創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第四十六話:誤解]
玲菜はレオが中々来ないので心配になって彼の部屋に行ってみた。もしかしたら疲れて寝てしまったのではないかとも思った。
ドアをノックしたら返事があったので、家での感覚と同じように開けてしまった。
まさか他に人が居るとは思わなくて。
目の前の光景に呆然とする。
部屋は薄暗かったが、ベッドの近くに小さな明かりが有ったのでその姿がよく見えた。
レオが居て、彼のベッドに女の人が居る。
その人は服を着ていなく、布団で体を隠し、上体を起こしている。
それだけで体が引きつるのに、女の人が銀色の長い髪をしていたので誰なのかすぐに分かった。――そしてそれは同時に、絶望に変わる。
(レナ……?)
どうして彼女が裸の姿で彼のベッドに居るのかなんて……
考える前に玲菜はドアを閉めて走り出した。
彼が自分の名を呼んだような気がするが、頭の中は放心状態で。
とにかく夢中で走る。
自分がどこへ向かっているのかも分からない。
「待て!! レイナ!!」
遠くから彼の声が聞こえて、どうやら追いかけてくるようだった。
玲菜は必死で走ったが、彼の足が速くて追いつかれる。そして、腕を掴まれて振り向かされた時に玲菜は叫んでその手を振りほどいた。
「離して!!」
息が切れて体が震える。
「レイナ! 違う!」
彼の声が廊下で響いたが何も答えられない。
呼吸が乱れて苦しい。
最初、走ったからだと思ったが、そうではなかった。
うまく息が出来ない。
「レイナ、ちょっと落ち着け!」
これが落ち着いていられるか。
玲菜は首を振って、自分に迫ってくるレオを突き飛ばした。
「来ないで!」
彼を振り払ってまた走り出した玲菜は、目の前に自分が使わせてもらっている客間があるのに気が付いた。無意識だったのに、部屋に向かっていたか。
すぐに部屋に飛び込んでドアを閉めて鍵を掛ける。
直後、ドアを開けようとする音や叩く音が聞こえた。
「おいっ! レイナ! 開けろ!」
レオの声が聞こえたが、玲菜は開けずにその場で座り込んで涙を流した。
息が苦しい。声が出ない。けれど、涙だけはたくさん出てくる。
――どうりで遅いと。思った。
彼のことは信じていたのに。先ほどの悪夢のような光景はすべてが打ちのめされる
しばらくドアは叩かれていたが、諦めたのか静かになって、その後彼の声だけが聞こえた。
「じゃあ開けなくていいから。俺の話を聴け」
言い訳なんて聞きたくない、と思ったが、彼は話し始める。
「まず、俺とレナは、お前が思っているような事は一切無かったってことだ」
あの状況を見て、信じろと言う方が難しい。
「信じられないと思うけど、頼むから俺を信じろ。俺が訓練終わって部屋に戻ったら、彼女が侵入していたんだ」
まさか、あの聖女がそんなことをするか?
「彼女は、その……俺に身を捧げるつもりで来たって言って、急に脱ぎ始めて……」
聞きたくない。
「でも、何もしていない。その証拠に、彼女は脱いでいたけど、俺は鎧を着ているだろ?」
その話が本当だったとしても、玲菜はつい訊いてしまう。
「でも、誘いに乗る気はあった? 私が来なかったらその気に……」
「ならないっ!」
ドア越しに、レオは怒鳴った。
「あの女が勝手に脱ぎ始めた! 俺は止めたんだ。もし、お前が今日宮廷に居なくても、俺は絶対に誘いに乗らない。俺は本気でお前を……」
「もういいよ!」
玲菜は混乱して、彼の釈明を止めた。
「……分かったから。……もういいよ」
「分かってないだろ!?」
「だって……!」
泣きながら言う玲菜。
「なんでこんなに遅かったの?」
「それは、訓練が長引いて……」
「すぐ終わらせるって言ったのに」
多分、言っても仕方ない事。なのに、玲菜は気持ちが抑えられなくてつい攻めてしまった。
レオは少し黙って。小さく謝る。
「悪かったよ。遅くなって」
酷く後悔しているよう。
「そうだな。そもそも遅くならなかったら、お前に誤解を与えなかったのかもな」
少し間を空けてから、彼はゆっくりと言った。
「それでも、聞け……聞いてくれ。俺は、レナに何もしていないし、気持ちが揺れ動いたりしない。俺は、絶対にお前を裏切らないから」
レオは言葉に心を込めた。
「誓ってもいい」
こんなに必死なのだから、きっと本当なのだと伝わってきたが、玲菜は返事ができなかった。
黙っていると、やがて静かになったので、彼が去ったのかと玲菜は思う。
少し落ち着いて、涙が引いた頃、そっと立って静かにドアを開けた。
すると、ドアを背に座っていたレオが居て。
びっくりして一旦閉めてしまう。
「お、おい!」
レオは立ち上がってドア越しに言う。
「レイナ!」
廊下は絶対に寒い。とはいっても、自分も部屋の明かりも点けずにただうずくまっていたので寒いが、玲菜は覚悟を決めてもう一度ドアを開けた。
「寒いでしょ? 私の部屋も寒いけど。入る?」
「あ、ああ」
レオはお言葉に甘えて部屋に入り、何も点けていない真っ暗な様子に驚く。
「暗いな」
すぐに明かりを点けて、玲菜の顔を見たらびっくりした。
「お前、泣いてた?」
言った後に気付いて謝る。
「ああ、そりゃ泣くよな。悪かった。俺のせいで」
彼は玲菜の髪に触れようとしたが手を下ろして、暖炉を探して火を点けた。
「お前も寒かっただろ?」
「う、うん」
「火、点けたから。こっちで座れよ」
暖炉の近くのソファに誘導するレオ。
玲菜は言われるままにソファに座り、レオが「隣に座っていいか」と訊いたので頷いた。
そして、二人で並んでソファに座り、しばらくパチパチと弾ける暖炉の火を見る。
レオは思い出したように立ち上がった。
「忘れてた。鎧脱いでもいいか?」
そうだ。彼は銀色の鎧を着けたままだ。
「いいよ」
返事をすると黙々と鎧を外して床に置いていく。
玲菜はその様子をボーッと見ながら、やはり彼は訓練が終わったばかりなのだと理解する。
理解しても裸の美少女がベッドに居たことは思い出すだけでつらい。
(レナさんは、レオを誘いに来たんだ)
彼の話が事実ならば、彼が帰ってくるのを部屋で待って……
いや、想像すると胸が苦しくなる。
ふと気づいたことを彼に訊いた。
「レナさんは……、どうしたのかな? 今もレオの部屋に?」
レオは気付いて止まって。しかしソファにドカッと座った。
「知るか。どうでもいい。諦めて帰っただろ、さすがに」
「え?」
玲菜は複雑ながらも心配になった。
「そ、そうなの? 大丈夫かな?」
「お前、おかしいぞ。俺が言うのもなんだけど、お前にとってはライバルだろ? なんで相手のこと気遣ってんだよ」
「うっ……」
それもそうか。
レオは玲菜が密かに気にしていることをズバリ言ってきた。
「前から思ってたけど、お前は他人のこと気にし過ぎだよ。意味がわからん。そんなに気にしてどうする?」
「え? え、そうかな? でも……皆もそうじゃない?」
「皆って誰だよ?」
「皆って、みんなのこと」
答えながら、自信が無くなってくる玲菜。
レオは眉をひそめてつっこんできた。
「ん? ……まぁいいか。じゃあ、そのミンナがそうだから、なんだよ? 俺は皆のことなんて訊いてねぇよ。お前のことを訊いているんだけど」
「あっ……」
答えに困る玲菜。
(私、他人を気にし過ぎ?)
確かに他人のことは気にするが、人につっこまれるほどとは思わなかった。
(そ、そんなに? そこまでじゃないと思うけど)
「別に、答えなくてもいいけど」
レオが黙ったことで、ソファに座る二人にまた沈黙が流れた。
一体何から話せばいいのか分からない気まずい雰囲気になる。
それから少し時間が経って、ようやくレオが口を開いた。
「確認するが、解けたのか? 誤解」
玲菜は戸惑ったが、一応頷く。
「何もしていないんだよね?」
「していない!」
きっぱりと断言するレオの言葉を聞いても、どことなく腑に落ちない。
(また、誘われたら? 今度は私が居なかったら?)
彼のことを信用したいが、不安が募る。
レオは、裏切らないと言ってくれた。気持ちが揺れ動いたりしない、と。
(レオを信じなきゃ)
そう思うのだが、自分の自信の無さから不安の解消はできない。
今後のことを考えると尚更だ。
それともいっそのこと、彼の気持ちが冷めてしまった方が……なんて考えは自分勝手か。
玲菜は色々なことを考えたが結論は出ず、レオは「一先ず誤解が解けて良かった」と、遅くなった食事を誘う。
誘うというか、給仕を呼んで料理を部屋に持ってこさせて玲菜と一緒に食べる。ちょうどその頃、大分研究に時間がかかったと、隣の部屋のショーンも帰ってきたので途中から一緒に食事をした。
ショーンは食事が終わると「後はごゆっくり」と自分の部屋に戻り、片づけが終わった給仕も去ったことでまた部屋で二人きりになる玲菜とレオ。
なんとなく微妙な雰囲気に戻り、二人で並んでソファに座って、会話は弾まずに時間が過ぎる。
玲菜には、なぜ微妙な雰囲気なのか理由が分かっていた。それは、レオが自分に触れてこないという事。
こう言ってはなんだが、レオは手が早いので、普段二人きりになると手なり肩なり、どこかしらに触れてくることが多い。
特に髪に触ることが好きらしく、よく触ってくる。
誤解が解けたと口では言っていても、明らかにためらっている様子。
(レオ、私がまだ怒ってると思ってるのかな?)
何を言えばいいのか分からなくて、気まずい状態がつらい。
(レオとギクシャクするなんてやだ)
やがて、長い沈黙の後にようやくレオが口を開いた。
「お前、眠いか?」
そういえば眠いような。しかし、眠いと言えば彼が自分の部屋に戻ると言うだろうと思って首を振る。
「まだ平気だよ。レオは?」
「俺は正直、疲れていて」
そうだ。彼は訓練の後で疲れている。
「あ、じゃ、じゃあ、もう戻る?」
嫌なのに、そう訊いてしまう玲菜に、レオは言いにくそうに言った。
「……ここで寝てもいいか?」
「え?」
「嫌なら自分の部屋に戻るけど」
「嫌じゃないよ」
むしろ居てほしい。
「い……」
しかし玲菜は、その言葉が言えずに同じ言葉を繰り返してしまった。
「嫌じゃないよ」
「ああ。……じゃあ、居る」
よく見ると、レオは凄く眠そうで、頑張って目を開けているようだったので。玲菜は彼をベッドに促した。
「あ、あの、レオ。眠いなら寝れば?」
彼は恥ずかしそうにそっぽを向く。
「……一人で?」
「え? あ……」
ためらいながら、玲菜も下を向く。
「わ、私も寝る」
目をギュッとつむって言った。
「一緒に!」
言った途端に緊張が走った。
一緒に寝る意味を確認して。
しかし、その心を悟ったレオは苦笑いしながら玲菜の方を見た。
「大丈夫。別に何もしないから。……今日はそんな気分になれないだろ?」
言葉を聞いた玲菜の脳裏に、一瞬レナの姿が思い浮かぶ。彼女は覚悟を決めて、レオの部屋に行ったのだろう、と。
「……いいよ」
とっさにその言葉が出た。
(私だって、レオのことが好き)
もしかすると対抗心だったのだろうか。
「何かしても……いいよ」
いや、彼のことが本気で好きだからこそ、抱かれたいという欲求だってある。
けれど……最近は、彼との未来が不安で関係が深まるのを怖く感じていた。
今だって怖い。
それでも……
玲菜はレオの袖を掴んだ。
「レオ……。ベッドに行く?」
次の瞬間、玲菜はその場で押し倒される。
「レイナ!」
そして、彼が顔を近づけてきたので、キスをされると思い、瞳を閉じた。
しかし彼は口づけはせず、真剣な表情で訊く。
「レイナ……お前、俺のことどう思っている?」
「え?」
今更訊くのか。
「す、好きだよ」
目を開けて玲菜が答えると、別の質問をしてきた。
「どのくらい?」
またなんとも答えづらい質問だ。
「えっ……と、たくさん……っていうか、凄く」
「本気で?」
「ほ、本気だよ、もちろん」
その答えに、レオは少し顔を離して「ふぅ」と息をついた。
「俺は、俺ばっかりお前のことを好きな気がして、焦る」
「わ、私だって! 私ばっかりレオのこと想ってるって思ってるよ!」
玲菜がすぐに反論するとレオは優しく笑って体を起こした。そのままソファから降りて玲菜を抱きかかえる。
彼女をベッドまで連れていくと寝かせて布団を掛けて、自分も横に入った。
玲菜の顔をじっと見ながら、ようやく彼女の髪に自分の手を触れさせるレオ。その、優しく触れる手を触る玲菜。
……愛しさが募る。
「レイナ……」
レオは玲菜の髪にキスをして囁いた。
「愛している」
もしかして……
今が一番、人生の中で幸せな瞬間だったのではないかと……
玲菜は思った。
同時に涙が溢れ出た。
嬉しいのか哀しいのか分からない。
ただ、涙は止まらなくて。
玲菜はレオの胸に顔をうずめた。
「私も……」
続きの言葉が言えない。
彼に自分の気持ちを伝えたかったが、その言葉を口に出すのが怖かった。
『幸せ』と感じることが怖い。
いつかはこの温もりを失ってしまう。
……愛しているなんて、言えない。
一方レオも、自分自身の言葉に驚いていた。
(俺、今凄いこと言ったな)
彼女を愛しいと強く想ったら、つい……
(レイナ……)
今だって、自分の胸に顔をうずめる彼女が愛しくてたまらない。
なぜ、彼女は泣いているのか。嬉し涙なのか、もしかすると違う意味も含まれているのか。
(好きだ……)
レオは玲菜の頭を優しく撫でた。
(頼むから田舎に帰らないでずっと俺の傍に居てくれよ)
多分生まれて初めて、本気で恋をした大事な娘。
ずっと傍で守っていくにはどうしたらいいか。
(やっぱ……プロポーズしかないか?)
レオは玲菜の抱える秘密をある程度予想していた。
もしかしたら故郷に帰らなければならないというようなこと。
だから彼女は時折哀しそうな顔をする。
(レイナは、俺がもしプロポーズしたら受け入れてくれるのか?)
自分は皇子で、結婚が簡単でないことは分かっている。
けれど、初めて結婚したいと思える女性に出会えた。
思えば……
今まで自分に近付いてきた女性は皆、“シリウス”や“皇子”が目当てだった。皆、“皇子の恋人”になろうと、熱心に誘惑してきた。
当然自分もそんな女たちは本気で相手をしなかったし、うんざりしていた。
たまに、自分が皇子だと知らないで付き合った女性も居たが、彼女らも正体を知った途端に態度を変える同類だった。
だから欲求だけ満たして、あとはどうでもいいと、思っていた。
どうせ自分は本気で恋が出来ない。その内、婚約者を勝手に決められて結婚するのだろうと、悟っていた。
しかし、彼女に出会って、彼女に恋をして考えが一転した。
自分が本気で好きな女性と結婚したい。
たった一人を一生大事にしていきたい。
そしてそれは、今自分の腕の中に居る女性だと……
思ってはいるのだが、その事を彼女に伝えるのはさすがに早いか。
彼女に出会った三か月前のことを思い出す。
生意気な女だと思った。皇子の自分に対して、礼儀知らずの娘だと。
それが今では……こんなに好きに……。
レオが、もったいないことをしたと気付いたのは、朝起きてからだ。
朝の肌寒さと部屋の窓から入る日差しで目を覚ました時、自分と同じベッドに愛しい恋人が眠っていて。一瞬、ようやく思いを遂げた翌日だったかと勘違いしそうになったが、そんな記憶は一切無く。
抱き合っていたら、コトをする前に寝てしまったと……思い出して愕然とする。
せっかく彼女が「何かしてもいい」と言ってくれたのに。
キスすらしなかったまさかの失態。
(嘘だろ?)
レオは後悔した。
(何寝てんだよ、俺ぇええええ!!)
自分の愚かさに腹が立つ。
しばらく落ち込んでいると、彼女が目を覚まして「あ!」と声を上げた。
「レオ!?」
なんだか凄くびっくりしているよう。
「あ、えと……私……」
状況を確認してから思い出したように言ってきた。
「あ、ごめん。あの……私、寝ちゃったんだね。あ、あんなこと言っときながら……」
どうやら彼女も寝てしまったらしく、恥ずかしそうに謝ってくる。
「あー」
寝たのはお互い様だった。レオは首を振る。
「いや。俺も寝ちゃったから。……うん」
「え? そうだったの?」
玲菜はホッと安心したようだったが、レオは自分に納得がいかなかった。
(今から……)
今から可能だろうか。
自分的には準備万端だが、彼女は?
「レイナ」
なんとかそういう雰囲気に持っていこうと、玲菜の手を握るレオ。
だが、玲菜は照れながら笑うとベッドを降りてしまう。
鈍感なのか、かわされたのか分からなかったが、よく見ると時間も無かったので、レオは仕方なく諦めて給仕を呼んだ。
そして隣の部屋のショーンも呼んで三人で食事をとり、自分は会議があると部屋を出ていった。
「また家で」とレオを見送った玲菜とショーンは、彼が見えなくなってから帰りの支度をする。
ショーンの用事は済んだので、二人は家に帰るだけだが、レオは忙しいので多分帰ってくるのは夜になる。
玲菜はそれを少し寂しく思いながら、ショーンにまたもや勘違いされていることを恥ずかしく感じた。
朝、レオが玲菜の部屋に居たのできっと“そう”思われている。
(まだなのに)
しかし、言い訳なんてできない。
(きっと、ショーンってば呆れてる)
節操が無いと思われているかもしれない。
本当はまだ一度もそういう関係になっていないのだが。
複雑な思いを胸に、玲菜はショーンと城を出ていこうと廊下を歩く。
すると、途中でショーンが忘れ物に気付き、取りに戻るというので、玲菜はその場の壁際に寄ってショーンが忘れ物を取って戻ってくるのを待つことにした。
ショーンが去り、玲菜が一人廊下で佇んでいると……
そこに、何人かの付き人を引き連れた娘が通りかかり、立ち止まった。
玲菜は立ち止まった娘の姿を見て、すぐに誰なのかが分かってギクッとした。目立つ銀色の長い髪の美少女は彼女に違いない。
(レナ……さん?)
自分の小説の聖女にそっくりな娘は、玲菜をじっと見て、昨日現れたアルバート皇子の恋人だと気付いたようだ。美しく切ない表情をして近付き、声を掛けてくる。
「貴女は、シリウス様の……」
玲菜は昨夜のことを思い出して胸が痛くなった。
彼を誘惑するために、彼の部屋で待っていた彼女。
自分は彼の恋人であるが、彼女は婚約者なのだ。
それに、預言者シドゥリはレナこそがシリウスの配偶者になる、と予言していた。
そんなことを思うと凄く怖気づいてしまう。
レナは思い出すように呼んできた。
「確か……レイナ様と仰る方ですね?」
「あ、あの……」
気まずくて俯く玲菜に、レナは哀しそうに微笑んで言った。
「心配しないで下さい。わたくしとあの方は何もなかったのですから」
見透かされている。
「貴女には不快な想いをさせてすみませんでした」
謝られて、玲菜は戸惑った。
(こういう時、どうすればいいの?)
彼女は切なそうな目でボソリと言う。
「レイナ様。貴女が羨ましいです」
「え?」
「あの方と、先に出会えた事が」
その言葉に、玲菜はドキリとした。
胸に何かが突き刺さったような感覚。
自分が彼女よりも早く彼と出会ったから、本来の二人の運命を変えたのか。
(レオが私のことを好きになってくれたのは、私の方が先に出会ったから?)
もしもレナの方が先に出会っていたのならば……運命は違った?
玲菜は目をつむる。
(そんなことない!)
そう、思っていた矢先、レオに似た声が聞こえた。
「あれ……? 貴女は……?」
一瞬レオかと思って。しかし違うと気付いたが、では一体誰かと気になって目を開けた玲菜は、びっくりする。
話しかけてきたのはレナの付き人らしき黒髪の青年で。……見たことがある。
「あ!」
前に、町の市場で。買い物でたまたま(レオの幼馴染の)イヴァンと一緒に居た時、ひったくりに盗まれた玲菜の荷物を取り返してくれたレオ似の長髪の青年……
「セイ、知り合いだったのですか?」
レナに『セイ』と呼ばれたその青年は、頷いて答えた。
「はい、レナ様。実は以前、街で……ちょっとした時に知り合った方です」
「あ、そ、そう!」
玲菜は相づちを打った。
「そうなんです。私が助けてもらって……。あの時はありがとうございました」
まさかこんな偶然があるのか。自分がちょっと助けてもらったことのある青年がレナの付き人だったとは……と、この時の玲菜は偶然を信じて疑わず、レナの付き人の青年を怪しむことなど一切無かった。
彼がレオのことを恨んでいるとも知らずに。