創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第六十一話:湖の攻城戦]
その日は静かな朝だった。
天気は上々。雲も無い青い空が広がり、風もあまり無い。
連日気温の低い日が続いたが、中々暖かくなりそうだ。
自国の大軍が、もうすぐ帝国の砦を陥落させる。
もしかしたら今日にでもそんな朗報が入ってくるかもしれない。
龍宮の緑城の物見台《ものみだい》の兵士は、呑気にそんなことを考えながら見張り勤務の交代をする。
――まさに、その時。
湖の近くの林から突然軍隊が現れた。
その軍隊は瞬く間に大軍になり、明らかに戦闘態勢。
「敵襲ーーーーーーーーー!!」
物見台に居た兵士は慌てて叫んだ。
叫んだ後、彼の視界は暗くなった。いきなり、宣戦布告の矢を受けたと気付かずに彼は倒れて――死んだ。
敵襲を知らせる鐘が鳴り響く中、緑城の兵士たちは慌ただしく戦闘準備をする。
突然ではあったが、密偵からの情報もあったために、焦らずに皆が戦闘配備に着く。この砦がそう簡単に落とせるはずがない。
密かな情報によると、敵は二部隊に分かれ、湖から攻撃してくる大軍と、潜入を企てる精鋭隊があるのだという。
精鋭隊の方にはあの、シリウスも居るというが、しっかり罠を張って食い止めればなんてことはない。それどころか、シリウスの首を獲る千載一遇の好機でもある。もしくは、首は獲らずに人質にするという手段も。
但し、シリウスの部隊は相当な手練ればかりなので侮ってはならない。一番注意が必要なのが猛将軍・バシルと忍者たち。特に忍者は城での戦いに特化している。そして、最近噂を聞く優秀な傭兵団。彼らにも要注意だ。
湖の防衛も油断できないが、こちらには、すでに国境突破攻撃の大軍から援軍が向かっている。明日には挟み撃ちにできる。国境突破の方は兵力が落ちるが仕方ない。
帝国軍の防衛が思ったよりもしぶとかったのが計算違いか。
緑城の防衛戦後に出直すという手も。
*
「――まぁ、大体こんなもんかな、向こうの手の内は」
潜入場所の作戦変更を密かにレオとレッドガルムに報せたショーンは、潜入隊待機の場所から湖の方を見て、呑気に二人にそう話した。
そろそろ、ヴィクター皇子の命令の後、湖からの緑城への攻撃が始まる。
攻撃開始後に、潜入隊は移動開始。
ショーンの隣には、湖族の族長・ダリアが、戦闘装備の格好で自ら案内役のために来ていた。他、屈強そうな男たちが数人、傭兵団・砂狼の兵に扮してダリアの横に付く。
いよいよ、湖戦の帝国軍は運んだ船を出して攻撃準備。船は、湖族から借りた船もあり、予定よりも多い。兵の中には自ら志願した湖の男たちも居て心強い。
風が吹き、地鳴りがする中、攻撃の合図である最初の砲撃が放たれた。
恐らくヴィクターが命令を下した様子。
兵たちの唸り声と大砲が轟音となって辺り一面に響く。
「始まったな」
耳を塞いで、ショーンは言った。
こちらも移動を開始せねばならない。
レオの護衛の忍者・黒竜がどこからともなく現れてレオの隣に付いた。
レオは確認する。
「じゃあまず、移動をしながら各隊長に潜入場所変更を伝達するか。その後は班長に」
ちなみに、大将がシリウスで、その下に総隊長のバシル将軍と団長のレッドガルムが在り。
その下に二部隊(蒼騎士聖剣部隊、砂狼団)それぞれの隊長が在る。
班長はその下だ。
「それにしても」
ダリアはショーンとレオの方を見て「信じられない」という顔をした。
「皇子自ら潜入するとはねぇ……。それに参謀長まで」
確かに、皇子自ら敵城に潜入というのは危険どころかありえない。ヴィクターも、恐らくフレデリックも、命令だけ下したらすぐに後衛に下がり、安全な場所で見る。危機になったら離脱することも。
レオは承知している風に答える。
「俺はシリウスだから。“英雄”らしくすることで兵の士気が上がるんだ。仕方ない」
ショーンも「仕方ない」という風に答える。
「俺はまぁ、ちょっと目的があってな。無くてもシリウスが行くなら行くけど」
「え?」
レオはびっくりしたようにショーンの方を見る。
目的というのは恐らく玲菜が元の世界に戻るための鍵を探す事。それは分かったが。自分が行くなら行くと言ってくれたことが妙に恥ずかしい。……嬉しくて。
(そうだよな。オヤジはいつも……そうだよな)
気付いていたけれど、それがもう当たり前すぎて感謝するのを忘れていた。
「ありがとう、オヤジ」
レッドガルムやダリアたちの前だったのに。レオはつい「オヤジ」と呼んで礼を言ってしまった。
(オヤジが傍に居たから、俺はいつも不思議と怖くなくて戦場に立てた。今だってそうだ。妙に落ち着いている)
近くで激しい戦闘の音が聞こえて、地面も絶え間なく揺れている。
礼を言われたショーンは照れて頭を掻き、改めてレオに促す。
「シリウス、そろそろ」
「ああ」
レオは待機している兵士たちの前に行き、威風堂々と剣を抜く。――それは、透き通ったガラスのようなシリウスの剣。
兵士たちは静まり返り、息を呑んで、伝説の剣を掲げる英雄に注目をした。
「今より、緑龍奪還作戦である龍宮の緑城への潜入を開始する! 皆、覚悟して我に続けよ。我はシリウスの名を受け継ぎ、シリウスの剣を授かった! この剣の下、信じて戦えば、必ずや勝利を手にする! 我らに栄光を与える!!」
レオは改めて剣を振りかざす。
「我と共に! 生き抜いて、必ずや領土奪還を!!」
兵士たちは皆立ち上がり、「シリウス」の名や「領土奪還」を叫んだ。
レオと同じように剣を掲げたり両手を上げたり。
士気が存分に上がったところで、いよいよ秘密の地下通路に向かって歩き出す。
レオが侵攻命令を出すと、各隊長・班長が作戦通りの移動を開始。兵がそれに続く。
一方、自分たちの許へ戻ってきたレオに、ショーンは気になっていたことを訊いた。
「シリウス、その剣使うのか?」
彼が抜いたのは普段使っている刀ではなくて、皇帝から貰った剣。
レオは首を振ってシリウスの剣を鞘に収めた。
「いや、これはただの演出用だ。思ったよりもこの剣重くてな。持っている分にはそうでもないんだけど、振る時妙に重力感じるから。使い慣れた刀の方がいい」
そう言って、シリウスの剣を背中に担ぎ、刀と短刀を腰に。
「そうか。重いか」
ショーンはどことなくホッとして、自分も長剣を装備した。
レオは自分の青いマントをひるがえして周りの者たちに言う。
「じゃあ、行くか」
青いマントは目立つ。
それが敵を引きつけることも分かっている。
けれど、たくさんの味方の兵たちが自分のマントに集い、続くことを知っている。
自分の命を危険にさらすシリウスの象徴は、皆にとっては希望なのだから。
外すわけにいかない。
(そういえば……)
近くに居るレッドガルムの姿を見て、レオは思い出す。
(イヴァンの奴、どこに居るんだ? 今日は見かけないな)
つい昨日の朝までは姿を見た。よく自分に顔を見せに来る彼だったが、昨日の昼頃から全く姿を見ていない。てっきり出撃前に顔を出すと思っていたのに。
(まぁいいけど。まさか死ぬなよ、イヴァン)
前に傭兵になったことを怒ったが、本当は嬉しかった。自分にとってかけがえのない友人で、本当の自分を知っている数少ない人物。
(なんて、恥ずかしいこと思わせんなよ、馬鹿が)
―――――
そのイヴァンは――
玲菜とマリーノエラを帝国領にまで送る役をショーンに頼まれて、戦場から遠く離れていた。イヴァンの他に、数人の兵士も居て、彼らは湖族交渉の時に一緒に居た兵である。
敵兵に見つからないようにコソコソと馬に乗って走る。マリーノエラと玲菜は二人一緒にラクダに乗っていた。
湖戦が始まった音は微かにこちらにも届いていて、「始まってしまった」とイヴァンは嘆いた。
「オレもアイツと一緒に戦おうと思ったのになー」
「ごめんね、イヴァンさん」
自分たちを送るために彼の目的を邪魔してしまったと謝る玲菜に、イヴァンは苦笑いする。
「なーんて言っても、こっちの方が安全なんだけどねー」
そうだ。今頃レオは……
心配で胸が潰れそうになる玲菜。
その表情で、イヴァンは悟って慰めてきた。
「大丈夫だよ、レオは。なんか、アイツの周り、強そうな人たちばっかいるじゃん。潜入するまでの地下通路も安全そうだし。何よりアイツ自身が強いもん」
「うん……うん……」
分かっている。
けれど不安は拭えない。
そういう自分たちも、万が一、敵の軍隊や賊に出くわしたら同じ事。戦場から去ったからと言って、危険が去ったわけではない。早く帝国領に戻らないと。
イヴァンや兵士たちは、最悪もし出くわしても逃げられるように、警戒を怠らずに馬を走らせた。
―――――
一方。
湖では、最初こそ激しい砲撃合戦をしていたが、弾の装填や補充に時間がかかるため、一旦攻撃を停止して間を計る。
相手もそれは同じで、弓矢の一斉攻撃か弩《おおゆみ》か。はたまた白兵戦か。出方を待って静かにしている。
警戒しつつもお互いに壊れた壁や船の修繕にもあたっていた。
沈没した船から脱出した者や負傷兵の回収も。
その頃、レオたちは。湖戦が静かになったために、こちらも静かに慎重な移動を強いられる。途中、見回りの小隊に出くわしたら速やかに排除。敵の死体も見つかると大騒ぎになるので、林に隠す。もちろん見つかるのは時間の問題だが、それでも少しは時間稼ぎになる。
遭遇した敵兵は一人たりとも逃がしてはならない。降伏したとしても関係なくトドメを刺す。
そうして移動して、数時間後。
ついに湖族の秘密の地下通路の入口にたどり着く。
「ショーンさま〜〜〜〜!」
入口の前には見張りとして、ダリアの弟のロッサムが待っていた。
彼は、髪を立てた黒髪モヒカンの、褐色肌の筋肉男だったが。どことなくオネエ臭が……いや、完全に黒な人物で、交渉の際にショーンに惚れた様子。しかも……
「あ、貴方様は……!」
元々シリウスのファンだったらしく、レオの姿を見つけるなり、駆け寄って手を掴んできた。
「もしかしてシリウス様ですか? 初めまして、ワタシはロッサムと申します。以後、お見知りおきを」
「ん? ああ」
レオは返事した後に彼の手を離そうとしたがまったく離せない。
(なんだこいつ。気味が悪いが、力が異常に強い)
ロッサムはうっとりとレオを見つめた。
「シリウス様」
「ち、近い」
あまりにも顔が近すぎて、レオが頭を反っていると、ダリアが弟の頭をぶん殴った。
「ロッサム、そういうのは後にしな。戦が終わったら、思う存分できるから。今はそれどころじゃないよ」
「そうね。戦が終わったら!」
ロッサムはレオの手を離してウィンクをしてきた。
「思う存分って、何か余計な勘違いされても困るぞ」
念の為に注意してから、レオはダリアの前に行く。
ダリアは「こっちだよ」と言って暗い洞窟らしき中に入っていった。
「ここが秘密の地下通路?」
レオがショーンと一緒に洞窟の中に入ると、割と広い空間にたどり着く。
兵も続々と入ってきて、全員はもちろん入りきらなかったが、薄暗い中にランプがあって、松明は必要ない。
「なんだよ、ここ」
レオが問うと、ダリアがニッとしながら答えた。
「盗賊のアジトだよ」
そういえば、若干、生活空間的になっているような。酒瓶やゴミが落ちていて臭いし、戦利品のような宝石や金属類も散らばっている。
(アイツが居たら発狂して掃除し始めるだろうな〜)
レオが玲菜を思い出している暇も無く、ダリアは更に進む。ロッサムも付いてきて奥へ行き、やがて真っ暗な場所の行き止まりに着いた。
兵たちは数人に一人の割合でランプを点けて持ち始めた。
「ここから先が秘密の通路。通路といっても、ただの洞窟で、歩きにくい上に危険な個所が幾つもある。もしかしたら、たとえ敵の罠があっても元々使おうと思っていた地下通路の方がマシだったと思うかもしれない」
ダリアの言葉に、皆は息を呑んだ。
「それでも、行くかい? 引き返すなら今だよ」
レオは一度目をつむり、決心して告げた。
「俺は行く。バシル! 皆に伝えろ。『怯んで来られない奴が居ても、俺は咎めない』と」
「ハッ!」
バシル将軍が兵たちに伝達すると、逆に意気込む者が多く、怯んで逃げ出す者など居なかった。
その様子にダリアはニッと笑い、壁のくぼみを押す。
――そこは、実は仕掛けになっているらしく。
行き止まりになっていた壁が少し横にズレて人が通れるようになった。
皆は驚き、順番に通って進む。
「凄いな。盗賊がこんな仕掛けを?」
驚いたレオが質問すると、ダリアは笑いながら答えた。
「違うよ。あの、頭の悪い連中がこんな物作れるわけがない。これは元々ここにあって、見つけただけさ!」
「だろうな」
分かっていた風に、ショーンは頷く。
「ここは多分、旧世界の遺跡なんだろ。旧世界は今よりも高度な文明だったから。自動で開く扉とかもあったようだし」
「自動か。いいな。そういえば自動車も旧世界……」
そこまで言って、レオは自動車を運転する玲菜の姿が思い浮かぶ。
「え?」
(あれって、俺は、アイツが考古研究者の知識で運転してるんだと思ってたけど、もしかすると、元々知ってて運転してる可能性もあるよな?)
だとすると、おのずと彼女の言う『過去の時代』がいつなのか判ってくる。
(アイツの過去の世界って、旧世界……?)
今よりも高度な文明があった、旧世界。
自動車の中にあった、『シーディー』とかいう、歌が聞こえる物を聴いて、彼女は泣いていた。
なぜだか分からなかった。悲しんでいるのとも少し違う気がした。
(あれはまさか、懐かしんで?)
「殿下?」
思わず立ち止まっていたレオに、バシルが声を掛ける。
「あ、ああ、悪い」
我に返って歩き出しながら、レオは「今、考えているべきではない」と気持ちを切り替える。
ダリアを先頭に、若干……いや、かなり危険な道を、たくさんの兵を率いて進んだ。
そして、夜になり。
途中、白兵戦も行った湖戦はほぼ互角……いや、やや緑城軍が優勢のまま、緊迫した状態で一時休息に入った。
兵は疲弊して、厳戒態勢のまま順番に眠る。
緑城側は、シリウスの登場にも警戒しているので、兵力を温存するためにあまり攻撃を仕掛けてこない。あくまで防衛に尽くしている。
だとしても、この戦力差。
このままだと、西方門から引き返してきたナトラ・テミスの援軍に挟み撃ちに遭い、全滅なんてことも。
ヴィクター皇子には撤退や、最悪な場合の離脱も視野に入れて、今後の作戦会議が取られる。
兵たちは、シリウスの登場を今か今かと待ち望んでしばしの休息を取った。
一方。危機に直面していたのは玲菜たちも同じで。
自分らが休んでいた誰も居ない集落(恐らく住民は逃げたと思われる)に、西方門から引き返してきたナトラ・テミスの軍が入り込んできて、危うく見つかりそうになったが、警戒していたイヴァンたちのおかげでなんとか見つかる前にその場を離れることができた。
仕方なしに野宿を強いられたが、見つかるよりはマシで、玲菜とマリーノエラは我慢して一緒に毛布に包まって寝ることにする。
こうしている間も、玲菜はレオやショーンたちのことが心配でたまらなく、中々眠りに就けない。
もしも、創世神である(らしい)自分に力があったなら、戦争自体を起こさなくするのに。
(でも私にはそんな力無いし)
それどころかもうすぐ元の世界に帰るかもしれない。
そこまで考えて、ふと、『鍵』のことを思い出した。
(あれ? 私が帰るための鍵って、どこにあるんだっけ?)
「あ!」
今まですっかり忘れていたが。
(緑城にあるんだ! もしかして!)
急に重要なことを思い出す。
(そうだ! そんな話、前にした)
シドゥリが『ナトラ・テミス』に在ると言い、レオの部下が調べて場所を特定したのだ。
(なんだっけ、名前……アヌビスみたいな名前の)
玲菜自身の知識で思い浮かぶ名前と結びつけて憶えていた。
(確か……アヌ? あ、アヌー? アヌーのナントカ石。……賢者の石じゃなくて、なんだっけ? ……結晶?)
「あ! アヌーの結晶石!」
思い出した。
その鍵が、龍宮の緑城にあるはず。
(そうか! だからショーン、もしかすると、攻城の時にそれを探すつもり?)
絶対そうだ。
(ショーン、ホントは参謀長だから安全な所で作戦の指揮とか執らなきゃいけないはずなのに、私のために危険な場所に?)
まぁ、自分なりの参謀長のイメージではあるが、少なくとも危険な場所に行くのは玲菜のためもあるはず。
(どうしよう、ショーンが……)
もう、レオやショーン、二人の心配をしすぎて気が狂いそうだ。
(本当は私が自分でなんとかしなくちゃいけないんじゃないの? っていうか、私には使命があって、シドゥリさんがそれを視えたってことは……)
玲菜に、とある考えが頭を過る。
(私って、その時まで死なないんじゃないの?)
もちろん、怪我をする可能性などはある。しかし、妙な説得感。
もしかすると、昨日交渉に成功した自信から来るのかもしれない。
玲菜は、運命が変わるかもしれないという可能性は全く考えずに、二人の許へ行きたいということばかり考えて眠れなかった。
―――――
しかし、眠れなくても夜は明ける。
軽い食事をとって、早朝から玲菜たちは移動を始める。
行きの時には丸三日かかった道だが、少人数で馬での移動は早く、一日半くらいで国境近くの砂漠までたどり着けそうだとイヴァンは言う。
たどり着いたらまた夕方から一晩かけて砂漠からの国境越えをしよう、と。大変だが、そしたらもう帝国に戻れる。
イヴァンは、それよりも夜に遭遇したナトラ・テミス軍の情報を帝国軍に伝えないといけない、と考える。
連中はきっと湖戦への援軍だ。到着したらヴィクター隊が挟み撃ちになってしまうのが容易に分かる。
恐らく西方門攻撃の軍から引き返した隊であり、ショーン軍師の読み通り、湖戦を始めれば西方門は守れる。
当然、西方門防衛にも余裕ができるので、こちらにも援軍に来てもらおうと――
しかし、その必要はなく。しばらく国境に向かって走っていた玲菜たちの前に、強力な軍隊が一団、現れた。
目を輝かせて真っ先に喜んだのはマリーノエラだ。
「お、王子様〜〜〜!! 私を助けにきてくれたのね〜!」
橙色のマントを着けた、フェリクス率いる鳳凰騎士団。若い美形に目が無いマリーノエラは、金髪美形のフェリクスを見た途端、異常に元気になった。
イヴァンはフェリクスに駆け寄って、昨夜に遭ったナトラ・テミス軍のことを伝える。
「分かっています」とフェリクスは頷いた。
彼らはちょうどこれから援軍に向かうのだと言う。
このまま走れば恐らく着くのは夜中。ナトラ・テミス軍の方の援軍はそれより少し前に着くだろうが、長距離移動の後に準備も無しに夜襲をするとは考えにくい。挟み撃ちを防げるはずだ。それに、もし万が一、着いてすぐに攻撃をされてもそんなに長い時間ではないので、ヴィクター隊も持ち堪えてくれるはず。シリウスの潜入隊も城の内部に入っている頃かもしれないし。
話を聞いて、居ても経ってもいられなくなったのはイヴァンだ。
「フェリクス団長、オレも……」
“一緒に行きたい”と言いかけて、言葉を止める。玲菜たちを帝国にまで送り届けなくては。二人のことをよろしく頼むとショーンに言われた約束を守らないと。
「フェリクスさん、私も……」
イヴァンが口をつぐんだばかりなのに、玲菜が同じ思いを告げた。
「お願いします! 私も連れてってください!」
「ええ!?」
近くに居た皆が訊き返す。
特にイヴァンは、自分が思っていたことを言われたので焦った。
「ちょっと! レイナちゃん!」
「レイナ、何言ってるのよ」
もちろん慌てて止めたのはマリーノエラ。
一番困ったのはフェリクスだ。
「え……ええ!?」
「なんか、兵士の皆さんにはここまで送ってもらったのに、申し訳ないと思います。フェリクスさんもきっと迷惑ですよね」
玲菜は、昨夜考えたことで心に決めたことがあった。それは、鍵を自分で手に入れなくてはいけないということ。
「ただ私、どうしてもしなくちゃいけないことがあって。だから、戻りたいんです」
自分のための物を、ショーンに任せてばかりではいけない。
「あんたねぇ」
頭を押さえて、マリーノエラが指摘する。
「レイナ、あんたはそれでいいかもしれないけど、そのわがままは、フェリクス様を困らせるのよ。あんたに何かあったら、フェリクス様が責められるじゃないの。そんなことも分からないの?」
「え?」
「あんたにできることは、大人しく無事に帰ることなの。ショーンの心配をこれ以上増やさないで! あの人老けちゃうわよ」
マリーノエラの言うことはもっともだ。
玲菜は返す言葉も無くなって肩を落とした。
(そうか。これは私のわがままだ。皆を困らせる。ショーンも心配するし)
仕方ない。
そうと決まれば鳳凰騎士団と別れて自分たちは帰るかという流れになった時。
イヴァンが思い余って口を出した。
「オレが責任を取るから! レイナちゃん、行こう!!」
「え?」
「オレだって行きたい。役に立たないかもしれないけど。それでも」
イヴァンの発言に、あっけに取られるマリーノエラ。
「え? ええと……じゃあ、どうしますか?」
困惑したフェリクスに訊かれると、イヴァンはきっぱりと答えた。
「オレたちは勝手に付いていくんで、団長は気にしなくていいです。オレは傭兵団・砂狼の一員ですから」
「そうか」
もう時間が無いと、フェリクスは馬に乗る。
イヴァンは一度馬から降りて玲菜に手を差し出した。
「行こう、レイナちゃん」
「うん! ありがとう、イヴァンさん」
玲菜はラクダから降りてマリーノエラに言う。
「マリーノエラさんたちは先に帰っててください」
「も〜〜〜」
マリーノエラは溜め息をつく。
「あんたってホント……」
「ごめんなさい、マリーノエラさん。交渉のこと、ありがとう!」
感謝しながらイヴァンの馬に乗る玲菜に、マリーノエラは目蓋を落としながら笑った。
「交渉は、あんたの手柄よ。私は何もしていない」
「でも、マリーノエラさんのおかげで私はここに来られた」
彼女がショーンに「レイナと一緒に行く」と言わなければ、交渉もできなかった。
「では、我々鳳凰騎士団は行きます」
フェリクスは合図をして鳳凰騎士団の先頭に付く。
「オレたちも行くよ、レイナちゃん」
「う、うん」
実は玲菜は馬に乗るのが乗馬無料体験クラブ以来で、もちろん、二人乗りなんて初めて。
物凄く怖かったが、そんなことは口に出せない。
「一緒に掴まって。持つだけでいいから」
「は、はい」
イヴァンに言われるままに玲菜は手綱と鞍の前橋《ぜんきょう》に掴まる。あぶみには玲菜が足を通して、イヴァンは後ろに乗って玲菜の手の上から手綱を握った。そして思わずにやける。
「こんなん見られたら、レオに殺されるね」
「え?」
「いや、なんでもない」
そう言って、鳳凰騎士団の一番後ろについたイヴァンはもう一つ気になっていたことを言った。
「あ、そうだ。レイナちゃん、オレのこと呼び捨てでいいからね」
「呼び捨て?」
「うん。イヴァンでいいよ」
急には呼べない。
「あ、あ、じゃあえっと……イヴァン…君で」
「それでもいいか」
鳳凰騎士団は進み出し、イヴァンもそれに続く。
マリーノエラは二人を見送りながら声を掛けた。
「あんたたち! 無事に帰ってきなさいよ!」
「マリーノエラさんも! 砂上の砦で会いましょう!」
返事しながら、玲菜は自分に死亡フラグがあるような気がして可笑しくなった。
(レオだったら『そんなフラグへし折ってやる』とか言うだろうな〜)
違いない。
しかし、笑っていられたのは初めだけで、走り出すとすぐに怖くなった。
今までラクダに乗っていたが、あまり早くは走らなかった。だが今は、急いでいるのでかなり速い。
玲菜は振り落とされないように必死に掴んだ。
その内、慣れるとなんだか楽しくなってくる。油断禁物だが、なんていうかスリルが楽しいというか……。
(って、楽しんでる場合じゃないって)
今頃レオは、ショーンは、どんな状況か。不安が募る。
(私が行っても意味無いんだけど)
意味無いどころか無駄に危険を増やすのに。
それでも。
玲菜は自分で行かなくてはならないような使命感を覚えていた。