの、憎きレオだったので。玲菜は夜中に人んちで叫び声を上げた。