創作した小説が世界の神話になっていた頃
[第七十一話:復讐]
「朱音さん……」
彼女の登場に、『なぜここに居るのか』と疑問を抱くよりも嬉しくて泣きそうになる玲菜。
一瞬、夢か幻かと思った。
助けてほしいという自分の願望が目に映ったのかと。
けれど違う。
どうやら本物らしい。
仲間が一人倒されて、残りの兵士たちは皆警戒しながら護送馬車を降りて剣を抜く。
いきなり現れた女忍者の周りを囲んで構えた。
玲菜は手錠を掛けられて、繋がれていたので馬車内から動くことはできなかったが、鉄格子だったので、その様子を見ることができた。
数人の兵士に囲まれている彼女を心配にも思うが。
(でも、朱音さんの強さなら)
彼女なら大丈夫という確信もある。
しかし、朱音は戦う素振りは見せずに兵士たちに言った。
「アナタたちの処刑人は私《わたくし》ではありません」
鎧姿の一人の男が朱音の方へ近づいてくる。
「感謝しなさい、下賤な者共。アナタたちのような雑兵に、殿下自らが剣を汚してくださると仰っています」
黒髪の鎧姿の男は、暗がりで顔がよく見えなかったが、自分の着けていた青いマントを外して地面に落とす。
「殿下は御立腹ですからね」
朱音の“殿下”という言葉と、青いマントに。一人の英雄の姿が思い浮かんだ兵士たちは足がすくみ上った。
「ま、まさか……」
「そんな、あの皇子は捕らえられているはずでは?」
彼らが不信に思っても、現にここに居る。
「偽物じゃないのか?」
怯えながらも信じられなくて、兵士の誰かが言った。
言った途端に、黒髪の男が彼に斬りかかる。
それは一瞬で、首を斬られた兵士は血飛沫を上げて倒れた。
他の兵士たちは戦慄し、首が地面に落ちる所を見てしまった玲菜は悲鳴を上げそうになった。
すぐさま、朱音が彼女の許へ向かい、鉄格子を開けて中に入る。
「レイナ様! 御怪我は!?」
兵士たちの叫び声が聞こえる中、玲菜に布を渡して残酷な場面を見ないように目を隠す。それと、手錠を外して擦りむいた腕と脚の手当てを施した。更に、皇子が残虐な方法で相手を死に至らせる時は耳も塞がせて。
やがて辺りが静かになった頃。兵士が全員倒れて血の臭いだけが漂う中、皇子は落としたマントを拾って返り血の付いた鎧を隠すように覆い着けた。
少し息を切らしながら顔に付いた血を腕で拭い、彼女の許へ直進する。
「レイナ!!」
恐る恐る質問をした。
「何か、酷い目に遭わされていないか?」
月明かりで見えた顔は、紛れもなくレオで。
「大丈夫だよ、レオ」
答えた途端に玲菜の目から涙がこぼれた。
不安とか、安心とか、嬉しさ、辛さ。すべての想いが涙となって溢れる。
それよりも。
「私は大丈夫だけど、レオ! クリスティナさんが塔の上で!! 早く助けて!!」
一刻も早く彼女を助けないと!!
そう訴えたが、心配には及ばず。
「ああ、大丈夫。アイツには、金髪の王子様が助けにいっているから」
レオの言葉に安堵する玲菜。
「え? まさか……」
そのまさかで、クリスティナの許へは――金髪の貴公子・フェリクスが向かっていた。
危機一髪で、塔の上の姫を無事に救出した王子は婚約者をギュッと抱きしめる。
二人は初めてキスを交わして。
不埒《ふらち》にも異母妹を手に入れようとした哀れな皇子は、身分関係なくフェリクスに捕まった。
いくら第二皇子といえども、皇女……ましてや、自分の異母妹に働いた罪は言い逃れできない。たとえそれが未遂であろうとも。
一方。
「ショーン様の許へは、黒竜が向かっております」
彼に抱擁されながら朱音のその言葉を聞いた玲菜はまたもホッとして涙を流す。
良かった。本当に良かった。それに、彼に会えた。
ずっと会いたかった。ずっと心配していた。
捕まったと聞いた時、生きた心地がしなかった。
直前まで、果てしない恐怖があって、解放されたら涙が止まらなくなった。身体もずっと震えていたけれど、彼に包まれたら震えは止まった。
ただ、一番驚くことがある。
「朱音さん……どうして?」
彼女は捕らえられていたはず。
助かったのは良かったが、謎が残る。
「そうですね。話せば長いです」
事の真相は深く、レオが代わりに言った。
「レイナ。俺は今から、“復讐”をする」
「え?」
「その為に、俺の闇の部分を見せることになるけど。ついてくるか?」
彼の青い瞳が自分を見つめる。
「闇の部分?」
「ああ。場合によっては、俺に幻滅するかも」
幻滅するなんて……
「そ、そんなこと」
無いと告げる前に、レオは玲菜にキスをする。
「……レオ?」
朱音の前で、恥ずかしかったのだが。それよりも彼の悲しそうな瞳が気になる玲菜。
「レイナ。俺は……」
彼は何かを言いかけて。けれど、続きは言わずに手を握る。
「ごめん」
「え?」
なぜ謝ったのか理由は分からない。
彼はもう無言で、玲菜の手を引っ張って歩く。朱音は二人を見守りながら、殺さないで一人捕まえた尋問者を部下に任せて。自分はすでに捕まえていたある男の許へ行く。
皇子が復讐を遂げるには、様々な証拠と証言を黒幕に突き付けなければ。恐らくこれで、役者は揃ったはずだった。
その夜。
もう夜中になる時間だというのに、第二皇妃ミシェルの別邸が近衛兵に囲まれた。彼女と側近は何事かと出てくると皇后とアルバート皇子が待ち構えている。更に、後ろには婚約者に支えられる皇女クリスティナも。
玲菜も近くで見守る中、アルバート皇子は自ら前に出てきて皇妃に言う。
「ミシェル様。貴女の御仲間はすべて捕らえさせていただきました。貴女の偉大な陰謀は終わりです。後は貴女を捕まえるだけ。神妙にしてください」
――そう。真犯人はミシェルであり、その裏には大きな陰謀があった。彼女に協力した者や仲間はすでに捕らえていて、残りは彼女だけになる。
第二皇妃ミシェルは、まずアルバート皇子が捕まっていないことに驚愕して青ざめる。更には、息子である第二皇子のヴィクターが捕まった事実にもショックを受けた。
「なぜですか? なぜ私《わたくし》が。……ヴィクターも。アルバート皇子、貴方は捕らわれたはず。どうしてここに!?」
若干混乱してうろたえる彼女に皇后がびしっと言う。
「ミシェル殿、真か? そなたがこの国を乗っ取ろうと陰謀を? そのために陛下を暗殺したというのか!」
「な、何を言っているのですか? 私が陛下を? それに陰謀だなんて。仲間というのも初耳ですし。それよりもアルバート皇子がこの場に居ることが納得できません。確かアルバート皇子は皇帝陛下暗殺主謀では!?」
聞いていたレオは「ククッ」と笑って貶すように静かに呟く。
「本当にくちがよく回る御方だ」
「な、なんですって?」
「その、うまい口調でアンナ皇妃のこともたぶらかしましたね? 帝位の事で彼女にけしかけて、私を失脚させる罠に嵌めようと」
ミシェル皇妃は慌てて大声で否定した。
「でたらめです! よくもそんな嘘を! 貴方こそ私を罠に…」
言いかけて「ハッ!」として止まる。
その時、アルバート皇子の口元が密かに緩んだのが見えたので。罠に嵌めようとして、逆に罠に嵌まったのは自分だったと初めて気が付いたから。
表情が変わる。
「まさか……」
そこに、普段の淑やかな皇妃の姿は無かった。
「俺は、知っていたんですよ、皇妃」
レオもまた、口調が変わって彼女を見下す。
「俺の母親が貴女の差し金で、毒を飲んで死んだのも」
「なんと!!」
隣で聞いていた皇后は驚き、後ろに居たクリスティナも口を押さえる。
「俺は知っていて、あの時はどうする力も無かった。でもやっと、ある人物から証言を得ることができたので」
「ある人物?」
そこへ、ショーンに連れられながら一人の聖職者がやってくる。灰鬚でオドオドした感じの男は恐る恐る皇妃を見る。
ミシェル皇妃はショックを受けた。
「お……オーラム司教!」
「オーラム司教、そなたが?」
皇后に促されて、オーラム司教は怯えながら答えた。
「さようです。私が“最期の慈悲”をミシェル皇妃に。六年前、秘密裏に手に入れた毒を渡しました」
最期の慈悲とは、レオの母のサーシャが自殺する時に飲んだとされる毒。通常手に入りにくく、聖職者ならば入手可能とされている。その毒を、自殺する本人ではなくミシェルが手に入れていたならば、ほぼ証拠に値するといえる。
オーラムは話を続けた。
「そして、最期の慈悲は余っていました。異国の物で、他に手に入る術はなく。皇帝陛下の暗殺にも使用されたと思われます」
「オーラム司教! 貴様、裏切ったな!?」
ミシェル皇妃は怒りのあまりなのか、否定するのも忘れて怒鳴り上げた。
「認めるのですか?」
すかさずレオがつっこんだことで我に返り、青い顔をする。
「あ、わ、私は」
再び口調を戻してしらを切る。
「全く存じ上げません。つまり、オーラム司教は嘘をついていて、自分の罪をなすりつけるつもりですわ」
「では、この屋敷の中を調べても問題ありませんね」
呆れたようにショーンが言うと少し怯んで言い訳を述べる。
「たとえ、私の屋敷から毒が見つかったとしても、きっとオーラム司教に仕掛けられた物。それに、サーシャ様や陛下を暗殺させるために使ったとは限りません」
そう言うだろうと思って、黒竜は朱音の部下の中の一人を掴んで前に出す。
彼は何も言わず、代わりにレオが訊いた。
「ミシェル様、彼女に見覚えは?」
朱音とほぼ同じような格好をしていて、背丈や髪型もよく似ている。
その女性は前に出された途端、自害しようとしたが、黒竜たちが取り押さえて自害できないようにする。
珍しくも黒竜が口を開いた。
「お前が、ミシェル皇妃と繋がっていたのを朱音は知っていた。知っていて最近わざと部下にした。そして六年前のサーシャ様と、皇帝陛下暗殺の実行犯だったことも」
「ミシェル様」
女の忍びは絶望的な顔でミシェルを見上げる。
「夜間に見回りしていた兵士は、あの夜、朱音と似ていた忍びの姿を見ただけで、確信はしていなかった。けれど、貴女とアンナ皇妃に強要されて朱音と断定した」
黒竜はいつも無口なのにペラペラと話す。
「アンナ皇妃は真犯人など知らなく、アルバート様を失脚させたい気持ちが有ったために貴女の口車に乗ってアルバート様を陥れる発言をする役を買って出た」
「作り話を!!」
ミシェルは必死に弁解する。
「よくもそんなよくできた作り話を! 私はそこにいる女忍びなんて知りませんし、陛下の部屋にはアルバート皇子の護衛の小太刀が落ちていたはず。証拠があります!」
「私《わたくし》の小太刀をわざと盗ませて利用させたのは、私が拘束される必要があったため」
そこに現れたのは、一人の男を連れた朱音。
捕らわれているはずの彼女が現れて、ミシェルは驚愕する。
「な、なぜ!?」
「私を犯人に仕立て上げようとしていたのは気付いていましたので、謀らせていただきました。罠に嵌まったフリをして」
朱音はキッと睨み付ける。
「国を乗っ取る陰謀に関わった者を一網打尽にするために。重要人物の潜伏先の他国へ移動する時間が必要でしたし、かといって、私が長い間アルバート様から離れては怪しまれますので。怪しまれない状況が必要でした」
そこで初めて、皇后も一枚噛んでいたことに気付くミシェル。
皇后は憐みの目で彼女を見た。
「すまないな、ミシェル殿。サーシャ殿や陛下暗殺の主謀者だとは知らなかったが、お主が帝国を乗っ取ろうとしている民族の人間なことは知っていた。アルバート皇子にこの計画を持ち出された時に、半信半疑で話に乗ったのだが。朱音の調べで判明して残念だ」
皇后まで向こう側だと、もういくら言い逃れをしても無駄だと悟るミシェル。
ずっと自分が民族の指示通りに陰謀を企てていたと思っていたが。逆に皇子の策略に嵌まっていたことに気付いて、物凄い形相で彼を睨んだ。
「おのれ……謀ったな?」
皇妃の化けの皮の剥がれっぷりに、ほくそ笑んだのはレオの方だ。
「やっと正体現しましたね」
近くで見ていた玲菜は、一瞬、レオが悪役に見えて目を疑った。
こんな時なのに、なぜか楽しんでいるように見えたから。
何か、悲しく感じる。
彼は復讐をすると言った。自分に幻滅するかも、と。
(幻滅なんて……)
というより、まるで別人のようで少し怖い。
ショーンの方を見ると、ショーンも頭を押さえて目を伏せていた。
レオはまるで、今までの怒りが解き放たれたように饒舌になる。
「そもそも貴女は、帝国の人間の……ヤマトの民に成りすましたエニデール民。その時点で疑わないはずはない。エニデール民は『ナトラ・テミス』に取り入って戦をけしかけている。そして自分らは帝国軍に潜り込んで情報を隣国に流す」
要するに工作員で、外からは隣国に攻めさせ、内では皇家に入り込んで最終的には帝国の乗っ取りを企んでいた、と。
「――最初にその計画に気付いたのは俺の母でした」
彼の、衝撃的な言葉。
「それを知った貴女たちは母を自殺に見せかけて毒殺した。母は自殺してもおかしくないような処遇を受けていましたので、周りは疑わなかった」
レオはショーンの方を見る。
「疑ったのは、俺とショーンだけだった」
名が挙がったショーンは、目を伏せたまま、自分のコートの内ポケットから一冊の本を出してレオに渡す。
その本を見て、玲菜は「どこかで見たような」と考える。
(あ!)
思い出した。
(あの時の……)
自分の記憶が正しければ、以前……まだこの世界に来て間もない頃。初めてレオの部屋を片付けていた時に見つけた本。中は読んでいないが、レオの母の肖像画の紙が挟まっていて。
彼に見つけたことを酷く怒られた。
(あれだよね?)
「母は、エニデール民の陰謀の事をこの本に記していた。俺は母が死んだ後にたまたま見つけて読んで、民族の乗っ取り計画を知った。それに、母が自殺ではなかったことに確信も」
ただ当時に、レオの母が書いた本を皆の前の出したとしても、まだ実行されていない事柄なので只の被害妄想とあしらわれる可能性があった。なので、レオは本をショーンの家に隠して。ずっと復讐を考えていた。
いつか、母を殺した連中が陰謀を実行に移す時、必ずやしっぽを掴んで主謀犯を陥れる、と。
そのためには自分自身を餌にする。即ち、皇帝に近い存在になって相手を誘き出す。
「この国を乗っ取るために、恐らくヴィクターの奴を皇帝にしようとするだろうと思ったから。俺が次期皇帝に近くなれば必ず何かを仕掛けてくると踏んだ」
おかげで命を狙われることも多かったが、必ず生き抜いて復讐を遂げると心に誓っていた。
レオはミシェルに顔を近付けて勝ち誇った顔で言う。
「貴女方はうまく動いてくれました。俺を罠に嵌めようと手の平で踊ってくれた。おまけに馬鹿息子は黒幕を知らずに無様な罪を犯すという失態」
後ろで婚約者に支えられながらクリスティナは目に涙を浮かべる。
「ただ、アイツが妹に欲情するのは、なんら不思議でもない」
朱音が連れてきた男を、レオはミシェルの前に突き出す。
「この男がすべて白状した」
白髪交じりの茶色い髪の男。歳は五十代か。いかつい顔をしているのに、態度は気弱そうでブルブルと震えている。
「エニデール民、現、民族長であるウォルト」
朱音が他国に行ってまで捜したのはこの人物で、彼を捕まえて白状させたことで過去も判明する。
「かつて偽名を使って宮廷に忍び込んでいて、その時、うまく皇帝の妾になっていたミシェルさまと親密な関係になっていた」
男は挙動不審に周りを見回した。
「ち、違うんです。それはあの」
「何が違うんだ? さっき自分で白状しておいて」
この期に及んでと、レオは呆れ返る。
「言っただろ? ヴィクターは二人の子供であり、皇帝の子ではない、と。俺もそれは納得する。いくら母親が違うといえども、アイツとは兄弟だとは思えない」
周りが静まり返る。
「けれど、皇帝の子として、嘘をついていた。つまり、エニデール民の真の目的はそこにあって。民族の純粋な血の人間をこの国に君臨させようと。本当の意味で乗っ取ろうとしたんだ」
皆が静まり返る中、皇后だけはミシェルに近付き、落ち着いた口調で訊く。
「ミシェル殿。相違無いか?」
すると、もう吹っ切れたのかなんなのか、ミシェルは弁明せずに薄笑いを浮かべた。
「私、今気付きましたの。同胞に裏切られたこと」
「え?」
口調は戻っていたが、正気ではない様子。
目線が定まらないまま、笑いながらレオに言った。
「そうです。アルバート皇子。すべて貴方の言った通り。私は民族の野望のために働き、ヴィクターを皇帝にのし上げようと苦心しました」
レオの話をすべて認めると言ったも同然。
「そしてその際に、ヴィクターの出生の秘密や陰謀に気付いてしまったサーシャ様を自殺に見せかけて毒殺した」
言葉を聞いたレオの表情が変わる。
「さぁ、憎いでしょう? 私を殺すのです! それが私の、民族にとっての最期の仕事」
今の彼女の言動は何か不可解で。
怒りに打ち震えながらもレオは止まって自我を抑える。
ずっと復讐をしようと。機が来たらこの手で殺めてやろうとずっと思っていた。そして――長年の憎しみが詰まった……まさに、今しかない機が来たというのに。
手が動かない。
ショーンや玲菜が、近くに居るからか。
(いや、あの二人には俺が人を殺すところをもう見られている。今更)
刀に手を添えると、息が乱れて汗が出る。
レオがためらっていると、皇后が言い放つ。
「アルバート皇子! ミシェルをこの場で斬り捨てることを許す! こやつの罪は重すぎて極刑しかない。そなたが復讐を遂げても処刑人として罪にはしない。母親の仇を!」
しかし、もう一度刀に手を掛けた瞬間、小さく「レオ」と呼ぶ声が後ろから聞こえた。
振り向くと、彼女が哀しそうにこちらを見ている。
何を訴えようとしているのか分かるし、そんな目で見られたら……
レオは一度刀を抜き、ミシェルに斬りかかったが、寸差で地面に刺して背を向けた。
「俺が斬ったら、それこそアンタが満足するだろ。そんなのは嫌だ。獄中で苦しんでもらわないと。死刑はその後でいい」
言っていることは怖かったが、ある意味慈悲に感じて皆が呆然とする中、思い余った玲菜が彼に駆け寄った。
皆に見られてもいい。
何も声がかけられずに近付いて、震える彼をそっと抱きしめる。
「殺せなかった。くそ! 殺せなかった!」
放心しながら呟くレオに小さく声を掛ける。
「いいんだよ。それで。もう大丈夫だから」
レオは一種の興奮状態だったのだが、しばらくすると彼女の言葉と腕に安らぎを感じて段々と震えが止まっていった。
そうだ。
この温もりが、自分を正気に戻す。
「レイナ……」
レオは目をつむり、玲菜を抱きしめ返した。
皇子のその様子を見て、皇后はいろいろと悟り、「もういいか」と近衛兵に皇妃の逮捕及び連行を命じる。
ミシェルは大人しく捕まり、気の抜けた様子で何かブツブツと喋る。
屋敷の中には使われた毒を見つける捜査が。実行犯の女の忍びも捕まって、証言をしたオーラム司教ももう一度捕まる。彼は、証言をしたということで共犯の罪も軽くなって、死刑にはされない。
だが。同じように連行されそうになったウォルトが震えながら訴えた。
「わ、私は違います!」
一民族の長としては妙に小物風だ。
「証言はしましたが、私は違うのです。なぜなら、まだ話していない真実があります」
「分かった。他にも話があるなら後で聴こう」
手錠を掛けた兵士がそうあしらっても黙る様子は無い。
「こ、この場に居る人間で、別人に成りすましている人物が…」
次の瞬間――どこからともなくナイフが飛んできてウォルトの頭に突き刺さった。
「あ…あっ……!!」
彼は続きの言葉が言えずに目と口を開いたまま倒れる。
「きゃあああああ!!」
クリスティナの悲鳴が響き、「ひぃいいい」とオーラムが腰を抜かす。
フェリクスはすぐにクリスティナを自分に引き寄せて周りを警戒し、近衛兵が皇后を囲み、朱音がレオと玲菜の前に立つ。
黒竜は言われていないのに、すぐにナイフが飛んできた方へ向かった。同時に、どこかで待機していた皇后の忍びの護衛も数人が向かう。
比較的落ち着いていたショーンが、周りを見回してレオに駆け寄った。
「多分、口封じだな」
言ってから倒れたウォルトを確認するように見て残念そうに目を伏せる。
「駄目だ。即死だ」
幸い玲菜は、レオと抱き合っていたのでその場面は見ていなかったが、状況に怖くなって更にレオにくっついた。
それから。しばらく経って黒竜が戻ってきたが、犯人を取り逃がしたと残念そうに報告する。
近衛兵はまだ警戒しながら皇后を守り、死んだウォルト以外の犯人を逮捕して連行した。
ミシェルは元恋人(?)のウォルトが倒れても動じずにただ、気が狂ったようにずっと静かに笑っている。腰を抜かしたオーラムは立たされて、怯えながらも自分が殺されないようにキョロキョロして歩いた。
やがて、犯人の牢獄への護送は兵士に委ねるとして、とりあえずは事が一段落する。
クリスティナはショックが大きいために先に帰って、レオは皇后に礼を言った。
「皇后陛下、ありがとうございます。陛下の協力がなければ為し得なかった事。深く礼を申し上げたく存じます」
朱音の勾留を解いたのは権限を持っている皇后だ。
「うむ。しかしそなたの言う通りであった。皇帝陛下暗殺の真犯人も捕まえたし、陰謀も阻止できた。こちらこそ礼を申す」
「もったいなきお言葉」
レオが頭を下げると皇后は突然、気が触れたように大声で笑った。
「あーはっはっはっはっはっ! 良い。むしろ気持ちがいい。こんなに愉快な事、滅多に無いわ」
皇后が、皇妃たちを好ましく思っていないことは知っていたが。というか、知っていたので敢えて協力要請したが。少し背筋が凍るレオ。
(女って、恐ぇ)
それよりも。皇后は存分に笑うとレオに問う。
「ところで、ここまでの事をしてそなたに覚悟はあるのか?」
長男は死去。次男は失脚。いよいよ、逃れられない。
レオは、一度玲菜に目をやってからきっぱりと答えた。
「はい。あります。帝位は私が」
ああ、そうか。
玲菜は彼の言葉を呆然と聞きながら、それしかないと悟った。
成り行きとはいえ……いや、レオは分かっていたはずだ。皇妃への復讐のためとはいえ、次男を陥れると言う事はつまり。
恐らく、長男の死を聞いた後には覚悟した、と。
最愛の母親を殺されて、復讐と共に皇家の敵の野望を阻止した。国を乗っ取られる危機から守った。元々戦でも隣国から国を守る英雄で。前皇帝からは次期皇帝の証を貰い。国民からも熱望されている。
(次期皇帝はアルバート皇子しかいない)
そして彼はそれを受諾した。
盲目の預言者の予言は当たる。
玲菜は涙を流しそうになって彼から顔をそむけた。
そういえば、彼はエニデール民に敏感で、たとえばユナに対して、最初から怒りをあらわにしていた。出会った頃の記憶を思い出す。
自分の母親がその民族の野望によって殺されたとしたら無理もない。
そして彼は、悲願の復讐を遂げた。帝位継承の栄光も得つつ。なのに……
(駄目だ。涙が出る)
嬉し涙ではない。
(喜んであげないと)
玲菜の頭の中には預言者のもう一つの予言が浮かんでいた。
『アルバート皇子の配偶者はレナになり、自分は皇帝の妻にはなれない』と。
だから彼は皇帝にはならないと言ったのに。運命を変えるために。
結局、変わらなかった。
しかも、こんな風に必然的に。
レオは、斜め後ろに居る玲菜がまた泣きそうになっていることに気付いたが何も言えずに俯く。
皇后が離れてから、朱音はレオに小さな声で“ある事”を言おうとした。
「皇子……」
「分かっている。今回はただの復讐だ。敵はまだ潜伏している」
そう、今回は個人的な事を片づけただけで、まだ敵の中枢を葬ったわけではない。
自分が皇帝にならなければ(自分に被害が無い限り)無視しても良かった。
「朱音……俺は、この国なんかちっとも守りたくはなかったんだよ」
けれど。
朱音は皇子の言いたいことが分かって頷く。
「お供します。……次期皇帝陛下」
夜空には月が輝き、静かに彼を照らしていた。